活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2020.05/15 ギター(1)

3月からコロナ禍で仕事が無くなり、本日まで休業状態だが、高校時代の友人たちも暇を持て余していたようで、「くだらない話」としてメールが飛んできた。

 

いろいろ話が飛んで、会話になっていない時もあるが、趣味の話には盛り上がる。

 

ギタークラブの部長だったNが、クラシックギターを買い替えたいという話になった。

 

そこで当方は、Nはじめその他の友人の影響もあり、大学生の時に少しギターを練習した思い出をメールにしたためた。

 

もっとも当方が弾いていたのはフォークギターであり、クラシックギターではない。

 

しかし、くだらない話ではそんなことはどうでもよく、ころころと話が転がってゆく。

 

個人の趣味の話なのでここではそれを書きにくいが、当方の学生時代は空前のギターブームで、街中にギターをぶら下げて歩く若者が多かった。

 

友人のNは玄人はだしで、一度クラスメートの前で独奏を披露してくれたが、多くの若者は、せいぜいコードを弾く程度だったろうと思う。

 

Nとは雲泥の差のある腕前とわかっても、ギターは売れたようで、いくつもメーカーや工房が生まれている。

 

雑談がきっかけとなったのだが、このギターという産業を日本のメーカーに限って調べてみると面白い。

 

ここで少しまとめてみたいと思っている。ポストコロナ禍の参考になると思う。

 

ドラッカーは、二つ以上の世界を持てといっていた。一つは知識労働者として実務の世界であり、他の一つは、ボランティアなり趣味なり何でもよいが、二つ以上の世界を持つことが、長い人生に重要と言っていた。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/14 後三年の役

前九年の役から後三年の役へ、そして鎌倉幕府誕生の流れは、大局的にみると歴史の必然のように見えるが、細部の流れは複雑でドロドロした人間模様の結果である。

 

NHK大河ドラマ「炎立つ」でも取り上げられた時代であるが、ドラマ以上のドラマがあったように想像している。

 

特に、この戦いを前九年の役で滅んだ安倍氏の娘が敵対した清原氏と再婚したため養子となった連れ子(藤原氏の子孫)と、清原氏の嫡子との戦いとして捉えると、安倍氏の怨念が見え隠れし、横溝正史が小説にしたら面白い小説になったのではないかと思ったりする。

 

この戦いでは、清原家だけでなく、その部下や親戚の怨憎も入り乱れ、あまりにも人間関係が複雑であり、当時でも戦の目的やゴールが理解されていなかった可能性がある。

 

結局、源義家は後三年の役を平定しても朝廷から評価されないどころか、出世の道も絶たれている。

 

今回のコロナウィルス禍は、米中貿易摩擦のさなかで起き、WHOと中国との関係、中国国内の香港の問題と台湾の問題などがドロドロしかけたところで発生している。

 

日本国内では、世界と異なるウィルスとの戦いが、ここにきて問題として取り上げられている。

 

また、PCR検査数の問題では、専門家会議がスタートしたときに、日本の感染学会の大物が感染データを独り占めして管理しようとしているなどと言った内部告発が出たりした。

 

100年以上経過してから、もし日本史の中でこのコロナ禍が取り上げられるとしたらどのように取り上げられるのか想像すると憂鬱になる。

 

このコロナ禍で苦しんでいるのは、感染者だけでなく、経済活動が止まりかけたためにその影響で死に直面した国民である。すでに聖火ランナーとして決まっていた練馬区のとんかつ屋が自死している。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/13 小田垣孝先生の論考に思う

5月8日に表題のコロナウィルス禍に関する論考がWEBに登場したかと思ったらワイドショーでも取り上げられるようになった。今日の情報拡散スピードの速さと国民の知識欲求の高まりには目を見張るものがある。

 

小田垣孝先生は、パーコレーションの研究で有名なスタウファーの著書の翻訳者として知られる先生である。2冊ほど先生の著書を当方は所有している。

 

さて、この先生、もう少し日本のウィルスバスターに気を使ってほしかった。ワイドショーの扱いはあたかも日本の専門家会議の仕事の進め方が間違っている、と言わんばかりの勢いである。

 

この先生の言い分は、感染症について当たり前のことを言っているだけであり、全体を俯瞰されて、特に保健所を中心にした日本の独特の公衆衛生システムまで考慮されての発言ではない。まずそこを十分に理解して論考を読むべきである。

 

