活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2020.05/08 何が問題か(2)

日本では、信頼性の低いPCR検査法をコロナウィルスの症状が出た人に対してだけ実施する道を選んだ。これは、低い信頼性を補う一つの方法である。

 

この結果、ウィルスに感染しても症状の出ない、あるいは症状の軽い人を見逃し、実際の感染状況を把握できていない、という問題が発生している。

 

問題解決の作業において新たな問題が発生したり、見落としていた問題が見つかったりすることは多い。この時重要になってくるのは、改めて「何が問題か」を問うことである。

 

その時、あるべき姿と現状の認識を間違えていて、新たに見つかった問題が、当初考えていた問題よりも正しい問題であることは稀に経験する。

 

あるいは、課題解決のアクションの過程で新たな情報が得られ、その情報から最初の問題が誤りではないかと疑われる場合も出てくる。この場合には、すぐに正しい問題を考察し、それを解くように行動を変えなければいけない。

 

ところが、解いてきた問題が正しくて、新たに見つかった問題は、その問題とは異なるゴールであることもしばしば遭遇する。

 

もし、ゴールの異なる問題で重要な問題が見つかったならば、それを明確にし、解いてきた問題と新たな問題のゴールとの関係を正しく記述する作業が必要になる。

 

この作業が重要な理由は、周囲の批判と言うノイズの中で正しい問題を見失わないためである。

 

今、感染状況の実態を知るために抗体検査とPCR検査数を増やす必要性がニュースで報じられているが、注意しなければいけないのは、PCR検査の扱いである。

 

すなわち、症状が軽いかあるいは出ていないのに陽性と判定された場合には、すぐに隔離するのではなく、複数回検査を行うとか、隔離先を自宅とするとかしなければ、感染していない人を誤って感染者とする問題が発生するので、陽性者が出たときの扱いを見直さなければいけない。

 

そうしなければ、医療崩壊を起こす恐れが出てくる。そもそも今批判されているウィルスバスターたちは、医療崩壊を最も避けなければいけない事象として捉えていた。その努力を情報が増えてきて安直な批判が誰でもできるようになったことで無にしてはいけない。

 

研究開発で失敗し、その原因を担当者に押し付けるが、そのとき、周囲のノイズで研究開発が担当者の意図しない方向へ変わってしまった責任を忘れてしまう人は多い。

 

ただ、そうならないように努力するのも担当者の責任であることも忘れてはいけない。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/07 何が問題か(1)

「何が問題か」は、問題解決にあたり最初に問うべき質問、としてよく知られたドラッカーの言葉だ。

 

今世界中でコロナ禍により混乱が起きている。ここで「何が問題か」は明らかであり、「ウィルスによる死亡者を最小にするには」である。

 

人の命以上に重要なものはない、という思想は、先進国の合意事項である。

 

問題が明確になると、そこに含まれる課題を明確にする作業を行うのは、問題解決の王道であるが、「課題」という言葉を理解されていない人は多い。

 

そもそも課題を考える、とは「あるべき姿」と「現状」との乖離を明確にする作業である。問題を解決に導く課題が明確にされるとアクションが具体化され、アクションプランの作成が可能となる。

 

新型コロナウィルスについて課題はたくさんあるが、感染したかどうかを判別する検査に関する課題は、上位になるだろう。

 

ところが、この検査法の信頼度が低い課題と、その信頼性も不明確という課題がニュースで報じられている。

 

最近では、サンプリングの信頼性を上げるために唾液を使うと簡便であるとの報告があった。

 

このような報告を聞くと、そもそも感染学という学問は検査とか検定をどのように扱っているのか、という疑問が出てきて、これも課題の一つになる。

 

しかし、問題のゴール(解)を理解しているとこの課題の重要度は低く、それよりも信頼度の低いPCR検査法をどのように運用してゆくのか、という課題が重要になってくる。

 

