コロナ禍で今年の高校三年生は、進路についてかなり心配されているのではないか?「今がすべて」とまで思い込んでいる人もいるかもしれない。
小生が高校生の時に安田講堂事件の余波で1969年の東大入試が中止になった。浪人も含めた東大生の合格者数が3桁の高校だったので、先輩たちに激震が走った記憶は、この先輩たちの影響を自分たちも受けることになるということで今でも鮮明に思い出せる。
東大を目指していた現役生の中には、浪人を早々と決めた人もいたが、その方たちの感想を50年経った今聞いてみたい気がする。
人生の捉え方は、人それぞれであり価値観も異なるので東大入試中止の人生に対する意味はおそらく人それぞれ異なるだろうと思われる。
ただ、その時東大を目指さず他大学を受験した先輩の話では、他大学でも悪くはなかった人生、ということである。
半世紀たっても「東大入試中止」にこだわっている先輩もいるかもしれないが、仮にこだわっていたとしても、東大入試中止を結果として受け入れた運命を一生懸命生きている。
コロナ禍で受験勉強に影響を受けるかもしれないが、その後の長い人生をどのように生きたのか、というほうが重要だ。
例えば、当方はゴム会社で基盤技術も何もない状態で高純度SiCの事業を立ち上げているが、FDを壊され妨害される事件が起きて、それを隠蔽化しようとした研究所の動きを受け入れることができず転職している。
高純度SiCのテーマを推進していた時の死の谷における苦労はそれだけではなかったので、今でもそのトラウマは残っているが、転職を決意したことやその後の人生について悔いてはいない。
また、転職後の写真会社では、ゴム会社で身に着けた専門を捨て写真フィルム開発を担当したが、デジタル化の波を受けリストラされている。
倉庫をパーティションで区切った部屋で仕事をしていたわけだが、早期退職を決意し、単身赴任した豊川で、ゴム会社の新入社員時代に担当したテーマの続きを実行できる環境に恵まれた。
カオス混合技術を量産プロセスでどのように実現するのか、という指導社員から頂いた課題を解決することができて、フローリー・ハギンズ理論では否定される現象を機能として活用し、PPS中間転写ベルトの製品化に成功した。
大学院で学んだ強み(注)を生かしたセラミックス技術者としての人生ではなく、転職左遷単身赴任と順調ではないサラリーマン人生だったが、ゴム会社の新入社員研修で学んだ強みでサラリーマン人生の最後に技術者として高純度SiCの事業化と同様の満足できる成果をあげることができたのは幸福だった。
(新人テーマも含めゴム会社の新人育成プログラムは秀逸だった。大学6年間の教育を凌ぐ濃度の濃い内容は、この会社が世界6位から1位になる必然性を示していた。転職してみて人材育成の考え方や仕組みが会社により異なり、昨今は当時よりも人材育成に力を入れなくなったという。今弊社ではポストコロナの社会変化を配慮した人材育成プログラムの企画を考えている。)
高純度SiCの事業化成果やカオス混合技術の開発成果について会社からそれらにふさわしい評価は受けていないが、誠実真摯に推進し成功に至った過程において、素晴らしい人生の出会いがあった。
科学者としての専門性を語ることは恥ずかしいが、とりあえず住友金属工業とのJVとして事業化できた高純度SiCのテーマで学位論文をまとめることができたのは小さな成功の一つである。
技術者として、製品化における様々な問題解決に勝利してきたのは誇りであり、その成功の体験の一つを書籍として出版できたのも幸福だ。
ところで何をもって人生の成功とするのか難しいことは、当方の人生体験を語らなくても、このコロナ禍における政治の状況を見れば明白である。
正義も誠実さも無い生き方で出世し検事長までなって、定年退職の準備をしていたら、時の権力者が保身のために総長の道を開いてくれた。
「すごろくのあがり」にたどり着いただけでなく、景品の選択肢まで与えられた。そこで、大きなつづらを躊躇せず選び、文春砲が炸裂した。さて、その後どうなるか、高校生はこの続きをぜひ見届けて欲しい。
