タグチメソッドをなぜカタカナで書く必要があるのかと言うと、そこには田口先生の「アメリカで認められ普及した。それが日本に輸入された」という思いが込められている。
これは戦後日本のQC活動の歴史を知っていると、さらにその裏側が見えてくるのだが、横道にずれるので、ここでは書かない。
タグチメソッドが何故「メソッド」なのかについては少し説明したい。明確になった機能を前にした技術者が、次にどのようなことを考え実験計画を進めながら、その機能について深く考え設計し新しい工学製品を生み出すのかはノウハウである。
タグチメソッドでは、それを「メソッド」としてまとめている。ゆえに田口先生の著書には、「設計段階の品質工学」というタイトルの本がある。
それまでの単なる統計的品質工学では、技術者により生み出された製品を再現よく大量生産するための手法を提供してきた。
しかし、タグチメソッドでは設計段階に技術者がどのように考えると、後工程における生産や消費者の使用においてロバストの高い製品を生み出せるのかについて誰でもロバストの高い設計ができるメソッドとしてまとめている。
タグチメソッドを用いるか用いないかは技術者の自由だが、タグチメソッドを用いると容易にロバストの高い製品を設計できる。弊社では、教条的なタグチメソッドの指導ではなく、実践的な設計段階で技術者が考えるためのツールとしてタグチメソッドを指導している。
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技術者が考える手順は、開発のターゲットとなっている機能が明確になっている時と、機能が不明確なときでは、後者において機能を明確にする手順が加わる以外は同じである。
開発すべき機能が不明確な場合に、機能を明確にする手順については、後日説明するが、開発すべき機能を明確にする作業は、技術者の責任である。これは故田口玄一先生も指摘されていた。
タグチメソッドは、基本機能のSN比について最適化する手法だが、この時の基本機能については、明確に「技術者の責任」と田口先生は言われ、タグチメソッドの結果が再現しないのは、基本機能が間違っているからだ、と明快に語られていた。
さて、開発ターゲットとなる機能が明確になっているときに、技術者は、機能の動作確認のための実験を行い、「考える」ことになる。
ここが、科学において仮説の真偽を検証するために行う実験とは大きく異なる。科学において、実験結果が実験者の意図しない結果であった場合に、科学者は仮説が間違っている、と結論を下す。
技術者は、実験結果について、良かれ悪しかれ統計的判定か検定もしくはSN比を調べ、期待値と大きく異なれば、再現を確認するかあるいは解析のための実験を行う。
そしてその実験結果について、再度判定もしくは検定を行い、機能の動作が改善されているかどうかを確認する(注)。
以上のように技術者の考える手順は科学者のそれと異なる。また、技術者は常に機能の確認を行うために実験を実施するので、否定証明などと言うばかげた実験に走ることはない。
(注)日々の実験において、経験知から統計的検定や判定を省略する場合が多い。単純に平均値と標準偏差を記載してそれで検定や判定の代わりとしている例も存在する。ここで機能確認の実験後単なる代表値だけ記載するのは、昔の技術者と変わらない。現代の技術者は最低限でも平均値と標準偏差ぐらいは残しておきたい。それらが残せないならば、単なる1回の実験データというコメントぐらいつけておくのが後々の役に立つ。
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技術者は、職人+科学者+αの能力が必要だと書いたが、+αは、本能に近いところがある。あるいは本能かもしれない。ファーガソンは心眼として表現していたが、彼の著書を読むと本来人間に備わっている能力のように感じる。
「目で見、匂いを嗅ぎ、触り、持ち上げ、落とす、—–私たちは肉体的感覚の相互作用を通して物を知る。その経験の元締めが心眼であり、思い起こされた現実と思い描く工夫のイメージの座、信じられないほどの能力をもつ不思議な器官である。」
訓練によって誰でも心眼を持てるようになる可能性はある、と当方は思っている。仮に心眼をうまく使えなくても思考実験を丁寧に行えば、自然界の現象から誰でも機能を取り出すことが可能である。これも訓練で何とかなる。
