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2017.12/14 個人と組織の誠実と真摯

昨日相撲協会危機管理委員会は、貴乃花部屋へ貴乃岩の事情聴取に応じるようにお願いに行くパフォーマンスをマスコミの前で演じていた。

 

そして、このような話はFAXではなんだから、といって、協会は誠実と真摯を演じているように思われた。

 

確かに昨日の状態だけを見れば,組織に反発している貴乃花は悪役となるが、日馬富士問題の一番の問題は協会の隠蔽体質にある。

 

貴乃花親方は、最初から法的裁きの結論が出てから協会の事情聴取に応じると言っていたので、協会の昨日の行動は誠実真摯からの行動ではなく、明らかにパフォーマンスである。

 

しかし、協会が必死になるのも訳があり、法的裁きが出る前に貴乃岩から示談を取り付けたいのが本音なのだろう。このあたりはワイドショーでも詳しく説明しているが、示談が成立しておれば、不起訴となり、示談が無ければ、日馬富士は起訴されて前科一犯となる。

 

協会としては、元横綱の前科一犯を避けたい狙いがあるのだろうが、これはもう日馬富士に前科一犯となっていただく以外に収拾がつかないと思う。

 

事の発端は、社会の中で傷害事件を起こしても、それを協会は隠蔽して、日馬富士を3日間今場所に出場させていたのである。明らかに日本相撲協会や日馬富士は悪い。

 

これに対して、貴乃花は誠実真摯に対応しているのである。その結果、協会からペナルティーを受けるかもしれないが、それでもやむなしとかたくなとも思われる行動を取っているのだ。

 

情報化時代の組織は、悪事に対して隠蔽を考えることは命取りとなる。仮に内輪もめであっても法に触れたなら反響が小さいうちに謝罪した方が良い。

 

日馬富士問題では、事件後すぐに日馬富士が謝罪し今場所を休場しておれば、ここまで問題が大きくならなかったと思われる。

 

 

カテゴリー : 一般

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2017.12/13 高分子の難燃化技術(2)

ポリウレタンの変性剤となるホスファゼンの分子設計は、アルバイトで大量合成を行っていたときに、学会へ投稿する論文としてまとめていた新規化合物のジアミノ体を用いることにした。

 

新規物質であったが論文にまとめるために各種特性値の評価も終わっていたので当方にとって扱いやすかった。またジアミノ体であり、イソシアネート化合物とのプレポリマー化も容易だった。

 

実際に軟質ポリウレタンの原料として汎用的に用いられるTDI-80との反応性を評価してみると、ジアミノホスファゼンが4官能であるにもかかわらず、2官能化合物として振る舞ったので軟質ポリウレタンフォームの変性剤として適していた。

 

1kgのホスファゼンは、大学院修了後の上京するまでのおよそ30日間を遊ばずに大学の研究室のために無料奉仕したご褒美を頂いたような気持ちだった。プレポリマー化から軟質ポリウレタン発泡体合成に成功するまでに1ケ月もかからなかった。

 

軟質ポリウレタンフォームの企画ができると同時にプロトタイプの難燃性発泡体も合成できた。ゆえに美人の上司も安心してこの企画を課長である主任研究員に説明したので、新人発表テーマとして登録された。

カテゴリー : 一般 連載 電気/電子材料 高分子

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2017.12/12 ドラッカーの遺言(4)

白鵬に対する相撲協会の姿勢は、しばしば企業でも見られる。その影響で、最近の若い人の中には管理職になりたくない人が増えてきていると言われている。

 

今回の日馬富士の問題は、貴乃花が毅然とした態度をとったことにより、世間に相撲協会のガバナンスの問題だけでなく、あるべき姿を実現しようとする時の個人にかかる組織のプレッシャーが見える化された。

 

相撲界から暴力追放の流れの中で起きた日馬富士問題において相撲協会の重要な仕事は、「暴力に対する毅然とした対応をとること」であったはずだ。この仕事がまず第一である。この仕事の中で、親方である貴乃花は必死で弟子の貴の岩を守っているのである。

 

相撲協会は、焦点をこの仕事に合わせるべきだったが、それをしなかったのである。その結果、親方という重責を必死で果たそうとする貴乃花にその責務以上のプレッシャーを与えることになり、親方のかたくなまでの姿勢に導いた。

 

これはマネジメントとしてみたときに、もっともやってはいけないことと、ドラッカーは述べている。すなわち、人が責任という重荷を負うためには、焦点をその仕事に合わせたマネジメントがなされなければいけない、とドラッカーは「マネジメント」の中で説明している。

 

企業の中でもしばしば中間管理職は、貴乃花のような境遇に晒される。このような状況を若い人が見たらどう感じるのか。

 