(注)第二次オイルショックで就職状況が悪く、専門に囚われず車に興味があった、と言う理由だけでゴム会社に就職している。これまでの人生経験でコツを一つあげるならば、まずその時の自分の人生を受け入れ、最悪の事態を避ける誠実な選択をすることである。誠実な選択をしておれば、誰かがそれを見ていてくれる。不思議なことにタイミングよく、どなたかが叱咤激励してくれるのだ。また、高純度SiCの発明において、無機材質研究所の電気炉暴走は神様のいたずらである。その科学で説明できない出来事で高純度SiC技術は生まれている。人生思いがけない出来事が起きるので、まず一生懸命誠実に生きることが大切である。
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黒川検事長の賭けマージャン及びその後の処分に至って、なぜ?という疑問が多い。特に政権中枢部に絶大なる信頼を受け、定年延長まで厚遇されながら、その立場から絶対してはいけない賭博や、3密の禁を破る行為をしたのかは、不思議である。
自分は何をやっても許されるという、本人のうぬぼれ説がもっともらしいが、あまりにも軽薄で、このような人物が検事長まで昇進できたことに疑問が出てくる。
例え、組織とはゴマすり勝負だ、と理由付けしてみても、検察庁という組織でそのような運営がなされているとは信じがたい。
麻雀中毒で正常な判断ができなかった、という理由でも、そんな人物が検事長までなっている日本の現状が恐ろしくなる。
今回の事件は、軽い処分で幕引きをすることなく、その真相をぜひ明らかにしてもらいたい。これは、財務省の忖度から引き起こされた文章改ざん問題とは異なる。
黒川検事長という人物特有の問題とこんな人物を検事長まで昇進させる組織の問題の両者があり、国民は真剣に悩まなければいけない。
すなわち、本来検事長になってはいけない人が検事長になっていた国家組織の問題は、最終的に主権者である国民に責任が回ってくるからである。
今回の事件で、内閣支持率が大きくダウンしたという。意外と国民はこのあたりに気がつき始めたのかもしれない。検察は正義の砦とならなければいけない。
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ギターの品質では当方も面白い体験がある。53歳になり、倉庫に使っていた部屋をパーティションで区切っただけの一室が事務所となった時に、お茶の水で電車を降りて、19万円で売られていた新品のギブソンES335を見つけた。
輸入代理店である山野楽器の品質保証書もついており、値段はともかく本物である。躊躇せず購入し、2005年に単身赴任し、カオス混合の開発を始めるまでは、ES335が生活の中心になった。
しかし、豊川へ単身赴任し、中間転写ベルト用コンパウンドライン建設で寝る暇もなくなったら、当然ギターを弾く時間もなくなった。左遷されてへこんでいたことなどすでに忘れ、混練技術開発に邁進した。
その後早期退職し現在の会社を起業して、忙しい日々を過ごしていたらES335のことを忘れていた。ある日、皮革の難燃化を指導した会社の方と飲む機会があり、ギブソンの話が出たので突然思い出したが、その方に19万円で購入したとはいいにくい雰囲気だった。
ES335は高値で売れるという話が出たので、実際に持っていたES335を下取りに出してみたら16万円でひきとってくれた。
実は、ここで下取りに出す気になったのは、当方の所有していたES335は、メイプルの模様は芸術的で高級材を使っているらしいことは理解できたが、fホールの木口の処理や、そこから覗いたときの接着剤の汚れなど購入当時はうれしくて気がつかなかった品質の問題がいくつか見つかったからだ。
最も演奏者の力量では音に品質の差が分かるほどではないので、機能上の問題は無かったが、落ち着いて品質を確認したら、高いうちに売り飛ばしたくなるような品質だった。
実はギブソン社のギターの品質ばらつきは有名な話で、ナッシュビル工場とメンフィス工場とでは歴然とした差があるらしい。数年前ギブソン社は倒産しかかり、その後建て直したが、日本におけるブランド再構築のため、現在の輸入総代理店はギブソン社直営の会社である。