昨日のお昼のワイドショーにおいては、先生の論考がPCR検査をどんどんやりましょう、という現在のトレンドに勢いをつける様な扱いをしていた。見ていて吹き出しそうになったが、8割おじさんがあれでは浮かばれない。

 

おそらく8割おじさんも小田垣先生のような考察をされていると思うし、またこれまでの発言内容を聞いていると、どんどん隔離するようなことができないので8割行動変容により、まず感染者増加を減らしましょう、と言っているのだ。

 

感染者や疑わしき感染者をどんどん隔離すれば、感染者が減り、通常の社会活動ができるのは当たり前である。科学的に考えて当たり前のことを小田垣先生は述べられているに過ぎない。

 

以前この欄にも書いたが、今回のゴールは医療崩壊を防ぎ死亡者数を最小にすることにある。未知のウィルスで日本人が死の恐怖に晒されている状況で必死で立案された戦略は、一応の成果をあげたのである。そこをまず理解し、評価できる社会でありたい。

 

科学的に考えて当たり前の発言は、科学者ならば誰でもできる。難しいのは、当たり前のことを実施できない状態において、どのようにゴールを実現してゆくのか、という、当たり前ではない提言である。

 

以前電子ブックで「なぜ当たり前のことしか浮かばないのか」を執筆した。電子書籍を閉じた今、再度出版できないか考えている。

 

世の中、科学的に導かれる当たり前のアイデアですべての問題を解決できたなら、大変楽である。それほど世の中は甘くないので、人間の営みに寄り添ったアイデア創出法が重要になってくる。

 

山中先生だってあみだくじ方式でノーベル賞を受賞されたのだ。科学的に問題に取り組むだけでなく、柔軟に問題に接しそれを解決することが大切であり、その方法にはコツがいる。そのコツを身に着ければバカの壁をハリーポッターのようにすり抜けることができる。

 

(注)PCR検査法は信頼性が低く、陽性を陰性と評価するエラーが起きたときに、この陽性者は陰性のお墨付きを得たことで社会にウィルスをまき散らすことになる。そもそも小田垣先生が主張されている感染者をどんどん隔離せよ、とはこのような感染で病気が広がる問題では当たり前のことなのだ。その当たり前のことができない状態なので、日本のウィルスバスターは、ゴール実現に向けてクラスター対策を行ってきたのだ。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/12 高分子の劣化

高分子の劣化を概念的に論じるのは難しい。単純な一次構造の劣化であれば、熱分析装置や化学分解の結果から反応速度論的に説明でき、それをもって科学的な劣化の説明とすることもできる。

 

しかし、実務ではこの説明で解決できない問題が多い。ただし、科学的な説明がすでに存在してもそれを活用できないのは、科学の責任ではない。

 

なぜなら、製品開発では、高分子の劣化を論じるときに製品の寿命との関係を考える必要がある。例えば構造材として高分子材料を用いるときに、製品の機能に影響を与えないよう構造材としての寿命を設計する必要が出てくる。

 

大抵は製品の寿命を満たすように高分子材料の仕様を決め、各メーカーの高分子材料が仕様を満たすかどうかをテストし、採用の可否を決める。

 

言葉で書くと簡単に見えるが、実は製品設計で一番難しい作業が、この高分子材料の仕様を決める作業だ。

 

過去の実績がある場合には、過去の実績により安易に決められることが多いが、無い場合には大変である。

 

ところが、新製品で想定外のクレームが来てお手上げになるのは、過去の実績のある場合である。

 

実績がない場合には、想定外のクレームを覚悟している。もし、このような場合に想定外のクレームが出るようであれば、それは仕事のやり方に見落としがあったのだ。

 

心当たりのある方はご相談していただきたいが、高分子材料の耐久試験とその評価結果の解釈には、科学がこれだけ進んだのに、落とし穴が残っている。

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/11 説明できない仕事

2005年に担当した中間転写ベルトのテーマでは半年後までに製品を安定供給できている必要があった。しかし、外部のコンパウンダーは改良案を採用してくれない、また、ベルト成形の改良手段も6年近く開発してきたので手詰まりだった。

 

10%にも満たない成形歩留まりを半年で90%以上に上げるには、思い切った手を打つか、白旗を挙げるのか、どちらかしかなかった。リーダーとして大変わかりやすい問題だった。

 

但し思い切った手を打つと言っても生産立ち上げ直前のフェーズであり、QMS上の制約から配合を変更できなければ、サプライチェーンの変更も難しかった。

 

コンパウンドの内製化について、品質保証の在り方も含め、社内における合意が難しかった。

 

