当時の研究所は、8階建ての大きなビルの6階以上が職場となっていた。5階以下はタイヤ開発部隊が使用しており、夜7時過ぎは6階以上の電気が消え、5階以下は朝まで電気がついていた。
研究所に配属されたのは二人だったが、同期から雲の上の人だから早く帰れてよいなと、嫌味とも思われるようなことを言われたりしたが、今の時代だったらこのような言い方はしないだろう。
ゴム会社には、タイヤ事業の研究開発部隊と非タイヤ事業の研究開発部隊、それと基礎研究部隊の3組織があり、基礎研究部隊は、アカデミアよりも恵まれた研究環境でその風土はまるで大学の研究室のようだった。
おそらく当時の高分子関係の企業に設置された基礎研究部門の中ではトップクラスの人材が集まっていたのではないだろうか。この研究部門から東京大学をはじめとしてアカデミアの研究者になられる方もいた。
半年間の新入社員研修で2ケ月間タイヤ設計部で構造設計開発の研修を体験したが、およそその職場の風土と基礎研究部門の風土とは異なっていた。
一番びっくりしたのは、当方のロール混練の手際の悪さを見て、例えば、「フローリー・ハギンズ理論を説明してみろ」と聞いてくる先輩社員が職場にいたことだ。大学で使用された当時の高分子の教科書には、言葉が載っていただけなので、論文でも読んでいなければ答えられないこのような質問をして得意になっていたのだろう。
そして、およそ企業と思えないような会話が始まるのである。知識を増やすには良い職場であったが、当方はむしろロール混練の実技を指導していただいたほうが嬉しかった。ちなみに、バンバリーやロールの扱いは指導社員から習ってはいたが、ナイフの返しのコツなどは一度聞いただけではうまくできない。
また、実験室でロール混練をしている人たちの手元を見ても、様々な流儀が存在した。幸いなことに、事故をおこすといけないので、と小生の指導を指導社員に申し出られた年配の方がいて、その方から混練の現場ノウハウをいろいろ教えていただいた。
指導社員も丁寧に混練について教えてくださったが、実技の細かい点になるとやりやすいように、と言われるだけだったのでこの方の指導はうれしかった。そもそも、やりやすい形にはやくたどり着くためには、それなりのコツがあった。
例えばナイフ作業の回数については、慣れないうちはマッチ棒で数える、とか、添加剤を添加するときにあらかじめ添加回数が少なくなるように添加剤を組み合わせて混ぜておくとか、経験知といえる内容である。
また指導社員による午前中の座学における小生の居眠りが噂になっていたようで、指導社員には叱られなかったが、この年配の方から「たるんだ新入社員と言われないように」と注意を受けた。たった3ケ月で一年間のゴールを達成したのだが、このような周囲の温かい指導もそのバカ力の源泉となっている。そしてカオス混合のアイデアも現場の雑談で少しずつ具体化されていった。
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樹脂補強ゴムの開発は、一年間の計画が立てられていた新入社員テーマだった。一方で、大衆車のエンジンマウント用に高性能かつコストダウン(CD)配合の防振ゴム開発が緊急課題として生産現場から研究所に求められていた。
この緊急性について同期が製造技術部門に配属されていたので知ることができた。生産現場からすぐに欲しいとの要望が出されていたが、研究所では基盤技術研究テーマとして樹脂補強ゴムを位置づけていたため、当方以外の戦力はあてられていなかった。
また、このテーマは、ニーズとは無関係で指導社員のアイデアとして企画され、半年間指導社員が一人で推進してきた。ゆえに一応当方がニーズに合わせた補強要員という役割だった。
ドラッカーの働く意味は、貢献と自己実現であり、当方が担当していた樹脂補強ゴムの成果でニーズに合わせてすぐにアウトプットを出すことは十分な社業への貢献に思われた。また、カオス混合装置について研究することは混練技術に興味を持ち始めた段階では、ゴム技術者を目指す自己実現手段として意味があった。
さらに新入社員である一年間は残業代が支給されない規則だったので、残業を死ぬほどやっても会社に迷惑をかけるわけではなかった。健康には自信があったので、仮に死ぬほど残業をしても死なないだろうと楽観的に考えたため、寝ている以外は仕事という毎日になった。
今の国会で議論されている働き方改革とは程遠い考え方ではあったが、働いていると何故か不思議な幸福感があった。指導社員から、計画が遅れない限り好きなように仕事を進めてよい、とあたかも裁量労働のように言われていたからである。
