表題のカメラが、大手カメラ店の売り上げNo1になっているという。デジカメでは新製品が登場した月にトップとなることがあるが連続してトップとなるのはヒット商品の兆候というコメントがついていた。
ニコンも国内生産を終了した一眼レフがレンズ交換式ミラーレスに置き換わる流れの中で、リコーはあえて一眼レフの新製品を、それもフルサイズではなくAPS-Cで市場投入してきた。
スペックは現在発売されているAPS-C一眼レフとして最高であり、特にファインダーの見え方は他製品とは比較にならない高品質である。
かつて一眼レフの半分はペンタックスと言われた時代もあったようだが、デジタル化の流れの中でキャノンやニコン、ミノルタ、ソニーに抜かれてブランドだけ残った。
今レンズ交換式ミラーレスのトップはソニーだが、これはミノルタと統合後の一位である。デジタル化の流れとカメラと言う商品が携帯電話の1機能として変化してゆく流れの中で、かつて一眼レフの時代にマニアのあこがれであったニコンは苦戦している。
写真フィルムはすでに富士フィルム1社だけになったが、カメラメーカーはデジタル化の中でパナソニックの参入もあり、複数の生き残りが予想される。これは生産規模が一定量を越えなければ価格が下がらないフィルム事業と異なるとともに、価格の中に占めるブランド価値が大きいためと思われる(注1)。
1970年代に多数存在していたギターメーカーはいくつか倒産し、ヤマハ、モーリス、K-ヤイリ、フジゲン、寺田楽器、東海楽器、ESP、SAGO、SUGI、ディバイザーとなった。ギターの生産を行っていないファブレス企業として、星野楽器(アイバニーズ)、アリアなどがいまだに日本には多数存在する。
半導体事業は簡単に世界で負けてしまったが、日本は隠れたギター生産国である。この事実から第二次産業はどうあるべきかが見えてくる。
フジゲンや寺田楽器、東海楽器のブランド力は弱いが高い生産技術のおかげで、海外ブランドのOEM生産で生き残ってきた。面白いのはES335タイプについては、ギブソン子会社エピフォンが製品名に335とつけているにもかかわらず東海楽器製のほうが評判が高く、価格も高い。
ギブソンは最近倒産しかかって現在ブランドの再構築を行っているが、その様子を市場観察していると面白い。同じギブソンES335でも100万円以上の製品から20万円台まで存在し、20万円台は東海楽器製の同じ価格のコピーギター(注2)よりも品質が悪い。アイバニーズの7万円のギターと比較しても負けている。
ギターも工業製品である限り、ブランドと同様に製品品質を高めない限り市場でのポジションを維持することが難しい事例だろうと思う。
レンズ交換デジカメはキャノンやソニー以外は海外生産となった。ペンタックスは早くから海外生産となっていたがその品質は国内生産品と変わらない。またアイバニーズの20万円以下のギターはすべて東南アジア製だが、粗を必死で探さない限り(例えばハンダ付のハンダ量のばらつき)見つからない。
ブランド戦略が注目されているが、工業製品を見る限りは、まず製品品質が高くなければトップブランドになるのは難しい。
ペンタックスK3がどこまで売り上げを伸ばすのか興味深いが、レンズ交換式APS-Cサイズカメラというカテゴリーで見てもその品質はトップクラスであり、さらに写真撮影という文化的要素を製品に盛り込んでいるので、仮に売れなくなっても歴史に名を遺す名機の1台になると思われる。
(注1)フィルムはブランド価値よりも生産規模により生み出される利益の差が格段に大きい。かつてトップシェアを占めていた小西六工業だが、モノクロからカラーフィルムの流れの中で品質トラブルを起こし、富士フィルムに逆転された。またタイヤ業界では、バイアスタイヤからラジアルタイヤへの流れの中でかつてのトップだったヨコハマタイヤは、品質問題を起こしブリヂストンタイヤに抜かれている。ギターの世界でギブソンがブランド戦略を展開している、と言われているが、その品質をテイラーや日本メーカー以上に高めない限り、かつての輝きを取り戻すことは難しいと思われる。ギターのマーケットを調べてみると高い品質を維持することの重要性を理解できる。ニコンの苦戦について内部の技術者は理解していない可能性がある。すなわち、カメラとして細部を見たときにギブソンと同じく細かい品質に問題があるのだ。とにかくいつかはニコンと思い、ペンタックスからニコンへ乗り換えようとF100を購入したのだが、ニコンへ一本化できなかった。これは品質も含めたペンタックスの商品としての魅力がシェアーを落としても低下していなかったからである。一部の品質についてニコンのカメラは他社と比較にならないぐらい大変優れているが、価格と商品品質のバランスが悪い。詳細は弊社へ問い合わせていただきたい。
