若い人のために。
昔、ある大学の入学式で太った豚になるよりも痩せたソクラテスになれ、と総長が語った言葉が新聞に取り上げられていた。
早い話が、大学がレジャーランド化し始めたころである。今や東大までタレント養成学校のような状況となり複雑な心境である。
学生の頃一生懸命勉強しなかったら、いつ勉強するのか、と喝入れする意図はなく、将来の老化に備えて学生時代を過ごした方が良い、とアドバイスしたい。
少なくとも30歳ぐらいまでは、勉強に、スポーツに、趣味に真剣に取り組まないと老人になった時に困ることになる。
酒を飲んだり、異性を追いかけることはいくつになってもそれを始めることは可能だ。暴走老人のニュースを見ればわかるように、年をとってできることは、死ぬまで衰えない本能的な行動である。
肉体的老化に対しては、筋肉体操も含め社会に老化を防ぐ情報が溢れているが、知力に対しては、脳科学者の警鐘も含め多くないように思う。
当方は、30歳までにどれだけ知的なことに取り組んだのかが老化を防ぐポイントになると実感している。理由は、30歳過ぎてから取り組んだことで、今この年になって、再度取り組もうという意欲はわかないのだ。
しかし、30歳前に真剣に取り組んだことには抵抗なく再開できることに気がついた。よく60過ぎの老人が新しくチャレンジして、ということがTVで紹介されたりするが、あれは難しいことなので取り上げているのだ。
若い時に多少なりとも体験していないことを老人になってから始めるには、勇気や意欲以外にそれなりの普遍的な技が身についていなければ難しい。
老化について最も悲惨な現象は、まったく新しいことに対する拒否反応だと思う。現在の年齢になって、それを起こさないように努力していても、残された年数を考えるとどうしてもその努力をあきらめてしまう。
若い時には意識したことのない老化という現象について、若い時に備えることが必要な時代になったのではないかと思う。人生100年時代である。コロナ禍で余った遊ぶ時間を新しい知識獲得のための勉強や趣味に使うのは老化対策になる。
年をとってから老化対策を始めても遅い。今月無料WEBセミナーを企画しているので気軽に参加されてはいかが。高分子材料の初歩と問題解決法をテーマとしている。
高分子材料と無縁の人でも老人になってから高分子材料のことを考えなければいけないことになるかもしれない。若いうちに老化対策と思って参加するのも悪くない。無料である。
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ドラッカーの言葉に、二つ以上の世界を持て、という人生に役立つ名言がある。この名言は、「組織の寿命が人の寿命よりも短くなった」という指摘のところに出てくる。
これはどのような意味かというと、人間の寿命が長くなったにもかかわらず、企業の定年は伸びていないので、定年退職後知識労働者は、その知識を持て余すことになる。
また社会財産として知識労働者を眺めてみても、定年退職した知識労働者を遊ばせておくのはもったいない、というものである。
今定年退職後の労働市場には、知識労働者を生かすための人材派遣会社も存在し、定年退職後収入が下がるのを我慢すれば、働き場所を探すのに困らない。
また、求人側も知識よりも肉体を求めている企業が多く、強みが無い知識労働者でも運よく採用されれば、70歳くらいまでは働ける労働市場になっている。
この運よく、というところは注釈を加えると、退職時の肩書が重要であるということだ。この辺りを理解していない若い人が多くなったが、企業で出世するという意味に、定年退職後の労働市場で有利に仕事を選べる特権がある。
この辺り書きにくいこともあるのでここまでにするが、定年退職後は、労働時間は減少する。社会も優しいので爺を長時間働かせるようなことをしない仕組みになっている。
だから給与も安い。驚くのは、年金が無かったら働かない方がまし、という労働条件もある。ゆえに、二つ以上の職場で働いている人も稀にいるが、それは体力と知力に恵まれている人だ。
若い人は知らないだろうが、50歳になると体力や知力の衰えを意識しなければ、それを維持できなくなる。すなわち、老化を意識しそれが進まないように対策を取らないと確実に衰えるスピードは上がる。
このことに気がつかない同僚を何人も見てきたし、老化をうまく隠すテクニシャンも見てきた。老化をうまく隠すテクニシャンは詐欺の要素を持ち合わせている場合もあるので注意が必要だ。
