科学の生まれる前の時代にも技術は存在した。この当たり前のことが1970年代の研究所ブームで忘れられたかのように、企業では科学的方法による研究が技術開発の全てと思われるマネジメントが行われた。
社会人のスタートはゴム会社の研究所だったが、この職場も同様だった。しかし、ゴム会社全体はKKDが技術開発の王道であり、新入社員研修では、それを職場研修を通じて学んだ。この時の職場研修にゴム会社の風土と異なる研究所が含まれていなかったのは当然だった。
そもそも科学とは技術開発のための道具であり、それをうまく使いこなすことが重要で、それを追及することが企業の目的ではないはずだ(注)。科学的真理は、誰がどこで実施しても成立しなければならず、またその真理は強固な論理的検証に耐えられなければいけない。
換言すれば、科学で理解できることあるいはできることは、誰でも論理的にたどればそこにたどり着ける。だから科学に裏付けられた差別化技術というものは簡単にリベールされやすいのである。
ところが、科学では説明できないが、技術としてどのような市場においても再現性良く機能する商品をリベールするとなると大変に難しい。例えば高分子科学はこの30年急激に進歩したが、それ以前のタイヤ産業は高い技術障壁が存在した。
(注)技術開発の結果、科学を高めることに貢献している姿が企業の研究所のあるべき姿である。技術開発の成果の一部を研究して学会で発表するなり担当者に学位をとらせるなりすれば良い。企業は他社と差別化できる技術こそ開発しなければいけない。その技術基盤を創造活動により新たなパラダイムとして提案するのが研究所の役目である。
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名古屋金城ふ頭で開業したレゴランドががらすき、というニュースが話題になっている。値段も高く、場所も金城ふ頭では当たり前である。誰が企画したか知らないが、大人の値段を2000円まで下げても行く人がいるかどうか。
もし名古屋でテーマパークのような遊園地を作るなら、南部ではなく北部である。土地は高いかもしれないが栄近辺もよい。久屋公園をレゴランドに変え料金を2000円にしたなら繁盛するに違いない。
なぜ南部がだめなのか。名古屋人は南部へ遊びに行かない。南部に人を集めるために作ったとしたならば、名古屋人の習性を知らない人の企画だろう。
昔、名古屋は大いなる田舎と呼ばれた。すなわち生活習慣や土地柄が大都市と大きく異なるのである。ゆえに名古屋で事業が成功したならば、全国で成功できる実力がついたともいわれたりするぐらいに新事業そのものも難しい土地柄である。
ましてや今まで遊びに行かなかったエリアに何か珍しいところができたからといってそこへ遊びに行く人も少ないので、レゴランドは今後かなり苦戦するだろう。
実は名古屋には無料で遊べる観光資源が豊富な土地で、名古屋に観光に行ったならぜひそこで遊んでほしい。名古屋の魅力を十分に味わうことが可能である。例えば有名どころでは名古屋城のある名城公園。今の季節ならば桜を無料で楽しめる。コンクリートのお城にお金を出して見学をする必要はなく、名城公園を散策するだけで十分に楽しい。
また、ここは名古屋人のデートスポットでもある。春先から夏にかけてお堀沿いの道路には夕方人が乗った車が多数停車している。ほとんど駐車ではあるが、人が乗っているので駐車違反ではない。
デートスポットと言えば東山動物園。昔有名だったが、今はあまりはやらないようだ。これは聞いた話なのであてにならないが、この動物園の池でアベックでボートに乗るとその恋は実らないという伝説もアベックがボートに乗らないので消えたという。
名城公園以外に名古屋駅から徒歩15分の所にあるノリタケの森は、ボーンチャイナや絵画などの美術鑑賞を一部無料で楽しめる。800円だせば、ノリタケの森の大半とその近くにあるトヨタ産業館を楽しめる。トヨタ産業館にはレゴランド同様の遊園地もある。大変コストパフォーマンスの高いテーマパークが名古屋駅周辺に二つもあるのだ。
有料だが、少し足を延ばせば明治村やモンキーセンターがある。それほど高くはないテーマパークだ。特に明治村は、日光江戸村よりもコストパフォーマンスは高い。さらに江戸時代よりも明治時代のほうがおもしろい。
