デジタルトランスフォーメーション(DX)とは、2004年にエリック・ストルターマンが論文 “Information Technology and the Good Life.”の中で提唱し、「情報技術の浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること」とDXを定義したのが最初である。
しかし、情報技術が、コンピューターによるイノベーションで進行したことに着目すると、コンピューターが登場した時にすでにDXが始まっていた、と見るべきではないか。
当方がゴム会社に入社した時に、ゴム会社には、大型コンピューターが2台人間よりも大切に扱われ、働いていた。POSシステムのために1台は専用で稼働し、他の一台は、社内OAや技術者に解放されていた。
IBM3033が解放されていたマシンだが、驚いたのは、研究所の管理職がコンピューターについて全く無知だったことである。社内でOAがどこまで進行しているのかさえ、御存じなかった。
それゆえ、花〇のコンピューター部門が書いた怪しげなOA指南書を信じ、16万円の漢字出力できるコンピューターでOA化できる、という勘違いを起し、当方に80万円のローンを組ませて、研究所の薬品管理のプログラム開発を命じている。
当時、システム開発に必要な最低限の投資には100万円前後かかったのである。しかし、怪しい指南書のおかげで、80万円の見積書が信じてもらえず、そんなに必要なら自分で買えとなった。
初任給10万円の時代に80万円のローンを抱えたおかげで、社会人2年目は、全く遊ぶ余裕などなく、コンピューターが友達と言う生活になった。
この話の愚痴は書いていないが、今アマゾンで販売されている電子書籍「科学を超えて:AIとオブジェクト指向が拓く技術のDX」には、当方がパソコンで自分の仕事をDXしてきた体験記を書いてます。12年間のゴム会社における楽しい体験談です。
最新の話も書いてます。さらに山中伸弥博士の研究内容もDXの一例として紹介しています。あみだくじ方式によるiPS細胞の発明をオブジェクト指向で解説しています。
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ゴム会社に入社して1年ほどで始末書を書かされた。当事目の前が真っ暗になるほどショックだった。さらに1週間毎朝上司から、始末書は書けたか、見せろ、とあいさつ代わりに言われるのである。
電通の新入社員女性が鬱になり、自死された気持ちはよくわかる。しかし、小生は鬱にもならず、自死もせず、12年間勤めて、バブル崩壊直前に転職している。
この転職では、新入社員が突然辞めて、セラミックス事業を一緒にやってきた年下のセラミックス専門家も半年後転職するというのであわてて当方も転職するという流れだった。
この背景はすでにこの欄でも書いているが、電気粘性流体(ERF)耐久性問題を一晩で解決したところFDが壊れ始める怪談がある。それを研究所はオブジェクト指向ではないが隠蔽化したのである。
それで、新入社員はあまりの環境に驚いて会社を辞めたのだ。当方が写真会社へ転職後、福井大と共同研究を行うことになり、助手になっていた、この新入社員と偶然遭遇する。そして彼のおかげで福井大学客員教授になるのだが、このあたりの話も過去にこの欄で紹介している。
さて、始末書の話に戻る。この始末書は、世界初のホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作に大成功したことが原因であり、なぜ当方が始末書を書くことになったのか、その本当の理由を未だに知らない。
ホスファゼン変性ポリウレタンフォームが当時世界初であったかどうかは、Y.Kurachi,T.Okuyama and T.Ohasi,J.Materials Science ,24(1989)2761の論文を読んでいただければ分かる。工場試作に成功してから8年後に発表されたこの論文さえ、世界初と認められて掲載されている。
この論文では、工場試作されたポリウレタンフォームの物性が公開されている。世界初の高分子難燃化技術を企画せよと命じられて、プロトタイプを作ったところすぐに工場試作となり、不眠不休でホスファゼンとイソシアネートからなるプレポリマーを10kgほど合成している。
ゴム会社に存在しなかったホスファゼン合成技術を月給10万円の新入社員で獲得できたことを本来褒めるべき、と今でも思っているが、残業代がもらえないとわかっていても、率先して工場試作に間に合わせるように世界初の化合物を合成したその根性を褒めてくれても良いのに始末書である。
