ゴム会社の50周年記念論文投稿でボツになった夢が無機材質研究所で花開いた。それも昇進試験で同様の内容を書いて否定されたことがきっかけとなってのことである。真っ黄色の結晶粉体が得られたときに無機材研では大騒ぎになったが、ゴム会社ではしばらくその意味がわからず、社員の発明を国の発明として認めてしまう。当然その社員も発明者として影の薄い存在として扱われるのだが、結果としてそれが良かった。
ゴム会社の社長の前で半導体用高純度SiCの事業についてプレゼンテーションを行い、2億4千万円の先行投資が決定され、新たな研究棟も建設が決まった。1年前には、3年間留学していて良い、と邪魔者扱いだった社員に対して早く会社へ戻って会社で研究するように、と催促が来るようになった。結局1年半で留学を切り上げ、ゴム会社に戻り開発体制を整備する仕事から始めた。
新しい上司の下で10名前後のグループを想定し、テーマ企画も含めシナリオの作成を始めた。ところがこの上司は新しい研究棟の竣工式の日に病気で他界された。5月6日の竣工式が終わるやいなや翌日は葬式という忙しさであった。この上司の墓前には転職するまで毎年参拝していた。米国のゴム会社買収を推進するためリストラが行われ、一人で開発を続けるようになってからは、墓参りがモラールアップのきっかけとなっていた。
半導体冶工具について住友金属工業とのJVが決まったときにも真っ先に墓前へご報告にいった。だから、事業が立ち上がったので創業者はいらない、と仏様が判断されたのだろうとも思ったりもした。騒動が泥沼化したときに不思議にも写真会社から管理職としての転職の話が舞い込んだ。将来会社の幹部候補としての条件で年収も150万円程度上昇するという。当時の資料を見ると典型的な異業種のヘッドハンティングだった。
ただ写真会社で20年勤め、途中他の会社との統合もあり、転職時の約束など全て吹っ飛んだので、仏様の思し召しで無かったことに気がついた。サラリーマンの流動化が言われて久しいが、やはり日本では最初に勤めた会社で最後まで勤め上げた方が良い。甘言につられて転職し、約束が守られなかった時に惨めだ。当時問題が泥沼化して誠実に判断して自分がやりたい仕事を犠牲にした道を選んだだけに心は複雑である。
ただ、このことも含め高純度SiCについて考え始めてから幾つかの偶然が重なる事が多く、不思議に思っている。この時もセラミックスが仕事ではなく、高分子材料の技術開発を担当する話であり、ゴム会社が転職を拒む理由は無かった。ゆえに被害者ではあったが自己責任として真摯に対応することができた。
STAP細胞の騒動を見ていると渦中の若い研究者の将来が心配になる。もう少し自己責任の気持ちを持った方が良い、と思われるが、それを誰も指導していない。ここは理研を去る決断しかないように思われる。早く新しい環境で貢献と自己実現の活動を再開できるように努力した方が良い人生になるような気がする。
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昇進試験に落ちた連絡を受けた日の無機材研の話に戻る。昇進試験のショックに落ち込んでいたのは数分だった。I先生やT先生の激励でリベンジを決意した。無機材研でアイデアを検証することについて会社とも十分な調整をした。特許が無機材研から出願されることになる、というのに会社では誰も反対しなかった。検証結果に期待していなかったのである。
ゴム会社で、朝9時から高純度SiC合成のために用いる前駆体高分子の合成実験を始めたが、結局終了した夜9時まで食事抜きとなるハードワークとなった。それでも完全に透明になる条件が見つかり、その条件で炭素含有率が異なる10水準のサンプルを合成することができた。
この10水準のサンプルを用いて、炭化とSiC化の反応を行うのだが、許された時間は5日である。ゆえに4水準ピックアップして、SiC化の反応では、同時にこの4水準を処理することにした。その時電気炉の暴走が発生し最適条件となった話はすでにこの活動報告で書いた。運も味方したのである。
与えられた1週間の時間の中で1日残し、超高純度のSiCを安価に合成できるプロセスが完成したのだが、技術特許をどこが出願するのか改めて問題になった。I先生から基本的には無機材質研究所から出願して頂きたいが、会社とも再度調整するように、とも言われた。