ちなみにギブソン社の新品ES335は、売価24万円前後から120万円まで価格の開きがある。品質が良い個体は売価が高いのだ。
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「誠実真摯に生きる」とは、ドラッカーの思想の根底にある重要な考え方である。彼はこの前提で資本主義社会の終焉と知識社会の到来を述べている。
また、高度の知識を持った労働者は、誠実真摯に働くことが求められ、一方で知識は可搬性があるので不誠実な組織から誠実な組織へ知識労働者は流れてゆくと述べている。
ゆえに経営者は誠実真摯でなければ企業経営ができなくなるので、リーダーは後継者選びに当たり、誠実真摯な人材を選ぶことがコツだと述べている。
誠実と真摯という言葉は抽象的であるが、当方のこれまでの人生で、ドラッカーがのべているような本当に誠実真摯で聖人とも呼びたくなる人は1名しかいない。
もっともドラッカーがどこまで完璧さを求めていたかは知らないが、人間は知らず知らずのうちに不誠実な行動をとっていたりする。それが極端になれば、社会にとって悪人となる。法に触れれば犯罪者となる。
今回のコロナウィルス禍では、使い捨てマスクが1つ1000円以上まで高値がついて売られた瞬間があった。定価販売された町の薬局では売り切れ状態が続き、インターネットオークションの転売が横行した。
しかし、多くの人はこれをやっている人を悪人とみなした。そこで政府は取り締まりの法律を作った。それでも法の抜け道を探り、マスクで儲けようとする人が現れる。誠実に生きることが社会で求められているのに、である。
また、不要不急の外出自粛が求められている中、東京高検の黒川弘務検事長が賭けマージャンをしていたという。3密の禁をマージャンごときで破ったことに驚くが、さらにこれは賭博である。
次期検事総長として余人に代えがたい人材と言われ、定年延長が議論されていた人である。池袋で母子をはねても、すぐに謝罪もせず逮捕されなかった元リーダーの老人が批判の対象になったりした。その姿には誠実さのかけらもなかった。
ドラッカーが誠実さでリーダーを選べ、と言い続けた理由は、ともすれば誠実さなど関係なく要領よく出世する人材がリーダーとなる現実を見てきたためでないか。
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ギターの面白い点その2として、20世紀末に半導体製品についてファブレス企業がもてはやされたが、ギターの世界では、メーカーと商社が分かれていたので、楽器商は同様にファブレス企業とみなすことが可能だ。
楽器商には、単なる流通に関与しているだけの楽器商と、例えば荒井貿易の様な楽器の企画までしている楽器商がいる。
その商社もギターブームが去ったら淘汰されて、ギターの企画や設計部隊を抱えているところだけが生き残っている。
荒井貿易は、アリアブランドやアリアプロⅡというブランドで新製品を提案している。ドラムTAMAで有名な星野楽器は、アイバニーズという世界に通用するエレキギターのブランドを持っているが、荒井貿易も星野楽器も直営のギター工場をもっていない。
20万円以上する日本製のアイバニーズはフジゲンやタカミネで製作されている。20万円以下のアイバニーズブランドのギターは、韓国や中国、インドネシアの工場で製造されている。
面白い点その3として、この海外工場の品質の差である。WEB情報だが日本以外ではインドネシア産が最もよいと言われている。ところが星野楽器のホームページを見ると海外生産品については日本で品質検査をしている、と書いてある。
日本で品質検査をしているのなら、本来は品質が同じにならないといけない。しかし、辛口の評価によると産地により品質が明らかに異なるという。ギターを購入するときには、自分の目や腕で確かめて購入しなくてはいけない。
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ギターは大別すると、ピックアップで弦の振動を拾い振動を増幅するエレキギターと空洞のボディーで弦の振動を増幅するアコースティックギターがあり、後者は、クラシックギターとフォークギターに分かれる。