(注2)東海楽器は、アコースティックギターについてかつてマーチン社のOEM生産を行うとともにキャッツアイというブランドを展開していた。今キャッツアイはすべて中国製であるが、エレキギターは国内生産であり、ギブソン社のコピー製品と思われる製品を出しており、本家よりも高品質で評判が高い。アウトレットがインターネットで販売されているが、その品質も高くすぐに売り切れる。20年近く前にES335を購入したが、指板やナット、fフォールの加工品質が悪く16万円で売却し7万円でアイバニーズの同等製品を購入したがES335と比較にならないほどの高級品質である。
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研究開発において実験は不可欠である。この実験のやり方について、従来の科学的研究と同様の実験に異議を唱えたのは故田口玄一氏である。
そもそも20世紀に実験とは仮説に基づいて行え、と言われ続けた。ここで仮説とは何らかの現象や法則性を説明するための命題であり、真偽は不明である。この不明な点を明確にするために実験を行え、というのである。
例えば、手元に硬い物質Aがあるとする。この物質が電気を通すならば、電流と電圧の関係が存在し、それは正比例の関係にあることを小学校の理科で学習している。高校生になるとその比例係数が抵抗だと習っている。
このような形式知が身についているので、とりあえず豆電球と物質Aとを直列につなぎ電池を用意して電気が通じるかどうか試してみる。豆電球が点灯すれば物質Aは導電体であることがわかる。
この程度の実験では仮説を立てていない。もし、導電体であることが分かればよいだけならばこの程度の実験で終わりである。
この実験結果を利用して、日常において電池をエネルギー源とした道具の電池ボックスの電極のバネが壊れた時、とりあえずこの物質Aを適当な大きさにして利用することができるかもしれない。
仮に利用できたとしても適当な実験結果で電池ボックスの修理をしてはダメだ、と言っていたのが20世紀である。物質Aが手触り感とか目視でアルミフォイルと分かっていても仮説に基づく実験を要求された科学の時代である。
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昨日トヨタ自動車で入社3年目の若者の自殺に対してパワハラが認定され、社長が謝罪したとの記事があった。入社3年目と言えば、サラリーマンとして会社から一人前に扱われる頃である。
各会社のルールがどのようになっているのかしらないが、当方が入社した時代に2年間は残業申請も認められず、業務の評価査定もつかないルールだった。
すなわち、2年間は見習いとして、とにかく上司の言われるままに仕事をこなし学習する期間であるとの指導が新入社員研修であった。
ゆえにこの2年間は奴隷のように働かせられて退職する同期もいたりする、今ならば信じられないブラック職場も存在したが、大抵はそれが普通だと思っていたから、退職する社員は少なかった(人事部からこの期間の退職は採用年度に差があるとの説明があった)。
研究所に配属された当方は、まだ若かったので1年の予定のテーマを3か月で仕上げるだけの体力があった。実際に「樹脂補強ゴムを用いた防振ゴム」というテーマを3か月で仕上げたところ、職場異動となり混練の神様から美人の指導社員に代わり、難燃性ポリウレタンフォームについて企画のお手伝いを指示された。
そこでホスファゼン変性ポリウレタンフォームを提案し、6か月後には工場試作まで成功させたところ、褒められるかと思っていたら始末書を書くことになった。
2年間査定がつかないのだから、新入社員が仕事をやりすぎたことを理由に始末書を書かせられるのはおかしいと思っていたら、どうも原因は違うところにあり、主任研究員は「テーマを提案したのは君だから君の責任だ、だから始末書を書け」という。
