マイクロソフト製品の普及で、実験データをExcelで整理保管されている人が多いと思う。しかし、データの再利用という観点でExcelによるデータ整理は、時代遅れとなった。
科学の視点で実験を行い、グラフを書く、というこれまでの方法だけで技術者が仕事をする姿は、恐らく10年後には見られなくなるかもしれない。
過去の膨大な実験データを再利用し、解析しなおして、データマイニングする。そして不足している知を補うために新たな実験を行う、という手順で仕事を進めるようになるのではないか。
これまで、過去の実験データを解析したくても、解析方法が分からなかった、という人が、もう悩まなくてもAIエージェントに任せれば、データを解析するプログラムコードを出力してくれる。
すなわち、こんなような情報整理をして欲しい、と頼めば、自動で解析してくれる時代になったのだ。但し、まだ依頼方法には少し工夫が必要だが、相手は文句を言わないので、試行錯誤で何度も頼んでいるうちに希望通りの答えが得られる。
このとき問題となるのが、実験データの管理である。弊社では、AIエージェントに活用できる実験生データを整理するツールを開発した。
このツールでは、実験データをメタデータとともに保存し、保存後必要ならばExcelファイルを出力することもできるので、AI時代にExcelを補完するツールでもある。ご興味のあるかたは問い合わせていただきたい。
実験データの扱いには、10年ほど前にFAIR原則が公開されたが、この規格でもメタデータの扱いが不十分で、これをAIに自動で理解させられるような仕組みを特許出願している。この特許に関心のあるかたもお問い合わせください。
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Claude CodeやCodexは、指定されたゴールに対して、自律的に行動し、それを達成するAIエージェントとして注目されている。
AIエージェントが成立するためには、ゴールに向かって論理的な展開が可能な知でなければならない。ゆえに、プロンプトによりうまく動作しないことがある。
ややコツが必要であるが、プログラムの自動コーディングは、かなりの成功確率で実現できるので、いまやプログラマーの必需品となりつつある。
ゴム会社の新入社員時代にホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作に成功し、始末書を書かされた問題は、当時の主任研究員が故人となったので永遠にその理由が不明となった。
葬儀の日は他の予定が詰まっていたので、お通夜に参列したが、ゴム会社からの参列者は、ご親族以外にいなかったのでびっくりした。
この件についてはこれ以上書かないが、始末書を指示された本部長は、科学に対し厳しい方だったので、当時の科学知識の状況から工場試作の成功を理解できなかった可能性がある。
今注目されているAIエージェントも似たようなところがあり、プロンプトが悪ければ、ハルシネーションを起こす。しかし、プログラムのコーディングでは定型コードが多いので、曖昧なプロンプトでも成功することがある。
一方、タグチメソッドの解析プログラムは、かなり細かい指示をプロンプトに記入しても正しいコードを生成しない場合がある。
これは、故田口玄一先生が「基本機能の選択は技術者の責任」と言われていたように、システムと基本機能が理解されないと正しくSN比が計算されないためで、当方が始末書を書かされた状況と似ているのではないかと想像している。
新入社員として研究所に配属され、混練の神様のような指導社員に出会ったが、この方のご指導やぼやきは、今の時代にも十分通用する。グループが突然解散することになって、配属3か月で高分子合成研究室に異動となった。
その時、世界初の研究を、と言われ、半年もせずホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作を成功させた。世界初というゴールを達成し褒められるかと思ったら、始末書を命じられた。
この時の思い出は、悔しさもあり忘れることはない、と当時図書室に籠りはじめたが、美女のサービスでお茶が出てきたり始末書の噂で駆け付けた女性からコンピューター雑誌の楽しい話を聞けたりして忘れていた。ところがCodexがうまく動作しないので、トラウマではなくデジャブとして始末書の記憶がよみがえった。
