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2021.06/06 ブランドか品質か

ギターは、大別するとクラシックギターとその他に分かれる。その他には、エレキギターも含まれるが、最近はウェスタンギターと呼ばれたフラットトップのスチールギターにもマイクが内蔵されてエレクトリックアコースティックギターと訳の分からない呼び名がついている。

どのように分類するのが適当かどうか当方は知らないが、クラシックギター以外について40年近く前は、アコースティックギターとエレキギターに分かれていた。そしてエレキギターは、フルアコースティックエレキギターとセミアコースティックエレキギター、ソリッドギターという細分類がエレキギターにあったように記憶している。

さて、アコースティックギターについて40年前マーチンはトップブランドであり、エレキギターも手掛けるギブソンと双璧をなしていた。エレキギターについてはギブソンに対抗するブランドとして、フェンダーやモズライトなどが存在した。そして現在のフルアコやセミアコの原型を生み出したのはギブソンの功績である。

ところが最近はアコースティックギターの世界ではテイラーギターがマーチンギターよりも高いシェアーを持っているという。テイラーは1970年代に誕生したギターメーカーだが、加工精度を上げるために徹底した機械加工の導入とギターの構造改良をこの50年間推進してきた。

また、エレクトリックアコースティックギターでは日本のタカミネが国際ブランドだそうで、そもそもアコースティックギターにマイクを最初に実装したのはタカミネとしてその名前が知られているそうだ。

ギブソン社は最近一度倒産しかかって、今新たなブランド戦略を展開しているが、日本のアイバニーズの猛追を受けている。すなわちエレキギターの世界では、日本の星野楽器が展開するアイバニーズが世界ブランドとなっているようだ。

かつては他を寄せ付けない一流ブランドだったマーチンやギブソンが、新興メーカーに抜かれたのは技術革新を行っていなかったためである。そもそもギターと言う楽器で技術革新が必要かどうか、と考えたときに「?」が浮かぶ人が多いかもしれない。当方も退職してギターを練習し始めるまで軽視していた。

クラシックギターがアメリカにわたり、黒人がブルースをそれで演奏するようになって、ドブロギターなどの面白いギターが開発された。これは音を大きくするための方向の開発である。それがエレキギターにつながり、アコースティックギターについても同様に現在のマイク実装タイプが発明された。

技術革新は、ナノテクやエレクトロニクス、ソフトウェアーなど技術分野だけでなく、趣味の世界でも起きている。バイオリンやクラシックギターのようにクラシックの演奏に用いられる楽器は昔のままであることが求められるのかもしれないが、感性に任せた自由な音楽の分野では、新しいリズムが生まれたり、新しい音を求めて楽器の改良も行われたりするのだろう。

このような技術革新の起きている分野では、過去のブランドメーカーでもあぐらをかいていると、高機能高品質の製品を市場に供給するブランドに抜かれてしまう。50年間のギター市場はまさにそのような戦場だったのかもしれない。ギブソンが最近新たなブランド戦略を行っているが、必ずしも市場動向に合致していないようで苦戦しているらしい。

ちなみに30万円のギブソンES335と同じタイプのギターは、アイバニーズブランドならば安いものでネットオークション新品で7万円前後で購入できる。そしてこの7万円前後のアイバニーズのギターは、30万円のES335よりも品質が高く演奏しやすいのである(実際の当方の体験談)。

ちなみに30万円のギブソンES335は10年使用して下取りに出すと20万円前後となる。ビンテージと呼ばれてこれがまた高い値段で売買されているが、新品7万円で売られているギターの品質に負けていてはモノ好きしか購入しない。

このように、クラシックギターのように開発が止まっている商品と未だに開発競争が行われている商品とが共存するところがギターの面白さかもしれない。

マーチンもギブソンも老舗であり、ウェスターンギターを派生させた功労者でもある。しかし、いつの間にか開発者精神を忘れ、新興メーカーに抜かれてしまった。

ちなみにアイバニーズブランドを展開する星野楽器は、創業時は本屋だったのが打楽器を扱うようになって楽器商となった。そして、ギターに関しては一部の半導体メーカーやアップル同様のファブレス企業として昔から事業を展開している。

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2021.06/05 カップヌードルの環境対応技術

昨日日清カップヌードルの新技術が発表された。3日SNSで「さようなら、すべてのふた止めシール、2021年6月4日11時発表」とあったので何事か、と思い期待していた。

そもそもカップヌードルにふた止めシールがついていることなど知らなかった。1984年9月から採用されていたらしいが、お湯を注いだ後いつもふたのヘリを折り曲げひっかけた後、割りばしをその上にのせていた。

