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2013.01/26 弊社の問題解決法について<9>

「忘れられたスター」では、刑事コロンボは真犯人の逮捕をしませんでしたが、そのほかの事件では、完全犯罪となるような難事件まですべて解決しています。

 

例えば「死者の身代金」では、「銃弾は下から上へ突き抜けるようにあたった、なぜ口径の小さい銃を使ったのか、銃弾が体を突き抜けると困る、など一つ一つは絵空事だけど全体を見ると絵解きができる」と、思考実験の過程を継母レスリーに説明し、「顔見知りに打たれた、と結論でき、犯人は身近にいる。あなたが犯人だ。」、と告げます。しかし、犯人に結びつく証拠はアリバイも含め、何一つありません。

 

この難事件では、犯人しか持っていない身代金を娘マーガレットへ渡すように仕向けたお芝居を娘に演じさせると、継母レスリーは、早く娘を追い払いたいため25000ドルを隠していた身代金から払ってしまいます。それが証拠となり犯人は逮捕されます。

 

「策謀の結末」では、銃を販売する闇の商人が殺され、犯人との接点もつかめない状況です。しかし、死体の脇に落ちていたウィスキーのボトルの不自然さに着目します。刑事コロンボは銃殺された時の倒れ方とボトルがテーブルから落ちる様子を実際に何度も自分で演じながら、死体の脇に置かれていたボトルの状態にメッセージが隠されていると気がつきます。そして、ダイヤモンドの指輪でつけられたウィスキーの特徴的なボトルの傷を手掛かりに詩人の活動家逮捕につながってゆくのですが、「上司の教えとして、眼力が大事だ」、という決め台詞を残しています。このあたりは、探偵ホームズと同じく観察に基づく推理の展開を武器にしている様子が伝わります。

 

同様の観察眼で犯人を見つけた「秒読みの殺人」では、支社長マークが、殺された時に遠近両用メガネをかけていなかった点と死体の姿勢から顔見知りの犯行と推理し、捜査を始めてすぐに殺人の動機と結び付けてアシスタントディレクターに注目します。そして巧妙なアリバイ工作に利用した現場で、犯人の思惑とは逆に証拠を見つけ出し、犯人逮捕に結びつけております。

 

刑事コロンボは、いずれのドラマでも犯人に近づき、犯人と対話をするのが特徴で、その中で「うちのカミさんがネー」というセリフは、ドラマの見どころでもあります。刑事コロンボが難事件を解決できたのは、いつも犯人(結論)に近づき対話していたから、と思います。結論から推論を逆向きに展開し、常に結論と対話をする姿勢は、「考える技術」として重要です。

 

(明日へ続く)

 

 

 

 

 

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2013.01/25 弊社の問題解決法について<8>

刑事コロンボは、そのほかに「5時30分の目撃者」では「対偶の関係は真である」という「考える技術」を用いています。すなわち、このドラマの事件では殺人事件の犯人である精神科医コリア―が車で逃げる時に門扉へ車をぶつけ、たまたま盲導犬と歩いていた盲目のモリスと遭遇しますが、このシーンが犯人を追いつめる決め手となっています。

 

刑事コロンボは、「目撃者が盲目ならば、事件の目撃者になれない」という推論の対偶である「事件の目撃者になれるならば、目撃者は盲目ではない」を考え、モリスの兄デイビットを目撃者にしたて、精神科医コリア―に紹介します。精神科医コリア―は、目撃者は盲目だったはずだ、と証言し、その場で逮捕されます。

 

事件の唯一の目撃者が盲目だったために刑事コロンボがどのように犯人を追いつめる証拠とするのかが、このドラマでの見どころになっています。犯人を目撃者として使う逆転の発想は、対偶を用いる「考える技術」以外に、常に犯人(結論)から事件を見ようとする刑事コロンボの思考方法のなせる業だと思います。

 

