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2016.12/15 専門とは、研究とは(3)

大学院を修了し、それなりの専門性を身につけて社会に出て行く。大学で学んだ専門知識を生かせたのは、ホスファゼン変性ポリウレタン発泡体を開発したときぐらいである。

 

専門を活かすことができたこのテーマでは工場試作に成功したが商品化には至っていない。始末書を書いている。この始末書の経験は、企業における研究企画では何を考えなければいけないのかを理解するきっかけとなった。

 

工場試作まで開発を進めた責任を新入社員に負わせた上司は何を考えていたのか、当時を思い出してもよく分からない(注)が、当方は始末書を前向きに捉えて書いている。ただ、このような書き物は喪に服するぐらいの気持ちで書くべきであることを学んだ。

 

この始末書や、転職のきっかけとなったFD事件その他大小の出来事も含め、サラリーマンがいつか経験するかもしれない「危機」を一通り経験しているのでサラリーマンの危機管理の専門家かもしれない(大切なことだが、サラリーマン死にたくなるような危機にあっても悪いことをしていないなら明るく活き活きとすることが重要である。そして危機からは逃げるのではなく、勇気を出して決断する必要がある。死んでしまったらそこで人生は終わるのである。)。

 

個人が組織の中で働く時に貢献が基本となるが、中には出世などを目標に時には不誠実に行動をする人がいる。ドラッカーはこのような人の昇進を認めるようなマネジメントは良くないと言っているが、それが常識となっていない。

 

そのような組織で働く時に注意すべきことは、サラリーマンを終えてみるとよく分かる。本当は大学の講義にこのような科目も一単位ぐらい設けておくべきだろうと思う。企業の組織論なる専門書籍もあるので、技術系の学科でも勉強できるようにしておけば技術者が「危機」に遭遇したときに悩まなくて済む(この活動報告でも取り上げてみたいと思っている)。

 

高校生からドラッカーの著書を読み続けてきたが、実体験をしてみて初めて彼の意図した内容を理解できた残念な結果である。ただ、こうして人生を振り返ったときに、実体験もあるサラリーマンの専門家という自負も持つことができたので失敗も役に立つ。

 

(注)この上司のもとで3年近く仕事をしたが、良い査定は一度もいただけなかった。新入社員の研修で給与明細書は他人に見せないように、と教えられたが、このように言われると他人の明細書が気になるものである。同期で研究所に配属された友人と給与明細書を見せ合ったが、入社3年目の給与から300円程度の差がつくようになっていた。おそらく査定が低いためだったろうと思っている。しかしその後無機材質研究所への留学や、社長の前でのプレゼンテーションで2億4千万円の先行投資を受けたり、給与も一気に年収が100万円以上もアップするなどビックリするような処遇を受けた。すなわちゴム会社は30年前から敗者復活のできる会社でその結果が風土に反映されていた。

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2016.12/14 専門とは、研究とは(2)

軟質ポリウレタンの難燃化技術開発の後、フェノール樹脂天井材の開発を担当することになった。最初の半年間は、筑波にある建築研究所で行われていた天井材の難燃性評価技術開発のお手伝いだった。

 

この評価技術開発については以前この欄でも紹介している。台所で起きた火災を研究し、新しい天井材の評価基準を見いだす作業だった。

 

このころ、高純度SiC新合成法の企画も自主的に進めていた。フェノール樹脂天井材の開発は、開発途中から、急速な市場変化に合わせるために事業部門とのコンカレントな進め方になった。

 

無機材質研究所留学前に、この仕事を無事完了させてSiCの研究に集中できるようになった。無機材質研究所では、半年間αSiC単結晶の異方性について研究し、研究をまとめることができた。

 

運が悪いのか良いのか分からないが、たまたまこの研究成果が出た頃に昇進試験の結果報告の電話が無機材研にあり、それがきっかけとなって、高純度SiCの合成法が研究テーマになった。

 

会社から先行投資が決まり、ファインセラミックスの研究棟がゴム会社に建設されて、無機材質研究所から留学途中で戻ることになった。そして10kg/日のパイロットプラントが稼働し、マーケティングが始まったところ、駄馬の先走りであることがわかり、6年間死の谷を歩くことになった。

 

