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2016.05/23 マネジメント(6)

大いに反省しているところはよいけれど、そのあとの文章がまずい、と指導社員に注意された。当方は、今回の始末書についてどこに当方に非があったのか明確な説明を受けていないので、本当は書く気がしない、と正直に答えた。
 
指導社員は、そのあたりについて理解が早く、そうだよね、となった。本来はテーマとして認めた段階で、責任を取るべき人が決まる、と言いかけたが、ドラッカーの「自己責任の原則」というフレーズが頭をよぎった。本当は、課長が書くべきよね、と指導社員が当方の心を見透かして、一言でまとめた。
 
当方は、ホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の成功で新しい難燃化システムのアイデアが生まれたことを説明し、始末書を逆に利用して化工品部隊に提案したい、と言ったら、甘い、と指導社員に一笑に付された。
 
新しい企画や、今後どうするのかという点について、当方は一生懸命説明したら、課長に直接始末書をもっていって、議論してみたら、ということになった。入社一年もたたない段階で、罰則規定にある始末書を書く事態になれば、だれでも慌てるはずである。そのうえ、罰を受ける理由を理解できていないのである。
 
始末書をそのまま課長に提出したら、当方がまじめに反省していない、と叱られた。何を反省したらよいかわからないこと、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの成功で世界初の新たな難燃化システムが生まれたこと、その新しい難燃化システムは、燃焼時の熱でガラスを生成し、高分子を自己消火性に機能向上できること、など一気に熱く語った。
 
実際は、少し課長とすったもんだがあったが、課長は周囲の目を気にして小声で話すので、声の大きい当方に課長が押し切られるような形なった。課長は、始末書を受け取るから、すぐに今話したことを企画書としてまとめ、今日中に提出すること、と言われた。
 
当時課長以上の管理職は、担当者と別室で管理職だけの大部屋にまとめられていた。だから課長は他の課長に新入社員に始末書を書かせていることを知られたくなかったようだ。それが幸いした。
 
課長はあくまで企画の打ち合わせをしているかのような口ぶりで当方との打ち合わせを進めようとしたので、「新入社員が発表会の内容でなぜ始末書を書かなければいけないのか。」と一言周囲にも聞こえるように話したら、始末書をそのまま机の中に隠し、別に用意していた当方の企画書を机の上に広げ、企画の打ち合わせになった。
 
ホウ酸エステルとリン酸エステルを組み合わせて燃焼時の熱でガラスを生成する難燃化システムの企画は、このように数分で決まった。

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2016.05/22 マネジメント(5)

研究所へ配属されて10ケ月過ぎたころに新人発表会が行われた。新人テーマとして樹脂補強ゴムとホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の二つ発表できないか指導社員に相談したら、テーマは一つに絞るように指示された。
 
結局、技術者として最も充実した3ケ月間のテーマは無かったことになった。高分子の難燃化技術が技術者のキャリアとして残った。指導社員からは、たった3ケ月では試作もやっていないでしょ、と言われた。しかし、某自動車会社の防振ゴム技術に採用された、と説明したら、現在その仕事を担当しているのは研究所ではなく化工品部隊だから当方には関係ない仕事だと説明された。
 
会社のキャリアとして無関係と言われても多くのことを学んだ充実した3ケ月間だった。生まれてからの人生でこれほど充実した日々を送ったことはなかった。高純度SiCの発明を完成させた1週間も充実していたが、日々の楽しさが異なっていた。
 
指導社員のご指導に従って、新人発表は無難に終了したが、後日始末書騒ぎが起きた。課長(主任研究員)が化工品部隊に今回の仕事を説明した時に、コストが確定していない技術を試作までしたことが指摘され問題になったらしい。その場に出席していなかったので状況は不明だが、指導社員から当方が始末書を書くようにと言われた。
 
1年間の試用期間中における始末書と思いビックリしていたら、残業代はつかない期間だが試用期間ではない、という。だからテーマの責任をとるために始末書を書けという。訳の分からない説明で、試作まで成功し褒められるのが本当でしょう、と開き直ったら、とにかく当方が書くことに決まったので書けという。
 
