リアクティブブレンド技術としてシリコーンLIMSを見たときに何が問題か。大きく分けて2つ原因がある、と推定している。一つは未だミラブルタイプのゴムについてその物性と高次構造の研究が不十分な点とLIMSにおける反応機構解析がゴム物性の視点から十分に成されていないことである。
軟質ポリウレタンフォームやポリウレタンRIMについては古くから研究されており、学会などで報告されたデータに優れた内容の論文が多い。しかし、シリコーンLIMSについてはその配合がブラックボックス化されており、公開された研究報告に学術的な内容が少ない。ましてや物性との関係については材料メーカーのカタログを信じる以外に情報は無い。
シリコーンLIMSの材料メーカーの戦略がシリコーンLIMSの技術的発展を遅らせている。換言すればRIMにはSが無いがLIMSとなっていることにより、末端ユーザーが価格に対して弱い立場になっている。
シリコーンLIMSでは御三家と呼ばれるメーカーが国内に3社存在する。トップのS社にそれを追うT社とM社である。この三者に見積もり書を出させるとS>T>Mとなる。S社の情報で得た製造条件で他の二者の材料の物性比較をするとS>T>Mという序列になるから面白い。しかし、T,Mそれぞれに製造条件を尋ね、技術レポートをもらい最適条件で評価するとS=T=Mとなる。
当たり前のような結果だが、実務の現場ではS社の営業マジックで基本を忘れ、うっかりと同一製造条件でT社とM社を評価するようなミスをする。S社の技術サービスはうまい、というよりもきめ細かい。だからS社の話を鵜呑みにしてT社とM社の材料を評価し、やはりS社の材料が一番良い、となる。
S社はサギをしているわけではない。やはりそれなりの技術を持っており、それで営業戦略を展開しているのだ、T社とM社はその点で負けてしまっている。それでは、S社がダントツに優れた技術を持っているのか、というとそうではない。ゴム技術という視点で眺めたときにまだ稚拙と感じるミスを行う。少なくとも1970年代のゴム技術で解決できていた内容を分かっていない品質問題に遭遇した。
シリコーンLIMSもwww.miragiken.com で扱う予定にしているが、まだ先の話である。もし質問があれば気軽に尋ねて頂きたい。シリコーンは無機高分子の代表的存在であり、当方は高分子学会無機高分子研究会の企画委員の実績もある。最近は他の講演会に忙しく研究会に参加していないが、今年は時間を作り参加したいと思っている。なお本日東工大で開催される学会 http://www.spsj.or.jp/entry/annaidetail.asp?kaisaino=943 でカオス混合の招待講演者になっている。順番では最後の講演者なのでお時間のある方は足を運んで頂けるとうれしいです。
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高純度βSiCの前駆体ポリマーはリアクティブブレンドという技術で合成されている。リアクティブブレンドの技術はポリウレタンRIMや、ポリウレタンフォームのワンショット法で経験していたが、写真会社でも同様の技術を退職前に数年担当することになった。それはシリコーンLIMSの技術である。
RIMは巻き舌で「リム」と発音するが、LIMSは舌先を上の前歯にくっつけて「リムズ」と発音する。「ズ」がつくので日本人が発音しても、RIMとLIMSの区別は可能である。但し地方によっては、SがついていないのにRIMを「リムズ」と言っていたところもあるので注意を要する。冗談でLIMSの読み方を尋ねてみたら同じ発音であり、大笑いになったことがある。方言を笑うのは失礼と思ったが、ご本人に大受けしたので一緒に笑った。
1980年頃開発されたシリコーンLIMSは、シリコーンゴムの廉価版である。シリコーンゴムには、ミラブルタイプのゴムとこのLIMSのゴムの2種類がある。前者はHCR(Heat Cured Rubber)あるいはHVR(Heat Vulcanizing Rubber)とも呼ばれているが、タイヤのゴムのようにロール混練で配合され、成形時に加硫し製造される。
LIMSとはLiquid Injection Moldingの略で、低分子液状状態のまま金型に注型し、反応させて重合と加硫を同時に行うシステムである。この説明だけも想像がつくように、ミラブルタイプの成形品のほうがかなりコストが高い。シリコーンゴムのコストダウン技術としてLIMSが登場したと思われる。
両者の開発を担当した経験から、高性能を要求される分野にLIMSを使おうという気になれない。リアクティブブレンド技術として未だ完成しておらず、換言すれば現在でもLIMSの開発目標は品質安定化と高性能化であり、30年経った今でも開発が続けられている。
