マテリアルインフォマティクスがアカデミアから提案があり、データサイエンスに注目が集まっている。材料開発に積極的に取りこもうという動きが出てきたが、その中心のツールとなる多変量解析の手法は、1975年ごろに日科技連から新QC7つ道具として提案された手法で、特に新しい手法ではない。
当時は8ビットマイコンが発明され、秋葉原にその評価キットが出始めた時代であり、多変量解析のソフトなど一般に普及していなかった。
ゴム会社ではIBM3033の大型コンピューターの統計パッケージに多変量解析のソフトウェアーが用意されており、1980年前後に人の頭脳によるマテリアルインフォマティクスがすでに研究されていた。
乳化重合SBRのデザインやタイヤ軽量化設計、防振ゴム材料設計、ポリウレタンやフェノール樹脂発泡体の設計などに成果がでていた。電気粘性流体の耐久性問題では、その問題解決に主成分分析が使われ、高偏差値のスタッフ数名が1年以上かけて否定証明した研究の成果を一晩でひっくり返すほどの成果が出ている。
当方は入社当初はIBM3033にお世話になったが、データサイエンスについて研究所上司の理解が得られず、MZ80KとFDOS、フロッピーシステムを自前で揃えて多変量解析のソフトを組んで、独身寮で楽しんでいた(マテリアルインフォマティクスのようなデータサイエンスは、数学が好きな研究者には楽しみのための研究である。材料を創り出すことが好きな研究者が楽しんで初めて有益なツールとなる)。
MZ80Kは30万円以下だったが、システムを揃えたところ軽自動車1台あるいは最も安価な誰も買わないクラスのカローラ程度の価格だった。
この出費で年収150万円前後という当時の給与では、1年間休日は独身寮に籠る生活を余儀なくされたが、そのおかげで勉強時間とテニスの時間を十分に取れた(独身寮におれば食事には困らなかった。ご飯や梅干し、漬物は食べ放題だった。給与の半分は書籍代はじめ知識関係の出費になっていた。学術書は研究所の図書費で購入できたが、上司の許可が必要だったので自費で購入していた。当時購入した多変量解析の書籍は洋書も含め6冊ほどあった。)。
ところで、重回帰分析では、得られる重回帰式の2つ以上の説明変数間において、相関の無いことが重要である。
数学的に表現すると説明変数が一次独立であることが求められる。データサイエンスが普及し、パソコンで多変量解析が手軽にできるようになったが、データ整理に便利な重回帰分析の有効性を見出せない原因の一つにこの基本が十分理解されていない点にあるのではないかと思っている。(明日に続く)
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自動車のEV化のスピードが速くなった。自動車エンジンがモーターに変化するので事業が消えてしまう産業界は大変である。例えばエンジンマウントは1980年前後から大きく進化し、高級車には電子デバイス化された製品が搭載されている。
電気粘性流体封入マウントも研究されたがコストの問題で不採用となり、電気粘性流体そのものも事業として育っていない。
エンジンを支える部品が電子デバイスに進化した原因は、高速走行時とアイドリング時でエンジンから発生する振動周波数が異なるためで、ゴム単体ではその性能が不満足だったからである。
すなわち、エンジンをただ支える部品でもエンジンにデバイスとしてエンジンに合わせた設計が必要だった。動力がモーターに代わることで複雑な振動モードの問題が無くなり、これまでの高性能マウントは不要となった。
そのため早々と防振ゴム事業を売却した企業も現れた。ここで不思議に思うのは、エンジンマウントを設計できるだけの技術を有していたならそれを他の事業なりに発展できないのか、という疑問である。
また、EV車の開発は、現在のところ従来の自動車の概念で進められているが、コストダウンや機能の設計見直しで防振技術あるいは防振デバイスが重要になる可能性が考えられる。
自動車の機能として乗り心地は重要であり、自動車の足回りの設計は未だに高い技術が要求される。自動車エンジンが無くなることで自動車自身の発生する振動が無くなった、と思われているが、これは従来の設計においての現象である。
