これは友人N君からの受け売りだが、細菌が身体に入ってくると、マクロファージなどの「何でもパクパク隊」が手当たり次第に食べてしまい、その食後は膿になるそうだ。
ところが、微粒子であるウイルスが入ってくると、マクロファージは小さなウイルスが苦手なため、精鋭部隊のリンパ球(B細胞、T細胞)が登場する。
B細胞は抗体というY字型の手裏剣みたいな飛び道具を放ち、キラーT細胞は刀を振り上げてバッサバッサ外敵を殺していく。
ヘルパーT細胞はB細胞のケツを蹴って励まし、サプレッサーT細胞はキラーT細胞の暴走(時として自分の細胞もやっつける)を防ぐ。
特にリンパ球はウイルスなどの外敵の特徴を記憶できるため、2回目以降の襲来には機敏に戦える。はしか、風しんなどがその例である。
一方、マクロファージ、B細胞、T細胞などは、サイトカインという特殊なたんぱく質を放出する。これは、非常に多種で複雑な機能を持っている。
例えば、インターフェロンはウイルス増殖を抑制するし、TNF(腫瘍壊死因子)は、がん細胞に自殺を命令します。
一度、新型コロナウイルスに感染すると免疫を獲得する(覚えた)ため、二度目の感染は平気となる。これがワクチンという薬の機能である。
生ワクチンは、生きているが病原性を弱めたか無くした細菌やウイルスである(風しん、はしか、おたふく風邪)。 不活性ワクチンは、病原性を無くしたウイルスや細菌の破片である(インフルエンザ、日本脳炎、肺炎球菌など)。
新型コロナウイルスを試薬や熱で叩いて病原性を無くし、色々な大きさの破片を取り出しワクチンとすることが可能である。 それを用いて免疫を獲得するか否かの動物実験を繰り返して、最適な破片の大きさや量を決め、毒性も調べる。
最後に臨床試験(ひと)を繰り返して実用化できる。 これを未感染者に接種して、新型コロナウイルスの特徴をリンパ球などに記憶させ、いつでもいらっしゃい、殺しちゃうからね、状態にする。
今新型コロナウィルスの治療薬とともにワクチン開発が進められているが、ほぼ一年程度その開発にかかるので、とりあえずウィルスにかからないように逃げ回る以外にない。
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阪神藤波選手がコロナウィルスに感染したようだ。先日志村けん氏の感染が大ニュースとなり、重篤となり転院したことまで報じられた。
新型コロナウィルスに著名人が感染するという確率事象は、すべての人が等しい感染確率という前提で考えると、著名人の割合が低いので一般人が感染する確率よりも低くなるはずである。
但し、藤波選手とその同僚2名の合計三名は、いわゆる遊び盛りの年齢であり、一般人よりも金銭的余裕があるので、新型コロナウィルスに感染しやすい傾向にあるかもしれない。
志村けん氏に至っては、これまでの週刊誌報道を見る限り、著名人の中でも感染確率は高いと思われる。
ゆえに今回の報道では、著名人でも感染確率の高い人が感染した現象とみなすことが可能である。
さらに志村けん氏は、感染爆発の恐れがある東京で感染し、藤波選手ら3人は兵庫県で感染している。いずれも新型コロナウィルスの感染経路不明者が多い地域で、感染確率は上がる。
ところで、どのような人を著名人ととらえ母集団を決めるのか。藤波投手や志村けん氏クラスは、日本人100人に1人の人材という頻度ではない。
このような確率を考える場合に、日本の人口を1億人として1万人はひとつの指標となる。子役まで含めた著名人の存在確率を仮に1万人に1名という確率で考えてみる。
この著名人の確率が正規分布していると考えれば、今回の4名の著名人は、その活躍ぶりから100万人に1名という確率として仮に考えてもよいかもしれない。
すなわち、今回のニュースから、存在確率が100万分の1の存在確率の人が感染するぐらいに保菌者が街にあふれている現象が起きた、と捉えることができる。
また、1日の感染者数が100人前後になったので、人口を1億人として1日の感染確率を見積もると100万人分の1である。100万人の英語講座という放送があったが、このタイトルの意味から概算の数値の一致には恐怖感を感じる。
もっとも、これは概数で考察していることと最初に述べたように、そのライフスタイルを想像すると感染確率が一般の人よりも高い著名人であることを割り引かなければならないが、それでも1ケ月前より現在は少し危険な状態にあることを確率論に長けていなくても想像できる。
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これだけニュースで報じられているにもかかわらず先日K-1が観客を集めて埼玉アリーナで開催された。東京開催は無観客試合をすると言っているが、現状の法制度ではどうしようもなかったのだろう。
