昨日理研は、iPS細胞とSTAP細胞の比較記事について謝罪した。この謝罪で改めてiPS細胞のできる確率が最近は20%程度まで上がっている点をコメントしていた。すでにこの発明の類似点については、非科学的な手段による発明や発見であった点を指摘したが、昨日の謝罪で少し気になった万能細胞ができる確率をコメントした意味について考えてみたい。
技術では、開発した技術がうまく機能する場合と、それが機能しない場合の確率についてロバストネス(ロバスト)という言葉が使われている。ロバストを高める設計をロバスト設計と言い、高いロバストの技術を誰でも設計段階からできるようになったのは、タグチメソッドのおかげである。そしてそのタグチメソッドは故田口先生のおことばによれば統計ではない、と言われている。すなわちタグチメソッドは科学的な統計ではなく技術である、と故田口先生はおっしゃていた。
科学では真理の追究が重要なので、万能細胞が存在しないか、あるいは存在するのかという命題について真か偽かという議論になり、そのロバストは問題にならない。第三者により再現性が確認されれば良い。仮説から導かれた実験でできなければ、「存在しない」ことになり、少しでもできれば「存在する」ことになる。ゆえにイムレラカトシュが「方法の擁護」で述べたように、科学で容易にできるのは否定証明だ、ということになる。
ところで科学で肯定証明を行うためには、「できる」ことを示さなければならないので、「できる」方法、すなわち技術を開発する必要がでてくる。技術開発の哲学については、科学成立以前から存在し、人類の欲望を満たす機能を如何に実現するのか、ということであり、それが科学的でもよいし非科学的手段であっても構わない。さらに忍術や魔法でも再現よくできれば、許される手段である。但しロバストが高くなければ技術として広く普及するまでに至らない。
しかし、科学の世界ではロバストが低くても「できる」ことを示せればよい。魔法や忍術は科学倫理で許されないが、その他の方法であれば偶然の発見でも、実験の失敗でも、あるいは山中博士がやられたような仮説から導かれていない、科学の常識からはずれた「めちゃくちゃな実験」でも、「できる」ことを示すことができれば許される。
すなわち科学で「できる」ことを証明するためには、非科学的ルートを通るケースがあり、それをどのような覚悟で科学者は通過するのか、という問題が出てくる。科学倫理からすれば、科学以外の方法を持ち込むのはタブーである、とまず考える。ところが、科学倫理に忠実にすべて科学的に説明できるルートとは「当たり前」の結果を導くルートである、ということを忘れてはいけない。
理研の中間報告で、小保方さんは「未熟な研究者」として断罪された。一方出身大学の某教授は「理研という組織にいてはいけない人材」とまで言い切った。もしSTAP細胞の存在が科学的に示されたときに、彼らはどのような経緯でSTAP細胞が生まれた、と説明してくれるのだろう。
少なくとも「未熟な研究者」が裸の王様の物語のごとく、成熟した研究者の集団において動物細胞ではできない、といわれていたSTAP細胞を偶然ではあるが創り出した可能性があるのである。科学倫理に長けた科学者ではできない技術を用いてSTAP細胞の存在を人類に示した功労者をどのように「大人の」研究者たちが処遇するのか興味深い。
当たり前でない新しい成果を生み出すためには科学に頼れないことを今回の騒動は示しているように感じる。あるいは科学という哲学では科学的論理に厳密に導かれる真実のみ評価する、という世界で未熟な研究者が重用された結果、起こるべくして起きた騒動かもしれない。そしてこの騒動でSTAP細胞という新しい科学の芽が出始めているのである。もしこの芽が育ったならば、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、未熟な研究者を重用した理研の研究マネジメント能力は凄い、という評価にならないか?
20世紀は科学万能の時代であったが、21世紀は、科学の無い時代にも進歩していた技術哲学を見直し、技術で科学を牽引しなければいけない、と考え花冠大学(www.miragiken.com)のホームページを立ち上げました。
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山中博士がノーベル賞を受賞されたときのNHKの特番で、ヤマナカファクター発見の裏側が詳細に紹介された。そしてヤマナカファクター発見の方法が、今回のSTAP細胞と同様に非科学的方法であったことも示されて世界中が驚いた。山中博士は、特許出願をしていたのでこれまで秘密にしていた、と語られていたが、本当か?