フォークギターはウェスタンギターとも呼ばれていたが、今はアコースティックギターと呼ぶようになったらしい。すなわち、昔はアコースティックギターにクラシックギターとフォークギターの分類があったが、今は従来から形状変化のない、ナイロン弦のクラシックギターとアコースティックギターと分けているようだ。
そしてアコースティックギターは、1970年代と異なり、オリジナリティー溢れるボディータイプのギターが存在する。昔は、アメリカのマーチン社のドレッドノートと呼ばれるタイプのコピーばかりだったが、モーリスやK.ヤイリ、アリア、ヤマハ、タカミネなど古くから活躍しているメーカーは独自のモデルで差別化を図っている。
面白い点その1として、1970年代のギターブームで雨後の筍の子のごとくギターメーカーや工房が多数日本に生まれたが、ブームが過ぎ去り淘汰されて独自モデルが消費者に支持されたメーカーが生き残った点である。
例えばアリアの高級アコースティックギターを製作していたのは、クラシックギターで有名な松岡良治工房であり、ここは松岡良治氏がお亡くなりになった2年後2014年に倒産している。
すなわち、技術があっても生き残れない世界である。日本のギターメーカーの多くは家具屋が不況となり、木工技術を生かして楽器メーカーに変わったパターンが多い。昔家具職人、今ギターマイスターと自称する職人もいる。
松岡良治工房は、生粋のクラシックギター職人の工房だった。そこが、ドレッドノートタイプの高級ギターをアリアに提供し、鈴なりの美しい響きをしたアリアドレッドノートの名声を高めることになった。
アリアドレッドノートの廉価版はマツモク工業で製造されていたと聞いている。ここはシンガーミシンの木製筐体を製造していた木工会社である。
今は倒産して存在しないが、昔はアリアプロⅡなどエレキギターを製造し、エレキギターメーカーとしてフジゲンとともに世界に知られていた。
楽器作りには繊細な技術がいる、と言われた時代もあるが、今やコンピュータ制御の木工機械が活躍する時代である。市場調査によりニーズを把握し多数の消費者に支持された会社が生き残るようだ。
<参考>
1970年代のアコースティックギターの日本メーカー又はブランド
ヤマハ、Sヤイリ、Kヤイリ、モーリス(←芳野楽器←穂高楽器←長野楽器)、アリア(松岡良治工房)、ジャンボ(田原楽器)、ヤマキ、スズキ、木曽スズキ、カワセ、一柳フェルナンデス、マルハ、ニュアンス、サムグレコ、キャンダ、カワイ、東海楽器(キャッツアイ)等5人からせいぜい20人規模の会社ばかりで東海地方に集まっていた。その他に家具製作の合間にギターを製造していた会社もある。例えば愛知県の牛久保町には家具職人が集まっていたが、今はその面影はない。また、アリアに普及品クラスのギターを供給し、フジゲンとともに並び称された、マツモク工業はミシンのキャビネットを作っていた木工加工会社ですでに倒産している。フジゲンはES335を小ぶりにした独自モデルを発売するなどギターメーカーとして頑張っている。池袋にはアンテナショップがある。
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昨晩のNHK「チコちゃんに叱られる」では、異例の対応がなされた。当方は詳細を知らなかったので、ネット情報を調べてみたが、大変な世の中になった、というのが正直な感想だ。
すなわち、相手役の岡村氏が他番組で視聴者からの質問に対して冗談でリップサービスした内容が問題となっていた。
すでに岡村氏は問題となった発言について、謝罪を何度もしているようで、それぞれの謝罪についてもネットに書かれている。
また、発言が問題となったのはラジオ番組であり、その震源地となった番組では、相方がゲスト出演し岡村氏を叱るという演出までやっているという。
失言の内容は、その部分だけ取り上げれば、今の時代許されないような発言ではあるが、問題発言のあった放送における前後の流れを読み取ると岡村氏の男性視聴者へのリップサービスだったことを理解できる。
ゆえにその番組内の謝罪だけで済むはずだ。例えば部落問題では、その内容に少しでも触れれば今の時代では大問題となる。
