問題解決法はいろいろ提案されているが、ほとんどは科学的ロジックに頼る方法である。すなわち何らかのアルゴリズムに基づき問題解決してゆく。
セレンディピティーは、40年ほど前のセラミックスフィーバーの時にもてはやされた能力である。これを「犬も歩けば棒にあたる」的な能力と表現された先生もおられた。
学生時代にコーリーの逆合成の考え方に触れたとき、衝撃を受けた。目標とする化合物の合成ルートを考えるときに、その目標化合物からルートを考案するのである。そのためのいくつかのルールを設定していた。ただしそのルールは経験知である。
これも一つのアルゴリズムとなりうるが、経験知を用いている点で、純然たるコンピューターによる近似解などの計算のアルゴリズムと異なる。
しかし、合成ルートを考案するときに原料から前向きの推論を展開してアルゴリズムを組むよりもはるかに少ないアルゴリズムで目標にたどり着ける。極端な場合に最初の合成手段であとはこれまでの方法で良しとして終わることだってあるのだ。
抽象的な話をしていても分かりにくいかもしれないが、いわゆる発見的手法というものにも非科学的なアルゴリズムを導入することによりある程度誰でも正解により近くたどり着ける問題解決法というものが存在する。
来月そのヒューリスティックな問題解決法について2時間ほど無料セミナーを行う予定でいるのでご興味のあるかたは申し込んでいただきたい。
再掲となるが無料セミナーで予定しているテーマは下記の通りです。なお、時間は2時間で9月26日(13:30-15:30)と27日(13:30-15:30)。
<予定テーマ>
1.9月26日(土曜日):高分子材料の初歩(初めて学ぶ高分子的イメージ)
2.9月27日(日曜日):ヒューリスティックな問題解決法
今回のセミナー参加者募集は終了致しました。
多数のご参加ありがとうございました。
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どのような素晴らしい企画書でもそこからモノが生み出されなければ、企業内ではごみである。
また、組織の中で仕事を一人で完結している、というのはまれで、どのような企画でも関係する人が複数いる。その人たちの支援を得るためにもモノがあると企画の推進力は強くなる。
退職前に担当した中間転写ベルトの企画は、当方が立案した企画ではない。製品化まであと半年、というところで企画した人物から交代を頼まれたのだ。周囲には幕引きの責任を負うだけだという人もいた。
仕事の引継ぎ説明を聞き、まさにその通りだと感じたが、「貢献と自己実現」を実践するのにふさわしいテーマ(注)だと思った。
すなわち、もし成功させればそれは多大な貢献である。なぜなら、企画者は評価されるかもしれないが、製品化まで半年、企画責任者はプロジェクトメンバーに成功すると言っていたので、成功しても当方の成果にはならない。だから、貢献である。
自己実現については、学位を高純度SiCの技術で取得した当方にとって、高分子のプロセシングで大きなイノベーションを生み出すチャンステーマだった。
一流コンパウンダーが納入しているコンパウンドでは、絶対に完成しない仕事であることが見えていただけでなく、常識をひっくり返すアイデアでイノベーションを起こせば技術を成功させる可能性もあった。
30年の技術者生活で考えてきた「研究開発必勝法」の効果を試すためにうってつけのテーマだった。
6年近く研究開発され、製品化まであと半年しか残されていない状況で、歩留まりが10%前後しかない押出成形技術を利益の出る状態まで立ち上げる、これだけ難しいテーマをこれまで経験したことは無かった。
高純度SiCの仕事では、立ち上げに6年かかったが、企画立案から担当していたのでデスバレーを一人で歩く苦労があったが時間を十分に使えた。時間を十分に使えるというのは、時間は企画の要素ではないと言われているにもかかわらず、難易度に影響する。
しかも日本を代表するコンパウンドメーカーの技術者が関わってきても解決できなかったのである。「研究開発必勝法」の切れ味を確認するにはうってつけのテーマだった。