ただし、計画に遅れない、とは、新入社員発表会において発表できる程度の成果が出ておればよい、という意味だった。ありがたいことに指導社員は残業を全くしない定時退社の習慣だった。
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日本女子レスリング栄コーチのパワハラがニュースになっている。この告発について日本レスリング協会は、その内容をすぐに否定した。当方はこのような問題でレスリング協会側の対応は正しくないのではないか、と思っている。
組織内のこのような告発に対して、仮にその事実が存在しないとしても、責任者がすぐに否定するのは、この問題の関係者の中で一番配慮されなければならない対象を軽視していることになる。
そもそもこのような組織における内部告発は、組織内の不誠実を正すために行われる。その告発行為に悪意の有無に関わらず「不誠実ではないが、立場が変わると何らかの不誠実と見えてしまう行為」のようなものでも少しでもあれば、告発される可能性が出てくる。
例えば、告発状の中身について、リオ五輪で栄氏が《選手団と一緒に行動することなく、自分が気に入っている選手(吉田沙保里、登坂絵莉)と共に、選手団の乗る飛行機とは別の飛行機のビジネスクラスに搭乗》したといい、伊調は《選手団の一員として、エコノミークラスでリオデジャネイロに向かった》とニュースで報じられている。
おそらくこれは事実だろう。海外出張で一部上場の社長であってもビジネスクラスを使わないケースがあるという。ビルゲイツでさえ、到着時間が同じならどうして高いビジネスクラスを使う必要があるのか、と発言している。このような視点に立てば明らかに不誠実と見えてしまう事実が一つ存在しており、協会がすぐに否定したのでは、さらにすごい問題があるような誤解が生まれる。
そもそも栄氏の過去の発言の中には、支配欲を感じさせる言葉が報じられており、これが伊調選手にどのように聞こえたのか、敏感な大人であれば想像がつく。本欄ではこれ以上書かないが、この問題で一番の被害者は伊調選手であり、東京オリンピックを控え彼女へ最大限配慮された問題解決が望まれている。
ところで、「政治の課題は、支配欲を社会的に最も建設的に発揮させることである。」とドラッカーは述べ、人間の支配欲を否定するのではなくそれを社会に役立つように機能する仕組みを作ることだと提案している。これが企業経営であれば、利潤動機である。レスリング協会であれば、伊調選手の5連覇をレスリング協会共通の目標とし責任とすることだ。
すなわち、東京オリンピックで伊調選手が5連覇できなかった場合には関係者の処分可能性を文部科学省は通達すればよい。先のオリンピックで吉田選手が銀に終わってもコーチ陣におとがめなしである。そして現在に至っているのだ。栄コーチの問題というよりも、それを放置してきた組織の問題である。
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流出した仮想通過NEMについて、ハッカーの戦いが繰り広げられている。正義の成果を出しているハッカーをホワイトハッカーと呼ぶらしい。
その昔、白忍者と黒忍者が戦う漫画を読んだが、その漫画では、正義の味方であるはずの白忍者の衣装が次第に汚れて黒くなっていった。子供向けの漫画ではあったが、正義がやがて悪に変化する夢の無いストーリーだった。ホワイトハッカーという呼び名がよいかどうか、NEMが無事に本来の所有者に戻るかどうか興味深い。
コンピューターとそのネット網で機能するサイバー空間は科学の力で生み出された論理空間である。ゆえに100%科学で構築された世界でそこで発生する問題は論理で解決できるように思われる。さらに、そこには自然現象など存在しないと思われるが、そこで展開されているハッカーの戦いは、試行錯誤の戦いの様相である。
ニュースで報じられたこの手順を詳しくみてみると解析と試行錯誤の組み合わせで成り立っていることに気がつく。このNEMの問題は、解析結果から論理的に犯人を割り出してゆくか、あるいは論理的にNEMを犯人から取り返し持ち主に戻す手順を見出せばよいのだが、どのように解析するのかはハッカーの思いつきに頼っている。すなわち、科学で出来上がった空間の問題を、論理的に解決できない、という現象が起きているようだ。
だからNEMが今どのような状態になっているのか、犯人はどのようなルートを通っているのか、など結果の解析情報は紹介されているが、それでどのように解決されるのかという肝心な情報は全く見えてこない。おそらくNEMの持ち主は遊んでいないで早くNEMを戻して欲しい、という気持ちではないか。
科学の象徴のようなサイバー空間でありながら、そこで起きた問題を論理的に解いて結論である犯人逮捕ができないのだ。あるいは解決のための論理の道筋が見えてこないのだ。