当方は実験開始前に会社と調整が済んでいたのでどちらでも良かったが、ゴム会社に電話して驚いた。実験結果が出た後も、研究所のどなたも反対されなかったのである。結局この技術の基本特許はすんなりと無機材質研究所で出願することになった。
その後この特許を基に国のプロジェクトの準備が進められるのだが、ささやかな新聞発表もあったのでゴム会社が大慌てになった。結局ゴム会社が無機材質研究所と調整し、国のプロジェクトではなく、ゴム会社で国から斡旋を受けて開発を進める企画になった。試験に落ちてからたった一週間の成果で状況が改善されたことにびっくりした。
数ヶ月前のSTAP細胞発表の騒動と当時の無機材研のマネジメントを比較すると面白い。セラミックスフィーバーが吹き荒れていた時に当方の発明はSTAP細胞同様の扱いになってもおかしくない成果であった。30年経過した現在でも某セメント会社からこの技術を利用した類似の特許が出願されているような基本技術である。またゴム会社では現在でもこの技術で事業が展開されている。このような大きな影響力の予想された技術であったため、極めて慎重に研究テーマはマネジメントされた。
また、当方が企画から検証まですべて行ったにも関わらず、特許等の書類では末尾に名前が書かれるとか、あるいは全く当方の名前が無い書類もあった。単なるビジター研究員だったので当然であるが、全てについてI先生は当方への配慮として説明してくださった。
I先生の人柄を信じていたので、実質の発明者として扱われていない状況に不満を述べないだけで無く、すべてお任せした。その結果、何も騒動は起きず、その後ゴム会社で当方が研究開発できる体制ができ、少なくともある問題が起きるまでは、無難に研究開発を進める体制ができていった。
32年経過して思い返してみると、もしこの時STAP細胞発表のような騒動を起こしていたなら学位を取ることもできなかったろう、と胸をなで下ろしている。よい問題にしろ悪い問題にしろ、組織の中で発生した問題について中心人物は静かにしているのが一番である。その結果良くない方向に動いたならば、後日それなりの対応をとっても遅くは無い。これは組織人としての知恵でSTAP細胞の騒動で弁護士まで表に登場したのでは、無難に収集するのが難しくなる。
研究開発者にとって一番大切なことは、穏やかに研究開発できる環境である。そのために技術マネジメントが重要である。割烹着が登場した時点で少し胡散臭さを感じたがW大学の学位審査のずさんさまで明るみに出るパンドラの箱をあけたような騒動になっている。
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人事部長との面接は2時間以上の長丁場だった。人事部長も当方のガス抜きは大変だろうと時間を取ってくださっていたのだ。この時の人事部長はその後子会社の社長として栄転されるのだが、企業人としてお手本になる人だった。難解な技術の話でも熱心に傾聴してくださり、的確な仕事の進め方や対応のアドバイスをしてくださった。
32年間のサラリーマン生活で何があっても腐らず貢献と自己実現を実践できたのはこの時の面談が大きく影響している。サラリーマンとしての一大事に親身になって状況へ真摯に向き合いアドバイスしてくださったのだ。悔しさや腹立たしさが、自分の未熟さの反省に変わる気づきを与えてくれた。
翌年の昇進試験では、会社の先行投資も決まった後であり合格することはわかっていた。試験官はリクエストどおり前年度と同じ方だと伝えられた。同じ内容の答案に今度は100点という最高点がついていたという。その試験官とは直属の部下になって仕事をしたことは無かったが、その心意気が気に入った。会社では昇進試験だけの接点であったが、良い印象を持っている。
この時の会社の風土は、CIを導入していた時期であり、前向きで建設的な動きが感じられた。ゆえに昇進試験の問題のような解決方法がなされたのだろう。しかし、7年後研究の妨害のためが起きたときは、全く異なる風土になっていた。世界5位の会社が3位の会社を買収し、世界1位を目指そうと血みどろの戦いをしているときであった。
バブルがはじける前に激しいリストラの嵐が吹き荒れていた。どの部門の管理職も血眼になって仕事をしている様子が担当者にも伝わっていた。そのような風土に変化していてもマイペースで他社とジョイントベンチャーにより半導体冶工具の事業を立ち上げた姿が周囲から反感をかってもおかしくない状況であった。この劣悪な風土は、新聞や週刊紙で大きく報じられたあの騒動まで続いたそうだ。