賞罰はマネジメントで重要な意味がある、とドラッカーは書いている。試作まで大成功と新入社員発表会で報告した人間が、なぜ始末書を書かされるのか、とんでもないマネジメントだと思ったが、指導社員の説明では、新入社員がぜひやらせてほしい、と言ったテーマなので新入社員の責任である、と課長が答えたことで、当方が始末書を書かなければいけないことになったのだという。
 
自己責任の原則を理解していたので、その日は、さっそく書店に走り「人に聞けない書類の書き方」という本を購入し、始末書の下書きを仕上げた。始末書には、「今回のテーマについて大いに反省し、次は低コストで同等の技術を半年で試作まで行います」と書いた。指南書に従い、反省していることと、反省を踏まえた上のアクションを考えて短くまとめた労作だった。しかし、この始末書の内容で翌日一日つぶれることになった。
   

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2016.05/21 科学的という罠

30年以上前の仕事を思い出しながら昨日まで書いてきたが、ふと「科学的という罠」というフレーズが思い浮かんだ。燃費不正問題の影響もあり、このフレーズが頭を離れない。
 
最初の配属先の組織が3ケ月で無くなったために、新たな職場へ異動したのだが、その職場の成果に防火性の高い天井材という商品があった。防火性能を試験する規格「JIS難燃2級」に,ポリウレタンという素材で初めて合格した、と課長から自慢話を聞かされた。
 
しかし、その材料の極限酸素指数(LOI)を測定してみたところ19.5と、空気中でばんばん燃えるような低い値なので不思議に思って指導社員に尋ねたら、「JIS難燃2級」という防火試験を研究して、それに通過するように科学的に材料設計した成果なので間違いない、という。
 
LOIは、まだ規格になっていないプライベートな試験法だが、難燃2級は防火規格として建築研究所で科学的に策定された規格である。そのうえ、その評価技術は建築の実火災を解析して生まれた手法だから科学的に優れている、と説明された。
 
空気中でばんばん燃えるような材料がどうして厳しい防火規格に合格したのか不思議に思い、自分で実験を行ったところその結果にびっくりした。規格どおりの試験を行うと、天井材が餅のように膨らみ変形して試験炎から遠ざかり、火がつかず燃えないようになるのだ。
 
また、その膨らみかたも絶妙で、大きな変形という評価にならない程度で収まっている。だから大変形も無く、煙も出ないし、温度も上がらない。評価結果だけを見れば、優れた天井材と自慢するのもうなづける。
 
これは大変なことだ、と思い、指導社員に報告したら、それが科学的に高度な材料技術なのよ、他社も真似しはじめた、と誇らしげに説明してくれた。他社品が特許に抵触していないか調査研究していることも話してくれた。
 
しかしまもなく社会問題として小さな新聞記事が出た。すなわち、国の難燃規格に通過した天井材を用いても家が全焼した、と言うのだ。その最初の記事が出てから1年後、建築研究所で規格の見直しのための研究がスタートして、当方はそのお手伝いすることになる。
 
また、LOIのJIS規格も当時できたての頃なので、この分野の科学技術が未熟なときの出来事、と言って良いような事件だが、それは30年以上経っているからこうして話せる。当時この件について、当方は、科学の真理の前で、王様の裸を正直に言った子供のような扱いをされた。
 
建築研究所が考案した試験法は、空気中で自己消火性になる材料を前提としていた。しかし、規格にはそのような視点が盛り込まれていない。またその試験法が考案されたときに存在した材料について限定すれば問題が起きない規格だったが、新素材が開発された場合には、その規格が有効に働く技術的保証は無かった。
 
ただし、実火災で観察された状況について因子解析された成果による論理的解説が成されていた。論理的には正しい解説でも火事という現象を人間が制御できないならば、スケールダウンした評価装置の結果がそのまま実火災に当てはまらなくなりそうな場合がでてくることを直感で理解できた。
 
2011年3月11日の福島原発の事故は、やはり科学の成果で起きている。まだ誰も責任を取っていないが、素直に考えると、おかしなことばかりである。例えば外部電源車が電源供給しようとしたらプラグが規格からずれていたので外部電源車を使用できなかった、とか、センサーの一部の電源コンセントがはずれていた、とか当時の新聞にはヒューマンエラーの記事がいっぱい出ていた。
 
