おいしいカレーライスを科学的に作り出すことが可能だろうか。おそらく一つの真理として導き出すためには、「おいしい」という定義から入らなければならないだろう。仮に定義できて、おいしいカレーライスを作り出すことができたとしても、汚い実験台の上で食べたならその味もだいなしになる。
そこで食べる環境までもおいしい定義に入れるとしたら、この定義そのものも大変に難しくなってくる。しかし技術的においしいカレーライスを作ることは可能だ。またそのためのルーを開発することも容易で、その証拠に市場に行けばいろんなカレールーが店頭に並んでいる。
どんなに安いルーでも父親が愛情込めて作れば、香辛料が機能してカレーと呼べる料理になっておれば、少なくとも家族は、「おいしいカレーライス」と言ってくれる。
だから、おいしいカレーライスを科学的に作り出すことが難しくても、香辛料の機能を損なわないようなプロセスを用いる限り技術的には容易である。また、おいしいカレーライスを作るためにあえて科学を道具として使う必要はなく、食べる人を想像しながら愛情を込めて作れば良いのである。
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先週末土曜日の山本先生のご講演のタイトルは「破壊的イノベーションと触媒化学(日本の強みと弱み)」であり、アカデミアのお立場から研究の意味と構造、その構造を踏まえて市場にGame Changingを促す破壊的イノベーションをどのように起こすのかをご自分の体験から説明された。
その中で産学連携における企業側への注文として、真のボトルネックとなる課題をアカデミアに提示して欲しいと語られた。また、大学の真の役割はCreating Shared Value であり、企業固有の内的テーマを持ってこられても困る(ここまでの強い言葉では言われていないが---)と申されていた。
当方が12年間在籍したゴム会社は、産学連携で成功体験のある会社だった。BR01と呼ばれる合成ゴムを京都大の「基礎」研究を基にした共同研究(「応用」研究)で開発し実用化している。そして、半官半民の合成ゴム会社を設立し、この会社も世界的な合成ゴム会社に育てている。すなわち京都大学古川教授は、新しい有機金属触媒で高分子重合プロセス分野に山本尚先生の言われた破壊的イノベーションを起こされたのである。
これらは創業者の力量による成果である。もちろん事業成功のために関わった方々の努力も大きいが、このBR01成功の前に、大阪工業試験所の「基礎」研究へ無条件大規模寄付を行ったりしていた伝説を聞き、産学連携における経営者の役割は大きいと感じている。ちなみにこの寄付の話は、無機材質研究所所長から伺った話で創業者の伝記には書かれていない。
世界的なゴム会社を育てた創業者は経営者としての能力以外に、先の無機材質研究所長の話によれば、アカデミアに対する造詣も深く、産学連携に熱心だったという。
創業者の実績のおかげで、セラミックスフィーバーのさなか門外漢の素人の留学が難しい無機材質研究所へ、ゴム会社の一社員が入所することができた。ちなみに当時の無機材質研究所にはセラミックスメーカーからの留学生が定員以上に在籍しており、満員御礼状態だった。
当方はSiCの研究グループを希望していたが、そのグループでは2年先まで留学生の予定が詰まっていた。しかし、ゴム会社の産学連携におけるアカデミアへの貢献実績から特別に留学を許可されたのだった。ただし、条件として企業からのテーマの持ち込みは禁止されており、無機材質研究所のテーマをお手伝いすることが前提にあった。すなわちポリエチルシリケートとフェノール樹脂の透明な前駆体を原料とした高純度SiCの研究は留学終了後ゴム会社で行う、という条件になっていた。
この条件で当方が最初に担当したのは、SiC単結晶の異方性に関する研究で、小生は半年間にSiC単結晶に異方性ができるスタッキングをシミュレーションするプログラム作成や2H単結晶の3Cへの転移その場観察、6H単結晶の転移のその場観察、窒化ケイ素単結晶の熱膨張その場観察で成果を出している。これらを短期で実績を出したので明日の話につながっている。特に2200℃まで単結晶を安定に固定できる接着技術を開発した功績を褒めていただいた。
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山本尚先生は有機合成分野における触媒反応の権威で、「基質支配の反応」を御研究されてきた。ほとんどの有機反応は、「反応剤支配の反応」であり、今世紀に入りこの反応の分野で破壊的イノベーションが進行しているという。