この状況は、科学により生み出されたサイバー空間に、あたかも人間の欲望という自然が入り込んだかのようだ。ハッカーの戦いから科学の特徴とその限界を見ることができる。
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裁量労働制の議論は、経営陣が個々の知識労働者の成果を正しく計測できるのか、というところを論点にしなければいけない。残業時間数など無関係だ。また、知識労働者には自己実現のための時間を今まで以上使う覚悟が求められている。経営陣は今以上に知識労働者の自己実現を支援しなければいけなくなるので、自然と働く時間は増えるのだ。今まで知識労働者の自己実現時間を労働として考えてこなかった問題に直面する。
そもそも働いた時間と仕事の成果が相関しない時代になったのである。ドラッカーは50年ほど前に知識労働者の時代として現代を捉えていた。高校生の時に亡父から「断絶の時代」を渡されて現代の働く意味を理解した。そしてタイムカードのない会社を夢見た。ゴム会社には入社したときにタイムカードが無く、裁量労働に近いという幻想を描けるような会社だった。
また残業時間を申請すると出世が遅くなるという噂もあった。ゆえに当方はほとんど残業時間を申請したことが無く、上司から一定量つけるように促されたぐらいである。これは、会社に泊まり込んで働いているような状態でその仕事量が職場の噂になったからだ。どれだけ働いても黙認され、貢献と自己実現を十分にできたので当方は幸せだった。高分子とセラミックスの知識は、大学ではなくゴム会社でその基礎を身に着けた。
現在もゴム会社で事業として続いている高純度SiC製造技術シーズは、当方の自己実現の過程、俗にいうヤミ研から生みだされたものだ。このシーズは留学した無機材質研究所(現在の物質材料研究機構)で花開いたが、当方の学位論文に書かれた方法で今も高純度SiCが生産されている。ただ、この成果に対してゴム会社から十分な対価を頂いていない。労働者が裁量労働と錯覚するような状態だったが、裁量労働制ではなかったからだ。
ゆえに今国会で議論すべきは、知識労働者の成果に対して正しく対価が支払われていない問題である。働く意味は貢献と自己実現なので、労働者が働きすぎる問題は裁量労働制の法整備が進んだら労働者の責任となる。しかし、その成果が正しく評価され対価が支払われたかどうかは、今の国会の議論を聞く限り労使問題として残る。
例えば高純度SiCの技術成果(注)について学位論文や出願した特許を根拠にそれを主張したとしても、また住友金属工業とのJVを立ち上げたときにたった一人でパイロットプラントを動かし過重労働をしていた事実にしても、第三者の証明が無ければせいぜい自画自賛と笑われるだけである。対価については今も保管している給与明細書がその証拠になるかもしれないが、同期よりもわずかに多い基本給の金額がその対価と言われたら、どのように反論できるのだろうか。
特許に対しては、その対価を頂いたあるいは会社が支払った痕跡は無いのでこの点は主張できるかもしれない。このように成果とその対価について労使でどのようにすべきか何も法的な取り決めが無い状態では労働者が永遠に悩むことになる。
知識労働を時間で計測すると矛盾が生じる。このような時間と仕事の成果が相関しない業務を裁量労働とすべきで、時間と仕事の成果が相関する仕事を裁量労働としない法律を定めることや、成果に対する対価の支払いをどのように行ったらよいか、国の指針をだすことである。
これは成果給で説明すると、GDPや会社の利益から最低基本単価を決めることが可能と思われる。また、一つの仕事に携わった年限に応じ最低年功賃金を決めれば派遣社員も昇給の可能性が生まれる。習熟度の測定を単純に年数で計測することの問題はあるが、多くの学習曲線が時間をパラメーターにしていることから大きな誤差は生まれないと思われる。知識労働者が生み出す成果について法的な整備が必要である。
(注)あくまでも技術発明の成果とJV立ち上げの成果である。経営陣の熱意と努力や、当方の転職後ゴム会社で業務を受け継いだ人々の事業貢献についてその成果が誰のものかは説明するまでも無い。ただし、転職後も支援のためのお手伝いや事業が立ち上がるまでの二年弱、たった一人でこの業務と他のテーマを担当し、パイロットプラント以外の実験室に置かれた研究設備を当方の許可なく廃棄されたり、その他の妨害と思われる出来事に耐えながら使命を全うした暗い思い出を今改めて検証するときに知識労働が知の戦いになる特性と裁量労働から生じる問題とが重なるのだ。他の企業でも当方のような苦労を体験している技術者がいるのではないかと懸念しているが、これは過重労働とは異なるカテゴリーの問題である。知識労働の現場は、労働時間云々以外の有象無象の問題が多い新しい形の労働問題の巣窟であり、失われた20年間と長期渡り企業の業績が上がらなかった遠因ととらえている。昨今パワハラやセクハラ、モラハラなどが突然噴出したように思われているが、これらはバブル景気の陰に隠れていたものが20年間にリベールされた結果である。裁量労働については、知識労働の特性をよく解析し正しく法整備をすべきである。丁寧に知識労働の現場の問題についての議論に時間をかけるべきである。