シリコーンLIMSの用途は細かい電子部品からローラなどのゴム製品まで多岐にわたるが、いずれも高価でミラブルタイプで作っても価格差の無い部品まである。すなわち成形業者が稼ぐことのできる材料なのである。材料メーカー御三家もしっかりとこの材料で稼いでいる。ゆえに末端ユーザーは、LIMSで設計すべきかミラブルタイプで設計すべきかよく考えた方が良い。
業者によっては同じ値段のところもあってびっくりした。もっとも最初から同じ値段では無く、価格が決まって上市した後品質問題が起きてその問題解決のためにミラブルタイプで製造した部品を持ってきたのである。末端ユーザーは知識が無い担当者が多いのでシリコーンゴムは高い、と言ってミラブルタイプで見積もり、LIMSで製品を納めていたのである。
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住友金属工業とのJVが、半導体用高純度SiC事業の発展のきっかけとなった。一人で開発の死の谷を歩いているときに、気分転換で外部の顧客探し、マーケティングを行っていた。セラミックスフィーバーはエンジニアリングセラミックスが中心だったが、SiCに関しては半導体用途に対する関心が高まりつつあった。
半導体冶工具もエンジニアリングセラミックスのカテゴリーであり、半導体分野の市場を持っていたメーカーで研究開発が進められ、SiC半導体冶工具分野は1990年にそこそこのマーケットが形成されつつあった。しかし、低コストSiCを製造できるアチソン法やそれよりも少し高純度化可能なシリカ還元法のSiCでは、高純度化のためにコストがかかり、高純度粉体は1kgあたり10万円以上で取引されていた。
また、ゴム会社のSiCは、シックスナイン以上の高純度であったが、既存の方法のSiCは、それよりも純度が低く、半導体用冶工具はSiへの汚染を防ぐためにCVDによる表面処理が必須であった。ある日自宅に住友金属工業の小嶋荘一さん(注)と言う方からお電話があった。無機材質研究所のT先生から自宅に電話するように言われたからだそうだ。T先生は当方が社内で辛い立場で一人で開発を進めていることをご存じであった。
当時の上司に相談したところ、話を進めて良いとの指示を頂いたので、会社に来て頂いた。話はとんとん拍子に進み、まずサンプル提供による共同開発から始めた。最初のサンプルは100g程度で良かったが、次第に量が増え、1ロット1kg要求された。6年間休眠していた高純度SiC量産プラントを稼働させる必要が出てきた。
JV立ち上げ後10kgの生産を行うのだが、休眠していたプラントを立ち上げるのは大変であった。上司から一人で仕事を進めるように指示されていたからである。誰も手伝ってくれる人はいなかった。当方の設計した高純度SiC生産用の横型異形プッシャー炉は、最低2人で運転する装置であった。自動化装置も組み込んでいたが、最適化しないままプロジェクトが縮小し装置が休眠状態となっていた。(続く)
(注)ゴム会社の高純度SiCが学会賞(日本化学会化学技術賞)を受賞するに当たり、開発の歴史を捏造した推薦書のために一度落選し、二度目に産学連携の成果であるとの修正が書き加えられた形で受賞している。この方の名前も入れて頂きたかったがT先生一人を入れるのが精一杯であった。
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ゴム会社の50周年記念論文投稿でボツになった夢が無機材質研究所で花開いた。それも昇進試験で同様の内容を書いて否定されたことがきっかけとなってのことである。真っ黄色の結晶粉体が得られたときに無機材研では大騒ぎになったが、ゴム会社ではしばらくその意味がわからず、社員の発明を国の発明として認めてしまう。当然その社員も発明者として影の薄い存在として扱われるのだが、結果としてそれが良かった。
ゴム会社の社長の前で半導体用高純度SiCの事業についてプレゼンテーションを行い、2億4千万円の先行投資が決定され、新たな研究棟も建設が決まった。1年前には、3年間留学していて良い、と邪魔者扱いだった社員に対して早く会社へ戻って会社で研究するように、と催促が来るようになった。結局1年半で留学を切り上げ、ゴム会社に戻り開発体制を整備する仕事から始めた。
新しい上司の下で10名前後のグループを想定し、テーマ企画も含めシナリオの作成を始めた。ところがこの上司は新しい研究棟の竣工式の日に病気で他界された。5月6日の竣工式が終わるやいなや翌日は葬式という忙しさであった。この上司の墓前には転職するまで毎年参拝していた。米国のゴム会社買収を推進するためリストラが行われ、一人で開発を続けるようになってからは、墓参りがモラールアップのきっかけとなっていた。
