PPSと6ナイロンを相溶させたカオス混合技術は、ゴム会社で担当した時の「防振ゴム用樹脂補強ゴム」開発で仕込んでいたリックを展開したものだ。
このゴム開発では、樹脂とゴムが一度相溶したと仮定しない限り実現できない高次構造の材料が得られている。指導社員に厳しく言われたSP値の測定で得られた情報をもとに研究開発した結果、たった3か月で全く新しい配合処方と材料を見出すことができた。
すこしモザイクをかけたような表現になっているが、これは当方のノウハウなので詳しく書いていない。詳しく知りたい方は問い合わせていただきたいが、この指導社員から厳しくしつけられた習慣から幾つかのリックが生まれている。
それらは科学的ではないので、指導社員は「誰にも言うな」と言われた。なぜなら研究所で科学的ではないことを話すと仕事の品質を疑われるからだと指導された。
ゆえに樹脂補強ゴムの成果を論じた報告書にはこの開発で見出されたリックも含め書かれていない。しかし、当方の経験知と暗黙知として整理された。
ちなみに研究報告書には何が書かれていたのかと言うと、当時レオロジーを語る時の定番だった、ダッシュポットとバネのモデルで材料評価を科学的に論じている。ご存知のように今レオロジーを科学的に語る時にダッシュポットとバネのモデルは過去の形式知との比較議論の時ぐらいである。
この報告書では材料の製造プロセスや出来上がった材料の高次構造について科学的に検証可能な情報は全て書かれていたが、経験知や暗黙知はすべて排除された。科学論文とはこのような成果論文である。
だから報告書として完成すると図書室に収められ二度と読まれることがなかった。当方は12年ゴム会社に勤めたが、過去の研究所の報告書を読んだのは、なぜFDを壊されたのか知るために、界面活性剤では電気粘性流体の耐久性問題を解決できない、と結論された報告書だけである。
その報告書を読み、執筆者の高度な形式知に感心したが、報告書に書かれた内容は当方の頭の中に形式知として整理されていた知識だけだった。報告書を読み終わって気づきも無ければ学びも無かった。おそらく少し界面活性剤について詳しい方にとって当たり前の内容だったかもしれない。しかし、当時研究所を管轄するI本部長はこの報告書を高く評価されていた。
このような科学的に完璧な報告書でも経験知と暗黙知により一晩で創出された技術によりひっくり返されることがあるのだ。形式知により否定される現象を前にしたときに、本当に形式知に基づく結論を信じてよいのかは、慎重に考える必要がある。
科学の否定証明の罠にかからないためには、科学を正しく理解し科学的に考えるべきシーンを明確にするとともに技術でモノを考える習慣が重要となる。例えば多数のデータからヒューリスティックな解をあらかじめ求めて、それから科学的に仕事を進める慎重さをもちたい。
電気粘性流体の耐久性問題では、プラスチック発泡体の開発で学んだ形式知から界面活性剤の適用が解として否定されることが分かっていたので、多数の界面活性剤の物性値を主成分分析することによりヒューリスティックな解を最初に求めている。
ドラッカーは、頭の良い人たちが成果を出せない問題を嘆いていた。その原因として「正しい問題」を解かないからだ、と諭している。
電気粘性流体の耐久性問題について、それが「界面活性剤で解決がつくかどうか」は問題ではない。「界面活性剤で解決しない限り実用化できない」問題であり、科学的な解として界面活性剤では解決できないとなっても、界面活性剤で何とかしなければいけない技術の問題である。
ところで、樹脂補強ゴムの報告書を書くときに排除された経験知や暗黙知が普遍的な形式知かどうかを確かめる機会が無く30年経った。自ら左遷を申し出て単身赴任し担当した中間転写ベルトの開発でその機会が生まれ、カオス混合装置を発明できた。
この発明は、それをしない限り中間転写ベルトの実用化が不可能な状況だったので、試行錯誤(タグチメソッドを用いている)により30年以上前の経験知で仕上げている。国内トップクラスのコンパウンドメーカーの技術者は科学者として優秀だったが、科学にとらわれ数年かけてもコンパウンドを完成させることができなかった。