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国会で裁量労働制の議論がなされているが、その導入の根拠となるべきデータで紛糾している。この国会における議論を聞いていると、そもそも首相はじめ国会議員の方々が、本来の働く意味、そしてその意味から裁量労働のあるべき姿が見えているのか疑問である。
中には、発言している議員を仮に新入社員として面接を受けさせたら、売り手市場の現在の状況でも企業面接で合格点をもらえないような認識の先生もおられる。このような状況では、低次元な議論しかできないだろう。
そもそも、厚生労働省のホームページに書かれた、「労働者を実際にその業務に就かせた場合、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度」として裁量労働を定義しているところから笑ってしまう。働いても成果が出なければ業務を遂行、すなわち仕事をしたことにはならない時代だからである。
写真会社在職中にも裁量労働の賃金に時間の概念を持ち込むとおかしくなる、と言い続けた。時間は労働者側が自由にできるパラメーターであり、賃金は成果できめるべきであるが、労働時間で説明したほうが分かりやすい、ということで、結局一定の定めた時間働いた、とみなす、みなし労働として裁量労働が位置づけられ、運用された。
この際、時間という概念を取り払い、再度裁量労働の定義をしなおしたらどうだろうか。繰り返すが労働の対価は、労働の結果得られた成果で支払われるべきである。成果を仮にそれを出すために使われたある量と成果の質で計測できるとする。
質は業種で決まる値を決めることが可能で、量は質が決まれば、労働の成果を質で割った値となる。成果を上げるために使われたエネルギーの量は時間だけではない。だから一番の問題は、労働者一人一人の成果を正しく計測できるのかということになる。
これは成果について公的な定義ができれば計測可能と思われる。あるいは計測可能な定義を決めてもよい。すなわち問題とすべきは労働時間ではなく、労働の結果得られる成果の取り扱いである。労働者の上げた成果が正しく評価されているのか、を問題とすべきである。
量については、労働者が成果を出すためにどのようなパラメーターにするか、労働者自身が考えなければいけない軸である。すなわちこの量を決める裁量を労働者に与えるのが本来の裁量労働の意味であるが、どこにもこのように説明されていない。
写真会社で裁量労働となった部下の評価を行っていていつも矛盾に感じたのは、組織として成果を上げたにもかかわらず、後工程のトラブルでその成果が会社の成果に結びつかなかった問題である。
事業部門の成果は売上で計測可能であるが、事業部門を構成する下部組織を売上で計測しにくい。これをどのような指標で計測してゆくのかは、中間管理職まで含めた経営の責任である。技術者がいくら頑張っても、営業努力が足らなかったから成果が出ず、給料がダウンした、では技術者がかわいそうである。
裁量労働制の議論はまずこのあたりから正さなければいけない。労働時間を唯一の量のパラメーターとしてみている限り、おそらく議論はかみ合わないだろう。労働の質や成果の評価が正しく行われない場合の問題を議論すべきである。国会議員は各自の発言の中身が、働く意味を理解している前提の質の高いものであるか見直してほしい。サラリーマンも勤まらないような国会議員では恥ずかしい。
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先週月曜日の講演を思い出して、ふとこの数年話題になっているオープンイノベーションについて考えた。ドラッカーがその著書で言い始めた言葉だが、10年以上たって日本で騒がれ始めた。
当方はオープンイノベーションを掲げて事業を行っている会社から詐欺の様な扱いを受けた。すなわち、その会社から紹介された一流企業Sの担当者数名にカオス混合や混練のミニセミナーを行ったのだが、講演料や日当の類を頂けなかっただけでなく、東京から京都までの交通費すら支払われなかった。