そもそも昔にも技術者がいたことは、古代の遺跡を見れば明らかだ。職人だけでピラミッドなどできない。必ずそれをデザインした人間がいた。
職人の中で+αの能力を備えた人物が現れ、それが技術者として活躍し、ピラミッドを発明した、と考えるのが自然である。
現代は科学という哲学があり、小学校からこれを習う。その結果ファーガソンのいうところの心眼が退化してきた可能性も否定できない。
しかし、科学で二律背反の機能については、技術でなければ解決できないことに気がつくと、「心眼」がどのようなものであれ、技術の考え方を一度学ぶ必要がある。
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技術者が「考える」手順は、科学的方法に準じて行う時もあるが、これだけでは不十分で、実は科学者よりも技術者の方が「考える」手順は難しくなる。
なぜなら、科学者は科学的方法により考えておればそれで済む。しかし、技術者は、ファーガソンの言うところの心眼が必要である。
STAP細胞の騒動の時に、「未熟な科学者」という言葉が飛び出したが、小学校から科学的手順について教育を受けていても未熟という言葉が使われており、この基準に沿うと、技術者になれる人となれない人が出てくる。
科学者さえなれない人は、今の時代技術者になれない。ただし、技術者にはなれないが、職人にはなれる。なぜなら、科学誕生以前には、職人の中から技術者が育っていたからである。
現代の技術者は、職人+科学者+αの能力が要求される。ゴム会社にいたときに、だれでも技術者にはなれるが、科学の研究者は難しい、と言われていた上司がいたが、勘違いがはなはだしい。職人と技術者は異なり、技術者になるのは、科学者よりも難しい。
科学者は、今の時代、まじめに勉強すれば、誰でもなれるのだ。だから、未熟な科学者とは、学習不足の科学者と言い換えても良い。また、科学を理解していないで技術者を名乗っている人は職人である。
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科学という哲学では、科学的な考え方を手順として示している。まず、問題設定については、現象の観察から行う。
そして面白い現象を見つけたら、その面白さ(人によっては「奇妙さ」)について仮説設定し、仮説の真偽を形式知をもとに論理展開し判定する。この手順が科学の「考える手順」である。
ところが、学会などで活動していると、他人のテーマなり、問題意識がそこにあふれているので、それをそのまま拝借して問題設定する研究者が多い。
それでも二流の研究ができるので日本では何とかなるが、一流の研究者を目指すためには、自然現象の中から自分で問題設定できる力を養わなければいけない。
仮説の真偽を判定するために実験が必要になる時もあるが、それより前の問題設定において自然現象の観察のために新たな実験を企画して行わなければいけない。実験が嫌いな人にとって、これが難しいのかもしれないが、とりあえず実験を行ったとする。
この時、どのように現象を観察するのか、あるいはどのような実験計画が組まれて実験を行っていたのかといった問題が発生する。このあたりでうまく考えることができない人がいる。
ところが、そのような研究者は否定証明について天才的能力を発揮したりする。あるいは他人の研究を結果が出る前につまらないものとしてすぐに否定したりする。手に負えないのは、自分で考えることはできなかったが、他人から問題の内容なり現象の解説をされて、怒り出す人だ。
部下が考えることが下手だ、と嘆く前に、部下の指導ができていない、あるいは訓練ができていないことに気がついて頂きたい。
部下の考える力が弱いと思われた方は、弊社にご相談ください。問題発見力から解決力までご指導いたします。
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責任感を持ち、謙虚に現実を眺めて問題設定し、その設定した問題が正しいかどうかよく検討する、と昨日まで説明してきた。
しかし、現実なり現象を責任感を持って、謙虚に眺めてみても問題が良く見えてこない、という人がいる。それは、責任感の意味をよく理解していない人だ。
現実にはいつでもあるべき姿というものがある。社会人とは常に社会のあるべき姿を規範にして生きてゆく努力をしなければならない。