最もおかしいのは、津波の防波堤の高さの決め方である。万が一防波堤を津波が越えたときの対策として用意されていた予備電源の発電モーターを一番高いところにおかなかったために(ご丁寧に防波堤よりも遙かに低い位置に置かれていた)、津波で最初に使えなくなっていた。
 
発電モーターの目的や役割、機能を素直に考えたら、そのようなところにおく設計にならないはずだ。少なくとも当方が建築図面を見たら、最初に指摘するし、指摘できる自信がある。
 
明らかに人為的なエラーが多数見つかっているのに誰も責任を取っていない状態、というのは、やはりおかしい。おかしいが罪を問わない理由も何となくわかる。しかし、それではまた同じことを繰り返すのである。21世紀は、責任を取るべき人が正しく責任を取らなければいけない時代だ。
  

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2016.05/20 マネジメント(4)

女性の指導社員は美人で優しかった。しかし、当方の行動すべてを知りたがった。すなわち社内で何をやっているのか、逐一報告することを求めてきた。野放しにすると勝手なことをする、というレッテルが当方に張られていたからのようだ。
 
おそらく昨日までの指導社員からの引継事項だったのだろう。過去の居眠りについても忠告されたので理解できた。その指導社員の前以外では居眠りの実績は無かった。
 
そのほかにどのような引き継ぎ事項があるのか尋ねたら、いっぱい書かれている、と言われたが、野放しと居眠り以外の注意は受けなかったので、おそらく良いことがたくさん書かれている、と思ったら、当方が楽観主義だから指導者が注意するようにというコメントもあると言われた。
 
軟質ポリウレタン発泡体の難燃化技術開発が新しい指導社員と推進するテーマだった。しかし、テーマのタイトルは決まっていたが、何をするのか不明だった。新組織体制でこれから企画を作るのだという。そして一か月間は軟質ポリウレタン発泡体のワンショット法という技術をまず身に着けることが当方の最初の仕事だという。
 
機械を使用せず、高速攪拌機だけ使ってワンショット法により発泡体を製造するには、ゴムの混練作業とは異なるスキルが必要だった。数秒で反応の9割が進行するので大変である。それゆえ実験スキルの差が物性のばらつきとして現れる。
 
このスキル習得も大変だったが、企画作成業務はもっと大変だった。詳細は書かないが、当方のアイデアであるホスファゼン変性軟質ポリウレタン発泡体という企画がすんなりと採用された。
 
当方は、大学院修了式後の3週間、本来は春休みの期間に大学で新しいジアミノホスファゼンの合成とその重合に成功し、一度提出した修士論文に追加するとともにイギリスの学会誌に論文を投稿していた。
 
このできたばかりのジアミノホスファゼンを軟質ポリウレタン発泡体の変性剤に使えないか提案したら簡単に採用されたのである。提案した当方はまさか簡単に採用されるとは思わなかったのでびっくりしたが、もっとびっくりしたのは、半年後には試作を行うという計画が作られた。それは難しいといったが、新入社員発表会までに試作を完了したい、と言われたのでしぶしぶ受け入れた。
 
ジアミノホスファゼンを1kgほど合成する必要があり、1gしか合成経験のなかった当方は少し心配になった。しかし、指導社員から学生時代にできたなら1000倍のスケールなんて簡単よ、と言われ、なんとなく根拠は無いけれど気が楽になった。
 
問題は当時新素材として注目されていた原料のホスファゼンの調達方法だけである。市販品は無く、さらに素材の値段がついていなかったのである。指導社員は当方よりも楽観主義者だった。
   

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2016.05/19 マネジメント(3)

一人で仕事をするようになってから、指導社員は毎朝、「危険な出来事は無かったか」と尋ねる以外何も仕事の進捗について聞かれなかった。一週間ほどして、座学で1年間の業務を説明されるような指導社員だから、一年分の仕事を一か月で済ませたら評価してもらえるかもしれない、と考えるようになった。しかし、原材料倉庫の材料を評価しても座学で教えられた内容以上の新しいことは出てこない可能性がある、と心配になった。
 