すなわち仕事をやり過ぎたことではなく、ホスファゼンという新素材を工場試作に用いた点が問題となっていたようだ。このあたりはすでに過去にこの欄で書いているので省略するが、この時の上司との会話は明らかにパワハラだった。
当方は新入社員だったので、なぜ新入社員が始末書を書かなくてはいけないのか納得できないことを正直に述べたところ、声が大きい、と小さな声で叱られた。どうも上司は周囲に知られたくないようだ。
小さな声でパワーをかけてくるのだが、上司が小声になればなるほど当方の声はますます大きくなり、始末書を書く書かないの議論はヒートアップしてゆく。タイミングよく指導社員が来て、その場は収まった(管理職だけの大部屋でこのような議論をしていたので他部署の管理職が指導社員を呼び出したようだ)。
その後、燃焼時にガラスを生成して高分子を難燃化する、高純度SiCの技術につながる画期的な発明の企画を提案した始末書を提出している(この難燃化技術については、当時画期的技術であり当方が難燃化セミナーや各種講演会に招聘されるきっかけになっている。ゆえにこの時の始末書は運が良かった、と思い出すことができるが、当時は—。)。
本来はリーダーが責任を取るべきところを残業代も査定もつかない新入社員に責任を取らせるところがすごい会社だと感じたが、当方が偉くなって組織を変革しようというぐらいのうぬぼれもあったので転職など考えなかった。
若い時にはこのような会社内の不条理に悩まされる。不条理だけではない。当方はFDまで壊されるほどの業務妨害も受けたが、まだ生きている。
若い人に是非守っていただきたいことは、「業務上の問題で八方ふさがりとなった時に選択肢として「死」を絶対に考えてはいけない、サラリーマンの最後の選択肢は死ではなく転職である」ということだ。
定年を迎えてみると理解できるのだが、組織で働く立場ではどのような上司同僚と巡り合うのかは運であり、また自分の意志でその組織を選んだ場合には自己責任である。それゆえ、人間の命と引き換えにする理由とはならない。
自己責任と感じたならば、その組織で責任を全うするのか、その組織がそれだけの価値が無いと判断し退職するのかなどが選択肢となる。運が悪いならば諦めるか、思い切って退職し運の流れを変えるのが賢明である。
当方はこの人物の下ならば死ぬほど働いても後悔しない、と思いたくなるようなリーダーに無機材質研究所留学時に出会ったが、それは宝くじに当たるぐらいの確率だったのだろうと思っている。自分の命を懸けるほどの恋は小説になったりするが、それはそれほどの人物に出会うことが夢物語であるからだ。
また、優れたリーダーが日本に溢れているならば、気の利いたコロナ対策が行われていただろうし、もう少しGDPが上がっても良い。不満があるならば夢を持ち、自分がリーダーになる時を待てばよい。それができないならば転職なり退職し、新しい組織を起業する、そうした活動を多くのサラリーマンがすれば、日本はもう少し良くなる。自分で死を選んではだめだ。
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高分子成形体の事業は、コンパウンド技術に関わる事業と成形技術のかかわる事業に分かれている場合が多い。タイヤなど一部のゴム加工業ではコンパウンドから成形体まで一気通貫で行われているが、これは少数派の事業形態である。
その結果、アカデミアでも盛んに成形技術の研究が行われてきたが、コンパウンディングについて研究をしている研究者は少ない。福井大学などごく一部である。
タイヤメーカーではコンパウンディング技術の難しさを十分に理解しているが、成形技術だけで事業を行っているところは、コンパウンドで発生している問題について理解していない企業が多い。
その結果アカデミアに相談したりするので、アカデミアでは「いかなる素性のコンパウンドでも安定な成形加工ができる技術」という途方もない高度なゴールを成形加工技術の研究目標にしていたりする。
アカデミアはこれで良いかもしれないが、事業者としてはとりあえずゴールを実現しなくてはいけないので大変である。実は成形加工技術の問題について、コンパウンディング技術の改良で対応したほうが簡単に解ける場合が多い。
タイヤ会社の技術者は経験知としてそれを知っているので、成形加工技術のゴールをアカデミアのような途方もない高度なところに置いていない。