余談ですが、「忘れられたスター」では、刑事コロンボは犯人を追いつめながら真犯人を逮捕をしていません。犯人の女優グレースが脳に手術不可能な動脈瘤ができており、余命いくばくもない記憶を失う病気になっていたからです。状況証拠では、女優グレースが犯人であることは明確なのですが、すでに犯罪の記憶が無くなっており、それに気がついたコロンボは、女優グレースを愛していた演出家ダイアモンドの提案を受け入れ、彼を誤認逮捕承知で連行します。ここで示した刑事コロンボの情は、常に犯人の位置から事件を見る刑事コロンボならではの味と思います。

 

(明日へ続く)

 

 

 

 

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2013.01/24 弊社の問題解決法について<7>

この第一の山場までの刑事コロンボの「考える技術」は、刑事という役職の制限からくる通常の証拠集めと証拠に基づく演繹的推論を前向きに展開しているだけですが、真犯人に結び付く証拠が揃わないだけでなく、肝心のアリバイ崩しもできません。すなわち、証拠やアリバイを基にした前向きの推論では犯人を特定できないのです。

 

そこで犯人が証拠隠滅までやった、と逆から推論し、空港の荷物検査における往路の荷物が帰路の荷物よりも2kg多い点を精神科医フレミングに問い詰めます。犯人は嘘の説明を行うので、嘘とわかっていても逮捕のための決定打になりません。

 

しかし、ここで精神科医フレミングが刑事コロンボの追跡をかわすために友人の検事に頼んで捜査に対して圧力をかけたのです。刑事コロンボは、精神科医フレミングに自分が捜査を外され彼に敗北したことを告げます。勝ち誇った精神科医フレミングは、夫婦の間のもめごとの解決手段が殺人しかなかったことをほのめかし、刑事コロンボの精神分析結果を語り始めます。視聴者は第一回のこのシーンで刑事コロンボのキャラクターを知ることになるのですが、刑事コロンボの反撃を期待させる場面でもあります。

 

その夜、刑事コロンボは、女優ハドソンに会いにゆきます。そして、殺人事件の全容を説明し、彼女に自首を勧めました。しかし彼女は承知しませんが、精神的な弱さから不安になり、精神分析医フレミングにすぐ来て欲しいと頼みます。しかし、精神分析医フレミングは冷たく拒否します。刑事という制約から攻め口には制限がありますが、犯人という結論に直接つながる共犯者を責めるアクションがあったのか、と視聴者を納得させるシーンです。ところが、刑事コロンボのすごいところは次の結末です。

 

刑事コロンボは女優ハドソンを責めることで、精神分析医フレミングが必ず動くことを読んでいたのです。すなわち、愛人ハドソンの精神状態を心配になった精神分析医フレミングは、翌朝彼女のマンションを訪問しますが、プールで自殺した彼女そっくりの女性が救急車で運ばれるシーンを見ることになります。驚く彼に刑事コロンボが質問を浴びせかけます。その質問は捜査に関するものではなく、人間の愛情に関する質問です。視聴者の予想を超えたアクションが取られたことで、このシーンが第二の山場として盛り上がります。そこでフレミングはハドソンを愛していなかったことを話してしまいます。その一部始終を隠れて聞いていたハドソンが現れ自分が共犯者として自首することを告げ、物語は終わります。

 

このように、刑事コロンボでは犯人逮捕(結論)に至る彼のアクションを推理する、あるいは彼と犯人(結論)とのやり取りがドラマの面白さになっています。一般の探偵小説では、犯人(結論)を捜す、すなわち結論へ向かう前向きの推論を展開するのに対し、この物語では、彼自身も勘で犯人を見出しているので、視聴者とともに結論から事件の原因へ遡るような逆向きの推論を展開することになります。

 

(明日へ続く)

 

 

 

 

 

 

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2013.01/23 弊社の問題解決法について<6>

「殺人処方箋」という第一回のドラマを題材に刑事コロンボの「考える技術」を見てゆきます。まず、倒叙探偵小説の定型で最初に殺人事件のミニドラマから始まります。第一回ということで、犯人に刑事コロンボのキャラクター解説をさせるためでしょうか、犯人は精神分析医フレミングです。彼には神経症で野心家の若い女優ハドソンという愛人がいて、夫婦仲は破綻し離婚訴訟を妻は準備していました。