一方STAP細胞はその発見から論文発表まで、まるでドラマを見るがごとくすべて公開された。マウスのリンパから幹細胞を取り出す実験で、幹細胞を取り出しているのではなく創り出している事に気がついた小保方さんはSTAP細胞という概念に気がついた、とされている。しかし、最初は勘違い、として片付けられて誰も信じてくれなかった、泣いた日もあると。
今回は弱酸性の溶液に細胞をつけるだけで幹細胞ができる、ということを発見し、論文発表したが、論文のずさんさから論文取り下げ騒ぎになりその発見は「外部刺激により」リセットされた。さらに学位論文まで飛び火し、泣きたい状況を越えるところまで社会は彼女を追い込んでしまっている。学位論文の問題は査読を十分に行わなかった学位審査委員会の責任であるにも関わらず、である。
論文は2報発表されており、ハーバード大学の教授が書かれた論文がどのようになるのか注目したい。彼は現在でも取り下げを反対しており、一方ネイチャーは執筆者が反対していても雑誌側で取り下げ可能とも語っている。
この一連の流れから、STAP細胞は力学的刺激から幹細胞ができることが小保方さんにより最初に発見され、外部刺激で幹細胞ができる、という仮説を実証するためにいろいろな外部刺激が小保方さんにより試されて弱酸性という条件でできる事が見つかり、論文発表に至った、ということがわかる。
おそらく特許には幅広い条件が書かれていると思われるが、今回の騒動で特許の扱いも微妙に影響する。技術的には力学的刺激で幹細胞ができていたので特許は範囲にこだわらなければ成立するかもしれないが、クレームの範囲に関しては異義申し立てが世界中から来ることになるだろう。理研は特許戦略上まずい発表の仕方をした。
ところでiPS細胞は、いきなりヤマナカファクターありき、で発表され、細胞を初期化する技術の存在が科学的に証明された形で報告された。そのためどのようにヤマナカファクターを決めたのか議論となったが、特許が公開されるまで秘密にされた。正確には特許が公開されても秘密のままで、ノーベル賞を受賞してから公開された。
テレビの特番では大学院生の行った非科学的で大胆な実験がきっかけとなり、さらに実験を進める戦略も極めて技術的発想で非科学的に行われた。当方の邪推かもしれないが、科学者である山中博士には極めてインチキ臭い実験(注)に思えたので秘密にしていたが、ノーベル賞を受賞したので、その仕事に関わった人に報いるために恥ずかしさを承知で公開したのではないかと思っている。特番で紹介されたヤマナカファクター発見の裏側は山中先生の「先生」としての人柄が伝わる話に思える。
(注)科学が無い時代に人類が技術開発において行っていた方法でインチキではない。新しい技術を生み出す事が可能な強力なヒューマンプロセスによる問題解決法である。この議論は(www.miragiken.com)で現在展開中です。
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今回の理研の中間報告で小保方さんには逆風が吹いている。また、以前彼女を賞賛した人々の中には彼女を賞賛したブログを削除したり、出身大学では写真まで削除している。今回の事件、いろいろな見方があるが、もしSTAP細胞が科学的に完全に証明されたなら、それは第一発見者小保方さんの成果であり、彼女に様々な問題があったにせよその評価を正しくしなければいけない。
彼女は学位を再提出する打診をしているという。当然のことと思うと同時に誰が読んでも恥ずかしくない学位論文に仕上げて欲しい。コツは当方も指導されたが、全部日本語で書くことである。少なくとも日本語で書けば、無意識のコピペを防ぐことが可能である。また中部大学のように隅から隅まで審査委員会が査読をすれば今回の問題は起きないはずで、大学がどこまで学位審査に真剣に取り組んでいるか、という問題である。学位論文の「ホ」と「フォ」の間違いから「、」の位置まで細かく指摘し、書き直しを命じる真摯な大学も存在するのである。