(注)企業内には、その仕事において大きな貢献をしたとしても評価されない立場がある。派遣社員の立場は同じ仕事を行っても賃金が異なるということで社会問題になっている。派遣社員ではなくても、40年前のゴム会社のように新入社員の2年間は査定をつけない仕組みとなっていたのは実態を考えると少しおかしい。残業代もつかない。しかし、工場試作を成功させたが始末書を書かされたうえ、同期よりも100円給与を下げられた面白い事例なので、この欄で紹介している。これは自虐的に表現しているのではない。成果主義と言っても必ずしも組織内で理想的な運営が難しいことがあり、成果を出しても評価されないことが起こりうるし、他人の成果を何かの理由で成果など出していない人の成果にしたりする場合も出てくる。その逆で他人の失点を成果を出した人につけたのが当方の新入社員の事例だ。このような評価は評価として好ましくなく、続けていると組織風土はおかしくなるが現実には正社員でも成果を出しても評価されない人を生み出している。おそらくドラッカーも不誠実な管理者により引き起こされる組織の不条理に気がついており、働くことの意味の一つを貢献としたのだろう。貢献と思って働けば、評価されなくてもあきらめることが可能となる。しかし、査定はつかないと言われた期間で成果(特許権も取得し英語の論文として掲載されている学術的にも価値ある成果だった)を出しても始末書及び減給処分では、忘れられない思い出となる。誠実な管理者は絶対このようなことをしてはいけない。許されるのは、平均的評価とするところまでだ。自分の責任を押し付けてはいけない。評価には、評価した人の誠実さが現れる。誠実な評価者は、成果を出しても評価できない時に事前にそれを告げる。評価後に謝罪として告げるのは誠実なように見えて、実は評価者として不誠実なのだ。評価者は成果を出しても良い評価をつけられない状態を自分の責任として告げなければいけない。これがなかなかできない人が多い。事前に告げた場合に、納得がゆかず怒り出す人もいる。当然である。だから後で謝罪の形を選ぶ評価者が多いのだ。このような場合に誠実かつ円満に対処するにはどうしたらよいのか。困った時には弊社へ相談していただきたい。
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「モノを持ってこい」と言われて、マジックのようにモノを出すことができるのか。マジックでも種があるので、この場合もコツがある。
一番重要なのはヒューリスティックな問題解決法とその結果形成されたコンセプトである。プロポーズをしたところ彼女から無理難題を押し付けられたかぐや姫の時代と異なり、今はお金をかければそこそこのモノを作ることができる。
ゴム会社の本部長が言っていた「モノ」とは、コンセプトが具現化された実体であれば良かった。
例えば、SiCウェハーと称して提出したのは、ホットプレス成型された高純度SiCをそのまま薄く輪切りにしただけである。ヒーターも同様でカーボンを助剤にすればカーボン層が導電体となり高純度ヒーターとなる。
本当にそれが使えるかどうかは不明だが、とりあえずモノができれば、研究開発の失敗は無くなる。次の段階である事業性の見積もりを他部門にまかせれば、事業化と研究開発をコンカレントで進めることが可能な一種のアジャイル開発となる。
「まず、モノを持ってこい」と部下を指導した本部長の思いは、ここにあったが、当時はアジャイル開発の概念など無い時代で、おまけに研究部門の管理職は皆研究者であり、その理解などできなかった。
当方は高校時代からドラッカーが愛読書だったので、本部長の思いをすぐに理解できた。本部長が交代しても前本部長の思いを踏襲した業務のやり方をしていたので研究者あがりの新しい本部長には受け入れられなかったのだろう。
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コンセプトについて説明途中であるが、企画を成功させるために、「まず、モノを持ってこい」と言われていたゴム会社の研究開発本部長の言葉を紹介した。
この言葉は研究部門では評判が悪かった。当方はセラミックスの事業化を進めていた時で、本来は事業化部門へ異動したかったが、この研究開発本部長に良い意味で飼い殺し状態だった。