成形体に問題が出た場合には、コンパウンディング技術者と成形加工技術者が協力して問題解決にあたる。そしてコンパウンディングの問題の難解さに気がつき、コンパウンディング技術に研究開発の重点を置くのである。
企業で成形技術を担当している技術者でも頓珍漢な人がいて、コンパウンドの配合処方や製造プロセスは改良せず、成形プロセスも現状のままで投資をせず問題解決できないかと過去に相談された。
そこで、子会社の敷地の空いている場所に中古の混練機を買って3か月で立ち上げ、問題解決した。
コンパウンドの改良をしたにもかかわらず、社内の相談者は、コンパウンドを子会社から購入する商流なので問題ない、と喜んでいた。成形加工技術では、とかくコンパウンド技術をブラックボックスとしがちだが、弊社にご相談いただければリベールし問題解決いたします。
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ギターは、大別するとクラシックギターとその他に分かれる。その他には、エレキギターも含まれるが、最近はウェスタンギターと呼ばれたフラットトップのスチールギターにもマイクが内蔵されてエレクトリックアコースティックギターと訳の分からない呼び名がついている。
どのように分類するのが適当かどうか当方は知らないが、クラシックギター以外について40年近く前は、アコースティックギターとエレキギターに分かれていた。そしてエレキギターは、フルアコースティックエレキギターとセミアコースティックエレキギター、ソリッドギターという細分類がエレキギターにあったように記憶している。
さて、アコースティックギターについて40年前マーチンはトップブランドであり、エレキギターも手掛けるギブソンと双璧をなしていた。エレキギターについてはギブソンに対抗するブランドとして、フェンダーやモズライトなどが存在した。そして現在のフルアコやセミアコの原型を生み出したのはギブソンの功績である。
ところが最近はアコースティックギターの世界ではテイラーギターがマーチンギターよりも高いシェアーを持っているという。テイラーは1970年代に誕生したギターメーカーだが、加工精度を上げるために徹底した機械加工の導入とギターの構造改良をこの50年間推進してきた。
また、エレクトリックアコースティックギターでは日本のタカミネが国際ブランドだそうで、そもそもアコースティックギターにマイクを最初に実装したのはタカミネとしてその名前が知られているそうだ。
ギブソン社は最近一度倒産しかかって、今新たなブランド戦略を展開しているが、日本のアイバニーズの猛追を受けている。すなわちエレキギターの世界では、日本の星野楽器が展開するアイバニーズが世界ブランドとなっているようだ。
かつては他を寄せ付けない一流ブランドだったマーチンやギブソンが、新興メーカーに抜かれたのは技術革新を行っていなかったためである。そもそもギターと言う楽器で技術革新が必要かどうか、と考えたときに「?」が浮かぶ人が多いかもしれない。当方も退職してギターを練習し始めるまで軽視していた。
クラシックギターがアメリカにわたり、黒人がブルースをそれで演奏するようになって、ドブロギターなどの面白いギターが開発された。これは音を大きくするための方向の開発である。それがエレキギターにつながり、アコースティックギターについても同様に現在のマイク実装タイプが発明された。
技術革新は、ナノテクやエレクトロニクス、ソフトウェアーなど技術分野だけでなく、趣味の世界でも起きている。バイオリンやクラシックギターのようにクラシックの演奏に用いられる楽器は昔のままであることが求められるのかもしれないが、感性に任せた自由な音楽の分野では、新しいリズムが生まれたり、新しい音を求めて楽器の改良も行われたりするのだろう。
このような技術革新の起きている分野では、過去のブランドメーカーでもあぐらをかいていると、高機能高品質の製品を市場に供給するブランドに抜かれてしまう。50年間のギター市場はまさにそのような戦場だったのかもしれない。ギブソンが最近新たなブランド戦略を行っているが、必ずしも市場動向に合致していないようで苦戦しているらしい。