正しい仕事の責任を遂行しようとしたときに組織の誤ったプレッシャーに晒されたならば責任を果たすことが難しくなる。相撲協会を事例に、本来の仕事以外に社員の行動を制約したときに生じるマネジメント上の問題を考える機会である。

カテゴリー : 一般

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2017.12/11 ドラッカーの遺言(3)

ドラッカーは、社会が大きく3つの組織で成り立っているとした。一つは企業(組織)であり、価値の創造と創造された価値をもとに利潤を大きくし持続的な成長を目指す組織である。

 

他は、サービスという価値を社会に提供し、特に利潤の追求を行わないNPOという組織と、社会に生み出された利潤を再配分する組織、すなわち政府である。この3つの組織で現代社会が成り立っていると説明している。

 

そしてそれぞれの組織のベクトルは健全な社会の持続的発展という一つの方向に向いている。ゆえに、各組織で働く知識労働者は本来皆誠実かつ真摯であるべきだが、そのような状態は無理である。

 

そこで、ドラッカーはリーダーの役割の一つに次世代のリーダーを選ぶときに気をつけることは、誠実かつ真摯な人を選ぶことだと明確に言っている。

 

横綱は、ただ強いだけではだめでその品格までも高いことが求められており、まさに力士のリーダー的立場である。ゆえに日馬富士が引退に追い込まれたのは当然で、白鵬も同様の責めを本来は負うべきである。

 

しかし相撲協会は白鵬に対する指導は腰砕けであるばかりか、腫物を触るような扱いをしており、このままではつぶれかねない組織の状況である。

 

白鵬が、何故警察で7時間以上もの事情聴取を受けねばならなかったのか、またすでに公開された事実からみても、今回の事件で負わなければいけない彼の責任は十分に大きい。日馬富士も恨みに思っているかもしれない。

 

ところで先日東芝の社長、会長を歴任し経団連副会長まで務めた西田厚聡氏がお亡くなりになったという。東芝を現在の状態にしたリーダーの一人だが、さすがに葬儀を社葬で行うとはならなかったようだ。

 

誠実な人材をリーダーに選ぶことができなかった場合に会社がどうなるかは東芝の人事から学ぶとよいかもしれない。誠実で真摯な人材をリーダーに選ぶことの難しさもドラッカーは語っている。サラリーマン生活で見てきたのは、リーダーが悪い場合に、良貨を悪貨が駆逐する社会である。

カテゴリー : 一般

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2017.12/10 プログラミング(4)

エージェント指向については、20世紀の終わり頃から研究開発が進められ,人工知能のプログラムとして実用化されている。今いろいろと話題になっている人工知能もプログラムで動いているのだ。だから人工知能ごとに性能が異なることになる。

 

人工知能の性能を決めるのはプログラムだけでなく、最初にコンピューターに学ばせる教師データも重要だ。この完成度が低いとやはり人工知能の性能も低くなる。

 

コンピューターが動作するためには、プログラムとデータが必要であることは人工知能の動く説明を読むと理解できるが、エージェント指向については、実際にどのようなプログラミングスタイルになるのか理解できていない。

 

映画「マトリックス」に描かれた世界がエージェント指向らしいのだが、当方にはオブジェクト指向の延長線上で各オブジェクトがエージェントとなってターゲットを追いかけているようにしか見えなかった。

 

オブジェクト指向の言語仕様では、オブジェクトが自律的に動作しうるようにはなっていない。だからエージェント指向はオブジェクト指向にこの「自律的」振る舞いができるような改良をした仕様になるであろう事は、「マトリックス」の派手なワイアーアクションを見ていて感じた。

 

ところで昨日フィギュアースケートグランプリファイナルが終了し、今日は選手達によるエキシビジョンが行われるが、人工知能に演技の「美しさ」の採点ができるのだろうか。

 

演技の正確さや音楽と演技との同期程度は採点ができるかもしれないが、各演技者の表情や円熟した選手が醸し出す独特の雰囲気は人工知能に味わえないのではないか。

 

特に今年のシニア女子選手にはトリプルアクセルや4回転という大技を繰り出す選手がいなくて、ショートでは全員が70点台だった。わずかな美の差が点差となっていたのだ。おそらく人工知能ならば差がつかなかったのではないか。

 

フリーの演技では素人が見ても分かるミスで順位が分かれたが、ショートは誰がトップになってもいいような状態だった。おそらくグレイシーゴールドがでていたなら人工知能は彼女をトップにしたかもしれない。

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2017.12/09 ドラッカーの遺言(2)

日馬富士問題は、相撲界における暴力撲滅を推進している最中に起きている。ゆえに貴乃岩に日馬富士が暴力をふるい、傷口を多数縫い合わせるほどのけがを負わせた事実だけでその後の結果は決まっていた。

 