これだけでも当時ものすごく熱くなっていたことを覚えているが、ゆえに始末書を命じられた時のショックは、すぐに怒りに変わった。おまけに業務停止命令も出て、出勤すると図書室にこもらなければいけない日々となったのである。
ただ、図書室は竜宮城で、通い始めて二日目に受付の女性からお茶のサービスが出るようになった。最先端のコンピューターの雑誌があり、オブジェクト指向黎明期の論文を楽しく読んでいた。
この時の体験記が、「科学を超えて:オブジェクト指向とAIが拓く技術のDX」に書かれています。見本を掲載しましたが、是非アマゾン電子ブックを購入してご一読いただければと願っています。転職の原因となったERFの話も書いてます。
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以前この欄でデジタルトランスフォーメーション(DX)の実装について書いてきましたが、ゴムタイムズ社から3回の連載記事執筆の依頼を受けたのを機会に、本として出版しました。
今アマゾンの電子書籍で「科学を超えて:オブジェクト指向とAIが拓く技術のDX」というタイトルで販売しております。また、その見本を書籍サンプルとして弊社ホームページでも公開しました。
この本には、当方がゴム会社で新入社員時代に世界初の難燃化技術開発を上司から命じられ、短期間にホスファゼン変性ポリウレタン発泡体のプロトタイプを作りましたところ、すぐに工場試作の準備を続けて命じられました。
そして発想から5カ月もたたないうちに、世界初のホスファゼン変性軟質ポリウレタンフォームの工場試作に大成功します。これを上司が役員にプレゼンテーションして始末書をその場で役員から求められました。
このあたりの詳細はその場に同席させていただけなかったので噂話しか記憶にありませんが、上司が新入社員に書かせると答えたことで、会議の参加者が驚いたそうです。
早い話が、上司の責任を新入社員に負わせたのですから、皆さんあきれたのでしょう。成功すれば自分の成果、失敗すれば部下の責任、という輩は日本の会社に結構多いように思います。
そして、小生に始末書が命じられて、それが完成するまで業務停止まで言われております。仕方が無いので図書室に籠って始末書を考えるのですが、1日それを考えているのは、精神衛生によくありません。
幸いのことに、図書室担当女性が毎日お茶を出してくださいましたので、図書室通いは楽しみになりました。そこで見つけたのが当時のコンピューター技術の雑誌。そこでは、オブジェクト指向の初期段階の議論が載ってました。
アラン・ケイがSmalltalkを開発した直後であり、ーーーー詳しくは拙著をご覧ください。ここにはゴム会社を転職するまでのいきさつも赤裸々に描いてます。すなわち当方のDX奮戦記も書いてます。
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複合機能プリンター(MFP)には、ゼオネックスやアペルのようなポリオレフィン樹脂がレンズ材料として使用されている。レンズは射出成形で作られるのだが、これが結構歩留まりが悪い。
金型設計で歩留まりが変わるが、コストも変わる。これは生産技術に関わっている方なら理解されている話であるが、単純な話にはならない。
なぜなら、一回の射出成形で複数個生産できるように金型設計を行い、この一回の射出成形で合格品が多数採れる金型設計はノウハウとなっており、公開されていない。
一方、不良率を分類してみると、金型以外に材料の問題も浮彫になる。しかし、材料の問題は、トランスサイエンスとなる。おそらく、この20年間にこの状況は変わっていないようで、これに関連した質問メールが飛んできたりする。
年をとると、このような古い問題が未だに解決されていないことに喜びを感じたりする。若い時にはため息が出たりしたものだが、科学の進歩が50年前よりも遅くなっているような気がしている。
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PETやPC、アクリル樹脂、ポリオレフィン、その他の特殊なポリエステル樹脂など光学用樹脂は多数あるが、ポリオレフィン樹脂の伸びが著しい。
ポリオレフィン樹脂として、ゼオネックスとかアペルは2000年頃からレンズ用樹脂として市場成長し始めた樹脂だが、射出成型時にそれぞれの樹脂に問題が存在するが、公開されていない。
ゼオネックスは、ポリスチレンを水添した樹脂だが、面白いのはポリスチレンの性質を引きずっており、成形条件を検討すると、120℃以上のTgが85℃前後になる。
最初にこの実験結果を見たときにびっくりし、再現性を見るために押出成形機で押出を行い、低Tgの再現性を確認できた。
