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2020.01/26 指導される側の問題

人は気づきと学びで成長するという。21世紀になりパワハラに対して厳しくなり、指導方法の研修が多くなった。

 

コーチングブームはその一つであるが、最近はスポーツ指導にも浸透し、「怒らない指導」として実践されている、とTVで報じていた。

 

一方で首をかしげたくなるようなハラスメント訴訟がニュースで報じられるようになった。

 

おそらく怒らない指導がスポーツだけでなく広く社会の標準になってゆくのだろうが、それが効果を表し、成長する社会となるには、指導される側の準備も必要だろう。

 

かつて指導と言えば、声を荒げて叱咤激励するスタイルが標準だった。当時のスポコンドラマを今放送したら批判を浴びるに違いない。放送禁止用語も溢れていた。

 

良いところを褒めて成長を促す指導法が世界標準となったが、これが効果を上げるためには、指導される側の準備も必要と思われる。

 

世の中には根本的な生きる姿勢が間違っている人もいる。このような人には喝入れが手っ取り早くその人の根性を矯正できるのだが、今はそれが許されない。

 

性善説が前提となっている褒める指導が効果を上げるためには、自己実現意欲も影響する。指導者は指導される側の特徴をよく見極める必要がある。

 

(注)大学4年の卒業研究はアメリカ化学会誌4月号に一応掲載されたが、英文は助手の方が書かれた。しかし、その掲載された論文を読み自己実現意欲が湧いてきた。せっかくやる気が出てきたのだが、在籍した講座は教授の退官とともに閉鎖された。大学院は好きなところに行って良い、と言われたので無機材料の講座へ進学した。そこではSiCウィスカーやガラスの研究が行われていた。しかし、教授がホスホリルトリアミドの研究テーマを課題として設定してくださったので、調査研究から始めなければいけなかった。調査して驚いた。1970年までにその分野の基礎的な研究はほとんど終わっていた。仕方が無いので有機合成手法でホスホリルトリアミドをスタート物質として無機高分子合成を行い、2年間に4報ほど論文を書き、修士論文をまとめている。PVAの難燃化や、ホスファゼンとの共重合体など当時としては先端の研究で、ゴム会社で始末書を書くことになったホスファゼン変性ポリウレタン発泡体のベースとなった。高分子の難燃化技術のセミナー講師を20代から依頼されて、ホスファゼンはじめ耐熱高分子などを講義してきたが、講義しつつ修士2年間に寝食忘れ勉強しておいてよかったと思いだすことがある。人生において勉強だけを落ち着いてできるのは受験生時代ぐらいで大学に入れば様々な誘惑がある。社会人になれば勉強だけできる時間は確実になくなる。

 

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2020.01/25 卒業研究

パワハラやセクハラ、モラハラなどハラスメントという文字を見ない日は無い。当方の大学4年時を思い出すと、今の物差しならばアカハラの極みだったように思われる。

 

大学院まで進学するつもりが無かったので、第二外国語の単位を取っていなかった当方は、まず研究室に入った日に助手の先生からその姿勢について叱られた。

 

すぐに雑誌会の資料としてドイツ語の論文を渡された。化学分野を勉強するならばドイツ語の論文程度は読めなくてはいけない、と再度叱られた。

 

教授がその年に退職するのでその研究室で大学院には進めない、と噂されていた。当方は大学院の進学を考えておらず、ただ1年ぐらいは真剣に勉強しようと選んだ研究室だった。

 

厳しい研究室とうわさがあり、教授の退官で研究室が存続するのかどうか不明と言う理由で、第一希望としてこの研究室を選んだのは当方だけだった。

 

しかし、教授から大学院の受験を勧められ、毎朝マンツーマンによるドイツ語の指導が始まった。

 

ありがたいことだが、その気がない学生にとっては地獄である。しかし不思議なもので1ケ月も勉強を続けたら、大学院を受けてみようという気になってきた。

 

卒業研究は、何か合成したいものを選び、その全合成を完成させてアメリカ化学会誌にその成果を発表することと言われた。当時天然化合物の実験室における全合成が流行していた時代である。

 