この頃、高分子の難燃化技術者からセラミックス技術者に専門が変わっていった。この6年間には、高純度窒化ケイ素や高純度窒化アルミ、超伝導体、セミソリッド電解質、Liイオン電池用難燃剤、Liイオン電池のセラミックス正極、カーボン負極材、電気粘性流体、ECD、FRM、C-SiC繊維、SiC基切削チップなど研究所が扱っていた先端技術にすべてお手伝いさせていただいただけたでなく、独自の企画も併せて金属から高分子まで専門が一気に広がった。

 

但し、技術者としてのキャリアは、セラミックスの専門家であり、ヘッドハンティングの会社からはセラミックスの企業ばかり紹介があった。面白いのは、自分で登録したわけではなかったが、複数の会社から転職を促された。バブルの時代には先端技術者の獲得競争が活発に行われていたのだ。

 

今の時代では、一度断るとしばらくお声をかけていただけなくなるが、当時は断っても断っても引き合いがきた凄い時代だった。当時転職を考えた技術者は多かったのではないか。人材の流動性が叫ばれているが、このような時代を経験しても基本的には一つの会社で勤め上げることはサラリーマンの幸せの一つだと思う。

 

 

 

 

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2016.12/13 専門とは、研究とは(1)

32年間の技術者生活で金属から高分子まであらゆる材料の研究開発に携わった。79年10月にゴム会社で新人配属されて初めてゴムの研究開発業務を担当した。この業務内容は防振ゴムの配合設計で、当時先端材料だった樹脂補強ゴムの新処方開発が目標だった。

 

粘弾性理論によるシミュレーションにより見いだされた特性を目標に、試行錯誤で配合探索をした。その開発プロセスは、大学で学んだ研究プロセスとは大きく異なっていた。まだ新入社員だったので指導社員に言われたとおりに仕事を進めた。

 

残業手当が新入社員期間中はつかないにもかかわらず、自ら過重労働を行い、1年間の予定の仕事を3ケ月で仕上げた。見いだされたゴムの新処方は後工程に送られて製品化された。また、初めての特許出願(特開昭56-122846)も行っている。

 

この業務の後、高分子合成研究室に異動となり、ホスファゼン変性軟質ポリウレタン発泡体の企画を提案した。これは工場実験まで行ったために始末書を書くことになったが、そのおかげで新たなホウ酸エステル変性軟質ポリウレタン発泡体の企画を提案でき商品化した。

 

これらの仕事で高分子の難燃化技術が当方の専門キャリアとなった。学会発表やイギリスの学会誌の投稿もしている。また、セミナー会社から難燃化技術の講演を依頼されるようになった。

 

 

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2016.12/12 昨晩のGPファイナル

昨晩のGPファイナルは、フィギュアスケートが厳しいメンタルスポーツであることを示す面白い展開となった。

 

ショートプログラムで、2位と3位につけていた、パトリックチャン選手とフェルナンデス選手が、フリーの演技の後で羽生の後に演技し、いずれもミスを連発して3位以下に落ちてしまった。

 

昨晩彼らよりも先に滑走した羽生の演技にもミスがあったがかろうじて一位になっていた。すなわち彼ら二人に羽生を追い抜き、一位になれるチャンスが訪れたのだ。

 

二人の演技には、そのチャンスを活かそうとする力みが最初から感じられた。フェルナンデスは演技前に氷の傷にけつまずき、パトリックチャンの顔にはどことなく堅さが見えた。

 

これはそのまま演技に表れた。パトリックチャンは最初の4回転ジャンプ二つでまさかの転倒をする。この転倒が響いたのか、後半のトリプルアクセルでもミスをした。

 

フェルナンデスも同様だった。選手達やそのファンには申し訳ないが、このような展開はスポーツ観戦を人生の縮図のように観ている者にとって面白い。力の限界ぎりぎりで戦っているときにメンタル面が原因で勝負に明暗ができるからだ。

 

人生も同様で、苦しいときにも常に明るく活き活きと生きることが大切なのだが、なかなか実践できずに負のスパイラルに陥るときがある。サラリーマン人生で何度も失敗を経験したので、会社を始めてからは、赤字が累積していても明るく活き活きとした毎日を送ってきた。

 

何とか5年会社を継続することができ、今年はようやく収支バランスがとれ始め、来年の予算計画では黒字が見えてきた。電子出版で蹴躓いたが、何とか事業の立て直しができた。

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2016.12/11 AIの時代

弊社のお世話をお願いしている弁護士事務所から事務所報第二号が届いた。所長の言葉として「AIの時代を生きるには」とあり、弁護士の仕事とAIについて述べている。これを読んで、弁護士と裁判官の関係は、技術者と基礎科学研究者との対比と同じではないかと感じた。