何か社内で問題が起きたときに、会社に裁判所は無いのである。その会社の組織風土がその問題を裁くことになる。会社には規則や規程はあるがその運用は経営者にゆだねられている。ゆえに会社内で問題に遭遇した場合には、決して自分で動いてはいけない。第三者も巻き込み、信頼できる管理者に動いてもらい問題を解決するのが良い。誰も動かなかったのなら、何もしない解決というのがサラリーマンの知恵である。問題解決に動けば動くほど誠実で真摯に対応したいのであれば、問題を明確にして会社を辞める以外に道は無い状態になっていった。
しかし、昇進の問題では当方が無鉄砲な動きをしても会社に留まれるような環境が次々と作られていった。社長の前でプレゼンテーションしてその場で2億4千万円の先行投資が決まったり、社長との飲食や、ファインセラミックスのための特別な研究棟が建設されたり、と会社の動きは速かった。その結果、3年でも留学していいよ、と言われた状態から今すぐ研究所に戻ってこいという状態まで当方の周囲の環境整備が進められた(続く)。
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当時ゴム会社では、係長職と管理職(社内の呼称は異なる)の選抜に筆記試験が課せられていた。しかしこの試験については過去問題や予想問題が受験者に流れていたり、裏の噂もあったりした。無機材質研究所へ留学して3ケ月経過したときに受験案内が人事部から届いた。また研究所の友人からは予想問題が届いていた。不合格になるとは思えない状況だった。
筆記試験の問題は数題ある試験問題から一題選択し、3時間の試験時間でA4用紙3枚程度にまとめるというものだった。新規事業のシナリオや過去の業務について考察しまとめるなどの試験対策をして臨んだ。びっくりしたのは予想問題と称されていた問題がそのまま出ていたことだ。合格したと思った。
10月になり、人事部長から昇進試験不合格の知らせを無機材質研究所で受け取った。意外であった。入社後担当したテーマでは、必ずゴールを期限内に達成していた。また商品化テーマも3件担当していた。0件でも研究所では合格ラインであり、1件担当すれば絶対に合格とも噂されていたので何らかの意図を感じた。
電話の応対を見ておられた、総合研究官I先生と主任研究員T先生が心配され、当方が描いているビジョンを実現するための実験を無機材研で一週間だけ行ってよい、と言ってくださった。当方のモラールダウンを心配してのことである。すぐに当方は、ゴム会社の研究所元同僚に電話をかけ、事情を話し、ドラフトで実験できるように準備して頂いた。高純度SiC前駆体高分子を合成するためである。
人事部長にも無機材質研究所のご配慮をお話しし、1日だけ研究所へ出張し実験を行うとの連絡をした。フェノール樹脂の廃棄作業で反応条件についてデータを収集していた実験ノートのデータが役立った。元同僚は、丁寧にドラフトの中に試薬関係をすべて準備してくださっていた。また、フェノール樹脂についても、素性の分かっている樹脂を3種類ほど緊急で取り寄せるなど至れり尽くせりであった。
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無機材質研究所で最初に担当したテーマは、αSiC単結晶の異方性がどれくらいあるのか実測する研究だった。四軸回折計に単結晶を取り付け、それをYAGレーザーで直接加熱し、2000℃までの線膨張を測定する仕事だった。ところが2000℃まで耐える接着剤が世の中に無いので、結晶を高温度で固定することができず、1000℃前後までしか測定できない。また、その温度領域までならYAGレーザーも不要であった。
このような状況だったので最初の仕事は接着剤開発となった。この仕事では天井材開発でフェノール樹脂を扱った経験が生きた。すなわち特別に配合したフェノール樹脂で結晶をカーボンロッドに固定し、それを窒素下で炭化する。処理後石英管に封入しゴニオヘッドに取り付けて2000℃までの測定が可能となった。
石英管への封入は学生時代のガラス細工の経験が生きた。フェノール樹脂の処方については、残炭素率をあげ、さらに熱処理でひび割れしないように材料設計する必要があったが、いずれも高防火性フェノール樹脂天井材の開発で経験した改善項目である。入所後1週間でαSiCの線膨張率測定が2000℃まで可能となったので周囲がびっくりされた。
