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2022.01/02 二つの思考法

科学の時代にあって、科学的に考えることは常識となった。また、コロナ禍でニュースの報道も科学的に高度な説明をわかりやすく科学的に報道している。


このような時代に忘れてはいけないと思っているのが、人間の営みとして身に着けてきた思考法である。古くはユークリッド幾何学があり、科学の誕生直前にニュートンのリンゴの話がある。


いずれも今では非科学的と称されているが、かつての学校教育で教材として使われていた。昨年末小中学校の参考書を購入してびっくりしたのは、これらの教材は扱われていなかったことである。皆科学的な教材ばかりで、プログラミングの教材までも科学的だった。


起業後非科学的な思考法について取り組んできたが、その結果確信したことは、今の時代に科学的アイデアとは当たり前のアイデアであり、誰もが思いつく。独創的なアイデアにはどこか非科学的要素が入っている。


ノーベル賞を受賞した山中博士のヤマナカファクターが非科学的成果だったことはあまり知られていない。非科学的な思考法であってもそれが人類に有益であれば莫大な価値を生みだすので馬鹿にできない。単なる思いつきではない非科学的思考法というものについてご興味のあるかたは問い合わせていただきたい。

カテゴリー : 未分類

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2022.01/01 新年おめでとうございます。

明けましておめでとうございます。本年も弊社は日本の技術と生産性向上のために活動いたしますので、何か問題発生時あるいはイノベーションをご検討時には気軽にご相談ください。


さて、DXの進展で技術の伝承もコストダウンできるのではないか、と検討し、今年度個人対象の定額制サービスを始めたいと計画しております。最低価格500円/月(予定価格)から個人のサービス内容に応じて金額を決める方式です。


弊社はこれまで外国のお客様には、年間300万円以上のコンサル料を設定しておりましたが、日本企業のお客様につきましてはお客様のご規模の金額で運営してまいりました。


これまでの運営経験から、工夫すれば低額で個人のお客様へのサービス提供が可能ではないかと企画を練ってまいりまして、個人対象の知の伝承を目指した新たな事業をスタートします。ご期待ください。


なお、従来通り企業のお客様にはコストパフォーマンスの高いご指導を目指し活動いたしますので、よろしくお願いいたします。人材派遣等の企業にご相談される前に、一度弊社にご相談されることをお勧めいたします。

カテゴリー : 一般 宣伝

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2021.12/31 今年もいろいろありました。

中国で2019年末に始まったコロナ禍は、とうとう3年目に突入する。これほどの世界的パンデミックは人生初めてのことであり、またせっかく売り上げが創業時の4倍まで伸びてきた矢先の不幸である。


中国蘇州にあるナノポリス(中国ナノテク研究都市)の顧問を依頼されて、その機会を足掛かりに売り上げを伸ばしてきたのだが、結局創業時の売り上げに戻ってしまった。


日本では、2020年4月以降に企業へ影響が出始めているが、弊社は2019年末から影響がでている。この2年国内のセミナーに力を入れ始めたが、売り上げ回復に至っていない。


コロナ禍で大変な一年だったが、このような年でも企業の不祥事が話題になり、相変わらず「もの言えぬ組織」との解説が記事に並ぶ。思い返せば当方の転職も同様の組織に反発したようなものだ。ただそれは当方が住友金属工業と立ち上げた高純度SiCの事業を継続したい前向きの一念からであった。


それに比較すると、三菱電機や東芝、みずほ銀行といった大企業の不祥事は担当者まで腐ってしまった状況が浮き上がって見えてくる。トップが間違った指示を出した時に、それを正す社員がいないようでは組織の変革は期待できない。


故ドラッカーは、イノベーションとは産業革命のような大きな変革だけでなく組織の不断の変革を追及する業務遂行でも起きるという。またそのようなマネジメントが組織を発展させると述べていた。


組織の中でトップの誤った采配に異を唱えるのは易しいことではない。当方の様に辞職覚悟までする必要があるのかもしれない。しかし、そのくらいの覚悟をしなければイノベーションなど起こせないのだ。


豊川へ単身赴任した時に、当方は早期退職を覚悟して職務に当たっている。新製品の部品を半年後には歩留まり10%前後を100%まで引き上げるのは誰もが不可能と考えていた。


