ゴム会社における高純度SiCの事業化テーマを担当し、様々な人間模様を見ることができた。企業でイノベーションを行うにあたり、技術以外の学ぶべきことが多かった。また、ベンチャーからスタートした会社の独特の企業風土の効果も実感した。留学の時にお世話になった人事部長はじめ本社の管理職の方々は、皆新事業に未来の夢を描かれていた。
なぜか研究所には夢は無く現実路線であり、平社員の立場でイノベーションを起こしにくい環境となっていた。しかし、自分の意思を貫き、無機材質研究所へ留学したところ、I総合研究官との出会いなど多くの社外の人脈が得られ、高純度SiCの事業化を成功させることができた。
電池の仕事を手伝っていたときに、高純度SiCの仕事を辞めるように上司から勧められた。さらにFC棟のすべての設備を廃棄し、電池の生産ラインの場所として空けるように命じられたこともあった。しかし、すべて従わなかった。必ずしも直属の上司から見て給与を増やしたくなるような社員ではなかったはずだが、それでも給与は下がらず上がっていた。
高純度SiCの研究予算は、研究管理部の部長から毎年期初にいただいていた。ここでは書けない方法で決められた予算は、死の谷を歩いているとは、いいにくい金額だった。6年間の苦労の期間は、死の谷ではなく天国だったのかもしれない。
大会社でイノベーションを起こそうとするときに、それに反対する人は社員の中に必ずいるものだが、イノベーションを起こそうとする人は反対勢力に目を奪われてはいけない。経営者や支持者の気持ち、その期待や夢をいつも考えるべきである。
イノベーターが自己の立場のみ考えたなら、企業におけるイノベーションは失敗する。反対勢力に配慮が足らない態度と映るかもしれないが、反対勢力というのはイノベーションを継続している限りその反対姿勢は変わらないので、むしろ継続の強い意志を萎えないようにすべきである。
他の事例ではあるが、ブルーレイの発明では会社から追い出されたような形にイノベーターは置かれている。しかし、当方は事業に良い影響が出るように自ら判断し転職をしたので会社から追い出された気持ちをもっていない。それゆえ、半導体治工具の基本特許はじめいくつかの特許の報奨金もゴム会社に請求していない。
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大会社であったが社長の意思決定は早かった。すぐにパイロットプラントの建設が始まった。1984年はあわただしかった。このパイロットプラント(FC棟)の竣工式の日に上司が他界し、竣工式の翌日が葬式となったためである。新設されたパイロットプラントでは10kg/日の横型プッシャー炉(特許技術)が稼働し、高純度SiC粉体の量産検討が開始された。
しかし、すぐに大きな問題に遭遇した。マーケットが無かったのである。その後6年間ほどいわゆる死の谷を歩くことになるのだが、当時新規事業として、電池とメカトロニクス、ファインセラミックスの3本柱が動いており、ファインセラミックスは最初に失敗に近い烙印を押され、早い段階で担当は当方一人になった。
すでにパイロットプラントまでできていたので、6年間は細々と市場調査を行いながら、電池とメカトロニクスのテーマを手伝っていた。そのうち電池の事業撤退が決まり、電気粘性流体を中心にしたメカトロニクスと高純度SiCのファインセラミックスが残り、電気粘性流体のお手伝いを中心とした仕事になっていった。
この時電池の電解質用難燃剤技術の基になったホスファゼンオイルの発明や、高い電気粘性効果を発揮する傾斜組成の粉体、超微粒子分散型微粒子、コンデンサー分散型微粒子などの電気粘性流体の技術を開発することができた。これら技術開発を担当できるようになったのは、電気粘性流体の寿命問題を早期に解決したのでエンジン部分の技術も任せて頂けた。ゆえに主担当は高純度SiC技術だったが、周囲からは電気粘性流体の中心人物のように見られていた。
高純度SiCのテーマが会社の中でほとんど忘れられたテーマとなっていた時に、住友金属工業とのJVを推進したところ、FDディスクが壊れ始めた。最初の2枚は、事故だと思っていたが、住友金属工業と半導体用治工具開発を共同で進める契約が締結され、順風満帆となったところで、犯人しか触れることのできないFDの内容を当方のFDにべたコピーするという暴挙で、当方の大事なデータがいっぺんに紛失する事件が起きた。上司にFD破壊は事故ではなく、人為的な事件であることを相談した。