そのほか今は残念ながら閉館しているが、西区にあるパチンコの正村に展示されているパチンコの歴史は圧巻である。ここは大人専用の場所だが再開したらぜひ見に行っていただきたい。
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今初めてプログラミングに取り組むのに最適な言語は、C#だと思う。PYTHONやBASICのほうが易しい、という人がいるが当方はC#をお勧めする。
その理由は、初めてプログラミングを学ぶときに最先端のパラダイムを一緒に身につけることができるからだ。これが不要でExcelの計算で十分だと思う人は、わざわざプログラミングの勉強などする必要はない。
ただ技術者が日常仕事をしているとExcelで不自由を感じることがある。このようなときにはWINDOWS環境に用意されているプログラミング環境を自由に使用できると便利である。
この時Visual BASICがよいのか、C#がよいのか、という議論は無用で、C#を選んでおくと良い。BASICだから易しいと思い取り組んでも、結局はC#と同じパラダイムまで勉強させられる。
すなわちVisual BASICがオブジェクト指向のパラダイムまで拡張されており、それを使いこなすためにはC#と同様の苦労を要求される。
C#を理解できると、BASICやPYTHONの理解は早くなる。逆にBASICやPYTHONに取り組んでC#を学ぶと難解に感じるだろう。
プログラミング言語は一つ学べば十分と思われている方がいるが、プログラミングの世界では、多種類の言語を理解していないと時代の進歩について行けない。
例えば今FORTRANを使ってプログラミングしようとすると大変敷居が高くなっている。コンパイラは無料で提供されているが、学習のための情報が大変少ないのだ。
プログラミング言語には大別すると2種類ある。ただしインタープリタやコンパイラという2種類ではない。BASICやPYTHONのような簡易言語的な言語とC#のような言語である。しかし、簡易言語と言ってもそれを用いるときには最先端のパラダイムの考え方を要求される。
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「「こんなね、人を誹謗するようなことは許さんよ!」「避難者を困らせているのはあなたです」「うるさい!」2017年4月4日午前、復興庁の閣議後記者会見で、今村雅弘復興相(70)がフリージャーナリストの質問に「ブチ切れ」てしまった。」
「その姿はテレビなどでも何度もリピートされ、菅義偉官房長官や公明党・井上義久幹事長からも苦言を呈されるなど、波紋を呼んでいる。今村復興相はなぜブチ切れたのか。」
以上はJ-CASTニュースの冒頭部分の抜き書きである。先日問題となった4月4日の復興相ぶち切れ事件を細かく報じている。このニュースを読むと、きれた復興相も問題だが、同じ内容の質問を言葉を換えて繰り返しくどく質問している記者も大問題である。
「復興相「ちょっと待ってくださいよ。あなたどういう意味で、こうやってやるのか知らないけど(笑)、ここは論争の場じゃありませんから」」
ぶちぎれる前の冷静な一言で、これは場をわきまえない記者を諭している「親切な」言葉である。ここで「親切な」と書いたのは、常識の無い記者に復興相が「親切心」から、「教えなくても良い常識を親切に」問題の記者に教えたのである。
しかし、それでも記者は同じ質問を繰り返し、ここで復興相がぶちぎれている。改めて文章で読むとこの記者は復興相を怒らせるために質問をしていた悪質な行為であることが浮かび上がる。
過去にFDを3回続けて壊され、3枚目では犯人が名乗り出ているような壊し方をされた経験を持つ筆者は、復興相の気持ちが痛いほど分かる。
2回まで上司に職場の問題を冷静に相談していたが、3枚目では自ら犯人(目撃者の証言もあった)に人前でその行為を辞めるように忠告してしまった。
犯人がわかった3枚目でも上司に相談したが、上司は対応してくださらなかったからだ。これは若かった頃の行動であり、もう少し自分の担当している仕事の重さを理解すべきだった、という反省もできるが、アメリカの会社を買収し、リストラの嵐が吹き荒れている社内風土の中で起きた出来事である。