しかし、赴任先の組織リーダーは当方の申し出を快諾し、当方の自由な活動を保障してくださったのでカオス混合プラントを3か月で立ち上げるイノベーションを行うことができた。


もの言えぬ組織であっても退職を覚悟すればいうことができるのだ。リーダーが訳の分からない人間ばかりではないと信じることが必要だ。信じても駄目であったならば転職すればよいのである。


働くとは、貢献と自己実現がその意味である。希望通りの組織が見つからなければ、自分で会社を興せばよい。それだけの活力を生み出せるよう日々努力して実務にあたりたい。


東芝を見ればわかるように大企業がいつまでも大企業として存続できる時代は終わった。経営のかじ取りをひとつ間違えると転落する時代でもある。弊社は来年3月11年目のスタートとなるので第二の創業のつもりで新事業を開始する。良い年を迎えるよう祈念してます。

カテゴリー : 一般

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2021.12/30 50年前

今から50年以上前、当方は高校生だった。この頃は、1960年代から激しくなった安保闘争に大学紛争が加わり、高校1年時に校長室封鎖事件が起きている。この事件の日から1週間授業を停止して体育館で討論会が行われた。


すなわち、大学紛争が高校まで飛び火したのだ。原因は当時の中谷教育長が高校生の政治活動禁止を打ち出し、4人以上の集会が禁止されたためである。クラブハウスでマージャンをやっていた連中が騒ぎだした、と当方は瞬間的に誤解した。


校長室封鎖事件の真相について当時の社研クラブが総括としてまとめており、茶褐色に変色したそれを今読むと若者ゆえの背伸びした思想が展開されており気恥ずかしくなる。そして教室に毛沢東の肖像を飾っていたクラスの存在を思い出し、中国の文化大革命の影響も少なからずあったことに改めて驚く。


毛沢東語録の日本語版が当時発売され、クラブハウスにポケットパンチOh!と一緒に並べられていたが、その後当方の愛読書となるドラッカーの「断絶の時代」が当時の世界的ベストセラーとなっている。体育館での討論会は、週末に高校生の政治活動禁止に反対するデモ開催を決議し終結している。


このデモの決議は学校から承認されなかったが、自由参加で800名前後の生徒が参加して週末に決行された。このような熱い一週間が過ぎた翌週は何もなかったかのように受験勉強へ邁進する生徒の姿に戻っていた。


愛知県トップの進学校だったから教師はガス抜きをすれば簡単に終息する、と判断したのだろう。1週間の討論会を認めた教師たちの勝利である。


カテゴリー : 一般

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2021.12/29 試行錯誤

40年以上前に試行錯誤を軽蔑する研究者は多かった。しかし、有機合成の世界は少なからず試行錯誤が必要な世界だった。すなわち新反応を見出すために新しい反応条件に挑戦する必要があった。


有機金属化合物の合成では、その化合物合成が研究目的となったり、反応機構確認のための目標だったり、触媒機能探索の目標だったり、様々だったが、新しい化合物が合成されたときに形式知が誕生している。


鶏と卵の関係よりわかりやすく、そこでは新しい化合物を合成できる技術があって科学の形式知が生まれているのだ。そしてその技術は試行錯誤により生み出されている。


試行錯誤を効率よく行う方法もあり、ラテン方格の利用はその一つだが、このような工夫さえもゴム会社の研究所では否定された。試行錯誤を徹底して嫌ったのである。


その結果、電気粘性流体の耐久性問題では、界面活性剤では問題解決できないという科学的に完璧な否定証明が行われた。それを当方は、効率的な試行錯誤法によりひっくり返した。


効率的な試行錯誤法とは、今でいうところのデータサイエンスに基づく方法である。昔は、データサイエンスは科学のカテゴリーに入っていなかった。


1980年から90年にかけて科学論に関する著書が多数出されている。共通して書かれていた内容は、科学と技術の境界は時代により変化するという哲学だ。


哲学者イムレラカトシュは「科学の方法」という著書で、科学的に完璧な方法とは否定証明である、と明確に語っている。この意味は科学的に完璧を目指したいならば否定証明となり、電気粘性流体の開発ではそれがなされた。