ちょうど湾岸戦争がはじまったころである。ところが事件の収拾を行い高純度SiCの事業を継続するためには被害者である当方が会社を辞めざるをえない状況になった。留学していた時の人事部長はすでに本社にいらっしゃらなかった。会社は買収したアメリカの会社の立て直しのため、新規事業に注力している余裕など無いときだった。
電気粘性流体は、買収した会社とのシナジーを生かせるテーマとして重視されていた。状況を判断し、当方が会社を去る決意をした。すぐに業務引き継ぎのためプロジェクトグループが創られ、事業を開始して30年近くの現在まで高純度SiCの事業は継続している。しかし、電気粘性流体の事業は当方が転職後、技術の進展が無く、つぶれた。
セラミックスの専門家として自己実現に努力してきたが、専門を趣味として続ける決心をして高分子技術を事業としている会社を探した。ゴム会社でイノベーションを起こした時に、その仕上げが転職になることなど想像すらしていなかった。
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I総合研究官からチャンスを頂いたので、人事部長との面談後、プリカーサー法による高純度SiCの合成実験に着手した。そして実験を開始して4日目にはI総合研究官が驚かれるような真っ黄色のSiC粉体が得られた。このあたりの詳細は以前の活動報告を読んでいただきたい。
当時高純度SiCは2-3回昇華法を繰り返さなければ得られない高価な材料だった。それが1kgあたり500円以下のフェノール樹脂と1000円以下のエチルシリケートから合成されたのである。STAP細胞に近い騒ぎになるところだったが、I総合研究官は冷静に特許をまず書くように指示された。
当方は、すぐにゴム会社の人事部長に実験の成功と特許を無機材質研究所で書くことをお話しした。人事部長は研究所にも連絡するように指示された。当方はその後研究所へ同様の連絡をして基本特許を無機材質研究で出願する許可を得た。許可は簡単に下りた。そして、がんばって2件でも3件でも書いてこい、と励まされた。
ブリヂストンの状況を総合研究官にお話ししたところ、特許出願後この研究を進めるためのプロジェクト計画を文部省で進めることになった。この計画はゴム会社にも伝わったが、研究所は動かなかった。しかし、本社で動きがあり、一時期頻繁に本社から当方へ電話がかかってきた。また、業界新聞やヘッドハンティングの会社からも自宅に電話がかかるようになり、周囲が騒がしくなった。
翌年初めに本社から呼び出しがかかり、社長へのプレゼンテーション資料作成のために一日本社に缶詰状態にされた。現在のような便利なプレゼンソフトが無かったので、手書きと切り貼りで、できあがった時には夜の八時を回っていた。翌日午前中に練習があり、午後社長の前で10分間のプレゼンを行った。プレゼンが終わったところで、社長からいきなり、いくらいる、と聞かれた。
当初質問の意味が分からなかった。事業計画における予算についてはプレゼン資料に書いていた。「今いくらいるのだ」と社長はさらに問いを具体的にされた。当方はプレゼンがうまく言ったと思い、Vサインを人事部長に送った。
すると社長は2億円か、と言われた。事業計画から2億円は少ないと感じられた人事部長は、もっと上だ、と合図を送ってきたので、Vサインをやめて、あやふやな手の形になったところで、2億4千万円で決めた、と社長がすぐに用意していた決裁書に数字を書き込み当方に渡された。この時高純度SiCの事業がスタートした。
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カオス混合技術実現の時に発揮された能力は、ゴム会社におけるイノベーションから得た実践知のおかげである。高純度SiCのJVを住友金属工業(当時)と立ち上げた時に、FDを壊され仕事の妨害をうけるぐらいの社内の抵抗があった(注1)。
企業におけるイノベーションの難しさを痛感した事件だが、この収拾に転職以外の解決方法を当時見出せなかったが、今ならもう少し良い方法で解決できた、という反省がある。
当方の人生は大きく狂ったが、30年近く続いている高純度SiCの事業もイノベーションの成功事例だと思っている。しかしこのイノベーションは、短期で実現できたわけではない。すでに活動報告で書いたように事業のきっかけは、ゴム会社がCIを導入したときの創立50周年記念全社論文募集だった。
