家電業界も参入して1970年代にオーディオ業界はピークを迎えた。日立はローディー、東芝はオーレックス、松下はテクニクス、三洋はオットー、三菱はダイヤトーン、シャープはオプトニカ、NECはジャンゴと独自ブランドが創設されて販売競争が展開された。
パイオニアやトリオ(海外ブランドはケンウッド)、ビクター、オンキョー、サンスイ、コロンビア(海外ブランドデノン)、ヤマハ、ローテル、フォステクス、ソニーなど国内オーディオ専業メーカーはこの時急成長している。また、高級オーディオ分野にはマランツなどの海外ブランドが参入し、高級オーディオ市場が形成されていった。
しかし、バブルがはじけた1990年代以降、オーディオ業界は激しい淘汰の荒波にもまれ、これら国内オーディオメーカーでそのまま残っているのは、ソニー、テクニクスとヤマハ、オンキョー、フォステクス、ローテルだけでオンキョーは最近上場廃止された。
現在のオーディオ市場について、家電のショールームを覗けば百聞は一見に如かずで、オーディオ製品コーナーは隅っこに追いやられている。また、オーディオコーナーを設けていない店もある。オーディオコーナーがあっても海外スピーカーだけを並べているところもあったり、と昔のオーディオ市場を知っている人はびっくりする。
これは、若者の音楽を聴くスタイルが変化しただけでなく、オーディオ製品の必要性を感じなくなった人が増えた結果である。いわゆる電気製品のデジタル化で一気にテレビの音質が向上し、高性能な再生装置が必要なくなったためである。
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1950年代後半から白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器として宣伝された。1956年の経済白書には「もはや戦後ではない」と書かれたりしたが、当方の近所には名古屋大空襲の爆撃により壊れた工場の跡地がまだそのままだった。
1964年に開催された東京オリンピックではカラー放送が行われるということで、「オリンピックをカラーで見よう」と、三種の神器は3C(カラーテレビ、クーラー、カー)に変わった。
その後1960年代にステレオ再生装置が発売され、高度経済成長の真っただ中1970年代中ごろにはセパレートステレオがブームとなる。ただ、3Cのような大衆のあこがれではなく、3Cを揃えた家庭の次の目標として販売された。すなわち贅沢品としてである。
中産階級は、音楽が趣味でない人までこのセパレートステレオを購入したので、オーディオ業界はさらに高級品を開発する競争にはいった。セパレートステレオよりも性能の良いオーディオ製品がどんどん開発され、ステレオセットはコンポーネントステレオと呼ばれる時代にはいった。
すなわち、それまでチューナー、アンプ、スピーカー、レコードプレーヤーがワンセットとなっていたセパレートステレオとは異なり、これらをばらばらにあたかも部品のように販売したのだ。
こうすることにより、消費者はより性能の良いステレオセットが欲しければ、財布と相談の上性能を上げたい部品を購入することができた。当初周辺装置はレコードプレーヤーだけで、38cm2トラックテープデッキは一部マニアの商品だった。
カセットテープが発明されると、マニア以外もテープデッキを購入するようになった。アンプは真空管ではなくトランジスターアンプが主流となり、真空管アンプは一部マニア向けになり、価格が跳ね上がっていった。
すなわち、オーディオアンプは5-10万円の価格帯商品と20万円以上の天井知らずの価格帯商品とに分かれたのである。同様にスピーカーやレコードプレーヤ、テープデッキ、チューナーも普及品とマニア向け高級品とに分かれていった。
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小学生か中学生の頃にアルミ缶のリサイクルについて夏休みの自由研究で取り上げた。まだ、鉄缶が主流で、アルミは電気代の塊と言われていた時代である。
アルミの地金はボーキサイトから取り出すときに大量の電気を消費するので、鉄の2-3倍の価格だった。ただ比重が軽いという理由で、軽薄短小(高度経済成長の時代の市場ニーズを表す合言葉)ブームのけん引役だった。
主に自動車エンジンに使われて自動車を軽量化するのに役立っていた。カンズメについても鉄缶をアルミ缶とすることで軽量化できるので、一部の鉄缶がアルミ缶に置き換わりつつある時代だった。