 

精神分析医フレミングは、訴訟を起こされる前に妻を殺す目的で夫婦和解旅行計画を立て、アリバイ工作のため女優ハドソンに妻の身代わりになる段取りを説明して協力させます。女優ハドソンは精神的に弱く精神分析医フレミングの指示に従い、空港まで妻の身代わりとして精神分析医フレミングに寄り添い、飛行機に搭乗し突然夫婦喧嘩を始め怒って飛行機を降りてしまいます。精神分析医フレミングは、あらかじめ空港に行く直前に自宅で妻を後ろから絞殺していますから、飛行機が飛び立ったあと精神分析医フレミングはアリバイ工作が成功して完全犯罪を確信します。ここまでが殺人事件のドラマのあらすじですが、殺人方法から犯人並びに共犯者のキャラクターの説明に至るまで、ここまででもドラマとして成立するくらいの細かい描写です。

 

精神分析医フレミングが自宅に帰ってきたところで、家宅捜索中の殺人課の刑事コロンボと出くわします。この時点で、刑事コロンボは精神科医フレミングの帰宅時の挙動に幾つか疑問を持ち、刑事の勘で真犯人ではないかと疑います。すなわち、ここで用いている「考える技術」は、観察力と過去の経験に裏付けられた勘です。

 

刑事コロンボがこの段階でフレミングに対し真犯人という疑いを持ったことは、ドラマの後半部分で事件から担当を外されたことを彼に告げるシーンにおいて、「刑事は年に100回殺人事件を見てるんだ。しかし真犯人はたった1回の経験だから必ずどこかにミスがあるはずだ」と、語りフレミングを初めから疑っていたことを告げています。

 

このドラマの最初のシーンでは、フレミング夫人がまだ生きている設定ですが、その後フレミング夫人は意識が回復することなく病院で亡くなり、大切な証人が死んでしまいます。そして、ここから精神科医フレミングと刑事コロンボの戦いが始まります。

 

刑事コロンボは執拗に精神科医フレミングを追い込みますが、アリバイを崩せないどころか証拠も見つかりません。視聴者も刑事コロンボも真犯人が分かっている状態ですが、証拠がないために真犯人を逮捕できないじれったさで盛り上がり、物語の第一の山場を迎えます。

 

(明日へ続く)

 

 

 

 

 

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2013.01/22 弊社の問題解決法について<5>

刑事コロンボのドラマの展開は典型的な倒叙探偵小説と同様で、最初の場面で犯人と犯人周辺の生活が丁寧に描かれ、犯人と被害者の人間関係及び犯行の動機などすべてが視聴者に提示されます。そして殺人事件が起きますが、殺害方法や現場の状況など一般の探偵小説では推理して明らかにする答に相当する部分まで、視聴者はすべて見ることになります。ここまでが短いドラマになっていますので、その後の展開における視聴者の興味は、もはや犯人にはなく、どのように刑事コロンボが捜査を進め犯人に迫り、逮捕に至るのかという点に集中することになります。

 

視聴者は刑事コロンボの事件捜査におけるアクションに注目していますが、すでに事件の結末を知っていますので、あたかも結末の位置から結末につながる刑事コロンボのアクションを推理するような視点になります。一般の探偵小説ならば、物語の進展に伴い探偵もしくはワトソンのような語り手から結末へ向かう方向に視点は動いてゆきますが、刑事コロンボにおける視点の動きは全く逆になります。これが一般の探偵小説と異なる面白さを生み出す秘密になっています。

 

面白さの秘密と関係している推論の向きとその性質について少し説明します。一般に行われる仮説から結論あるいは原因から結果へ向かう推論を前向きの推論と言い、これに対し結論や結果から推論を展開する場合には逆向きの推論(後ろ向きの推論と呼ぶ場合もある)と言います。この推論の向きの違いは、問題を考える時の見通しのよさと関係するので重要です。

 

すなわち逆向きの推論を行う場合には、結論へつながる推論の道筋を結論から考えていますので結論に至る道筋が明確です。しかし、前向きの推論を展開する場合には、推論の展開を始めた段階では結論につながるかどうかわからないので見通しが悪く複数の道筋を考えることになり、解決策については、その中から最良の推論を選ぶことになります。