一流企業Sにその問題を訴えても、無しのつぶて。オープンイノベーションを標榜するコンサル会社はSと弊社の問題として取り合わない、というずいぶんな扱いを受けた。
もっとも当方が一流企業と信じて会社Sの要請に契約もしないででかけた責任と建築関係も行っている大会社という看板に目がくらんだわけであり自己責任の原則で悪いことになる。
ただ、メールのやり取りを法律に詳しい第三者に見せれば「怪しい」という流れなので「詐欺の様な」と最初に表現したが、あくまで安直に技術内容をPRに行った当方が悪いのだろう。
オープンイノベーションではこのような問題が起きるので技術を商材にされている方は、契約に十分注意を払う必要がある。オープンイノベーションは、技術がタダで手に入る、という意味ではないのだ。
一流企業でもこのような誤解をしている担当者がいるので困る。技術に対しては正当な対価を支払う必要があるのは当然である。これはオープンイノベーションであっても変わらない。オープンイノベーションでは「時間軸」が問題にされているのだ。
やや間の抜けた当方の経験談を紹介したが、技術の出口を探したり、現在抱えている問題のソリューションを探したりするには、それなりのスキルと「時間」が必要である。
この時、時間軸をどのように考えるのかは、あまり言われていないが、月曜日の講演では良い示唆を教えてくれた。スキルだけではだめなのである。高純度SiCの事業化の苦労で十分にそれを勉強した当方にはよい復習となった。パイロットプラントまでは留学期間内に出来上がるほどの早さだったが、事業が立ち上がるまでには市場が形成されるまでの時間が必要だった。
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オリンピックは閉幕したが空前のメダルラッシュで各放送局はその余韻に浸っている。見たくなくてもTVをつけるとその録画が映されるので同じシーンを何度も見ることになる。
そこで気が付いたことがある。氷上のチェスと呼ばれているカーリングは、チェスよりも運の占める要素が多い競技ではないか、ということである。
そして、この競技は練習とチームワーク、スタッフのサポートでその運の影響を受ける要素を減らすことが可能なのでスポーツとして認められているのだろう。スポーツには、例えば今回のネイサンチェンの様にプーさんの嵐という不運な出来事で勝負が決まる場合がある。
このようなことを書くのは、今回の日本チームの勝ち方である。対戦している両者それぞれが最後の一投を狙い通りのところへストーンを置けなかったのである。ただ、日本のストーンはイギリスが2点を取り逆転するような一投を決断したくなるような微妙な位置だった。
一方のイギリスは、そこで一点をとり、引き分けにして勝負をリセットする延長戦を選択することもできた。すなわち、イギリスは最後の一投で勝負の流れを決めることが可能な立場で、勝利を決めに投げたストーンのわずかなずれが日本の勝利となるようなコースへ行ってしまったのだ。
試合が終わってからイギリスのコーチは試合には負けたが、あの選択しかなかった、と答えている。この言葉の意味するところが、カーリングというスポーツの面白さを物語っている。
すなわち、ストーンの最後の一投に失敗しなければ必ず勝てる、と判断しているのだ。これは、勝負の負けを自らの責任とする状態である。延長戦に持ち込んで勝てるかどうかは、運あるいは不明であるが、あの場面は、確かにミスショットさえしなければ勝てる場面だった。
これは、チェスとは異なる判断が求められるゲームで、むしろビジネスに近い。
ドラッカーは、経営者の条件で、「意思決定において満たすべき必要条件を理解しておくことは、最も危険な決定、すなわち、都合の悪いことが起こらなければうまくいくという種類の決定を識別するうえでも必要である。」と述べている。
すなわち、勝負で競り合っていた状態の10ENDで、イギリス側が延長戦に持ち込むことは、都合の悪いことが起こらなければうまくいくという判断だったのだ。
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平昌オリンピックでは、4年に一回というオリンピックゆえの様々なドラマが生まれている。その中で、当方が印象に残ったのは、フィギュアスケートである。
高得点をとれるようにジャンプをすべて後半に集中してきた最年少金メダリストザギトワには驚いた。後半のジャンプは、疲労により難易度が高くなるという理由で、評価点が1.1倍になる。