ちょうど野依先生の不斎合性に関する研究が理学部で盛んに研究されていた時でもある。野依先生からは指導なのか叱られたのかわからないアドバイスを頂いた体験もある。

 

パチンコ屋にはシクラメンの香りが流れていた。そこでシクラメンの香りの全合成をテーマにしたいと申し出た。実験は大変だったが、卒論提出締め切り1週間前に全合成ルートの実験結果と卒論の下書きを完成することができた。

 

ところが、卒業論文の提出締め切り前日に、100報近くの論文を渡され、それをまとめて第一章とするように指示された。

 

指導してくださった助手の先生は、毎日読んでいなかったから悪い、と言われたが、それらの論文の存在を知らされてなかった。

 

4年生ならばみな自分でケミカルアブストラクトを調べて論文を毎日読んでいるが、君は毎日実験しかしていなかった、と叱られた。

 

シクラメンの香りをその研究室の開発した化合物をスタートに合成ルートを見つける作業は難しく、さらに実験量も膨大だった。結局E体とZ体の分離をカラムで行い、何とかゴールまでたどり着いたのが卒論締め切りの1週間前だった。

 

泣いている時間も惜しいので徹夜して100件近くの英文の論文をまとめたが、その自分のパワーと知力に驚いた。アカハラの毎日がパチンコやマージャンの日々から解放し十二分に成長させてくれたのだ。

 

朝の座学のおかげで大学院には無料で進学でき、奨学金もあったのでゴム会社の12年間よりも裕福な二年間を過ごすことができた。先生に感謝している。

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2020.01/24 事業企画推進の難しさ

以前事業企画においては、企画書の書き方よりも他の要因対策の理解が重要と指摘している。それは大なり小なり、組織内で提案される事業企画では、少なからずイノベーションを起こす内容となるからだ。

 

イノベーションとはどのようなことかは詳細説明を省くが、それが起きれば現状からの変化を組織に所属する人間は受けることになる。

 

とかく人間は、現状のまま平穏に暮らしたいと考える傾向にある。年をとればますますその傾向は強くなる。

 

青年期の悩みの書は昔から多いが、中高年の悩みの書を扱っている本は少ないし、あっても老化からくる悩みに関するものだ。

 

自ら変革の嵐の中に身を投じた中年あるいは老人(一般に老人がそれを行うのは無謀あるいはバカとして扱われる)の悩みを扱った書は無い。

 

もしあればどなたか紹介していただきたいが、年配者ほどイノベーションを嫌う、ということは、死というゴールを意識すれば自然なことである。

 

ゆえに経営に関わる人間が若手にプロジェクトを任せたと言っても、内心は大きなイノベーションを怖がっているぐらいに考えて事業企画を練る必要がある。

 

但し、これを忖度してはいけない。あくまでも事業企画については、まっすぐあるべき姿を目指すべきであるが、その表現方法に工夫する必要がある。

 

例えばイノベーションの組織に与える影響を正しく評価し、それを補う対策を十分に行わなければ企画の立案さえも大変な苦労をすることになる。

 

これは実際に苦労を体験してみないとわからないかもしれないが、年配者だから苦労を理解して協力してくれると期待していると痛い目に合う。

 

ゴーンが一つの事例である。カリスマ経営者と持ち上げられたが、その実態は説明の必要が無い人物だった。

 

一方、タイヤ会社で出会った誠実真摯な経営者もいる。しかし、そのような経営者でも定年には逆らえないのだ。2年以上の長期の企画では、実行期間中の組織体制にも配慮しなければ良い企画にならない。

 

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2020.01/20 若手育成が難しい時代(2)

当方はゴム会社で3年のアメリカ留学の機会を得た。同僚には、上司が当方を追い出したいからチャンスが生まれた、と噂された。

 

上司には年に一度の面談で伝えていたSiCの研究を希望していたのに、ゴムの研究で名の知れた大学が留学先とされたので、そのような噂がでてもしかたがない。

 

そこで、当時SiCの研究で世界のトップを走っていた無機材質研究所へ留学先変更を上司に申し出た。

 