ただコストが高い材料なので、鉄缶の置き換えには疑問符がついていた。そこで当方はリサイクルの視点でアルミ缶置き換えの優位性を夏休みの宿題として取り上げた。
小学校にあがる前、まだ近所に戦争で壊れた建築物が残っていて、そこに住み着いていたおじいさんは鉄缶を拾い集めて生活をしていた。この記憶は鮮烈で今でも思い出され、戦後10年以上経っても名古屋大空襲から完全な復興ができていなかったことを示している。
この時子供は街にあふれた鉄缶を遊び道具にしていた。今の時代のように残飯がついて捨てられていた鉄缶は無かった。ごみの鉄缶でもきれいだった。食料が大切にされた時代である。
もし、この鉄缶がアルミ缶だったなら、子供たちは遊び道具ではなくお小遣いの足しにするために拾っていたただろうと思う。鉄缶はごみとして拾っても1円にもならなかったが、当時アルミ缶は一缶2円-5円前後で売買されていた。
重量ではなかったのだ。そのため、鉄缶はごみとして転がっていたが、アルミ缶は落ちていたら皆が拾ったので普及量も少ないこともあり、ごみとして見かけたことが無かった。そこで夏休みの自由研究として思いついたのだ。
リサイクルは、東京オリンピック頃まで生活の一部だったように思う。古新聞や古雑誌は高値で売買されていた。古くなった金属製品も廃品回収業者が集めに来た。業者の中に金属をかじって材質を確認している光景もあったが、よく見かける金メダルをかじったりする行為も本物かどうか確かめるその名残かもしれない。
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20年以上前までPETの射出成形体について世間の関心は低かったが、この20年ほどの間に良好な射出成形体を得るための技術に関する特許出願が多くなった。
先日100円ショップでPETの射出成形による透明コップを見つけてびっくりした。10年以上前のデータで恐縮するが、2004年頃まで廃PETボトルは無料もしくはお金が付いて取引されていた。2006年以降から有料となり2010年頃には30-40円前後でごみが取引されるようになった。
環境対応樹脂としてPETボトルのリサイクル材が注目され、ニーズが拡大したためだ。当方は2010年にPETボトルリサイクル樹脂の開発をするために早期退職日を2011年3月11日に設定してえらい目に遭ったが、その後の特許状況を見ると廃PETボトルの射出成型技術に関心が集まっているようだ。
PETは、結晶化速度が遅く、結晶化するときには一気に結晶化が進行するので射出成形しにくい樹脂といわれて、押出成形によるフィルムやベルトかブロー成型によるボトル以外では利用されていなかった。
はるか昔はエンプラの一つだったが価格が下がり、一気に世の中にPETボトルが溢れるようになった。しかし、このPETボトルのゴミはしばらく用途もなく、低価格で取引されてきたのだが、今は環境対応樹脂というプレミアがついてバージン材(150-200円/kg)よりも高い樹脂が存在するという。
当方が射出成型用樹脂を開発した時には、ペレット化された状態で70円/kg前後で入手できたのだが、もうこのような低価格では入手できないようだ。おそらくPETボトルのリサイクル業者はかなり潤っているはずだ。
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最近救急車の往来が多くなったと思ったら感染者が3000人を超えた。このままでは、おそらく5000人を超えて1日1万人となるかもしれない。
昨年は、八割おじさんの感染者のシミュレーションを見ていてその精度に感心したが、それ以外のシミュレーションとの比較を楽しむ余裕があった。
しかし、今年はそのような心の余裕はない。当方は焦っているが、街中の人出を見ていると焦っている様子はない。1日1万人の恐怖が分かっていないようだ。
感染者が1日1万人になるとどのような世界になるのかは、インフルエンザの大流行を経験しているので想像しやすいが、日常のあいさつで「かかってしまいましてね」と言う状態である。
インフルエンザならばこのような挨拶でもあまり恐怖ではなかったが、すでに15000人の死亡者が出ているコロナ感染では、ワクチンを打っているとはいえ、安心できない。
若い人の中にはワクチンを打っていない人も多いので、重篤となる確率が高い。コロナは通常の風邪とは異なるのだ。かかればひどい呼吸器系の炎症となり、一生治らないかもしれない。