この結果がどのように出るのか心配だが、誤解を恐れずに言えば社会実験のデータとして参考になる。
なぜなら、今学者も含めて形式知として厳密な禁止条項を責任をもって誰も言えない状態である。だからK-1開催を法的に取り締まることができない。
こうした無謀な出来事については、社会実験データとしてうまく活用することを考えた方が良い。感染者が10日後どれだけ出るのか心配するより、不謹慎であるが、**した方が良い。
愛知県の蒲郡では、PCR検査陽性の患者が「皆にうつしてやる」といってスナックに出かけ、その結果ホステス一人が感染した。
この時のスナック内の様子は監視カメラで撮影されており興味深いデータが得られた。まず、この時のお騒がせ患者はその後お亡くなりになった正真正銘のコロナウィルスの陽性患者だった。
しかし、彼から感染したのは、彼と濃厚接触したホステスではなく、彼が来店の折に一時着席していたソファーで、化粧をしていたホステスである。このホステスはヒアリングの結果、彼とは濃厚接触していなかったという。
この事件が示す結果についてウィルス学者は検証すべきではないか?現在ある感染学の形式知で説明できるのだろうか?濃厚接触していたホステスがその後感染していないというニュースには不思議に思うのと同時にウィルス感染という現象がどのようなものであるのかを教えてくれる。
患者はマスクをせずホステスの方に向いて話しており、エアロゾルの濃度は高かったはずだ。また、マスクも保護具も身に着けない無防備のホステスの手を患者は何度も握ったり、体を触っている。
これ以上書かないが、コロナウィルス陽性患者とホステスとの濃厚接触についてビデオに映し出された現象はあまりにも衝撃的だ。ホステスはすでに免疫を持っていたのだろうか?
一方患者との濃厚接触も無く、ウィルス濃度の高い空気を吸っていたわけではない、ただ患者がしばらく座っていたソファー(注)で、化粧をしていたホステスがコロナ陽性になった事実はさらに衝撃的である。
(注)映像では、コロナ陽性患者はソファーの上で寝そべり、ソファーの背もたれを手で触り、その後指名したホステスと店の奥へ入っていった。空いたソファーに別のホステスが座り、何も知らず、すぐに化粧道具を広げて化粧をしていた。そして1週間後にコロナ陽性となった。
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感染予防行動について各自治体は厳密な厚生省のコントロール下にあるようだ。これは、PCR検査のやり方では、国民よりも厚生省を大切にしているかのように見えてくる(注)。
ただし今回のコロナ対策ではこれが良い結果を生み出した。最近は各自治体で独自の方向をうち出す首長もおられるが、少なくとも感染者情報を見る限りにおいては、「ある考え方」に基づきPCR検査をやっているようだ。
これが、各国のPCR検査数の比較において日本は圧倒的に少ない検査件数として現れている。そして今月の初めまでPCR検査数が少ない点について国内だけでなく、国外からも「コロナ隠し」として批判されてきた。
さらにその少ない検査の結果をめぐっても感染研OBがデータを研究のために独占しているといった忌々しき話も漏れてきた。
ただし、これらが日本のウィルスバスターが今回のウィルスの生存戦略に立ち向かうために巧妙に仕組まれた戦略だとわかったのは先日NHKで放送された特番からである。
少ないPCR検査数がウィルスバスターの戦略であるのは、日本において感染者の死亡率が低い数値として現れている。日本のウィルスバスターはその戦略のゴールとして、いかに重篤者を少なくし死亡者を少なくするかということを考えている。
そして特番では間接表現で語られたが、症状のでない感染者には我慢していただこうとさえ思っている。それゆえ昨日タイミングよく小池都知事の緊急記者会見となった。
日本のウィルスバスターは武漢やイタリアのように経済活動を止めないようにゆるく、そして死亡者を少なくするようにウィルスと必死で戦っているのだ(注)。
表には出てこない裏方の努力を今はWEBで容易に知ることができる。すなわち今回のウィルス対策ではかなりの情報開示が進んでいる。少なくとも誰かが情報を隠している、ということは日本において無さそうだ。
むしろ公開情報から心配になってくるのは、この感染症分野における形式知のお粗末さである。対策の中には科学的判断から出てきたものとは思われないものも存在する(3密も実は科学的ではないが、わかりやすい国民へのお願いメッセージだ)。
また、ワクチン一つとっても形式知で解決できない問題が明らかになっている。このような形式知の充実していない状況で専門家がどのように問題解決してゆくのかを学ぶのに今回のコロナウィルス騒動は最適である。