とにかく粉(高純度SiC粉末)以外の商品を持ってこい、と半期に一度言われた。半導体治工具の商品であるSiCヒーターやSiCるつぼ、SiC発泡体、SiC切削工具、SiCウェハー(実際にはダミーウェハー)、SiC燃料電池用電極、SiCウィスカー、さらにはブームに流されて超伝導体やECDディスプレーまで作っている。
この研究開発本部長が退任される半年前頃に放し飼いにされた。すなわち、高純度SiCを売ってこい、と言われたのだ。営業経験は新入社員時代の研修における経験しかなかったので苦労した。
しかし、この営業活動で半導体治工具事業のきっかけとなる住友金属工業とのJVを立ち上げることができた。共同開発の社長承認を頂いた直後本部長が交代をされている。
その後、本部長が交代しこのSiC事業化の仕事と電気粘性流体の開発業務を一人で担当することになるのだが、新しい本部長はSiC事業化を認めていなかった(おそらく当方がギブアップするのを期待されていたのだと思う。精神的苦痛になるような行為もあった。)。
だから、一人で二人分の仕事をする必要があった。苦しさで死にたくなるような状態だったが、SiCの事業化を一人で担当しておりそれもできない。人生で一番つらかったのはこの頃で、コロナ禍で苦労している現在よりも辛かった。
思い切って自分の仕事のリストラを行った。その第一弾が、電気粘性流体用ケーシングゴムの開発を担当させられた時に、ゴムからのブリード物で劣化した電気粘性流体を復活させる添加剤を一晩で見出し提案している(注)。
その後も何かテーマを言われれば、すぐに結論となるモノを提示している。電気粘性流体用ホスファゼンオイルや傾斜構造の粉体、超微粒子分散微粒子、微小コンデンサー分散粒子などテーマを言われるたびに電気粘性流体の開発を促進するモノを提示していた。
そのような開発活動の中でFDを壊される嫌がらせを受けていたが、本部長は隠蔽化するだけであったので、結局転職の決断をしている。
転職の決断を出したのは、SiCのJVが次のステップに進み、当方一人の手に負えない状態になったことも一因として存在する。
仕事の妨害を受け、それを隠蔽化され、一人でできない量の仕事、明らかに異常である。当方が辞表を提出したことで研究部門の状態を社長の知るところとなった。
しかし、ゴム会社の状況は、世界5位の会社が3位の会社を買収し混乱している状態だった。ところが、社長はSiCの事業は継続すると約束してくださり、その言葉を信じて、基盤技術が無い状態から企画してJVまで立ち上げ、未練があったが転職している。
電気粘性流体の実用化に必要な粉体やオイル設計について当方が提案した技術の実体である「モノ」をそのまま使えたので、プロジェクトの人員に余裕ができ、電気粘性流体の開発を担当していた研究員がSiCの事業化を引き継いでいる。
(注)一晩でできた技術を否定する研究報告書が、極秘で出されていたが、その内容を知らされていなかったのが成功の原因である。完璧な否定証明を事前に見せられていたら、考え方を変えて実験し失敗していたかもしれない。皮肉なものである。人生とは、どのような環境でも誠実真摯に努力すれば、運が味方する、と実感した経験である。
そもそも何も添加剤の入っていない加硫ゴムなどできるわけがないことは、ゴム会社の研究員であればすぐに理解できる。それを企画した背景に完璧な否定証明が存在し、自分たちの否定証明が伝統として存在していたゴム技術よりも優れている、といううぬぼれが推進者にあった。常に謙虚に成果を受け止めないと常識はずれなアイデアを出すことになる。常識にとらわれないアイデアと常識はずれなアイデアとは異なる。常識をわきまえた常識にとらわれないアイデアこそ歓迎される。
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最近はコロナ禍の影響でWEBセミナーを依頼されるケースが多くなった。WEBセミナーで困るのは、聴講者の反応をつかみにくいのと、長時間カメラに向かって一人でしゃべり続ける苦痛である。
これは未経験のことを行おうとするときの加齢による問題が大きい、ということを理解できたことが無料セミナーを行ってみた感想である。
企業の方とWEB会議を行う時には双方向であり、相手の反応は声だけでも把握できる。しかし、WEBセミナーでは聴講者が画像を閉鎖しているケースが多い。