ところが否定証明で見出された科学の真理でも、たった一つの技術によりイノベーションを起こされるとひっくり返る可能性があることを知っておくべきである。ここに技術の本質がある。

カテゴリー : 一般

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2021.12/28 技術を創造する力

形式知を用いて科学的に技術を作り出すことが日本では重要視されてきた。すなわち技術は科学により作られるといった信仰が教育にも徹底され、科学教育が唯一の教育として普及している。


その結果が現在の日本である。技術は科学によってのみ実現されるオブジェクトではない、まずこれに気がつくことが重要である。技術は、技術によって新たに生み出されてゆくのだ。


写真撮影では、良い写真を写すための技法を駆使すれば佳作以上の写真を生み出すことが可能である。しかし芸術的に優れている、と多くの人に認められるためには、被写体の条件その他が整う必要がある。


技術でも同様で、科学の形式知を駆使してもその時代の科学水準を示す当たり前の技術しか開発できない。新たなイノベーションを引き起こす技術の創造のためには、人間の経験知や暗黙知の動員がどうしても必要になる。


20世紀に様々な問題解決法が登場したが、TRIZやUSITのような科学的問題解決法ばかりだった。ドラッカーは、問題解決法の前に、正しい問題を見出すことの重要性を指摘していた。


弊社では研究開発必勝法と名付けた問題解決法を販売している。形式知だけでなく経験知や暗黙知も動員する問題解決法で、当方がゴム会社で実践し写真会社で磨き上げた方法である。


コーチング手法も同時に指導している。当方の実績として、転職したばかりの時に開発できた写真学会ゼラチン賞を受賞した技術はコーチングにより瞬間芸的に誕生した技術がある。これは、当方のコーチング100%の成果である。


ゼラチンの形式知についても不十分なだけでなく、経験知や暗黙知にいたっては0の時の開発成果であり、純粋にコーチングが担当者の経験知や暗黙知を引き出した事例と言える。


技術ができた瞬間に科学の形式知は存在していなかった。しかし、割れにくいゼラチンについて三重大学川口教授とともに解析研究し、科学の形式知を作り上げることができた。


技術で開発し、科学でそれを形式知とする、そのような方法を行うべき時代である。すなわち技術で新しい科学を生み出す覚悟が必要だ。弊社は、それをお手伝いいたします。中国のナノテクのメッカ、ナノポリスでも成果を上げた技術を育てる方法である。

カテゴリー : 一般

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2021.12/27 創造

写真家加納典明氏は50年ほど前にラジオの深夜放送で、「人に見られたい写真を撮りたいならば、女性の裸ばかり写しておればよい。日本人の半分は見てくれる。芸術的な写真は、誰も見てくれないかもしれない。」と語っていた。


高校生だった当方は、この言葉で写真という芸術において創造の難しさを知った。絵画と写真の違いについても加納氏は語っており、自身の渾身の一作であるキャベツのモノクロ写真を手にそれを説明していた。


驚いたのは、ラジオであるにもかかわらず、そのキャベツの写真が目の前に現れたのだ。それほど彼の語り口は巧妙であったが、今から思い出すと、キャベツの写真1枚を撮影するために用いた写真の技法を丁寧にわかりやすく説明していた可能性が高い。


この彼がパーソナリティーを務めた番組の影響もあり写真が趣味となったが、彼の本質はスケベ写真家ではなく、芸術家なのだろう。


写真術では被写体にカメラを向けてシャッターを押すことにより誰でもその表現を楽しむことができる。ただ、それにより誰でも創造性の溢れた芸術写真を撮影できるとは限らない難しい芸術の一つである。


おそらく絵画の方が独創の表現手段として易しいかもしれない。下手は下手なりの表現となるが、子供の絵画がそうであるようにそこには他の人がまねのできない独創が描かれている。写真では偶然の瞬間に頼るか、それなりの工夫をしない限り独創を表現できない。


当方の撮影した写真で最もよい評価を受けたのは、ボディーペインティング国際大会で併設された写真大会の一枚であり、国際大会ではあったが一位に輝いている。後にも先にも1位となったのはこの一枚である。その他は、キャノン主催の写真大会にニコンF100を持ち込んで撮影したモデル写真の二位である。


