技術者の職人化がメーカーの問題となっている。技術者の職人化を防ぐには開発現場のマネジメントが重要である。この傾向は高度経済成長期の時にも存在したが、低成長の時代になって職人を処遇できる場所が肉体労働部門だけになった。職人には企画提案力も無いので、もはや仕事は社内だけでなく国内に無い厳しい状況である。
一方本人が職人である、という自覚を持っているかどうかという問題がある。この自覚を促すために企画を担当させると良い。長年技術開発の現場で仕事を担当してきたならば、ある程度の企画提案力がついているはずで、半年に一度アウトプットとして事業企画を求めるのだ。技術者の気質が残っているならば企画提案力はあるはずで、もし半期に一度企画を提案できないならばそれは技術者に戻ることができないスキルの無い新しい職人である。
この判定方法は、開発現場で技術者の職人化を防止する時にも使える。すなわちチームを作らせて、それぞれのチームのミッションとして次世代技術のシナリオを担当者に書かせる。定期的にシナリオ発表会を行い、これぞと思われるシナリオを選び、さらに事業企画まで練り上げる作業を進めさせる。そして、これらの仕事はすべて見える化して行う。
日々の多忙な開発業務の中で負担を強いることになるが、このような活動は技術者の職人化を防ぐことができるとともに、企画とは何かを指導することが可能となる。開発現場は本来企画マンのたまり場になっているのが望ましい。
ここで注意しなければいけないのは、アイデアマンと企画マンは異なる、ということだ。アイデアだけでは良い企画提案まで至らない。
企画能力で最も重要なことは、企画する能力そのものよりも社内の調整、いわゆる根回しをどこまで丁寧にできるかという社内調整能力である。この能力は、特別な能力と言う人もいるが、知識と情報で補うことが可能と考えている。
社内で公に企画提案する前に調整すべき部署と企画の内容に関して十分な調整を済ませておくこと、これが企画提案力として最も重要である。管理者は担当者に社内の情報を与え、この点をうまく指導しなければいけない。
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技術者は機能を創出するのが仕事であり、その遂行により洞察力や情報収集力、論理力、仮説力、仮説検証力だけでなく、想像力やイメージ具現化力が磨かれる。ここにプレゼン力が備われれば、立派なプロの企画マンになれる。
ゴム会社で6年間高純度SiCの事業開発を行いながら、半導体冶工具の企画や切削工具の企画、高性能電気粘性流体の企画などありとあらゆる企画を行うのに、短い経験ではあったが技術開発経験が役だった。
最初は必死で取り組み、企画が認められ、テーマとして予算がつくと一息ついた。しかし半年から1年で成果を求められたので、テーマがつぶされる前にそれを中断し、新テーマの企画提案により予算を獲得した。
買収した会社とのシナジー効果が大きい、とされていた電気粘性流体のプロジェクトで最大の問題となっていた耐久性の改良について相談されたときには、企画書をださずにいきなりソリューションを提示した。
そのまま実用化できる結果だったので、さらに面白い企画は無いか、と言われ、傾斜機能粉体、微粒子分散型微粒子、コンデンサー分散型微粒子という電気粘性流体を高性能化できる3種の微粒子企画を提出した。この時からFDが壊れ始めた。
転職してから当方のFDを使用できないようにいたずらした人の気持ちを理解できるようになったが、当時はリストラされるのではないかと会社の中で生きてゆくのに誰もが必死であった。少しでも良い企画を提案し、予算を得て高純度SiCの事業を成功に導く、ただそれだけを考えていた。電気粘性流体の仕事を当方が担当しようということなど考えてもいなかった。
企画提案の一番難しいところは、根回しである。特に既存事業や既存テーマに破壊的影響力のある企画を社内で提案するときには、まず既存事業や既存テーマを担当している部門や担当者とよくすりあわせを行わなければいけない。
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昨日のNHKスペシャルは、一連のSTAP細胞の問題を社会問題として捉えた見応えのある内容だった。しかし掘り下げ方が少し甘くやや不満も残ったが取り扱いの視点は正しかったのではないか。今やSTAP細胞の問題は一科学分野の問題ではなく、科学と社会の関わりについて問題が発生するような状況になってきたことを訴えるドキュメンタリーとしてうまくまとまっていた。