無料セミナーでは結局どのような方が聞かれていたのかわからなかったが、収穫がありました。早い話が慣れること、これが重要であることを改めて学びました。
来月また土日を使い、WEBでの無料セミナーを企画してみたいと考えています。参加をご希望される方は、弊社へテーマとともにお申し込みください。
予定しているテーマは下記の通りです。なお、時間は2時間で9月26日(13:30-15:30)と27日(13:30-15:30)を予定しております。
<予定テーマ>
1.9月26日(土曜日):高分子材料の初歩(初めて学ぶ高分子的イメージ)
2.9月27日(日曜日):ヒューリスティックな問題解決法
今回のセミナー募集は終了致しました。
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このコロナ騒動で感染症の専門家の知が、免疫学の専門家から疑われている。疑われているだけではない。3密や換気による予防が非科学的だ、とも指摘されている。
かつて、当方の高純度SiCの技術についてもゴム会社の研究所では、ぼろくそに評価された。フローリーハギンズ理論を根拠に、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂が均一に混ざるはずがない、という見解である。
しかし、これがタコつぼのタコ踊りであったことは、その後30年ゴム会社で事業が継続して愛知県のセラミックス会社へ事業譲渡され現在も技術として残っている事実が示している。
また、この技術が科学的に正しい技術であったことは、転職後に取得した学位論文に記載されている。自ら科学的な知となることを証明したのだ。
専門家と称する人で問題となるのは、科学にこだわりすぎて経験知を軽蔑もしくは軽視する傾向である。
社会生活では、解決しなければいけない様々な問題が多く、その問題解決において、科学的だろうが非科学的だろうが、まず解決されることが重要である。
得られた答えが科学的に正しいかどうかを検証するためには、科学的になされなければいけないが、問題解決そのものは、正しい問題を早く解決することが重要で、その発見プロセスが非科学的であっても山中先生のようにノーベル賞を受賞できる。
問題が解決されれば、それが科学的に正しいかどうかは重要ではなく、その点を議論することは解決された問題について、そこから得られた知の価値を論じているに過ぎない。
科学的に正しい知が得られているならば、それは形式知として伝承されればよく、仮に科学的に正しくない知でも正しい問題を解決できる知であれば、経験知として伝承すればよいのだ。
また、形式知が常に経験知よりも価値が高いとは限らない。高名な先生のタコつぼの隅について説明した形式知よりもおばあちゃんの知恵のほうが、日常生活で役立つ場合が多い。
また、形式知は容易にAIに搭載できる。AIに搭載されればタコつぼの隅の形式知は、AIにより「ほとんど使用されないアプリケーション」として処理されるだけである。
日本人はすでに集団免疫を獲得しているかもしれない、と言われても、コロナ感染する人が増加している現実を前にすると、家が燃えているのは急激な酸化反応の進行である、と火事の現場で説明を受けているようなものだ。誰でもいいから、早く火を消してくれ。
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コンセプトに関して当方の体験を示しどのようなものか説明しているが、単なる概念と訳して済むものではないことが伝わっているだろうか。
新しいアイデアを生み出すためにコンセプトは重要であり、その意味で単なる概念ではない。英語のconceiveには、構想するとか考えるの意味のほかに「子をはらむ」という意味もあり、こちらの名詞形conceptionは受胎である。
コンセプトという用語の深い含蓄を理解できると、そもそもアイデアを生み出すコツあるいはそのための問題解決法のコツに関心が向く。
問題解決法と言えば、あまりこの観点で有名ではないドラッカーの著書が参考になる。ドラッカーの「何が問題か」という問いは、ドラッカーを2-3冊読まれた方ならご存知のキーワードである。