しかし、ここに相撲協会の隠蔽体質が絡んできて複雑化していった。貴乃花はすぐに警察に届けたが、相撲協会には届けなかった。ただし、彼は巡業部長の役割であるので、すぐに相撲協会に報告すべきだった。

 

貴乃花が届けなかった理由として、届けた場合に示談としてうやむやになるのを恐れた、という意見があるが、ここは届け出て、その後今の様な態度をとり続けるべきだった。

 

これは組織人として、この問題におけるあるべき姿である。仮に相撲協会が示談で話を丸める対応に出てきたとしても、それに応じなければよいだけだ。この時、理事として総意に従うべき、という意見が出るとしたらそれは間違っている。

 

ただし、組織の総意に反する行動をとった時に組織から下されるペナルティーがある。これは甘んじて受けるか、あるいは組織から飛び出すかの判断を個人の立場でしなければいけない。貴乃花は前者を選んだのだが、貴乃岩のケガを警察に届けたときの行動がもとで世間からも批判を浴びることになった。

 

ドラッカーの考え方によれば、警察に届けたときの貴乃花の行動以外は相撲界のリーダーとして合格点となるだろう。リーダーが誠実かつ真摯にふるまったときに貴乃花の様な問題に遭遇するケースは最近企業でも多くなっている。その時組織への対応がどのようであったかは、必ず問われる問題である。

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2017.12/08 プログラミング(3)

プログラミング言語として最初に学ぶのがC#、という方針に異論を唱える人は多いと思う。例えばVisualBASICのほうが簡単、という人がいるかもしれない。しかし、プログラミングについて未経験者ならばどちらでも同じである。

 

今のVisualBASICは、オブジェクト指向の概念が取り込まれており、プログラミングを行う時にC#と同様の考え方が求められる。これは、学ぶ立場から見れば、学びやすいBASICに「制約」ができたことになる。

 

そもそもプログラミング言語が多数開発されてきた背景は、使いやすいように、バグを少なくするように、など様々なニーズをすべて満たすことが難しいからだ。

 

そのなかで、プログラミングパラダイムは重要である。パラダイムは「枠組み」と言われたりするが、プログラミングのスタイルやバグ防止、可読性などプログラミングに使用する言語によってそれらが、学ぶ立場で制約を受ける。

 

この制約のおかげで学びやすい言語や使用しやすい言語、可読性のある言語などの特徴が出てくると思っている。例えば、比較的制約の少ない構造化言語「C」は、初期のBASICの様に学びやすい反面、バグが入り込みやすい。バグがはいることを前提に、バグ取りに便利なルーチンをプログラムの中に書き込む必要がある。

 

制約が少ないので「C」でオブジェクト指向プログラミングを行うことも可能である。「C++」には、かつて「C」のプログラムへコンパイルした後、さらにそのプログラムをコンパイルする、といった手順の処理系も存在した。

 

コンピューターはプログラムが無ければ動かないことはよく知られている。プログラムが無いように思われる人工知能も、実はプログラムで動いている。さらに人工知能が学習するために、先生となるデータも必要だ。

 

この人工知能のプログラムは、映画「マトリックス」で表現されたエージェント指向のパラダイムだそうだ。このエージェント指向については当方も「逆向きの推論のパラダイム」と書かれた映画のパンフレットで学んだ程度であり、詳しく説明できない。

 

人工知能などの高度なプログラムでなくて、計算したり、シミュレーションしたり、あるいは独自のゲームを作るときのプログラムでは、オブジェクト指向のパラダイムを知っておけば十分である。

 

オブジェクト指向を理解できれば、C#もVisualBASICも同程度の難易度の言語となる。次回からオブジェクト指向について説明してゆく。

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2017.12/07 相撲協会の問題

巡業中のモンゴル力士のジャージ姿が問題になっている。それに対して元朝青龍もコメントを出しているが、相撲協会は何も言わない状態だ。このような相撲協会に日本の大相撲を任せておいて良いのだろうか。

 

日本の相撲は、スポーツがグローバル化する中で、あくまでも日本の神事としての立場を守り公益法人化までして、「日本の文化」の一つとして後世に伝える努力をしている。

 

但し、力士については海外の希望者にも門戸を開放しているが、それはあくまでも日本の相撲を前提としてのことだ。これを相撲協会ははっきりと示す責任がある。

 

日馬富士問題で露見した日本相撲協会の問題は、ジャージ問題でさらにその深刻さが明らかになった。指導力を発揮出来ない組織なのだ。

 

現在の状態を放置しているとその先は明確で、相撲の国際化問題へ発展する。これは元高見山の時代に逆戻りだ。この時代の外国人力士の努力のおかげで、現在のモンゴル人力士の厚遇がある。

 