1席賞金10万円のそのイベントでは有機無機ハイブリッドの前駆体合成技術でセラミックス市場に参入するイノベーションのシナリオを書いて応募したが、佳作にも入らなかった(注2)。しかし、その後人事部から海外留学の指名を受けた。折しもセラミックスフィーバーの最中でそのメッカが無機材質研究所である、という理由から、海外留学を国内留学に変更していただき、無機材質研究所に留学することができた。
無機材質研究所に留学してからが大変だった。留学したその年は昇進試験の年にあたり、その昇進試験を落とされたのだ。落とされたのだ、と書いたのは、あきらかにその証拠(注3)があっての表現だが、原因は海外留学を蹴って無機材質研究所へ留学を決めたことにあったようだ。海外留学の目的には、技術研修よりも語学留学の色彩が高く、毎年留学生が海外へ送られていた。
人事部長からは10月1日に残念な結果だったので本社へ一度来てください、と電話で告げられた。本社での人事部長の面接は、最初通り一遍の激励であり、回答を求められた当方は昇進試験に書いた0点の答案内容には自信があり、その結果はまもなく出る、と答えた。
昇進試験は筆記試験であり、事前に問題も友人から回覧されていた。その課題は、受験者が新規事業を始めたい内容を説明せよ、という当時の当方には易しいテーマだった。人事部長は高い人格の方で、当方の答えに対して、穏やかにアドバイスをしてくださった。
人事部長との面接時に、無機材質研究所のI総合研究官が、一週間自由に研究所の設備を使用して良いこと、その時高純度SiC事業のエンジンとなる高純度SiC粉末の合成実験を行う予定であることも当方はお話しした。
人事部長は、結果はすぐに会社へ知らせてください、と当方の話を真摯に受け止めてくださった。同じ話を留学前の所属先である研究所で、上司に話したときには笑い話に受けとられていたので、人事部長の一言は心へ響いた。仮に内容を理解できなくても誠実に語る部下の話に対しては上司は真摯に対応しなければならない。それができない管理職は人材を失うことになる。人事部長は当方に転職しないことを望んでいた。
(注1)この事件は当初偶然の事故と思っていたら、犯人がいたのでびっくりした。高純度SiCの事業だけでなく自分のキャリアをリセットして転職の道を選ぶのには躊躇したが、転職後週刊誌や新聞を賑わす大事件が起きている。企業風土の劣化過程の出来事であり、創業者の著書に書かれた風土と大きく異なる状態に変わっていたことを当時肌で感じていた。
(注2)この50周年記念論文について楽しい思い出がある。募集締め切りが明日という段階で同期の友人が、当方の応募した論文を読み、このような技術論文では絶対に佳作にも入らない、と言った。当方は友人にそれでは一席をとる論文とはどのようなものか見本を書いてみよ、と求めたら、友人はおもむろに事務局に電話をかけ、論文の締め切りを延ばしてほしい、と願い出た。事務局は8件しか集まっていないので、再度全社に募集をかけると回答してきだので、友人は応募して見事一席に選ばれた。さてその内容だが、バイオビジネスはじめ荒唐無稽の技術を事業化するという夢はあるが実現の可能性がほとんどないシナリオだった。大変勉強になった出来事である。友人には残念会と称して賞金10万円で落選の労をねぎらっていただいた。
(注3)入社してから4年間の成果として、T社向け樹脂補強防振ゴムの基礎配合設計、寝具用ポリウレタンフォームの難燃化技術開発、M社向けフェノール樹脂天井材用コア材開発など担当したテーマではすべて成果を出しており、直属の上司から研究所では十分すぎる成果と言われていた。また、独身だったのでサービス残業も行い他の人の業務のお手伝いも十分に行っていた。
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社会人になってコミュニケーション能力の重要性を研修で学んでもそれが身について本当に役立った、と実感したのはカオス混合技術を実用化した時である。カオス混合技術については、それが混錬技術のイノベーションになると指導社員から教えられても、ゴム会社で研究する機会は無かった。写真会社に転職後もフィルム技術を担当していたので研究テーマとして提案するチャンスは無かった。