ちなみに30万円のギブソンES335と同じタイプのギターは、アイバニーズブランドならば安いものでネットオークション新品で7万円前後で購入できる。そしてこの7万円前後のアイバニーズのギターは、30万円のES335よりも品質が高く演奏しやすいのである(実際の当方の体験談)。
ちなみに30万円のギブソンES335は10年使用して下取りに出すと20万円前後となる。ビンテージと呼ばれてこれがまた高い値段で売買されているが、新品7万円で売られているギターの品質に負けていてはモノ好きしか購入しない。
このように、クラシックギターのように開発が止まっている商品と未だに開発競争が行われている商品とが共存するところがギターの面白さかもしれない。
マーチンもギブソンも老舗であり、ウェスターンギターを派生させた功労者でもある。しかし、いつの間にか開発者精神を忘れ、新興メーカーに抜かれてしまった。
ちなみにアイバニーズブランドを展開する星野楽器は、創業時は本屋だったのが打楽器を扱うようになって楽器商となった。そして、ギターに関しては一部の半導体メーカーやアップル同様のファブレス企業として昔から事業を展開している。
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昨日日清カップヌードルの新技術が発表された。3日SNSで「さようなら、すべてのふた止めシール、2021年6月4日11時発表」とあったので何事か、と思い期待していた。
そもそもカップヌードルにふた止めシールがついていることなど知らなかった。1984年9月から採用されていたらしいが、お湯を注いだ後いつもふたのヘリを折り曲げひっかけた後、割りばしをその上にのせていた。
このやり方でふたを十分閉じることができていた。当方はカップヌードル誕生時から樹脂製のフォークで食べたことがなく、いつも割りばしを用意していた。
コンビニでサービスの割りばしを頂けない時には、割りばしを束で購入しそれを使っていた。割りばしはいろいろと使い道があったので、無駄にはならなかった。
割りばしの重量があれば、十分にふたの押さえとなったので、ふた止めシールなど気にしたことがなかったわけだが、日清にとってはこのふた止めシールの廃止で年間33tの廃棄プラスチックスを削減できるという。
これは昨今のマイクロプラスチックに配慮した対策と思われるが、ふた止めシールがkg単価280円程度(接着剤やプロセスコストを考慮するとこれ以上かもしれない)だったとすると約1000万円近いコストダウンとなる。すなわち表向きは環境対応だが、コストダウンにもなっている。
頭がいい対策と思われるが、当方のようにその存在を知らなかったお客がいる様な無駄なサービスを長年続けてきた、と言えなくもない。
もともと高分子の環境問題とは、高分子で作らなくても済むものを経済性の問題とサービス向上で世の中に高分子をあふれさせた無駄の多い活動が原因と思われる側面がある。
昔は汚れた古新聞の袋でも我慢して使っていたが、今はきれいなポリエチレンの袋を毎回使い捨てで使用している。衛生的ではあるが、無洗浄のジャガイモを包むならば古新聞でも構わない。ところがデジタル化でその古新聞も半減している。
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一休さんは、屏風に描かれたトラを捕まえてみよ、という問題に、屏風からトラを追い出してくれたならそれを捕まえて見せます、と得意がった。この話は、おかしい問題に対してトンチで応えている「生活に役立つ良い話」として伝承されている。
ただし、質問者の意図に沿って誠実に問題を解決していないことに伝承してきた人たちは気がついていない。質問者は問題の曖昧性のために1本とられたことを反省し無難に物語は完結している。
しかし、質問者の本来の意図は「一休が屏風からトラを追い出すことなどできないので、トラを捕まえることなどできない」、と考えていたわけで、その意図を一休さんが理解し「トラを捕まえようと誠実に努力し問題解決した」のではない点がもやもや感として残る。
この話は、人の意図をわざと理解しようとせずに曖昧な問題のゴールをごまかして、あたかも問題解決したように見せることは人間社会で許されることだ、と不誠実な行いを容認しているとんでもない話ととらえることもできる。
