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2018.03/02 昨日の補足

裁量労働制の議論は、経営陣が個々の知識労働者の成果を正しく計測できるのか、というところを論点にしなければいけない。残業時間数など無関係だ。また、知識労働者には自己実現のための時間を今まで以上使う覚悟が求められている。経営陣は今以上に知識労働者の自己実現を支援しなければいけなくなるので、自然と働く時間は増えるのだ。今まで知識労働者の自己実現時間を労働として考えてこなかった問題に直面する。

 

そもそも働いた時間と仕事の成果が相関しない時代になったのである。ドラッカーは50年ほど前に知識労働者の時代として現代を捉えていた。高校生の時に亡父から「断絶の時代」を渡されて現代の働く意味を理解した。そしてタイムカードのない会社を夢見た。ゴム会社には入社したときにタイムカードが無く、裁量労働に近いという幻想を描けるような会社だった。

 

また残業時間を申請すると出世が遅くなるという噂もあった。ゆえに当方はほとんど残業時間を申請したことが無く、上司から一定量つけるように促されたぐらいである。これは、会社に泊まり込んで働いているような状態でその仕事量が職場の噂になったからだ。どれだけ働いても黙認され、貢献と自己実現を十分にできたので当方は幸せだった。高分子とセラミックスの知識は、大学ではなくゴム会社でその基礎を身に着けた。

 

現在もゴム会社で事業として続いている高純度SiC製造技術シーズは、当方の自己実現の過程、俗にいうヤミ研から生みだされたものだ。このシーズは留学した無機材質研究所(現在の物質材料研究機構)で花開いたが、当方の学位論文に書かれた方法で今も高純度SiCが生産されている。ただ、この成果に対してゴム会社から十分な対価を頂いていない。労働者が裁量労働と錯覚するような状態だったが、裁量労働制ではなかったからだ。

 

ゆえに今国会で議論すべきは、知識労働者の成果に対して正しく対価が支払われていない問題である。働く意味は貢献と自己実現なので、労働者が働きすぎる問題は裁量労働制の法整備が進んだら労働者の責任となる。しかし、その成果が正しく評価され対価が支払われたかどうかは、今の国会の議論を聞く限り労使問題として残る。

 

例えば高純度SiCの技術成果(注)について学位論文や出願した特許を根拠にそれを主張したとしても、また住友金属工業とのJVを立ち上げたときにたった一人でパイロットプラントを動かし過重労働をしていた事実にしても、第三者の証明が無ければせいぜい自画自賛と笑われるだけである。対価については今も保管している給与明細書がその証拠になるかもしれないが、同期よりもわずかに多い基本給の金額がその対価と言われたら、どのように反論できるのだろうか。

 

特許に対しては、その対価を頂いたあるいは会社が支払った痕跡は無いのでこの点は主張できるかもしれない。このように成果とその対価について労使でどのようにすべきか何も法的な取り決めが無い状態では労働者が永遠に悩むことになる。

 

知識労働を時間で計測すると矛盾が生じる。このような時間と仕事の成果が相関しない業務を裁量労働とすべきで、時間と仕事の成果が相関する仕事を裁量労働としない法律を定めることや、成果に対する対価の支払いをどのように行ったらよいか、国の指針をだすことである。

 

これは成果給で説明すると、GDPや会社の利益から最低基本単価を決めることが可能と思われる。また、一つの仕事に携わった年限に応じ最低年功賃金を決めれば派遣社員も昇給の可能性が生まれる。習熟度の測定を単純に年数で計測することの問題はあるが、多くの学習曲線が時間をパラメーターにしていることから大きな誤差は生まれないと思われる。知識労働者が生み出す成果について法的な整備が必要である。

 