しかし、風俗は、部落問題とは異なり、それを取り上げても許されるはずで、そうでなければさんまの出演する番組は、その大半がアウトだろう。
そのような発言に対して、問題となった放送とは無関係の番組でも謝罪を繰り返さなければいけない社会とはどのような社会なのか。
さすがにNHKもそこのところを理解しており、問題となった番組の放送直後ではなく、世論の流れの中で、妥当な謝罪方法をとっている。
本来は不要だったとも思われるが、それでも国民放送という立場から昨晩のような対応をNHKはしたのだろう。
もし、これが反社会的な法に触れる問題であれば、岡村氏の降板を促す処置をNHKはとったものと思う。
しかし、大変な世の中になった、と改めて思うのだ。昔ならば、ビートたけしやタモリ、鶴瓶などの面々はもっと下賤な発言をしていたが、謝罪などしていない。
ビートたけしに至っては、フライデー襲撃事件を起こしてもすぐにTVに復帰していた。
このような社会の将来は、公共放送において無益な情報さえも流せなくなるのだろう。無益な情報のないお笑い番組がどのような演出をされるのか知りたい。
ちなみに「チコちゃん」は、チコちゃんの相方としての岡村氏の活躍もあり、有益な情報のお笑い番組という異例な展開となっている。これは岡村氏というキャラクター抜きには実現できなかった番組である。
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3月からコロナ禍で仕事が無くなり、本日まで休業状態だが、高校時代の友人たちも暇を持て余していたようで、「くだらない話」としてメールが飛んできた。
いろいろ話が飛んで、会話になっていない時もあるが、趣味の話には盛り上がる。
ギタークラブの部長だったNが、クラシックギターを買い替えたいという話になった。
そこで当方は、Nはじめその他の友人の影響もあり、大学生の時に少しギターを練習した思い出をメールにしたためた。
もっとも当方が弾いていたのはフォークギターであり、クラシックギターではない。
しかし、くだらない話ではそんなことはどうでもよく、ころころと話が転がってゆく。
個人の趣味の話なのでここではそれを書きにくいが、当方の学生時代は空前のギターブームで、街中にギターをぶら下げて歩く若者が多かった。
友人のNは玄人はだしで、一度クラスメートの前で独奏を披露してくれたが、多くの若者は、せいぜいコードを弾く程度だったろうと思う。
Nとは雲泥の差のある腕前とわかっても、ギターは売れたようで、いくつもメーカーや工房が生まれている。
雑談がきっかけとなったのだが、このギターという産業を日本のメーカーに限って調べてみると面白い。
ここで少しまとめてみたいと思っている。ポストコロナ禍の参考になると思う。
ドラッカーは、二つ以上の世界を持てといっていた。一つは知識労働者として実務の世界であり、他の一つは、ボランティアなり趣味なり何でもよいが、二つ以上の世界を持つことが、長い人生に重要と言っていた。
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前九年の役から後三年の役へ、そして鎌倉幕府誕生の流れは、大局的にみると歴史の必然のように見えるが、細部の流れは複雑でドロドロした人間模様の結果である。
NHK大河ドラマ「炎立つ」でも取り上げられた時代であるが、ドラマ以上のドラマがあったように想像している。
特に、この戦いを前九年の役で滅んだ安倍氏の娘が敵対した清原氏と再婚したため養子となった連れ子(藤原氏の子孫)と、清原氏の嫡子との戦いとして捉えると、安倍氏の怨念が見え隠れし、横溝正史が小説にしたら面白い小説になったのではないかと思ったりする。
この戦いでは、清原家だけでなく、その部下や親戚の怨憎も入り乱れ、あまりにも人間関係が複雑であり、当時でも戦の目的やゴールが理解されていなかった可能性がある。
結局、源義家は後三年の役を平定しても朝廷から評価されないどころか、出世の道も絶たれている。