 

この前の節で引用しましたが、探偵ホームズが「ブナ屋敷」で最初に七つの仮説を推論し、その後依頼人の情報を基に一つに絞り込むような手順が前向きの推論による解決策の選び方です。この時、思考実験を用いて推論を検討する方法が、非科学的ではありますがアイデアが出る「考える技術」として知られています。すなわち思考実験を通常行う時には前向きの推論を使い頭の中で結論に向けて推論を展開してゆきます。

 

この推論の向きと物語の面白さとの関係は、主人公の役職にまで影響を与えます。

 

すなわち、一般の探偵小説で謎を解く主人公は、探偵や民間人の場合がほとんどです。そして探偵という職業は警察組織に属さないので社会的拘束から解き放たれています。それが事件解決のための幅広い情報収集を可能にしていますが、多くの情報が提示された結果、読者に謎解きの視点の幅を広げて考えなければならない事柄を増加させるので、推理を難しくする効果を出すことができます。

 

一方、コロンボは探偵ではなく刑事なので、捜査する時には常に社会的規範や捜査組織の制約を受けることになります。それが犯人逮捕という結末に直接つながるアクションの推理に難しさを加えます。すなわち、コロンボが探偵ならば自由に取ることができるアクションを複数考えることができますが、警察組織に属する人間としての制約を受けることにより尋常なアイデアでは結末にたどり着けない状況も生まれ、知的ゲームとしての娯楽性を高めています。すなわち、「犯人は誰か」という結論を求めるような探偵小説の面白さの手法を使えませんので、探偵小説とは異なる技巧を凝らさない限り、推理小説としての興味は半減します。その技巧も何でもありではなく、法律という制約を設けることにより、考える領域に制限が加わり推理の難しさが増加します。ゆえにコロンボは探偵ではなく刑事でなければなりません。

 

第一回の「殺人処方箋」では、犯人の愛人によく似た女性の自殺シーンを見せ、犯人に愛人が自殺したような錯覚をさせています。おとり捜査に似たようなところもありますが、この刑事でなければできないトリックにひっかかり、錯覚した犯人は墓穴を掘ります。

 

「指輪の傷跡」では、刑事の立場を利用して、死者のコンタクトレンズが証拠品という嘘の情報を犯人に流します。それを聞いた犯人は、慌てて車の修理工場へ忍び込み、自分の車のトランクの中を探していて、その場で不法侵入の罪で逮捕されます。そしてその場の行動が殺人事件の犯人という唯一の証拠だ、と迫り、犯人の自白を引き出します。犯人の車が都合よく修理工場へ運ばれた理由も含め皆合理的な説明シーンが展開され、それらは刑事コロンボが刑事という立場を利用して合法的に仕組んだものでした。

 

「指輪の傷跡」も含め、犯人に重要な証拠情報を流し、犯人の証拠隠滅を図る行動を利用して犯人逮捕に結びつけるパターンを刑事コロンボはよく使います。これは、「そんな大事な情報を流して大丈夫か」と視聴者に思わせる効果もあり、刑事という役職を活用した情報操作までがドラマの面白さを盛り上げています。刑事コロンボでは、結論である犯人とルールに則り接触することができる刑事という役職も面白さの大切な要素となっています。

 

(明日へ続く)

 

 

 

 

 

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2013.01/21 弊社の問題解決法について<4>

「欧米探偵小説のナラトロジー」でも「シャーロック・ホームズの推論の大部分は、厳密な科学の外見をもっているだけである。推理によって、彼は敵手のみか読者をも催眠させる。彼の推理の魅力は、この催眠の魔力なのだ」とべた褒めです。ところが、「僕は消去法によって、この結論を得たのであって、これ以外の仮説ではどうしても事実と符合しない。」、と述べている部分も「緋色の研究」にあり、科学的ではない消去法という手法も使用していると公言しています。消去法は、○×のテストで正解が分からない時に使用するおなじみの方法ですが、用意された事象の中に正解があることを前提にする推論なので科学の世界では非科学的方法と言われています。