その結果、この課題の対策、すなわち信頼度の低い検査法でエラーが発生したときを考えると、陰性の患者を陽性と判定したときのリスクの対策が重要になってくる。感染していない人をウィルスがうようよいるところへ隔離することになる問題を防ぐためだ。

 

WHOはとにかく検査を行えと言い、各国もPCR検査を多く行う方に走った。しかし、日本だけPCR検査を受検するための基準を設け、検査数を絞る方向で活動してきた。(続く)

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/06 新生活

専門家会議から経済活動を再開するにあたり、新しい生活様式の提案があった。しかし内容は当たり前であり、がっかりした。

 

このような内容を発表するにあたり、コロナ感染者の解析が十分にできているのだろうかという疑問が湧いてきた。

 

先日福岡で行われた感染経路不明者の解析結果について述べたが、感染経路不明者には明確な特徴があると感じている。それらを区別できるような提言はできなかったのだろうか。

 

コロナ禍で感染者と非感染者の分断がおきてはまずい、とか言われているが、非常事態宣言が出されても風俗街に出入りして感染しているような50過ぎの大人について区別しても問題は無いと思う。

 

むしろ、彼らを区別せず、経済活動を遅らせる様な判断をすることこそおかしいのだ。早い話が、不謹慎な行動をとる人にはそれなりの指導法を適用し、誠実な市民生活をおくる人の被害を小さくするようにすれば感染を防げるのだ。

 

コロナ感染が連日ニュースで報じられるのに海外渡航し、発熱していてもパーティーに参加したりするような分別のない大人には、やはり何らかの対策が必要である。

 

罰則が無いために慶応大学研修医のような問題が発生する。週刊誌を読むと、彼らの医師免許を返納させても良いような破廉恥な行状である。

 

およそ常軌を逸した行動であり、このような人々が感染者になっている場合については考慮しなくてもよいのではないかと思いたくなる。

 

もし、東京都の感染者について細かいアンケートをとり、集団感染を考慮したりして解析をしたならば、不真面目な生活様式による感染者とその被害者という構図が出てくるのではないか。

 

ポストコロナ禍における新生活では、不謹慎な行動でコロナに感染した場合、感染経路不明という回答を許さない毅然とした掟が必要だろう。

 

もし、このような事態において不謹慎な酒席を開催した医療従事者は、その免許を剥奪するという決まりがあったなら、慶応大学の研修医は週刊誌に載るような醜態をさらさなかったと思われる。

 

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/05 医者もQCを学ぶべき

二回のPCR検査で陰性になりながらも再発する事例報告が多くなってきた。以前より指摘されてきたがPCR検査法の信頼性が低いためと思われ、関係者のどなたかは早急にPCR検査についてその信頼性を「科学的」に明らかにするべきだ。難しい作業ではない。

 

一方で、PCR検査をしないで医者がコロナ陽性を判定したことが神戸新聞に報じられていた。理由は保健所でPCR検査を行ってくれないからだというが、これは危険行為だ。

 

もし、本当は陰性だったなら、コロナに感染していない人をコロナウィルスがうようよいる病院に放り込むことになる。もし自分が患者の立場であれば、民間の検査機関にPCR検査をお願いしたい。

 

コロナ問題が発生してから気になっていることの一つに科学的に解析を行っていると言いながら、非科学的な手続きが見え隠れするところである。

 

技術開発では非科学的な手続きについてQC手法で検査を行いその繰り返し再現性を確認する。QC手法には、一部経験知が取り入れられている。すなわち、形式知と経験知をうまく組み合わせた体系になっている。これが製造現場で愛用される理由である。

 

そもそもすべての自然現象を科学的に解明できるというのは人間の思い上がりであり、日常の問題解決においてどうしても経験知を用いる必要が出てくる。

 

暗黙知まで動員しなければいけない場面もあるが、そのような場合にQC手法では、暗黙知を見える化するようなツールも用意している。

 

