故ドラッカーは、知識労働者の強みについて論じている。「才能」ではなく、「強み」と表現しているところが重要である。
才能は、「天賦の才能」と表現されるように不幸にも恵まれない人の方が多い。天は人の上に人を作らなかったが、才能の有無の不公平を生み出したようだ。
ただ、現代社会は才能豊富な人材については、その才能が社会に活かされるように希望し、才能豊かな人材の人生を社会が決めてしまう。義務教育により知識を身に着け、自由な人生を生きることができるのは、凡人だけに与えられた特権である。
才能豊かなスポーツ選手が、役割を終え第二の人生に失敗する事例が多いことに凡人は目を向けるべきである。凡人は秀でた才能がないゆえに第二とか第三の人生で大きな失敗とならない。
お金は自由を保障するといわれたりするが、お金があっても健康を害していてはその自由を享受できない。お金と健康はよく話題になるが、知識により形成される強みについてあまり議論されない。
ドラッカーは、その強みについて、彼の生涯の著書に考え方を展開している。今は彼がその到来を予言した高度知識労働者の時代である。職人と言えども一定の知識が無ければ職に就くことができなくなった。
古典落語に出てくるような職人では、生活しずらくなったのが現代社会である。ドラッカーは、知識によりその強みを磨くことができる、と述べている。また知識労働者は、常に知識を学ぶ努力をし、その強みを磨いてはじめて自由な労働が可能と説いている。
DXの進展する社会について、ドラッカーは遺作「ネクストソサイアティー」の中で、「歴史が見たことの無い社会が始まる」と述べている。
すなわち、知識労働者の時代について、数々の有益なアドバイスを残してくれたドラッカーもDX後のアドバイスを語ることができなかった。
高校時代からドラッカーを読み続けてきたが、彼がデータサイエンスを知っていたなら、間違いなく多くの知識労働者の強みを磨くためにその知識獲得の重要性を指摘するだろう。
弊社は知識労働者の強みをDX後の社会で発揮できるよう、50年近く磨いてきたデータサイエンスの知識を提供しています。
来年のセミナー予定を今週末までには公開予定でいます。
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ロシアが参加しなかった影響もあるかもしれないが、フィギュアスケートグランプリシリーズファイナルで日本が3冠を達成した。また三原選手は、ファイナルまですべて優勝で揃えた。これは日本人初の快挙である。
渡部絵美選手の時代からフィギュアスケートを毎年楽しみに見ているが、このスポーツほど才能と運の影響が大きく表れるスポーツは無いと感じている。
何でも才能と運の影響は大きい、と言われるかもしれないが、フィギュアスケートは才能の差を素人でも感じ取れるスポーツの一つである。
例えば三原選手はそのスケーティングスピードや表現力においてシニア登場時から専門家の誰もが称賛していたが、素人の目にもそれを理解できる十分な演技だ。
トリプルアクセルのような技は無いが、スケーティング全体から感じられる芸術性は天性の才であることは、評論家も指摘しているので確かだろう。
かつて4回転時代の幕開けの時にプルシェンコが、4回転を飛ぶだけがフィギュアではない、と言っていたが、4回転の名手の言葉だけにそのあとの説明に説得力があった。
フィギュアスケートというものは、スポーツであるとともに高度な芸術性も求められる稀有なスポーツである。その芸術性は、ただ練習しただけでは身につかない、スケーターの才能に依存する部分だろう。
このような天性の才能を目の当たりにすると、凡人はため息をつくことになるのだが、亡母は才能が無い幸福を説いていた。
才能に人生が縛られる不自由さを教えてくれたのだが、凡人には好きなことにチャレンジできる特権がある。人生の終盤になってみるとこの特権のありがたみが分かる。
データサイエンスという言葉など無い時代に、業務がきっかけとなり購入したパソコンに夢中になった。統計手法やとるにたらない現象のシミュレーションなどパソコンでデータ解析する遊びを暇があればやっていた。
また、様々なプログラミング言語にも挑戦したが、この方面に才能があったなら高純度SiCの事業化やカオス混合装置の発明などチャンスが無かっただろうと思われる。