 

探偵ホームズが使用していた非科学的な「考える技術」はこれだけではありません。短編集「シャーロック・ホームズの冒険」に収められている「ブナ屋敷」には「僕は七通りだけ説明のつけかたを考えた。七つとも、いまわかっているだけの事実とは矛盾しないのだ。そのうちのどれがあたっているかは、これから先方へ行って新しい事実を聴取してからでないとわからない。」と、七つも仮説を考えて、新しい情報が入ったら正しい仮説を選択する姿勢を見せています。この場合は消去法でなくとも、新しい情報を加えた演繹的推論で正しい仮説を選ぶぐらいのことは探偵ホームズの能力があればできます。この後、依頼人ヴァイオレット・ハンターから新しい情報を聞くと、「ありがとう。ところでこの不思議な話をここで一応研究してみましょう。むろんこれにはたった一つしか可能な説明はありません。」と仮説を一つに絞り込んでいます。

 

この前後にはどのように七つの仮説から一つに絞り込んだのか書かれていませんが、この「ブナ屋敷」における仮説設定からその絞込みの過程における文章の行間を推理しますと、複数の仮説を考える時に便利な「考える技術」の一つ、思考実験を使っている可能性があります。思考実験とはニュートンが始めたと言われている頭の中で推論を展開する方法で、アイデアについて頭の中でシミュレーションを行う非科学的な「考える技術」の一つです。

 

探偵ホームズが思考実験を使っていたかどうかは、「ブナ屋敷」と同じ短編集に収められている「ボヘミアの醜聞」に描かれた次のシーンからも推理できます。 玄関からホームズの部屋まであがってくる途中の階段の段数をいつも見ているワトソンが、階段の段数が十七段であると答えられないことに対して、「そうだろうさ。心で見ないからだ。眼で見るだけなら、ずいぶん見ているんだがねえ。僕は十七段あると、ちゃんとしってる。それは僕がこの眼で見て、そして心で見ているからだ」と探偵ホームズはワトソンを諭しています。

 

探偵ホームズの活用していた「考える技術」をこのように推理してみますと、探偵ホームズは科学的論理だけを忠実に用いて推理を行う奇人ではなく、非科学的と言われている消去法や思考実験までも「考える技術」として使いこなし、事件の推理を行っていた柔軟な頭脳の持ち主で、エキセントリックにふるまっていたのは探偵としてのカリスマ性を演出するためではなかったのかと想像したくなります。

 

探偵ホームズの「考える技術」は、これだけではありません。探偵ホームズについては頭脳明晰な理論派と表現され、やや二枚目半的な紳士としてこれまで映画やテレビドラマなどで表現されることが多いですが、「考える技術」の使いこなし方の視点で見ますと、むしろ現場観察重視の泥臭い一面と人並み外れた鋭い観察眼のある、加齢臭よりも煙草臭の強い職人的オヤジのイメージが浮かび上がります。

 

例えば「赤髪組合」には、ワトソンがホームズと一緒に依頼人の話を聞き、現場観察をおこなったあとのぼやきで、「私としては、彼とおなじく話を聞き、おなじだけのものを見ているのに、ホームズがすでに過去の事実はもとより、今後いかに事件が進展してゆくかについても、明らかな洞察を下しているらしい口ぶりをもらしている」と述べています。

 

これは、ワトソンがベーカー街の事務所で待合わせるとの指示を受け、探偵ホームズは事件解決の段取りを一人で行うために人ごみの中へ消えていった時のワトソンの独り言ですが、相棒のワトソンをほったらかしにして、問題解決の仕上げを一人で楽しみながら行うところは、長年の蓄積された経験で身に着けた知識と知恵を活用する職人的オヤジの姿そのものです。職人的オヤジにとりまして強力な「考える技術」は、豊富な経験から得た知識と知恵を用いて頭の中でシミュレーションを行う思考実験です。

 

(明日へ続く)

 

 

 

 

 