すなわち、当量反応であった化学プロセスが触媒反応に塗り替えられているという。そうしたイノベーションを起こされた先生のご経験から、昨日のアカデミアの研究構造が語られている。
すなわち、先生は、アカデミアで未知の学理を探求され「純正」研究を進められた。そこで培われた「基礎」研究を応用研究まで展開され、有機合成の世界に破壊的イノベーションを起こされた体験を語っておられたのだ。
この、先生が実践された「応用」と「純正」に向かう真の「基礎」研究では、目標に沿った学理を世界で初めて見出すことが要求される。そして「純正」研究の目標では、流行を追わず、また狭い分野の科学技術にとらわれない融合研究領域を目指すべきで、新しい学問を創る気概が必要だと述べられている。
そしてアカデミアの研究者は未知の基礎学理を見つけ、新しい世界のイメージストーリーの提示が必要だと指摘し、それにより「Game Changing」を成し遂げると述べられた。
これは、アカデミアの研究の構造の視点で述べられた破壊的イノベーションのおこしかたであるが、ドラッカーも述べているパラダイムの変換による破壊的イノベーションの起こし方のアカデミア版と感じた。
先生は、研究を誰のために行うのか、という視点でも、応用研究と純正研究の違いを説明されていた。前者が人のためであり、後者は自分のためだ、と明確に言われた。このあたりは、研究者として年を重ねても純正研究だけをやり続ける姿勢について批判されている。
ご自身の研究について、アカデミアの研究構造に基づく説明でまとめられていたので、途中から参加したにもかかわらずご講演の意図を理解できた。しかし、産学連携における企業側への期待がうまく実行されるかどうかは難しいと感じた。企業側の問題は、もっと次元の低いところにある。
企業側の問題以外に、先生は指摘されなかったが、「今の時代の」アカデミア側の問題もある。すなわち「末梢」研究に走り、それをもとに「純正」研究を行うアカデミア側の問題である。当方はこれを「技術が科学を牽引し始めた」と以前この欄で指摘している。
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3日(土)に山本先生のご講演を拝聴した。時間を間違えて30分程遅刻したので、空いていた最前列に座ることになった。偉い先生のご講演であることはこの空席の状態から理解できたが、遅刻して一番前に座らなければならない事態で学生時代の授業を思い出した。
ところで福井大学客員教授を勤めさせていただいたとき、授業では後ろの席と前の席が詰まり真ん中ががら空き状態だった。前の席を占拠していたのはすべて留学生だった。このとき大学の授業で後ろから席が詰まるのは日本人特有の習性と知った。
遅刻したので最初の30分を聞き逃したが、inventionとinnovationについて説明しているスライドが映し出されていた。基礎という新しい学理から純正研究を進めてゆくのが発明とか創意で、これは理学であり、順問題を解くことになる。応用研究から基礎という新しい学理を追求するのは工学であり、逆問題を解くことになる。そしてこれがイノベーションを引き起こすと説明されていた。
途中から伺ったので意味不明だったが、その次に、アカデミアの研究構造と称して上田良二先生が考えられた四象限模式図を用いて説明された。
研究には社会に役立つ「応用」研究と自分の探求心から行う「純正」研究があるという。そして、会社で行われる研究は、既存の学理による「末梢」研究であり、当面役に立たないような「純正」研究は、未知の学理を求める「基礎」研究から生まれると、四つの象限を説明された。
すなわち、第一象限には「純正」、第二象限には「応用」、第三象限には「末梢」、第四象限には「基礎」と書かれたスライドが映し出されていた。inventionとinnovationとを説明したスライドと同じような説明をされているようにも聞き取れたが、現在のアカデミアの99%が「末梢」に基礎を置く「純正」研究と説明された点は、非常に的を得ていると思った。
すなわち99%の大学は、「末梢」研究を基に「純正」研究を行っているという。残り1%の大学だけで「基礎」研究から「応用」研究を進めており、これが重要で、この流れだけが破壊的イノベーションを引き起こすという。
この説明は理解しやすく、アカデミアの現状を憂慮されているお気持ちが伝わってきた。そのお気持ちから企業へのお願いとして、真のボトルネックとなる課題をアカデミアへ提示していただきたい、と述べられていた。