このような不断の心がけをしておれば、あるべき姿と現実との乖離が見えてくる。ドラッカーはこれを「問題」として定義している。
自然現象に対しても同様で、形式知から当たり前の現象が起きていないならば、そこに問題がある。そして問題を引き起こしている機能がある。
ヒューリスティックな解を得るコツの一つに、形式知を総動員して現象を記述してみる方法がある。その時形式知から考えておかしいことが見えてくる。その時新しい機能が見えてくる。
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問題なりテーマなり、考えなければいけないオブジェクトが明確になったら、次にどのような考え方をしたらよいのか。
これはドラッカーが指摘しているように、自分の責任で設定した問題やテーマが、まず正しいか、ということをよく考えるのだ。
正しいか、正しくないかは、〇×のテストで訓練されてきたので、上手な人がいる。まさにそのような方法でも構わないから、オブジェクトが正しいかどうかをよく検討することが「考える」ということである。
このとき、鉛筆やサイコロを転がしていては考える事にならない。あくまでも設定した問題やテーマが、いろいろな視点から眺めてみて正しいかどうかを「考える」のだ。
このプロセスで新たな問題やテーマさらには問題解決のアイデアなどが見えてきたりすることもある。ゆえに、最初に「正しい問題か」と考える事は重要である。
ドラッカーは「正しい問題を考え出せば、それで80%問題解決できたことになる」とさえ言っている。
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昔大学入試問題10傑の一人、小林秀雄著「考えるヒント」を読んだ時に、考え込んでしまった。小林秀雄氏の文章は難解な文章である。
しかし、どこかの対談でご本人自身自分の書いたものを後から読んで訳が分からなかった、と話されていたのを読み、びっくりして考え悩むことを放棄した。
ここでは、そのような難解なヒントを書くつもりはない。しかし、技術者が、現象を見て考えるときには、そこに潜んでいる機能を見出すように現象をよく眺めることだ、と書いても分からない人には訳が分からないだろうと思う。
まず、この点について、当方が心がけていることを書いてみる。考えるためには、「考える」ための対象となる問題なりテーマが必要になる。
そもそも考える事が下手な人は、自分で問題なりテーマを考案したりするのがやはり下手である。
これは、「考える」ということが下手とは、どのようなことかを意味している。頭が悪い、というところに原因を持っていきたくなるところだが、頭が良くても、すなわち、問題さえ与えればパブロフの犬の如く条件反射的に答えをいうことができるぐらい頭の良い人が、問題を考えだす事ができないケースも見てきた。
40年近く、特にゴム会社でそうした頭の良い人を観察した結果、「考える」ことが下手な人の共通点を見つけることができた。それは評論家的であり、自分の責任をいつも意識していない人たちだった。
すなわち、現象を前にしても自分がそこから機能を取り出さなくても誰かが見つけ出したものを奪い取ればよい、ぐらいの気持ちでいる人がいる。実際に当方は何度もアイデアを奪われた経験がある。
まず、自分が考えなければ誰が考えるのか、という責任感を持たなければいけない。これが最初の一歩である。自分で考えてわからない場合には、誰かに頭を下げてでも問題なりテーマを考え出す覚悟なり、謙虚さと責任感が無ければ、問題なりテーマを考え出すことができない。
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科学でわかること、あるいは理解できることと、科学の進歩が遅れているために、あるいは科学で本当に解明できないかもしれない現象の存在をいつの時代でも科学者と技術者は認識していないといけないが、今の科学教育はそれを否定或いは排除するような内容である。
このコロナの流行において、山中博士はファクターXの存在を提唱されていたが、一方でTVでファクターXは非科学的でそんなものは存在しない、と否定されている専門家がおられた。