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2013.01/20 弊社の問題解決法について<3>

探偵ホームズの「考える技術」について、もう少し詳しく物語の表現から推理してみます。不評だった第一作「緋色の研究」には、探偵ホームズがやや人間性を欠いた推理の天才で、エキセントリックな人格であるなど主人公に関する説明が多く書かれています。ワトソンとの出会いのシーンでは、「いっしょに暮らすとなればそのまえに、おたがいの短所を十分知りあっていたほうが好都合ですからね」と探偵ホームズからワトソンに語りかけ、お互いの欠点を説明する部分まででてきます。

 

第一作ですから登場人物の説明を読者に詳しくする物語展開を否定しませんが、探偵ホームズが凡人とは全く異なる奇人で、音楽と臭いの強い煙草とコカインを愛し女嫌いであることまで最初に説明が出てくるのは、やや冗長で、このようなことは事件解決の過程で探偵ホームズの動作からわかるようになっていたほうが物語としておもしろいと感じました。第一作も含め彼の事件を推理する動作には、最初に説明された性格がにじみ出ています。

 

しかし、このような冗長性のおかげで、この書を読みますと探偵ホームズの使用していた「考える技術」を理解することができます。例えば「ただ一滴の水より、論理家は大西洋やナイアガラ瀑布など、見たり聞いたりしたことがなくても存在の可能なことを、推定しうるであろう」という探偵ホームズのセリフから、「部分から全体を推理する方法」を会得していたことがわかります。

 

これは、論理学で演繹的推論と呼ばれている「考える技術」を利用しますが、科学の研究分野でよく使われる方法です。例えば「一般的法則pが成立するならば、ある個別法則qが成立する」という表現が推論で、これを順次展開し結論を導き出してゆきます。

 

論理学の推論では、「pならばq」に対して、「qならばp」という表現を「逆」、「pでないならばqでない」という表現を「裏」、そして「qでないならばpでない」という表現を「対偶」と呼んでおります。高校数学で学習しましたように推論の「逆」や「裏」は常に成立するとは限りませんが、「対偶」の関係にある推論はいつも成立します。

 

すなわち「pならばq」を考えてもアイデアが出ない時に、その対偶である「qでないならばpでない」という推論でアイデアをひねり出す「考える技術」は有効でビジネスの問題解決でも使われております。こうした推論の表現と性質について、探偵ホームズが登場した時代には、すでに論理学の世界で解明されていました。

 

また、「だいたい犯罪にはきわめて強い類似性があるから、千の犯罪を詳しく知っていれば、千一番目のものが解決できなかったら不思議なくらいなものだ。」、という表現から、先の推論とは異なる、「全体から部分を推理する方法」も使っているようです。これは個々の情報から一般事象を導き出す帰納的推論と呼ばれる方法で、論理学では演繹的推論と並ぶ代表的な「考える技術」であり、高校数学で数学的帰納法として学びます。

 

数学的帰納法では、n=1で成立することの確認から始まり、ある自然数kと自然数k+1で成立することを示し、すべての自然数で成立する、と結論を導いてゆきます。しかし、実際の現場ですべてについて成立することなど示せませんから、結論が蓋然的になる可能性があり「考える技術」として問題解決に使用する時には注意が必要です。

 

帰納的推論は、ソクラテスの時代から存在していた「考える技術」のようですが、数学的帰納法のように、その推論の展開でいつも完全に成立性が保証されているわけではありません。それゆえ長い間論理学の分野で議論が続けられていたようで、フランシス・ベーコンが現れ、帰納的推論を論理学の一手法として確立したのは16世紀のことです。

 

その後も改良が加えられ、帰納―演繹―検証の三段階からなる演繹的方法が19世紀のジョン・スチャート・ミルにより伝統的演繹推理を補強する形式で実現されます。すなわち、帰納の代わりに仮説を入れた、仮説―演繹―検証からなる「仮説法」が考案され、伝統的論理学が「考える技術」の体系としてこの頃完成します。

 