半導体冶工具について住友金属工業とのJVが決まったときにも真っ先に墓前へご報告にいった。だから、事業が立ち上がったので創業者はいらない、と仏様が判断されたのだろうとも思ったりもした。騒動が泥沼化したときに不思議にも写真会社から管理職としての転職の話が舞い込んだ。将来会社の幹部候補としての条件で年収も150万円程度上昇するという。当時の資料を見ると典型的な異業種のヘッドハンティングだった。
ただ写真会社で20年勤め、途中他の会社との統合もあり、転職時の約束など全て吹っ飛んだので、仏様の思し召しで無かったことに気がついた。サラリーマンの流動化が言われて久しいが、やはり日本では最初に勤めた会社で最後まで勤め上げた方が良い。甘言につられて転職し、約束が守られなかった時に惨めだ。当時問題が泥沼化して誠実に判断して自分がやりたい仕事を犠牲にした道を選んだだけに心は複雑である。
ただ、このことも含め高純度SiCについて考え始めてから幾つかの偶然が重なる事が多く、不思議に思っている。この時もセラミックスが仕事ではなく、高分子材料の技術開発を担当する話であり、ゴム会社が転職を拒む理由は無かった。ゆえに被害者ではあったが自己責任として真摯に対応することができた。
STAP細胞の騒動を見ていると渦中の若い研究者の将来が心配になる。もう少し自己責任の気持ちを持った方が良い、と思われるが、それを誰も指導していない。ここは理研を去る決断しかないように思われる。早く新しい環境で貢献と自己実現の活動を再開できるように努力した方が良い人生になるような気がする。
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昇進試験に落ちた連絡を受けた日の無機材研の話に戻る。昇進試験のショックに落ち込んでいたのは数分だった。I先生やT先生の激励でリベンジを決意した。無機材研でアイデアを検証することについて会社とも十分な調整をした。特許が無機材研から出願されることになる、というのに会社では誰も反対しなかった。検証結果に期待していなかったのである。
ゴム会社で、朝9時から高純度SiC合成のために用いる前駆体高分子の合成実験を始めたが、結局終了した夜9時まで食事抜きとなるハードワークとなった。それでも完全に透明になる条件が見つかり、その条件で炭素含有率が異なる10水準のサンプルを合成することができた。
この10水準のサンプルを用いて、炭化とSiC化の反応を行うのだが、許された時間は5日である。ゆえに4水準ピックアップして、SiC化の反応では、同時にこの4水準を処理することにした。その時電気炉の暴走が発生し最適条件となった話はすでにこの活動報告で書いた。運も味方したのである。
与えられた1週間の時間の中で1日残し、超高純度のSiCを安価に合成できるプロセスが完成したのだが、技術特許をどこが出願するのか改めて問題になった。I先生から基本的には無機材質研究所から出願して頂きたいが、会社とも再度調整するように、とも言われた。
当方は実験開始前に会社と調整が済んでいたのでどちらでも良かったが、ゴム会社に電話して驚いた。実験結果が出た後も、研究所のどなたも反対されなかったのである。結局この技術の基本特許はすんなりと無機材質研究所で出願することになった。
その後この特許を基に国のプロジェクトの準備が進められるのだが、ささやかな新聞発表もあったのでゴム会社が大慌てになった。結局ゴム会社が無機材質研究所と調整し、国のプロジェクトではなく、ゴム会社で国から斡旋を受けて開発を進める企画になった。試験に落ちてからたった一週間の成果で状況が改善されたことにびっくりした。
数ヶ月前のSTAP細胞発表の騒動と当時の無機材研のマネジメントを比較すると面白い。セラミックスフィーバーが吹き荒れていた時に当方の発明はSTAP細胞同様の扱いになってもおかしくない成果であった。30年経過した現在でも某セメント会社からこの技術を利用した類似の特許が出願されているような基本技術である。またゴム会社では現在でもこの技術で事業が展開されている。このような大きな影響力の予想された技術であったため、極めて慎重に研究テーマはマネジメントされた。
また、当方が企画から検証まですべて行ったにも関わらず、特許等の書類では末尾に名前が書かれるとか、あるいは全く当方の名前が無い書類もあった。単なるビジター研究員だったので当然であるが、全てについてI先生は当方への配慮として説明してくださった。
I先生の人柄を信じていたので、実質の発明者として扱われていない状況に不満を述べないだけで無く、すべてお任せした。その結果、何も騒動は起きず、その後ゴム会社で当方が研究開発できる体制ができ、少なくともある問題が起きるまでは、無難に研究開発を進める体制ができていった。