このやり方でふたを十分閉じることができていた。当方はカップヌードル誕生時から樹脂製のフォークで食べたことがなく、いつも割りばしを用意していた。

コンビニでサービスの割りばしを頂けない時には、割りばしを束で購入しそれを使っていた。割りばしはいろいろと使い道があったので、無駄にはならなかった。

割りばしの重量があれば、十分にふたの押さえとなったので、ふた止めシールなど気にしたことがなかったわけだが、日清にとってはこのふた止めシールの廃止で年間33tの廃棄プラスチックスを削減できるという。

これは昨今のマイクロプラスチックに配慮した対策と思われるが、ふた止めシールがkg単価280円程度(接着剤やプロセスコストを考慮するとこれ以上かもしれない)だったとすると約1000万円近いコストダウンとなる。すなわち表向きは環境対応だが、コストダウンにもなっている。

頭がいい対策と思われるが、当方のようにその存在を知らなかったお客がいる様な無駄なサービスを長年続けてきた、と言えなくもない。

もともと高分子の環境問題とは、高分子で作らなくても済むものを経済性の問題とサービス向上で世の中に高分子をあふれさせた無駄の多い活動が原因と思われる側面がある。

昔は汚れた古新聞の袋でも我慢して使っていたが、今はきれいなポリエチレンの袋を毎回使い捨てで使用している。衛生的ではあるが、無洗浄のジャガイモを包むならば古新聞でも構わない。ところがデジタル化でその古新聞も半減している。

カテゴリー : 一般

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2021.06/04 屏風からトラを追い出す

一休さんは、屏風に描かれたトラを捕まえてみよ、という問題に、屏風からトラを追い出してくれたならそれを捕まえて見せます、と得意がった。この話は、おかしい問題に対してトンチで応えている「生活に役立つ良い話」として伝承されている。

ただし、質問者の意図に沿って誠実に問題を解決していないことに伝承してきた人たちは気がついていない。質問者は問題の曖昧性のために1本とられたことを反省し無難に物語は完結している。

しかし、質問者の本来の意図は「一休が屏風からトラを追い出すことなどできないので、トラを捕まえることなどできない」、と考えていたわけで、その意図を一休さんが理解し「トラを捕まえようと誠実に努力し問題解決した」のではない点がもやもや感として残る。

この話は、人の意図をわざと理解しようとせずに曖昧な問題のゴールをごまかして、あたかも問題解決したように見せることは人間社会で許されることだ、と不誠実な行いを容認しているとんでもない話ととらえることもできる。

昨日の中間転写ベルトの問題では、おそらく依頼者は半年窓際で何もせずに座っておりリストラされるぐらいなら、豊川へ来て自分の代わりに半年勤めて責任をとって辞めた方がカッコつくだろうと、気を遣ってくれたのかもしれない、と考えた。

当方は、このように善意として解釈し早期退職の決断をしていたので、気楽にこれを本当に解決してやろうという気持ちになった。ただし、この気持ちは、屏風に描かれたトラを追い出して捕まえてみようと考えるようなものである。

不可能な話のように思われるかもしれないが、現代の技術を用いればトラの屏風絵から画像データをサンプリングして仮想空間に生きたトラと一休さんを描き出しトラを捕まえるシーンを見せることはできる。

このアイデアは一休さんの不誠実な答えより誠実かもしれない。屏風のトラも画像なので画像でしめすことは題意に沿っている。質問者は明確に「この屏風のトラ」と限定しているのだ。

実は科学的に考えるとおかしな問題について、非科学的ではあるけれど仮想空間である頭の中で思考実験を行い問題解決する努力は有効である。配合処方もプロセスも変更せず歩留まりを改善するためには、コンパウンドメーカーが夢のようなコンパウンドを提供してくれればよい、という夢物語を容易に描くことができる。

すなわち、夢のようなコンパウンドを製造できるようにコンパウンディングプロセスを工夫する以外に手段が無いことを思考実験で結論をだしているのである。

カテゴリー : 一般

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2021.06/03 中間転写ベルトの問題

15年以上前に、表題の問題解決を相談された。一流コンパウンドメーカーからコンパウンドを購入して、押出成形技術を改良しながら進めてきたが、歩留まりが低すぎてこのままの技術で生産を開始したら事業が赤字になる、という問題である。

この問題について、ゴム会社に入社して現場実習した時の経験知をすぐに生かせる、と当方は考えたのだが、相談者は、とにかく6か月しか時間が無いので、現在の技術のまま歩留まりを上げてほしい、と無茶苦茶なことを言ってきた。