驚いたことに、探偵ホームズは、現代の科学でも使用されている伝統的論理学が完成した当時の成果を「考える技術」として駆使していたことになります。先に説明しましたが、短編のほとんどの物語は、「ベーカー街における問題設定、情報収集と分析、犯人が解明され、最後の説明」という構造になっており、この毎回同じ構造の美しさとその中で探偵ホームズが科学的に体系化された論理学を駆使して推理を展開する魅力で、探偵ホームズの物語が成り立っていることはこれまで指摘されてきました。

 

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2013.01/19 弊社の問題解決法について<2>

探偵ホームズシリーズのほとんどの作品は、ワトソンを語り手としてベーカー街で始まり、そこへ依頼人が登場し、謎(問題)が提起されます。依頼人の説明が終わったところで、探偵ホームズとワトソンは、分析と調査に乗り出し、それが依頼人の持ち込んだ問題の解決へつながる、というパターンです。もし、最初のトライでうまくゆかない時には、ベーカー街の事務所に戻り、依頼人から再度話を聞くか推理をやり直します。

 

シャーロック・ホームズファン(シャーロッキアン)の好きな短編リストの上位に入る「赤髪組合」では、依頼人の相談内容が極めて不思議な相談であったため、正しい問題は他にあるのではないかと探偵ホームズは調査を進めます。しかし、それを発見した後、事件解決の準備のためワトソンと現場で別れますが、その後の待ち合わせ場所は、やはりベーカー街になっています。

 

すなわち探偵ホームズは、ベーカー街で問題設定し、分析的思考で推理を進め問題解決する、という現在普及している科学的問題解決方法の典型プロセスで事件を解決していきます。このような物語展開の中で、読者はワトソン役になり、探偵ホームズから提供される分析や調査の結果を基に謎を推理し考えることになります。探偵ホームズシリーズが現代でも愛読される理由は、このような一般的に用いられている科学的な問題解決パターンで話が進められている安心感と読者の「解く力」とのバランスが良いためでしょう。

 

探偵ホームズが、このような典型的な科学的問題解決法のパターンで事件を解決するのは、作者であるコナン・ドイルがロンドンで開業医として働いていたためと思います。すなわち作者の科学的教養の高さが、探偵ホームズに厳密な科学的論理思考をさせていたのだろうと思います。

 

ただし、探偵ホームズのあまりにも典型的な科学的論理思考ゆえに物語全体を平板にしているという批判があることも付け加えておきますが、物語で使われている彼の「考える技術」を行間から推理しますと、必ずしもその批判は正しくないように思います。最初に書きましたように短編集の物語展開はすべて同じパターンですが、「考える技術」を駆使している探偵ホームズの姿は、時々非科学的思考方法も飛び出す柔軟な頭脳の持ち主として描かれています。この探偵ホームズの姿を味わいながら物語を読みますと、必ずしも平板とは言えません。

 

(明日へ続く)

 

 

 

 

 

 

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2013.01/18 弊社の問題解決法について<1>

弊社の問題解決法について、「考える技術」という観点で毎日書いてみようと思います。一部すでにこのコーナーで書きました内容も重複して出てくるかもしれませんが、毎日読んだ時に理解を深める配慮とご理解ください。

 

本能的に問題を解いていた時代から、「考える技術」を生み出し、多くの人がそれを活用するようになったのはいつ頃からでしょう。科学者や技術者の「考える技術」については、物理学者マッハが指摘するように考えることが仕事の専門家の歴史さえもたどることは困難と言われています。しかし、推論などの「考える技術」を駆使した著作物をその歴史の足跡と捉え、哲学書をたどりその一端を知ることはできます。

 

ただし、難解な哲学書を一般大衆が読んだとは思えませんので、それが分かっても専門家の「考える技術」の歴史がわかるだけです。一方で、多くの信者を擁する宗教の教えを大衆の「考える技術」に入れるというのは少し違和感があります。たとえ心の問題を解決できたとしても科学の問題を宗教の教えでは解けないので、宗教の教えに「考える技術」としての汎用性はありません。

 

それでは、一般大衆が科学や日常の問題を解決可能な「解く力」に関心を持ち、能動的に「考える技術」を日常生活の中で活用した時代を知るにはどのような著作物を調べたらよいでしょうか。