2年ほど前、写真会社の元役員というのが訪ねてきて騙された。その人の再就職先の面接のための資料作りをタダでさせられたのだ。
話がそれたが、小生は運よく50過ぎの時にリストラされたので早期退職を決意することができた。早期退職を決意している小生に、早期退職を勧奨する役員もいたので会社というのは面白い。
早期退職を決意し、昔の趣味だったギターに再度チャレンジし始めた。ところが、カメラ会社との合併、その結果舞い込んできた中間転写ベルトの仕事で頓挫した。
もっとも頓挫した理由は、昔弾けた禁じられた遊びを全然弾けなくなっていて楽しくなかったこともあるが、高価なES335が残った。
今の会社を創業してから会社経営が趣味のようになったが、やはりこれは仕事であって、貢献と自己実現を強いられる。人生を豊かに楽しませるためには、貢献など考えなくても良い趣味が必要である。
コロナ禍となり、友人たちも暇になったのか、オーディオの趣味の友人とメールを交わすようになった。
その一人がクラシックギターを新調するということになり、当方はES335を断捨離で手放した話や、その時に昔の手工ギターがES335よりも安く二束三文だった話をメールに書いた。
このメール後、その手工ギターを修理し始めた話やエレアコに改造した話、オークションにアイバニーズの高いセミアコを高い値段のまま出している楽器店の話など書いていたら、紆余曲折は省略するが、禁じられた遊びを弾けるようになり、その高いセミアコを値切って買ってしまっていた。
今若い時のようにギターを練習する毎日となったが、趣味は楽しいのである。楽しいから趣味なのかもしれない。同じ趣味の人間が集まる楽しみもある。
しかし、コロナ騒動も無ければこのような展開にならなかったのかもしれない、と考えると、今何か新しい趣味を始めるには良いチャンスである。オタク的なものでも構わないと思う。何を趣味としたらよいかわからない人は相談してほしい。
セラミックスから高分子まであらゆる材料を開発してきた経験は、趣味についても役立った。二束三文の値段しかつかなかったアコギを修理と改良で、市販品よりも良い音のするセミアコとすることができた。マーチンやギブソンに劣らないジャパンビンテージギターである。
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1970年代、ボブディランやジョーンバエズ、PPM、サイモンとガーファンクルの影響で日本でフォークギターブームが起きた。
フォークギターは今でいうところのアコースティックギターで、当時はマーチン社のコピーギターが日本で大量に製造された。安いもので1万円以下から高いもので15万円前後である。
当時造られたギターは、今お買い得ビンテージギターとして当時の価格で販売されているケースも見受けられるが、おおむねマーチンやギブソンのビンテージ物に比べると安くて品質が高い。
日本製のビンテージギターで注意しなければいけないのは、塗装だろう。当時メーカー間で塗装技術に差があり、ややべたつくビンテージギターも存在する。
また、そのべたつきを押さえるために軽く上塗りをしているものも存在するので注意が必要である。当方の所有する、当時6万円松岡良治製のアリアギターは塗装は完璧で50年経っても異常は出ていない。
さて、当時ギターを購入しても教則本の少なさに困った。クラシックギター用の教則本(カルカッシ・ギター教則本)はあったが、フォークギター用教則本の種類が少なかった。
当時は耳コピで独習するのが習わしだったそうで、それを知ったのは新譜ジャーナルという雑誌が発行されてからである。最初にひたすら禁じられた遊びを練習していた。
1,2年して学生のためのフォークギターとかタイトルのついた教則本が売出され、その後中川いさと氏や小室等氏といった面々の名前がついた教則本が発売されていった。
社会に出てから独身寮に入ったこともあり、ギターを弾くのをやめてしまい趣味がテニスに代わったが、2000年頃にリストラされ若いころを思い出そうとギターを弾き始めた。
ただ、フォークギターの弦を緩めるの忘れ保管していたので、ギターの下腹部が膨らみ、弦高が3mm以上となり使えない状態だった。そこでES335を購入するとともにジャズギターでも練習しようと入門書を集めた。
その中の一冊ジョー・パスの著書にCAGEDシステムによる運指法が載っていた。これはカルカッシの教則本には載っていなかった画期的運指方法である。
最近ユーチューブに初心者向けギター教室が多数アップロードされているがCAGEDシステム花盛りである。