 

彼によれば弁護士には創造性が求められ、AIの時代になっても弁護士の仕事は無くならないという。技術者も同様で、創造性のある技術者ならばAIに仕事を奪われることはないと思っている。

 

AIは論理的な情報処理に長けているが、人間の経験知まで取り込んだ創造性を発揮するような処理能力をおそらくAIは持つことができないと思われるからだ。例えばいくら科学が進歩してもPPAPのような演芸をAIが創造できるとは思えない。

 

技術における創造の一部にもPPAPのような処理方法があり、これを科学で論理的に進められる時代なるとはとうてい想像できない。あれはピコ太郎でなければ生み出せなかった芸であり、技術にも特定の技術者でなければ生み出せない技術が存在する。

 

技術開発の標準化に貢献しているタグチメソッドでさえ、故田口先生は、技術者が行う設計において基本機能の選択は技術者の責任と述べ、開発プロセスすべての標準化を保証していない。すなわちたとえタグチメソッドが導入されても技術開発に創造性の余地は残るのだ(注)。

 

弊社では、AI時代の問題解決法としてPPAPも取り入れた創造性豊かな手法を提案している。1月にもセミナーを行いますので、AIに負けない技術者を志す人は是非参加してください。

 

(注)基本機能まで標準化しようとしている人を見た。基本機能については、例示をすることができても、新しいシステムが創造されたときには、再度見直さなければいけない。タグチメソッド推進を行っている人の中には、このことを理解されていない先生もいる。当方はこの点について故田口先生と十分な議論をしている。変化する世の中で法を適用するときに創造性が求められるように、新しい技術が創造されたときには基本機能の検証が必要となる。

 

 

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2016.12/10 仕事

「二番じゃだめですか」という人は、仕事の面白さを知らない。仕事とは、どこか一番のところがある成果を出せたときに気持ちが良いのであって、顧客が魅力を感じないような成果あるいは新たな顧客を創造できないような仕事をしても達成感を味わうことができない。

 

自己実現というと難しいことを考える人がいるが、目の前の仕事について、どのようなことでも良いから何か一番となるような目標を決めてそれを実行することも自己実現の目標となる。

 

その一番の目標について世の中に基準となる物差しがあるときには、仕事をやり終えたときに社会からも評価をされる。

 

低価格で一番の高純度なSiCとか、世界で初めて金属酸化物ゾルをミセルに用いたラテックス重合、世の中に無かった帯電防止評価技術、世界で初めて無機高分子を生成して高分子を難燃化する技術、世界一簡便なカオス混合装置などは思い出のある仕事である。

 

いずれも二番を目標にしなかった。一番を目指したが結果として二番となったが満足している仕事もある。酸化スズゾルの帯電防止層は、透明フィルムとしては恐らく世界一の透明度の金属酸化物を用いた透明導電膜と思っていたが、透明度の高い導電性高分子薄膜が存在した。

 

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2016.12/09 社会のコミュニティー(2)

会社は、新しい顧客を創造するために活動する機関であると同時に、そこで働く人たちのコミュニティーであることが理想ではないか。

 

働く意味は、「貢献」と「自己実現」にある、と述べているのはドラッカーだが、自己実現目標は個人それぞれである。しかし、貢献の究極の目標は皆同じはずで、その意味で会社は一つのコミュニティーである。

 

もしコミュニティーとしてうまく機能しているならば、上司のパワハラとは無関係になるだろう。皆が目標を共有し助け合って働くならば、パワハラは生まれない。

 

そもそも上司は部下が成果を出せるように働きかける、すなわち「部下を助ける、あるいはサービスする」マネジメントが重要となるが、パワハラでは部下を疲弊させて成果を出せなくなる。

 

だから成果を追求し会社が健全なコミュニティーとして機能しているときに、パワハラは消滅するはずだ。

 

また過重労働による自殺も無くなる。いろいろ施策を講じれば過重労働そのものが無くなる、という意見があるが、それは妄想に過ぎない。健全なコミュニティーだけが問題を解決してくれる。

 

過重労働が無くならない理由は、各メンバーが成果を重視したときに、それぞれの判断で過重労働をしなければいけなくなるシーンを0にできないからだ。もしこれを0にできる、という人がいるとしたら、それは仕事の成果というものを理解していない人だと思う。