科学で未解明の現象が多い分野における問題解決では、どうしても形式知だけで問題解決できず経験知や暗黙知をその時に動員する必要が出てくる。
ヤマナカファクター発見においてあみだくじ方式が採用された話をここで紹介しているが、問題さえ解決できれば非科学的方法でもよいのだ。
工業技術については科学でほぼ解明されたと勘違いされている方がおられるが、感染症の分野より少しマシという程度である。
例えば材料における微小領域の界面分極効果については未解明であり、その結果これをどのように生かしてゆくのかという形式知も存在しない。
最近負の誘電率に関する特許が散見されるようになったが、負の誘電率とは20世紀に非科学的と否定された概念である。
(注)韓国では日本の100倍もPCR検査を行っているが感染爆発している。またWHOは「テスト、テスト、テスト、とにかくテスト」とPCR検査を多数行い感染者を見つけることに力を入れよと早い段階で日本を意識したような声明を出している。しかし、日本では独自の考え方でPCR検査を行っており、これが感染爆発を遅らせてきた。これはすごいことだが、例えば政府や都知事の発表に対してピント外れな批判をツイッターで行う著名人がいる。昨日の小池都知事の緊急記者会見に対して「オリンピックファースト」という見当違いの批判をしている元首相経験者がいる。このような状況でツイッターはバカ発見器として機能する。この方が今首相でなくてよかったと思う。
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未曽有の騒動で社会のこれまで想像されなかった問題やこの騒動の大きさからはどうでも良いような問題までごちゃ混ぜにWEBニュースで報じられている。
おそらく新聞の良い点は、このような場合にニュースを整理して伝えてくれることだろう。会社を創業した時に新聞を辞めた。理由は単純で、電車に乗らないから。
さて新聞をやめてから今日までそれなりにニュースを選んで読んできたつもりだが、子供が大学生になってから教育問題のニュースをあまり読まなくなったことに気がついた。
今回学校休校でやたらこの問題に関するニュースを読む機会が増えた。その結果最近の小中学校の話題に疎くなっていたことに気がついた。
しかし、通知表については今も昔も変わらない。卒業式が無くなったので通知表をいつ渡すのかという問題から通知表は先生の主観でつけられており問題だという話までニュースになっている。
前者は卒業式が無くなった異常事態なので取り上げても良いかもしれないが、後者はわざわざ今取り上げる問題ではない。
人間の評価について完璧な客観評価求めても無理である。また、自己の学びと成長のために他人の評価を聞くのは有効であるが、それで右往左往するのは人生の無駄であることを小学生の時から教えるべきだろう。
悪い評価ならば、それを反省し修正してゆけばよいのだ。子供には、この先生の評価は悪かったけれど親は子供を評価している、これからも頑張ろう程度のことを納得させればよいのではないか。
会社の評価は昇進に響くが、評価を気にしすぎて思い切った行動のできない人は多い。しかし、それで人生が楽しいのだろうか。
当方は写真会社の多面評価システムでいかに評価を客観的にしようとしても難しいかを学ぶことができた。ゴム会社の人事部長が言われていたように、当方については、良い評価をつける人と悪い評価をつける人が明確なのだ。
悪い評価にも納得をしているし、たとえ無記名であってもその内容からそれをつけたであろう人の顔は浮かんでくる。仕事で衝突した人である。
また、評価をつける立場で言えば、今後の成長のためにこの点を反省してもらえると、など少しでもマイナス点が浮かべば、誠実な人物に対しても良い評価をつけられない。
すべてを高い評価でつけていては評価者が仕事をしていたかどうか疑われるのだ。多面評価では、その人のキャラクターを示す評価グラフになるが、それを見る立場になると分かっていても気持ちの良いものではない。
他人の評価に対して少しでも心が揺らぐのが人間というものだろう。他人の評価に全く無頓着な人は見ていると少し変わっている。凡人は皆他人の評価に対して心が揺らぐものだ。だから揺らぎを収めるためにそれから学び、周防猿まわしの猿の如く反省すればよい。
若い人に申し上げたい。人の評価については自己評価と自己の努力の方向を見据えて聴くのが寛容で、人生がそれに振り回されてはいけない。
誠実に仕事を行い成果を出しておれば、大きな出世は無くてもクビにはならない。学校の成績も同様で、今は大学に行きたければ全員どこかの大学に入れるし、いやな先生ならば忘れ去ればよい。