昨日の東京都4100人越えを恐怖の数字と見る知性を期待したい。15000人の死者というのはPCR検査で見つかっている死者である。実数は現時点で2万人と推定され、これは10年前の東日本大震災で12都道府県の死者数22000人にほぼ等しい。怖いのは、まだ終わっていない、現在進行形の状況であることだ。
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ゴム会社の主力事業が70%以上の売り上げを占めており、その事業の研究開発部門は、当方が配属された研究部門とは別の組織として存在していた。すなわち当方が所属した研究部門は、全社共通基盤技術の肥やしあるいは新事業の種となるような研究テーマ推進がミッションとして存在していた。
当方は、1.電池、2.メカトロニクス、3.ファインセラミックスを3本の柱とした新事業を推進するという当時の社長方針に基づき高純度SiCの企画を提案したのだが、これが実際に採用され実行されるまで地獄の毎日だった。
地獄の状態については、無機材質研究所(現在の物質材料研究機構)で高純度SiCの合成に当方が成功した時に頂いた研究所の某主任研究員の手紙に少し書かれている。
もっともこの手紙を頂けた背景は、当時のファインセラミックスフィーバーの社会情勢において数社から転職の誘いを受けていた当方は、それを公言していたため留学後の進路を心配してのことである。
当方としては、留学前に研究所の先輩社員から留学を終えて戻ってきても居場所はないぞと脅されていたので転職する覚悟で行動していただけであるが、今から思い出すとこの先輩も当方も社会人として大人げない会話をしていた。
転職について実際に転職する直前までそれを公言してはいけないことをサラリーマンの常識として当時理解していた。理解してはいたが言いたくなるような研究所の風土であり精神状態でもあった。実は、高純度SiCのテーマについて、研究所内で誰も興味を示しさず盗られる恐れのないテーマを目指して企画している。
全社共通基盤技術あるいは新事業のテーマを企画するには大変なエネルギーのいる作業で、他人の考えたテーマを盗ったほうが簡単である、とうわさされていた。また、それが実際に行われていた(注)ために各課で研究内容は社外どころか社内機密となっていた。
(注)当方のFDが壊された背景ではないかとも思っている。住友金属工業とのJVを立ち上げ後、写真会社に転職しているが、その後の高純度SiCテーマの扱われ方は、当方が転職してからテーマがスタートした、と書かれた内容が公開されている。そこには無機材質研究所の貢献も書かれていなければ、住友金属工業とのJVの話も書かれていない。
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連載の最初に現在研究部門のリーダーになられている方には信じられない光景かもしれないが、研究部門のテーマに関わる実話を書く。この理由は、研究部門の、特に事業からの距離が離れている組織では起こりうることであり、また、トップマネジメントからは理解できない、見えないが、テーマ企画担当者の置かれた立場を知るためには大切なことだと考えているからである。
50年以上前に研究所ブームがあり、各企業で研究所が組織された。当方がゴム会社に入社したのは40年ほど前であり、半年後に配属された研究所は、大学よりも恵まれた研究環境だった。
しかし、その職場風土は、半年間の研修で見てきた社内とは異色で、今でいうところのハラスメント(このような概念は無かった)は常態化しており、さらに各グループが秘密主義の状態だった。
この状態は当方が転職するまで続き、当方はFDを壊されるなど単なる精神的なハラスメントを越える、今では社会問題となるような扱いを受けてもそれが隠蔽化された。
また、この事件が起きる前に、半導体用高純度SiCの事業化を進め住友金属工業とのJVとして立ち上げたときに本部長が交代し、新たな本部長から電気粘性流体の業務を手伝うように指示が出たらしい。
ここで、「らしい」とは、新しく着任された本部長から、立ち上げたばかりの事業テーマ以外のテーマを行うように言われた記憶が無いからだ。
電気粘性流体のプロジェクトリーダーから、電気粘性流体用の加硫剤の入っていないゴム開発を命じられた時に、「本部長指示」と明確に告げられただけである。なぜそのリーダーに指示されなければいけないのか不明でもあった。