 

ゴールのレベルを下げたり、納期を延ばしたりすれば過重労働を0にできるかもしれないが、健全なコミュニティーでは、短期の間であれば効率を求め多少の無理を吸収しても成果を出そうとする。そのほうが気持ちが良いことを健全なコミュニティーは知っている。

 

運動会のかけっこで一番になる気持ちよさを知っている人は、最初に決めたゴールを下げることに違和感を憶えるはずだ。そのような人は自発的に過重労働を選択し成果をあげる傾向にある。

 

過重労働が悪いのではなく、それを無理強いする組織マネジメントや風土が問題だと思っている。自己責任による過重労働まで0にできればよいが、それは難しいだろう。ゴーン氏によれば、社長は24時間働く過重労働をしている、という。会社に一人は過重労働を行う人が必ずいる。

 

 

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2016.12/08 社会のコミュニティー(1)

現代社会には、大きな3つの組織があるという。政府とNPO、そして営利組織としての企業である。これは故ドラッカーの書に書かれている説明だ。

 

そして営利組織としての企業の目標は、顧客の創造にある、と彼は説明する。経済学では利潤の追求こそが企業の目標、と学生時代に習ったが、これを彼はきっぱりと否定している。学生時代にこの一節を読んだとき頭が混乱したことを憶えている。単位こそ取れたが経済学の試験は散々な点であった。

 

この3つの組織はそれぞれ社会のコミュニティーでもあるが、今企業のコミュニティーとしての機能が崩れてきている。それは、企業を退職したOBが所属するコミュニティーへの参加者の減少となって現れている。

 

もっとそれ以前には、慰安旅行がバブル崩壊とともに無くなった。ゴム会社に入社して3年ほどは慰安旅行があった。しかし、それがはとバスツアーに代わって宿泊が無くなり、転職するときには何も無くなっていた。

 

転職の時、送別会の希望を聞かれた。「これだけ貢献したのだから、一泊のゴルフツアーでもやってくれたなら参加する」と応えたら、退職後本当に実現してくれた。お金がどこから出たのか知らないが高価なゴルフセットの記念品も頂き恐縮した記憶がある。幹事と会社に感謝である。

 

ゴム会社には、こうしたコミュニティーとして面白いところがあった(注)が写真会社に転職してその風土の違いにびっくりした。有志だけでも慰安旅行をしようと提案し、一度実現したが、転職した部署がリストラされて消滅してからは、その余裕が当方にも無くなった。ひたすら成果を追い求めた。

 

(注)就職したときのゴム会社の評判として、家族的風土という項目もあった。研修で体験したゴム会社全体の風土は家族的風土だった。しかし、配属された研究所は、社内でも噂されていたような雲の上の組織だった。それでもその風土改革に努力していた役員がいた。とかくアカデミア風の仕事に流れやすい組織長に対し、「女学生より甘い」という渇を発した役員であるが、尊敬している。ゴム会社には、尊敬すべき役員や同期が多数おり今でも交流が続いている。家族的風土が裏目に出ると問題が起きたときに身内を守ろうとする誤った動きをする人も出てくる。転職の原因は、まさにそのような動きで皮肉な出来事だった。

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2016.12/07 家庭(3)

小此木啓吾著「家庭の無い家族の時代」を20年以上前に読んだが、印象的な表現に「感情の容れ物としての家族」という言葉があった。一方で故ドラッカーは家庭こそマネジメントが重要という言葉を残している。

 

もっとも前者の書籍では、家庭が無くなった家族としての集団の問題を扱っているので、この両者を同じまな板の上で論じることはできないだろう。また、今の時代は、前者のタイトル通りの時代で、それを象徴するかのような事件が多い。

 

当方は時代の流れに逆らって、あくまで家庭を守ってきた。家庭というコミュニティーを作ろうと努力してきた、と言ったほうが正しいのかもしれない。この努力の結果は、仕事のやり方も変えた。会社で実験を行い、そのまとめを家族が寝てから行うようなスタイルになったのだ。

 

すなわち自宅に会社のデータを持ち帰るスタイルである。当時は今ほど情報管理が厳しくなかったことや、仕事を持ち帰ることが常識化していた時代でもあるので、自然とそのようなスタイルになった。

 