TVで流されている光景だけからは、大人げない復興相の姿しか伝わってこないが、J-CASTニュースのように文章で書かれたものを読むと悪意のある記者の姿が浮かび上がる。
このような場面で気の利いた事務方がおれば、非礼な記者の質問に答えなくても良いとのアドバイスあるいは何らかの行動が取られたと思われるが、官僚も高給を取っていながらぼんやりと仕事をしていたのだろう。
親切心からエネルギーが爆発した70歳でも元気の良い復興相に少し同情する。それなりの立場、それなりの仕事を抱えた人は、どのような場面でも頭を下げることが求められる社会である。おそらくあのような場面で復興相という肩書きが無ければ「元気の良いおじいちゃん」で終わっていたかもしれない。
ぶち切れる人格では大臣が務まらない、と言う理由で大臣辞任を要求するのは、少しおかしいかもしれない。いくら腹が立っても、どのような状態でも冷静で何も言わないのが人格者で大臣としてふさわしいと言われるかもしれないが、親切に指導しているのを理解しない若者に何も対応しないとしたら、それは無責任だろう。やや特殊な評価かもしれないが、礼儀や場をわきまえない若者に対して責任を果たした大臣とも表現できる。
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例えば数値を入力し、計算させるプログラムをC言語で作るならば、入力部分の設計から行わなければならない。
自分だけが使用するプログラムならそれは適当でもよいが、他の人が使用することを考えると、その部分のデザインだけで1日程度かかる。Lattice Cでは、C-Entryというツールが早くから販売されていたのでこれを使用するとそれが2時間程度に短縮される。
ところが現代では統合開発環境でVisual C#を使用すると、1時間もかからない。統合開発環境を立ち上げたときに表示されているフォームにコントロール部品を配置すれば、それでC-Entryよりも見栄えのする入力デザインが完成する。
デザインだけではない。もうそれで立派なプログラムがバックで自動的に書かれているのだ。さらにそのままコンパイルもできる。
例えば、テキストボックスに数値XXを入力して、OKボタンをクリックすると、「「XX」が入力されました」と表示されるプログラムでは、次のように作成して行く。
まず、ツールボックスにある「Label]をフォームにドラッグ&ドロップして2つ貼り付ける。次にテキストボックスとボタンを同様にフォームへ貼り付けてゆく。
この作業において、数値を入力するテキストボックスの位置や、その説明(Label1)、及び出力(Labe12)、OKボタンの位置などを自分の好きなように配置する。これで入力部分のデザインは半分完成する。
MS-DOSの時代からは考えられないような便利な時代になった。ただし、便利になったおかげで、コンピュータのハードウェアに対するアクセスなど考える必要がなくなり、ハードウェアーの動作がさっぱり分からなくなった。
自分に必要なプログラムを必要なときだけ作成する時代になったのだろう。プログラミング環境は30年前よりも格段に良くなった。
簡単な計算プログラムであればExcelで済んでしまう。例えばタグチメソッドのSN比の計算でも一つの実験計画専用にExcelで表作成すれば一応一人で使う分には用足りる。計算結果のグラフも簡単に出せる。
しかし、技術者ならばExcelだけで満足せず、C#に取り組んでほしい。最近はPythonも使いやすくなったがWINDOWS環境ではC#は標準言語となっている。
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MZ-80kを使用していたときには、画面のデザインにあまり関心を払わなかった。CRTが小さくモノクロだったのと画面操作のコマンド類がプログラミング言語で多くサポートされていなかったからだ。
もっとも計算結果を得るだけならばそれで十分だった。グラフが欲しければプリンターやプロッターへ出力していた。当時渡辺測機から本格的なパーソナルプロッターが販売されていた。
画面表示のハードウェアーが貧弱だったので周辺機器が進歩していたのだ。第二精工社のプリンターはCRTよりも精度が高く、プロッターはさらに高精度だった。それらが10万円台で手に入ったのだ。