すなわち、産学連携によりアカデミアの研究が影響を受けたり、TLOがなぜうまくゆかないのか等わかりやすくご説明され、大学の真の役割は共有価値の創造(Creating Shared Value)と一つの結論を講演の中盤で提示された。このことで、前半産学連携におけるアカデミアの問題を話されていたのだと想像できた。
偉い先生のご講演に遅刻し失礼をした以上は、一生懸命理解する覚悟で拝聴したが、アカデミアの深刻な問題の構造を考えることになり、後半に話された先生の御研究までもその延長の感覚で聞いていた。
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高分子学会の年会では、学生のためのキャリアカフェなどの企業ブースがあったため、企業の方々も会場に多かった。日本化学会の年会では規模が大きいので企業研究者の参加が少ないように見えるが、高分子学会の年会では、発表こそ少ないが、出席者は多いように思われた。
企業研究者の数はアカデミアよりも多いはずなので、本来は、発表者も参加者も同じくらいが理想だと思っている。これが小規模の研究会になると企業研究者の割合は多くなるが、この研究会の内容によっては、アカデミアが圧倒的多数という状態も見受けられる。
こうした企業研究者のばらつきは、明らかに研究発表について序列あるいは価値判断をしている結果である。若い頃に興味があったので出てみたい研究会があり出張を申し出たら、上司から仕事に関係ない無駄な研究発表を聞いてどうするのだ、と言われた思い出がある。
民間のセミナー会社の講演会は4万円前後であるが、学会開催の研究会のたぐいは1万円程度で、また発表件数も多いので、一件当たりのコストパフォーマンスが高い、とか説明し何とか出張許可を頂こうとしたら、その高いと言っているセミナーで聴いてきて欲しいのがあるからこちらへ行ってこい、と言われた。
そのセミナーは難燃剤のセミナーで業務に直結はしていたが、残念ながら自分の知識の範囲以上の情報は無かった。しかし、組織で働く立場として出張報告には「時間の無駄だった」とは書けず、「知識の整理ができた講演会」というコメントを書くのが精一杯だった。
源氏物語の研究で光源氏の恋に新しい真理が見つかったとしても、その価値を感じる人は源氏物語ファンに限られるかもしれない。しかし自然科学の研究では、それで新しい真理が導かれている限り、技術者にとって、そこに新たな機能や問題解決のヒントになるコンセプトが潜んでいないか、考えるだけの価値がある。
今アカデミアは、求められた真理について研究との関係に関する考察を加えるだけではなく、それがどのような新しいコンセプトを人類に提案しているのか、あるいは人類に役立つどのような機能を見いだしたのか、など真理の一般化や汎用化の考察を夢でも良いから自ら「しなければいけない時代」だと思う。素粒子研究などでは、壮大な夢物語が語られ、時としてそれをばかばかしく思ったりして自分の年齢を感じたりするが、その他の分野の研究者も見習う必要があるのかもしれない。
(注)本来は人生に関わるという理由で、光源氏の恋についても価値を感じなければいけないのかもしれないが、古典に興味が無ければ記事さえ読むこともない。文学の研究の価値を問われても分からないが、自然科学の研究は、人類が営みとして自然から新しい機能を取り出す活動を必要とする限り価値がある。昨日名大工学部応用化学科の卒業生の集まりがあり、山本尚先生のご講演を聞くことができた。明日からこの先生のお話についてまとめる前に、当方の科学の研究に対する考え方を本日書いてみた。
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化学系の大学生ならば知っていなければいけない理論にフローリー・ハギンズ理論というのがある。ノーベル賞を受賞したフローリーの理論である。当方の時代には高分子物理はまだ流行していなかったので、授業でほんの少し顔を出しただけだが、試験に出題され慌てた思い出がある。
式の形など憶えていなかったので知っていることを文章で書き連ねた答だったので△だったらしい。助手の方からあれは有名な理論だから試験に出るのは当たり前だ、とたしなめられた(有名な理論ならば授業で時間をかけて説明してほしかった。)。
このような悔しい経験があるとその後の人生に少なからず影響を与える。ゴム会社で出会った指導社員に、高分子のブレンドではフローリーハギンズのχで評価するよりも溶媒を使ってSP値をきちんと測定するように指導されたときには、この指導社員が神様に見えた。