社会では偏差値の高い大学を出たから優秀な人だと思っている人は少なくなった。大学の偏差値を売り物にするのはせいぜいTVのクイズ番組くらいだろう。
成績や評価でくよくよするよりも今はコロナウィルスに感染しないよう手洗いを真剣に行うことが大切だ。
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新型コロナウィルス騒動では学べることが多い。それは、今世界で起きているパンディミックの状況において日本の感染者がほぼ緩やかな増加で推移している現象があるからだ。
これはウィルス感染を放置していたらイタリアなどの国の様な増加曲線、そして医療崩壊になるところだが、それが抑えられている、うまくコントロールされている。
この現象を偶然とみるのかそうでないかは、日曜日のNHK特番で明らかにされた。政府の専門家委員が一生懸命頑張っておられるのだ。
はからずもNHKの特番で感染症について科学でどこまで明らかにされているのかが垣間見えた。今回の新型コロナウィルスについては科学的に何もわかっていないというのが真実だろう。
それを経験知と暗黙知から新型コロナウィルスの生き残り戦略を読み取り、専門家委員が合議で対策を決めている、というのが現状だ。
そこには形式知が無いために科学的ではない判断も入りうる。例えば休み前に大阪府知事が公開された厚生省の予想である。厚生省から大阪府に非公開資料として出されていたものを大阪府知事が公開された。
案の定、東京都知事はなぜ公開しないのか、という意見が昨日ワイドショーをにぎわしたが、東京都知事も大阪府知事の発表後新聞社には東京都の対策を発表していたようだ。
そして月曜日11時に記者会見を小池知事は開いているが、厚生省の担当者も同席させての記者会見である。小池都知事のほうが大阪府知事よりも上手なやり方で会見を開いた。
このあたりは、リーダーシップとは何か、組織リーダーは何を考え行動しなければいけないかを学べる。
すなわち、大阪府知事は非公開資料を公開すべき資料と判断し、組織リーダーとしては許されない判断かもしれないが、大阪府民のリーダーという観点で公開に踏み切ったわけである。
東京都知事は、厚生省から今後の情報提供が影響を受けるリスクを考慮し、すぐには発表しなかったが、大阪府知事が発表したので、都民からの不信感を回避するために記者会見に踏み切っている。
事態が事態だけに皆必死である。全員の命がかかわる状態における様々なリーダーシップを学ぶことが可能である。
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昨日夜9時からNHKで放送された番組では、なぜPCR検査を抑制しているのか、なぜ3条件の重なりを避けなければならないのか等の解説が現場のリーダー押谷仁氏から丁寧になされた。
日本では社会活動の制限を最小限にして何とか持ちこたえている状況という。これは欧米の状態を見ると信じるにたる説明だろう。と同時にこれほど科学的に不明点の多い問題とは知らなかった。
特にエアロゾルの生成機構などコロイド化学ですでに解明されている分野であるが、この化学の内容がこのウィルス分野の専門家に共有されていないらしい。専門家の不勉強である。
昼のワイドショーなどで日本のウィルス対策についていくつか批判的なことが言われてきたが、昨晩の説明では批判の対象となっていることについては医療崩壊を防ぎウィルスとの戦いにおける日本独自の戦略ゆえとのこと。
当方は専門家ではないのでわからない説明もあったが、昨晩の放送を見た限りにおいては、とにかく政府を信用して行動したほうがよさそうだ。
今ウィルスとの戦いは、技術と科学の両者を駆使する必要があり、科学的に100%正しいと結論を出せない対策も含まれてくる。
そのような対策にはそれぞれの専門家から批判は出るだろうが、見えない敵と戦うためにはとりあえず政府のリーダーシップを信じなければいけないだろう。
ところで、今回のウィルス騒動で学ぶべきことがたくさんある。例えば、なぜ研究開発を始める前に細かい計画(注)まで作る必要があるのかと言うことである。
企画を立てる立場では、情報が少ない中でそれは大変な作業で可能ならば避けたい。しかし今回のウィルス騒動で分かったように、施策についてその目的や予想効果が共有化されていないと批判の嵐が巻き起こる。
例えばPCR検査数の少なさやクルーズ船における防疫行動ではワイドショーはじめニュース番組では批判ばかり報じられていた。(しかし、今の時点で批判は的外れであり、押谷氏のリーダーシップは大衆とのコミュニケーション能力を除き100点である。)
もし、その目的と効果が十分に説明されて国民に共有化されておれば批判は起きなかったろう。わかりやすい情報の共有がどのような場面でも重要である。
