2026.06/09 AIとデータ(3)
この半世紀における企業も含めた日本の研究所のAIを巡る景色を書いてみる。すると、10年ぐらい前まで専門家以外は、アメリカのAIブームに注目していなかったのではないかという少し怖くなる疑問が出てくる。
マテリアルズ・インフォマティクス(MI)のブームさえも頓珍漢なブームではなかったかと思えてくる。中国ナノポリスで当方は注目されたが、日本で当方に講演を依頼してきた企業は少ない。
この少ない企業さえ、当方に依頼する前は、某にわかMI研究企業に指導を依頼していた。その結果、当方のオブジェクト指向に注目が集まり、昨年は日本ゴム協会や高分子同友会で講演する機会を得ている。
話がずれたが、日本のMIブームの前にPythonブームがあり、パーセプトロンのような深層学習のアルゴリズムを誰もが無料で使える時代になった。これは、ハードウェアの著しい進歩の恩恵もある。
パソコンのCPU市場では、インテルと対抗する勢力として独自のアーキテクチャを採用したAMDが、多くのパソコンに搭載され始めた。
また、NHKで放送された「AI美空ひばり」は、お茶の間に第三次「AIブーム」を印象付けた。第三次を別扱いにしているのは、第一次と第二次のブームが日本ではこれほど注目されなかったからである。
1960年代に起きた第一次AIブームが終わるころ、当方は学生だった。このブームで逆向きの推論が注目された。
当方は、教養部における有機合成化学の授業でコーリーの「逆合成パラダイム」を学び、図書室でさらに深く学んでアメリカにおけるAIブームの存在を知った。
また、ボブディランの「風に吹かれて」のヒットにより世界的なフォークソングブームとなり、1975年の日本では布施明のシクラメンの香り(小椋佳作詞作曲)が発表された。
そこで卒業論文では、迷わずシクラメンの香りを逆合成で合成できる研究室を選んでいる。そこは世界的な有機金属合成の研究で知られ、スタッフもそのトップとなる研究テーマを推進していた。
ゆえに当方の希望は、その講座で難なく採用されたのだが、大学はこのような講座を教授の定年退官という理由で閉鎖を決定している。
地方の田舎大学では、世界の潮流に関心を持って研究に励む研究者はいなかったのだろう。おそらく当時の学長含め、アメリカにおける第一次AIブームなど知らなかったのではないか。
当方はこの問題を卒論発表会で訴えたが、発表会場は静まり返っていた。あの大学紛争の熱気は浅間山荘事件以降冷え切ってしまっていた。
しかたなく、有機合成の研究をあきらめSiCウィスカーの研究講座へ進学して2年過ごすことになった。セラミックスフィーバーの時に、ゴム会社で正しく研究テーマを設定でき高純度SiCの事業を始めることができたのは、この時の知識があったからである。
ただし、このころの企業の研究所はアカデミアよりアカデミックであり極めて牧歌的雰囲気だったので配属されてびっくりしている。
例えば、リーダーの研究開発本部長は、休日のゴルフに備え役員室でゴルフクラブを振り回し、蛍光灯を割っている。新入社員の当方はたまたまその部屋の前を通った。
秘書の方と蛍光灯の後片付けを行いながら雑談をしている。この役員と最も長くお話しできた唯一の機会である。新入社員など研究所の役員とゆっくりお話しできる時代ではなかった。
忙しい仕事中に蛍光灯の後片付けを手伝ったにもかかわらず、世界初のホスファゼン変性ポリウレタンフォームの工場試作に成功したときには始末書を命じられている。
始末書の話は、この欄で何度も書いているが、こうして当時を思い出すと、当方にとって意味不明だった始末書は口止め指令だったのではないか、と思いたくなった。
ただ、その始末書のおかげで、図書室に1週間籠ることになり、アメリカで生まれたばかりのオブジェクト指向のパラダイムに接し、燃焼時に無機ガラスを生成し高分子を難燃化する新たな技術を企画でき、データ駆動で開発している。
データのまとめを多変量解析で行い、寄与率の考察から燃焼時のガラス生成が難燃化に寄与していることを導いたのだが、このMI研究手法は、認められず、研究のやり直しを命じられ、それを完成させてから工場試作を行った。
燃焼時のガス発生分析や熱分析装置を使用して燃焼途中の資料観察、その他考えられる仮説をいくつか設定し、実験結果をまとめて新入社員テーマ報告会で発表している。
すなわち、MIでモノをまず創り出し、そのモノについて科学的に研究を行う、という手順である。時間切れのため、1年間の新入社員テーマ発表会では工場試作の結果を発表出来なかった。
思い起こせば1年間に、ダッシュポットとバネのモデルによるシミュレーションとカオス混合で開発した樹脂補強ゴムやホスファゼン変性ポリウレタンフォーム、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームと3つも工場試作を行っている。
その中で2テーマ実用化されているので、本部長が、「千の研究でようやく3つ実用化できる」という千三つ理論を蛍光灯の破片を片付けている当方に語っていた研究開発の心得が信じられなかった(注)。
その後、日本ではセラミックスフィーバーが起き、びっくりしたクリントン大統領は、ナノテクノロジーとバイオリファイナリーの二つの国研を立ち上げている。同時に第二次AIブームの成果がアメリカから日本に伝わった。
1970年代のアメリカでは、トランスサイエンスというパラダイムが一部で言われるようになり、1980年代の日本で起きたセラミックスフィーバーでは、セレンディピティーという言葉が流行している。
20世紀は、JAPAN as No.1という書籍がベストセラーになったように、アメリカは日本の研究開発を脅威をもって見ていたが、1980年代の日本はアメリカの状況を軽視していたように思われた。
それで、21世紀の日本では、トランスサイエンスやMIが流行した途端に、AI美空ひばりである。ようやく日本はアメリカの研究開発を脅威として感じるようになったのかもしれない。
アメリカでは、第一次、第二次、第三次AIブームと段階を踏みながら、コンピューターで問題を解く技術を真摯に開発してきた。MIもその一環であり、1970年末にはIBMから多変量解析の統計パッケージが提供され、数理モデルで材料研究できる環境が整っていた。
IBM3033を使い、当方はMIを行っているが、21世紀の日本におけるブームは気の抜けたサイダーのように見えてくる。アメリカでは推論の問題を1970年代に解決し、例えばコーリーの逆合成が生まれている。
ただし、日本でコンピュータを用いて材料の問題を1980年代から科学的研究が唯一の風土で解くためには、科学の方法だけが唯一の問題解決法と信じている周囲のいじめに耐える必要があった。
カローラDXを買えるほどのローンから始まり、FD事件まで大小さまざまないじめの結果、高純度SiC半導体治工具事業を立ち上げ後写真会社へ転職している。
(注)その後、某建築会社向けフェノール樹脂天井材開発や高純度SiC事業の立ち上げを成果として出している。新入社員時代に本部長から千三つ理論を聞かされたが、今でも意味不明である。正しくゴール設定し、研究企画をおこなえば、千の研究から2千以上の事業が生まれるのかもしれないと思っている。また、そのような研究企画を設定できなければ、日本は世界で生き残っていけない。中国では研究など行わず、いきなり工場建設から始まるような面白い現場である。
カテゴリー : 一般
pagetop