1970年代はせいぜいコードを押さえギターを打楽器のように扱うのか、クラシックギターの曲を弾くのか、狭い選択肢しかなかったが、今はいろんな奏法の解説がなされている。このような分野でもイノベーションは存在し、進化しているのだ。
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1960年代に研究所ブームが起こり、多くの企業で基礎研究所が設置された。第一次第二次オイルショックが続いた1970年末ごろから石油関連企業において研究所の見直し機運が高まった。
但しこのころは研究テーマの見直し程度であり、本格的な研究所の見直しはバブルがはじけた1990年代である。
ゴム会社では、基礎研究部門は、単なる研究部となり、今はどのような研究を行っているか知らないが、少なくとも化学会における発表を見かけなくなった。
第二次産業における研究部門の役割が、この半世紀に大きく変わった企業が大半だろう。また、半世紀前のような研究所を廃止した企業も多いようだ。
しかし、研究開発活動そのものが無くなったわけではない。市場にイノベーションを起こすためには企業の研究開発が不可欠だからである。
ソフトウェアー業界では、バブルがはじけた頃からアジャイル開発で研究開発の効率を上げるとともに市場変化に研究開発活動を連動させることに成功している。
しかし、第二次産業では、まだそこまでできている企業は少ないだろう。ゴム会社で5年ほど研究開発本部長を務めたU氏は、「まずモノを持ってこい」と研究員に発破をかけたが、当時の研究員にはすこぶる評判が悪かった。
しかし、当方はこのU氏が目指していたあるべき姿がアジャイル開発であることをすぐに理解できた。そして、すぐに実践し、高純度SiCの事業化を手掛けつつ、いくつかの企画を立ち上げている。
残念ながら、電気粘性流体の耐久性向上技術や3種の機能性粉体の開発でゴム会社を去ることになったが、U氏の時に立ち上がった高純度SiCの事業はゴム会社で30年続き、2年前に愛知県のセラミックス会社に事業譲渡されている。
もし、研究開発の効率向上を考えられている企業がございましたらご相談ください。市場にイノベーションを起こし、それと連動した研究開発が可能となるよう指導いたします。
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短時間で知識を吸収したい時には、その道の達人に聞くのが一番である。耳学問を否定する人がいるが、それは情報として聞いているからだめなのであって、達人から知識となるように指導を受ければ、一番手っ取り早く知識を身に着けることができる。
たった3ケ月の指導ではあったが、ゴム会社で樹脂補強ゴムの開発を担当し指導社員から混練のイロハを学んだ経験は、貴重な人生の宝である。
達人がいない時には、どうするか。書物から知識を得ることになるが、この時1冊だけ読んでいては駄目である。知りたい知識について情報をいろんな視点で集める必要がある。
特定のテーマについて、異なる著者の書物を読むと、情報を知識にするまでの時間を短縮できる。1冊をくり返して読むという方法もあるが、異なる著者の同一テーマの書物を複数読むことにより、著者の視点の違いが情報を知識にするときの手がかりとなる。
混練の本を複数購入したのはそのためである。ところが驚いたことにどの本も著者が異なっても同一視点で書かれている。すなわち、混練技術は形式知として完成していたことになる。
指導社員はロール混練さえも当方が退職するまでにその機構が解明されないかもしれない、と言っていた。ゴム会社で長く混練のシミュレーション技術に携わってきた友人に聞いたところ、最近特定のモデル配合でロール混練のシミュレーションがようやくできるようになった段階だそうである。
それにもかかわらず購入した書籍すべてが、完成された学問として混練技術を扱っていた。これは怪しい。複数の書籍を購入したことにより、既存の混練について書かれた教科書がおかしいことを理解できた。
二軸混練機のプラントを基盤技術もない会社で中古機を買い集めて立ち上げるにあたり、知識を身に着けようとしたが、既存の教科書で役立たないことが分かった。
新入社員時代の古いノートを探し出し、それを1週間かけてまとめなおした。このまとめに一部加筆してゴムタイムズ社から出版したのが「ポリマー混練り活用ハンドブック」である。