研究開発企画において、ゴールと計画は共有化すべきかつ共有化しやすい情報の一つである。仮に完璧な計画を作成できない状況でも、仮の計画を作ることで実施者が何をどのように考えそれがどのように展開されてゆくのかを時系列で共有化することが可能となる。
不完全な計画でもよいのだ。お互いの考え方を共有化するときに「計画」という形式は、ゴールの共有化のために有効で、とりあえず安心できる。昨晩工程表が発表されなかったのは残念である。
外れても良いから、収束までの計画を教えてほしかった。公開しても敵(ウィルス)には理解できないはずである。それができなかったのは、計画(注)すら立てられない科学の状況と判断している。
おそらく押谷氏は今回のウィルス感染を実験場とみなしているのかもしれない。彼のウィルス対策技術者としてのスキルが高いことを祈る。まだ死にたくはないし、家族は老人なので感染もできない。今優秀な科学者よりも腕の良いウィルスバスターを信じたい。
(注)科学的に未解明の現象が多い研究分野の状況を理解しすぎていると計画を立てにくいものである。このような場合に、例えばアローダイアグラムなどは作れない。それでは、仮の計画なり工程表をどのように作成したらよいのかは、コツがある。知りたい方は弊社へご相談ください。
部下に計画を作れ、と言っても開発経験が少なかったり、研究歴が長かったりすると立てられないものである。
一方で計画を立てることが好きな部下に退職前出会ったおかげで、計画を立てられない人には共通の問題があることに気がついた。すなわち、その問題を取り除いてやれば、誰でも計画を立てられる、ということを発見した。計画立案は、難しい人には大変困難な作業であることを知ることは、マネージャーとして必要である。
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この数日間のニュースで組織の問題に関する記事に心を痛めた。一つは森友問題で自殺された財務局職員のご家族が佐川理財局長と国を相手に裁判を起こしたニュースであり、一つはヤマハのパワハラで自殺した新任課長のニュースである。
まず結論から言うが、会社あるいは組織で働くときに、よほど特殊な組織ではない限り、貢献と自己実現をその意味として誠実真摯に行動をしておればパワハラなど怖くはなく、自殺という選択肢など選ばないのである。
ヤマハは普通の企業であるし、財務局も普通の組織だろう。特に後者は国民から見て普通の組織であってほしいと思う。
普通の組織であってもそこで働く人の中には悪人もいる。例えば出世欲とか公金横領をたくらむ人物である。後者は、組織から訴えられる場合もあるが、前者はよほどの事件とならない限り、訴えられない。当方のFD事件では隠蔽化された。
佐川氏は公になった情報を見る限り、組織に働くメンバーを不幸にしている。これは国会答弁を見ていた多くの人が感じたことかもしれない。
しかし、そこで働く人が仮に不幸となっても、自殺を選んではいけない。死ぬぐらいなら組織を抜けることを選んでいただきたい。組織の問題は解決しないかもしれないが、最大の不幸を避けることができる。
怨念で仕返し、というオカルトまがいの考え方もあるかもしれないが、これまでの人生で怨念の効果は疑わしいと思っている。森友問題では残されたものに苦労をかけることになった。裁判で勝訴とならなかったらどうなるか。
世の中には他人の不幸や迷惑など気にかけず、自己の出世欲を中心に行動する人物がいる。そしてそのような人物が出世するケースが多いのも確かだ。一方で貢献と自己実現をこころがけ誠実真摯に組織で働いている人も少なからずいるのだ。
組織人として過ごした人生で楽しく思い出されるのは、そのような人たちと事を成し遂げた思い出である。当方にとり、FD事件はトラウマとしていつまでも残っているが、それ以上に組織メンバーと成果を出した楽しい思い出が多いのでこうして新たに事業を成功させようと頑張る気力が残っている。
例えば、カオス混合ラインを立ち上げたとき、サングラスをかけひげを生やした強面の職人と何日も一緒に夜勤をした思い出がある。
この人物、見かけだけでなく仕事ぶりの評判がすこぶる悪く、そのため混練プロセス立ち上げで社内の人材募集を始めたときに、労せず獲得できた。
そのような少し訳ありの人物で、悪い評判となる理由を言動からすぐに理解できたが、その部分に目をつむりマネジメントすれば、よく働き高いスキルを持った人材で、決して悪人ではなかった。これまでの彼に対するマネジメントが悪かった、という表現もできるのかもしれない。
この人物とは初対面だったが、現場の仕事に関しては一流で、退職前なのに向上心があった。当方との仕事を最後に退職されたが、初めての仕事に対して躊躇せず大胆な手さばきに感動した。