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始末書を命じた上司もどのような内容で書いたら良いのか分かっていなかった可能性がある。本部長から、始末書を書け、とメッセージが出され、それをそのまま当方に送ってきただけであった。
だからオブジェクト指向にはまった可能性がある。始末書というオブジェクトのふるまいを理解していたので、上司は自分で書きたくなかった。課長補佐格の部下は昇進を控えていたので、書かせることはできない。
指導社員の女性に相談したらしいが、指導社員の女性は、上司である課長補佐格の方が書けないものを私は書けない、と言ったそうである。そして、当方に始末書を書く役割が回ってきたのだが、始末書のプロパティーやメソッドが不明だった。
人事部の同期に相談したら、新入社員2年間は査定がつかないから適当に書いておけばいい、というだけである。これを主任研究員に告げたら、適当では困ると叱られた。そして、図書室に籠って考えてこい、となったのである。
図書室には始末書の書き方などという書籍はおいてなかったので、会社の近くの本屋で探したら「人に聞けない書類の書き方」という本を見つけた。
ケース別に始末書の書き方が整理されていたが、本部長の訓示にそった成果を出して書く始末書という項目は無かった。
おそらく今でも成果を出して始末書を書け、と言われたら困る人が多いと思うが、上司は、プレゼンの失敗を認識していたので、当方に始末書を命じるのも本心は困っていたのだろう。
ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作を反省し、成功した(注)ポリウレタンフォームのふるまいから、既存のリン酸エステルと新たに合成するホウ酸エステルが燃焼時の熱で反応して、ホスファゼン以上に耐熱性の高いガラス生成を目指した世界初の難燃化システムを開発する、という内容の始末書で上司だけでなく本部長も納得したという。どのように上司は説明したのだろう?
(注)成功した、という言葉を入れるかどうか揉めている。人事部に送付された表紙では、この部分に二重線が曳かれ、「この」となっていた。始末書というオブジェクトに「成功」というプロパティはおかしいと判断されたのだろう。そもそも始末書がおかしい、とは議論されなかったのか?
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当方の学生時代に推論を中心にした第一次AIブームがアメリカで起き、逆向きの推論の重要性が議論されていた。コーリーは、有機合成デザインの方法論としてこの成果を用いて、「逆合成」という考え方を発表している。
大学二年生の時に受講した伊藤健児先生の授業でこれを学んだのだが、衝撃的な講義だった。もっと学びたく思い、第一次AIブームについて図書室で勉強している。
日本では大きな話題にならなかったこのブームであるが、情報工学の重要性が叫ばれて、情報工学科設立ブームが当時の日本で始まっている。すなわち、AIブームが刺激となってAI工学科ができたのではなく情報工学科設立ブームとなったのである。
その結果、第二次AIブームが起きた1980年代は、アメリカで多層パーセプトロンの理論確立や第一次AIブームの成果となるエキスパートシステム「知識ベース型AI」が産業に応用されているときに、日本で頓珍漢なコンピューターに関する国家プロジェクトが生まれている。
余談だが、第一次AIブームより前にソビエトで生まれたTRIZも知識ベース型AIと見なすことができる。いずれも今実装が急激に進んでいるパラダイムと異なるAIである。生成系AIを生み出した第三次AIブームではアメリカにおいて科学ではありえない大きなパラダイム変換が起きていたのだ。
その前に起きた第二次AIブームの日本では第五世代コンピュータープロジェクトが国研として推進されているのだが、アメリカで起きつつあるこのようなパラダイム変化に注目していなかったので、アメリカのコンピューターに対する考え方と大きく異なる内容のプロジェクトとなった。
この大失敗は、当時の日本が科学こそ唯一の問題解決法と硬直した考え方に囚われていたことと関係しているのではないか、と思っている。