その年齢から今回の出来事における彼女の責任は大きい。しかし、科学倫理の問題は、厳しく躾けられない限り身につかない。当方は過去に自分の研究について国立T大の先生に勝手に論文を投稿された経験がある。その大学で学位審査を受けなかったので、結果として「勝手に論文を書かれた事実」が残っている。しかし、その先生は倫理観の欠如した論文の行為において彼女のように厳しい状況になっていない。
今回は彼女を厳しく指導してこなかった諸先生方にも少し責任があるように思う。躾けられなければわからない問題も含んでいる。ただし、意識の高い学生であれば、科学に関する哲学書を高校時代から読んでいるはずで、それらを読めば躾けられなくても今回の問題を起こさない科学者になっているはずだ、ということにも触れておく。
今回の騒動で日本のアカデミアの問題が幾つか公になった。科学倫理の問題は小さな事を放置していると今回のような大きな出来事となって再発する。企業が大きな事故を防ぐために行っているヒヤリハット活動に類似した活動をアカデミアもしなければいけない時代だと思う。おそらく彼女の最も大きな成果は、一連の騒動でいい加減な博士論文でも審査を通過している実情や、科学というものを正しく理解していない研究者の存在、アカデミアの実態はどのようなものなのか明らかにしたことだろう。
弊社は科学と技術の違いに視点をあて、企業で行う研究開発をどのように進めれば良いのか提案している。その活動の一つとして「花冠大学理工学部みらい技術研究部(www.miragiken.com)」の運営を始めました。
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20年ほど前に、バクテリアが生産するセルロースを取り出す技術が実用化され、まずスピーカーなどに活用されたが、これらのセルロースは、植物から得られるセルロースよりも2ケタ程度繊維構造が細く、水分散性がよく、細長い繊維状物質として得られる。
ゆえに水分散性の高分子用フィラーとして活用しやすい。植物由来のセルロースとこれらバクテリアの生産するセルロースとの最も大きな違いは、その純度で、医療材料のような純度の高い工業材料が要求される分野で期待されている。このようなセルロースからゲルを作ると、そのまま濾過膜として活用できる。
例えば酢酸菌などのバクテリアがつくるセルロースは、その繊維幅は植物セルロースに比べて100分の1~1000分の1という細さで、その極細の繊維が複雑に絡み合うことで、アルミニウムシート並の強さの濾過膜を作ることが可能である。また、ココナッツミルクの中で幾多の酢酸菌が縦横無尽に動き回るとセルロースゲルができあがるが、これをシロップ漬けにしたものがナタデココである。糖分を酢酸菌がセルロースに加工している様子を肉眼で見ることはできないが、ナタデココを食べるとその食感からセルロースが多糖類の一種であり繊維素と呼ばれるのもなんとなく理解できる。
バクテリアセルロース以外に、ホヤセルロースの研究もおこなわれている。ホヤは、俗に海のパイナップルと呼ばれる海産動物で、古くから食用とされ、養殖も盛んに行われている。現在のところ、ホヤは、体内でセルロースを合成することが確認された唯一の動物である。本来バクテリアが持っているセルロース合成遺伝子が、進化の過程で取り込まれ、セルロース合成のプロセシング機能を獲得できたと言われている。 ゆえにホヤ以外の動物からセルロースが発見される可能性が残っている。
バクテリアを含め、生物が生成するセルロースの、夢の活用の仕方として、運動可能な生物の特徴を利用したナノビルダーというアイデアがある。すなわち培地の上に生体高分子でつくったレールを配置し、酢酸菌がそのレール上を行き来すると、そこに排出されたナノ繊維が吸着され繊維が一方向に整列したフィルムができる可能性がある。
植物からセルロースを取り出す方法では製造できなかったナノ構造体をバクテリアの運動能力を用いて製造することができる。セルロース結晶の強靭なナノ構造体と他の機能素材とを複合し、ナノ機能材料を開発する分野は、バクテリアの運動制御のアイデアと材料設計技術が必要で、環境技術だけでなく生物材料科学としても期待される分野である。