初めて応募した写真大会は雑誌の募集によるコンテストだった。そこでは気合を入れて撮影したにも関わらず佳作となっている。ただし、これは加納典明氏が深夜放送で語っていた女性写真の撮り方を実践した成果だったので、それなりの努力をすればそこそこの写真を撮れるということだ。


こうした写真撮影の体験を通して感じるのは、創造のために必要な技法というものが存在し、それらの技法を駆使すれば、ある程度のレベルの創造力を身に着けることができ、それが最高に発揮されるかどうかは、運のようなものが少し必要という思い(注)である。


弊社では芸術から技術まで研究しており、「花冠大学みらい技術研究所」として表現している。科学の形式知だけでなく創造性までも高める指導を志している。


(注)高純度SiC製造技術では、フローリー・ハギンズ理論で否定される高分子の組み合わせを相溶させることにより科学では説明できなかった独創を実現しているが、条件を見つけるために弊社で指導している方法を用いている。しかし、非科学的組み合わせを検討していたのでうまくゆくかどうかは運である。しかし、成功してからその条件を科学的に解析した結果、必然であることを理解できた。

高純度SiC前駆体や環境対応樹脂は、弊社が指導している独創技法のひとつデータ駆動の手法で成功している。

電気粘性流体高性能粉体や、カオス混合装置はアジャイル開発で成功している。これも弊社が指導している独創技法のひとつ。

酸化スズゾル帯電防止層は、過去の情報に新たな知見を加えた温故知新という独創技法を用いている。

その他各種技法についてはお問い合わせください。

カテゴリー : 一般

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2021.12/26 創造に科学は必要か(3)

住友金属工業(現在の日本製鉄)との高純度SiC半導体治工具のJVが計画されたころ、電気粘性流体開発プロジェクトのお手伝いを命じられた。命じられたが、電気粘性流体について業務説明も無ければ、研究論文の一切を読む必要は無い、という乱暴な扱いだった。


当時世間でいうところの係長職にあったのでそれなりの扱いをしてほしかったが、当時のゴム会社の研究所のスタッフにはそのような命令をする人が多かった。また、科学の研究者は、自説を押し通すためにそのような性格でなければリーダーが務まらないのかもしれない。


スタップ細胞の騒動をまとめた「あの日」を読んでも、そこに登場する人々は技術者から見ると不思議な人が多い。情報も何ももらえず、仕事を命じられる立場は、下僕と等しいのである。さて、そのような乱暴な扱いで命じられたテーマは「加硫剤も含め添加剤が何も入っていないゴム開発」だった。


当時すでに日本一になっていたゴム会社で非科学的なこのようなテーマを命じてきたのである。セラミッックスの研究を担当していた当方にこのようなテーマが巡ってきたのは、当時の研究所でゴム開発の経験があったのは当方だけだったからだ。


多少なりともゴムに詳しかった当方は1週間だけ時間をもらい、電気粘性流体の耐久性問題や電気粘性効果を安定にできる粉体などをアジャイル開発した。電気粘性流体がどのようなものかは詳しく知らなかったが、社内のプレゼンテーションで公開された情報程度は頭に残っていた。


その頭に残っていた情報程度で、ヒューリスティックな解を見出すことは簡単だった。換言すると情報が少なかったので材料合成のために考えなければいけない問題が絞られたのかもしれない。


驚くべきことに、データ駆動による一晩の実験で電気粘性流体の耐久性問題を解決できて、その後ほんの少しの実験で電気粘性効果を高める粉体を創造することができた。


この技術開発において、5年の歳月がかけられ研究所で蓄積された科学の成果を全く使っていない。セラミックスの研究で身に着けた経験知と暗黙知により創造された新技術を用いて、難問が解決され、世の中に存在しない傾斜機能粉体が生み出されている。


同僚に情報を出さない、という信じられない扱いのおかげで、電気粘性効果に関する科学の形式知が乏しい状況となったので、経験知と暗黙知をフル活用する必要が生じた。そこで使われたのは演繹論理である。


ただし欠落した知を補う必要から創造が行われる。そこでは非科学的あるいは未解明な科学的現象に潜む知などが混在し、推論が展開される。演繹論理では科学の一部であるが、その展開は非科学的だった。