しかし、このプロジェクトリーダーに電気粘性流体に関してレクチャーを求めても関連する文献も含めて情報を一切見せてもらえなかった。
ただ、電気粘性流体の耐久性劣化が、そのケースとして用いるゴムから添加剤がブリードアウトするためと分かっているので、加硫剤等添加剤の入っていないゴムを開発せよ、と命じられただけだった。
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コロナ禍となって年寄りは蟄居を強いられることになった。1年以上前にはその正体が見えないゆえに単なる風邪ではない、と直感的に判断し家に引きこもった。
高校時代の友人の何人かがそのように判断したが、かわいそうなのは医者だった友人である。引きこもりたくても引きこもれない。かわいそうだが、こちらは引きこもったまま激励するしかないと、たわいもないメール交換が始まった。
若い時ならば心ときめく異性でなければメール交換は長続きしないが、年を重ねてくるとその内容には異性と異なる色気と味わいが出てくる。
初恋により人は己に気がつく、という名言に若い時にはうなずいたが、年をとっても本音で語り合うと気づきはある。初恋のメールとの違いは、気づきにより人生の反省ができることである。
反省はサルでもできる、などという突っ込みもあるが、年寄りの反省は心に刺さったとげのようなものを抜く作用もあり、サルの反省とは次元が異なる。もうエサなどいらないのだ。エサよりも安らぎである。
ワイドショーでは怪しい医者が、コロナウィルスは単なる風邪の一種であり、正しく恐れましょう、などといい加減な発言をしていたが、友人の医者は、甘く見ると死ぬので隠居蟄居が重要だといっていた。
最初はいい加減な発言をする医者が多くいたので、有名なコメディアンなど芸能人の死亡報告がニュースになった。世界的なパンディミックの状況からワイドショーも方針変換し、いい加減な医者ではなく感染学の専門家を登場させるようになり、最近は死亡報告よりも感染者がニュースの中心になった。
おそらく内閣のサポートをしている医学系の専門家は怪しい医者ばかりだったのだろう。GOTOなどのような間違った政策を連発し、最近になってようやくコロナウィルスが単なる風邪ではないことに気がつき始めたようだ。
さて、このようなどうでもよい話を話題にメール交換しあっていたら、一人の友人から、企業でも通用する博士を教育するにはどうしたらよいかと大学の先生に相談されて、それでは今までの博士課程出身者は企業でくずだったのか、と答えた笑い話が飛び出した。
友人は某通信会社の役員まで務めた工学博士であり、立派に企業で通用しているのだ。自らの体験に基づく笑い話だが、もしかしたらこのような悩みは多いのかもしれないと考えた。
そのような相談をされた先生あるいは同様の悩みを抱えられている先生は、弊社にご相談していただければもう少し丁寧な解答をご教示いたします。
弊社には企業向けの技術開発手法プログラムがあり、学生向けにニーズがあればそれを改良して提供できます。内容は、学校教育では教えない「技術」の本質を学ぶプログラムである。
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自動車の電動化とともに伸びているのが高純度SiCのマーケットである。パワー半導体はSiCウェハーが必須となるが、その他のSiウェハーを用いた半導体でもその治工具には高純度SiCが使用される。
特にSiウェハーでは大口径化とともに必要となった、たわみ防止のためのダミーウェハーが高純度SiCを用いて作られるので高純度SiCをホットプレスしただけの安価な円盤が高価格で取引され、製造メーカーは笑いが止まらないかもしれない。
SiCの治工具を製造するときに高純度カーボンで製造する方法や、やや純度の低いSiCで製造する方法、反応焼結体で製造する方法もあるが、いずれも表面にはCVDを用いて高純度SiCで被覆する。
高級品はすべて高純度SiCで製造された治工具であり、表面だけを被覆した治工具よりも耐久性が高い。表面だけ高純度化した製品では、一部欠けただけで使用できなくなるので管理も大変である。
この高純度SiCを製造する方法として、純度の低いSiC粉体を何段階かの洗浄プロセスにより洗浄して高純度化する方法があるが、この方法ではせいぜい99.9%程度までしか高純度化できないと言われている。