たまたま、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作成功で始末書を命じられ、図書室に籠っていて、アメリカで生まれたばかりのオブジェクト指向の議論に接した経験からそのように評価している。
日本では、雑誌「アスキー」やコンピューター雑誌で1980年代中ごろにオブジェクト指向が話題となり、特集が毎年組まれたりしているが、その数年前のアメリカではSmalltalkが生まれた。ソフトウェアの進歩に日本とアメリカにおいて大きな時差があった。
東京工業試験所(当時)からゴム会社へ転職し役員となっていた研究開発本部長は、科学の研究指導者として優れていたかもしれないが、アメリカとのこのようなソフトウェア時差をご存知なかった。
もっとも、日本のコンピューター関係の研究者さえ、第一次AIブームで右往左往し、第二次AIブームでは第五世代コンピュータープロジェクトを推進していたのだから、高分子化学の専門家である本部長が科学以外の問題解決法として生まれたオブジェクト指向をご存知なくても仕方がない。
当方も化学技術者を職業として目指していたので、日本で情報工学科設立ブームがあっても興味は無かった。しかし、何を書いたら良いのか不明の始末書を書けと言われ、科学的に答えを出すのは難しいので、日本ではまだ注目されていなかったアメリカで生まれたばかりのオブジェクト指向に飛びついた。
そして、上司の主任研究員に始末書をどのように書いたら良いのかという説明から始めるために、オブジェクト指向の論文を持ち出して説明したのである。なぜか、これが主任研究員のツボにはまった。
初期の昭和歌謡としてスーダラ節は有名で、同時に上を向いて歩こうも大ヒットしている。主任研究員は、上を向いて仕事をしていたヒラメであり、本部長に認められる始末書を書きたいと思っていたようだ。
毎日、本部長が納得するかね、というのが口癖だった。始末書を当方と打ち合わせているときにも、本部長が納得するかね、という言葉が出た。
新入社員の当方に言われても答えるのに難しい問いかけである。ソリューションを導き出す先端のオブジェクト指向であれば大丈夫、と今から思い出すと訳の分からないことを回答している。
<参考>
来週25日(月)に技術情報協会で開催される高分子の難燃化技術に関するセミナーでは、この時開発されたホスファゼン変性ポリウレタンフォームの燃焼時のふるまいを基に考案した新規ノンハロゲン難燃化手法の説明とともに、オブジェクト指向はじめデータサイエンスについて分かり易く簡単に解説する。詳細は弊社へ問い合わせていただきたい。割引サービスがあります。
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ホスファゼンは3量体だけが開環重合し、高分子量化する。この研究はアメリカのオールコック博士が発見し、4量体以上の環状では重合しないと言われていた。
そこで梶原鳴雪博士は、環状のまま重合する研究を行っていた。しかし、高分子量化は難しく、当方が修士課程を卒業後ゴム会社就職までの3週間に行った実験で、世界初の環状高分子量体の開発に成功したことを大変喜ばれた。
これは、当方のアイデアで当方の実験による成果である。この時の経験知でポリウレタンの主鎖にホスファゼン環を導入することに成功したのだが、本部長はそれを信じなかった可能性が高い。
主任研究員は世界初の成果として説明したのだが、本部長は信用せず、始末書を命じたのではないかと当方は勝手に想像している。なぜなら、このような想像で、ホウ酸エステルとリン酸エステルの組み合わせ難燃化システムの新たな企画が始末書として認められたことを説明できるからである。
おそらく、今ならば本部長の判断を笑う人がいるかもしれないが、昭和とは、そのような時代だった。第一次AIブームがアメリカで起きても日本ではあまり注目されなかった。
シクラメンの香りが流行した時、当方は大学4年生であり、卒論として逆合成によりデザインしたシクラメンの香りの全合成を卒論として選び、アメリカ化学会誌に投稿している。
このテーマは、第一次AIブームの時のコーリーの研究が元になり企画されている。シクラメンの香りは大ヒットしたが、アメリカの第一次AIブームは日本でほとんど話題になっていない。
企業では科学による研究開発を推進するために空前の研究所ブームが起き、前向きの推論が唯一の推論方法であり、第一次AIブームで話題になった逆向きの推論は、日本で刑事コロンボがヒットした程度である。
ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの設計は、逆向きの推論の成果であるが、環状ホスファゼンの高分子量化は困難と言われていた時代に、前向きの推論以外の方法を知らなければ、高分子量体が合成された事実を否定したくなるのももっともである。
生まれた時が悪いのか、それとも俺が悪いのか、とは、非情のライセンス主題歌昭和ブルースの一節であるが、スーダラ節のあと流行した歌は、暗い歌が多かった。
横浜、黄昏、ホテルの小部屋、と歌い始めて、最後は、あの人はもう帰らない、となる。横浜から黄昏の推論はよいが、黄昏からホテルの小部屋を推論するには昭和の時代が分かっていないと難しい。
生成系AIの推論動作を一言で表現するならば、「過去の文脈から、次に最も整合的な状態を逐次生成する確率過程」となり、昭和の時代は、整合性が取れれば、それで泣く人がいても皆が納得した時代である。
本部長が、科学の世界で環状ホスファゼン高分子は重合が難しい、と信じていたなら、それを簡単に成功させたことは間違いだ、始末書を書け、は、それなりの整合性がとれたので、主任研究員は新入社員に書かせることで納得したのかもしれない。
<参考>
来週25日(月)に技術情報協会で開催される高分子の難燃化技術に関するセミナーでは、この時開発されたホスファゼン変性ポリウレタンフォームの燃焼時のふるまいを基に考案した新規ノンハロゲン難燃化手法の説明とともに、オブジェクト指向はじめデータサイエンスについて分かり易く簡単に解説する。詳細は弊社へ問い合わせていただきたい。割引サービスがあります。
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毎朝書きにくいことを書いている。この目的は、企業の研究開発で生まれる実験の生データから実験者のディープスマーツも含め暗黙知に相当するものを取り出せる可能性が出てきたことを伝えたいからである。
50年近く前にゴム会社で出会った、混練の神様のような指導社員は、このことに気づいており、当方に実験生データ管理が最も重要と教えてくれた。研究報告書は、科学に基づき書かれており、当たり前のデータが選ばれ書かれているので、誰も参考にしない。
この点を研究所の担当者は誰でも気づいており、企画調査段階で図書室に保管された研究報告書を利用する人はいない。
それでは、過去の技術調査はどのように行うのか。皆、文献検索でこれまでの技術を調査している。少し仕事のできる人は、大学の研究者へヒアリングする。わざわざそれを理由に海外出張する主任研究員もいる。
もっと仕事のできる人は、文献検索の前に過去にその技術に近い仕事を担当された方を探し、ヒアリングを行ってから文献検索する。
さらに仕事のできる人はどうするのか。ゴム関連の技術であれば、可能な限り手に入る週報を集める。生データに近い情報に触れることができ、当たり前ではないデータを見つけることができる。
高分子材料の研究開発では、当たり前ではない実験データに着目すると、新たな発明が生まれる、という発明のコツまで教えてくれた。
ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作成功で始末書となった理由は、学会で議論がされているような先端技術を簡単に量産できるはずはなく、新入社員は何か間違いを犯した、という評価を本部長がなされた可能性がある。
当時始末書の悩みを周囲の先輩社員に相談したときに、混練の神様は、このように説明して当方を慰めてくれたのだが、今から思い出すと冗談ではなく、本当だった可能性が高いと内心思っている。
目の前に量産ラインで試作されたホスファゼン変性ポリウレタンフォームがあっても、本部長は信用できなかったのだろう。本部長は高分子合成の専門家で、ホスファゼンについても知識を持っておられた。
その知識から、半年もかからず新入社員が簡単にホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作を成功させた事実を信じることができなかった可能性がある。これは、その後高純度SiCの企画を提案した時にもフェノール樹脂とエチルシリケートのχを知っておれば、成功するはずがない、と力強く否定されていた。当方が立ち上げた(注)、この技術は今も事業として続いているがーーーー