当方にとっては知識の整理もできて大変役だった。ただ、昨日の番組で学位論文の問題まで取り入れていなかったのは不満だった。学位論文については、小保方氏が「下書きが製本されそのままになっていた」ととんでもない言い訳をしていた問題が認められてしまった、一連の騒動で最も明確な疑惑であり、この騒動の本質と関わる問題である。
学位を取得された方は、学位論文の下書きが誤って製本されそれが学位取得後一年以上放置されることはあり得ないこととして思っておられるのではないか。少なくとも学位取得者は問題に即座に気がつく立場にあるし、それを放置したならば他の問題を引き起こすことを判断できなくてはならない。
少なくとも真理を追究する科学者の役割を考えたら、未熟という二文字で解決できる問題ではない。学位審査に当たられた先生と本人の責任感が欠如しているのである。責任感の欠如した科学者が真理を追究することがその本質である仕事を遂行したらどうなるのか。それが今起きているSTAP細胞の問題である。
番組では、本来若山研究室にあるべきES細胞のサンプルキットが小保方氏の管理する冷蔵庫に保管されていた問題、そしてそれを誰も知らなかった問題、理研内部でSTAP細胞を用いたとされるマウスのDNAが解析されておりSTAP細胞ではなかった、という証拠が得られている問題などいくつか報道されていなかった問題が公開されいずれに対しても小保方氏がその理由を述べていない、と説明していた。
番組では成果主義が厳しくなるとこのような問題が発生する、という扱いをしていた。確かに当方のFDのデータがいたずらされた状況もそのような状況だった。しかし、厳しく成果が求められているのは技術者も同じである。むしろ小さな問題でも放置しないシステム作りが重要ではないか。
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20年ほど前から企画はプロ集団の仕事になった。すなわち、企画にもそのためのスキルが必要で、ある程度の訓練を受けなければ一人前の企画者として勤まらない時代と言われている。また、企画を行うために市場へ出る必要があり、最低でも係長程度のヘッドシップを身につけていた方が動きやすい。
中小企業ならばこの制約が無い代わりに、企画者一人の能力が企業の浮沈を左右する。ゆえに中小企業でも、新入社員にいきなり企画をまかせる無謀なことはしない。学校を出てからある程度実務経験を積んだ信頼できる人に任せるだろう。
企画を一度も経験したことの無い人に、企画をやりたいからと言って事業に関わる企画を任せるには少し勇気がいる。それなりの経験のある人と共同作業を担当させて、企画という仕事を理解させる必要がある。
開発現場では、技術の企画を練習台にして人材を育てると良い。技術企画は商品企画よりも易しいが、企画提案のプロセスと各プロセスで要求される能力はほぼ同じである。ただ提案のやり方や提案の道具も含めたプロセスが商品企画よりも易しい。
ゴム会社で高純度SiCの事業企画が認められ、二億四千万円の先行投資を受けて開発を始めたとたんに社長が交代した。業界3位の会社を業界6位のゴム会社が買収し業界トップを目指すことになった。全社方針が大きく変わったのである。高純度SiCの事業化を進めながら新しい方針に沿った企画を毎年行わなければいけない、艱難辛苦を味わうことになった。
社内ではリストラが進められ、新聞で騒がれた座敷牢と呼ばれる、企画を担当する管理職だけの部屋が作られた。当方は、管理職ではなかったので新しく建てられたファインセラミックス棟で毎日一人で仕事をすることになった。
その建物は武蔵野療養所の塀の横にあり、独身寮から歩いて2分ほどの場所だった。座敷牢という文字を新聞で見つけたときに、自分のいるところは何と呼べば良いのだろうと悩んだ。精神衛生上良くないので結婚して気分を変えた。通勤2分が1時間30分となっただけでも気楽になった。
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転職してびっくりしたのは、中堅技術者に相当する人たちが職人集団になっていたことだ。職人集団になっていたのに、企画をやりたい、という。それでは新技術の企画をやってくださいというと、商品企画をやりたいという。商品のパーツ、すなわち写真フィルムの支持体を開発する部署だったので、職場異動が必要だ、と説明すると、この部署でやりたい、と言い出した。
当方はゴム会社で高純度SiCの事業を起業し、新事業を起業することがいかに大変か説明しても、それは知っています、という。市場調査を行って、云々、とどこかの企画の教科書に書かれているようなことを説明し始める。