(注)あくまでも技術発明の成果とJV立ち上げの成果である。経営陣の熱意と努力や、当方の転職後ゴム会社で業務を受け継いだ人々の事業貢献についてその成果が誰のものかは説明するまでも無い。ただし、転職後も支援のためのお手伝いや事業が立ち上がるまでの二年弱、たった一人でこの業務と他のテーマを担当し、パイロットプラント以外の実験室に置かれた研究設備を当方の許可なく廃棄されたり、その他の妨害と思われる出来事に耐えながら使命を全うした暗い思い出を今改めて検証するときに知識労働が知の戦いになる特性と裁量労働から生じる問題とが重なるのだ。他の企業でも当方のような苦労を体験している技術者がいるのではないかと懸念しているが、これは過重労働とは異なるカテゴリーの問題である。知識労働の現場は、労働時間云々以外の有象無象の問題が多い新しい形の労働問題の巣窟であり、失われた20年間と長期渡り企業の業績が上がらなかった遠因ととらえている。昨今パワハラやセクハラ、モラハラなどが突然噴出したように思われているが、これらはバブル景気の陰に隠れていたものが20年間にリベールされた結果である。裁量労働については、知識労働の特性をよく解析し正しく法整備をすべきである。丁寧に知識労働の現場の問題についての議論に時間をかけるべきである。

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2018.03/01 国会における裁量労働制の議論

国会で裁量労働制の議論がなされているが、その導入の根拠となるべきデータで紛糾している。この国会における議論を聞いていると、そもそも首相はじめ国会議員の方々が、本来の働く意味、そしてその意味から裁量労働のあるべき姿が見えているのか疑問である。

 

中には、発言している議員を仮に新入社員として面接を受けさせたら、売り手市場の現在の状況でも企業面接で合格点をもらえないような認識の先生もおられる。このような状況では、低次元な議論しかできないだろう。

 

そもそも、厚生労働省のホームページに書かれた、「労働者を実際にその業務に就かせた場合、労使であらかじめ定めた時間働いたものとみなす制度」として裁量労働を定義しているところから笑ってしまう。働いても成果が出なければ業務を遂行、すなわち仕事をしたことにはならない時代だからである。

 

写真会社在職中にも裁量労働の賃金に時間の概念を持ち込むとおかしくなる、と言い続けた。時間は労働者側が自由にできるパラメーターであり、賃金は成果できめるべきであるが、労働時間で説明したほうが分かりやすい、ということで、結局一定の定めた時間働いた、とみなす、みなし労働として裁量労働が位置づけられ、運用された。

 

この際、時間という概念を取り払い、再度裁量労働の定義をしなおしたらどうだろうか。繰り返すが労働の対価は、労働の結果得られた成果で支払われるべきである。成果を仮にそれを出すために使われたある量と成果の質で計測できるとする。

 

質は業種で決まる値を決めることが可能で、量は質が決まれば、労働の成果を質で割った値となる。成果を上げるために使われたエネルギーの量は時間だけではない。だから一番の問題は、労働者一人一人の成果を正しく計測できるのかということになる。

 

これは成果について公的な定義ができれば計測可能と思われる。あるいは計測可能な定義を決めてもよい。すなわち問題とすべきは労働時間ではなく、労働の結果得られる成果の取り扱いである。労働者の上げた成果が正しく評価されているのか、を問題とすべきである。

 

量については、労働者が成果を出すためにどのようなパラメーターにするか、労働者自身が考えなければいけない軸である。すなわちこの量を決める裁量を労働者に与えるのが本来の裁量労働の意味であるが、どこにもこのように説明されていない。

 

写真会社で裁量労働となった部下の評価を行っていていつも矛盾に感じたのは、組織として成果を上げたにもかかわらず、後工程のトラブルでその成果が会社の成果に結びつかなかった問題である。

 

事業部門の成果は売上で計測可能であるが、事業部門を構成する下部組織を売上で計測しにくい。これをどのような指標で計測してゆくのかは、中間管理職まで含めた経営の責任である。技術者がいくら頑張っても、営業努力が足らなかったから成果が出ず、給料がダウンした、では技術者がかわいそうである。