ただ、センター長が、成功するためにいくら必要かと聞いてくれたので助かった。センター長は成功することだけを考えていたので、当方は成功さえすればよかった。

 

ゆえにセンター長の決済が役員会議で承認されるまでに、子会社の敷地を整地しながら、中古機を購入して関東の某所でそれを組み立てていた。

 

センター長の決済が承認されるや否や組みあがったラインを子会社の敷地に設置し、コンパウンドをベルト成形検討チームに供給し、無事「外部からコンパウンドを購入し、押出成形だけ内部で開発する」という当初の戦略でテーマを成功させた。

 

この時、子会社で立ち上がったコンパウンド工場で使い物になるコンパウンドができるかどうかは、ばくちの様なものだが、実際にはばくちなどしていない。

 

決済が下りる前に某所で製造したコンパウンドでベルト成形を行い、歩留まりが90%以上になることを確認し、それで製品化部隊や品質保証部隊の評価をもらっていたのだ。また、これらの評価結果があったので決済がおりている。

 

ここで大切なことは、目標のモノさえできれば細かい説明など不要であり、QMSに準拠しておれば、それで組織が動くのである。そのためにリーダーたるもの苦労を惜しまない覚悟が必要である。

 

コロナウィルスの対策チームの問題は、PCR検査の信頼性や体制構築について、何も作業が進められていなかったところにある。

 

何をやったらよいのか当方には具体的にはわからないが、データの整理さえ科学的に満足にできていなかったようなので、残念である。

 

組織を動かすときに大変な苦労が必要な時がある。しかし、誰もが目標となるあるべき姿を理想とするならば、火中の栗を拾う決断でも誰かがしなくてはいけない。それが実行されれば組織は動く。

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/10 方法の擁護

日本のウィルスバスタ-が批判にさらされている。理由はPCR検査の量が少なかったこととその運用基準である。

 

すでにこの問題について説明しているので、本日は少し異なる視点で彼らの方法について当方の感じていることを述べる。

 

今彼らへの批判はこれまでにも指摘してきたが、企業の研究開発過程においてもしばしば見られる光景である。

 

それでは、彼らの方法が間違っていたのだろうか?当方は専門外なので彼らの方法について細かいコメントはできないが、PCR検査の信頼性が低い問題について、コロナの症状が明らかな感染者についてだけ行う方針にしたのは、一つの正しい方法だと思っている。

 

ここで、「一つの正しい方法」と書いたのは、科学ではありえないが、技術では取るべき正しいアクションが複数考えられることがある。

 

これは、科学では真理が一つであるが、技術では機能を実現できればなんでも良いのだ、という科学と技術の本質的な特性の違いから生じる。

 

おそらく日本のウィルスバスターは、これが分かっていなかったのではないだろうか。

 

今回のコロナウィルス対策については、形式知において不明点が多く、そのため科学では対応が難しく技術的センスによる対応が重要である。その時の仕事の進め方を彼らは知らなかったのだ。

 

それでは彼らはどうすればよかったのか。当方は専門家ではないので一般化した回答しか答えられない。例えば、

 

1.PCR検査の信頼度について示す。2.1を基にPCR検査の抱える問題とそれを運用した時に発生する問題を示す。3.PCR検査の運用方法とその得られた結果に対してどのようにアクションをとってゆくのか示す。4.事前に複数の考えられるアクションすべてについて影響と評価を示す。

 

一番最初に最低限でもこのようなことを国民に示さなければいけなかった。もし最初に示されておれば、現在起きているような批判は少なくとも回避できた可能性がある。

 

ちなみにこれはFMEA的手法である。すなわち、研究開発において一番最初の企画の説明では、自分たちが推進する戦略以外に他の戦略の可能性があるならば、それらのすべてについて実施した時の評価を提示するのが上手な方法である。

 

許されないのは、自己の責任回避のために合議でさしあたりのない戦略を決める方法である。例えば、今回世界はPCR検査を積極的に行っていたので、日本もこれに倣う、という戦略である。

 

おそらく日本の感染状況から逆算すると医療崩壊したかもしれない。今かろうじて医療崩壊もせず、死者数も世界の水準からは少ないので、日本のウィルスバスターはよく頑張ったのだと思っている。

 

弊社は7日からの予定を変更し明日から通常営業に入るが、当分は出張業務を控えるか、出張の際には社有車で出向く予定である。

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/09 「戦略の間違い」は正しいか

正しい問題が設定されて、戦略が決まり、アクションが展開される。今のコロナウィルスの問題では、クラスターに注力し、PCR検査を絞ってウィルスと闘う戦略が設定されていることは、日々報じられている。