かつて、商品企画あるいは事業企画の進め方として、自社の経営資源を整理し基盤技術あるいはコア技術を明確にする作業を行い、その技術から生み出される新製品テーマを探索する作業を進める手順が行われてきた。
そしてある程度商品の形ができてくると売り先である顧客を捜す作業となる。1980年前後まではこのような進め方であり、新人の時に習った方法でもあり、この方法で立案した高純度SiCの企画は、事業立ち上げに苦労した。
高純度SiCのマーケティングを行っている頃から、技術開発のアプローチとして市場調査から入る方法がもてはやされた。すなわち戦略的に攻めようとする顧客を決め、顧客のニーズを掘り下げてそこへ自社のコア技術でソリューションを提供する、という手順である。
今は、これがもう少し発展して、顧客との共創がもてはやされている。すなわちソリューションを顧客とともに創り上げる方法である。
このようになってくると、企画のプロ集団が企業に必要になる。すなわち、顧客とともに価値を共創できるプロである。このようなプロは技術者である必要はなく、もし技術が必要ならばその支援を引き出せる能力があれば良い。課長以上の役職であればヘッドシップでその能力を補うことも可能だ。
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せっかくゴムの混練技術を伝承されたのに、ゴム会社でコンパウンディングの事業企画を行う機会は無かった。写真会社に転職し二回目のリストラを受けたときに、ポリオレフィン樹脂の改質や、中間転写ベルト、複写機用環境対応樹脂の開発でその技術は生きた。
20年以上使わなかった技術だが、錆びてはいなかった。科学よりも先行していた技術を伝承されたので、20年間に進んだ高分子科学の情報を基に見直すことで、新しい技術も生み出すことができた。まさに温故知新である。
光学用ポリオレフィン樹脂にポリスチレン系TPEを相溶させて透明な樹脂を開発することに成功した。この樹脂は驚くべきことに、ポリスチレン系TPEの量を増加させるとその樹脂のTgが増加する。また、延伸すれば偏光板になった。おそらく広視野角フィルムも作ることができたと思うが、残念ながらこの企画をやめて中間転写ベルトの開発を担当することにした。
中間転写ベルトのテーマは、商品の発売が約1年後であったが、パーコレーションの制御が全然できていない状況の厳しいテーマだった。外部のコンパウンドメーカーが、コンパウンドには責任が無く、写真会社の成形技術に問題がある、と説明しており、担当者までそのような認識だった。
コンパウンディング技術の観点からコンパウンドメーカーにアイデアを提供しても素人の意見として扱われ受け入れてもらえない。社内でもコンパウンドの内製化はリスクが高い点と、コンパウンドは外部購入するという方針が決まっており、開発予算がつかない問題などから反対された。
仕方がないから、技能者1名と転職者1名でプロジェクトを結成し、中古機でコンパウンド工場を子会社に建設した。根津にある中小企業のおかげで工場は無事立ち上がり、商品化時期に影響を与えず、コンパウンドの内製化を実現することができた。
早期退職をしようと思っていたら、低コストの環境対応樹脂が必要との声があり、退職時期を1年延ばし、最後のご奉公に再生PET樹脂を開発した。30年前の新入社員時代に伝承された技術が退職前の7年間の仕事で価値ある成果を出してくれた。ただその成果は、ゴム会社へ貢献したのではなく写真会社に対して貢献した。このように身につけた技術というものは時代や会社を越えて可搬性がある。
芸が身を助け、という言葉があるが、技術はリストラ激しい時代にその身を助けてくれる。ただ、退職時期を1年延ばした結果、最終出社日が東日本大震災と重なり、せっかく周囲が準備してくれた最終講演会と送別会が吹っ飛んだ。マジメに勤務したサラリーマンなら誰でも1度味わうことのできる定年退職祝いを地震でつぶされたが、帰宅難民として会社に宿泊できるご褒美をもらった。
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1970年代から問題解決の技法が流行し始めたと言われている。TRIZやUSITはそれよりも前にロシアで開発された科学的問題解決法である。TRIZやUSITが本当に技術開発に役立つかどうかは、その技法の研究された歴史の長さを見れば分かる。
未だに改良が進められている。もうそろそろだめな方法だと分かっても良さそうであるが、TRIZやUSITを推進している人たちは諦めない。問題解決法で問題解決できるように問題解決の努力をしている、というおかしな事が起きている。問題解決法そのものが目標になっている。