32年経過して思い返してみると、もしこの時STAP細胞発表のような騒動を起こしていたなら学位を取ることもできなかったろう、と胸をなで下ろしている。よい問題にしろ悪い問題にしろ、組織の中で発生した問題について中心人物は静かにしているのが一番である。その結果良くない方向に動いたならば、後日それなりの対応をとっても遅くは無い。これは組織人としての知恵でSTAP細胞の騒動で弁護士まで表に登場したのでは、無難に収集するのが難しくなる。
研究開発者にとって一番大切なことは、穏やかに研究開発できる環境である。そのために技術マネジメントが重要である。割烹着が登場した時点で少し胡散臭さを感じたがW大学の学位審査のずさんさまで明るみに出るパンドラの箱をあけたような騒動になっている。
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人事部長との面接は2時間以上の長丁場だった。人事部長も当方のガス抜きは大変だろうと時間を取ってくださっていたのだ。この時の人事部長はその後子会社の社長として栄転されるのだが、企業人としてお手本になる人だった。難解な技術の話でも熱心に傾聴してくださり、的確な仕事の進め方や対応のアドバイスをしてくださった。
32年間のサラリーマン生活で何があっても腐らず貢献と自己実現を実践できたのはこの時の面談が大きく影響している。サラリーマンとしての一大事に親身になって状況へ真摯に向き合いアドバイスしてくださったのだ。悔しさや腹立たしさが、自分の未熟さの反省に変わる気づきを与えてくれた。
翌年の昇進試験では、会社の先行投資も決まった後であり合格することはわかっていた。試験官はリクエストどおり前年度と同じ方だと伝えられた。同じ内容の答案に今度は100点という最高点がついていたという。その試験官とは直属の部下になって仕事をしたことは無かったが、その心意気が気に入った。会社では昇進試験だけの接点であったが、良い印象を持っている。
この時の会社の風土は、CIを導入していた時期であり、前向きで建設的な動きが感じられた。ゆえに昇進試験の問題のような解決方法がなされたのだろう。しかし、7年後研究の妨害のためが起きたときは、全く異なる風土になっていた。世界5位の会社が3位の会社を買収し、世界1位を目指そうと血みどろの戦いをしているときであった。
バブルがはじける前に激しいリストラの嵐が吹き荒れていた。どの部門の管理職も血眼になって仕事をしている様子が担当者にも伝わっていた。そのような風土に変化していてもマイペースで他社とジョイントベンチャーにより半導体冶工具の事業を立ち上げた姿が周囲から反感をかってもおかしくない状況であった。この劣悪な風土は、新聞や週刊紙で大きく報じられたあの騒動まで続いたそうだ。
何か社内で問題が起きたときに、会社に裁判所は無いのである。その会社の組織風土がその問題を裁くことになる。会社には規則や規程はあるがその運用は経営者にゆだねられている。ゆえに会社内で問題に遭遇した場合には、決して自分で動いてはいけない。第三者も巻き込み、信頼できる管理者に動いてもらい問題を解決するのが良い。誰も動かなかったのなら、何もしない解決というのがサラリーマンの知恵である。問題解決に動けば動くほど誠実で真摯に対応したいのであれば、問題を明確にして会社を辞める以外に道は無い状態になっていった。
しかし、昇進の問題では当方が無鉄砲な動きをしても会社に留まれるような環境が次々と作られていった。社長の前でプレゼンテーションしてその場で2億4千万円の先行投資が決まったり、社長との飲食や、ファインセラミックスのための特別な研究棟が建設されたり、と会社の動きは速かった。その結果、3年でも留学していいよ、と言われた状態から今すぐ研究所に戻ってこいという状態まで当方の周囲の環境整備が進められた(続く)。
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当時ゴム会社では、係長職と管理職(社内の呼称は異なる)の選抜に筆記試験が課せられていた。しかしこの試験については過去問題や予想問題が受験者に流れていたり、裏の噂もあったりした。無機材質研究所へ留学して3ケ月経過したときに受験案内が人事部から届いた。また研究所の友人からは予想問題が届いていた。不合格になるとは思えない状況だった。
筆記試験の問題は数題ある試験問題から一題選択し、3時間の試験時間でA4用紙3枚程度にまとめるというものだった。新規事業のシナリオや過去の業務について考察しまとめるなどの試験対策をして臨んだ。びっくりしたのは予想問題と称されていた問題がそのまま出ていたことだ。合格したと思った。