 

裁量労働制の議論はまずこのあたりから正さなければいけない。労働時間を唯一の量のパラメーターとしてみている限り、おそらく議論はかみ合わないだろう。労働の質や成果の評価が正しく行われない場合の問題を議論すべきである。国会議員は各自の発言の中身が、働く意味を理解している前提の質の高いものであるか見直してほしい。サラリーマンも勤まらないような国会議員では恥ずかしい。

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2018.02/28 オープンイノベーション

先週月曜日の講演を思い出して、ふとこの数年話題になっているオープンイノベーションについて考えた。ドラッカーがその著書で言い始めた言葉だが、10年以上たって日本で騒がれ始めた。

 

当方はオープンイノベーションを掲げて事業を行っている会社から詐欺の様な扱いを受けた。すなわち、その会社から紹介された一流企業Sの担当者数名にカオス混合や混練のミニセミナーを行ったのだが、講演料や日当の類を頂けなかっただけでなく、東京から京都までの交通費すら支払われなかった。

 

一流企業Sにその問題を訴えても、無しのつぶて。オープンイノベーションを標榜するコンサル会社はSと弊社の問題として取り合わない、というずいぶんな扱いを受けた。

 

もっとも当方が一流企業と信じて会社Sの要請に契約もしないででかけた責任と建築関係も行っている大会社という看板に目がくらんだわけであり自己責任の原則で悪いことになる。

 

ただ、メールのやり取りを法律に詳しい第三者に見せれば「怪しい」という流れなので「詐欺の様な」と最初に表現したが、あくまで安直に技術内容をPRに行った当方が悪いのだろう。

 

オープンイノベーションではこのような問題が起きるので技術を商材にされている方は、契約に十分注意を払う必要がある。オープンイノベーションは、技術がタダで手に入る、という意味ではないのだ。

 

一流企業でもこのような誤解をしている担当者がいるので困る。技術に対しては正当な対価を支払う必要があるのは当然である。これはオープンイノベーションであっても変わらない。オープンイノベーションでは「時間軸」が問題にされているのだ。

 

やや間の抜けた当方の経験談を紹介したが、技術の出口を探したり、現在抱えている問題のソリューションを探したりするには、それなりのスキルと「時間」が必要である。

 

この時、時間軸をどのように考えるのかは、あまり言われていないが、月曜日の講演では良い示唆を教えてくれた。スキルだけではだめなのである。高純度SiCの事業化の苦労で十分にそれを勉強した当方にはよい復習となった。パイロットプラントまでは留学期間内に出来上がるほどの早さだったが、事業が立ち上がるまでには市場が形成されるまでの時間が必要だった。

 

 

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2018.02/27 ドラッカーの遺言(10)

オリンピックは閉幕したが空前のメダルラッシュで各放送局はその余韻に浸っている。見たくなくてもTVをつけるとその録画が映されるので同じシーンを何度も見ることになる。

 

そこで気が付いたことがある。氷上のチェスと呼ばれているカーリングは、チェスよりも運の占める要素が多い競技ではないか、ということである。

 

そして、この競技は練習とチームワーク、スタッフのサポートでその運の影響を受ける要素を減らすことが可能なのでスポーツとして認められているのだろう。スポーツには、例えば今回のネイサンチェンの様にプーさんの嵐という不運な出来事で勝負が決まる場合がある。

 

このようなことを書くのは、今回の日本チームの勝ち方である。対戦している両者それぞれが最後の一投を狙い通りのところへストーンを置けなかったのである。ただ、日本のストーンはイギリスが2点を取り逆転するような一投を決断したくなるような微妙な位置だった。

 

一方のイギリスは、そこで一点をとり、引き分けにして勝負をリセットする延長戦を選択することもできた。すなわち、イギリスは最後の一投で勝負の流れを決めることが可能な立場で、勝利を決めに投げたストーンのわずかなずれが日本の勝利となるようなコースへ行ってしまったのだ。