また、人間の欲求には限界が無く、現在の技術で作られたEVが普及した後、より乗り心地の良いEVを求める可能性が高い。現在はエンジン自動車が比較対象となっているが、すべての自動車がEV化されたときには、EVが比較になる。
動的商品において、音や振動を0とする技術は未完成である。40年前と違って未来技術を研究する組織を廃止した企業は多いが、再度自動車の未来を研究する組織を復活する必要がある。弊社にご相談ください。
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反応速度論では、速度論という学問の目標を明確に反応機構の推定が目的である、と説明している教科書がある。そこでは、衝突因子とアーレニウス式の関係を説明しつつ概念の拡張をする場合の注意を指摘している。
蛇足になるが、アーレニウス式による寿命予測に限らず高分子科学では、科学の厳密な形式知と呼べない知が形式知として扱われたりしている。
例えば結晶成長の速度論においてアブラミ式ですべてを説明していたり、フローリー・ハギンズ理論のχをはじめとした研究論文の中に、高分子材料のプロセシングを開発する技術者の自由な発想を妨げる記述がみられたりする。
アーレニウス式による寿命予測では、よりどころとなる速度論という学問のこのような問題だけでなく、その体系の類似性から式を展開して寿命予測法として使われている問題がある。
それが実際の製品寿命をうまく説明できた実績があったので、現在寿命予測法として広く使われるようになった。
ゆえにアーレニウス式で寿命予測を行う場合には、高分子材料あるいは製品の機能の劣化が予測式に従い進行しているのか市場で調査する活動が欠かせない。
市場における劣化進行速度が実験室で予想された速度式に従っていることが確認されて初めて寿命予測式を使用することができる。
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下記セミナーをCMCリサーチ主催により今週金曜日に開催されます。弊社へお問い合わせください。
科学の研究を進めるときに実験は重要である。この実験で得られたデータは仮説の真偽を検討するために使用される。これまで企業の研究開発で行う実験もこのような科学の研究に準じて行われてきた。
しかし、2012年にiPS細胞の発明でノーベル賞を受賞された山中伸弥博士がインタビューで語られていた非科学的手法に世間は驚かされた。また、材料科学の分野ではマテリアルインフォマティクスと呼ばれる研究が注目されている。
さらに、21世紀になりデータサイエンス学部を設置する大学が増加しており、「データ」という情報をもとに現象を考察する技法がアカデミアの潮流となりつつある。
情報科学が進歩し、多量のデータを容易に処理できる時代に、これを活用して効率を上げるだけでなく、そこから思いもよらぬアイデアが浮かぶかもしれないという期待が高まってきた。
すなわち、現象を表現しているデータ群を利用し AIを用いたデータマイニングで新しい「知」を取り出そうと人類が活動を始めたのである。
ところで、科学誕生前の技術開発では現象から機能を取り出すような実験が行われていたことがあまり知られていない。そこでは、機能が動作して出力される結果(データ)が人類に役立つことが重要で、これをデータ駆動による技術開発手法と見なすことができる。
すなわち、データ駆動の実験手法は、人類が新しい機能を手に入れるために科学誕生以前に自発的に行われてきたが、科学の誕生後、それが仮説に基づく実験にデザインされ、データ収集は仮説の真偽を判断する目的として行われるようになっただけである。しかし、トランスサイエンスが注目される現代において、科学で解けない問題を解く手法として科学誕生以前の手法を見直しても良いのではないか。
本セミナーでは、過去の技術開発手法に情報科学で用いられるデータ解析手法を取り入れ温故知新により成果の出た講演者の成功事例を公開します。例えば科学で否定証明された問題を多変量解析で解いて実用化に結びつけた事例や、データ駆動で環境対応樹脂を開発した事例などデータサイエンスによる実験手法を具体的に説明します。