コロナに感染しやすい人やしにくい人、あるいはコロナに感染しても死ぬ人と死なない人について、科学的にすべて解明されていると言えない状況で、また、それらが科学的に解明できるとも思えない状況で、ファクターXを非科学的と否定する人は、「実験をやる気が起きなかった」と言っていたゴム会社の研究所の先輩と同じである。
せめて、「ファクターXは科学的とは言えないが、ゆえにその存在に期待するのはばかげているかもしれないが、面白い発想である」程度に止めておくべきである。これは忖度ではなく、非科学的なアイデアさえも大切にして考えなければいけない感染爆発状態である。
換言すれば、科学的に説明できなくとも現在の感染爆発を押さえることができれば、日本中が喜ぶ。もし、あるアイデアを実施して感染を抑え込んだ時に、そのアイデアがアマビエと大差が無いという理由で、評価しない人がいたならば、それは命の大切さがよくわかっていない人だ。
科学的ということよりも、何でもよいから命を救うアイデアこそ価値があるのだ。
ポリエチルシリケートとフェノール樹脂とは経験知から工夫すれば均一に混ぜることができるのではないかと考えてはいたが、これが不可能である可能性が高いことは科学の形式知から理解もしていた。
確かに両者をそのまま混ぜることは困難かもしれないが、両者が反応してコポリマーとなったなら、異なる現象が現れる。ただし、両者のコポリマーの研究およびその周辺領域について研究レポートは存在しなかった。
非科学的で、情報もない、それでもフェノール樹脂とポリエチルシリケートとが反応して均一なゲル物ができたときに、それが高純度SiCの理想的な前駆体になることを期待できるならば、チャレンジする価値は十分すぎるほどあると考えた。
当時そのようなことを考えながら、企画を提案したり、全社の募集があった創業50周年記念論文に応募したりしたが、いずれもボツという結果だった。それだけでなく、そうした努力を研究所内でバカにされたりもした。
ここで若い人に教訓だが、仕事がうまく進行しなかったり、組織メンバーから軽蔑されたりしても、それが会社の方針に合致しているならば、あきらめず努力すべきである。必ず会社内には共感し援助してくれる人が現れる。
もしそのような人が現れなかったり、そのようなことを期待できる風土ではなかったりしたら、さっさと転職したほうがよい。社長方針を誰もが無視するような会社に勤務していても、その会社で働き良い貢献を成果としてだすことはできない。
ただし、転職の判断は、広い視野で判断すべきである。FD事件では研究所内で隠蔽化されたために転職を決断した。転職は社内広報にも掲載されるので、誰も隠しようがない最後の手段である。
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リン酸エステルが添加されたホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームは燃焼時に発生する熱で、ホウ酸エステルとリン酸エステルが反応し、ボロンフォスフェートが生成する。
このボロンフォスフェートがホスファゼン同様の高い難燃効果を発揮することが確認されている。この難燃化機構から、高温時に高分子に分散された無機成分の反応が、熱力学的に予想された方向へ素直に進行することが確認された。
これは高純度SiC前駆体高分子を思考実験でデザインするために大変役立った情報である。思考実験は非科学的手法であるが、アイデアを練るには良い方法で当方は良く用いる。
このポリウレタンフォームの難燃化研究で高分子にホスファゼンやホウ酸エステルを均一に分散するコツを経験知として体得した。
この経験知から、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂の組み合わせについて、リアクティブブレンドを行えばよいことは、すぐに頭に浮かんだ。
ただし、均一に混ざる可能性のない組み合わせについて、リアクティブブレンドがうまくゆく保証は無かった。
可能性は未知だったが、ポリエーテルポリオールにホスファゼンをうまく分散できない状況で、プレポリマーのアイデアを思いつきリアクティブブレンドを行い成功した体験があった。
この体験から、科学的な根拠は無いにもかかわらず、経験知の蓄積からポリエチルシリケートとフェノール樹脂を用いて均一な前駆体を合成できるのではないかと考えていた。
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