何も才能が無かったので、無機材料から有機材料まで、コンピューターゲームやシミュレーションからAIまで、様々な技術にチャレンジでき達成感を味わうことができた。凡人ゆえの特権である。
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トランスサイエンスという言葉が一般化したので、今時科学ですべての技術の問題を解くことができると思っている人はいないだろう。
しかし、バブル崩壊直前までは傲慢にも科学ですべての問題を解くことが可能と考えていた人は多い。現象を大局的に捉え、科学でどこまでアプローチできるのか考える習慣さえも否定されていた時代がある。
少なくとも当方が経験した研究所ではそうであった。例えば製品開発を行う時に、そこで必要となる材料の機能がどのように発揮されているのか知る実験を優先して行っていると馬鹿にされた。
難燃性ウレタン発泡体では、リアクティブブレンドで反応バランスをとりながら発泡化を行う必要があるが、1980年当時リアクティブブレンドの経験知の体系は知られていたが、難燃剤を添加するとその影響で反応バランスが崩れる。
このような製品開発では、重要な機能の制御因子を調べる実験と反応バランスを制御する因子を調べる実験とを並行して行うと効率が良いのだが、前者の実験を無駄な実験と考える人がいる。
しかし、反応バランスを制御する因子について形式知が明確になっていない場合には、反応バランスを制御する因子を科学で明確にできる保証はない。だから基礎研究を行うのだ、と当時よく言われたのだが、製品開発ではスケジュールが決まっているものである。
基礎研究からやっていては計画を立てられない場合もある。詳細な議論を省くが、とりあえず新製品に必要な機能を見定めてから基礎研究を行うことが良いと思っている。
この方法を推し進めるとアジャイル開発となるのだが、社会人1年生にはそこまで思いが至らない。それでも新製品を実現できるのかどうか、最初に見極めたいと考えて難燃剤の機能研究を優先しながら発泡研究を行っていたら叱られた。
始末書も納得できない出来事だったが、両方並行して進めていたのだから叱られる理由がわからなかった。発泡研究だけに専念しろ、と言われても、調査結果から形式知が不足していることは明確であり、不足している形式知を明らかにしても、その結果が製品開発に直接寄与しないことを誰もが知っていた。アカデミアよりもアカデミックな研究所の思い出である。
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ゴム会社に入社して半年間研修があった。工場実習や営業の実習、技術開発実習はじめ実務に必要なスキルをこの時に一通り学んだ。ゴム会社の研修は当時業界でも定評があり、半年間のこの研修を終了後配属されると配属先ですぐに実務にとりかかることができた。
この研修のカリキュラムで特に会社が力を入れていたのは、QC手法であり、社是「最高の品質で社会に貢献」は、企業姿勢を表すと同時にそのような商品開発が研究所以外で行われていた。
研修の講師は日科技連から派遣されており、QC7つ道具や新QC7つ道具を中心に徹底した技術者教育が行われたのだが、研究所に配属されてびっくりしたのは、職場の人たちはQCの研修をバカにしていたのだ。
配属されて業務をQC手法で行っていると、科学の研究では無駄だと周囲の先輩から笑われた。ただ最初の3か月間指導してくださった混練の神様のような指導社員だけは異なっていた。
QC手法以外のシミュレーション技法や現在話題となっているデータサイエンスとよべるスキルを教えてくださったのだが、これらの知識を表に出すと研究所では馬鹿にされるから、企画を練る時に使え、と指導された。
ゴム会社の研究所は、アカデミアよりもアカデミックで実験は仮説を中心に行わないと評価されなかった。また、良い研究成果が出ると学会発表も活発に行っていた。
しかし、長い間研究所から事業に貢献するような成果が出ない問題を抱えていた。研究開発本部長は1000に3つでも研究が事業につながれば大当たりだ、と真顔で語っていた(注)。
当時のゴム会社の研究所の風土は、タイヤ事業の開発部隊の風土とは大きく異なっており、半年間の研修を終えた新入社員の目には別世界であった。