すなわち、問題解決の前に、正しい問題を把握することこそ重要である、とドラッカーはその著書の中で繰り返し述べている。
「間違った問題の正しい答え」ほど有害なものは無い、と優秀な人が時折犯す間違いを一刀両断に切り捨てている。
さらに、「頭の良い人ほど間違った問題を正しく解いて、成果を出せない」とまで言い切っており、正しい問題を最初に探すときのキーワード「何が問題か」という問いは、問題解決法において極めて重要である。
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余談だが、PPS/6ナイロン/カーボンの配合で、Wパーコレーションを制御するときに、既存の混練プロセスでそれを実現できるかどうかは、大問題である。
当方の著書以外の混練プロセスに関する教科書を読む限り、分配混合を行えばできることになる。分散混合を抑制し分配混合を行えばよいという答えが教科書から出てくるのだが、これを一流メーカーの技術者に話したら、「素人は黙っとれ」と叱られた。
この技術者は、分配混合と分散混合の説明による科学的な混練の教科書が実務で無力であることを知っていたのだ。
当方は、豊川単身赴任が決まった時に、たまたま無機材研副所長からゴム会社が無機材研に支払った特許料を当方に下さるという手紙を頂いた。当方はこれを軍資金として、10万円前後の混練に関する本を何冊か買い込んだ。
ゴム会社は当方がゴム会社で出願し公告となった特許について特許報償を支払っていない。当方はFD問題の隠蔽化で転職するときにその問題を役員に指摘しているが無しのつぶてである。
20年前の約束を果たしてくださった副所長には頭が下がるだけでなく、タイミングの良さに感謝している。この誠実さに応えるために、大半を混練の形式知獲得のために投資した。
しかし、購入したどの本にも分配混合と分散混合の考え方で混練の説明しかなされていなかった。当方が新入社員の時に混練技術の神様のような指導社員から伝授された混練の知識とは、コンセプトが大きく異なっていた。
混練プロセスについて普遍化し科学的に研究することは大変困難である。まず、これを実感することが大切であり、非平衡下の現象をレオロジーの視点でよく観察する姿勢が大切だ、さらにそのレオロジーは21世紀になると今と全く異なるコンセプトの学問となっている可能性が高いので注意が必要だ、と習った。
ここで、当時の高分子レオロジーはダッシュポットとバネのモデルで議論するのがお決まりとなっていた。今の時代に、レオロジーの研究をこのようなモデルで学会発表していては時代遅れである。
指導社員から伝授されたのは、最先端の混練技術に関する知識だったのだが、100万円近く私費を投入して購入した何冊かの高価な混練の教科書には、実務の立場からは皆役に立たない知識しか載っていなかった。
セラミックス粉の分散技術について学んだ知識の一部もその教科書には反映されていなかった。理由はわからないが、教科書のコンセプトは分配混合と分散混合で皆統一されており、形式知と呼べる内容だったにもかかわらず、セラミックス粉のプロセシングについて触れられていなかった。
この問題について、今年当方の執筆した混練の本で一つの解を示した。当方の混練の本は、混練の神様から伝授された経験知を基に執筆している。
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写真があれば写実的な絵画は存在意味が無くなるのでは、と言っていた人がいた。それなりに理解できる意見ではある。
しかし、写真機が登場しても未だに写実的な絵を描こうとする人がいる。例えば富士山の絵にしても、天気の良い日にシャッター押せば、日曜画家の絵よりもきれいな富士山をプリントすることができる。
このように考えている人は、絵を描いている人の気持ちを理解していない。当方も十分に理解できているわけではないが、絵を描くことと写真を撮ることには、全く異なる目標があると思っている。
例え写実的な絵画は、その写実性において写真には勝てない、という人がいたとしても、別の意味で写真よりも写実的な絵画が存在する。