そして「あれは単なる理論だから、実務では当てにならない」と言われたときには救われたような気持ちになった。指導社員は、実務では平衡状態を扱った理論というのは使い物にならない、という考え方で、この考え方はプロセシングを技術で捉える重要性を学ぶのに役だった。
このフローリーハギンズ理論に反するポリマーブレンドを最初にためしたのは、高純度SiCの前駆体であり、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂が相容し透明となった材料が得られていた。その後ポリオレフィンとポリスチレンの相溶を成功させたり、カオス混合装置の開発によりPPSと6ナイロンを相溶させて中間転写ベルトを開発したりした。
χが正でも相容する現象はあるのだ。それでも科学の世界でこの理論を用いて高分子のブレンドを議論するのはお約束ごとである。フローリー・ハギンズ理論が間違った理論というつもりはないが、かなりどんぶり勘定の理論であると、写真会社で高分子技術を担当し感じた。
フローリー・ハギンズ理論を信奉していた外部コンパウンドメーカー(日本で有名な研究所から生まれたコンパウンドメーカーである)が供給する電子写真の部品用樹脂では製品化が難しかったので、ゴム会社に入社して以来温めてきたアイデアをもとに、中古機を寄せ集めて3ケ月でカオス混合プロセスのプラントを立ち上げた。PPSと6ナイロンが相溶して透明な樹脂(注)として押し出された瞬間に、学生時代のトラウマから解放された。
(注)フローリー・ハギンズ理論が正しければ、このような現象は起きない。ただしこの理論では、エントロピー項について明確に論じていないので、ここを修正して説明することができるかもしれない。しかし、この理論、何となく早く言ったもの勝ち的に見える。
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科学では論理の整合性を取るために、すなわちつじつま合わせに精力を使う。ゴム会社に配属され、ポリウレタンの仕事を担当してから、悩む日々が多くなった。この部署には高分子合成研究室という看板がかかっていた。これが高分子合成グループとすぐに名前が変わってもリーダーは代わらなかった。リーダーは科学こそ命、あるいは科学と心中しそうな上司だった。
科学に対する思いは人それぞれだが、メーカーにいながらこれほど科学を信奉した人を知らない。しかし、科学に対して盲目の恋をしているようなところがあり、実験結果に科学的な香りをまぶせば、それが非科学的なプロセスで得られた結果であっても高い評価をしてくださった。ただ、そのような評価は上司を騙しているようであまり気持ちの良いものではなかった。
その方が高分子学会の「高分子の崩壊と安定化研究会」の委員をしていた都合で、開発したての成果でも学会発表することになった。発表内容をまとめる過程で新入社員の当方が技術の漏洩を心配したぐらいである。それでも科学の発展のため、と熱心だった。
ある日研究会で発表するネタは無いか、と尋ねられて、工場試作前のホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの研究はいかがですか、と提案してみた。燃焼時に無機高分子であるボロンホスフェートができ、オルソリン酸の揮発が押さえられている分析結果もあったので30分程度の発表ができる内容にまとめられる自信があった。
発表資料ができあがってリーダーに検討していただいたら、高分子学会に無機高分子研究会というのがあるから、無機高分子という表現をガラスにしようと言うことになった。そしてガラスができている、というデータはないか、と議論が展開されていった。
熱天秤で分析評価したときに、ある温度間隔でサンプルの状態を撮影した写真があったことを思いだした。その写真は都合の良いことに350℃あたりから、きらきら輝くアモルファス質の物質ができている様子をうまく捉えていた。すなわち、アモルファスのボロンホスフェートができていたのだが、これはガラスではない。
しかし、その輝きを見たリーダーは、これならばガラスだろう、と言われたので燃焼時にガラスを生成して高分子を難燃化という表題になった。ただしリーダーはガラスの定義をご存じなく、Tgの存在を示す実験を指示されなかった。