もし、PCR検査をしないで陽性の判定をしたいならば、FMEAでも行い患者の納得を得てから隔離すべきだろう。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/04 コロナ感染者の特徴

400人近いコロナ感染者を出している福岡市で、感染経路不明のコロナ感染者について解析している。

 

その結果によると、男性が女性の4倍であり、世代別では50代が多く、ほとんどが中洲など繁華街の飲食店を利用している習慣の人、というからわかりやすい。

 

早い話が、感染者の半分以上を占める感染経路不明者の大半は、感染経路を言えない事情があるのだ。このような感染を広げる人たちにより社会が迷惑している。

 

週刊誌には、京都産業大学女子学生や慶応大学医学部研修医などの行動(注)が詳細に報じられていた。

 

感染リスクが高いと言われていても刑罰が無いためにとったのであろうそれらの行動には、多くの人が憤りを感じている。

 

人間とは愚かな生き物ではあるが、それだけに道徳を社会で守ろうと努力する人が多いが、その努力よりも無思慮な人の行動の影響が大きく出てしまう。

 

差別を助長するような発言は好ましくないとか、弱者を守らなければいけないとか、感染者に罪はない、というフレーズは間違っていない。

 

しかし、このような自分の行動が社会に迷惑をかけていることを理解できない無思慮の人物を取り締まる法律を作ることは、善人を守るために必要ではないか。

 

福岡市の解析結果が示すように、無思慮な人が社会的に許されない行動をとり、善人に感染させている構図を性善説で改善できるとは思えない。

 

期間限定の特別立法でこのような人を取り締まれば、感染を防ぎつつ経済活動を早期にできる可能性がある。しかし、日本は世界に例のない大人の国であり、罰則を作らずにコロナ禍を乗り越えようとしている。

 

(注)昔大学生は少なかったので社会的エリートとしての責任感なり分別を持っていたが、今は50%が大学へ進学する時代である。また、医者という社会的に誇りのある職業に進む学生の意識は高かった。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/03 PCR検査とコンパウンドの品質検査

PCR検査で陰性と判定された老人が死亡し、死亡後再度PCR検査を行ったところ、陽性だった、すなわちコロナ感染者だったことが分かった事件が報じられた。

 

これは、2月ころに、世界では疑わしい人すべてにPCR検査を行っているのに、日本では、PCR検査を行う対象について細かな制約事項が設けられていたことと関係している。

 

現在はそれも少し緩和されたが、諸外国の検査数よりも少ない状態は変わっていない。

 

ところで、これまで検査数が少ない原因はPCR検査法の信頼性が低いため、と説明されてきた。

 

しかし、信頼性が低い検査法ならば、確率の検定を導入し、陽性の判定率を上げることができる。しかし、PCR検査法について信頼性が不明というのが実態ではないだろうか。

 

PCR検査法についてその信頼性が不明である、と指摘する理由についてもう少しわかりやすく説明する。

 

今仮に感染しているかどうか不明の検体Aについて、陽性である確率は1/2、すなわち50%となる。また、新型コロナウィルスに感染している可能性が99%以上を示す症状が出ている検体Bについて、陽性である確率は99%である。

 

このそれぞれについて、信頼性が50%の検査を行ったときに、陽性を示す確率は、Aの検体では25%で、Bの検体では約50%となる。

 

すなわち、信頼性が50%の検出能力しかない検査法でも、陽性の患者だけにその検査を適用すれば、信頼性が50%で陽性を検出できる。また、感染しているかどうか不明の検体について、検査を辞めれば25%のエラーを防ぐことができる。

 

もし25%のエラーにより陰性の患者を誤って陽性の患者が隔離されている病院に放り込む問題と25%のエラーで陽性の患者を逃がす問題の両者を天秤にかけたときに、陰性の検体を誤ってコロナウィルスのうようよいる隔離病棟へ送る問題の方が大きいだろう。

 