そして、この別世界の研究所で、科学の手法と統計手法、すなわち今でいうところのデータサイエンスの手法の両方を用いて、頭を切り替えながら研究開発を行っていたのだが、このおかげでデータサイエンスのスキルの特徴を充分に理解することができた。今それをセミナーで公開している。
(注)フェノール樹脂とポリエチルシリケートのポリマーアロイのヤミ研究は、容易に認められて推進することができたのだが、それを事業化する提案を夢のような話だとされたのは残念だった。Y本部長がU本部長に代わり、事業化を推進できるようになったのだが、基礎研究段階でも「それが事業の何になるのか」考えることは重要である。U本部長の時に住友金属工業との半導体治工具事業として立ち上がり、それが30年ゴム会社で続くことになるのだが、Y本部長やI本部長だったなら、無理だったろう。企業の研究所に対する哲学で、研究開発の効率は大きく変わる。日本の企業の研究所にはU本部長のようなリーダーが必要である。このU本部長の迷言に「女学生より甘い」という今なら問題となる発言があるが、これは研究企画会議で研究所の管理職に発せられた言葉である。スピードワゴンの井戸田の「あまーーい」はその後有名となっているが出身地は同じ愛知県である。愛知県は八丁味噌が有名だがその他の名物として甘い銘菓が多い。また、八丁味噌には隠し味として、少し甘いはちみつを入れるとおいしい。
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高純度SiCを合成しようとするときに、高純度のシリカと高純度のカーボンを反応させて合成すればよい、と無機化学者ならば最初に考える。
しかし、高純度のシリカとカーボンを化学量論比で混合してもウィスカーが生成したり未反応のシリカが残る問題をどう解決するのか。カーボンを大過剰に用いるとその問題を一度に解決できる技術が1970年代に公開されている。
それでは、カーボンを大過剰に用いたときに、SiC合成後反応に使用されなかった余分なカーボンをどうやって除去するのか。
カーボンは焼却すればよい、という人は、SiCも酸化される問題を考えていない。結局高純度カーボンと高純度シリカの反応では、高純度SiCを製造することが難しいと気がつく。
耐熱性の高い無機材料の場合に不純物を除去するためにエネルギーがかかるので、原材料に有機物を使用し、分子レベルでシリカとカーボンの混合された状態ができないかを考えることになる。
この考え方で、高純度フェノール樹脂と高純度ポリエチルシリケートを原料に用いるアイデアが生まれている。しかし、χが大きいのでこの両者の原料を均一混合することが難しい。
唯一の方法がリアクティブブレンドになるのだが、反応条件を見出すための科学的に進める実験手順は工数がかかることが容易に想像できる。それではどうするのか。
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χの大きな2種のポリマーを混ぜると分離する。これは水と油を混ぜようとしてもうまく混ざらない現象と似ている。
水と油の場合には、界面活性剤を添加してミセルを形成すると、混合した時に均一な懸濁液となる。ポリマーの混合では、相溶化剤(コンパチビライザー)を混ぜるとうまく混ざることが多い。
界面活性剤もコンパチビライザーも機能として似ているが、両者を同一機能の視点で扱った論文を見たことが無い。その結果、シリコーンポリマーに微粒子を分散した電気粘性流体に界面活性剤を添加する技術について、平気で否定証明を展開する優秀な科学者が現れた。
この科学者について書くつもりはないが、コンパチビライザーと界面活性剤の機能は似ている。しかし、界面活性剤の理論がミセルを前提にしているが、コンパチビライザーは界面の自由エネルギーの低下を期待して用いる。
詳細は弊社に問い合わせていただきたいが、電気粘性流体の耐久性問題では、シリコーンオイル内にミセルを形成する考え方では問題解決ができなかったらしい。
らしい、と書いたのは、詳細な研究データを見せてもらえなかっただけでなく、議論にも加えてもらえなかったからだ。ただ、社内のプレゼンテーションでは立派な否定証明が展開されて高い評価を受けている。