このようなスタイルになっておもしろい発見があった。新しいアイデアというものは頭の中の切り替え回数が多いほど出やすい、ということである。仕事だけではなく、家庭の中にも様々な問題が発生する。全く異質な問題を同時に考えなければいけない時もあるが、面白いのはそのような作業で視点の広がりに気がついたのである。

 

家族との会話も大切である。ストレスがたまるとその余裕が無くなるが、その余裕の無くなった状態を家族との会話から知ることができる。仕事に追い詰められているような状態では良いアイデアが出にくいと感じているので、家庭があることで自分の状態を客観的に捉えることができるのは都合が良い。

 

ワークライフバランスが世の流れだが、家庭を大切にしようと努力すれば自然にそのバランスがとれると思っている。不器用を理由にその難しさを語る人がいるが、働く時には貢献を心がけ、家庭を大切にする気持ちを持ち続ければ何とかなる。

 

高度経済成長の時代にマイホーム主義やスーダラ社員などという言葉が時代の象徴として新聞に載っていたが、一方でモーレツ社員の時代でもあった。次第に重要なコミュニティーである家庭が崩壊していき、労働と生活のバランスをとれなくなった。

 

会社で上司に叱られたとしても家庭があれば癒やされる。上司は2-3年すればいなくなるが(注)、家族とは一生のつきあいである。ごまをするならば上司よりも女房に対してすった方が効果的だ。32年のサラリーマン生活で勘違いしている多くの人を見てきた。

 

給与がそれほど上がらなくなった現代において、改めて家庭の重要性を考えた方が良いと思っている。失われた家庭を再構築し大切にすれば企業の生産性があがる、とさえ思っている。

 

(注)会社組織における上下関係を必要以上に大切にしても長い人生では大きな報酬として返ってこない。ここでいう大きな報酬とは数千万円も給与がもらえる役員まで出世することだ。理想的な組織であれば本音で貢献し成果を出せば必ず出世できるはずで、そうでない組織がほとんどだ。組織全体が仲良しクラブになっているのが日本企業の実体で、バブル崩壊後20年という停滞の原因でもある。ひどい会社になると成果の中心人物には何も報いず、その報酬を何もしなかった人に与える組織もある。もっとひどいのは、成果を出しても昇進させず左遷する組織もあった。致命的なのは、会社のPCを私物化し息子にプレゼントしたり、会社に来て何も仕事をせず図書室で本を読んでいる人に降格もできないような組織である。間違った人事はごますりが横行する会社風土を創り出す。もしいくらかけ声をかけても社内風土を変革できない会社があるとすれば、人事評価制度を点検した方が良い。

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2016.12/06 家庭(2)

高純度SiCの事業化を一人で担当していて大変な時期の頃の話。1階がパイロットプラントで二階が実験室のファインセラミックス棟(FC棟)を一人で使用していた。上司からは、FC棟の設備を廃棄するように促されたが、一方で職場訪問で訪れた社長からは、「がんばっとるなア、楽しみにしている」と励まされてどうしてよいか分からない状態だった。

 

ただ、当時高度でユニークな技術であることに関しては自信があったので、マーケットを見つける努力を続けていた。お手伝いをしていたLiイオン二次電池のテーマが日本化学会技術賞を受賞すると、高純度SiCのテーマに対する風当たりが研究所内で強くなった、精神的には大変な時で、FC棟まで独身寮から歩いて二分という生活を続けるには限界があった。

 

同僚の友人が息抜きにパーティーに誘ってくれたのだが、このような状態では落ち着いて談笑などできなかった。しかし、その友人の結婚式披露宴の司会を頼まれたときには、友人の一生に一回のパーティーになるはずなので、その準備とともに仕事のストレスも十分に解消するよう一ヶ月前から準備し、結婚式前1週間は定時退社に努力した。

 

このような努力の甲斐があって、司会の大役を無事こなすとともにその半年後には同じ場所で当方も結婚式を挙げることになり、家庭を持つことができた。仕事のストレスで隘路に迷い込んだときには、一度生活全体をリセットする必要があるが、なかなか自発的にはうまくできない。これは身近な第三者の存在が重要だという典型事例だろう。

 

こうして会社生活とは異なる家庭というコミュニティーを持つに至ったが、家庭が職場から一時間という距離のせいか、仕事のやり方も大きく変わった。独身の時のような仕事と私生活がシームレスの状態から、気持ちを切り替えなければ生きてゆけない生活環境となった。その結果、学位論文の執筆も進むようになった。

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