さらに高純度化したい場合には、高純度化された原料が必須となるが、セラミックス原料ではその高純度化にコストがかかり現実的ではない。そこに着眼した技術が、有機物を原料として用いる方法である。有機物であれば高純度化にコストはセラミックスほどかからない。
40年以上前にここに気がついた研究者がいたが、すべて有機物の原料を用いる方法が難しく、カーボン源として高純度カーボンを用いて、Si源に有機物を用いる方法と、カーボン源に有機物を用いて、Si源に高純度シリカを用いる技術が開発されていた。
なぜすべて有機物を原料とした技術が実用化されなかったというと、高分子を少しかじられた方ならピンとくるかもしれないが、フローリー・ハギンズ理論により科学的に証明される相分離が起きて原料として使えなかったからだ。
科学的思考は重要であるが、科学に思考を支配される必要はない。ここで技術的に思考すれば均一に混合する機能と均一に混合された材料の状態を固定化する機能を開発すればよい。
40年以上前にポリウレタンの合成にリアクティブブレンド技術が実用化されていたので、それを用いればできるかもしれないと当方は考えて実験し成功した。
この技術の成功要因は、思考から実験まですべて技術的方法により実行した点にある。科学の無かった時代では、確率が低い方法だったが、科学の進歩した現代ではデータ駆動による開発手法マテリアルインフォマティクスを使用して成功確率を上げることができる。詳細は弊社に問い合わせてください。
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2016年にノーベル文学賞を受賞した時には驚いた。おそらく日本人でこの時に腰を抜かした人は60歳以上の老人たちではないだろうか。彼が登場したのは、映画「卒業」の描かれた時代でもあり、プラスチックが世の中にあふれだした時代でもある。
アメリカは公民権運動やベトナム戦争でてんやわんやの時代で、日本ではプロテスト・ソングと呼ばれたメッセージ性の強い歌を彼は次々と発表していた。
この影響を受けて、日本では「受験生ブルース」の高石智也や部落問題を扱った「手紙」の岡林信康などが登場している。1964年の東京オリンピック前後の時代に欧米ではカウンターカルチャーが全盛期を迎えていた。
日本ではロックと言えばビートルズだが、ボブ・ディランはアメリカ文学で起きたカウンターカルチャーの流れの中でビートジェネレーションのピークに現れ、欧米においてはビートルズの前にボブディランが音楽業界で有名だった。
すなわち、ボブディランは文学界のカウンターカルチャーの流れを音楽界に持ち込んだ功労者である。その後このカウンターカルチャーは衰えサブカルチャーとして昇華するが、カウンターカルチャーの申し子とボブディランが称されるのと日本で小山田圭吾らがサブカルチャーの旗手として持ち上げられるような価値とは雲泥の差がある。
ボブ・ディランはデビュー時にはカウンター・カルチャーの中心人物だったが、その後音楽性もがらりと変化し、ドラッグ常習者へ変貌しサブ・カルチャーの旗手となってゆく。ジョーン・バエズがコンサートで彼の批判をしたことは有名である。1970年前後に彼は麻薬中毒だった可能性がある。
彼の音楽と同時並行に進んでいたのが、ヒッピー・ムーブメントであり、日本でヒッピーはあまり良い印象を持たれていないが、アメリカでは社会変革を目指したカウンター・カルチャーだった。
故スティーブ・ジョブズがヒッピーだった、というとイメージが混乱する人がいるかもしれないが、カルチャーの流れを理解しておれば納得できる。
メインカルチャーが何か、というのが多様化とデジタル化の中で見えにくくなっており、当然そのカウンターとして位置づけられるサブカルチャーとの境界はわかりにくくなる。特に日本では取ってつけたようなサブカルチャーも存在している。ややこしいのはそれでも偽物と決めつけられないところが「文化」の難しいところだ。
ゆえにメインカルチャーからサブカルチャーを理解しようとするとかなり難しくなるが、サブカルチャーの視点から眺めると、メインカルチャーとして何を目指せばよいのかはぼんやりと見えてくる。
おそらくボブ・ディランのノーベル賞の意味はそのようなところにあったのかもしれないと、小山田圭吾の問題を考えながらボブ・ディランを再評価した。コロナがいつ収束するか、その答えは風の中にある?部屋の中に風を起こし空気の循環をよくして感染防止!
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