定年前の単身赴任先でそのチャンスが突然めぐってきた。すでにこの活動報告で書いたが、複写機の中間転写ベルトの生産プロセス開発のテーマでコンパウンド工場を立ち上げた話である。コンパウンド技術など無縁の写真会社でコンパウンド工場を立ち上げたのだから大きなイノベーションのはずだが、写真会社では大した評価を得ていない。
大した評価を得ていない理由は、大した技術ではないから簡単にできる、と周囲を説得したからである。中古機を買ってプロセスを組むので投資も少ない、という話を作り、子会社でコンパウンド工場を立ち上げる承認をえて、8000万円ほどの投資でコンパウンド工場を立ち上げた。
コンパウンド事業を担当している人ならば、ちょっとしたコンパウンド工場でも大変な仕事であることは理解されていると思う。工場の試運転で実験室データが再現しないのは日常茶飯事である。それよりもゼネコンに0から工場建設を依頼すれば2-3億円かかる。見積書を取り寄せてソフトウェア―の部分が高いことにびっくりした。
また工場を発注してから立ち上がるまで通常は一年以上かかるが、それを0から始めて半年で実現したのである。これは、周囲が高分子技術というものを知らない人ばかりだったから、簡単にイノベーションができたと思っている。ただ押出技術の開発に数年かかっているのに、0からはじめて半年でコンパウンド工場が立ち上がる話を信じるのか、という疑問を持たれるかもしれないが、その部分は当方の技術に対する信頼が大きかったからではないかと思っている。
しかし信頼できる一人の技術者がいたとしても、昨日まで技術が無かった会社で突然カオス混合と言う先端技術が生まれるようなイノベーションは、従業員数人の中小企業でない限り難しい。大会社であれば必ずプロジェクトにかかわる他の組織から反対があるからだ。おまけにステージゲート法あるいは類似の研究管理を行っていたなら、ゲートで必ず引っ掛かるのである。
このコンパウンド工場の建設では、上司であったセンター長を担ぎ上げ他部門の調整を行うとともに、ゲートは外部のコンパウンダーの技術よりも優れた技術が存在することを押出機で作ったコンパウンド及びそのベルトを示しながら通過した。すなわち、企業内で何かイノベーションを行うためには、社内の組織の調整能力と成功することを共有するための仕掛けが必要である。
いくら優れた技術があったとしても、あるいは科学的に優れた研究成果を出せたとしても、大企業ではそれがすぐにイノベーションに結び付かない現実を若い人は理解しなければいけない。直属の上司でさえもイノベーションをつぶす方向に動く場合すらあるのだ。30年間の研究開発経験から企業におけるイノベーションでは上司も含めた社内の調整能力が研究成果よりも重要だという結論に至った。これにより、カオス混合技術の実現では、基盤技術も何もない会社において、いきなり量産工場が立ち上がるようなイノベーションを起こしている。
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東京オリンピックのロゴの模倣の騒動に隠れてしまったが、碧志摩メグの問題は志摩市にとって深刻な問題となるかもしれない。昨今の萌えキャラブームで注意しなければいけないのは、キャラクターを売り込むためにエロティシズムを持ち込んだ刺激的なデザインに陥る傾向になることだ。
周知のように、「萌え」にはエロティシズムと明確な差を持たせた性表現手法が存在する。それゆえ「萌え文化」なる言葉まで生まれているのだ。萌えキャラとエロ漫画のキャラとは一線を画する。
地方都市の売り込みのためにエロティシズムを持ち込んだキャラをインターネットでばらまく是非を議論するつもりは無いが、来年その都市でサミットが開催されるとなると少し話が変わってくる。
地方都市の問題が日本の問題になるからだ。AV大国日本などというゆゆしき評判が海外であるが、サミット開催都市で公然といかがわしく見えるキャラが販売されていたらどうなるか。
リスクマネジメントの観点から、日本政府も真剣に取り組むべき問題かもしれないと懸念している。たかが一キャラクターという問題かどうかは、駅にエロティシズムがあふれたキャラクターがばらまかれ、そこで外国のVIPが買い物をしている風景を想像して欲しい。日本人として少し恥ずかしい。
ネットではすでにこのキャラクターの話題で盛り上がっており、賛否両論の議論がなされているが、一番心を痛めているのは、このようなキャラで表現された海女さんではないだろうか。志摩市は海女さんを見捨てたのだろうか?