昭和の時代は、このような研究所リーダーがいたのである。
(注)故無機材質研究所猪股総合研究官の手紙が証拠として残っており、当方の大切な宝であるとともに、技術がどのようなものであるのかを考える時の参考書になっている。
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ゴム会社から写真会社へ転職して驚いたのは、実験ノートを企業が貸与し、人事異動など組織から出る時にはその実験ノートを職場に返却するシステムである。
転職先は、新設された高分子技術の研究センターだったが、その前身となる職場の実験ノートを保管している倉庫があって、その管理は、当方の仕事になった。当方は左遷されるまでその仕事を行っていたが、カメラ会社との統合後この仕組みは無くなったようだ。
豊橋の元カメラ会社の研究所へ単身赴任した時に、この仕組みについて上司であるセンター長に相談したら、今はファイルサーバーに実験データは保存され管理されているとの説明をされた。
PPS半導体無端ベルトの押出成形開発で生み出された実験データは、ファイルサーバーに眠っていた。Excelで作成されていたので、誰でも閲覧できたが、残念ながら実験データ含め各種ファイルは個人のディレクトリーに保管されており、自由に閲覧できるはその個人の管理権限を有する管理職だけだった。
但し、デザインレビューやその他プロジェクトで重要な会議の議事録などのファイルについては、担当者まで閲覧できるディレクトリーで管理されていた。
ゆえに、単身赴任が決まってセンター長への挨拶が終わるや否や赴任先のファイルサーバー管理担当者にお願いし、半導体無端ベルト研究開発で使用されたExcelファイルすべてを特別な一時ディレクトリーへコピーを保存してもらった。
そして、単身赴任前の2週間ですべての実験生データを閲覧したのだが、その時使用したのはVisualC#である。今ならば、Pythonで当時より簡単にできる。
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ゴム会社新入社員時代のわずか3カ月間だったが、混練の神様のような指導社員は歴史に耐える技術指導を当方にしてくださったのかもしれない。
「研究報告書を課長から依頼されるまで書く必要はない」と、当方に言われた。また、週報は可能な限り、後日読んでも分かるように書け、実験生データは研究職をしている間は、大切に自分で管理し保存せよ、とも指導された。
この指導は、当時の研究所の書類管理の指針からは逆の方針に感じていたが、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作に成功した時に始末書を命じられ、その深い意味を理解した。
課長に命じられて1週間図書室に籠って始末書を何度も書きなおしていた。しかし、納得できないのは、納期を指示され休日まで返上し工場試作用のホスファゼン合成を一人で行っている。それにも関わらず、量産試作を成功させた報告書ではなく、始末書を命じられたのである。
また、それをどのような内容で書くべきなのかも説明されず、毎朝「書けたのか、書けたのか」、と責められた。最初に指示された時に始末書ではなく研究報告書を提出したら、「そんなものは後でもよいから、図書室で始末書を書いてこい」と言われている。
アメリカのオールコックや梶原鳴雪が研究論文を競っていた時代に、世界初のホスファゼン変性ポリウレタンフォームの量産試作に成功したのである。新入社員として配属された時に、本部長から当方に言われたミッションに対して短期間に成果をだした大切な研究報告書だったはずである。
しかし、本部長から急かされている、と毎朝課長に脅されて始末書を書きながら、世界で初めて工場試作に成功した研究報告書よりも大切な始末書とは何だろう、と頭が混乱した。
研究段階で低発煙の難燃剤として注目され始めた技術について世界初の成功をまとめた研究報告書よりも重要な始末書をどのような内容で書いたら良いのか、課長はその方針すら説明できず、「書けたのか」、と毎朝責めるだけである。
指導社員に質問しても、課長補佐格の方に相談しても、課長以外答えられない内容だという。人事部の同期に相談したら、新入社員時代は査定に影響しないから命じられたのではないか、という。