今回は語学留学と考えしばらくSiCのことは忘れろ、と上司に言われたが、もし留学の成果を真摯に考えるならば、無機材研こそふさわしい、と当方は回答している。

 

また、社長方針にもファインセラミックス市場への進出が、メカトロニクスと電池事業と並び重要課題と示されていた。

 

上司からそこまで言うならば、留学の話をつぶすぞ、と脅されたので、当方は、どうぞ、と回答している。

 

これは、今ならばパワハラ面談であるが、当方は新入社員研修の発表会で常務から受けた「科学的結論で造られたタイヤはタイヤではない」というパワハラ説教で免疫ができていた。

 

しばらくして、人事部長から呼び出され、上司ともめている理由を聞かれた。当方は、社長方針とセラミックスフィーバーの世間の状況も含め説明し、最後に上司から留学の話をつぶすと言われた話まで丁寧に回答している。

 

人事部長は苦笑しながら、予算が決まった後なので上司も留学先変更は大変と考えたのだろう、と話していた。

 

結局当方の留学を企画した上司の真意は不明だったが、無機材研留学の話を人事部と調整してくださったことには驚いた。

 

その後昇進試験に落ちたことがきっかけとなり、高純度SiCの合成実験のチャンスが生まれ、社長の2億4千万円の先行投資を受けて半導体治工具の事業がスタートしている。その成果で学位論文をまとめた話は以前この欄で書いたので省略する。

 

企業で留学の機会を与えられる、ということは、企業の立場では留学期間中人件費以上の赤字になっているはずで、留学する社員もそれなりの覚悟が必要だ。

 

企業で若手育成が成功するためには、若手の意識改革も必要となる。今は昔の様なパワハラで抑え込む技は禁じ手なので、若手の自己実現意欲を高める様な研修も必要である。

 

当時のゴム会社の役員は、第三者から見れば今でいうところのパワハラ体質そのものだったが、若手を鼓舞するエネルギーはすごかった。

 

留学先変更も役員から叱咤激励され、無機材質研究所を上司に申し出ている。役員が新入社員の指導のために現場まで出ていた、管理職にとって大変な時代だった。

 

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2020.01/19 河童

朝早く目が覚めてTVのスイッチをいれたら、長山洋子が司会をしている演歌番組で石川さゆりが表題の演歌を歌っていた。

 

河童という居酒屋が舞台で、恋した漁師が一緒になろう、といってくれたのにその前に死んでしまった、居酒屋にはその友人たちが集まって彼を偲んでいる、という演歌にありがちな歌詞である。

 

しかし、それが妙に切なく色っぽい。赤ちょうちんまで出てきて、昭和レトロの風情が見事に描かれ、いわゆる胸キュン演歌である。

 

初めて聞いてここまで感じさせる石川さゆりの歌唱力もさることながら、演歌というジャンルが音楽や歌詞だけでなく、歌手の短時間の演技力の統合が重要であることを再認識した。

 

おそらくカラオケで素人がこの歌を歌っても大した歌に聴こえないかもしれない。一時期カラオケで歌いやすい歌曲があふれた時代があり、現在までそれが続いているかと思っていたら、このような難しい歌も歌われていることに驚いた。

 

ただ、この歌の世界を理解できるのは、昭和時代を生きた老人しかいないのではないか。また、胸キュンする感受性と元気も必要だ。この歌がヒットするかどうかは、元気な老人がどれだけいるかにかかっていると思う。

 

最近の歌曲はそれなりのマーケティングを行ってから創られるそうだから、このような歌が出てきた背景には、「元気な年寄り」が増えてきた証なのかもしれない。

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2020.01/18 若手育成の難しい時代(1)

当方が退職するときに、すでに若手育成が難しいような状況だった。パワハラやセクハラに対して企業の取り組みが定着していたからである。

 

30年以上前ならば、パワハラやセクハラは、それらの被害者となってもあきらめなければいけない時代だった。

 

その時代でも企業によりそれらの扱いは異なり、ゴム会社では他人のFDを意図的に壊すような事件を隠蔽したが、写真会社では転職時にすでにパワハラやモラハラの対策が行われはじめた。

 