ただ発表するのが当方だったので少し心配になり、発表資料を学会に送ってからこっそりと実験を行ったところ、驚いたことにそのアモルファス相を集めてDSCを測定したらTgが現れたのだ。信じられないことが起きるのが自然現象である。この時のトラウマがあり、酸化スズゾルから取り出した非晶質酸化スズについて何度もDSC測定を行ったがTgは現れなかった。
一連の実験は、科学的な仮説が発端になっていない。上司への忖度からガラスであって欲しい、と念じてDSCを測定したらTgが現れたのだ。この時正しい姿勢は、なぜ現れないはずの化合物でTgが現れたのか、科学的に解明する作業が必要である。
ただ予稿集も送付し、上司にもガラスだと言われ、なんと学会で発表してもどなたもTgが現れたことに対する質問が飛んでこなかったことでその機会を失った。
このあたりの問題については、写真会社へ転職し、酸化スズゾルが非晶質であることを証明するために、アカデミアで無機の専門家の先生にTEM写真やX線回折データをもとに議論した時にわかった(注)。
すなわち、アモルファス=ガラスと勘違いをされている先生がアカデミアでもいらっしゃったことで理解できた。すなわち知識が欠落していたなら、科学で展開される議論は、単なるつじつま合わせの議論になってしまう。STAP細胞事件でもニュースや「あの日」を読むとつじつま合わせの議論が展開されていた可能性が伝わってきた。
(注)写真会社では主任研究員の立場で部下をどのように指導したら良いのか悩んだときにアカデミアの先生にご相談することが多かった。組織風土が科学を重視する風土だったからである。真摯に「科学」と向き合っていた。この時の経験から、STAP細胞事件では、生化学分野がひどい状況であることを知った。特にW大学における小保方氏の学位の処理は、どなたかそれなりの立場の方は声を大にして批判し、問題とすべきである。「知識の砦」の終焉というと言い過ぎか?
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ニュートン力学誕生以後生まれた科学のおかげで技術の進歩の速度は速まった。20世紀はまさにこの科学の世紀と呼ぶにふさわしい成果がたくさん生まれている。しかしだからといって科学的ではない技術を軽視してはいけない。
それが無ければ商品の生産ができない場合も多い。生産現場は必ずしも科学的成果だけで成り立っているわけではない。
技術は科学誕生以前に人間の営みとして存在していた。科学の誕生により、自然界の理解が進み、その中に潜む機能を取り出しやすくなった。また、その機能の取り出し方法や使い方を科学的に伝承することにより、科学を学んだ人間であれば誰でも容易に再現できる。
これは一つの真理を追究する科学ゆえの恩恵で、学校教育でも科学を教育の中心にすえて大半の人は12年以上科学について学ぶことになる。しかし、技術の方法について学校教育で取り上げていないのは問題である。
全く取り上げていないわけでなく芸術分野の授業で少しそれを学ぶ。しかしメーカーの製造現場を経験しない限り、技術を技術として学ぶ機会は乏しい。はじめて本格的に技術を学んだのはゴム会社における2ケ月近い工場実習においてである。
その現場には改善班が組織されており、工場の各種改善をQC手法で行っていた。QC手法は科学的なプロセスを現場で活用できるように工夫されていたが、現場ではこのQC手法以外にも試行錯誤による改善が主に行われていた。この実習は人間の営みとしての技術を体験した貴重な機会だった。
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モノ創りのプロセスで試行錯誤は科学の訓練を受けていなくてもできる、と思われがちだが、試行錯誤ぐらい難しい方法は無い。猿やカラスが行う程度の試行錯誤ならだれでもできるかもしれないが、現代の人間の試行錯誤は科学を道具としてうまく使えなければならないので、これは少しOJTが必要である。
このような試行錯誤が訓練を必要としても、すべての条件を手あたり次第実験する方法ならば試行錯誤法のなかでも易しい。すべての条件を実験するのが大変だというならばラテン方格を用いればよい。ラテン方格を用いるとすべての条件の一部実施となるが、統計学上すべての条件をみていることになる。
これを科学的に行うのが実験計画法であり、タグチメソッドである。ただしラテン方格を用いるので同じように見えるが、実験計画法とタグチメソッドは全く異なる。実験計画法は統計手法だが、タグチメソッドは統計手法ではない。タグチメソッドでは、すべての条件の一部実施を実現するためにラテン方格を使用しているに過ぎない。