原材料倉庫には、指導社員の名前が付けられた多数の樹脂材料が収められていた。しかし当時新素材としてマーケティングされていたTPEはその中に無かった。そこで指導社員からノルマとして言われていた樹脂材料以外にTPEも自分で取り寄せ評価することにした。
 
当時新入社員には残業手当がつかないだけでなく、必ず一年間は定時で帰宅する決まりになっていた。しかし、どの新入社員もその規則を守っていなかった。守っていなかったというよりも、今でいうところのブラック企業と同じ状態だった。しかし同期の誰もが楽しそうに仕事をしていた。当方も真似をして定時以降も仕事をするようになった。
 
初めてのサービス残業の翌朝、指導社員から定時に帰宅するように注意を受けた。その時当方の目論見を話したら、残業代は出ない規則だから無理をしなくてもよい、と言われた。手当はいらないから、土日も仕事をやってよいか尋ねたら、土日は勉強しろ、と叱られたが、そのあと休日出勤の手続き方法を教えてくださった。
 
指導社員は黙認状態だったので、頑張って一年間の仕事を一か月でやり終え、さらに一部取り寄せたTPEを使用して指導社員が発明した樹脂補強ゴムよりも性能の良い配合処方を見つけることができた。この成果を指導社員はほめてくださって、すぐにその処方で実用的な耐久試験をスタートした。
 
驚くべきことに、一般のゴムと耐久性が変わらない樹脂補強ゴムが得られ、これには指導社員もビックリされて、成果をほめてくださった。そしてすぐに報告書をまとめるように指示されるとともに、年内に組織変更があり、当方が異動することになると突然告げられた。
 
年が明け、当方と指導社員はそれぞれ別の部署へ配属され、当方は美人の指導社員の下で仕事をすることになった。ちなみに当方が見出した配合処方でその後自動車用エンジンマウントが開発されたという。これは初めての社業への貢献であり、指導社員のマネジメントの成果である。
 
このとき、指導社員がなぜ一年後の成果を最初に出してから仕事をしているのか、その理由を理解できた。研究所において課規模の組織変更は頻繁に行われていたからで、いつテーマが変更になるのか不明な状態だった。1年後の成果をあらかじめ出して仕事をやっていれば、テーマ中止を言われたときに、すぐに成果の出た報告書をまとめることができた。

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2016.05/18 マネジメント(2)

職場の先輩から、指導社員が毎日就業後囲碁や将棋を指していることを教えていただいた。いろいろな職場の方たちと勝負しているとも聞いた。会社内でもその腕前はトップクラスでどこからか毎日対戦を求められているそうだ。
 
就業後は指導社員が必ずいなくなるので、当方は一人で自由に仕事ができた。最初の一か月は教えていただいたことを何度も何度も反復練習し、実技習得に努めた。おかげで社内の実験室にあるバンバリーやブラベンダー、ニーダー、二本ロールに三本ロールすべて使えるようになった。
 
タイヤのパイロットプラントにあるバンバリーの運転方法も習得した。これは指導社員から特に力を入れて教えられたことだ。そしてサンプルを作るときには必ずその設備を使うように言われた。大半の研究所の人は研究所内のブラベンダーやニーダーを使っていたが、それらはせいぜい練習用だ、と教えられた。
 
1ケ月が過ぎ、開発に使用する材料がすべて揃ったから、と工場の原材料倉庫に連れていかれた。そしてそこから材料を実験室へ搬入する手順やらを細かく指導されて、明日から一人で1年間かけてすべての材料を評価し、シミュレーションで導かれた物性が得られたならば教えてください、と言われた。
 
途中経過は、データがまとまっておればよく、とにかくシミュレーションと同じ物性の処方が見つかるまでは、報告しなくてよい、ケガだけは注意してくれ、と言われた。課内会議で、月報はどうしましょう、と尋ねたら、書きたかったら当方一人で報告してよいとも言われた。
 
指導社員の月報には、毎月座学の一部の内容が書かれていた。指導社員に「もしかして座学の内容は今年1年の月報のまとめですか」とたずねたら、「そうだ、これが僕の仕事の仕方だ」と答えられた。1年後には、樹脂補強ゴムができたことになっており、その処方も教えられていた。
 