しかし、忘れてはいけないのは、相撲は柔道と異なり「日本の神事」であり、単なるスポーツではないのだ。この基本的なことを十分に理解できていない日本相撲協会は文科省が指導すべきである。政治問題とすべきかもしれない。

 

今の相撲協会は、モンゴル人力士に甘いだけでなく、未だに隠蔽体質であり、暴力問題一つ解決できていない。貴乃花親方に対する批判が今でも出てくるが、彼の真摯な姿勢が無かったら、相撲協会のダメ体質が明るみに出なかった。

 

 

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2017.12/06 プログラミング(2)

プログラミング言語は、これまで数多くの種類が開発されてきた。この理由は、今でも変わらないが、どのような目的でも使いやすい万能言語が存在しなかったからだ。恐らく今後もプログラミング用の新言語が登場すると思われるし、小学校で授業に用いられるのはBASICではない、学びやすい新言語だ。

 

教育の専門家が考えて出した結論だから文句を言うつもりはないが、今の時代に勉強するとしたらC#を勧めたい。C#を学べば、オブジェクト指向という日々の問題解決にも活用できる思考方法を身に着けることもでき、一石二鳥である。

 

ただし、C#をいきなり学習しようとすると、何が何だかわからない人も出てくると思う。少なくともBASICよりも言語仕様そのものが難解である。難解であるが、15歳以上の大人が学ぶのに適している。というのは、少なくとも今後20年間はWINDOWS環境で使われる可能性があり、他のOSへの移植も進んだからだ。

 

また、その言語仕様を見ると、拡張も容易であり、まだまだ成長する可能性のある言語で、プログラミングに便利なように発展すると思われる。どうせ老後に学ぶなら20年間は第一線で使用可能なプログラミング言語を身に着けておきたい。

 

この時、情報工学の参考書を見ると、Cをまず勉強するとよい、と訳の分からないことが書かれていたりする。このあたりは、昔も今も変わらない、専門家視点だ。ド素人が勉強するには、動くプログラムを作ることができて、それをいつまでも使えることこそ実用的である。

 

Cを勉強するのは無駄ではないが、寿命が限られた立場では、少しでも早く自分で動くプログラムを作れて、身に着けた言語を使って死ぬまでプログラミングを楽しめることこそ大切である。ただし100歳以上生きる予定の人ならば、一度Cを学んでみるのもよい。複数のプログラミング言語を学ぶことにより、プログラミングとは何かを学べるからだ。

 

 

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2017.12/05 プログラミング(1)

老後の認知症予防にプログラミングの勉強を始めてはどうだろうか。小学校の学習指導要領にもプログラミングが加わるという。孫の勉強を見るために奮起してC#程度を操れるレベルを目標に努力するのは無駄ではない。

 

WINDOWS環境があれば、無料でC#のプログラミング環境を手に入れることが可能だ。もっともOSの概念を理解していないと環境構築も難しいが、ダウンロードしたソフトウェアーを実行すれば、すべて自動でその環境構築をしてくれる。このままの環境でC#の勉強はできる。

 

C#の使い方を目標に、少しプログラミングについて連載で高分子の難燃化同様に説明してみたい。市販のコンピューター関係の書籍は、現在の年齢になるまで文学書と同じくらいの量を読んできた。今となっては、紙くずにしかならない本も書棚にはある。

 

情報工学の進歩は、コンピューターの進歩であり、同時にプログラミング技術の進歩でもある。FORTRANのような言語仕様は、もう過去の遺物である。これを学ぶのは時間の無駄である。当時は科学計算を行う人は身に着けておくように、と授業で習ったが、その習った2年後にBASICのほうがFORTRANよりも学びやすく実用性のある言語と気がついた(数値の精度を問題視している先生も当時おられたが、すでにBASICで倍精度の数値をサポートしており、数値計算で困ることは無かった。)。

 

しかし、当時の情報工学の本には、プログラミング言語について、プログラマーになる人の視点でしか説明されておらず、BASICは、趣味で扱う低レベルの言語の位置づけだった。プログラミング言語に対する考え方が、使いやすさではなく、専門家向けの観点だった。

 

万人向けに考えたら、当時はBASICもマクロアセンブラーも同程度の敷居の高さの言語だ。そして誰もが入手できたコンピューター用の最適なプログラム言語は、BASICやMACROSだと思った。

 

ただ、出版されていた書籍にはそのような説明は無く、マクロアセンブラーMACROSは専門家向けの言語として位置づけられていた。しかし、動作するプログラムを作って遊ぶ観点では、MACROSはBASICと変わらない難しさだった。但しBASICよりもプログラミングの意味を学ぶには適していた。

 

このようにどのようなプログラミング言語を選択するのかについても、それすら異なる考え方が存在する世界である。それがプログラミングを難しくしている。

 

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