全体の印象で明らかに優れていたメドベージェワが金メダルを取れず、また長洲未来が果敢に挑戦していたトリプルアクセルのような他を圧倒する技も示さず、金メダリストに輝いているのを見て、例えかわいくても許せない気持ちになったのは当方だけか。
ルールを最大限に活用しているのだから、頭が良い、と評価する考え方もある。また白鳳のように勝つことが大切という価値観もスポーツでは許されるかもしれない。
しかし、スポーツ観戦の面白さあるいは感動は、得点稼ぎの工夫よりも競技に求められる肉体能力のベストを尽くそうとする挑戦の姿勢から生まれる。
だから、オリンピックというプレッシャーで実力を発揮できず、しかし勝敗ではなく実力者の意地を見せて6位となったネーサンチェンが、浅田真央選手同様に記憶に残ったりする。
彼は、SPで全てのジャンプを失敗し、17位発進とメダルは絶望的となった。しかし、FSで4回転ジャンプ6回に挑戦し、うち5本を成功させ、フリーで自己ベストを更新、優勝した羽生のフリーの得点を8.91点上回る215.08点をマークした。
さらに、このFSで叩き出した技術点127.64点は、技術点としては歴代1位である。これを、勝たなければ意味が無い、の一言で片づけてよいものか。現時点で人間が氷上でできる最高の演技を示したのである。
羽生選手が勝利者インタビューで4回転アクセルを目指す、と回答したのは、このネイサンチェンの演技を見て4回転の次の段階を感じた発言かもしれない。
羽生選手はケガをする前のインタビューで、すべての4回転を目指しオリンピック後引退するような発言をしていた。もし、彼がネイサンチェンの演技を見て次の段階を切り開く意欲から4回転アクセルへの挑戦を意識したならば、これこそオリンピックが「闘争」の昇華した姿であることを示した。
ちなみに、2014年ソチオリンピックにおいて、浅田真央は、トリプルアクセルを組み込んだ女子シングルのSPの演技で転倒が相次ぎ16位と大きく崩れ、演技後のインタビューでは「何もわからない」と放心状態となっている。
しかし、翌日のFSでは冒頭のトリプルアクセルをクリーンに着氷し、また、女子史上初となる全6種類、計8度の3回転ジャンプを着氷し142.71点と自己ベストを更新してFSでは3位、技術点ではキムヨナを抜いていた。
ネイサンチェンは金メダルの可能性が限りなく高かった。しかし大舞台でプーさんの嵐に見舞われ、その実力を十分に発揮できずに終わった。人生には運も影響し、不運に対峙する姿勢でその後の人生は大きく影響をうける。決してプーさんを恨んではいけない。
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C#の型には、値型と参照型がある、と前回説明した。ところで、そもそもC#における型とは何か。BASIC言語における型は、整数型とか小数型などの数値関するビット列の長さと簡単に考えるだけで深くそれ以上の概念を考える必要がなかった。
ところがコンピュータ言語における型とはそのようなものではなく、型とはメモリー上に並べられた一塊のデータ、ビット列、これをインスタンスとよぶが、その説明書に相当する。
すなわち、クラスをデータとして扱うように、構造体も、その他さまざまなプログラム要素で意味を持った一塊をC#はデータとして扱うので、それぞれの塊の意味が型である、ということもできる。
さらにこの解説の初期に、オブジェクト指向におけるプログラミングは、あたかも問題解決に用いる道具の様なものをオブジェクトとして用意してゆく手順だ、と説明しているが、そのオブジェクトすべてが型である。
例えば、C言語では、関数と呼ばれていたものがC#ではメソッドと呼ばれるが、これも型にもなる。すなわちプログラミング言語に最初から定義されていた型以外に、プログラマーが新たに型を定義できるところがC#の特徴である。
ちなみにC#にあらかじめ定義されているビルトイン値型には、真偽の2値をとるブール型(System.Boolean)、文字型(System.Char)、整数型(System.Byte, System.SByte, System.Int16, System.Uint16, System.Int32, System.Uint32, SystemInt64, System.Uint64)10進数型(System.Decimal)、浮動小数点型(System.Single)、倍精度(System.Double), 可変サイズの整数型(System.IntPtr, System.UIntPtr)がある。またビルトイン参照型には、オブジェクト型、文字列型、配列型、デリゲート型などがある。
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