当方はこの耐久性問題をデータサイエンスにより解決したのだが、そして電気粘性流体の実用化にも新たな粉体を設計し提供したにもかかわらず、いかがわしい事態になり、転職している。
科学的な実験で実用性が無くても高い評価がなされた時代の話である。研究所は1000に一つ当たればよい、と所長以下のんきに話していた時代がバブル前に存在した。
そのような時代に科学的研究と非科学的なデータサイエンスによる問題解決法とを並行して進めてきた。前者の成果で学位を授与され、後者の特許や学会で公開されたデータをセミナーでお話ししている。
科学論が盛んに議論され、日本の科学技術がバラ色の未来を約束すると多くの日本人が科学に酔っていた時代に、アメリカでトランスサイエンスという言葉が誕生している。
ムーアの法則がいつまで続くのかもアメリカ人は真剣に議論していた。ソフトバンク発行の大衆コンピューター雑誌には、DXという言葉こそ使われていなかったがオブジェクト指向の到来が紹介されていた。
やがて未来のエージェント指向の闇が議論され、20世紀末に映画「マトリックス」へと流れてゆく。それらの雑誌はすべて廃刊となった21世紀にDXという言葉が一般化している。
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刑事コロンボから犯人が得た情報により、犯人はそれに対応した行動ををとり、それが原因で事件解決へ向かうので、データ駆動の犯人逮捕劇だと思っている。
シャーロックホームズは常に仮説を設定し、その仮説の正しさを確認しながら帰納的に事件解決へ向かうのに対し、刑事コロンボの事件解決方法は、演繹法的といえるかもしれない。
しかし、刑事コロンボのいくつかの事件では、おとり捜査が使われたりしている。ヒューリスティックな解を得たコロンボは、その正しさを一気に確認するためにおとりを使うのである。
もし、刑事コロンボと名探偵ホームズとが事件解決の競争を行ったら、刑事コロンボに軍配が上がると思われる。彼は事件解決までに90分以上かからないのだ。名探偵ホームズのシリーズの中には読み終えるのに1週間かかる長編も存在する。
これはそのまま技術開発の実験方法にも当てはまる。科学的実験は、時間がかかるのだ。しかし、非科学的実験方法では短時間に新しい技術が誕生する体験が多かった。
実例はiPS細胞のヤマナカファクター発見のための実験方法がそれである。4種の遺伝子の組み合わせをあみだくじ方式で簡単に見出している。
これを科学的に実験を行っていたら、山中博士の言葉を借りれば「生きている間にiPS細胞を作れるかどうかわからなかった」。これはノーベル賞受賞時のNHKのインタビューに答えたときの言葉である。
当方の体験談で示せば、高偏差値の大学の博士や修士が1年かけて否定証明した電気粘性流体の耐久性問題をデータサイエンスにより一晩で解決している。これは特許も出願され技術として実用化された。
アカデミアさえもマテリアルインフォマティクスという技術の研究を行っている時代である。そろそろ科学の方法にこだわった研究開発を見直す時代である。
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オースティン・フリーマンの「歌う白骨」が倒叙探偵小説として刑事コロンボよりも早く20世紀初めに登場している。
この倒叙探偵小説というジャンルは、通常の推理小説と異なり、最初に事件の概要が読者に示され、読者は、小説の主人公である探偵なり刑事が知らない犯人を知ることになる。
すなわち倒叙探偵小説は、探偵小説と名前はついているが、推理を主体にした小説ではなく、事件解決にあたる刑事なり探偵の思考方法を楽しむ小説である。
科学よりも早く小説の世界で、逆向きの推論を楽しむ方法が提示された。それだけではない。刑事コロンボは、データ駆動で犯人逮捕に導く。
土曜日のNHK-BS3チャンネルで刑事コロンボの再放送が行われているので興味のあるかたは視聴することをお勧めする。技術開発の参考になる展開がそこで示される。
水戸黄門ではないが刑事コロンボでも定番のシーンがある。一つは現場における徹底した観察とデータ収集である。二つ目は集めたデータを犯人に教えるシーンが出てくる。