今回のコロナウィルス禍は、米中貿易摩擦のさなかで起き、WHOと中国との関係、中国国内の香港の問題と台湾の問題などがドロドロしかけたところで発生している。
日本国内では、世界と異なるウィルスとの戦いが、ここにきて問題として取り上げられている。
また、PCR検査数の問題では、専門家会議がスタートしたときに、日本の感染学会の大物が感染データを独り占めして管理しようとしているなどと言った内部告発が出たりした。
100年以上経過してから、もし日本史の中でこのコロナ禍が取り上げられるとしたらどのように取り上げられるのか想像すると憂鬱になる。
このコロナ禍で苦しんでいるのは、感染者だけでなく、経済活動が止まりかけたためにその影響で死に直面した国民である。すでに聖火ランナーとして決まっていた練馬区のとんかつ屋が自死している。
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5月8日に表題のコロナウィルス禍に関する論考がWEBに登場したかと思ったらワイドショーでも取り上げられるようになった。今日の情報拡散スピードの速さと国民の知識欲求の高まりには目を見張るものがある。
小田垣孝先生は、パーコレーションの研究で有名なスタウファーの著書の翻訳者として知られる先生である。2冊ほど先生の著書を当方は所有している。
さて、この先生、もう少し日本のウィルスバスターに気を使ってほしかった。ワイドショーの扱いはあたかも日本の専門家会議の仕事の進め方が間違っている、と言わんばかりの勢いである。
この先生の言い分は、感染症について当たり前のことを言っているだけであり、全体を俯瞰されて、特に保健所を中心にした日本の独特の公衆衛生システムまで考慮されての発言ではない。まずそこを十分に理解して論考を読むべきである。
昨日のお昼のワイドショーにおいては、先生の論考がPCR検査をどんどんやりましょう、という現在のトレンドに勢いをつける様な扱いをしていた。見ていて吹き出しそうになったが、8割おじさんがあれでは浮かばれない。
おそらく8割おじさんも小田垣先生のような考察をされていると思うし、またこれまでの発言内容を聞いていると、どんどん隔離するようなことができないので8割行動変容により、まず感染者増加を減らしましょう、と言っているのだ。
感染者や疑わしき感染者をどんどん隔離すれば、感染者が減り、通常の社会活動ができるのは当たり前である。科学的に考えて当たり前のことを小田垣先生は述べられているに過ぎない。
以前この欄にも書いたが、今回のゴールは医療崩壊を防ぎ死亡者数を最小にすることにある。未知のウィルスで日本人が死の恐怖に晒されている状況で必死で立案された戦略は、一応の成果をあげたのである。そこをまず理解し、評価できる社会でありたい。
科学的に考えて当たり前の発言は、科学者ならば誰でもできる。難しいのは、当たり前のことを実施できない状態において、どのようにゴールを実現してゆくのか、という、当たり前ではない提言である。
以前電子ブックで「なぜ当たり前のことしか浮かばないのか」を執筆した。電子書籍を閉じた今、再度出版できないか考えている。
世の中、科学的に導かれる当たり前のアイデアですべての問題を解決できたなら、大変楽である。それほど世の中は甘くないので、人間の営みに寄り添ったアイデア創出法が重要になってくる。
山中先生だってあみだくじ方式でノーベル賞を受賞されたのだ。科学的に問題に取り組むだけでなく、柔軟に問題に接しそれを解決することが大切であり、その方法にはコツがいる。そのコツを身に着ければバカの壁をハリーポッターのようにすり抜けることができる。
(注)PCR検査法は信頼性が低く、陽性を陰性と評価するエラーが起きたときに、この陽性者は陰性のお墨付きを得たことで社会にウィルスをまき散らすことになる。そもそも小田垣先生が主張されている感染者をどんどん隔離せよ、とはこのような感染で病気が広がる問題では当たり前のことなのだ。その当たり前のことができない状態なので、日本のウィルスバスターは、ゴール実現に向けてクラスター対策を行ってきたのだ。
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