マッハ力学史において、ニュートンの力学は非科学的成果に位置づけられている。その理由は、当方が電気粘性流体で展開したような推論だったからである。当方はマッハ力学史を読んでいたので、ニュートンの論理展開を学び電気粘性流体のアジャイル開発ができたのである。

カテゴリー : 一般 電気/電子材料 高分子

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2021.12/25 ジャズ演奏

昨日音楽の形式知を学んだ体験の話を書いたが、実際のジャズ演奏と知の関係について少し独断と偏見でJoe  Passの「枯葉」の演奏事例を基に解説してみる。


「枯葉」はジャズのスタンダード曲なのでご存知の方も多いと思う。このギターソロ、Joe Passによる演奏が感動的である。どのジャズ奏者による「枯葉」よりも派手に枯葉が舞い散るので当方は好きだ。


この曲を多くの演奏者はB♭maj.で演奏しているが、彼はGmaj.で演奏する。これはギターソロなのでキーの制約が無かったため変更できたのだろう。さらに、ギター演奏の場合、その楽器構造から移調や転調が容易である(注)。


おもしろいのはキーをGmaj.とすることでやや明るい枯葉のムードになり、しっとり感は少なくなるが、冬に向かう覚悟そしてそこから生まれる緊張感が伝わる「枯葉」となっている。終盤では早引きのアルべジオにより、どの演奏者の枯葉よりも多くの葉っぱが舞い散る。


キーの変更と演奏テクニックだけでも従来聞いたことのない新鮮な枯葉に聞こえるのだが、コードの展開の仕方が音楽理論に従う部分より独創的部分が多いゆえにこの演奏を高度なレベルのオリジナル作品(二次創作)に押し上げている。


例えば、出だしにおいてリハーモニゼーションを理論から外したコード展開とし、聴衆に新鮮な印象を与えている。リハーモニゼーションのテクニック(形式知)については教科書その他を参考にしていただきたいが、「ジョー・パス ギター教本」には、経験知と暗黙知を引き出す種明かしが載っている。


すなわち一般の音楽理論と異なる独自の世界観を伝える練習法がその著書に書かれていたのだ。そこには英文の説明は無く、ただひたすら5線符に書かれたメロディーを運指練習せよとある。すなわち運指練習をしながら独自のリハーモニゼーションテクニックを含めたコードの響きを学ばせる工夫がなされている。


要するにその練習は、彼の経験知と暗黙知を伝える役割を担っている。その他、彼のギターソロによる「枯葉」は、メロディーラインこそ「枯葉」であるが、全く異なるオリジナル曲として楽しむことができる。


すなわち、音楽にも科学同様の形式知が存在するが、実際の演奏では、形式知だけでなく経験知や暗黙知が展開されて独創性が発揮されるとともに音の響きに新しさ、さらには「音使い」にイノベーションを起こしている。


これを芸術の世界の話、と狭い視野でとらえられてしまうと現在の連載の意味がうまく伝わらない。技術にも少なからずこのような側面があるので、弊社では形式知だけでなく当方の経験知と暗黙知の伝承に努力している。


これまで日本では仕事が少なかったので中国ナノポリスに招聘されたチャンスを活用し、当方の考え方をいろいろ試してみたが、当方の経験知や暗黙知は好感を持って受け入れられ、新技術によるコンパウンド工場を3つ建てることができた。どこかの笑い話ではないが、日本では「皆がやってます」と言わないと採用されないジレンマがある。


(注)クラシックギターでは、ハーモニーに対する考え方がジャズギターと少し異なり、拷問と思える指使いも必要になる。カルカッシの教則本では、そのための練習が多いが、ジャズギターでは分散和音を弾くときに合理的な指使いを行っている。また、クラシックギターの名曲「禁じられた遊び」では、標準的な運指方法が教則本に掲載され、多くのプロ演奏者も同じように演奏しているが、ジャズギターのソロの場合には自由度が大きい。

ところで「禁じられた遊び」には、学生時代と窓際になった時と2回挑戦している。窓際になった時にギブソンES335を購入した動機の一つに、松岡良治の手工ギターよりも弾きやすいネックの太さと弦のスケールがあった。エレキギターは数cmほど弦の長さが短いので押さえるポジション間隔がわずかに短くなる。