またゼオネックスもアペルも非晶性樹脂として知られているが、これは嘘である。溶媒に溶解して溶媒を飛ばしながらゆっくりと乾燥すると結晶化させることができる。
こうした性質を発見した時に、それぞれがレンズの品質問題と関係しているらしいデータを得たのだが、担当者は信じてくれなかった。
20年以上経過したので当時のデータを公開しようと考えている。これらの樹脂を使用していて、原因不明の品質問題に困っておられる方はご相談ください。
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ドラッカーは、貢献と自己実現を働く意味とした。また、二つ以上の異なる世界を持つようにアドバイスもしている。すなわち、組織で働く時間よりも人生が長くなった問題を論じていた。
昔植木等のスーダラ節が流行ったように、サラリーマンは適当に働くのがよい、という空気だったように思う。このスーダラ節はワークライフバランスの先駆けだったのかもしれない。
また、当方が新入社員の時に、よく主任研究員から趣味で仕事をやるな、と叱られた。一方でその仕事のやり方で、他の人よりも早く成果を出すことを褒められたりしている。
当時、始末書騒動で勉強したオブジェクト指向を業務に取り入れていたために趣味で仕事をやっているように見えたのかもしれないが、最後は主任研究員がそのやり方を皆に説明してくれないかと相談してきた。
しかし、非科学的方法であり、研究所では反感買いますよ、とお断りしている。実際に当方のやり方は、周囲から批判されていた。ゆえに主任研究員は、当方に学会発表の機会を用意してくださって、科学的方法で仕事をやっている、と周囲に説明してくださったりしている。
この主任研究員も当方の仕事のやり方を正しく理解している訳ではなかった。当方は当時ワークとライフは同じものであり、研究所にいる時にはオブジェクト指向で仕事を行い、独身寮ではその結果を科学的に組み立てなおしていた。
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葬儀を行わないで火葬のみを行う葬儀の形態を直葬というのだそうだ。ある僧侶の嘆きが記事になっていた。たしかに直葬が一般的になったら、僧侶の仕事の大半が無くなる。
父親の葬儀の時、警察関係者と親戚だけでご近所は一人だけだった。近所付き合いが20年無かったのと父親の年代の生存者が誰もいなくなったことが原因で簡素な葬式となった。
しかし、通夜からフル装備の葬式を行って満足している。おそらく葬式は遺されたものの満足感で決まるのだろう。死んでしまってから、誰が葬儀に来たのかなどということは考えることができないし、生きているときに想像も難しい。
仮に派手な葬式を遺言として残しても、誰も参列しなければ、恥をかくような想像をできる。コロナ禍3年目あたりから葬儀の連絡が入るようになり、参列するようにしているが、当方の知人が誰もいない葬儀や、閑古鳥が鳴いているような葬儀が多くなった。
コロナ禍が世の中の慣習まで影響を与えた、と思っていたら、わざわざ直葬を事業としている会社も現れたという。高くても数十万円しかかからず、ビジネスとして伸びているという。
ただ、不思議に思うのは、直葬の場合に遺された人たちの気持ちの整理をどのようにするのだろうか、という問題である。「偲ぶ会」というものを葬儀の後いつのころからか、行われるようになった。
若い時に葬儀にも出て、偲ぶ会にも出て学んだのは、故人との関係が薄い時には葬儀が便利であるということだ。偲ぶ会で笑いながら酒を飲んでいる風景を見るのは、どこか心の整理ができない時もある。
また、年末に喪中の連絡を受けたときに葬儀の連絡が無かったことに複雑な気持ちになったりする。特にお世話になった方の喪中のはがきにはいつまでも尾を引くケースがある。
直葬に対する僧侶の嘆きは経済的な香りがするが、直葬が一般化すると困る人も出てくるかもしれない。しかし、僧侶の嘆きの記事にはそのあたりが書かれていないので、これも時代の流れなのだろう。
僧侶は葬儀の形式を心配するのではなく、生きている人の精神状態あるいは心の在り方を考えるのが本来の仕事なのではないか。それが、葬儀のような式にだけ目を向けているので世の中の流れにおいてかれるのだ。
ハラスメントやワークライフバランスへの疑問が出て来た今、僧侶の仕事は多くなっているはずである。これが理解できない僧侶は僧侶としての資格が無いのではないか。
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MI(マテリアルズインフォマティクス)は、定着したか。日本で流行して10年、MIで新技術が生まれた、というPRは聞くが、ここだけの話も聞こえてくる。