フナッシーやネバールくん、バリーさんなど特異なキャラクターで地方都市を売り込むのがブームであるが、一つ間違えるとそのキャラクターで職業を傷つけることになる。これは模倣よりも抽象的な感性の問題になるので議論がより難しくなるが、セクハラが「指摘されたらアウト」と言われているのに準じ,公的機関の場合には厳しく対応すべきだろう。
弊社では「未来技術研究所(www.miragiken.com)」を運営しながら、「萌え」についてのデザインを研究している。もし「萌え文化」でお悩みの地方都市の担当者は是非ご相談ください。
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先日使用中止になった東京オリンピックのロゴについて本人が認めないので模倣かどうかは不明だが、問題となったロゴとよく似ている点については誰もがわかる。しかしデザインでも技術でもよく似ているものを作ることは簡単ではなく、それなりのスキルが要求される。スキルが無ければ模倣で優れた複製を作り出すことは難しい。セシリアでは痛んだフレスコ画の複製を独創のタッチで修復したおばあさんが有名になった。
東京オリンピックのロゴの作者とセシリアのフラスコ画の作者と描いている絵のカテゴリーが異なることや、作業として前者は似ていないことが、後者は似ていることがゴールとして要求されたことなどから同じまな板の上で議論してはおかしいかもしれない。しかし、皮肉なことに前者は模倣と疑われ、後者は似ていなかったことが話題になって、両者は異なる問題にもかかわらず、「模倣」という同じまな板の上に載っているように見える。
そこで、ロゴとフレスコ画の問題を料理すると、スキルとは何かと言う疑問が出てくる。おばあさんは自称画家だそうだが、模倣という視点で見ると東京オリンピックのロゴの作者とのスキル差は大きいとみてよいだろう。残念ながらおばあさんの絵ではトレースがうまくいっていないが、ロゴではそれが完璧にできているように見える。
おばあさんは絵を書きあげた時のインタビューで、似せて書こうとしたが、あのようになってしまった、本当はもっと上手にかけたのよ、と嘆いていた。しかしどこを見て書いたら猿のようなキリストの顔になるのか理解できないばかりか、顔の大きささえも一致していないので画家としての模倣スキルは低いと言わざるを得ない。
ただ、模倣スキルが低かったおかげで世界的に有名になり、その町に観光客が押し寄せるようになって、おばあさんは町の人に感謝されることになった。おかしな顔のキリストの絵をシンボルにしたワインなども作られ、模写として失格という当初の問題は吹き飛んでしまった。
模倣しようとしたが、そのスキルが低いために似せるための試行錯誤が繰り返され、その結果模倣が創造になる、というのは、模倣から創造を生み出す一手法のプロセスである。
例えば、フェノール樹脂とエチルシリケートのリアクティブブレンドについては、ゴム会社のホームページに書かれているような高純度セラミックスを有機物前駆体から製造する、試行錯誤から生まれた独創技術である。ポリウレタンRIMの模倣技術だが、似ても似つかぬプロセスと材料が生み出された。
なぜ、セラミックス会社の技術をうまく真似るように粉体プロセスの基礎研究を行わなかったのか。それは1983年に無機材質研究所へ留学し、偶然のめぐりあわせからプリカーサー法を1週間もかからない短期間で完成でき、その半年後にゴム会社で先行投資が決まり、いきなりパイロットプラントが立ち上がったためである。「まずモノを持ってこい」精神の賜物だが、パイロットプラントができあがった時にその名言を言われた役員は「いきなりでかい装置をいれたのか」と驚いていた。
科学の無い時代の技術の発展がどのようであったかは、「マッハ力学史」にあるようにそれをたどることは難しいが、お金儲けを目的に技術を盗んでやってみたら、スキルがなかったために独創的なよい技術が生まれた、ということもあったかもしれない。
偶然も大切で、高純度SiCのSiC化の条件探索作業では、無機材質研究所で新品の電気炉が暴走してマニュアル運転したためにベストな製造条件が一発(実験を開始して3日めのこと)で見つかっている。その時は、コントローラーの操作方法を知らなかったので、非常ボタンとスイッチ操作を繰り返すしかなく、フレスコ画のごとくプログラムパターンとは似ても似つかぬ温度パターンになってしまった。本当は文献に書かれていたように1600℃30分保持を行いたかったがそれとは似ても似つかぬ条件が最良条件として得られた。
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佐野氏がデザインした京都の老舗扇子店「京扇堂」のポスターをよく見ると、秋田県横手市が開催した交流イベント団扇展のポスターよりもデザインとして改良されている点がいくつかある。