資料は科学的にまとめられていたのに、言っていることはまとまっていない。自分ではもうどうしようもない状態になった時に、人間は必死になる。必死になると科学などどうでもよくて、とにかく助けてほしい、となる。

助けてほしいのだが、自分の進めてきた仕事の成果を評価される状態で完成させてほしい、とさらにムシの良いことを考えたりするので、問題は矛盾を内包し非科学的で難しくなる。

配合処方を見れば問題点がパーコレーション転移と関係していることをすぐに理解できた。すなわちパーコレーション転移を制御するために配合処方を変更しなければ、科学的な解決などできない。

1990年代にパーコレーション転移の制御は話題になっていたので、当時ならば外部のコンパウンドメーカーにコンパウンドを依頼したときに問題点を理解していたはずである。

それを製品化直前まで頭を使わず推進してきたのが一番大きな問題なのだが、製品に採用が決まった責任の重圧から、配合処方もプロセスもそのままの状態で改良をやってほしい、というわけのわからない依頼をしてきた。

相談者に同情しその身代わりになる、と腹をくくれば簡単な問題だった。当時窓際の立場だったので相談者の代わりに責任をとって早期退職をする覚悟をすればよいだけである。

この意思決定ができれば、現在開発中の中間転写ベルトではなく、従来品を使えるように関係部署との調整をしておいて開発を進めればよい。

処方もプロセスもそのままにして何も手を加えることなく歩留まりを上げる改良など、できるわけがないのだ。このような無茶苦茶な問題に対する昔の人の知恵の伝承として一休トンチ話がある。

一休さんならば、屏風からトラを追い出してくれたなら捕まえましょう、というトンチの応用(注)で逃げたのだろうけれど、当方は何とかして自分でトラを屏風から追い出してみようと考えてしまう性分である。

(注)この問題では、ストランド状態で抵抗が安定しているコンパウンドを外部のコンパウンダーから調達していただければ、請け負いましょう、となる。もっとも、それが不可能と分かっていたので当方に相談に来られたのだが—-

カテゴリー : 一般

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2021.06/02 問題解決法

20世紀の問題解決法はQC7つ道具も含めすべてロジックを重視した科学的問題解決法だった。そしてお決まりの手順として、問題解析から始める。

すなわち、問題はすでに設定されている前提で問題解決法が説明されてきた。ここに2つの問題がある。一つはドラッカーがその著書で指摘していたように、設定された問題が正しい問題かどうかである。

二つ目は、科学的に問題を解こうとする姿勢である。問題の中には、科学的に問題を解かなくても、その問題をあきらめて他の方法を選択することにより、目の前の問題が解決してしまう、あるいは目の前の問題が問題でなくなる場合である。すなわち、問題を解かずに放置しても良い場合である。

前者については問題解決法以前の問題であり、「間違った問題を科学的に正しく解いて得られた答えにどのような価値があるのか」とドラッカーは述べている。

後者については、多少のペナルティーを覚悟して問題を解かない、という意思決定が重要となり、科学云々ではなくなる。多少のペナルティーについて科学的に見積もる、といえば受け入れられやすいが、通常ペナルティーの大きさなどは科学的に見積もらなくてもヒューリスティックにはじき出すことは可能である。

実務では、科学的問題解決法うんぬんより前に正しい問題が設定されているのか、あるいは、問題を前にして果敢に意思決定できるかどうか、が極めて重要であり、これによりほとんどの問題が解決してしまう、とドラッカーは述べていた。

カテゴリー : 一般

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2021.06/01 形式知からの解放

巷で流れている音楽は、ドレミファソラシドというメジャースケールを基本としてメロディが作られ、そこにリズム楽器が加わった形式である。

これは科学誕生直前にバッハが考案した、と説明してしまうと専門家に叱られるかもしれないが、細かいことに目をつぶればあるいは、バッハの平均律から始まった、ととりあえずさせていただきたい。

一方アメリカに奴隷として連れてこられた黒人が、西洋音楽を演奏するためのクラシックギターを使って発明した音楽にブルースがある。このブルースで使用されるブルーノートスケールはドレミ♭ミファソ♭ソラシ♭シドである。

これについて19世紀に白人が黒人に西洋音楽を教えたところ、憂鬱(ブルー)な奇妙な音程で歌いだしたのでブルースと名付けられた、という言い伝えがある。当時の黒人の地位や立場を考えればありうる話、ではない。民族には民族特有の音感からなるスケールが存在するという意味である。