セルロースについて以前「科学と教育」に掲載された内容を連載してきたが、最近はセルロースと同じ多糖類であるパラミロンの研究も行っている。パラミロンはミドリムシから容易に採取できる物質で、セルロースを変性したTACの製造プロセスをそのまま使用可能で、優れた環境樹脂を製造できる。ミドリムシの培養からパラミロンの抽出、アセチル化までは少し努力すれば一般家庭の台所でも実験できる。すでに光学用樹脂として特許を出願したのでご興味のある方は弊社へお問い合わせください。
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理化学研究所の中間報告で明らかになった画像編集の事実はショックであった。科学の世界でも技術の世界でも現物が重要なはずである。多少写りが悪くともその写真が実験結果であれば、そのまま使うのが常識である。
科学でも技術でもくり返し再現性が大切であるが、技術ではさらにそのロバストも問題になる。くり返し再現性については、現物の突き合わせが必ず行われる。デザインレビューにおける品質チェックは厳しく、規定にあるエビデンスのすべてが揃っていなければ現物という評価を頂けない。逆に現物を示すデータが全て揃えさえすれば同じ物という評価を頂ける易しい仕組みとも言えるが。
かつて、A(高分子),B(高分子),C(導電性微粒子)の3成分からなら電子写真のキーパーツの開発を製品化の最終段階で業務を引き継ぎ担当したときには大変であった。3成分の量比まで決まっており、最終段階の開発フェーズのためそれらを変更することができなかったのだ。幸いなことにその材料の特性は品質特性で記述されており、材料の科学的な特性を示すデータは、組成とその比率、力学物性だけであった。このような状況で歩留まりを30%から80%以上へ、そして物性も一部改良するという難問を弊社の問題解決法で解いたのだ。
技術の改良手段として科学的にナンセンスなAとBの高分子を相溶させる方法を選びゴールを達成した。科学的なフローリーハギンズの理論に反する実験結果が得られたが、技術的にはAとBが相溶することによりずば抜けた品質特性の商品が完成した。新しい平面剪断装置によるプロセス再現性も良かったが、その時困ったのは品質特性の一つ靱性を示す物性が著しく改善されたことだ。
すなわちこれまでのデザインレビューで議論してきた商品と同じ物かどうかが、その良すぎる物性から疑われたのである。改良前の材料ではAとBの高分子が相溶していないが、改良後ではそれらが相溶したので科学的には同じ物質ではない。ゆえに疑われることは覚悟していた。しかし、デザインレビューの議論で必要となる「同じ物」を示すエビデンスをそのまま揃えた。
その結果、品質特性が当初予想された設計品質として最高の商品ができていることが明確になり、それで議論になった。「品質を落とすために、もう半年開発を続けます」と発言したら、特例として商品化にゴーサインが出た。技術開発における現物の議論は第三者が見ると奇異に感じるぐらいに厳格に行われるのである。ただしその議論は科学的ロジックを用いているにもかかわらず、議論している人間は専門家ではないので、この例のように科学的には少し奇妙な結論が出たりする。しかし技術では機能をロバストよく再現できることが重要で科学的な厳密性は問われない。
この事例では、AとBの高分子が相溶した場合と相溶していない場合では、科学的に同じ物質では無い。また現代の科学ではAとBの高分子が相溶した状態で安定に存在することは否定される(注1)。ゆえに商品として新技術で創られた物質は科学的に大いに怪しいが、技術的にはタグチメソッドでそのロバストが証明されており、会社の品質基準も靱性以外全て満たしている。靱性も上限を決めていた品質基準がおかしいわけで、靱性というパラメーターは高ければ高いほど壊れにくくなるので良い方にはずれる分には問題ない項目である(注2)。
ただし、品質特性が良すぎるから、といって悪い品質データに改竄しデザインレビューにかけることは、たとえ副作用が生じないと分かっていても行わない。あくまでも現物のデータをそのまま議論の場に提出するのがデザインレビューのルールである。