 

また、ロックダウンを避け、細々とでも経済活動を続けながらウィルスと闘う方針を提示している8割おじさんのアイデアに従い、日本人はひたすら行動変容をしてきた。

 

しかし、医療崩壊寸前のところに達し、非常事態宣言が出されて、行動変容を行っても思うような感染者減少とならない。

 

一方で今回のコロナウィルスについていろいろと新しい情報が明らかになってきて、当初の戦略が間違っていたのでは、という声が大きくなってきた。

 

これは、開発が思うように進捗していない企業の研究開発現場でもよく見かける雰囲気である。

 

この時よくやる間違いが、当初の戦略の見直しから入る解決法である。このような方法では、当初の戦略の妥当性評価に陥り、正しい問題を途中で間違えてしまうミスを犯す。

 

手前みそで恐縮するが、2005年に豊川へ単身赴任し担当した中間転写ベルトの開発では、製品化を半年後に控え歩留まりは10%に満たない状況だった。

 

研究部門の窓際にいた当方は左遷となるような選択をしてまでも、わざわざ単身赴任しているが、その理由は、研究部門において、このテーマが戦略の失敗で製品化できず、ベルト内製化チームはつぶれる、とささやかれていたからである。

 

この時、当方は旧ミノルタ開発担当者らの戦略を遵守する方向で、すなわち戦略はそのままで、ベルト成形歩留まりを100%近くまであげて開発を成功に導いている。

 

戦略が思うように展開されていない時でも、まず最初に行うべきことは、「正しい問題は何か」という作業と、「その時の課題は」である。その結果、戦略が変更される場合も出てくるかもしれないが、それは、当初の戦略が間違っていたからではない。

 

正しい手順で立案された戦略であれば、まず、それを真摯に遂行しながら、改めて「正しい問題」を問う必要がある。そして新たな課題が見つかったならば、思い切って戦略を変更するなり、新たな戦略を加えたり、あるいは戦術展開の変更をしたりするのだ。

 

間違った問題で導かれた戦略ならば間違いかもしれないが、正しい問題から導かれた戦略は、課題設定した時点におけるアクションを決定した結果なのだ。

 

戦略が意思決定の結果である限り、技術開発において、戦略の間違い、という評価は無い。戦略の間違いではなく、正しい問題を設定しなかったのか、あるいは正しく設定された問題の解き方を間違えたのか、どちらかである。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/08 何が問題か(2)

日本では、信頼性の低いPCR検査法をコロナウィルスの症状が出た人に対してだけ実施する道を選んだ。これは、低い信頼性を補う一つの方法である。

 

この結果、ウィルスに感染しても症状の出ない、あるいは症状の軽い人を見逃し、実際の感染状況を把握できていない、という問題が発生している。

 

問題解決の作業において新たな問題が発生したり、見落としていた問題が見つかったりすることは多い。この時重要になってくるのは、改めて「何が問題か」を問うことである。

 

その時、あるべき姿と現状の認識を間違えていて、新たに見つかった問題が、当初考えていた問題よりも正しい問題であることは稀に経験する。

 

あるいは、課題解決のアクションの過程で新たな情報が得られ、その情報から最初の問題が誤りではないかと疑われる場合も出てくる。この場合には、すぐに正しい問題を考察し、それを解くように行動を変えなければいけない。

 

ところが、解いてきた問題が正しくて、新たに見つかった問題は、その問題とは異なるゴールであることもしばしば遭遇する。

 

もし、ゴールの異なる問題で重要な問題が見つかったならば、それを明確にし、解いてきた問題と新たな問題のゴールとの関係を正しく記述する作業が必要になる。

 

この作業が重要な理由は、周囲の批判と言うノイズの中で正しい問題を見失わないためである。

 

今、感染状況の実態を知るために抗体検査とPCR検査数を増やす必要性がニュースで報じられているが、注意しなければいけないのは、PCR検査の扱いである。

 

すなわち、症状が軽いかあるいは出ていないのに陽性と判定された場合には、すぐに隔離するのではなく、複数回検査を行うとか、隔離先を自宅とするとかしなければ、感染していない人を誤って感染者とする問題が発生するので、陽性者が出たときの扱いを見直さなければいけない。

 