ベースになった「涼」の字体について比較すると、佐野氏のデザインに軍配があがりそうだ。また扇子にしたセンスも良さそうだ。さらにあえて「涼」の字を見せないように工夫している点も秀逸である。
他の模倣と言われている佐野氏の作品も改めてオリジナルと比較してゆくと、オリジナルをぱくるというよりもオリジナルよりも良いものを作ってやろうという意欲が垣間見えてくる。
今回の騒動では佐野氏のパクリ作業ばかり騒ぎ立てられているが、どうもこの人はオリジナルを超えた自分の作品を世の中に広め、オリジナルのアイデアを自分のアイデアのごとく認めさせようとしていたのかもしれない。
サントリーの景品では、明らかに模倣と分かるものを取り下げた、と書かれていたが、これはオリジナルの方が優れていたことを認め取り下げたように当方は感じた。佐野氏はプレゼン能力と人脈で著名になっただけと誤解していたが、それなりの形式知が長けた人なのかもしれない。
デザイン業界に詳しくはないので佐野氏の力量を正しく評価できないが、模倣という手段で、オリジナルを超える作品を生み出すにも若干のスキルは必要である。もし良識のある先輩がいて彼を指導していたなら、本当に有能なデザイナーになっていたのかもしれない。
あるいは彼が受賞した多くの賞について、審査員の中に誠実で真摯な人がいたならば、彼は受賞で成長できたのかもしれない。キャリアを見る限り、佐野氏は業界のスーパースターであり、そのように育てられてきたのだろう。自分より力量が劣ると見下した作品について、そこに潜む優れたアイデアに嫉妬し、それを自分のモノにしたかったのかもしれない。単なるパクリ屋ではない。
20年以上前になるが、湾岸戦争が始まる直前にFDを壊される事件が起きた。その事件が起きる前、犯人は、「なぜおまえなんかにあの品質問題を解決できたんだ。持っている情報を出せ」と言ってきた。創造力が必要な社会で、創造という作業とその価値、そしてそれを生みだす苦労を理解できていない傲慢な人だった。
模倣から創造を生み出す手法以外に日々の研鑽など凡人が創造を行うためには手法の駆使以外に不断の努力が必要なことをご存じなかった。努力により実践知と暗黙知の蓄積ができ、そこに手法が駆使されて形式知では導かれない独創が生まれる。凡人による独創の陰には血のにじむような努力があるはずで、それを安直に取りあげようとする傲慢さは許されない。
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佐野氏がデザインした京都の老舗扇子店「京扇堂」のポスターが、秋田県横手市が開催した交流イベント団扇展のポスターと酷似していることがWEBで話題になっている。京都の老舗は依頼した覚えがなく、ただ名前を貸しただけだ、と語っている。産経新聞朝刊(9/4版)でも取り上げていた。
その他の佐野氏に関するWEB情報をしらべると、模倣の指摘が毎日何か一つ増えている状況である。今朝は母校であるT美大のポスターが盗作の疑いとして提案されていた。佐野氏は有名デザイナーだそうだが、これだけ模倣が出てくるとデザイナー業界の体質を疑いたくなる。なぜ、佐野氏が著名になりえたのか。
まじめに独創を追求しているデザイナーが評価されず、模倣で瞬間瞬間を評価され名声を得ることが可能な体質なのだろう。類似のことはサラリーマン社会でも起こりえる。プレゼンテーション能力の高さで出世できたケースも見てきたので、デザイン業界の体質をそれなりに想像できる。
組織で行う仕事を大義として、個人の業績など軽視しても許される、という意見もあるが、一番努力し成果をあげた人間がまったく評価されず、長期休んでいた人が突然出勤してきて組織リーダーという理由でプレゼンを行い評価され出世、という極端な例や高純度SiCの業績を審査した立場から、東京オリンピックのエンブレムで始まった昨今の状況を見ていると、複雑な気持ちになる。
社会的な地位と名誉を勝ち取ったデザイナーの知られたくない過去の仕事の裏側が次々と暴露され模倣のオンパレードという状況をこれから社会に出て行くデザイナーも見ているのである。これが今の社会だ、という考え方もあるかもしれないが、若い人の夢を壊すようなことになりはしないか。若い人材を激励するための顕彰の権威も地に落ちてしまった。
佐野氏の作品に模倣が多くそれでありながら業界の第一人者となった問題はすでに衆知の事実となったので、もうネットでの暴露合戦はやめるべきではないか。美しくないことが分かっていても、それゆえ美しくありたい、と努力するのも人間の本性である。問題提起は重要だが、それも度をこすと’グロ’になる。
よほどの天才ではない限り、全く何も無いところから人類に貢献できるすばらしい価値を生み出すことなどできない。模倣が創造のための一段階であり一手段として存在する限り、それを勘違いしたり悪用する人は出てくるのである。