(注1)科学の世界では科学で明確にされた真実がひっくり返ることが稀にある。また自然現象で科学的に解明されているのはほんのわずかである。STAP細胞の騒動の問題も、植物では起こりうる現象だが動物では絶対に起きない現象である、と科学的に結論づけられた真実があるために騒動になったのだ。またそのような問題であったために日本の学会はつぶす方向へ早くから動いたのである。STAP細胞の騒動で科学の正体を垣間見たことになるのだが、哲学者イムレラカトシュはすでにその点、科学の方法論の問題を指摘している。但しだからといって科学的方法が否定されるものではない。科学に代わる方法が無いのである。だからイノベーションという事象に対して科学と技術をどのようにマネジメントすべきか、という問題である。弊社の問題解決法では一つの答を提案している。
(注2)商品によっては壊れなければ機能しない場合がある。その時は逆になるか、あるいは靱性の許容範囲を厳密に守る必要が出てくる。例えば電気のヒューズはそれに近い商品である。
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今回のSTAP細胞の騒動について、理化学研究所の会見が昨日あった。まだ中間報告の段階だが、事実として分かってきたことは、若手研究者に科学の厳しさを指導していなかった(注1)、ということである。
理化学研究所の理事長野依先生は名古屋大学では鬼軍曹とまで陰で言われていた、科学に対する厳しい姿勢では評判の先生だった。当方が卒業研究をしていた研究室は野依研とも親しい関係にあり、当方を指導してくださったI先生は野依先生よりは厳しくないとご自分で言われていた。その野依先生より厳しくないI先生は、卒業論文の〆切前日に50報前後の英語論文の山(注2)をつきつけ、卒業論文の書き直しを当時4年生である当方に命じてきた。
当方も卒業したい一心で徹夜し、50報もの論文を参考論文として整理し、緒言や実験結果の考察の引用論文として反映し(引用箇所にはすべて正確に論文情報を添付したのは当然だが結構大変な作業である)、すべて卒論を書き直した。ワープロなど無い時代である。しかし20時間程度で完成したのには驚いた。人間必死になればもの凄い力が出るし、またその底力は1年鍛えられた結果でもあった。翌日I先生はできて当然、と言われ卒業論文を見直してくださった。
理化学研究所の会見を聞いていると、そのような厳しい姿勢がSTAP細胞論文作成に無かったようだ。小保方さんは当然のように安直に画像の切り貼りをして論文をしあげ、指導する立場の人もそれを許していた。
自称野依先生ほど厳しくないと申されていたI先生は、科学者という職業では厳しさを忘れてはいけないことを日々指導してくださった。だから〆切前日論文の山を渡されても粛々と手をぬくこと無く、その厳しさに真摯に応えることが当然と思って誠実に作業を進めた思い出がある。
先日S先生の最終講義の日にS先生の指導担当だったI先生もいらっしゃった。いつのまにか優しいI先生になられていた。しかし野依先生には今回の事件で昔の厳しさを取り戻して頂きたい。技術は機能に不具合があれば市場から厳しいペナルティーを被る。技術者は市場から常に厳しい評価を受けながら日々開発現場に臨んでいる。科学者は真理の前に自ら厳しさを課さなければ今回のような事件が起きるのである。今回の事件は単なる捏造ではなく厳しさの欠如から生まれたミスだろう。それでも捏造と騒がれるところが悲しい科学者の立場である。
(注1)「厳しく指導する」ことではない。「厳しさ」を教える指導が必要。
(注2)卒論に不足しているだろう論文を予めコピーしておいてくださった親切な先生である。優しさから生まれる厳しさが人を育てる。
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液晶ディスプレーは、二枚の偏光板の間に駆動可能な機構を有する液晶を挟み込んだ構造で、バックライトを付設し画像を見やすくしている。現在は液晶をガラスで挟んでいるが、近い将来すべて高分子材料のフィルムで構成された液晶ディスプレーが登場する可能性がある。
有機ELやプラズマディスプレーのような自発光型のディスプレーに用いられるフィルムについて、セルロースがいつまで使用されるか不明であるが、液晶の偏光板に使用されるセルロースフィルムは、偏光板の材料としてポリビニルアルコール(PVA)が使用される限り、あるいは偏光板の製造に水が使用される限り、セルロースフィルムが使われ続ける可能性が高い。