ただ、時折当方の心臓が止まるほどの行動もあった。そのような行動をとられても、その行動の結果に問題が起きないようにマネジメントすれば、それが問題行為であると彼に伝わり、次第に恐怖の行動は少なくなっていった。
一方で、世の中には法的に問題とならない範囲なら何をやっても良い、と考え意識的に問題行動をとるFD事件の犯人の様な不心得の人物がいる。
組織の問題に遭遇した時に究極の選択は死ではない。死に対して何をもっても報いることはできないからだ。生きておれば、長い年月がかかるかもしれないが、組織はいつか報いてくれる。
死ぬのではなく組織から離れることを選択してほしい。人生を悪人のためにダメにしてはいけない。生きておれば楽しいことは多い。
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エジソンは、弟子のアチソンにグラファイトを高温で熱処理してダイヤモンドを製造するプロセスの開発を命じた。
この時代にダイヤモンドはグラファイトが高温度で熱変性されてできたことが科学的に証明されていた真理だった。
それをエジソンは知っていて、アチソンにグラファイトを高温で熱処理するように命じたのだ。
指示を受けたアチソンは、グラファイトを高温度で熱処理できる石英るつぼを作り、実験を行った。当時高純度環境で高温度の熱処理を可能とできる材料は高純度石英しかなかった。
アチソンは、根気よく前向きの推論で実験を続け、ダイヤモンドのように硬くて高純度の結晶を発明することに成功し、カーボランダムと名付けた。
これは、SiC単結晶であり、石英砂とカーボンからSiCを製造するプロセスは、アチソン法と今でも呼ばれている大発明だ。
彼は、グラファイトが石英るつぼと反応することなど意図していなかった。しかし、ダイヤモンドを作ってほしかったエジソンからは褒められたのだ。
当方が女性の指導社員から命じられたのは、ホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の極限酸素指数(難燃性)を確認することだった。
しかし、発泡体を製造するプロセスは難しいと判断し、まず発泡していないポリウレタンについて、ホスファゼンの機能を示すデータを求めることにした。
すなわち開発すべきオブジェクトを「機能」にして実験を行ったのだ。こうすることで、モノを創るという行為が分析や解析と同じく科学的に前向きの推論で進めても効率的に結論を出すことができる。
研究部門では科学的に業務を進めることが求められた。そこでは、科学的ゆえにモノを創るという行為は非効率的となるのだが、オブジェクトを機能にすれば科学的な業務の進め方でもモノ創りではなく解析業務なので効率的な仕事が可能となる。
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ホスファゼンは当時先端素材であり、ホスファゼンのジアミノ体とイソシアネートとの反応物は、正真正銘の新規化合物だった。
1990年に当時の研究結果をアメリカの学会誌へ投稿しているが、フルペーパーで簡単に掲載されている。分析データもゴム会社の分析チームが行っており完璧で研究内容も新鮮さを失っていなかった。
またこのころ、臭素系の難燃剤の開発競争が激しくなってきた時代であり、環境にやさしいホスファゼン変性ポリウレタンは、世界初であると同時にそれなりの価値を持っていた研究だった。
だから1980年では発泡反応と重合反応とのバランスをどのようにとるのかといった研究データなど無かった。ホスファゼンの反応に関する研究でさえこの研究の3年後に発表されている。
ゆえに、すぐに発泡反応とのバランスをとることをやめて、重合反応だけ完璧に進行する条件を見出し、変性量と極限酸素指数との関係を求める研究に切り替え、指導社員から指定された日に目標を達成したグラフを提出している。
すなわち、機能がうまく働いているのかという点だけに着眼し、開発を進めたのだ。この時の体験で、科学で開発を進める手順以外に、機能の最適化を進める手順があることを開眼している。
科学では、真理が一つであることが重要で論理学を完璧に用いてそれを示すことが求められる。その時の推論の進め方は前向きとなる。
分析や解析業務では、これは合理的なプロセスを約束する。すなわち、分析結果が真理であることと同一となるからだ。
しかし、モノを創るときには、科学的に真理であることと求めるモノとが一致するとは限らない。これは明日エジソンの弟子の失敗による大成功を事例に説明する。
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