この線膨張率測定のテーマ以外にSiCのスタッキングシミュレーションのソフトウェア-開発を行った。SiCには積層の形態の違いで多数の結晶系ができ(多形)るのでこれをシミュレーションするプログラムである。当時16ビットのPCが主流だったがフロッピーを使用することができたので、50層程度まで積層で生じる多形のスタッキングデータを集めることができた。これは計算が安定してできるまでに1年近くかかった。
半年間はこうしてSiCの単結晶についてじっくりと研究することができた。留学し半年が経過して、昇進試験の結果を人事部長から知らされるまで幸せな毎日が過ぎていった。また、ゴム会社から義務として命じられていなかったが、I先生がT所長室での面談時の状況を心配され、月に1回報告書を持って人事部へ出張したらどうか、と言われていた。そこで定期的に本社へ出かけた。留学中の所属は人事部だったので、人事部長から研究所へ報告書が回覧されていた。しかし報告書のフィードバックは一切無かった。
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無機材質研究所から帰路の社有車の中で話題になった、バッテル研究所と無機材研T所長の見解との相違は、事業としてみているコンサル会社とアカデミアの楽観的見方との違いだろう、という結論になった。2:1であったので多数決としての結果である。
当方は、経営的な見方や考え方について参考になったが、30年以上経過してその社有車の中で行われた議論を振り返ってみると、技術のイノベーションに対する感度が経営判断を左右する問題が大きいと思った。これまでの技術の歴史というものを十分に理解しないで、ステレオタイプ的にアカデミアの見解を批判するのは危険である。アカデミアにも凄い先生がいらっしゃるのだ。高い金を払ったバッテル研究所のレポートを信じたい気持ちも分かるが。
バッテル研究所の調査レポートは、過去から現在の科学的情報を基にその延長線上の未来を予測した内容である。T所長の予測は、科学的情報を基にしているが、未来の社会における無機材料のあるべき姿を語った内容である。両者の違いは、予測不可能なイノベーションの存在を認めているかどうか、という点である。
社有車の中では、T所長の予測は経済性を考えていないから学者の意見だ、と簡単に切り捨てられていた。当方は、地球上のクラーク数や、単結晶育成技術の進歩などT所長の発言の中にも経済性の要素が語られていた、と思っていたが、それらは他の2名によれば教科書の上での話で実現されていない、と否定された。
当方の高分子前駆体による高純度化技術についてもまだ実現できていない、という理由で事業判断のまな板に載せられない、と排除された。道路が渋滞していたため、社有車の中で2時間以上企業における事業企画の考え方を教育された。
この社有車の中の勉強で、かつて同期のKが言っていたことを思い出した。50周年記念論文のようなイベントは、従業員に夢を語らせる施策なので実現性よりも多くの事業を生み出す可能性を感じさせるコンセプトで訴えることが重要になってくる。今実行できる研究開発企画を書いても、そのイノベーションの要素が大きければ博打にしか見えないので研究所にも判断できる人などいないが、今実行できる内容ゆえに専門外の人間には小さな夢にしか見えない、といった言葉である。
30年以上経って、当時のバッテル研究所の予測とT所長の予測では、SiCに限定すれば、後者が正しかったことを歴史が証明している。そしてそのT所長の言葉を信じて住友金属工業とJVを起業するまで頑張ってみて言えることは、世の中にイノベーションを引き起こす企画の立て方を書いた満足な書が無い、ということだ。
技術とは機能を実現するために科学の進歩を貪欲にとりいれるものだ。科学は真理を追究し、その論理を正確に積み上げていくので進歩の速度には限界がある。新しい発見が無いと科学の飛躍的な進歩を望めないのである。だから科学に基づくバッテル研究所のレポートは無難なシナリオになっていた。
新しい発見が科学の世界で起きると、その先の進歩は技術の進歩が圧倒的に早い。iPS細胞のヤマナカファクターの発見で大人の細胞をリセットできる技術が開発されたが、まだ科学としての進歩は遅い。iPS細胞で今進んでいるのは技術開発である。もし科学の進歩が早かったならばSTAP細胞の発見について有益な寄与ができたはずである。T所長の予測は科学と技術の違いを認識した研究開発企画の良い例だった。T所長もI先生もそのキャリアが示すように企業の研究開発の問題をよくご存じの方であった。