 

試合が終わってからイギリスのコーチは試合には負けたが、あの選択しかなかった、と答えている。この言葉の意味するところが、カーリングというスポーツの面白さを物語っている。

 

すなわち、ストーンの最後の一投に失敗しなければ必ず勝てる、と判断しているのだ。これは、勝負の負けを自らの責任とする状態である。延長戦に持ち込んで勝てるかどうかは、運あるいは不明であるが、あの場面は、確かにミスショットさえしなければ勝てる場面だった。

 

これは、チェスとは異なる判断が求められるゲームで、むしろビジネスに近い。

 

ドラッカーは、経営者の条件で、「意思決定において満たすべき必要条件を理解しておくことは、最も危険な決定、すなわち、都合の悪いことが起こらなければうまくいくという種類の決定を識別するうえでも必要である。」と述べている。

 

すなわち、勝負で競り合っていた状態の10ENDで、イギリス側が延長戦に持ち込むことは、都合の悪いことが起こらなければうまくいくという判断だったのだ。

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2018.02/26 記憶に残る

平昌オリンピックでは、4年に一回というオリンピックゆえの様々なドラマが生まれている。その中で、当方が印象に残ったのは、フィギュアスケートである。

 

高得点をとれるようにジャンプをすべて後半に集中してきた最年少金メダリストザギトワには驚いた。後半のジャンプは、疲労により難易度が高くなるという理由で、評価点が1.1倍になる。

 

全体の印象で明らかに優れていたメドベージェワが金メダルを取れず、また長洲未来が果敢に挑戦していたトリプルアクセルのような他を圧倒する技も示さず、金メダリストに輝いているのを見て、例えかわいくても許せない気持ちになったのは当方だけか。

 

ルールを最大限に活用しているのだから、頭が良い、と評価する考え方もある。また白鳳のように勝つことが大切という価値観もスポーツでは許されるかもしれない。

 

しかし、スポーツ観戦の面白さあるいは感動は、得点稼ぎの工夫よりも競技に求められる肉体能力のベストを尽くそうとする挑戦の姿勢から生まれる。

 

だから、オリンピックというプレッシャーで実力を発揮できず、しかし勝敗ではなく実力者の意地を見せて6位となったネーサンチェンが、浅田真央選手同様に記憶に残ったりする。

 

彼は、SPで全てのジャンプを失敗し、17位発進とメダルは絶望的となった。しかし、FSで4回転ジャンプ6回に挑戦し、うち5本を成功させ、フリーで自己ベストを更新、優勝した羽生のフリーの得点を8.91点上回る215.08点をマークした。

 

さらに、このFSで叩き出した技術点127.64点は、技術点としては歴代1位である。これを、勝たなければ意味が無い、の一言で片づけてよいものか。現時点で人間が氷上でできる最高の演技を示したのである。

 

羽生選手が勝利者インタビューで4回転アクセルを目指す、と回答したのは、このネイサンチェンの演技を見て4回転の次の段階を感じた発言かもしれない。

 

羽生選手はケガをする前のインタビューで、すべての4回転を目指しオリンピック後引退するような発言をしていた。もし、彼がネイサンチェンの演技を見て次の段階を切り開く意欲から4回転アクセルへの挑戦を意識したならば、これこそオリンピックが「闘争」の昇華した姿であることを示した。

 

ちなみに、2014年ソチオリンピックにおいて、浅田真央は、トリプルアクセルを組み込んだ女子シングルのSPの演技で転倒が相次ぎ16位と大きく崩れ、演技後のインタビューでは「何もわからない」と放心状態となっている。

 

しかし、翌日のFSでは冒頭のトリプルアクセルをクリーンに着氷し、また、女子史上初となる全6種類、計8度の3回転ジャンプを着氷し142.71点と自己ベストを更新してFSでは3位、技術点ではキムヨナを抜いていた。