理由は偏光板の製造プロセスにあり、現在のプロセスではPVAを水性接着剤でTACと貼り合わせ乾燥させる工程になっており、PVAを挟むフィルムが透湿性でない場合には偏光板の水分管理が難しくなる。偏光板の保護フィルム機能としては透湿性フィルムが必要と思われる。
ただし現在のTACフィルムは、環境負荷の高い溶媒を使用した流延法で製造されるので、今後セルロースフィルムを無溶媒で製造する新技術の開発が環境対応技術として不可欠である。
その他ガラスを置き換えるにはどのような変性が必要か、フィルムそのものを機能化し複数のフィルム機能を1枚のフィルムで達成できないか、さらには溶媒キャスト製膜よりも生産性が高い押出成型によるセルロースフィルムなどの開発課題は豊富である。
以前触れたが、ミドリムシプラスチックスはセルロースと類似の多糖類のプラスチックスでセルロースよりも流動性がある。すなわち変性セルロースで押出成形が難しくともミドリムシプラスチックス(パラミロン誘導体)ならば可能なので、この分野にミドリムシプラスチックスが応用されるかもしれない。
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小保方さんの学位論文は英文で書かれており、数カ所に他の論文のベタコピーが存在する、と発表された。STAP細胞発見の業績評価とこの問題は無関係のはずであるが、STAP細胞発見の業績をおとしめるような扱い方である。
まず学位論文の問題から明確にしておく。彼女の学位論文はすでに審査されたものであり、学位論文の責任はその審査委員会にある。確かに他の人の論文を引用しながらその引用先を示さなかったのは盗作と言われても仕方がないだろう。しかしそれを指導しなかった審査委員会のザル審査のほうがもっと問題が大きい。
その大学の学位論文には、小保方さんの論文以外にも同様の問題が潜んでいる可能性があり、彼女の論文の問題を大きな問題として扱うならば、その大学の学位論文全てを疑惑の対象として調査しなければならない。彼女の論文だけの問題として終結してはいけない。
実は学位論文を作成する場合に英文で作成した方が簡単である。理由はすでに海外に投稿した論文の英文をそのまま利用できるからである。また化合物名はじめカタカナで記載される外国語は日本語にするとミスを犯しやすい。また、論理を展開する場合に日本語よりも英語のほうが扱いやすく、さらに英借文という奥の手がある。
ちなみに英借文とは、類似議論を行っている英文を探し、一部自分のテーマで書き直す方法で、単なるコピペと異なり、英語論文の指南書にも示されている方法である。英借文は日本人の英語論文を読むと随所に見つけることが可能である。おそらく英借文に対して日本の学会は寛容なのであろう。
ただし同様のことを日本語で行うとまことにかっこ悪い結果になる。スムーズな日本語にならない場合が多い。これは日本語の文法が原因である。そのため、化合物名含め学術用語はカタカナが多い点と英借文が使える手軽さから英文で学位論文を作成した方が容易となる。
このような理由で国立T大で学位審査を受けるときに当初英文で学位論文を作成していた。しかし、審査途中で主査の先生が他の私大へ転籍され、代わりの先生が主査になられた。そしてその先生から奨学寄付金の要求をされたのである。ちょうどゴム会社から写真会社へ転職したばかりであり、ゴム会社の研究のために奨学寄付金を転職先から支払うこともできず、また金額も高額であったので国立T大で学位取得をあきらめた。
一度は諦めたがすでに論文ができあがっていたので、学生時代の恩師にご相談したら中部大学を紹介してくださった。天下の国立T大の先生の指導で書いていた論文なので、そのまま提出すればすぐに学位を頂けるのか、と思ったら甘かった。すべて日本語で作成するように指導された。英文は盗作の問題を抱え込むので日本語で書くようにというのが理由であった。そのかわり語学能力評価については、英語と第二外国語の両方を試験するので心配しなくて良い、と恐怖のありがたい言葉を頂いた。