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全世界が注目した昨日16時からのプーチンの演説は、歴史を考えるときに重要である。国際連合の常任理事国リーダーが、現代という時代の物差しで全く許されない行為をしたのだ。
演説の内容だけでなく、その演説の最中にも武力で現状変更を行い、多数の民間人の殺戮を続けている。日本で報じられている内容がどこまで真実であるのか不明だが、ロシアが武力でウクライナへ侵攻していることは事実である。
過去の戦争では、そこに至る過程とか議論されたりするが、第二次世界大戦後の世界では、武力による現状変更はいかなる理由でも許されないことであり、民間人の殺戮は戦争犯罪とするルールが決まっているので、ロシアの行為は悪の行為となるのは明白である。
この事実の前にリーダーは自己を正当化するだけでなく国家まで誤った道へ導く演説をしている。その事実を全世界は昨日生放送で見た。この戦争がどのようなものであるのか、これらの事実の評価で意見が分かれることは無いだろう。
不思議に思うのは、このような事実とその評価についてルールを無視した評価を下す人の存在である。そのような人と議論がかみ合わないのは当然なので、そのような人には、毅然とまず世界のルールを勉強するように命じなければいけない。
研究開発でも同様のことが起きる。科学では真理の追究という一つの目標が明確であり議論になったとしても真理が何かを第三者が証明すれば議論に結論を下すことが可能である。
ところが、科学では事実の確認が難しい時にSTAP細胞の騒動で行われたような否定証明により臭いものにふたをするような科学者がいるから注意しなければいけない。このような科学者にもプーチンまがいがいるから注意を要する。
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退職して加わった新たな習慣は、8時から始まる朝ドラを15分楽しむ時間である。10年間半年サイクルの連続ドラマを見続けてきた。NHKが時代と視聴者を意識し製作していることが伝わってくる。
受信料で作られているドラマと納得でき、NHKの姿勢を理解するために見ておきたい番組だと10年見続けてきて感じた。今回は黒岩結菜という若手女優を育てようという意欲まで伝わってくる。
10年間見続けたドラマの中には感動が今でも残っている作品や、見終わって駄作と感じた作品までさまざまである。駄作と感じた作品でもその時の時代背景を考え、納得ができたりする。
ただし納得できても駄作は駄作である。視聴者の好みランキングでも上位には出てこない。この好みランキングを納得できることから、当方は平均的な視聴者かもしれない。
その当方が今の朝ドラを見ていて、出演者に納得してもそれぞれの演技に、いわゆる「くささ」を感じつまらなく思えたり、その結果15分が長く感じたりする。
前回は15分が短く感じるような展開のドラマだったが、今回は15分のドラマを3分ぐらいで早送りにして見てもその内容を理解できるドラマである。
あたかも昔のドリフターズやすちゃらか社員のようなドタバタ喜劇の印象すら受ける。例えば主役が故志村けんの相手役優香に見えてしまう。
NHKは意図的に今回の早送り視聴を前提としたようなドラマを作ろうとしているのだろうか。前回は早送りそのままのようなドラマだったが。
もし、意図的な演出ならば、それを学ぶと研究開発期間をうまくマネジメントするコツがわかるのかもしれない。ちなみに前回の朝ドラにはアジャイル開発の参考となる要素が存在した。
一方、当方はとんでもないことと思っているが、今回の朝ドラでは余分な研究をやりたくて研究開発期間をうまく延ばしたいときのヒントが得られるかもしれない。
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昨日TVのスイッチを入れたところZ世代はTVドラマを見るときに録画してそれを早送りして鑑賞するのだと説明していた。
特に興味を引くような番組ではなかったので、野球放送に切り替えどのような議論だったのか詳細を見ていない。
しかし、情報化時代に生まれた若者ならそのような鑑賞の仕方もあるのだろう、と思った。当方などは刑事コロンボを内容が分かっていても再放送があれば1時間半丁寧にお付き合いする。