昨日の中間転写ベルトの問題では、おそらく依頼者は半年窓際で何もせずに座っておりリストラされるぐらいなら、豊川へ来て自分の代わりに半年勤めて責任をとって辞めた方がカッコつくだろうと、気を遣ってくれたのかもしれない、と考えた。
当方は、このように善意として解釈し早期退職の決断をしていたので、気楽にこれを本当に解決してやろうという気持ちになった。ただし、この気持ちは、屏風に描かれたトラを追い出して捕まえてみようと考えるようなものである。
不可能な話のように思われるかもしれないが、現代の技術を用いればトラの屏風絵から画像データをサンプリングして仮想空間に生きたトラと一休さんを描き出しトラを捕まえるシーンを見せることはできる。
このアイデアは一休さんの不誠実な答えより誠実かもしれない。屏風のトラも画像なので画像でしめすことは題意に沿っている。質問者は明確に「この屏風のトラ」と限定しているのだ。
実は科学的に考えるとおかしな問題について、非科学的ではあるけれど仮想空間である頭の中で思考実験を行い問題解決する努力は有効である。配合処方もプロセスも変更せず歩留まりを改善するためには、コンパウンドメーカーが夢のようなコンパウンドを提供してくれればよい、という夢物語を容易に描くことができる。
すなわち、夢のようなコンパウンドを製造できるようにコンパウンディングプロセスを工夫する以外に手段が無いことを思考実験で結論をだしているのである。
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15年以上前に、表題の問題解決を相談された。一流コンパウンドメーカーからコンパウンドを購入して、押出成形技術を改良しながら進めてきたが、歩留まりが低すぎてこのままの技術で生産を開始したら事業が赤字になる、という問題である。
この問題について、ゴム会社に入社して現場実習した時の経験知をすぐに生かせる、と当方は考えたのだが、相談者は、とにかく6か月しか時間が無いので、現在の技術のまま歩留まりを上げてほしい、と無茶苦茶なことを言ってきた。
資料は科学的にまとめられていたのに、言っていることはまとまっていない。自分ではもうどうしようもない状態になった時に、人間は必死になる。必死になると科学などどうでもよくて、とにかく助けてほしい、となる。
助けてほしいのだが、自分の進めてきた仕事の成果を評価される状態で完成させてほしい、とさらにムシの良いことを考えたりするので、問題は矛盾を内包し非科学的で難しくなる。
配合処方を見れば問題点がパーコレーション転移と関係していることをすぐに理解できた。すなわちパーコレーション転移を制御するために配合処方を変更しなければ、科学的な解決などできない。
1990年代にパーコレーション転移の制御は話題になっていたので、当時ならば外部のコンパウンドメーカーにコンパウンドを依頼したときに問題点を理解していたはずである。
それを製品化直前まで頭を使わず推進してきたのが一番大きな問題なのだが、製品に採用が決まった責任の重圧から、配合処方もプロセスもそのままの状態で改良をやってほしい、というわけのわからない依頼をしてきた。
相談者に同情しその身代わりになる、と腹をくくれば簡単な問題だった。当時窓際の立場だったので相談者の代わりに責任をとって早期退職をする覚悟をすればよいだけである。
この意思決定ができれば、現在開発中の中間転写ベルトではなく、従来品を使えるように関係部署との調整をしておいて開発を進めればよい。
処方もプロセスもそのままにして何も手を加えることなく歩留まりを上げる改良など、できるわけがないのだ。このような無茶苦茶な問題に対する昔の人の知恵の伝承として一休トンチ話がある。
一休さんならば、屏風からトラを追い出してくれたなら捕まえましょう、というトンチの応用(注)で逃げたのだろうけれど、当方は何とかして自分でトラを屏風から追い出してみようと考えてしまう性分である。
(注)この問題では、ストランド状態で抵抗が安定しているコンパウンドを外部のコンパウンダーから調達していただければ、請け負いましょう、となる。もっとも、それが不可能と分かっていたので当方に相談に来られたのだが—-
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20世紀の問題解決法はQC7つ道具も含めすべてロジックを重視した科学的問題解決法だった。そしてお決まりの手順として、問題解析から始める。