せっかく書いた自分の英語論文を翻訳する作業と語学試験の対策でその日から地獄の日々となった。日本語の学位論文が完成してからも大変であった。化合物名のカタカナ記述の間違い以外に、句読点の位置、改行および行間の取り方まで細かく指導頂いた。論文提出まで結局1年を費やした。しかし、学位審査料8万円だけで学位を頂けて何かお得な感じがした。きめ細かな指導と難しい試験まで受けて一桁の費用である。おまけに学位授与式はたった一人のために学長始めその大学の学監まで勢揃いの中で行われ感動的であった。
その時主査の先生がポロッと言われた言葉が印象的で、「他の大学に負けないような学位論文に仕上げたかったので意地悪に見えたかもしれないが勘弁な―――」。世界初の有機無機ハイブリッドによる高純度SiCの合成やその反応速度論を含む「リン、ホウ素およびケイ素化合物を用いた機能性材料のケミカルプロセシングとその評価」という学位論文は、見知らぬ70名以上の研究者の問い合わせを頂いた。印刷した100冊は知人に配れず大半は見知らぬ方へ配布された。しかし20年以上たってもクレームはきていない。中部大学に感謝している。
欠陥博士論文が発見されたときにそれは著者の責任では無く、審査した大学の責任である。著者は指導を受ける立場の人間で、指導を受け認められて晴れて「博士」となるのである。また研究者を指導し育てるためにアカデミアがあるのである。むしろ小保方さんはダメ大学に学位審査をゆだねたために研究者として指導される機会を失った被害者とも言える。
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かつて乾板写真の支持体には、ガラスが使用されていた。このガラスに代わる透明で可撓性のあるフィルムを発明したのは、George Eastman と Thomas A. Edison である。
この時使用されたのは、セルロースの水酸基に、ニトロ化すなわち硫酸触媒下で硝酸を反応させたニトロセルロース(NC)という合成セルロースである。
硫酸と硝酸の比率を変化させてニトロ化を行うと、セルロースのすべての水酸基をニトロ化することができ、これは綿火薬という爆発物である。綿火薬のニトロ化の割合は14%であり、これを11%前後とした材料が、当時写真用ベースフィルムとして使用された。
しかし、ニトロセルロースには発火性があり、静電気でも容易に発火する代物で、代替フィルムの研究も行われたがなかなか良いものが見つからず60年ほど使用され続けた。
1923年ホームムービー用にセルロースジアセテート(DAC)が用いられたが、低湿下で脆く経時で可塑剤が抜け、その結果フィルムがねじれたり、収縮したりといった問題が生じ普及しなかった。
1930年に入り、プロピオン酸と無水酢酸の混合物、またはブタン酸と無水酢酸の混合物をセルロースと反応させた混酸セルロースエステルが発明された。セルロースアセテートプロピオネート(CAP)、あるいはセルロースアセテートブチレートは、物性がNCよりもすぐれていたので1940年ごろには、順次NCからの置き換えが進んだ。
現在のカラーフィルムに使用されているセルローストリアセテート(TAC)については、1950年代にCAPやDACから置き換えが進められた。
写真用ベースフィルムの候補として、ポリエチレンテレフタレート(PET)、ポリカーボネート(PC)やポリスチレン(PS)なども検討されたが、諸物性のバランスから、映画用フィルムや135フォーマットフィルム用にはTAC,Xレイや印刷用フィルムにはPETが使用されるようになった。
写真用ベースフィルムとして、新素材フィルムが登場しても、またフィルム製造に環境負荷の高いメチレンクロライドを使用しているにもかかわらず、セルロースフィルムは完全に無くなることはなかったが、アナログからデジタルというパラダイム変化の前には、写真用ベースフィルムは風前の灯状態にある。
しかしTACが完全にPETに置き換わらなかった理由を考察することは、合成セルロースの性質と用途を考える上で重要である。PETフィルムに置き換わったフィルムは、いずれも平板状で巻かずに使用する分野である。