 

ネイサンチェンは金メダルの可能性が限りなく高かった。しかし大舞台でプーさんの嵐に見舞われ、その実力を十分に発揮できずに終わった。人生には運も影響し、不運に対峙する姿勢でその後の人生は大きく影響をうける。決してプーさんを恨んではいけない。

 

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2018.02/25 プログラミング(17)

C#の型には、値型と参照型がある、と前回説明した。ところで、そもそもC#における型とは何か。BASIC言語における型は、整数型とか小数型などの数値関するビット列の長さと簡単に考えるだけで深くそれ以上の概念を考える必要がなかった。

 

ところがコンピュータ言語における型とはそのようなものではなく、型とはメモリー上に並べられた一塊のデータ、ビット列、これをインスタンスとよぶが、その説明書に相当する。

 

すなわち、クラスをデータとして扱うように、構造体も、その他さまざまなプログラム要素で意味を持った一塊をC#はデータとして扱うので、それぞれの塊の意味が型である、ということもできる。

 

さらにこの解説の初期に、オブジェクト指向におけるプログラミングは、あたかも問題解決に用いる道具の様なものをオブジェクトとして用意してゆく手順だ、と説明しているが、そのオブジェクトすべてが型である。

 

例えば、C言語では、関数と呼ばれていたものがC#ではメソッドと呼ばれるが、これも型にもなる。すなわちプログラミング言語に最初から定義されていた型以外に、プログラマーが新たに型を定義できるところがC#の特徴である。

 

ちなみにC#にあらかじめ定義されているビルトイン値型には、真偽の2値をとるブール型(System.Boolean)、文字型(System.Char)、整数型(System.Byte, System.SByte, System.Int16, System.Uint16, System.Int32, System.Uint32, SystemInt64, System.Uint64)10進数型(System.Decimal)、浮動小数点型(System.Single)、倍精度(System.Double), 可変サイズの整数型(System.IntPtr, System.UIntPtr)がある。またビルトイン参照型には、オブジェクト型、文字列型、配列型、デリゲート型などがある。

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2018.02/24 プログラミング(16)

型には、値型(Value Type)と参照型(Reference Type)がある。値型とは、値が直接管理されているデータ型であり、値型を宣言、すなわちプログラム中で定義するとその型のデータ領域がメモリー上に確保され、この確保された領域を直接プログラマーが操作することができる。

 

参照型とは、値への参照、すなわちデータ領域を示したある媒介変数を介して間接的にデータを管理する型である。C言語ではポインターがこの役割をしていたが、C#ではポインターを意識せずデータ型で参照型が決められている。

 

値型では直接データをアクセスできるが、参照型ではデータ領域を示したメモリー上のアドレスを介してデータにアクセスするので、それらの振る舞いは異なる。

 

すなわち値型では、直接データの変更が可能で変更されたデータは変更されたときの値になるが、参照型ではそのようにならないことがあるので、コーディングで注意しなければいけない。

 

例えば、 int  x=1;  int  y=x;  y=501;  とコーディングした時に、xは1のままであるし、yは501と変化する。これは変数が整数を表すように型づけする int という宣言が値型であるからだ。

 

一方、class Ref_rei  { interanal int value;}       Ref_rei  X=new  Ref_rei();   X.value=1; Ref_rei  Y=X ;  Y.value=501;   では、X.valueも501になる。これは、Y=Xで、メモリー上のアドレスをYにセットしており、X.value もY.value も同じメモリ上に存在するからだ。

 

この値型と参照型について慣れないうちは頭が混乱するが、値型がメモリー上の値と変数の値が直接結びついており、参照型の変数では単に実体が存在するメモリー上の位置を示すアドレスがセットされている、という感覚を身に着けると普通にプログラムコードを読み解くことが可能となる。

 