創造は難解で高度な活動と思われているが、実は現代においてぱくりと創造は紙一重となる場合があり、それに対し忠告をするのはその道の先輩諸氏の重要な役割になっている。今回それが機能していなかったのである。機能していないばかりか、もっとひどい状態であったことは、説明インタビューも含め国民が皆知ることになった。
日本の現代社会には様々な問題がある。その一つとして受験の問題が毎年取り上げられるように、社会の人材評価システムは大きな問題である。今回はそれに様々な利権が絡んで醜くなっていた。
T美大は業界の実績もあり評価の高い大学だが、その評価がどのように作られたのかを垣間見る機会ともなった。ぱくりでもわからなければ評価される、OBがスクラムを組みそれを支えるーー張りぼて状態が丸見えになった。TVのワイドショーはさらにそれをわかりやすく説明する、醜さがお茶の間にもあふれる騒動である。
結局はドラッカーがいうように誠実真摯な人を選ぶのが経営者の役割、という考え方が大切で、社会のリーダーあるいはその業界のリーダーが誠実かつ真摯であるかどうかでその組織あるいは社会の風土が決まる。健全な社会や伸びる会社のリーダーには誠実真摯なリーダーが多い。インタビューを見ていてもそれがわかる。
オリジナルのポスターを当方も見たが、団扇を使ったデザインを美しいと思いぱくりたいという衝動に駆られたセンスをそれなりに能力が高いと思った。それゆえそれを真似たデザインを作るのは、それを自分のデザインとして発表しなければ、デザイナーとして練習のために許されることだ。
そこで団扇を扇子に置き換えただけのデザインを作成してみた(団扇よりも扇子にしたほうがセンスよく感じる)。それを自分のデザインとして発表したから悪いのである。そして、そのような人材を能力ある人として評価しているのが現在のデザイン業界である、というわかりやすい事件だ。
余談だが、ネットに掲載されたデザインを「お題」にして、当方ならば団扇を扇風機(ダイソンの扇風機ような革新型がよいかもしれない)に換え「COOL」と言う文字を爽やかな風のごとく揺らいでいる様子に「創造」し、同じ色調で描く(注)。模倣から創造するとはこのようなことだ。(しかし、創造とは笑点の大喜利のよな ーーー。)。
このようなデザインならばパクリと言われないだろう。しかしオリジナルのコンセプトの一部を模倣している点は佐野氏と同じである。但し模倣から創造した結果、「和」のイメージから「洋」で無機的な涼しさの表現という新しいコンセプトのデザインになっている。お見せできないのが残念!!
(注)羽の無いダイソンの扇風機の特徴である円形の空間部分から「COOL」という水色の文字がゆらぎ描かれているデザインを想像して欲しい。涼しくないですか?
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今日メールで良い知らせが届いた。7月に開発した材料がお客さんに採用されたという。成果の詳細は機密なのでいえないが、この成果を出した状況を簡単にご紹介したい。
7月に10日間中国出張して、新材料の開発をスタートした。本来基礎検討からスタートするのが一般の進め方だが、いきなり本命と思われる材料の検討をクラチメソッド(まず、モノ持って来い手法)で行った。タグチメソッドを9月に行う予定で、その前段階としてまず、完成品を作ってみる方法をとった。
日本のクライアントにはなかなかクラチメソッドを採用していただけないが、新たに指導を始めた中国企業ではすんなりと受け入れてもらえた。しかし、受け入れていただいたことは良いのだが、お客さんに試作品として出したい、と言い出した。
良いモノができたら当方から提案しよう、と思っていたが、その良いモノが初日にできてしまった。だから、すぐにお客さんに出したい、とクライアントが言い出したわけだが、初回で最高の材料ができたのは、初めての実験開始後3日で最適プロセスが決まった高純度SiC以来である。一瞬うれしかったが--。
まだ1週間以上検討時間を残してこれで終わりになると、コンサルティング料も一部しか頂いていないので心配になってきた。その心配に対して、クライアントはやりたいことは、まだたくさんあるから大丈夫だという。
当方にとってはとんでもない話である。契約金を下げるため、テーマごとの契約にしていたので、新たに契約を結ばなければ商売にならない。初めて当方の研究開発必勝法をそのまま採用していただけたのはよいが、とんでもない誤算があった。自分で自分の首を絞める商売のやりかたを知らずにやっていたのだ。研究開発必勝法は販売中止にした方が良いかもしれない。
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