今の若い人にはこの姿がヒマな老人の視聴スタイルと思うかもしれない。さらに、倒叙探偵小説の楽しみ方だ、と説明しても理解されないだろう。
情報化時代の若者は、情報をまずたくさん仕込みそれらを再構成して知を作り上げるスタイルなのだろうと思っている。当方の時代には目の前の現象に対して情報が少なかった時代なので、現象をよく見てそこから知を導くスタイルで身に着けていった。
当方のFDを壊して業務妨害をした犯人は受験勉強を一生懸命行い、そのスタイルのまま研究者に育った人のようで、他人のデータをまとめて否定証明の科学論文を書くことはできても創造的な仕事のできない人だった。
当方の世代にはこのような科学の形式知で固まった知識労働者と現場現物主義で目の前の現象から知を紡ぎながら努力していた知識労働者が混在していた。
今のように大量の情報が存在しない時代だったので、科学の形式知だけ振り回していても尊敬された。しかしトランスサイエンスが認知された時代では、科学の形式知だけで考えているような人は軽薄にみられる。
また、目の前の現象に対して自分で情報を入手しなくてもWEBに情報が溢れているような時代である。アウトソーシングがもてはやされ、自前で知を取りだす努力をしなくても「知もどき」を手に入れることができる。
「知もどき」でもトランスサイエンスの時代には答えを導き出せてしまう偶然もあり、データサイエンスがもてはやされる。これ以上書くとボヤキのようになるのでやめるが、Z世代の知の獲得の仕方で新たな知が創造されることを期待をしたい。
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知識には、形式知と経験知、暗黙知があると、大学の哲学の授業で習った。教職の免許を取得するために文学部の授業まで聴講し、今でも役立っているのがこの哲学の授業の内容と心理学である。
心理学についても機会があれば書きたいが、哲学の授業で知と言うものについて学びながら、それを理解できるまで10年以上かかった。特に暗黙知なるものの理解が難解だった。
形式知や経験知ならば文字に落とすことができ、それぞれについての著書を読めばそれがどのようなものか理解できる。例えば前者は科学に関する教科書の記述があり、後者についてはドラッカーの著書はじめ多くの哲人の手による著書がある。
技術分野では、E.S.ファーガソン著「技術屋の心眼」は、技術者の経験知と科学の形式知の違いについて分かり易く論じている。それだけでなく技術者の暗黙知にまで踏み込んでいる。
ただ、これは暗黙知を理解できていたので読解できたわけだが、暗黙知なるものを理解できていない人にはファーガソンの表現は単なる妄想と評価されるかもしれない。
暗黙知なるものを確認したいならば、異なる著者によるジャズのギター教則本を数種類読むと見えてくる。おそらくジャズに関心のない読者が1冊読んでみても面白くない本であるが、ジャズを独学しようと思っている読者は一冊は手にする。
ただし1冊読み上げてもそこに書かれた楽譜の演奏ができる程度のスキルしか身につかないと思う。とても本の前書きに書かれたようにアドリブ演奏がすぐにできるレベルにならない。
「ポジション練習からアドリブへ、ジャズギターテクニック」とか「ジャズギター入門、ジャズギターのテクニックが身につく本」などは謙虚なタイトルであり、「ジャズギターの登竜門」とか「ジャズギターの金字塔」、「明日から弾ける!ジャズギター集中講座」、「猫にもわかるーーー」は誇大タイトルだと思う。
面白いのはこれらをすべて読んでみると、すべての著書に共通した表現による説明の部分と、同一の事柄について説明の表現が異なる部分が存在することだ。それぞれの著者の暗黙知が異なるためにそのようになるのだが、このような事柄について1冊だけ読んでみても初心者は理解ができないだろう。
数冊読んでみるとその意図するところを何となく分かってくるが、それを仮に理解できたからと言ってうまく説明ができるわけでないことに気づく。これが暗黙知の特徴である。