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プロジェクトが外部からコンパウンドを購入し成形技術だけを開発するのが目標となって進められているときに、コンパウンド会社の力量はプロジェクトの命運を左右する。
だから、コンパウンド会社は国内トップクラスのメーカーとプロジェクトを進めるというのは、一つの判断である。ところがトップクラスの技術力をもってしても解決が難しい問題に遭遇したらどうするか。
このとき、トップクラスのメーカーが誠実真摯な技術者集団であれば、難問に対して謙虚に対応してくれるが、誠実真摯な人間は少ない。
自分が誠実真摯か、と反省してみても結論を出せるものではないので、ドラッカーは誠実真摯に行動することの重要性を説いている。
「素人は黙っとれ」という発言をする人物は、誰が見ても不誠実である。しかし、これまでの経緯をよく理解していないと思われる人間からこれまでの努力を否定されるような話をされたならこのような暴言を吐きたくなる気持ちを理解できる。
結局、「それでは私がコンパウンド開発を始めるがよいか。」と同意を求めたら「勝手にやっとれ」となったので、これまでの流れの仕事はすべて課長に任せて当方はコンパウンド開発を始めた。
素材調達は外部コンパウンドメーカーと同じものを使用しなければならないので、その供給について承諾していただいた。一部は市販されていない材料で簡単な承諾が得られたのは助かった。
最後に二軸混練機のプラントをどうするのか、という難問が残った。見積もりをとったところ自動化ラインを1ライン立ち上げると3億円程度かかるという。
金額の問題だけでなく、二軸混練機の納期は8か月必要という回答が決め手となり、中古機を集めて自分でラインを組み立てることにした。
しかし、ここで新たな問題が発生した。二軸混練機について詳しい人材が社内にいない。結局自分で0から勉強しなければいけないので、10万円前後の高い本を数冊自腹を切って買い込んだ。
軍資金はたまたまゴム会社が旧無機材研に支払った高純度SiCの特許報償を無機材研の先生がくださるというので、それで購入した。ものすごく良いタイミングで勉強のための軍資金が入った。
混練セミナーにも参加したが、驚いたのはゴム会社で指導社員からご指導された内容とセミナーや技術書に書かれた内容は大きく異なっていたことだ。無駄な知識にお金を投じたことになる。
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インターネットの普及により書店が減少し始めて20年以上経過した。今の店舗数は40年前の半分になったと言われている。
当方が社会人になった時に書店は勉強の場だった。街の書店に社会人が読むべき実務書が溢れていた。立ち読みは禁止事項ではなく書店で本を買う時に許される行為として一般的だった。
立ち読みを禁止するような書店には客足が少なかった。また、立ち読みを禁止する店主を茶化すような新聞漫画もあった。
今若い社会人はどのようにして勉強しているのか?部下と直接接していたときには勉強の重要性を訴え、何を勉強しているのか尋ねたりした。盆休みなど任意提出の宿題を与えたりしていた。
今は各種ハラスメントや労働時間管理が厳しいからこんなことをやっていては管理職として問題とされるかもしれない。
当時でさえ、ちいちいぱっぱはやめておけと言っていた役員が写真会社にいた。ゴム会社では奨励されていたのでこれは風土の違いかもしれないが、ちいちいぱっぱを奨励していた会社は業界で世界トップになった。
また、弊社が操業してすぐにその講師として呼んでくれたのはゴム会社であり、その伝統は残っていた。写真会社からはいまだに依頼はない。
退職してもうすぐ10年となるが、街の本屋の減少とともに心配しなくても良いような心配をするようになった。インターネットは情報を得る一つの手段かもしれないが、街の本屋の代わりにはならない。それが理解されているだろうか。
インターネットにあふれているのはあくまでも情報であり、その多くは知識まで昇華できない。電子ブックは一応本であり、街の本屋の代わりとなりうる可能性を秘めているが、弊社創業時にあまりの客の少なさで、投資をしたにも関わらず1年で撤退している。
電子書店を維持するにも費用がかかるのだ。人の勉強の心配など各会社の経営者がすればよいような問題だが、昨今の社会状況を見ると日本の将来が不安になってくる。一方で勉強は自己責任とし、その成果を幹部の選考要素としている企業もある。