10月になり、人事部長から昇進試験不合格の知らせを無機材質研究所で受け取った。意外であった。入社後担当したテーマでは、必ずゴールを期限内に達成していた。また商品化テーマも3件担当していた。0件でも研究所では合格ラインであり、1件担当すれば絶対に合格とも噂されていたので何らかの意図を感じた。
電話の応対を見ておられた、総合研究官I先生と主任研究員T先生が心配され、当方が描いているビジョンを実現するための実験を無機材研で一週間だけ行ってよい、と言ってくださった。当方のモラールダウンを心配してのことである。すぐに当方は、ゴム会社の研究所元同僚に電話をかけ、事情を話し、ドラフトで実験できるように準備して頂いた。高純度SiC前駆体高分子を合成するためである。
人事部長にも無機材質研究所のご配慮をお話しし、1日だけ研究所へ出張し実験を行うとの連絡をした。フェノール樹脂の廃棄作業で反応条件についてデータを収集していた実験ノートのデータが役立った。元同僚は、丁寧にドラフトの中に試薬関係をすべて準備してくださっていた。また、フェノール樹脂についても、素性の分かっている樹脂を3種類ほど緊急で取り寄せるなど至れり尽くせりであった。
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無機材質研究所で最初に担当したテーマは、αSiC単結晶の異方性がどれくらいあるのか実測する研究だった。四軸回折計に単結晶を取り付け、それをYAGレーザーで直接加熱し、2000℃までの線膨張を測定する仕事だった。ところが2000℃まで耐える接着剤が世の中に無いので、結晶を高温度で固定することができず、1000℃前後までしか測定できない。また、その温度領域までならYAGレーザーも不要であった。
このような状況だったので最初の仕事は接着剤開発となった。この仕事では天井材開発でフェノール樹脂を扱った経験が生きた。すなわち特別に配合したフェノール樹脂で結晶をカーボンロッドに固定し、それを窒素下で炭化する。処理後石英管に封入しゴニオヘッドに取り付けて2000℃までの測定が可能となった。
石英管への封入は学生時代のガラス細工の経験が生きた。フェノール樹脂の処方については、残炭素率をあげ、さらに熱処理でひび割れしないように材料設計する必要があったが、いずれも高防火性フェノール樹脂天井材の開発で経験した改善項目である。入所後1週間でαSiCの線膨張率測定が2000℃まで可能となったので周囲がびっくりされた。
この線膨張率測定のテーマ以外にSiCのスタッキングシミュレーションのソフトウェア-開発を行った。SiCには積層の形態の違いで多数の結晶系ができ(多形)るのでこれをシミュレーションするプログラムである。当時16ビットのPCが主流だったがフロッピーを使用することができたので、50層程度まで積層で生じる多形のスタッキングデータを集めることができた。これは計算が安定してできるまでに1年近くかかった。
半年間はこうしてSiCの単結晶についてじっくりと研究することができた。留学し半年が経過して、昇進試験の結果を人事部長から知らされるまで幸せな毎日が過ぎていった。また、ゴム会社から義務として命じられていなかったが、I先生がT所長室での面談時の状況を心配され、月に1回報告書を持って人事部へ出張したらどうか、と言われていた。そこで定期的に本社へ出かけた。留学中の所属は人事部だったので、人事部長から研究所へ報告書が回覧されていた。しかし報告書のフィードバックは一切無かった。
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無機材質研究所から帰路の社有車の中で話題になった、バッテル研究所と無機材研T所長の見解との相違は、事業としてみているコンサル会社とアカデミアの楽観的見方との違いだろう、という結論になった。2:1であったので多数決としての結果である。
当方は、経営的な見方や考え方について参考になったが、30年以上経過してその社有車の中で行われた議論を振り返ってみると、技術のイノベーションに対する感度が経営判断を左右する問題が大きいと思った。これまでの技術の歴史というものを十分に理解しないで、ステレオタイプ的にアカデミアの見解を批判するのは危険である。アカデミアにも凄い先生がいらっしゃるのだ。高い金を払ったバッテル研究所のレポートを信じたい気持ちも分かるが。
バッテル研究所の調査レポートは、過去から現在の科学的情報を基にその延長線上の未来を予測した内容である。T所長の予測は、科学的情報を基にしているが、未来の社会における無機材料のあるべき姿を語った内容である。両者の違いは、予測不可能なイノベーションの存在を認めているかどうか、という点である。