当時の大卒新入社員の初任給は12万円前後なので1ケ月分の給与で会社で使用している、価格が10倍以上の装置と同程度の性能のハードウェアーが個人で手に入る時代になっていた。
会社で実験したデータは独身寮に持ち帰りMZ80Kで処理していた。ゆえに当時は会社の研修で学んだ統計処理技術をふんだんに実務に用いていた。多変量解析など不要なデータにまで用いていた。
8bitから16bitへ移行する時代にCRTの進歩が著しかった。高精細のCRTが5万円以下で購入できるようになり、手軽にそのハードコピーをとれるようにプリンターのドラバーが設計されていた。ゆえにデータの出力をまずCRTに行うようなプログラムを書く必要があったが、プログラミング環境は貧弱な状態だった。
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学生時代に学んだプログラミング言語はFORTRANだった。現代の様な情報工学など無かったので、コンピューターの授業もその使用法が半分で、残りはその実習だった。一応動作するプログラムを仕上げるまでが単位の条件だった。
分子軌道法の授業では、結構難解なプログラムの一例が印刷物として配布されていたが、結局は単なる見世物の様な状態でそれ以上の説明は無かった。
大学院に進学したころにマイクロコンピューターの論文を読んだ。たまたま図書室に失敗したコピーとして捨てられていたその論文は、衝撃的だった。
とにかくA4前後の大きさのボードにLED表示板がついており、キーボードをつないで入力作業と計算ができるボードコンピューターの紹介だったが、その小ささに驚いた。
機械語で動いている、という説明を理解できず、生協の書店へ飛び込んだが、どの本を読めばよいのかわからず、コンピューターの授業を担当していた教授に相談に行ったら、FORTRANができればよい、と指導された。
しかし、時代の動きは早かった。就職してMZ-80Kを慌てて購入し自分で勉強する以外に道なし、とばかりに、コンピューターにお金をつぎ込んでいった。就職して4年目にはBASICを卒業し、FORTHとアセンブラーが使えるようになっていた。
MZ-80Kで動いていたFORTHは、使いやすかった。もともとFORTHはマイコン用プログラム言語として開発されており、軽量な設計だった。Cを使い始めたのは、PC9801F2を購入し、MS-DOSの不便さからだった。
当時はコンピューターのOS自身が不便であり、ファイル操作も含めDOSレベルのプログラムを作る必要があり、FORTHとかCはその点便利な言語だった。ただ、現在のWINDOWSのプログラミング環境に較べると、コストが高く不便な環境と思い出される。
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転職すべきかどうか、迷うと本当に難しくなる。しかし、自問自答してみて自分が組織の役に立たない、あるいはその組織を許せない、経営者なり上司がおかしい、と思われるのなら、転職すべきである。
ここで私心に囚われると、良い仕事ができない。良い仕事は、働く意味を理解し卓越した成果をあげられたときに実現出来る。良い仕事をした結果が報われるかどうかは別の問題であるが、良い仕事のプロセスから得られた経験は個人の宝となる。
この個人の宝とは仕事の評価とは別の価値であり、自己実現に関わっている。30年以上のサラリーマン生活で組織方針に従い成果を出してきたが、その評価は必ずしも満足なものではなかった。評価は評価者に依存するので評価者が誠実でなければ、成果を他の人の評価にするケースも出てくる。
評価者の経験から成果に対する評価を気にするな、と自信を持っていえる。しかし自分に対する会社の評価が自己評価よりも乖離しているならば組織への貢献ができていないと判断すべきである。あげた成果に対する評価の低さというのは理由はどうであれ、「その」組織に貢献できていない、という評価なのだ。
働く意味は、組織への貢献と自己実現にあり、組織への貢献ができない状況であれば、仮に自己実現環境が良くても、転職という判断が、その意味において誠実かつ真摯である。