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多くの企業の研究開発では、ステージゲート法あるいはそれに近い方法が導入されていると思われる。30年以上前にアメリカで話題になり日本に導入された方法だが、そのような研究開発の管理が成されていなかった頃の話である。
1980年代に新事業ブームがあり、各社異業種への参入が相次いだ。そのような時代にセラミックスフィーバーが起きたので、セラミックス市場への新規参入は1000社を越えたという。ゴム会社も創業50周年を迎え、CIを導入して社名からタイヤをはずし、ファインセラミックス、電池、メカトロニクスの三本の柱が社長方針として出され新規事業への意欲を従業員および社会に示した。
創業50周年記念を機会に、新規事業への関心を高めるための行事が幾つか行われたが、その一つに記念論文の募集があった。一席は10万円の賞金付きである。まだ新入社員の香りの残っていた当方は素直に応募した。しかし、同期のKは当方の論文を一読し、これでは10万円は取れないと言った。
内容は、ポリマーアロイを前駆体に用いて高純度セラミックスを合成し、ファインセラミックス市場へ参入する具体的な戦術(注)であったが戦略論は無くむしろ学術論文に近かった。実現方法が具体的に書かかれ、半導体市場をターゲットにした論文のような、まじめな内容ではこの会社の審査員には選ばれない、というのが同期のKの見解であった。
だったら一席を取れるような見本の論文を書いてみよ、と言ったらおもむろに事務局へ電話をかけて、どれだけ応募があるのか尋ね、呆れたことに〆切を延ばすように交渉していた。ところがすんなりと〆切が一週間延びた。理由は、〆切前日において応募件数がたったの一件で、今事務局が各部署へ応募を促しているところだ、という。たったの1件は、当方の論文である。
その後事務局の努力の甲斐があって50周年記念論文が多数集まったようだが、何と一席にはKの論文が選ばれた。一席から佳作の論文まで夢のような内容だったが、実現の可能性の高い現実的な当方の論文は佳作にも選ばれなかった。表彰式の後、Kは手にした10万円で当方を誘って二人だけのお祝いと残念会をした。
当方は正直に悔しいと告げ、Kが論文に書いていたブタと牛の合いの子のトンギューを育成するバイオ技術や、蓄熱ポリマーを用いた省エネ技術の具体的アイデアを尋ねてみた。
専門家ではないからそんな具体的なことは考えていない、と意外な答えであった。すなわち事業コンセプトを伝えることが大切で、大企業が記念論文募集で求める内容とはそんなものだ、とあっけらかんとしていた。これには脱帽であった。Kの企画マンとしての能力に驚くとともに学生気分が一気に吹っ飛び頭の中が180度回転する出来事だった。この飲み会の数日後人事部から電話が入り、海外留学の内示を受けた。
(注)当時軟質ポリウレタンフォームにガラス成分を安定なアルコキシドの状態で添加し、燃焼時にガラスを生成するコンセプトの難燃化技術を完成し、フェノール樹脂に水ガラスから抽出したケイ酸をナノ分散する技術を検討していた。M社向けプラスチック断熱材を使った天井材の開発を担当し、係長に相当するリーダーが長期病欠だったため、大変苦労していた時期である。
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フローリー・ハギンズ理論の教科書を見ていただきたい。
今 N0個の溶媒分子、N1 個の高分子があり、φ0 、φ1 を体積分率とするとφ0+φ1=1のとき、φ0=N0/(N0+xN1)、φ1=xN0/(N0+xN1)である。
エンタルピーの変化は溶媒‐溶媒間や高分子‐高分子間の接触に代わり、溶媒‐高分子という接触が生じると仮定して計算される。いま、混合時の体積変化を無視してこのような新しい接触が出来る際のエネルギー変化をe01 とし、 q個の溶媒‐高分子の接触ができたとすると、エンタルピーの変化はΔH=qe01 となる。
さらに、高分子は φ0xz個の溶媒に囲まれている( zは近接する座標の数)と考えることができるので、kTχ=z e01とおけば、混合エンタルピー を ΔH=RTχn0φ1と表せる。
ここでχ は、フローリーハギンズ理論で有名な相互作用をあらわす無次元量のパラメータで、この値が低いほど良溶媒であることを示す。