このシーンでは、刑事コロンボが犯人と気がついていないで教えるパターンと犯人ではないかと疑っていながら教えるパターン、そして犯人を確信して教えるパターンの3種類存在し、これがこのドラマの面白さの一つになっている。
どのパターンにしろ、犯人は刑事コロンボが見つけた犯人につながる証拠の情報を知ることになる。時には、コロンボのかみさんの話を犯人は聞かされることもある。
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科学では仮説設定して、それが真であるかどうかを確認するために実験を行う。論理学が完成して、科学が誕生したのだが、このような実験スタイルで帰納的に導かれた真理の体系が現在の科学の成果である。
ところで論理学が完成した時に探偵小説も誕生している。シャーロックホームズは、最初に登場した有名な探偵であるが、事件が起きると、彼はべーカー街でワトソンとともに仮説を練る。それにより読者も犯人を推定し、ホームズとともに事件解決を試みる。
ところが、現場の状況が仮説と矛盾すると、改めてべーカー街に戻り、酒を飲みながらワトソンと仮説について議論する。読者は現場の記述と仮説展開を楽しみながら小説を読み進む。
主人公と一緒に仮説を練りながら事件解決を楽しむ、これが探偵小説のだいご味だ。小説の1ページ目に犯人の名前を書くいたずらは、神田を舞台にした新作落語のネタになっている。
最初に答えが分かってしまったら探偵小説を楽しめないからこのいたずらを笑えるのだ。ところが20世紀、刑事コロンボが現れてこの探偵小説の常識をひっくり返した(続く)。
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30年以上前に電気粘性流体のテーマを担当させられた時には大変だった。高純度SiCについて住友金属工業とのJVを立ち上げていた時である。社内のプレゼンテーションで技術内容の概略を理解していてもプロジェクトの先端成果情報をまったく知らされていなかった。
リーダーに実験結果等の情報を見せてほしいと言っても社外との秘密保持契約を理由に見せてくれない。それどころか手足として仕事をすればよい、とひどいことを言ってきた。
加硫ゴムについて研究所で一番詳しいのは当方だと持ち上げておきながら、一方で開発したゴムの評価は当方がやらなくてよいとも言った。同じ研究所内でも実験結果を見せてもらえず、それでいて問題解決を目指せ、という無茶苦茶な指示である。
また、高純度SiCの業務を止めてゴム開発に専念するのは、U本部長から交代するI本部長の指示だ、という。1週間ほどI本部長が就任するまでに時間があったので、一晩徹夜して電気粘性流体の耐久性問題を考えることにした。
ただし、情報としてあるのは、リーダーが見本として持ってきた耐久試験を終えてヘドロのように増粘した電気粘性流体だけである。
それを手持ちの300個ほどのサンプルビンをすべて使用し小分けした。タイヤ材料部門の知人にもお願いして社内にある界面活性剤をすべて集め、そこへ添加して一晩おいた。
自宅に帰り、MZ80Kで界面活性剤のカタログデータを主成分分析し、結果をPC9801にパラレルインターフェースを介して送った。ロータス123でグラフ化して驚いた。
界面活性剤がHLB以外の因子でその機能を制御できることが示されていた。ただし、そのような機能を持っているのは20%未満の界面活性剤である。
翌朝、ヘドロのような電気粘性流体と界面活性剤とを混ぜた300個近いサンプル瓶を眺めたところ、サラサラになっていたサンプルがいくつかあった。そのうちの一つは完全にもとの粘度を回復していた。
それらの効果を示した界面活性剤は、主成分分析で予測された界面活性剤だった。このような情報不足の中でデータサイエンスにより問題解決できた体験は、その後の技術者人生に貴重だった。
U本部長からI本部長へ交代する、この空白の1週間に傾斜機能粉体や超微粒子分散粒子、コンデンサー分散粒子の企画立案と実験を行っている。
これらの粒子は、いずれも当時検討されていた粒子よりも高い電気粘性効果が出て特許も出願されている。このように技術情報が乏しくてもデータサイエンスのスキルがあれば問題解可能である。これが科学の方法と異なる長所である。
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