始末書の回議先に人事部も入っていたので、始末書の扱いがどうなったのか知らせてほしい、と同期にお願いしている。
後日談として、企画書を添付した始末書が人事部に回議された時には、企画書は無く、表紙だけが回議されていたそうだ。今ならば組織的なハラスメントである。
ただ、図書室に籠り始めた時に、美人の受付嬢がお茶を出してくれたり、図書室の隣のコンピューター部の女性スタッフが噂を聞き、最先端のコンピューター情報を知ることができる雑誌を紹介してくれたり、と始末書の噂がきっかけとなり幸運な出来事が続き、激しいハラスメントもそれほどの精神的負担にならなかった。
そもそも新入社員の2年間は査定も残業代もつかないので、力いっぱい仕事をするようにと、研修期間中人事部が言っていたことが嘘だったことをその後知ることになる。
この始末書騒動では、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの難燃挙動のふるまいをもとにして、論文で初めて知ったオブジェクト指向の練習を行いながら(注)企画したホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの企画書を新入社員テーマとして提出し、課長に承認を受けて終結している。
しかし、今でも始末書を書かなければいけなかった理由や、なぜ当方が書かなければいけなかったのかという理由を理解できていないだけでなく、その課長は3年前に他界したので永遠の謎になった。
1週間仕事を止められて、図書室に籠って内容不明の始末書を書かされるような処分は、サラリーマンとして将来が危ぶまれる危機なのだが、無機材研に留学した年に受験した昇進試験で落とされるまで研究所という組織とそれを管理する本部長の恐怖をあまり深く考えなかった。
この時の本部長がまっとうな本部長に交代したときに、ホスファゼン変性ポリウレタンホームについて学会誌への投稿を命じられているが、この時に神様のような指導社員が言っていた「実験生データを自分で管理する」重要さに気がついた。
本来は企業資産となるべき実験生データは、当時の研究所ではゴミ扱いだった。週報や月報、研究報告書のように保管期限の設定は無かった。実験ノートの習慣もなかった。
神様のような指導社員は、3か月間毎日午前中をゴム技術に関する座学として当方を指導してくださったが、その時教材となっていたのは、指導社員の実験ノートとして使用されていた材料メーカーからサービスとして年末にもらっていた手帳のコピーだった。
実験の生データと、専門であるレオロジーのシミュレーション結果との対応を丁寧に解説してくださって、ゴムのクリープを説明できないダッシュポットとバネのモデルではあるが、ゴム技術者として身に着けておくべき重要な経験知として指導してくださった。
すなわち、実験の生データには、その実験を行った人の思想やスキルが詰まっている。これは知識労働者の時代では重要な企業資産であることをこの時知った。しかし、その重要な企業資産を個人で管理するという、今の情報管理の視点からお粗末な状態だった。
一方で、神様のような指導社員が無駄な書類の筆頭に挙げた研究報告書は、人事評価にも活用される重要書類だった。そして図書室の奥のスペースに大切に管理されていたが、誰も利用していないのでホコリを被っていた。
お茶を出してくれた美人の受付嬢に研究所の報告書について尋ねたところ、期末に研究報告書の件数をまとめる以上の指示を受けたことが無いという。
さらに、図書室の奥に保管していて誰も利用していないので、年末の大掃除で古いものを廃棄しようとしたら、永久保存書類と注意されたとのこと。
今、これがどのような管理状態か知らないが、転職して、研究報告書と生データの管理について企業で考え方が異なることを知った。