さて、ここで高分子―高分子間の接触を改めて考えると、χの値が正である場合は、相溶しないという結果になる。
昨日まで式を出さずに述べてきたが、改めて教科書の説明と現実がうまく合わないことに気がつかれたと思う。すでにχパラメーターが正の場合でも相溶する例を説明した。そもそも低分子の正則溶液の理論の考え方をそのまま利用しているところに無理がある。
また、溶媒と高分子の組み合わせでは、混合エントロピーの導入は比較的簡単そうに思われるが、高分子と高分子の場合には工夫が必要である。低分子は束縛無く動くことができるが、高分子は一本の紐状になってFH理論で考えているモノマー単位の自由度を奪っている。
またFH理論は非圧縮下で考察しているが、圧力が加わった場合には相溶しやすくなるはずである。その時混合エントロピーは小さくなると思われる。スリットを利用したカオス混合装置のアイデアはこのような考察から生まれた。
6月6日(金)に東工大で開催される高分子学会のフォーラムで招待講演者としてカオス混合装置の話をする。また、www.miragiken.com でも未来に向かって解決しなければいけない話題、高分子のツボに関する話を取り上げてゆくのでご覧ください。
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高分子技術者ならば、KKDでFH理論を眺めてみたときにそのおかしさに気がつくはずである。すなわち昨日書いたようにエントロピーの扱いを不思議に思うはずである。低分子の正則溶液の混合と高分子の混合ではエントロピーの扱いが大きく変わらなければいけない。さらにほとんどの高分子は多分散系であり、数学的な扱いもかなり煩雑になるはずである。
新入社員の頃、SP値を計算で求めてはいけない、と言われた。便利なSMALLの式があっても必ず有機溶媒にポリマーを溶解してみてその溶解性からSP値を求めるように言われた。サンプルビンにSP値の異なる有機溶剤を入れ実験台の上に並べ、そこへゴムを入れて溶解性を確認する作業は退屈な実験であった。
実験ノートに落書きもしたくなったが、溶解する様子を丁寧にノートに書き貯めた。現在のような便利なデジタル機器など無いので、文章表現力を磨く必要と注意深い観察眼が求められた。「溶けた」や「溶けない」だけではいけないのである。実験ノートには、一定量の溶媒にどれだけの量のゴムを溶解できたのか、またその時の溶け方はどのようであったのか、不溶解分は無かったのか、などきめ細かく書き留める必要があった。
週末には指導社員が実験ノートを見ながら正しくSP値が求められていたのか、そのノートから判断するのである。理研では許されても、ゴム会社ではハートマークなど実験ノートに書けない。そのような記号を書けば「実験中に**のことを考えている」と噂されてしまう。さらにだれでもわかる客観的な表現による記録が実験ノートには求められた。ドロドロ、ベトベトもだめだ。粘度を表現したいならば少なくとも粘度計で計測された値を書かなければならなかった。
おかげで週末に料理をやっていても目の前の状態から添加スピードを変化させたり添加順序を変えたり勘が働く。女房よりも調味料の分散だけはうまいという自信はこの時の実験で身についた。味にムラができるので味の素や砂糖、塩などを無造作に添加してはいけない。ゴム粉でも添加方法が悪いとダマダマになる。溶けないように見えても、すこしずつ撹拌しながら添加するときれいに溶ける場合がある。だから、手抜きをするとSP値が不明になったりする。酢豚で少し塩味が足らないから、と最後に塩を無造作に入れると塩の塊のついた豚肉料理ができたりする。イオン結晶だからいつでも簡単に溶解すると誤解してはいけない。
また、低分子溶媒へ高分子を分散する時に分子量の効果が現れることは素人でも気がつくと思っていたが、写真会社へ転職して驚いた。FH理論を知らなくても構わないが、高分子に分子量という因子があり、それが溶解性に影響を与えていることを知らない人がいた。温度をあげれば何でも簡単に溶解するという誤解もあった(注)。
FH理論のχパラメーターは温度の逆数と相関する式なので、温度を上げた時に生じる現象では、χは小さくなり相溶しやすくなるはずである。しかしそのようにならない場合も存在する。側鎖基に嵩高い基を持ったポリオレフィンにポリスチレン系TPEを相溶させて透明な樹脂を作ったが、それを加熱していったら、ポリスチレンのTgあたりで白濁してきたのである。