135フォーマットフィルムも映画用フィルムも長いフィルムを巻いて使用する。すなわち、PETには巻き癖がつきやすい欠点があり、巻いて使用する分野には使用できなかった。しかし、TACには吸湿すると巻き癖が解消される性質があり、現像処理の間に巻き癖がとれるので、現像処理後にカールする心配が無い。
このTACのわずかに吸湿する特性はセロハンほどではなく、吸湿による形状変化は殆どない。TACのこの便利な透湿性は、他の合成高分子から製造された透明フィルムに備わっていない性質であり、また添加剤でその透湿性を制御できる特徴がある。
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STAP細胞論文の共著者山梨大教授が、論文取り下げを呼びかけている、という。おかしな話である。毎日新聞の取材に対してご自分が関与した研究が信用できなくなった、と発言している。現在公開されている状況から、もし間違っていたとしたら科学者として早めに白旗を揚げた方がキズを深くしないと判断された結果だろう。
山梨大教授は最も身近で共同研究をしていた人である。彼が白旗を揚げたら小保方さんはどうなるか。科学者としての判断は正しいかもしれないが、男としての判断には「?」がつく。しかし、こと問題は男の器量で議論する問題ではなく科学の問題なので「立派な教授」の行動と考えるべきか。
30年ほど前に有機無機ハイブリッドから高純度SiCを合成する新手法を開発し、その反応速度論の論文をまとめていた。学位の相談に国立T大O助教授を訪問したところ、O助教授は「研究として先駆的であり重要だから」と言ってご自分を筆頭にして、論文を勝手に投稿してくださった。実験企画から実験データ収集、データのまとめまですべて一人で行い、その先生には学位論文のご相談にのっていただいただけなのだが、ご丁寧に論文を迅速に出してくださった。
STAP細胞の騒動を見ていると、真の発明者を末席にした論文を投稿してくださった先生には感謝しなければいけないのかもしれない。当時無機高分子と有機高分子とが均一に混合され、有機無機ハイブリッドが合成されるという研究は誰もやっていなかったキワモノの研究だったから学位も持っていない人間が一人で論文投稿してもボツになる可能性は大きかった。それを権威ある先生が筆頭で投稿してくださったのだから。
また、会社から前駆体高分子の詳細については論文に書いてはいけない、と指示されていた。すなわちノウハウとしてブラックボックス化し、事業を有利に展開した方が良い、という判断で、論文の書き方も工夫しなければいけない状況であった。それを研究には関与していなかったO先生はうまく書き直して出してくださったのだから、親切と解釈すべきか?
前駆体高分子の部分をブラックボックス化した結果、他社でまねをすることができずゴム会社は独走することができて、30年経過した現在もその事業は続いている。技術として成功しているが、その後日本化学会から賞を頂くまで科学として評価されることは無かった。
科学では、真実が全てである。理研の発表では、現在も研究の概要に間違いは無い、と言っているのだから、STAP細胞の存在は真実の可能性は高いと思われる。小保方さんは、そのSTAP細胞の発見者として歴史に残るだろうし、残って欲しいと思う。学位論文の疑惑も含めいろいろと問題噴出の研究者のようだが、今回の業績は切り離して考えるべきである。山梨大教授も緑色に光るマウスを見て感動した、と1ケ月前には発言していたわけで、ここは彼女を支える側に回り、日本人が感動する人情劇を見せて欲しかった。
若い経験の浅い研究者の場合に勇み足はよくある。しかしそれを指導し育てるのは年上の研究者の役割である。今回第一発見者の若手研究者の栄誉も明確になっており、とかく徒弟制度的情景が見られる研究分野では極めて稀なケースではないだろうか。
もし本当に大きな間違いであったなら、それは論文執筆者全員の責任である。彼女がインチキでもして他の研究者を欺いていたならば論文取り下げ呼びかけを一人の研究者がマスコミに発表しても良いが、そうでないならば共著者全員の意見が揃ったところで論文取り下げを公表すべきであった。
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