以前書いたように、プログラム言語の文法はコンピューターという機械を相手にした文法である。文法の仕様には機械に配慮した手続きが組み込まれてくる。この値型と参照型はメモリーの使い方に関する工夫であり、その仕組みからプログラムの実行スピードに影響を与える。

 

MS-DOSの時代には、このプログラムの実行スピードがプログラマーの腕にかかっていた。パーコレーション転移シミュレーションプログラムでは、アルゴリズムの少しの違いとポインターの使用でプログラムの実行スピードが二倍ほど変化した。しかし、いまやメモリーもG単位であり、CPUの演算速度は当時と比較すれば亀とウサギよりも蝸牛とウサギほどの違いがあり、多少ずぼらなコーディングでも許され、むしろプログラムの分かりやすさ、可読性が重視されている。

 

 

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2018.02/23 ドラッカーの遺言(9)

平昌オリンピックはメダルラッシュで毎日感動の連続、心臓が心配になってきた。これだけ感動が多いと毎日オリンピックの話題ばかりになってしまう、と思いオリンピックについて書くのを意識的に控えてきた。しかし、スピードスケートのパシュート女子金メダルについて企業の組織について参考になると思い本日取り上げた。

 

この金メダルの価値は、個人の能力ではすべての選手をメダリストで揃えたオランダチームと比較すると日本チームが劣っていたところにある。多くのマスコミも競技終了直後から300日以上日本チームは全員一緒に練習していたことを勝因として取り上げていた。そこで醸成された日本独特の交代方法はじめスポーツ科学の成果については、ニュース報道を見ていただきたい。

 

この欄では、高木美帆選手をリーダーにしてまとまり、メンバー4人それぞれの能力を引き出した組織力について取り上げてみたい。ドラッカーは著書「企業とは何か」の中で、組織が繁栄を続けるには、組織内の人間が、自らの能力を超えて成長できなければならない、と述べている。

 

パシュート女子の日本人選手は、まさにこれを実践したわけで、自らの能力を超えることにより、自分たちよりも優れた能力を持つ選手を揃えていたオランダチームに勝ったのである。「つまるところ組織にとっては、リーダーを育てることの方が、製品を効率よく低コストで生産することよりも重要である」とも同著に書かれているが、高木美帆選手はチームにより優れたリーダーに育成された。

 

「待って、待って」と姉に言われスピードを落としたシーンは、同競技で報じられた韓国チームの醜聞と比較すると、とっさにできる行動ではないことに気がつく。パシュートという組織の側面を持った競技の特徴をそしてそのリーダーの自覚を持っていたからとれた行動だろう。

 

パシュートという競技は、全員が最低一周先頭を走らなければいけない、というルールがある。このルールゆえに、組織で例えると分権制のような問題をチーム内に抱えることになる。しかしこのルールで考えなければいけないのは、最も優れた選手が最も長い時間先頭を務める自覚を求められる点である。さらに先頭には後尾を務める選手への配慮が必要なルールもある。

 

まさにパシュートは組織を具現化したような競技で、日本女子チームの金メダルは、リーダーがとるべき行動と、組織がうまく機能すると個人の能力を最大限引き出し成果に結び付けられることを見せてくれた。これは、マネジメントの使命である。

 

カテゴリー : 一般 連載

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2018.02/22 カオス混合装置の発明(2)

カオス混合とは、パイ生地や餅つきで発生している機能との説明を受けた。すなわち急速に引っ張った(伸長流動)後折り曲げる(剪断流動)ような混練方法だ、と指導社員から教えられた。さらにロール混練ではそれに近い現象が起きているのではないか、とご自身の想像をまじえ混練技術に関する経験知と暗黙知を伝承してくださった。この指導には大いに感謝している。

 

当時すでに高性能な二軸混練機が世の中で普及していたのに、加硫ゴムでは、バンバリーとロール混練を用いるバッチ方式が使用されていた。指導社員は、高性能な加硫ゴムを絶対に二軸混練機では製造できない、と明確にその理由を経験知と暗黙知で説明された。