これは、科学と技術に少し似ているところがある。技術は科学登場以前から存在し、その技術を考えるための思考法も存在した。ヒューリスティックな解を得ようとする問題解決法は、まさしくそのような技術的思考法である。
科学では厳密なアルゴリズムで問題解決を行う。その結果、曖昧性は排除され、時間をかけながら唯一の解を求めることになる。
絵画はいくらオブジェクトの正確な写実性をそこに求めても写真には負けるだろうし、そこを追求しても絵画の意味は無い。
絵画には同一オブジェクトを描いたとしてもそこに作者の思いが写真よりも自然に反映される。絵を描くことはオブジェクトと対峙している自分の気持ちを映し出すことでもある。
写真も同様の目的があるが、写真では絵画に比較し、オブジェクトの写実性が高いゆえに多くの制約が生まれる。ゆえに写実性という観点で、写真と絵画に優劣をつけるときには、注意する必要がある。
オブジェクトを表現するという視点で、絵画は必ずしも写真より写実性が劣っているというわけではない。
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国民民主党が党首の分党構想発表で揺れている。発端は立憲民主党が仕掛けた国民民主党との合流案だが、それがうまくゆかず、合流後の党名については、合流後に決めると立憲民主側が譲歩したところで玉木党首は覚悟を決めたのだろう。
おそらく国民民主党の中には、立憲民主党に合流したいという人が相当数いるのだろう。そこを当て込んでの党名にこだわらない戦術が出てきたのかもしれない。
立憲民主党にしても国民民主党にしても今中国で起きているコロナ禍以外の変化、それを受けた世界の動きを十分に理解されていないのではないか。少なくともそれらを理解しているように感じさせないのは、何故か。
さらには、現在の日本人が目指している、あるいは望んでいる日本の政治を具現化できるだけの政治家としての能力を備えた人材が立憲民主党にはいないのではないか(申し訳ないが、政治家としての能力を採点してみると国民民主党のほうが平均偏差値が高いように思われる。但しこれは表に現れた政治家個人の発言とか行動から当方が採点した結果で、国民民主党が地味な政治家が多いためかもしれないので、間違っていたらお許し願いたい。両党とも大した人材がいないとも思っていない。とにかくこの合流騒動で、政治家の能力が試される事態になった。国民は、その行方を注視している。)。
今求められている政党の機能はイデオロギー集団ではなく、政治機能組織集団である。イデオロギーで統一された共産党が、存続すれど永遠に政権が取れないと国民に思わせるのは、その人材の薄さである。すなわち、イデオロギーで統一化しようとしても国民の多くの支持は得られず、一国の政治を担える人材を揃えるように政党は活動しなければならない。
また、政治家は、一国の政治を担うための知識と誠実さを身に着けた人物が投票で選ばれるべき時代である。不倫に対して国民が厳しい判断を下すのは、誠実さを求めるためである。
文春砲がさく裂し不倫騒動で騒がれた山尾議員は、文春砲の威力が小さかったのか、年齢差から有権者がそれを信じなかったのか不明だが、不誠実にもかかわらず、政治家に求められる知識についてそのレベルの高さと活動実績から選ばれ、禊を行った。
その後、立憲民主党に愛想をつかして、国民民主党に移っている。この異動は、党の雰囲気を考慮すると理解できる。
田中角栄氏がいるので、この発言も正しいと言えないが、安倍政権が誕生した時に、亀井静香氏は「東大卒以外が首相になる時代」と、政治家に求められる資質の変化を表現している。
自民党は、すでにイデオロギー集団ではなく政治機能集団へと生まれ変わっている。野党にも自民党に対抗しうる政治機能集団の登場を渇望するのだが、以前民主党時代にshadow内閣を発表し、失敗したような愚行は辞めた方が良い。
およそ政治のわかっていない人でそれを構成されても国民は投票しないのである。情報化時代となり、国民は政治家一人一人の資質を知ろうと思えばその情報を入手できる時代になった。本物の政治という実務を理解した野党勢力が登場することを渇望する。
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