年末ジャンボに当たる確率よりも、陰性でありながら誤って陽性として判定される確率ははるかに高い。年末に上板銀座の福引でよくあたりを引く当方は、陰性でありながら陽性とされる可能性は高いと思うので、明らかな症状が出るまではPCR検査など受けたくはない。

 

日本のウィルスバスターたちはおそらくそのように考えたに違いない。しかし、WHO含め世界の感染学者たちは、検査の信頼性など度外視して、どんどん検査を進め、陰性の患者を陽性として判定し隔離する過ちを犯してきた可能性もある。

 

かわいそうに、誤って陽性にされた陰性の患者は病院で正真正銘の陽性になって死亡したかもしれない。しかし、残念ながらこのエラーは検証しようがないエラーである。死体は正真正銘の陽性になっているのだ。死んでからは陰性だったかどうかなど不明である。

 

日本のウィルスバスターの頭がいいところは、さらに感染者が見つかったところでその感染者と濃厚接触した人たちを徹底して検査している。それは名古屋市保健所の談話として2月下旬の時に公開された。

 

以前症状が出ていないが自主的にPCR検査を受けた藤波選手は陽性となったため、彼と濃厚接触していた二人の同僚を検査して、やはり陽性となった。そこで、さらにこの三人と濃厚接触していた女性についても検査を行ったら、二人陽性となった。

 

もし本当にPCR検査の信頼度が低いならば、この5人が本当に陽性かどうか疑わしいが、信頼度が低くても、5人とも過ちとなる可能性は、統計上3%以下である。

 

ゆえに日本のウィルスバスターがクラスターに注目している、という理由には、PCR検査の信頼度を補う効果もある。藤波選手が本当に陽性だったのかどうかは知らないが、濃厚接触者(この時の母数が5だったか6だったかは報告されていない)のある一定数が陽性になれば、コロナ患者は少なくとも一人必ずいる。

 

ただし濃厚接触が男三人に女性二人では数字が合わないように思う方もおられるかもしれないが、それは下衆の勘繰りで、どうでもよい。ニュースによれば、阪神球団の選手ふくめて周辺の人たちは2週間隔離され、症状が出るかどうか観察のため隔離されたのはとばっちりだろう。

 

このように日本では独自の方法で信頼度の低い検査法をうまく使いこなし、もしかしたら、という推定により、感染者の近くにいた人については隔離し観察している。

 

すなわち、日本のウィルスバスターは、科学ではなく技術的センスでウィルスと闘っているように見える。なぜなら、検査をしないことによる陽性患者の出現については、柔軟に経過観察で対応している。

 

これは論理からは考えつかない方法であるが、技術開発ではよくやる。例えば、品質検査の能力に対して、工程能力が高くなったときに、品質検査を撤廃し、工程管理を徹底する。すなわち工程を安定に維持することにより、検査を不要にしコストダウンできる。

 

コンパウンドの生産ではこのような手法を取っているところが多い。この手法についてどのような問題が出てくるのか科学的に調査したことがある。

 

すなわち工程能力よりも高い検査方法を開発し、コンパウンドの品質検査を徹底して行いエラーの出る確率を1年間モニターした。

 

残念ながらたった3ケ月で立ち上げたラインであるにもかかわらず、運転を開始して、3RUNほどで工程能力と検査方法との能力が一致して、エラーが起きなくなった。

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/02 方法の問題

昨日政府のコロナ対策専門家会議の詳細報告があった。その内容にがっかりした。日本国民は、専門家会議の科学者たちの実験サンプルになっているようだ。

 

当方は専門家ではないので、専門の内容にコメントできないが、日本国民を安全に守りながら経済活動も行ってゆくにはどうしたら良いのか、という方法の検討については、コメント可能である。

 

すなわち、当方の不満は専門家会議のメンバーが、「ゴール」に対してそれを「実現するため」の「考えられうる方法」について「すべてを議論」していないところにある。

 