(注)課長にオブジェクト指向について書かれた英語論文の該当箇所を示しながら、始末書の説明をしていたが、かなり無理なこじつけである。しかし、それを熱心に聞いていたので、毎朝異なる英語論文片手に始末書の相談をしている。課長は始末書の内容について具体的に指示してくれないので、当方はオブジェクト指向で始末書のふるまいについて説明していた。そのふるまいの説明が課長の始末書に抱いているイメージと異なると書き直しとなる。書き直すときに、どのようなプロパティーと機能を始末書に持たせたらよいのか質問すると、それを考えるために図書室で調べろと課長は命じるだけである。今思い出すと、アンジャッシュの漫才のように思い出され、滑稽な光景であるが、当時は真剣だった。おそらく、課長は当方の説明を理解などしていなかったのだろうが、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの企画が不思議にもまとまった。そして、それを新入社員テーマとしてまとめたい、という反省文を書いている。なぜ、これが始末書として承認され人事部まで回覧されたのか未だに謎である。
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昨日の話を再度書く。
量産まで半年しかない量産試作段階に、カオス混合プラントを立ち上げて、押出成形歩留まりの問題解決をしたいのだが、コンパウンドメーカーから混練条件等教えてもらえないどころか、そのための実験をやっている時間など無かった。
また、工場建設するためには、子会社社長の承認や、予算獲得のための役員への説明など様々な社内調整の手続きが必要で、そのために使用する実データが必要だった。
実はカオス混合プラント建設のために当方が新たに行ったのは、Wパーコレーション転移のシミュレーションだけで、このシミュレーションの検証にはデザインレビューにも使われなかった5年間誰も注目しなかったゴミデータを用いている。
デザインレビュー含め、社内調整用資料に用いた実験データには、当たり前だがゴミデータとは記載していない。過去の闇実験で得られたデータ、として説明し、その実験が行われた日時含め詳細なメタデータを添えている。
それら闇実験データがシミュレーション結果の正しさを説明している、とプレゼンテーションを行ったので、新たな押出成形実験は不要だった。
すなわち、5年間誰も注目しなかったゴミデータが記載されたExcelフィルが、コンパウンド工場建設の承認を得るために重要だった。これは、技術が進歩してファイルサーバーでデータ管理している成果であるが、ファイルサーバー登場前には大切な企業資産が捨てられていたことに多くの人は気がついていない。
こうして歩留まりが10%前後しかなかった問題を100%にする成果を出しているのだが、注目していただきたいのは、過去のデザインレビューとか月報とかの組織で承認されたデータなどすべて無視して過去の実験生データだけで成果を出していることである(注)。
これは、科学の時代ゆえに起きている問題だが、この点については後日のべる。おそらくもう少しAIが進化し、研究開発プロセスに浸透すると誰もが気がつく問題である。50年近く前にゴム会社で3か月間ご指導いただいた当方の指導社員は気がつかれていた。まさに神様である。
(注)プレゼンテーションでどのような説明を行ったのか、想像していただきたい。ここでは書きにくい内容である。また、その後当方が無名の中国ローカルコンパウンドメーカーと環境対応樹脂について開発できたのかもご理解いただけるかもしれない。コンパウンドの品質問題で困っておられる方は、コンパウンドメーカー含め、弊社へご相談ください。
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不思議に思ったのは、5年間のExcelファイルにパーコレーションというフレーズが一度も用いられていなかったことである。コンパウンドメーカーとの議事録をC#プログラムで検索しても見つからなかった。
また、コンパウンドメーカーの混練の説明にはカオス混合というフレーズや伸長流動というフレーズも用いられていなかった。
導電性微粒子を絶縁体高分子に分散して半導体材料を設計するときに、パーコレーション転移の制御を行うことは、1990年代に当方が日本化学会で講演してから常識になっている、と思っていたが、高分子技術では国内トップクラスの企業にも注目されていなかった事実に愕然とした。
カオス混合については、ゴム会社で防振ゴム用樹脂補強ゴムの開発を担当した3か月間に指導社員から知識と技術を伝授されていた。
さらに宿題として二軸混練機で実現する方法のアイデアをライフワークとするように言われていた(これは指導社員がロール混練に夢中になっていた当方に笑いながら命じられたことである(参考))ので、30年近くあれこれと暇なときに考えていた。