面白いのはジョーパスの「ジャズギター教本」で、文章では最小限の説明が書かれている以外楽譜しか存在しない。最小限の説明でわかる人は少ないと思う。小生は、最初読んだだけではさっぱりわからなかった。
書かれた楽譜を何度も何度も弾いてみて、はじめて何となく理解できた。すなわち音の響きから意味を理解させる表現である。暗黙知をうまく伝えるにはこの方法しかない、と彼は考えたのだろう。
この年齢で無駄だと分かっていても本を読み知を得る努力をしてみると、形式知や経験知までその伝承の難しさを改めて考えることになる。
暗黙知については、その言葉で書かれた説明だけでなく、それが形成される過程や暗黙知から刺激を受けた経験知が新たな知を生み出す瞬間を味わえたりする。
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あまり公開したくないが、上手な思考実験のコツというものが存在する。思考実験を夢想実験と誤解している人がいるが、怪しげな妄想とは異なる。思考実験にもルールが存在する。
思考実験についてはニュートンの万有引力の法則発見が有名な事例だが、マッハも認めている非科学の成果である。非科学ではあるが一定のルールで実験を行っているとマッハ力学史には書かれている。
面白いのは、思考実験でも失敗することがある。というよりも思考実験で何度も何度も失敗し、その結果新たなアイデアが生まれるといった方が良いかもしれない。
ただし文章の推敲とは似て非なるものである。文章の推敲作業では、何か採用されるアイデアが存在するが、思考実験では、すべて失敗することもある。
ただ思考実験の良いところは、どれだけ失敗してもお金がかからない点である。電気粘性流体の耐久性向上技術は、思考実験で何度も失敗したので、一晩で技術が生まれている。
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昨日の文春オンラインに長野県上高井郡小布施(おぶせ)町の役場でこの2年間に3人の職員が自殺したという記事が公開されていた。
原因はソニー勤務後町長に就任した人物(73)にあるような書き方だった。町長はソニーの経験を役場内の組織に適用したとの反省の弁を述べていた、とある。
ニュースを読む限りではそれなりに誠実な人なのだろう。今パワハラやセクハラはじめ各種ハラスメントを無くそうという社会機運がある。
実は各種ハラスメントを無くしても組織の在り方、運営を間違えたなら自殺者だけでなく他人の業務妨害をするような悪人まで現れる(注)。
当方はゴム会社で新規事業を起業した後、組織内でいわゆる「いじめ」にあい、その極めつけが会議前になると報告資料のデータが入ったFDが壊されている、という状態まで追い詰められた。
当方の当時の状況では自殺してもおかしくないと今でも思っている。しかし、当方はドラッカーを読んでいたのでこのような組織内の問題に死なずに何とか対応していた。ただ、事件の数々を上司に隠蔽化され、にっちもさっちもいかなくなって自殺ではなく転職している。
ハラスメントを解決しても、研究所と言う特殊な組織風土で発生する人間特有の残酷さはリーダーが気を配りマネジメントしない限り無くならない。
そもそも組織運営は平凡な人間に非凡なアウトプットを出させる仕組みが最良であるとされている。ゆえに民間の厳しい手法をぬるま湯だった職場にそのまま持ち込んだなら、一人や二人自殺者が出るのは当然と考えてマネジメントにあたるべきだった(そのままではなく役場に適するようなマネジメントを工夫すべきだった)。
今ロシアとウクライナの戦争がつぶさにニュースで報じられている。平和ボケしている日本人には理解できないロシア兵士の残虐性だが、それが戦争と言う業務から発生していることを忘れている。
どのような組織マネジメントが良いのか、ドラッカーの多数の著書に分散して書かれている。ゆえに彼が読者に何を伝えたいのかわかりにくいところがある。ただし、組織の被害者になって読み返すと理解できる。
(注)企業における異常な事件は自殺ばかりではない。他人に対して攻撃的な行動をとる人物を生み出したりする。ゴム会社では当方が転職後とんでもない事件が起きている。
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