1980年前後は、まだ日科技連すなわちのQC手法が問題解決の主流で、実験計画法も企業の研究開発で使われていた。当方も実験計画法を頻繁に用いたが困った問題に悩まされていた。すなわち実験計画法で求められた結果が最適条件からよく外れるのだ。QCの先生が妙な等高線図を描き、外れる理由を科学的に説明してくれてもどうも怪しい。
ある日実験計画法と相関係数を組み合わせて用いてみた。すなわち相関係数の最大値が得られる条件を実験計画法で求めたのだ。ドンピシャで最適条件が求められた。それ以後実験計画法では、実測値をそのまま用いるのではなく相関係数を採用していた。不思議なことにこの方法で最適条件が外れなくなった。
この方法ではタグチメソッドでいうところの感度が最大になる条件を求めていたことになる。このようなことを若い時に体験していたので、タグチメソッドの外側因子という概念をすぐに理解できた。また当方は相関係数をラテン方格に組み入れて喜んでいただけだったが、同じ頃、海の向こうでタグチメソッドの普及に尽力されていた故田口先生と講演でお会いして凄い先生だとすぐに実感できた。
ただ、故田口先生がタグチメソッドを一生懸命科学の体系で説明しようとされていたのには少し失望した。タグチメソッドは科学である必要はなく、技術開発の一つのプロセスとして体系を組み立ててもよかったように思っている。
先生の著書には科学的に説明しようとされたご苦労が随所に現れているが、「この場合には、こうしろ」といったノウハウ的な教科書の方が技術者には読みやすい。
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昨日から3日間の予定で幕張メッセで高分子学会年会が開催されている。退職してから仕事の都合で高分子学会の年会には出られなかったが、今年は日本化学会の年会に忙しくて出られなかったので、高分子学会の年会に出てみた。
学会の年会にポスターセッションがつきものだが、口頭発表よりもじっくり研究内容を見ることができるので楽しい。研究内容には何に役立つのかわからないようなものがあり、面白いのは発表者が教えてください、といってくる向学心旺盛な方もいる。
昔は企業に属していたのでこのような質問から逃げていたが、今は答えるようにしている。学会の発表は科学であればよいので、何に役立つかわからない研究でも新しい真理さえ明らかになっておればよい、と思っている。
だいたい企業で研究発表の許可が早く出るケースはたいていが役に立たなかった開発成果だから、アカデミアの方も何に役立つかわからない研究を堂々と発表すればよい。ただし、何か一つ新しい真理が述べられていることが重要だ(注)。
真理については科学的論理で証明されておればわかりやすいが、そうでなくても、それが不動の真理であれば、年会で発表すべきである。その場合には、「こうしたらこうなった」的な発表になるが、これでも価値があると思っている。
昔、高純度SiCの前駆体について日本化学会で発表しとんでもない体験をしたことをこの欄で紹介したが、今でもこの体験は、大学の先生がおかしいと思っている。なぜなら科学の一つの方法に「発見」があるからだ。「発見」については真理の迅速な発表こそ必要である。
そして科学的に論じない代わりに繰り返し再現性を語ることになる。STAP細胞も自殺した世界的に著名な研究者が現象を見たのだから少しは再現性があり、特許を撤回する愚行までしなくてもよかったと思っている。「新発見」は、科学的な準備ができていなくても年会でどんどん発表すべきだろう。
真理や発見と同様に大切なのは体系なり研究のコンセプトである。何に役立つかわからない研究でも、一つの真理が明確にされており、そこに向かうコンセプトなりあるいは体系が見えるならば、それは科学の研究として価値がある。
さらにこのような研究は、仮にその研究が何に役立つかわからなくても、技術者に道具の提供をしているという貢献の価値がある。
最近は目的を明確にした研究が求められており、年会の発表でも訳のわからない研究が少なくなってきた。しかしその結果このような体系あるいはコンセプトを新たに提案している研究が少なくなっているのは残念である。
(注)昔故小竹先生が「研究とは何か新しいことを見つけることだ」と言われた。この言葉を述べられたときに科学とことわられていなかったことが印象的である。科学にも技術にも研究が必要というお考えだった。科学技術とみそくそ一緒にされるケースが多いが科学と技術は研究の方法も異なる。
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