そうしなければ、医療崩壊を起こす恐れが出てくる。そもそも今批判されているウィルスバスターたちは、医療崩壊を最も避けなければいけない事象として捉えていた。その努力を情報が増えてきて安直な批判が誰でもできるようになったことで無にしてはいけない。

 

研究開発で失敗し、その原因を担当者に押し付けるが、そのとき、周囲のノイズで研究開発が担当者の意図しない方向へ変わってしまった責任を忘れてしまう人は多い。

 

ただ、そうならないように努力するのも担当者の責任であることも忘れてはいけない。

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/07 何が問題か(1)

「何が問題か」は、問題解決にあたり最初に問うべき質問、としてよく知られたドラッカーの言葉だ。

 

今世界中でコロナ禍により混乱が起きている。ここで「何が問題か」は明らかであり、「ウィルスによる死亡者を最小にするには」である。

 

人の命以上に重要なものはない、という思想は、先進国の合意事項である。

 

問題が明確になると、そこに含まれる課題を明確にする作業を行うのは、問題解決の王道であるが、「課題」という言葉を理解されていない人は多い。

 

そもそも課題を考える、とは「あるべき姿」と「現状」との乖離を明確にする作業である。問題を解決に導く課題が明確にされるとアクションが具体化され、アクションプランの作成が可能となる。

 

新型コロナウィルスについて課題はたくさんあるが、感染したかどうかを判別する検査に関する課題は、上位になるだろう。

 

ところが、この検査法の信頼度が低い課題と、その信頼性も不明確という課題がニュースで報じられている。

 

最近では、サンプリングの信頼性を上げるために唾液を使うと簡便であるとの報告があった。

 

このような報告を聞くと、そもそも感染学という学問は検査とか検定をどのように扱っているのか、という疑問が出てきて、これも課題の一つになる。

 

しかし、問題のゴール(解)を理解しているとこの課題の重要度は低く、それよりも信頼度の低いPCR検査法をどのように運用してゆくのか、という課題が重要になってくる。

 

その結果、この課題の対策、すなわち信頼度の低い検査法でエラーが発生したときを考えると、陰性の患者を陽性と判定したときのリスクの対策が重要になってくる。感染していない人をウィルスがうようよいるところへ隔離することになる問題を防ぐためだ。

 

WHOはとにかく検査を行えと言い、各国もPCR検査を多く行う方に走った。しかし、日本だけPCR検査を受検するための基準を設け、検査数を絞る方向で活動してきた。(続く)

カテゴリー : 一般

pagetop

2020.05/06 新生活

専門家会議から経済活動を再開するにあたり、新しい生活様式の提案があった。しかし内容は当たり前であり、がっかりした。

 

このような内容を発表するにあたり、コロナ感染者の解析が十分にできているのだろうかという疑問が湧いてきた。

 

先日福岡で行われた感染経路不明者の解析結果について述べたが、感染経路不明者には明確な特徴があると感じている。それらを区別できるような提言はできなかったのだろうか。

 

コロナ禍で感染者と非感染者の分断がおきてはまずい、とか言われているが、非常事態宣言が出されても風俗街に出入りして感染しているような50過ぎの大人について区別しても問題は無いと思う。

 

むしろ、彼らを区別せず、経済活動を遅らせる様な判断をすることこそおかしいのだ。早い話が、不謹慎な行動をとる人にはそれなりの指導法を適用し、誠実な市民生活をおくる人の被害を小さくするようにすれば感染を防げるのだ。

 

コロナ感染が連日ニュースで報じられるのに海外渡航し、発熱していてもパーティーに参加したりするような分別のない大人には、やはり何らかの対策が必要である。

 

罰則が無いために慶応大学研修医のような問題が発生する。週刊誌を読むと、彼らの医師免許を返納させても良いような破廉恥な行状である。

 

およそ常軌を逸した行動であり、このような人々が感染者になっている場合については考慮しなくてもよいのではないかと思いたくなる。

 

もし、東京都の感染者について細かいアンケートをとり、集団感染を考慮したりして解析をしたならば、不真面目な生活様式による感染者とその被害者という構図が出てくるのではないか。

 

ポストコロナ禍における新生活では、不謹慎な行動でコロナに感染した場合、感染経路不明という回答を許さない毅然とした掟が必要だろう。

 

もし、このような事態において不謹慎な酒席を開催した医療従事者は、その免許を剥奪するという決まりがあったなら、慶応大学の研修医は週刊誌に載るような醜態をさらさなかったと思われる。

 

 

カテゴリー : 一般

pagetop