すなわち、問題はすでに設定されている前提で問題解決法が説明されてきた。ここに2つの問題がある。一つはドラッカーがその著書で指摘していたように、設定された問題が正しい問題かどうかである。
二つ目は、科学的に問題を解こうとする姿勢である。問題の中には、科学的に問題を解かなくても、その問題をあきらめて他の方法を選択することにより、目の前の問題が解決してしまう、あるいは目の前の問題が問題でなくなる場合である。すなわち、問題を解かずに放置しても良い場合である。
前者については問題解決法以前の問題であり、「間違った問題を科学的に正しく解いて得られた答えにどのような価値があるのか」とドラッカーは述べている。
後者については、多少のペナルティーを覚悟して問題を解かない、という意思決定が重要となり、科学云々ではなくなる。多少のペナルティーについて科学的に見積もる、といえば受け入れられやすいが、通常ペナルティーの大きさなどは科学的に見積もらなくてもヒューリスティックにはじき出すことは可能である。
実務では、科学的問題解決法うんぬんより前に正しい問題が設定されているのか、あるいは、問題を前にして果敢に意思決定できるかどうか、が極めて重要であり、これによりほとんどの問題が解決してしまう、とドラッカーは述べていた。
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巷で流れている音楽は、ドレミファソラシドというメジャースケールを基本としてメロディが作られ、そこにリズム楽器が加わった形式である。
これは科学誕生直前にバッハが考案した、と説明してしまうと専門家に叱られるかもしれないが、細かいことに目をつぶればあるいは、バッハの平均律から始まった、ととりあえずさせていただきたい。
一方アメリカに奴隷として連れてこられた黒人が、西洋音楽を演奏するためのクラシックギターを使って発明した音楽にブルースがある。このブルースで使用されるブルーノートスケールはドレミ♭ミファソ♭ソラシ♭シドである。
これについて19世紀に白人が黒人に西洋音楽を教えたところ、憂鬱(ブルー)な奇妙な音程で歌いだしたのでブルースと名付けられた、という言い伝えがある。当時の黒人の地位や立場を考えればありうる話、ではない。民族には民族特有の音感からなるスケールが存在するという意味である。
これを理解できるとカラオケで多少音程が外れていてもメロディーとして聴こえておれば笑うべきではない、と思いたくなる。音程から外れる理由はその人の出身地や民族のルーツが影響しているのかもしれないからだ。
メジャースケールと異なりブルーノートの誕生について諸説あるが、とにかく黒人が19世紀に西洋音楽を聴いて歌い始めたのが最初である点は一致している。
さらに黒人は12小節からなるブルースを歌っていた。そこから白人がロックやジャズを生み出している。クラシックの対極にあるポピュラー音楽の大半は、ロックやジャズに影響を受けている。
もしブルースが生まれなかったらポピュラー音楽は平原綾香の楽曲のようなクラシックのカバー曲が溢れていたかもしれない。
音楽の世界では、クラシック(形式知として捉えられる)から解放された結果多種多様な音楽が発展してきた、とみなすことができる。
ところが技術は、20世紀に科学一色で塗りつぶされた。科学誕生以前にも技術の発展はあり、その開発手法も存在したにもかかわらず非科学的と言う理由で排除されてきた。
iPS細胞が非科学的手法で発明された事実をご存じない方が意外と多いことにびっくりしている。山中博士は受賞時のインタビューで熱く語っていたその手法を受賞後は語らなくなったことも一因かもしれない。
技術開発をするときに、特に科学的に開発を進めてきて隘路にはまった時には、一度科学という形式知から思考を解放してやる必要がある。そのため当方のセミナーでは彼のiPS細胞発見時のドラマを話すようにしている。
単なるやってみなければわからない、という体育会系の根性開発も許されるが、現代的には多変量解析やラテン方格の利用が有効で科学で頭が固まった人でも受け入れやすい。さらには弊社の研究開発必勝法も技術開発の一つの方法である。
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