この現象はFH理論のχパラメータで説明ができない。さらに面白いのはポリオレフィンのTg近辺でまた透明になるのである。ポリスチレンのTgからポリオレフィンのTgの間で相分離したのがまた相溶し透明になる、というおかしな現象である。マトリックスを構成しているポリオレフィンはTgよりも15℃以上高くならないと加重をかけていない状態では変形しないのでこの現象を可逆的に観察することが出来た。
(注)化学系の学部を出てきて高分子科学の実験を行っている、といってもそれなりの知識があるとは限らないのでOJTが重要になってくる。知識の有無を見抜くのは大変である。知識が無い人という扱いをするとモラールが下がる場合もある。知識があるという前提で指導してもおかしなことが二つ三つ見つかったら知識が不足していると諦め、教育をしなければいけない。このあたりは企業により考え方が異なり、ゴム会社では丁寧な現場教育が慣習になっていたが、写真会社でそれを行っていたら上司から注意を受けた。理研のように未熟な人を全く指導しないという風土もある。未熟も自己責任という考え方である。しかし、30過ぎても未熟と言い訳をされては困るのである。当方は30過ぎたときに、一人で高純度SiCの事業化という死の谷を歩いていた。マーケティングから学会発表まで一人で全て行うのは大変だったが、稀に役員の方が様子を見に来てくれて、大きな会社でありながら社長までガラス張りの環境で仕事ができて楽しかった。
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FH理論の物理学的な基礎事項には、ポリマーの混合におけるエントロピーとエンタルピーの扱いが含まれている。この点は、低分子における正則溶液の混合における扱いとどういう関係にあるのだろうか。
低分子の混合で考察される混合エントロピーの大きな効果は、一般に液相における混和現象に基づくもので、混合によるエンタルピーの扱いではあまり好ましくないためである。低分子の流動性における混合のエントロピーは、分子が自由に混ざり合って集まる状態を全て予測して求める、すなわちコンビナトリアル的なエントロピーである。
手元に教科書があれば見て頂きたいが、これはΣiNiln(Ni)に相関する。ここでNiは、系におけるiという種類の分子の個数を表す。ポリマーにこの考え方を拡張したFH理論では、この項をΣiNiln(φi)に置き換えている。なおφiは、あるポリマーiの体積分率を表す。
各ポリマーは、モノマーの重合によってできている。すなわち、ポリマー一分子には大量のモノマーが含まれている。しかし、ポリマーの混合物を熱力学的に捉える時の分子の個数は、これに比較して少ない。なぜならモノマーa個で1個のポリマーができるので、b個ポリマーが存在すれば、モノマー単位はaxb個存在することになるからである。
ここから得られる結論は、低分子の場合に比較してポリマーの混合のエントロピーは小さく、その相溶性を促進させるエントロピー的な力は弱いということになる。これでは以前この欄で紹介したが立体的に嵩高い側鎖基を持ったポリオレフィンとポリスチレン系TPEとの相溶を考えるときに矛盾が出てくる。
科学的な矛盾を承知し、自らの経験を信じPPSと6ナイロンをその間隔が1mm前後の平行なスリットへ通したら相溶し透明になった。FH理論を考えてきた経験で、すでに科学で説明された事柄でも技術者の長年の経験と合致しないところは、一度経験知で見直した方が良い、と言える。
第三者はそれをKKDによる開発と呼び、中には軽蔑する人もいるが、KKDが大きな発見をもたらし、新たな科学を創り出す事がある。少なくとも科学の存在しない時代には、KKDによる自然現象への取り組みが成されていた。科学の時代においてもKKDは時として大きな発見を導き出す。
例えばSTAP細胞は、植物では起きる現象だが動物では起きない、という科学的常識が、度胸のあるリケジョによりひっくり返され生み出された新たな科学の領域である。理研の笹井副センター長が記者会見でそれに近い発言をされた。経験豊かな日本のトップランナーがリケジョに引きづられた結果KKDでSTAP細胞の科学の世界が生み出されたのは新聞や週刊紙の報じるところである。理研という国民の税金で運営されているレベルの高い場所で作成されたイタヅラ書き程度の実験ノートは、その度胸の大きさを物語っている。
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