こうした問題は、企業の研究開発でも起こりうる問題で、研究開発担当者が技術開発経験に乏しいと、しばしば発生する。

 

ところが、しばしば発生してもその問題に担当者が気づくことなく、技術開発に失敗するのか、あるいはその問題に気がついた人が出てきたならば、ハチの巣をつついたような騒ぎの議論になる。

 

このような問題では、皆が科学を正しく理解し技術開発に合意している必要がある。そうでなければ、強権を発動し是正する以外に解決策はない。

 

当方は、電気粘性流体の耐久性問題をゴム会社で担当したときに、まず着目したのは、ゴールを達成するための方法である。

 

詳細は省略するが、FDを壊した犯人から命じられたのは、「科学的には正しい」が、その方法では「品質の確保された製品を完成」させることが「絶対にできない方法」だった。

 

科学的に考えたときに二律背反の事象を含む問題では、技術の方法で問題解決しない限り、ゴールを実現できない。

 

電気粘性流体の耐久性問題に対して、当方が発揮した強権は、たった一晩で具体的なモノを提案したことだった。

 

さらに電気粘性流体の商品設計について、皆が理解し納得できる「あるべき姿」を具体的なモノで提示した。それは、それまで担当してきた人たちに対しては少し刺激が強すぎたが、高純度SiCの事業が立ち上がり始めていた時だったので、当方の業務時間を電気粘性流体開発に割かないための手段だった。

 

残念ながら、昨日の専門家会議の説明を聞く限り、経済活動が従来のレベルまで回復するためには、ワクチンなどの手段が開発されるまで待たなければいけない。

 

当方なら専門家会議と異なる方法を提案する。もっとも残念なのは日本がこのようなときに柔軟な対応を取れない社会体制、という根本的な問題を抱えているので、日本人が科学者たちのサンプルであり続けることに甘んじなければならない。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/01 科学の問題

科学全盛の時代に科学の方法へ警鐘を鳴らしても関心を持ってもらえないかもしれない。しかし、科学以外の問題解決の方法があることを知っておいた方が良い。

 

そしてそのような問題解決法を科学の最前線で活躍されておられる偉い先生方は、こそっと使われて成果を出しているのだ。

 

以前山中先生のノーベル賞の事例をこの欄で紹介しているが、今世の中を騒がせているコロナウィルスを扱う感染症という学問分野でどのように問題解決しているのか、よくニュースを聞いていると面白い。

 

必ずしも科学100%と思われない言動が専門家の先生方に見られるからだ。例えばPCR検査の扱い方であったり、ウィルスの感染メカニズムの説明であったり、様々なところに非科学的と突っ込みたくなる言動が見られる。

 

不謹慎かもしれないが当方はそれを楽しんでおり、まれに科学にとらわれない思考の柔軟な先生をTVで見かけたりすると拍手を送ったりしている。

 

例えば一か月以上前だが、飛沫感染とエアロゾル感染、空気感染について区別せずみんな空気を媒介とする感染として扱え、とおっしゃっていた専門家がおられた。

 

このような用語の不適切さの問題は、材料科学分野でも存在するが、考えようによっては20世紀にどうしてそのように学会で叫ばなかったの、と突っ込みたくなった(当方はアカデミアの人間ではないが、混合則についてパーコレーションで現象理解を進めるべきだ、という提案を1980年代にしてきた。その結果フィラーを高分子に分散するときに現れる現象は、混合則ではなくパーコレーションで考察するのが一般的となった。また、酸化第二スズゾルを用いた帯電防止層の設計では、コンピューターでパーコレーション転移をシミュレーションし、添加量を極限まで減らして帯電防止層の設計に成功した。そして日本化学工業協会から賞を頂いた。)。

 

おそらく空気中をウィルスが浮遊したために感染するときに、このような3分類を考えると良いような実験結果が過去にあったに違いない。

 

しかし、そのような問題が議論されていた時に十分に科学的な視点で議論しなかったため、21世紀のコロナウィルスで混乱している今日に、そのようなことどうでもよいと叫ぶ思考の柔軟な専門家が現れたのだ。