早期退職後断捨離のためES335を16万円で売り払ったが、コロナ禍における友人の決意を聞いて購入した7万円のアイバニーズのギターは、ES335よりも弾きやすい指板形状だった。ES335は価格が高いにも関わらず、個体間の品質ばらつきが大きい。ローズウッドの指板はエボニーで作られたそれよりもメンテが容易であるが、当方の購入したES335のそれは木目の粗さが気になった。ところが安いアイバニーズブランドのギター指板は同様のローズウッド指板であるにもかかわらず、緻密な杢目で高級感を放っていた。また胴のメイプル材も安価なギターの方が、いわゆる「トラメ」がきれいであり、2台並べるとどちらが高級なのかわからない。ストラティバリウスは同じものを作ることができないので高価になっているが、エレキギターは後発メーカーほど改良してよいものを出してくる。ピックアップもES335のそれよりもSN比が高くきれいな音質である。ES335はその独特の音色が存在するが、そこに価値を見出せる人は良いかもしれないが、ブランド名を聞かずその音を聞くと安っぽい。エフェクターが必要になる。

さて、昨年の夏改めて「禁じられた遊び」に挑戦し、ようやく村治佳織の演奏に合わせて弾けるようになった。苦節40年、良い道具を手に入れて努力は報われた。

カテゴリー : 一般

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2021.12/24 創造に科学は必要か(2)

バッハは平均律を発明している。ちょうど科学が誕生する直前である。ドレミファソラシドから和音が創られる過程において周波数解析を利用できる環境ではなかった。しかし、美しいハーモニーの曲がその時に創造されている。


今では、音楽理論が体系化され、周波数解析や心理学などが動員されて、気持ちよい音楽を科学的に創造することができるようになった。例えばコンピュータで作曲されたα波を出す曲集というCDも販売されている。


ただしそれを聞いても本当にα波は出ているのか不明だが、何故か味気ない。お気に入りの渡辺貞夫のCDをかけた方が気持ちよく仕事に集中できるし、リー・リトナーのスリリングな響きはCD一枚聞けば心地よい疲労感からよく眠れる。


また、MIDIが発明されてW95が登場しデスクトップミュージック(DTM)なるジャンルが生まれ、多くの人に作曲の機会が普及しているが、それでもヒット曲のすべてがDTMの成果となるような時代になっていない。


コロナ禍となり、仕事が減ったので音楽理論を真剣に勉強してみた。それで作曲ができるようになっても、作ってみた曲がヒットするとは思えない。すなわち、音楽理論を用いて、体裁の整った曲を作ることはできるが、その結果生まれた曲は、どこかで聞いたような曲である。


形式知を活用して、とりあえず何か作り出すことができても、形式知に従い出来上がった創造物は当たり前のつまらないものになるのかもしれない。また、創造物とは呼べないような作品になる可能性がある。ひどい場合には明らかな盗作を作り出す恐れがある。


最近購入したジャズの教則本には形式知に基づく説明が詳細に記述されている。そこには、これにとらわれる必要は無い、という著者の注釈がよく出てくる。例えばテンションという技法があるが、ルールにとらわれず自分で良い響きと思ったらそれを使え、と書いてある。


すなわち、形式知に従って演奏していてもつまらない、と行間に書かれているようなものだ。音楽と技術は異なる、と言われると当方の1年以上の努力が無駄だったような気分になる。当方が音楽理論に取り組んだ背景は、経験知や暗黙知が乏しい分野における形式知による創造とは何かを考えてみたかったのである。


ちなみに、当方は自信をもって音楽の才は無い、と胸を張れる。その実力レベルを理解しているので、国内のカラオケにおいて人前で歌った経験は無い。このように音楽の才能が無くても、形式知を身につければ、とりあえず作曲ができるようになる。


本に書かれているコード進行のルールに従いコードを配置し、リズムに合わせておたまじゃくしを並べてゆくと一応それなりの曲ができる。ゆえにそのためのプログラムが搭載されたコンピュータによる自動作曲が可能となっているわけだが、出来上がった曲のどこかで聞いたような味気無さをどうしたらよいのか。


この経験から、形式知があれば、とりあえずやりたいことを実現できる便利な知であることを理解できた。ただし、形式知から生み出された曲は、どこかで聞いたような不満が残る。

カテゴリー : 一般 電気/電子材料 高分子

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