退職前に近くの職場でTRIZやUSITの推進委員が難解な言葉に酔いつつ、担当者に講義をしていた。教える方は難解な言葉に酔っ払い、聞く方は難解な手順で汗水流しても当たり前の解しか得られないので落胆し、の繰り返しのシーンを見ても会社の役職上無駄な努力だと言いにくく、そのまま退職した。
そのような悲劇のシーンを見てから、もうかれこれ5年以上経つが、その会社が技術的に優れた会社になった、という評判を聞かない。未だに主要事業は業界4番以下だ。優れた人材が入社しているはずなのに、技術者に育たず職人化してゆく会社は、会社の人事システムと同時に技術者教育について考えてみると良い。たいていは無駄な教育をやっている。
技術者教育で重要な方法の一つは、開発現場で行われる技術の伝承である。ゴム会社で樹脂補強ゴムを新入社員テーマとして担当したときの指導社員は個性的な技術者だった。いわゆる「クセ」のある人物だった。しかし、周囲の技術者は彼の力量を評価し、上司もその技術を信頼し、新入社員の管理ができなくとも指導社員に任命した。
マネジメントは下手であったが技術は一流で、その指導も指導方法は下手であったが中身が濃く、たった3ケ月であったがゴム材料技術の重要なポイントの大半を伝授してくださった。座学と実践の組み合わせで、技術を伝承しようという技術者の熱意が十二分に伝わってきた。すなわち技術の伝承にはコーチングスキルが無くても技術者の伝承しようという意欲と現場が揃っていれば伝わるのである。
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スキルを持たない科学的知識のある新しいタイプの職人が増えている。新入社員から2-3年は技術者に指導されて仕事ができるので本人も会社も困らないが、その後その様な人材はメーカーのお荷物になる。
スキルの高い職人の場合は、それなりに働く場所を用意すれば会社に貢献できるが、学校で学んだ科学的知識をスキルのように誤解していた職人は、その知識が時代とともに陳腐化すると働き場所は無くなる。しかしこのような職人でも長年の開発経験はあるはずだ。
職人がここに気がつくかどうかで、会社に貢献できる人材とどうしようもない人材の二通りに分かれる。長年の開発経験があれば、開発現場から肉体労働が主体の現場へ異動しても会社への貢献ができるが、後者の人材は、そもそも知識労働者の時代の特徴を理解していないので貢献ができないだけでなく、会社にとってその存在すら負の資産になる。
技術者を目指していたはずなのに職人になってしまった、と反省している人材は弊社へご相談ください。適切なアドバイスを致します。50歳になっても意欲さえあれば会社に貢献できる技術者になれると思っている。
本人の意欲さえあればいつでもやり直しができるのが技術者という職業の良いところである。科学者という職業は、年齢とともに能力は必ず低下するという問題もあり、やり直しができるかどうかは個人差が大きい。技術者については、技術者として努力してきた経験があれば、いつでも新しいタイプの職人から技術者へ転向することが可能である。本人と会社にそのような意欲があるかどうかの問題である。
会社によっては技術者を育成していない会社もある。転職してびっくりしたのは、若い人から技術者になりたい、という言葉を聞けない技術部門があったことである。大卒のスタッフの多くは皆管理職志望で、開発現場で技術を担当するのは昇進するための一つのキャリアという位置づけとして考えている。
人事考課における議論でも技術者としての評価をせず、いわゆる総合職としての評価が主体である。すなわち技術者として昇進できない会社である。このような会社では技術の伝承は十分に行われず、昇進できなかった人は技術者にもなれず職人になってゆく。このような会社では技術者が育たないだけでなく、基盤技術も育たないので業界の中で上位になれない。
一方フェローとか専門職、エキスパートなどの役職を用意し、技術者にも昇進の道を用意している会社もある。その様な会社では、技術者は技術者として育ち、企業の業績も向上する。そして業界トップとなる会社も出てくる。メーカーはこのような会社をお手本とすべき、と思う。
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バブルがはじけたときにホワイトカラーのリストラが急激に進んだ。しかしこの時は主に事務部門であり、実用レベルまで技術が進歩したコンピューターの普及がその部門のリストラを加速した。しかし技術開発部門では事務処理担当者の数が減らされただけで、職人のリストラまで行われなかった。