 

2005年末に二軸混練機に取り付けるカオス混合機のアイデアに成功したのは、この時の暗黙知がうまく伝承されていたからである。

 

技術の現場において暗黙知を伝承する方法は、経営の使命が企業の持続的成長、すなわち今の世代を次の世代に受け継ぎ発展させる行為にあるとすると、大切な問題である。しかしながらその実現は容易ではない。ノウハウが要求されるが、ゴム会社には伝統的にその風土が存在した。

 

設備の進歩以外に、ポリウレタンRIMの普及が始まり、高性能なTPE開発が活発になってきた時代でもある。当時の愛車セリカのバンパーにはPPではなく高価なポリウレタンRIMが使用されていた。加硫ゴムの技術が将来も残っていくのか、という議論が活発に行われ、樹脂とゴムのハイブリッドであるTPEが新素材としてもてはやされていた。

 

たとえ射出成型で作られるゴムが普及し始めたとしても、バッチ方式で混錬され、成形もたい焼き機のようなバッチ装置を用いた方式がゴムの高性能化には必要なプロセスだ、と指導社員はいわれた。しかし、高性能なカオス混合装置が発明されたなら、それで加硫ゴムの混練ができるかもしれない、と付け加えられた。

 

ゴムの混練プロセスというものが十分に解明されていなかったので、それをカオスと例えた人も研究所にいたが、カオス混合というのは、そのカオスとは異なり特殊な混練方式、というのが指導社員の説明だった。それを連続プロセスで実現できるのは君しかいない、などと時々からかわれたりした。これはカオス混合に興味を持ち考え続けるには十分な動機付けだった。

カテゴリー : 一般 高分子

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2018.02/21 プログラミング(15)

プログラミング言語の解説において、最初に出てくるのはデータ型の説明だ。コンピュータはデータを電気信号のON,OFFの2値の塊で表す。すなわち、1,0のビット列でデータを表現し、それはコンピューターのメモリーを占有する。

 

ところでFORTRANやBASIC,Cなどのプログラミング言語ごとに、このデータ型の説明が異なっていた。プログラミング言語ごとにこのデータ型が異なるというのは、仕方がないことで、各言語の使用目的を考慮して、極力メモリーの使用効率を高くしようとしたからだろう。

 

ただ、過去のプログラミング言語のデータ型は生活習慣と合っており理解しやすかったが、C#では、コマンドのたぐいも含めすべてデータとして扱うという仕様だ。

 

すなわち、データ型とは、その型の実体(インスタンス)となるメモリー上のビット列のことを意味しており、数字以外のデータもすべてこの型の概念でC#は扱っている。さらに、型とは、メモリー上のビット列のどこからどこまでに、どんな意味が潜んでいるのかを説明しているという。

 

ものすごい概念の拡張だ。最初文法書を読んでいた時にこのあたりの感覚がよくわからなかったが、クラスの使用方法などを理解したところで、型が単に数値だけでなく、クラスやメソッドの一部にも用いられていることに気がついた。

 

すなわち、C#は、型に始まり型でおわる、と言っても言い過ぎでないぐらいに、型の理解が重要である。そして型の内部にフィールドとメソッドが定義されてプログラミングが進められる、というコーディングの雰囲気だ。

 

Cが登場したときに習得が難しい言語と言われたが、言語の予約語等文法の決めごとが少ないのでプログラマーの自由度が高く、関数を定義しながらプログラミングを進めるという仕様は、BASICよりも技術習得に容易だった。

 

しかし、C#はオブジェクト指向という難解さと言語仕様の奇抜さ複雑さで、その特徴を生かして使うには、敷居が高い言語である。敷居は高いが、一度その敷居を超えるとこれまでの言語よりもプログラミング言語として使いやすい。本欄でその敷居を少しでも下げられたらという思いで書いている。

 

カテゴリー : 一般 連載

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