組織への貢献の評価は難しい。それは自分の描く組織と上司の描く組織とが一致しているのかどうか確認することが簡単ではないからである。誠実真摯な上司であれば、組織メンバーすべてに組織の役割と使命を明確にするが、不誠実な上司はそれを曖昧にするのである。
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東芝の現在の状況について、「社員は早急に転職すべき」という記事が多い。一方で、政府の動きも含めて東芝をつぶさないように模索する流れができてきた。おそらく東芝という組織は残されるだろう。残される前提で、昨今の早急に転職すべきかどうか、転職経験者である当方の見解を述べてみたい。
まず、他の組織で活躍「したい」と今思っている人は、早急に転職すべきである。それから、ある記事に書かれていたが、「会社の最後を見届けたい」などと感傷的な気分になっている人も、その記事の著者の言うとおり、家族のためにも早急に勤め先を探すべきだろう。
十分に現在の組織運営者である中間管理職や経営者に裏切られたのである。少なくとも明らかに誠実ではない上司の下では働くべきではない。外部に公開されている情報から判断しても東芝の経営者は誠実と真摯さに明らかに欠けている。
何も考えられず右往左往している人はどうするか、そのような方も勤め先が見つかったなら早急に転職されることをお勧めする。また、見つからない場合には、収入額を下げてでも必死で転職された方が東芝が身軽になるから好ましい。
また、会社に残っていても恐らく給与は激減する。半額になる方もおられるかもしれない。身分が保障されるという甘い考えは持たない方が良い。例えば、会社を一度解散し、新会社を立ち上げる手法がとられたならば、過去の労働契約など価値が無くなる。
一方で、破綻しかかっている組織を立て直「したい」、という意欲のある人は、転職「してはいけない」、と申し上げたい。そのような人材が転職したら、本当に東芝は倒産してしまう。
今、東芝の危機を救えるのは、組織を立て直「したい」という意欲のある社員で、そのような人材がもしこの欄を読んでいたなら弊社にご相談ください。職位に合致した戦略と戦術の立案方法を御指導させていただきます。
新入社員のスタートはゴム配合技術者としてスタートしたが、ファインセラミックス分野進出の社長方針が出されても組織が動かなかったので、高純度SiCのテーマを掲げて起業した。苦節6年死の谷を歩き住友金属工業とJVを立ち上げ、これからというときに研究部門の不誠実さと直面し、転職した。組織と個人とのかかわりにおいて、誠実さと真摯さは重要である。
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「2度目の賜杯がするりと逃げた。本割に続き優勝決定戦でも敗れた照ノ富士の目は、風呂場から上がると真っ赤に充血していた。」
これは、WEBに掲載されたスポーツニュースからの引用である。このニュースには、つぎのような説明もあった。
「角界でも有数の酒豪だが、3月に入ってからアルコールを断った。「飲むと負ける気がする」。昨年手術した左膝は完治したかに見えるが、実はまだ回復途上。古傷の右膝痛も抱えている。「目に見えるつらさと、見えないつらさがあるんだよ」と支度部屋では本音も漏れた。」
春場所の千秋楽の一番では、負けた照ノ富士も怪我をおして踏ん張ったのである。また彼にとって春場所はカド番場所でもあった。このことから先日はガチの勝負で生まれたドラマであったことがわかる。
スポーツ観戦で視聴者が感動するのは、シナリオの無いドラマで時にはそこに自分の人生も重ねるからだろう。
「目に見えるつらさと、見えないつらさがあるんだよ」負けた照ノ富士のこの本音は、言い訳として取る人もいるかもしれないが、昨日の名勝負と重ね合わせると何か含蓄のある言葉に思えてくる。
負けたとはいえ、力一杯頑張った力士の言葉故に敗者の単なる弱音ではなく、多くの力士の代弁、あるいは人生力一杯頑張っても報われない人の代弁にも聞こえた。来場所も頑張れ、照ノ富士。そして、今度は主役として、語り継がれる名勝負を生み出して欲しい。
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