これを理解できるとカラオケで多少音程が外れていてもメロディーとして聴こえておれば笑うべきではない、と思いたくなる。音程から外れる理由はその人の出身地や民族のルーツが影響しているのかもしれないからだ。

メジャースケールと異なりブルーノートの誕生について諸説あるが、とにかく黒人が19世紀に西洋音楽を聴いて歌い始めたのが最初である点は一致している。

さらに黒人は12小節からなるブルースを歌っていた。そこから白人がロックやジャズを生み出している。クラシックの対極にあるポピュラー音楽の大半は、ロックやジャズに影響を受けている。

もしブルースが生まれなかったらポピュラー音楽は平原綾香の楽曲のようなクラシックのカバー曲が溢れていたかもしれない。

音楽の世界では、クラシック(形式知として捉えられる)から解放された結果多種多様な音楽が発展してきた、とみなすことができる。

ところが技術は、20世紀に科学一色で塗りつぶされた。科学誕生以前にも技術の発展はあり、その開発手法も存在したにもかかわらず非科学的と言う理由で排除されてきた。

iPS細胞が非科学的手法で発明された事実をご存じない方が意外と多いことにびっくりしている。山中博士は受賞時のインタビューで熱く語っていたその手法を受賞後は語らなくなったことも一因かもしれない。

技術開発をするときに、特に科学的に開発を進めてきて隘路にはまった時には、一度科学という形式知から思考を解放してやる必要がある。そのため当方のセミナーでは彼のiPS細胞発見時のドラマを話すようにしている。

単なるやってみなければわからない、という体育会系の根性開発も許されるが、現代的には多変量解析やラテン方格の利用が有効で科学で頭が固まった人でも受け入れやすい。さらには弊社の研究開発必勝法も技術開発の一つの方法である。

カテゴリー : 一般

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2021.05/31 科学の視点を外した観察

15年前に特許が公開されているが、PPS/6ナイロン/カーボンの組成で製造された半導体ベルトは、非科学的な高次構造のコンパウンドから製造されている。特許は非科学的でも技術で実現できれば権利として成立する。

フローリー・ハギンズ理論では、PPSと6ナイロンの相溶は否定される。しかし、この半導体ベルトでは、大半の6ナイロンがPPSに相溶している。

この半導体ベルトは、科学の理論で否定される組み合わせにおいて相溶とスピノーダル分解を制御して現れるカーボンのソフト凝集体が分散した高次構造となるように設計した。

すなわち、コンパウンド段階でPPSと6ナイロンとを相溶させて、押出条件の制御により、6ナイロンをわずかにスピノーダル分解を起こして析出させて、カーボンをその相分離し始めた6ナイロン相にソフト凝集体として閉じ込めている。

このような高次構造設計は科学的に考えていては絶対に思いつかないアイデアである。

このようにこのアイデアを話したところ一流コンパウンドメーカーの技術者から笑われたので自分でそのようなコンパウンドを製造できるプラントを建てなければならない事態になり、ゴム会社時代と同様の徹夜業務をする機会に「恵まれた」。

3か月で立ち上げたプラントから目標となるコンパウンドが出来上がった時に、その仕事のために中途採用された若者は腰を抜かしたが、当方はその瞬間それほど感動しなかった。

むしろ非科学的視点で現場観察をして、コンパウンド設計を思いついたときに高純度SiCの合成に初めて成功した時と同様の感動を体験している。

非科学的な機能で制御された現象に出会う機会は多くてもその瞬間を常時とらえるためには、科学で固まった頭を一度ほぐす必要がある。

カテゴリー : 一般 高分子

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2021.05/30 科学の視点

自然現象を観察するときに科学の視点が唯一と信じていると、自然現象に潜んでいる新しい機能を見落とすことがある。これは、これまでの観察経験から科学という哲学の弱点だと思っている。

小学校から科学教育の一環として「観察」を習う。残念なのは、美術で写生を行う時に観察と言う言葉が使われていないことだ。ひどい美術の先生になると見たままを描け、と指導する。今時ならデジカメで撮影すれば一瞬で見たままを描くことが可能だ。

当方が美術の教師ならば、目の前のオブジェクトで感じたことを思うがままにキャンパスに描け、と指導したい。実は写真でも「見たまま」ではなく、感じたままを写すことが可能である(注)。この意味で腕のいい写真家は必ずしも真実を写していない。