この会話で、指導社員はすでに一つ、実用的な樹脂補強ゴムの処方を持っていたこと、そして当方の仕事は、その処方の裏付けデータを得ることであると理解できた。
 
しかし、指導社員は当方の仕事について単なるシミュレーションの実証実験という説明の仕方をしていなかった。あくまで新材料の開発が当方のミッションと言われていた。リーダーのこのような仕事の仕方を社会人なりたてのときに学びその後の人生に大いに役立った。
 
仕事について、一年後得られるであろう成果の見通しをあらかじめ得て、その戦略と戦術を仕上げておく、という仕事の仕方は当方のスタイルとなった。入社して4年後2億4000万円の先行投資を受けてスタートした高純度SiCの事業も、無機材質研究所へ留学する前に、リアクティブブレンドによる前駆体合成技術の成功を確信していた。

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2016.05/17 マネジメント(1)

「組織に成果をあげさせられるマネジメントこそ、全体主義に代わる唯一の存在」とは、ドラッカーの言葉である。そして彼の著書「マネジメント」には、賞罰こそ、組織の目的、価値観、そして自らの位置づけと役割を教える、と語り真の管理の在り方を示している。
 
組織社会において、知識労働者は皆エグゼクティブ、というのもドラッカーの言葉である。すなわち現代の知識労働者には全員に少なからずのマネジメント能力が求められている。そもそもマネジメントとは何か。これもドラッカーは、「人をして成果をあげさせる行為」と説明している。
 
また、知識労働者は一人で成果をあげることはできず、他の人に自己の知識の成果を与え成果を出す働き方になるとも書いている。
 
新入社員として10月に研究所へ配属され、物理が専門の指導社員と出会った。毎日朝1時間から2時間程度座学があり、その後実験室で実技指導があった。これが1ケ月ほど続いた。1:1の座学でも眠くなる時には睡魔に勝てない。しかし、指導社員は注意されなかった。1:1なので2分以上意識が無くなることはなかったが、こっくり頻度は多くそれでも叱られたことがない。
 
しかし、注意はされないが、一方的に講義を続けており、意識が戻った時にホワイトボードが消され始めるとあわてて、「待ってください」と叫んでしまう。そのとき申し訳ない気持ちになり、1ケ月後には会議中でも居眠りをしなくなっていた。
 
「気づき」で会社の居眠りが悪いことを学んだ。さらに、この指導社員は博学だった。当方の質問に対して答えられなかったことは3ケ月間一度もなかった。社内のこともよくご存じだった。恥ずかしながら、当方がこの指導社員と同じ年齢になった時、社内の半分もよくわかっていなかった。
 
新入社員実習でS専務に説教を受けたお話をしたら、S専務のキャリアと人脈を教えてくださった。どこからこれらの知識を得ているのか知りたかったが、それは教えてくださらなかった。ただ、この指導社員は就業時間の終了を知らせるチャイムが鳴ると毎日どこかへ姿を消す習慣があった。
 
 
 

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2016.05/16 研究開発の進め方

三菱自動車燃費不正問題で開催された複数の記者会見における回答から自動車産業における研究開発の進め方が見えてくる。
 
1980年代にアメリカで普及し日本に導入されたステージ-ゲート法(以下SG法)はどの産業でも使用されているようだ。しかし、その進め方、審議の仕方は産業ごとにあるいは企業ごとに異なると思われる。三菱自動車では役員が出席しない審議のゲートもあるとのこと。
 
30年間の研究開発人生でゴム会社と写真会社の二社を体験し、写真会社では写真フィルム開発や電子写真いわゆる複写機開発というそれぞれ異なる技術分野の商品の開発も体験した。それぞれの事業で研究開発の進め方は異なっていた。
 
写真会社ではSG法の導入は無かった。しかし、電子写真に用いる中間転写ベルトの開発では、デザインレビューと称するゲートが存在し、SG法のような進め方がなされていた。しかし、その審議方法は、ここでは書けないが、あまり適切な審議とは思えなかった。よくないから短期間にコンパウンド工場建設を行えるような仕事の進め方ができたともいえるが(この意味で、本当はよかったのか?)。
 