確かにこれだけ社会の変化が激しいと、勉強をしないようなサラリーマンは昇進のチャンスだけでなく働ける職場も少なくなる。
学歴だけで昇進や就職が有利となったのは過去の話である。現代は大卒が50%近くとなった高学歴社会なのだ。
当方の時代にすでに高偏差値の大学を出ていても就職口が無かった学生が1割いた。従業員5000人以上の会社へ就職できたのは3割もいない状態になっていた。
AIの登場で消える職業がささやかれているが、コンピューターの登場でたくさんの新事業が生まれたように、AIの登場でおそらく新たな仕事も生まれる。
今回休日を使って無料WEBセミナーを行うことを考案した。無料で儲かるのか、という質問に対しては将来の日本への投資と応えたい。
ポストコロナの時代にはリアルで集まることは難しいがバーチャル空間ならばクラスターを形成することもないだろう。ところがコンピューターにもウィルスが存在するので注意が必要だが、こちらは命に影響はない。
下記無料セミナーに気楽に参加されてはいかがですか。
再掲となるが無料セミナーで予定しているテーマは下記の通りです。なお、時間は2時間で9月26日(13:30-15:30)と27日(13:30-15:30)。
<予定テーマ>
1.9月26日(土曜日):高分子材料の初歩(初めて学ぶ高分子的イメージ)
2.9月27日(日曜日):ヒューリスティックな問題解決法(山勘や直感ではない、正しい問題を即座に解く方法)
今回のセミナー参加者募集は終了致しました。
多数のご参加ありがとうございました。
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安倍晋三首相は28日に病気を理由に退陣表明された。報道各社の論評を読むと、多くが第一次安倍内閣の辞任の時と異なる点をあげている。
ただ、安倍首相の無念さをうまく表現していたのは元AKBの指原氏ぐらいだろう。まさに病気で倒れて突然辞任するよりも、志半ばなれど良いタイミングで辞意を表明したほうが誠実である。わかっていても難しい決断である。
第一次安倍内閣辞任の時と同じように論評していた評論家もいたが、これは明らかに的外れである。今回はかなりの無念な思いが強かったはずだ。
突然決めたような報道ばかりではあるが、当方の経験から1週間以上前に決断していたように思われる。会見では新しい治療法で改善の見通しが得られたことにも言及しており、その説明に当方は「無念な決断」を感じ取った。
当方も6年間死の谷を歩き、住友金属工業とのJVを立ち上げた後FD事件が起き、それが隠蔽化されると知り、辞職する決断をしているが、それでも首相の決断の思いをうまく表現できない。
一国の首相の今回のような局面での辞意表明ならばさらに苦渋の決断だったはずだ。立憲民主党の新党結成党大会を念頭にした辞意表明を取り上げている報道もあるが、これは安倍首相の決断の決め手ではないだろう。
安倍首相の支持率が落ちたと言っても自民党の支持率まで落ちたわけではなく、今後の活動如何では、首相の支持率は回復する可能性が高い中での辞意表明である。
このような決断を行った人物の心中をうまく表現できない評論家や報道各社の記者は、もう少し自分たちを極限ぎりぎりまで追い込んで取材する習慣を心掛けた方が良い。
東京オリンピックまで延期となり、何もかもが中途半端に見える。しかし、経済政策や憲法改正などに少なからず成果がある。むしろこれから成果の刈り取りというタイミングの辞任の決断ともとれる。
その意味でコロナ対策において国民の批判の強くなってきた今よく決断できた、と花見の会や森友学園問題があったとはいえ、辞職を決断したことに敬服している。
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コロナ禍でテレワークが一気に普及した。TVのワイドショーもリモートである。このワイドショーを見ていて気がついたことがある。
大抵のワイドショーは、リモート参加者とスタジオ(会場)参加者の二本立てで、会場参加者は密を避けるように席が配置されている。
この時会場参加者とリモート参加者の顔を見ていると面白い。どちらもライブ感を要求されているはずなのだが、リモート参加者にはそのライブ感をうまく出せないタレントがいる。
例えばホラン千秋氏は、最近リモートから現場に戻ったが、リモートの時にうまくライブ感を出していたにもかかわらず、それは現場でのライブ感と異なることを残酷にも映し出してしまった。