バブル崩壊から20年以上経過し、日本のメーカーにとって新たな成長分野が見えないまま現代のIT成熟時代に至った。失われた10年から新たな成長分野を探索した10年も過ぎ、ソフト化した技術社会が出現した。新技術が市場をリードする時代は過去の事例となり、顧客とともに市場で価値(注)を創造してゆく時代になった。
ソフト化した技術社会では、企画開発力のある技術者が重要であり、過去のルーチン化した開発業務をこなす技術者は「高度な業務を扱うことが専業となる」職人になっていった。これは長期間の修業により高度な技能を身につけた過去の職人と異なり、長い科学教育で身につけた科学知識を活用して高性能な装置を使うことのできる新時代の職人である。このような職人は、過去の職人のような高度なスキルを持ってアウトプットを生産しているのではなく、高度な知識が無ければ扱えない機械の助けを借りてアウトプットを出しているのである。
かつての開発現場ではこのような職人でも立派な技術者として扱われてきたが、ソフト化した技術社会では、高性能な装置にもコンピューターが搭載され、「高度な知識が無くても」一定の手順に従い装置を動かせば、装置にあらかじめ組み込まれたデータベースで判断まで行い、自動でアウトプットとしてまとめてくれる。
装置だけでなく、日々の業務も蓄積されたデータベースが学校で習って身につけた知識を陳腐化し、高度な教育を受けていない職人との差を縮めてしまった。すなわち日々大量に創出されるデータとそれを加工するサービスがあふれているソフト化した社会が学校教育の科学知識をあたかも不要とし、知識労働者で主に科学的知識を活用してきた技術者を職人に追いやってしまった。
(注)それまで技術者は機械装置の機能を実現することだけを考えればよかったが、現在は市場で要求される価値を実現する機能を考えなければいけなくなった。すなわち技術者はハードだけでなくソフトまでも考えなければいけない時代である。
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科学と技術について、以前この欄で述べた。すなわち科学者と技術者は、真理を追究する仕事に携わる者が科学者であり、自然界の現象から新たな機能を発見し、その機能実現を目指す者が技術者である。
それでは、技術者と職人の違いとは何か。技術者と自称する人にこの問いを投げかけると自分は技術者であるが職人は現場で仕事をする人、とか技能を有する人とかの答が返ってくる。しかし、技術者と自称する人の中に自分が職人であることを分かっていない人が多くなってきた。
小学校から科学について学ぶが、技術についてはその職に就かない限り、現在の教育システムでは学ぶことができない。すなわち科学は学校で学べるが、技術は企業以外で学べない。職人には職業訓練所があるので企業以外でも学ぶ機会があるが、技術者は企業で実際に製品開発を担当しながらその力量を磨かない限り育たない。
高学歴となった現代社会では、知識労働者の活躍できる場面が増えてきたが、一方で知識労働者である技術者の生み出した自動化ラインのおかげで職人の仕事は少なくなった。職人の仕事は少なくなったが、知識労働者の職人化が目立ってきた。
知識労働者の働く意味は「貢献」と「自己実現」である、とドラッカーは述べているが、自己実現の努力を怠ると、知識労働者の職人化が起きる。人事部門とか経理部門では、そのような職人は専門職として仕事を担当し、定年退職までそれを続けることが可能である。ただしこのような部門でもOA化が進み、1970年代から仕事が少なくなってきた。ホワイトカラーのリストラを1990年代から進めた結果、定常状態となり職人の存在が問題とならなくなった。
事務部門のリストラは進んだが、技樹部門のホワイトカラーには手つかずの企業が多い。技術部門で知識労働者が技術者として育たず、職人になってしまった場合には技術革新の激しい現代において不要の人材になる。高度経済成長下の日本でそのような人材が増えていても、市場が拡大していったので開発部門で問題にならなかった。
バブルがはじけ低成長下の日本で、さらに人件費の安い他のアジア諸国の新興企業と戦うことになったメーカーではリストラの進んでいない開発部門のコスト削減が重要になってきた。もはや開発部門で職人を多数雇用できない環境になってきたのである。
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