ゴム会社で、まったく異分野となる半導体用SiCの研究開発をスタートできたのはSG法が導入されていなかったおかげである。会社の50周年記念論文に提案してもボツになり、昇進試験の答案に新事業の夢として書いても0点をつけられたり(ただし翌年は同じ答案で100点になっている)散々な経緯があって、無機材質研究所における5日間の研究で会社の2億4000万円の先行投資が決まった。
 
これは無機材質研究所でちょっとした騒動になったが、STAP細胞の様な騒動ではない。留学中に会社の昇進試験に落ちた研究員のモラルアップのため許可された、1週間だけという制限付きの自主研究で大発明が完成した騒動である。真っ黄色の高純度粉体が5日間の実験で見いだされた簡単なプロセスでできたのである。それも回数で示せば、たった一回の実験で。
 
0点をつけられた昇進試験答案に書いた内容の方法で実験をした、と会社の人事部長に報告したら、会社も大慌てになった。ただし会社の研究所だけは、意地でも相手にしなかったという。
 
しかし、無機材質研究所のほうでは話がどんどん大きくなっていきそうな気配がしたので、人事部長に相談したら、すぐに会社へ戻ってこい、ということになった。
 
このあたりの経緯は書きにくいことばかり(注)だが、結局無機材質研究所で基本特許を書き、それをゴム会社が斡旋を受ける形でゴム会社の研究開発がスタートしている。
 
STAP細胞と異なるのは、再現の良い技術として出来上がっていた、という点である。その後最適化実験等いろいろ行ったが、無機材質研究所で行われた実験条件が最も良かった。この時いわゆるアジャイル開発という研究開発の手法を思いついた。ご興味のある方は問い合わせてほしい。
 
(注)会社の研究所では、反対者が多かった。現在でも事業が継続されている状況から、その時のことを事細かく書いたら傷つく人も多い。ただし経営陣の支援は現在まで事業が継続された力であると同時に当時も研究所で一人で頑張ることができた力でもある。会社には十分に貢献したがお世話にもなり複雑な気持ちで転職した。転職した理由はドラッカーの教えに素直に従っただけである。

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2016.05/15 日産自動車が三菱自動車を傘下に

日産自動車が三菱自動車へ30%以上の出資をするという。想定されたシナリオだがおそらく三菱自動車の技術者は大変だろうと思われる。「技術の日産」の傘下にはいるのである。
 
その昔、日産自動車の技術者と一緒に仕事をしたことがある。若いときだったのであまり憶えていないが、その時上司が、日産自動車には研究所が二つあって、今一緒にやっている連中と仕事を進めてもモノにならない、だから一度テーマを中断する交渉をしようと話していた。
 
実際テーマは中断されたが、その後の再開も無かったので、恐らく、二つの研究所は、前工程と後工程の関係で、前工程の研究所は可能性研究(FS)を進めているところだったようだ。雲をつかむようなテーマも並んでいた。
 
上司はコストダウンを図るために大量消費できる分野の実用化を急いでおり、後工程の研究所と交渉をしたようだが、相手にされなかったらしい。当方も担当していて、これは自動車用に実用化できない、と思っていたので日産自動車の後工程の判断は技術的視点に基づき出されたと思った。
 
確かに大量使用でコストは下がるが、その他の実用上懸念される点について科学的に大丈夫だと言われても、当方には不安が残っているテーマだった。一応自分たちで実車試験まで行ってはいたが、そのテスト結果には幾つか問題が出ていた。
 
ただそれらの問題については、実際の自動車の設計者から見てどうなのかを知るために、前工程の研究所と共同研究開発をしていたのだ。しかし、そこからあがってくるデータは自分たちで集めたデータと同じデータばかりだった。おそらく日産自動車社内でも議論はされていたと思われるが、科学的基礎データ以上の情報は頂けなかった。
 
そのような状況で、後工程の研究所からは共同開発を断られたのである。この出来事は、日産自動車の技術経営の特徴という印象で今でもよく憶えている。当方の直感と同じ判断が出されたから、というよりも、恐らく前工程の研究所と後工程の研究所とは社内で議論がされていたはずだ。
 
だから、たとえ科学的に機能が発揮されることが証明されても、日産自動車は技術の視点で厳しい判断をする会社、というイメージを持っていた。科学的にできそうに思えても、技術的に実用化は難しいと予想される技術は存在し、実技データが少ない段階では技術屋の心眼を働かせないとそれは見えない世界である。
 