理科だろうが美術だろうが自然現象を前にしてそれを記録する、あるいは描くためには観察が重要であるが、観察を必ずしも科学の視点で行う必要は無い。

新しい発見をしたいならば、むしろ科学の視点を外した方が良い。それではどのような視点で観察を行えばよいのか。それは弊社にご相談ください。

(注)そのためにカメラには絞りや感度調整のつまみが存在する。またレンズの画角や、焦点距離その他の因子の使いこなしの写真術がある。今はインスタ映えに注目が集まり、きれいに或いは美しく撮影することに関心が集まっているが、その逆も存在する。美人の人は美しく、そうでない人はそれなりに、という写真フィルムのCMがあったが、そうでない人も美しく写すのが写真術である。ただしこれは科学の視点では許されない。そうでない人をそれなりに写す写真フィルムがよく売れた20世紀は科学の時代である。赤ちゃんをかわいく写すフィルムはシェアーをひっくり返すほど売れなかったようだ。「ママ撮って」というネーミングは良かったが—-。もしかしたらそれなりの人を美しく写すフィルムだったら売れたかもしれない。

カテゴリー : 一般

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2021.05/29 ブルースからフュージョン

ブルースからロックやジャズが生まれ、ロックグループにはブラスを生かしたシカゴなどが登場し、1970年代末にはフュージョンブームが到来した。この音楽の潮流から技術開発の学びがある。

ブルースからロックやジャズと言う異なる音楽ジャンルが誕生したのは、ブルースを2つの視点でとらえたためである。現象から人間に役立つ機能を取り出す技術者も現象を眺めるときには、科学的視点だけでなく非科学の視点でも現象を眺める必要がある。

すなわち20世紀は科学の時代とも言われたが、現象を科学と言う偏った視点で眺めた時代と言うこともできる。自然現象はすべて科学で解明されているわけでもなく、科学に支配された現象が全てではない。

ゆえに現象をいつでも科学の視点だけで眺めていては見逃してしまう機能も存在する。ブルースからジャズやロックが生まれたように、現象から科学的な機能だけでなく、非科学的な機能を取り出す努力も必要だ。

現象から機能を取り出すときにブルースからロックやジャズを生み出したような科学にとらわれない柔軟な視点が求められるが、機能を組み合わせて新たな機能を創り出すときには、フュージョンを生み出したミュージシャンのようなノリが必要だ。

ピコ太郎のPPAPぐらいのレベルまで飛んで行ってもいいと思っている。高純度SiCの前駆体高分子は、およそ混ざり合うことが難しい組み合わせで合成されている。科学にとらわれていては思いつかない組み合わせであり、科学的方法では一生かかってもその合成条件が見つからないかもしれない方法で製造されている。

PPAPが一度ヒットしたら世界中でピコ太郎の物まねをする人が現れたように、高純度SiCの技術が実用化されたら、雨後の筍の如く類似の技術が生まれている。

当方が写真会社で開発したPPS半導体ベルトは、科学的視点と非科学的視点からアプローチして非科学的視点の技術で実用化された。10年以上その技術でPPS半導体ベルトは生産されているが、これは高純度SiCの前駆体とは異なる視点で現象を眺めた成果である。

自然現象をすべて科学で説明できるという思い上がりを反省しなければ、新しい視点を持つことも難しい。現象を眺める姿勢が謙虚になれば、生き方も謙虚になる。謙虚さは人との交流だけでなく自然との接点においても求められる。

カテゴリー : 一般

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2021.05/28 高分子のTg

ガラス転移点(Tg)は、ガラスで観察される比熱変化の生じる温度である。ガラス状態は、無機材料でも高分子材料でも存在する。面白いのは、無機材料の非晶質体では、Tgが存在する場合だけをガラスと呼んで区別している。

高分子材料の非晶質体では、すべてガラス状態という前提でその体系が出来上がっている。面白いのは、Tgを有するはずの高分子材料を熱分析(DSC)したときに、Tgが観察されない現象が時々現れる。

そのようなときは、DSC測定時にTgと思われる温度付近で昇温を一時停止し、少しアニールしてから測定を継続するとTgが現れる。少し怪しいテクニックだが、高分子の研究者ならば皆知っており、論文にDSCを載せる必要がある時に、隠れてこのテクニックを使用している人もいるはずだ。

捏造ではないか、とも言いたくなる姑息な手段だが、何故か学会でも話題になっていない。高分子の非晶質相にはTgが存在しなければいけない前提になっている。そうでなければ高分子の非晶質相はすべてガラス状態という前提が崩れるからだ。

しかし、若い研究者はTgが現れない高分子の非晶質相とはどのようなものなのか考えた方が良い。当方は、考える時間がもったいないので、DSCを測定するときには、あらかじめTg近くの温度で2分ほど昇温を停止し、Tgが現れない状態に会わないようにするが。

カテゴリー : 一般 高分子

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