年に一度の職場アンケートがそれで、アンケート結果についてそれぞれの組織で管理職が議論し、その結果をまとめ人事に報告するシステムが始まっていた。

 

ゴム会社よりもこの方面では進んでいたが、その影響で部下の指導育成はゴム会社よりも難しかった。例えば、退職までに博士を一名かろうじて育成できたのだが、このような育成行為は、アンケート結果に悪い影響として現れた。

 

数名そのチャンスを与えてもアンケート結果に配慮し、一名育成するのが精いっぱいだった。大学の社会人留学生制度を利用していても、途中で部下から学位を諦めたいと言われれば、パワハラを懸念し激励して続けさせることができなった。

 

当方が左遷され組織を離れしばらくしてから、学位取得を諦めたと風の便りに聞いた部下にその理由を聞いても、会社の理解が無ければ難しい、という回答であり愕然とした。

 

新しい上司にも引き継ぎを行い、チャンスを与えてもそれを活かそうとしないのだ。当方はT大で学位取得直前に転職する事態になり、T大の先生から転職先からも奨学金を支払うように言われた。

 

転職先に迷惑をかけられないので、ゴム会社から十分すぎる奨学金が支払われたT大を辞退後、自分で審査料を支払い、資格試験を受け、さらに新たに学位論文を書き直して中部大学で学位を取得している。

 

学位は、科学を習得した証であり、その論文をまとめる作業において研究者としての成長を期待できる。

 

企業でリーダーとなりうる若手技術者を育成しようと考えたら、学位を取得させるのが一番良い方法と自己の体験から思っている。

 

長い年月をかけて科学という哲学を日本では義務教育として学ぶ。さらに大学まで行けば科学という哲学が身につくはずだが、今の大学の実情では学部レベルで科学を習得できるかどうかは学生の自己責任となる。

 

企業においてマンネリ化した技術開発を行っていると、科学のことなど忘れ職人となる大学卒の存在は企業の悩みである。

 

科学の哲学を身に着け、技術を科学の側面から評価できる技術者こそ企業で求められている技術者として最低限のあるべき姿である。

 

若い社員の甘い考えを否定もしたい思いと人材育成が企業にとって重要という思いとの葛藤の末、この人物に学位のチャンスを与えた当方の判断が間違っていたという反省に至る。

 

(注)科学成立以前、少なくともニュートン力学以前の時代の技術者ならば、科学を知らなくても許された。しかし、技術の伝承において科学は唯一のそれを効率化できる方法を提供するので、科学を知らない技術者が職人と言われても仕方がない。科学を知り、技術の方法も熟知した技術者が現代の真の技術者である。

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2020.01/17 混練の本

本書は学術書ではない。混練について考えるときに必要な知識を整理してまとめた本である。2005年に混練の基盤技術も無い会社で、半年以内に混練プラントを建設しなければいけなくなったときに当方が読みたかった内容である。

当時8万円前後の混練に関する本や高価なシミュレーションソフトを購入したがいずれも役に立たなかった。本については自分の金で購入したので問題ないが、シミュレーションソフトは会社の経費で購入したので何らかの成果を出さなくてはいけないと思い、とりあえず結果を出したが、混練工場が稼働後だった。

驚いたことにゴム会社新入社員時代の手帳に書かれていた内容で今でも安定生産の行われているプラントができてしまったのである。そしてその手帳の内容は、8万円前後の本に書かれていたパラダイムと大きく異なる。

たまたま、ゴムタイムズ社から講演依頼があり、混練の講演をしたら、それを出版しようという話になった。これが、この本の背景である。40年前の知識に最新の高分子の知識を加えた体系として構成している。混練という技術のプロパティーを考慮し形式知だけでなく経験知も躊躇なく盛り込んでいる。

混練のプロからハンバーグや餃子をおいしく作りたいと考えている主婦まで一読の価値がある、と思っている。

また、高分子について勉強しようという方にも、役立つと思っている。

出版前のサービス価格を設定していますので弊社へお問い合わせください。

カテゴリー : 一般 宣伝 電子出版 電気/電子材料 高分子

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2020.01/16 花王のパソコン革命(2)