社有車の中では、T所長の予測は経済性を考えていないから学者の意見だ、と簡単に切り捨てられていた。当方は、地球上のクラーク数や、単結晶育成技術の進歩などT所長の発言の中にも経済性の要素が語られていた、と思っていたが、それらは他の2名によれば教科書の上での話で実現されていない、と否定された。
当方の高分子前駆体による高純度化技術についてもまだ実現できていない、という理由で事業判断のまな板に載せられない、と排除された。道路が渋滞していたため、社有車の中で2時間以上企業における事業企画の考え方を教育された。
この社有車の中の勉強で、かつて同期のKが言っていたことを思い出した。50周年記念論文のようなイベントは、従業員に夢を語らせる施策なので実現性よりも多くの事業を生み出す可能性を感じさせるコンセプトで訴えることが重要になってくる。今実行できる研究開発企画を書いても、そのイノベーションの要素が大きければ博打にしか見えないので研究所にも判断できる人などいないが、今実行できる内容ゆえに専門外の人間には小さな夢にしか見えない、といった言葉である。
30年以上経って、当時のバッテル研究所の予測とT所長の予測では、SiCに限定すれば、後者が正しかったことを歴史が証明している。そしてそのT所長の言葉を信じて住友金属工業とJVを起業するまで頑張ってみて言えることは、世の中にイノベーションを引き起こす企画の立て方を書いた満足な書が無い、ということだ。
技術とは機能を実現するために科学の進歩を貪欲にとりいれるものだ。科学は真理を追究し、その論理を正確に積み上げていくので進歩の速度には限界がある。新しい発見が無いと科学の飛躍的な進歩を望めないのである。だから科学に基づくバッテル研究所のレポートは無難なシナリオになっていた。
新しい発見が科学の世界で起きると、その先の進歩は技術の進歩が圧倒的に早い。iPS細胞のヤマナカファクターの発見で大人の細胞をリセットできる技術が開発されたが、まだ科学としての進歩は遅い。iPS細胞で今進んでいるのは技術開発である。もし科学の進歩が早かったならばSTAP細胞の発見について有益な寄与ができたはずである。T所長の予測は科学と技術の違いを認識した研究開発企画の良い例だった。T所長もI先生もそのキャリアが示すように企業の研究開発の問題をよくご存じの方であった。
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無機材質研究所へ留学するための手続きを兼ねてゴム会社の役員と直属の上司、当方と3人で終日出張した。T所長が特別に2時間面会してくださり、高純度SiCの将来性について講義してくださった。それから30年のSiCという材料の歴史を振り返ってみると、時間の尺度を除き、ほぼこの時の予想は当たっている。うれしかったのは、そのイノベーションに当方のビジョンが一役買う、と持ち上げてくださったことだ。
役員は、彼の論文は、あまりにも生々しいので会社ではボツになったが、わはは、と笑っていた。ここは笑うところではないだろう、と内心思ったが、直属の上司は、続けて、2年という話になっているが、3年4年と御指導して頂いて良いですから、と、当方が心配になるような冗談が飛び出した。そしたら無機材質研究所のグループ長I先生が、ここは学校ではないから長期間いても学位を取れないので、会社のサポートが重要ですよ、と真顔で答えてくださった。
I先生ならずとも一番びっくりしたのは当方で、まるで厄介者払いのように思われているのではないか、と心配になってきた。帰りの社有車の中で、本当に3年以上留学していて良いのか尋ねたら、海外留学には皆3年程度行っているので構わない、とあっさりとした回答だった。そしてT所長のお話と、バッテル研究所の調査レポートとの差異の議論になった。
バッテル研究所の調査レポートはゴム会社の企画部がまとめた市場調査レポートの種本のことであった。T所長が話された高純度SiCの将来性については、その調査レポートで軽く扱われており、高純度化のコストが負の要因として述べられていた。すなわちアチソン法で合成されたSiCをいくら低価格化できても、昇華法を数度繰り返して製造される高純度SiCは大変高価な材料になるとの予想がされていた。
フェノール樹脂300円、ポリエチルシリケート800円の原料を用いれば高くても1万円/kg以下で製造できる、と回答したら、直属の上司は、完全に相溶した前駆体ができているのかどうか分かっていないでしょう、と日頃言われたことのない発言をされたのでびっくりした。実験ノートをよく読んでいたのだ。
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