 

しかし、この一見柔軟な先生は、科学的に現象を眺める、という視点に立つと「科学の専門家とみなすには危ない先生」かもしれない。

 

3分類で考察しなければいけない現象が過去に見つかっていたならば、それを科学的な形式知にまとめ上げるのがアカデミアの使命である。

 

例えば、一次粒子が凝集すると日本語では凝集粒子となるが、英語の論文ではこれをアグリゲートとアグロメレートとに分けて扱う。混練プロセスでは、凝集粒子という十羽ひとからげの見方では困る場合がある。

 

飛沫状態とエアロゾル状態、ウィルスが一個ずつ単独に空気中に漂っている状態では、感染力やウィルスの生命力耐久性に違いが出てくるとある文献に書いてある。こんなことは感染症の専門家ではなくてもその研究のイメージを理解できる。

 

ウィルスによっては、孤立していたほうが感染しやすいウィルスがいるかもしれない。また、孤立した時に死んでしまうウィルスもいるかもしれない。あるいはある塊を形成しなければ元気に活動できないウィルスもいるかもしれない。

 

ところが専門書を読んでもこのあたりについては書かれていない。ウィルスの大きさを考えると孤立した時には表面エネルギーは最も高くなる。一方凝集しているときには、その凝集状態により、自由エネルギーは様々に変化する。

 

科学的に現象をとらえたときに、空気を媒介とする感染を細かく区別する必要はない、と言い放っていては理解できない現象もあるだろう。

 

言葉遊びで楽しむ人も困るが、十分な仮説も立てることができず、おおざっぱに現象をとらえ喜んでいる似非科学者ほど社会にとって危険人物はいない。機能を追求する技術者ならそれは許されるが—-。

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.04/30 デジタルカメラ

高性能なカメラ機能を持ったスマートフォンの普及で、コンパクトデジタルカメラは絶滅危惧種となり、一部のメーカー以外開発をやめてしまった。今デジタルカメラと言えば一眼カメラを意味すると勘違いされている方もいるようだ。

 

この一眼カメラも、ミラーの動作するタイプがミラーレス台頭で岐路にあるらしい。ミラーレスについてはソニーが戦いを仕掛け、ミラーレス一眼ではソニーがトップに立っただけでなく、一眼デジタル部門でも首位ではないか、と言われている。

 

もちろんミラー付き一眼レフデジカメだけを見れば、キャノン・ニコンの順位は変わらずだが、とにかくミノルタ時代から思えばこのような順位の変化に驚いている。

 

さて、ミラーレスもミラー付きも含め一眼デジカメの性能だが、A4サイズの写真を撮る、ということだけを考えれば10年前の一眼デジカメでもスマートフォンより良い写真が撮れる。

 

写真画像に直接影響のある10年間の変化は、高精細化と高感度化で、A4サイズに限れば高精細化の御利益はほとんどない。画像素子の高感度対応については、ストロボ使用で補うことが可能である。

 

すなわちそれなりの写真の知識があれば、10年前のAPS-Cサイズで1400万画素のセンサーを搭載したデジカメで、今でも十分きれいな写真を撮影可能だ。

 

しかし、最新のミラーレスデジイチを一度使用するとこの便利さの誘惑で10年前のデジイチを使う気が起きなくなる。

 

最近、わざわざ10年前のデジイチを持ち出して猫を追いかけているが、うまく撮れたときの感動が新鮮である。

 

時代遅れの機械を使いこなす楽しみかもしれないが、銀塩まで戻る気持ちはさすがに起きない。このようなところにイノベーションとは何かという答えがある。

 

残念なのは、この2ケ月間街ネコが見当たらなくなった。恐らくコロナウィルスの影響かもしれないが、事務所と自宅の往復の様変わりにびっくりしている。決算を本日完了できるので明日から当方もSTAY HOME.