リモートの時の方が活き活きとしていたのだ。現場に戻り、従来の形に戻った瞬間、単なる女性キャスターに戻ってしまった。おそらく彼女は一人でキャスターをやらせた方が光るアナウンサーなのだろう。
これはウェブ会議でも同じである。ライブ感を出そうと思うならばそのための努力が要求される。そしてその要求は、ウェブセミナーでさらに強くなる。モニター相手のライブ感さえ差があるのだ。
そしてその差に気がついたときに、学生時代に自分の適職は教師ではないかと真剣に考えたことを思い出した。
いくらモニターやカメラの画素が細かくなったとしても、その場の空気感まで演出は難しい。テレワークの会議でも十分だ、という経営者はそのもたらす弊害に気がついていないので心配である。
それは高精細画像を見せられて、その場にいる感覚でしょう、と店員に言われたら、その場にいる感覚が欲しければJTBにゆく、と突っ込みたくなる気持ちと似ている。
やはりモニター画像と実際の現場とは空気感なる抽象的なものが異なるのだ。この空気感の違いが生み出すポストコロナ禍のビジネスについてご興味のあるかたはご相談ください。
特に経営者はその問題に敏感でなければいけない。担当者の立場であれば、成果主義の時代ゆえに発生する空気感の乏しさの危機に対応しなければいけない。
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企画書の書き方なる指南書は昔からサラリーマンの必読書となっているが、企画を成功させるために書かれた、よい指南書を見たことが無い。
モノが最初に必要と書いてある本が皆無である、というのがその理由である。その次に重要なのは、関係者の根回しとなるが、これについては2-3冊の指南書に書かれたノウハウを読んだことがある。それらに共通して書かれていたことは、企画書よりも大切だ、という点である。
そしてある一冊には、自分の目指す方向に相手のベクトルを向けさせるためには、その反対方向が地獄であることを理解させればよいと書いてあった。当方はこれを「怖い怖い戦術」としてセミナーでは説明している。
当方は、根回しについて、戦略と戦術が極めて重要だと思っている。中間転写ベルトでは、自社内で完結せず、他社からコンパウンドを購入する体制でプロジェクトが進められていた。
この時他社をどのように位置づけるのかは、戦略上重要である。他社のベクトルを合わせることができたときとできなかった時の両方を考えなければいけない。
すなわち、ここでは他社にイノベーションを起こすような技術開発をどのように進めてもらうのかが重要となってくる。この交渉に成功すれば、交代して半年間、前任者が言っていたように、部長の席に座っているだけで良い。
だから、単身赴任して最初に行った仕事は、コンパウンドメーカーとの打ち合わせであり、部下の課長から紹介していただく形で会議がはじまるよう段取りを決めていた。
しかし、結果から判断すると挨拶だけすればよかったのだが、そこで方針変更の話を持ち出した。これは事前に部下と打ち合わせた段取りであり、その時の手順として間違いではなかったが、予想外にも相手を怒らせてしまったのだ。
確かに自信をもって開発してきたのだから、あと残り半年のところで方針変更と言われたら、カチンとくる技術者もいるかもしれない。
しかし、当方は立場としてお客である。部下とも相手の反発を少し予想していたが、両者の関係から黙って従ってもらえる、という予測だった。
「素人は黙っとれ」という言葉が飛び出した瞬間に、課長が機転を利かせて、残りの打ち合わせはお忙しいでしょうから部屋に戻っていてください、とおさめてくれた。
当方はすぐさまセンター長のところへ飛んで行き、この仕事、半年後には失敗します、私と一緒に責任を取ってください、とお願いした。
センター長は、「***万円でなんとかなるか」と言ってくださったので、当方はコンパウンドメーカーから万が一断られた時のために準備していた戦略をセンター長にご説明した。
センター長は、定年を2年後に控えており、中間転写ベルトが製品として軌道に乗った姿を見て退職することを夢見ていたようだ。そんな気持ちは決裁権の満額である「****万円」という言葉で伝わってきた。
このようなときに迅速に決断できないような上司ならば大変である。赴任先の組織に素晴らしい上司がおられたことに感謝した。あとはこの金額で仕事を成功させるだけである。
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