タグチメソッドが日本に上陸してから35年になる。この手法は自動車業界はじめ技術で製品開発を行わねばならない分野で定着している。
新卒者向けのセミナーの依頼を受けたりするので定着していると思われる。弊社ではタグチメソッド解析用Pythonプログラムコードを吐き出すAI及びデータ管理プログラムを配布しており好評である。
しかし、MIについて相談を受けた経験が無い。弊社ではMIをDXの一つとして指導しており、タグチメソッドもMIの一種として指導している。
そもそもMIはデータオブジェクトを基に知を取り出す作業なのだ。データオブジェクトがどのようなものかMIを行わなくてもその姿を描く手法を指導している。これ以上弊社の指導内容を書かないが、高分子同友会の勉強会で一部その実績を公開している。
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始末書を命じた上司はお亡くなりになったが、お葬式に参列し驚いたのは、当時の同僚含め職場関係の人が誰もいない閑散としたものだった。ゴム会社の関係者のお葬式については、葬儀の連絡を受けると参列するようにしているのだが、大抵はゴム会社の関係者で賑わっている。
この上司は、新入社員の当方が楽しく仕事をしていると、「趣味で仕事をするな」と叱責するようなワークとライフを分離する職場教育をされていた。当方はドラッカーの著書の8割ほどを読んでいたので、働く意味について、貢献と自己実現という考え方だった。
最近インターネットで、日本を代表する大学の女性研究者が、「やりがい詐欺」に警鐘を鳴らしている発言をされていることを知った。この脳科学者によると仕事にやりがいを感じるのは良くないのだそうだ。
当方のゴム会社の12年間は、貢献と自己実現の12年間であり、自ら仕事にやりがいを見出そうと努力していた。昨日書いた始末書騒動でもそれにやりがいを見出すためにオブジェクト指向の論文を読んで始末書の内容を考えていた。
子供の頃、バカなことは休み休み言え、とわがままな当方は父親から叱られて泣いていた。母親は、今言っていることを一緒に考えようと優しく慰めてくれたので、気づきと学びで成長できた。
この習慣があったので、始末書を命じられた時に、バカなことを命じられたと思い休み休み考えるため、ソフトウエア工学の論文を読み始めたのである。考えることは好きだった。
しかし、バカなことと分かっていても始末書の内容について喜びながら考えることができなかったので、そこに楽しさを見出そうとソフトウェア工学の論文を手にしたのである。ただ、それだけのきっかけだったが、沼にはまった。
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未明の3時から会議を開催したことがニュースになり騒動になっている。約50年前、数日会社に宿泊し、工場実験用のホスファゼンを合成して、難燃性ポリウレタンの工場試作に大成功した新入社員時代を思い出し、世の中の変化に驚いている。
この工場試作の大成功がその後始末書騒動となり、新入社員なら査定に響かないから、という理由で、始末書を書くように命じられている。てっきり会社に宿泊してホスファゼンを合成したことが問題になっているのかと勘違いした。
数日会社に宿泊し工場試作の準備をしたことを反省しますと書こうとしたら、それは書くな、と言われ、結局上司が満足できる始末書の内容になるまで、業務停止し、始末書の内容を数日考えていた。
始末書の内容を考えるために図書室に籠ったところ、図書室でソフトウェア工学の面白い論文を見つけた。オブジェクト指向の黎明期であり、アルゴリズムとデータをどのように扱うのかが問題となっていた時代である。
世界初のポリウレタンを開発せよと言われ、その工場試作に大成功したところ、始末書を書くことになったのも、難しい問題ならば、アルゴリズムとデータの扱いも難題だった。
図書室に籠り、オブジェクト指向と始末書の内容を考える地獄にはまった。ホスファゼン変性ポリウレタンについてオブジェクト指向で記述したところ、ホウ酸エステルとリン酸エステルの組み合わせ難燃剤の企画を思いついた。
結局始末書はこの新しい企画のシーズとしてホスファゼン変性ポリウレタンの工場試作が必要だった、という内容でまとめて騒動が終結している。これは今から考えると若さゆえの頭の柔軟さだと思っている。
今なら始末書を命じられた時点で辞表を提出している。約50年前、なぜこのように素直に始末書を考えて書こうとしていたのか、不思議に思うことがある。しかし、初心に戻って思い出してみると、働くことに純真で考え方が健全だったことに気がついた。
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