プロジェクトでは、表題の本を参考に研究所内の試薬や材料のデータベースを作成しパソコンで管理しようということになった。

 

頭のいい管理職ならば、この時点でパソコンの一台でも必要になると気がつくはずだが、当方の上司は公私混同に無頓着だったので、すぐに当方の私物のパソコンでまずプロトタイプを作ってみようと言い出した。

 

以前上司に独身寮でMZ80Kを動かし、日々の業務の統計計算で使用している話をしたことを後悔した。

 

データベースのプロトタイプを作るならばフロッピーが必要になり、新たに購入しなければいけない。MZ80Kに付属していたテープメディアではランダムアクセスができない。

 

上司に相談したら、買えばいいじゃない、と簡単に言われた。しかし、会社は金を出さないという(注)。

 

当時20万円以上したフロッピー一式を月給が手取り10万円の従業員に、上司が会社業務のために購入を勧めるという異常な事態となった。

 

この流れに、メンバーの一人から意見が出たが、ならば成果を君たちどのように出すのか、という上司の質問に皆黙ってしまった。これは、今ならば暗黙のパワハラである。

 

しかたなく、シャープのFDOSも含め40万円弱をローンを組み購入することになった。そして日々の担当業務を終了後、寮でデータベースのプログラムを作るのが日課となった。

 

それだけではない。プロトタイプができたならデータベースを作るところまで命じられた。さすがにその時点でプロジェクトのメンバーから、会社で1セット購入すべきだと強い意見が出された。

 

それは、寝不足の小生を気遣ってくれた、指導社員だった。この指導社員と二人で会社で購入するパソコンの機種選定を任されたのだが、それがまた大変な騒動になった。

 

(注)今となっては笑い話となるが、当時OHPで特殊なPETフィルムが使われていた。これが高価だったので、研究部長からPETフィルムを元巻1本を購入し、それから切り出して使えという指示が出た。1980年代すでにペーパーレスを目指し、研究部門の会議ではOHPが必需品となっており、OHPシートの消費は多くなっていた。ゆえにこの研究部長の指示はうまくゆけばよいアイデアとなったが、OHPシートには十分な帯電防止処理がなされていることを研究部長はご存知なかったようだ。まずA4サイズにPETフィルムを切り出すのに手間取った。次にコピー機でそれを使用すると、5枚に1枚うまくコピーできるような状態で歩留まりが悪かった。しかし、それでもOHPシートより安い、ということで研究部長在職中続けられた。冷静に考えれば、切り出しからコピーにかかる時間を考慮すると人件費が寄与するので大幅なコストアップになっていた。高度経済成長の中、自動車関連産業では笑えないコストダウンや効率化もあったようだ。今ニュースでは、パワハラにセクハラ、職場のストレスで自殺など大きく報じられている。当時を思い出すと、現在の組織におけるストレスは十分に軽減されていると思っている。例えば、今の労働環境を基準に当時の状況を表現すると上司の権威は高く奴隷のごとく従業員が働くことを強いられた、と表現すると若い人に理解していただけるのではないか?一応当時でも労働基準法などは守られていることになっていた。しかし、今を基準に考えると、当時はかなり劣悪な労働環境だった、と言わざるを得ない。組織の中における公私混同もそれほど問題視されていなかった。しかし、高度経済成長の時代で我慢して勤務すれば給与が上がってゆく時代だった。また大卒であれば皆課長まで昇進できる、と言われていた。ただ、皆課長に昇進できたので、当方の上司の様な管理職も誕生していた。大学出ても課長になれない人がいる、と嘆きが聞こえてくるが、誰もが昇進できる状態でも嘆きは生まれたのである。

カテゴリー : 一般

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2020.01/15 まちがいだらけのプログラミング教育(4)

プログラミング教育をする、ということは技術者教育をするという意味に近い。プログラミング教育の内容に、現象から機能を取り出す能力の育成科目を加えると技術者教育となる。

 

戦後の義務教育で技術者教育の重要性が叫ばれながらも、それは科学教育よりも一段低い位置づけで捉えられていた。

 

だから戦後の科学教育で育った人材、すなわち団塊の世代が企業の中核になると日本企業は科学一色に染められていった。

 