 

科学的な論理が注目され、一般大衆が「考える技術」を利用して楽しんだ作品は、恐らく探偵小説が最初と思われます。江戸川乱歩は、探偵小説の定義として「探偵小説とは、主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする文学」と「探偵小説の定義と類別」の中で述べています。この定義に従う著作物であれば、「考える技術」の参考資料となります。

 

また、前田彰一著「欧米探偵小説のナラトロジー」では、科学的な語りがされている探偵小説には「一般的な探偵小説」と「倒叙探偵小説」の二つのジャンルがあると指摘しています。「一般的な探偵小説」とは、読者に対し謎の提示から始まり探偵の捜査と推理によってその謎が解き明かされる典型的な探偵小説のことで、「倒叙探偵小説」とは、書き出しで読者に犯罪を見せるという探偵小説の逆の語りで展開される物語のことです。

 

この探偵小説の歴史を調べてみて興味深いのは、17世紀に哲学者ルネ・デカルトが著した「方法序説」から、1878年にフリードリヒ・ニーチェにより「人間的な、あまりに人間的な」が出版されるまでの哲学と文学が相互に刺激しあいながら、専門家による「考える技術」について議論が展開されてきた時代に探偵小説が生まれ、発展していることです。

 

すなわち19世紀初めに有名な「モルグ街の殺人」が探偵小説の元祖エドガー・アラン・ポーにより発表され、多くの人に読まれました。続いて書かれた「マリー・ロジェの秘密」や「盗まれた手紙」を含めた3部が探偵デュパンの活躍する典型的な探偵小説として知られています。少年少女名作集などで取り上げられる「黄金虫」は、前著「欧米探偵小説のナラトロジー」によれば探偵小説ではなく謎解き物語というジャンルだそうですが、これも一応探偵小説同様に「考える技術」を楽しめる物語です。

 

デカルトが演繹的推論をはじめとする「考える技術」をまとめてから、ポーが探偵デュパンを生み出すまで100年以上経っています。おそらく哲学者の道具であった難解な論理学が「考える道具」として一般の生活に浸透するのに1世紀以上の時間が必要だったのでしょう。

 

そして1886年には、科学的推理を駆使して活躍する世界的に有名なシャーロック・ホームズが、イギリス領スコットランド生まれのコナン・ドイルにより著された長編「緋色の研究」に登場します。しかしこの作品は不評で、その後ドイルは一度探偵小説をあきらめますが、アメリカのストランド誌の編集長が、リピンコット誌に発表された「四つの署名」を見て彼の作品のヒットを確信し短編の連載を依頼したので、60作近くの探偵ホームズものを書くことになります。その結果は、探偵ホームズがアメリカ生まれと誤解されるほどのヒットとなりました。

 

この流れを受けて20世紀前後には本格派探偵小説の黄金期を迎え、アガサ・クリスティーやヴァン・ダインなどが登場します。オースティン・フリーマンの「歌う白骨」という倒叙探偵小説は、この黄金期を象徴する作品として発表されています。

 

ところで、ナラトロジーの観点では倒叙探偵小説は表現形式の新型にすぎませんが、一般的な探偵小説と倒叙探偵小説の語りの展開の違いは、読者に思考方法の転換や推論の向きの違いを要求しますので、その比較から「考える技術」の変遷を知ることができます。

 

ただし、ここでは考える技術のヒントを探るのが目的なので、多数の探偵小説を読み比べて論じるのではなく、読み手に明らかに異なる思考が要求される、一般的な探偵小説と倒叙探偵小説の比較に焦点を絞り、そこに展開された「考える技術」について考察し「考える技術」を磨くヒントを探ります。前者の代表例としてコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズと、後者の例としてテレビドラマですが、本書の「考える技術」に近い思考方法を行っている刑事コロンボのシリーズをとりあげ、それぞれの「考える技術」の特徴について考察したいと思います。なお、説明の都合上一部の作品につきましてシナリオの結末を紹介していることをお断りしておきます。

 

(明日へ続く)

 

 

 

 

 

 

 

問題は「結論」から考えろ!

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