逆に科学的にできないと予想されても、技術屋の心眼でゴールが見えたなら、そこへ到達するために自然界からうまく機能を拾い上げようと努力する傾向がある。PPSと6ナイロンを相溶(注)させて実用化した中間転写ベルトは、そうした成果である。また、科学の無い時代に発展した技術では、科学の判断など無く開発されている。
 
(注)フローリー・ハギンズ理論では相容しないと結論される。
 

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2016.05/14 帯電防止とインピーダンス(3)

フィルムを抵抗とコンデンサーのモデルで置き換え数値解析したところ、インピーダンスの周波数依存性のデータで低周波数領域で観察される異常分散には、モデルのコンデンサー成分が関係していることを理解できた。
 
実際に得られているデータから推測される抵抗とコンデンサーの値を入れて考察すると、コンデンサー成分が少なくなってゆく現象として低周波数領域のインピーダンスの絶対値の異常分散を説明できた。
 
ただし、20Hzのインピーダンスの絶対値が大きくなってゆくと灰付着距離が短くなってゆく現象について感覚的に理解できなかった。インピーダンスは交流の抵抗成分である。抵抗が大きくなってゆくと、帯電防止能力が上がってゆく、という矛盾を奇妙に感じた。
 
しかし、交流は直流と異なり、その抵抗成分にコンデンサーが含まれる。すなわち直流の抵抗成分とは数式の表現が異なるのである。直流でコンデンサーは絶縁体として測定されるので、抵抗成分として評価することはできないが、交流では、抵抗とコンデンサーを含む回路でインピーダンスとして評価される。
 
交流の抵抗成分の一つコンデンサーが少なくなるということは、直流の抵抗成分が多くなる、ということを表しており、このように解釈すると現象を矛盾なく理解できる。
 
すなわち、フィルムの帯電において帯電後の放電は直流的に放電するのではなく、低周波数の交流として放電している可能性がある。こうしてインピーダンスの絶対値について、数値解析で考察し得られたデータの解釈ができたのだが、ふと新入社員時代を思い出した。
 
指導社員は、レオロジーに秀でた人で電卓を用いて粘弾性モデルを解いていた。そのときの粘弾性モデルは、抵抗とコンデンサーのモデルとよく似た、ばねとダッシュポットのモデルだった。ゴム物性について粘弾性モデルを組み立て、それを電卓で計算し、粘弾性のシミュレーションを行い材料設計を行うスタイルは、まさに科学的技法そのものだった。指導社員は、10年後にはこの技法は使われなくなると説明していた。
 
実際に今時粘弾性モデルで材料設計を行っている人を見たことがない。今やOCTAを使う時代である。しかし電気物性に関しては、抵抗とコンデンサーのモデルが使われている。インピーダンスアナライザーでは、キャパシタンスの計測にモデルを設定しなければいけない。
 
手元に1999年に書かれた粘弾性材料力学入門というコピーがある。ある雑誌を読んでいたときにあまりにも時代を感じた内容だったのでコピーしたのだが、おそらく粘弾性材料力学という分野は、交流回路論のアナロジーとして発展した学問だろう。
 
学問だけが科学として発展し、気がついたら現実の高分子粘弾性体と異なる世界が築かれたのだが、1999年でもこの論文を入門書として書いていた学者はシーラカンスそのものと思われる。そのような視点で読むと面白い。
 
最も面白いのは、ナイロン6を事例に出して、今後データを集めてゆきたい、と述べている点である。プロセスにより高次構造が変化すれば、粘弾性データは影響を受けることが20年以上前から知られている。この論文が書かれた頃、分子一本のレオロジーが議論され始めた頃でもある。
 
この面白さは,20世紀は科学の時代であったが、その科学とはどのようなものなのかを表している点にある。この論文に書かれている内容は科学として正しいから学会誌に掲載されていたのだろう。
 
技術は人間の営みとして進歩するので、このような科学に対してはどうしても厳しい見方になる。モノ創りの時代と言われて久しいが、科学でモノ創りができない、と言われる由縁である。ご興味のある方はお問い合わせください。

カテゴリー : 一般 高分子

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