カテゴリー : 未分類

pagetop

2020.04/29 試行錯誤(3)

日本のコロナ感染陽性率が高いという。世界標準で考えると、陽性率7%を超えたときに致死率が高くなるという。しかし、日本のPCR検査陽性率は40%前後であり、昨日山中教授は危険水域であると発言されている。

 

このPCR検査陽性率について、日本の場合に世界標準をそのまま当てはめることができないのは、連日報道されるニュースをつぶさに見ている方には理解できる。

 

日本は、最初からPCR検査対象そのものをスクリーニングしてから行っている。これは、誰でも任意に検査する世界標準とはサンプリングの仕方が異なるわけで、自然と陽性率は異常に高くなっても、致死率はまだ世界標準より低い。

 

しかし、この3週間は致死率が上昇傾向にあり、最近の致死率だけを見れば世界よりも高くなっている。これは、日本で行っているPCR検査前のスクリーニングが致死率を高める方向に働いており、最近厚生省からPCR検査対象の条件見直しが発表された。

 

厚生省からPCR検査の見直しが発表されたが、それでもスクリーニング条件を設けている。先日タレント岡江久美子氏が亡くなったが、彼女はこのスクリーニング条件が無ければ死ななかった可能性がある。

 

すなわち、早期にPCR検査を受けてアビガンを投与されておれば石田純一氏のように助かったかもしれない。石田純一氏はタイミングよくPCR検査を受診でき、アビガンで命が助かっている。

 

命に軽重は無いが、まじめに厚生省のスクリーニング条件を守ったら死亡し、緊急事態制限下でも遊んでいてクラスターに巻き込まれたおかげでPCR検査を受けて助かるような状況はおかしい。これでは、死にたくないなら大いに遊べ、とメッセージを出しているようなものだ。

 

1週間ほど前に感染症学会は、PCR検査をやたらやらない方が良い、という見解を発表している。これは形式知の観点からの結論と思われるが、今起きているコロナの流行は、既知のウィルスと異なる生存戦略のウィルスである。

 

そのようなウィルスに過去の形式知は役立たない。詳細は省略するが、感染症関係の学問は、その教科書が難解である。これは体系が研究者である専門家の都合でできているからだ。

 

過去のレオロジーという学問もそうだった。電気関係とのアナロジーでダッシュポットとバネのモデルが考案されて研究が続けられた。

 

しかし、これが過去の遺物となったように、今回のコロナウィルス騒動で感染症関係の形式知にイノベーションが起きるかもしれない。

 

ここは試行錯誤から、厚生省が従来から設けているPCR検査受診のスクリーニング条件を撤廃し、誰でも受診できるようにすべきである。

 

今は一億総専門家状態になっており、中小企業の倒産のように感染症の専門家の淘汰が進むかもしれない。感染症学会は先日の発表をひっこめた方が良い。

 

おそらく山中教授は感染症学会に忖度して危険水域という言葉を用いたのかもしれない。小生が山中教授の立場ならば、過去の形式知にとらわれず、これからはPCR検査を誰でも受けられるように抜本的に改革を行った方が良い、というだろう。

 

今月初め、岡江久美子氏の娘が「コロナ感染軽症で自宅待機の男性が亡くなった、コロナ怖い」とツイートしたそうである。岡江久美子氏がまだ自宅で静養していた時なので、この話を聞くと涙が出てくる。

 

試行錯誤の結果、PCR検査は任意に誰でもすぐに受診できるようにして、陽性者にはアビガンを処方し、いつでも服用できるようにした方が良い、という結論を出せるのではないか。日々のニュースを聞いているとこのように思う。

 

今回のコロナウィルスの問題において、形式知による判断や形式を重んじた対応は、感染者を増やし死者を増やすだけである。超法規的対応など、目の前の現実に合わせて死者を減らすことを最優先に考えていただきたい。

カテゴリー : 一般

pagetop