5年間の半導体無端ベルトの実験生データや多数の会議の議事録をC#で作成したプログラムで解析し、コンパウンドメーカーとの共同開発でパーコレーション転移の議論がなされていなかったことや、混練技術について分散混合と分配混合による議論しかなされていなかったことを理解できた。
すなわち、5年間に考えられるすべての策が検討されたわけでなく、重要なパーコレーション転移の制御技術やカオス混合技術についてコンパウンドメーカーの技術者含め知らなかった可能性が高く(注)、量産試作段階に問題解決できる確信を得た。
そこで、混練技術の経験がある若手技術者を中途採用し、定年前の技能員を一人加え、カオス混合プラント立ち上げプロジェクトチームを編成し、コンパウンドメーカーの許可も得て、ライン立ち上げに着手した。
すでに量産試作段階だったので、ライン建設はじめ様々な業務について、関係部署や経営の許可を得る必要があった。それらは、上司であるセンター長が全て対応してくださって、当方は中古機を集めてラインを立ち上げことに専念できた。
但しQMSの制約から、配合の変更は不可能であり、QMSに登録されている場所でのコンパウンド生産もQMSの変更作業などに時間がかかるので難しかった。
運よく静岡にQMS未登録の子会社があり、そこの敷地でコンパウンドラインを立ち上げると、コンパウンドを外部購入する量産段階のサプライチェーンを変更しなくてもよいことを品質保証部長から教えていただいた。
一番問題となったのは、コンパウンド技術である。コンパウンドメーカーはコンパウンディング条件を教えてくれなかった。そこで粘弾性測定実験を行い、混練条件を推定した。
カオス混合方法は、新入社員時代に出された宿題を思考実験で解決していたので、それを実戦で使えるかどうか確認するだけだった。幸運だったのは、5年間のデザインレビューには使用されていなかった、実験生データに答えのメタデータが幾つか思考実験の答えと一致していた。
すなわち、成形後の不良品ベルトを集めて再練りし、押出成形を行った実験では、半導体無端ベルトの面内抵抗変動が小さくなっていた。
さらに、不良品ベルトの押出条件その他のメタデータとサンプルが残っていたので、解析や分析を少し行い、Wパーコレーション転移の制御シミュレーションを実証するデータとすることができた(データの捏造ではない。未制御状態のWパーコレーション転移をしているサンプルを見つけたのである。そのサンプルではTgが一つしか観察されなかった。単身赴任前のあいさつで出張した時に、これを現場で観察していた話を以前この欄に書いている。)。
すなわち、カオス混合のコンパウンドライン設計のためにコンパウンディング条件を確認する実験は、粘弾性試験以外行っていない。組織内の検討会でも用いられなかった5年間のExcelファイルに残っていたゴミデータから情報を拾い集め、カオス混合ライン建設のためのデザインレビューを行っている。
(注)2005年にカオス混合の説明をコンパウンドメーカーに行っている。その結果、当方のビジョンを説明する前に勝手に工場建ててみろ、となったのだが、不思議なのは、その3年後から10件近くカオス混合技術についてこのメーカーから特許が公開されている。
(参考)今の時代は、年上の社員が若い社員をからかうと問題にされるが、昔はいじめやハラスメントは常識で、1990年頃まで他人のFDをいたずらして実験を妨害していても事件とされなかった。また、業務中に休日ゴルフに備えクラブを振り回して天井の蛍光灯を壊した**は今ならばセクハラ上司と言われるような行為があった、と女性指導社員から笑い話として教えられた。誠実さの欠けた上司でも耐えなければいけない、新入社員はコミュニケーション能力以上に強いメンタルが要求された時代だった。ゴム会社の上司の葬儀に参列した時に、同僚にもなっていない人が、「若い時にイジメて悪かった」と頭を下げてきた。当方は多くの人にいじめられていたので、その方のいじめなど忘れていたが、それがきっかけで忘れていた知識を思い出した。セクハラやパワハラが良かったと肯定しているのではない。優しく経験知を教えてくれる人などいなかった。それゆえ、学ぶ方も必死にならなければいけない時代だった。学びのために神経をすり減らしていた時代と言えるのかもしれない。
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