ゴム会社は、当方が入社したときに高卒社員が重用されていた会社で、技術系役員にも高卒役員がおり、タイヤ研究開発はKKDが主流だった。ただし、研究所は高学歴部隊で大学と変わらない雰囲気の職場だった。

 

だから、当時の大企業特有の科学命一色ではなく、技術と言うものを学ぶことが可能な土壌があった。当方は、大学と同様のパラダイムの職場に配属されたが、それと大きく異なるタイヤ開発の職場に興味があり、同期はじめ多くの方と交流した。

 

タイヤ開発はプログラミング同様にオブジェクト指向であり、機能をどのように実装するのか試行錯誤で業務が進行していた(注)。

 

研究所は手続き型言語同様にシーケンシャルにかつ論理的に業務が進められ、バグると永遠に終わりのない研究開発が行われているような状態だった。電気粘性流体はそのような状態で5年ほど続いていたテーマだ。

 

(注)思い付きや、ゆきあたりばったり、と揶揄された開発行為の中にも参考とすべき行為があった。人間はサルよりも賢いのである。人間の科学的ではない行為をよく観察すると、皆ばらばらであるが、その中にもパターンが存在する場合がある。例えば、PPAPの如く非論理的な組み合わせを躊躇なく実行するパターンと屁理屈でも意味ある組み合わせだけを追求するパターンは、非科学的でありながら、全く異なるパターンであることを認めることができる。前者では偶然による新発見を期待でき、後者ではパラダイムの間違いを気づかせてくれる。マイコンの黎明期に多くのコンピューター関連大衆紙が発行された。それらの書籍には日曜プログラマーの投稿による様々なプログラムが掲載されていた。それぞれのコードを読み解くと、明らかにプログラマーの癖というものが存在した。科学では、論理に基づくパターンしか生まれないが、コンピューターのプログラムにはプログラマーの癖によりさまざまなパターンが生まれることになる。プログラマーの癖は、科学的な論理に基づく場合もあれば、経験知に基づく場合がある。さらには、何ら説明のつかない癖もあり、他人のプログラムが読みにくい原因になっていた。オブジェクト指向になってもオブジェクトの設計方針にはやはりプログラマーの癖が現れる。ボーランド社のC++とマイクロソフト社のC++では、クラスの設計方針が異なっていたが、ボーランド社のクラスの方が使いやすかった。

カテゴリー : 一般 連載

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2020.01/14 花王のパソコン革命(1)

その昔、表題の本がベストセラーになった。パソコンの黎明期に8ビットコンピューターPC8001を使用してOA化を進めた花王の成功体験記である。

 

この本の影響は大きく、ゴム会社でもさっそく花王を見習ってパソコンを導入しOA化を行おう、と研究部長から大号令が出た。

 

当方の上司がリーダーに任命され、各課からコンピューターに強そうな人材が集められプロジェクトが結成された。

 

ただし、予算は0である。これが小生の給与が無くなり独身を長くする原因となった。

 

表題の本の内容はかなり誇張されて書かれており、それを管理職がまともに受け、安いパソコンを使えばOA化にお金がかからない、という誤解を生んだ。

 

研究予算削減運動と結びつき、今巷で行われている働き方改革の失敗よりひどい状態となった。

 

少なくとも当方個人にとっては、給与のほとんどを会社に献上しなくてはいけないというひどい状態になったのだ。

 

サービス残業が常態化しているうえに労働対価として守られるべき給与でパソコンを買うことを命じられたのだ(注)。

 

個人に犠牲を強いて会社の予算を削減するというすさまじいマネジメントだったので、このプロジェクトではOA委員の懐が狙われることになった。

 

 

 

(注)ある日当時の上司から風邪をひいたので家まで車を運転していってほしい、と業務時間中に代行運転を依頼された。作業着でご自宅まで上司と車を届けたら、近くにバス停があるから、そこからバスで帰るように命じられ、バス代すら頂けなかった。作業着に安全靴というスタイルでバスで会社まで帰った思い出は、少し惨めだった。管理職の公私混同が許されていた時代だった。

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