当方はそれを非科学的と批判された方法を用いて3か月で仕上げている。フローリーハギンズ理論や分散混合と分配混合で考える混練の形式知からみれば非科学的かもしれないが、短期間にモノができたのである。
技術のニッサンが、倒産しそうでしなかったり、とんでもない社長でも消費者に感動与える様な車を生み出している。おそらくいつの時代でも「科学のニッサン」を目指さなかったためではないか。20世紀の日本は科学一色だったが21世紀の日本は、技術の日本を目指すべきではないか。
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ジャズのアドリブの方法論には、プレイヤーにより様々な考え方があるらしいが、共通しているのは、「無い袖は振れない」ということで、日ごろのリックの仕込みが無い限り、聴衆が興奮するようなスリリングなアドリブを瞬間芸的でありながらコンスタントにプレイすることは難しい。
技術開発におけるアイデア創出についても同様で、形式知だけであれば、文献で調べるなり、アカデミアの先生に聞けば一応のアイデアを出すことが可能であるが、このような形式知に基づくアイデアは、誰もが同じアイデアとなりおもしろくない。
なぜなら、科学の形式知とは論理学的に必要十分な関係となっている知識の体系であり、その知識のつながりは1:1となっているからだ。この保証があるので科学的研究の意味があり、科学にサポートされて技術が急速に発展した。
しかし、未だに自然現象を100%完璧に科学的知識の体系で記述できているわけではない。科学的に未解明の現象は多い。例えば高分子の相容あるいは相溶現象に関する知識の体系は科学的に見えて実際には科学ではない。
おおよその現象はフローリー・ハギンズ理論で間違いないかのように見えるが、この理論は二次元の漫画から想定した式をベースに展開されているので、3次元ではどうなるかとか、異なる分子同士を並べる現象が自然現象ならばどのように起きているのかなど説明されていない。
また、この説明されていない部分は、技術者が勝手に想像しなければいけないことを教科書では断っていない。これはその昔、サンタフェという写真集がイノベーションを起こし、モザイクが消えたときの社会現象と似ている。
本来写っているべきものがうつっていない時にそれを真実だと信じていた男性が多く困った女優が、「あれはモザイクの代わりに写真を処理してもらった」と週刊誌で言い訳をしていた。わざわざ言い訳をしたものだからさらに写真集は売り上げを伸ばした。
例えがやや下品になったが、フローリー・ハギンズ理論でも二次元の仮説から式を導いている言い訳を教科書に載せたならば、高分子の相容あるいは相溶現象に関係する材料技術は、写真集が売り上げを伸ばしたようにさらに進化すると思っている。
これは当方の経験で申し上げている。当方が開発したカオス混合装置は、妄想の結果の発明品である。しかし、フローリー・ハギンズの理論では相溶しないとされるPPSと6ナイロンを相容させることができた。
これは妄想の中のたわごとではない。15年近く前にこの材料で商品の生産立ち上げをして、現在でも安定して生産が続けられている。すなわち、科学的には成立しない商品が品質としては安定だったので製品として販売され続けている。
もしこの商品をリバースエンジニアリングで科学的に解析した優秀な研究者がいるならば、びっくりしているかもしれない。高分子学会賞の審査会でも信じてもらえず落選しているが、高分子学会主催ポリマーフロンティアに招待講演者として招待され会社からも許可されたので、一連の技術について講演している。
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情報を得て、それを理解し頭の中に整理してゆく。情報を営みの中で利用できる形の知識にする作業は重要である。そのとき、ジャズのテンションコードのように手続きにルールがあると作業が容易になる。
情報がデータの集まりからなる場合に、データマイニングは誰でもできる経験知の獲得方法である。また、それを形式知のテンションとして活用できたなら、周囲の人から一目置かれる。
データマイニングの手法の一つに多変量解析がある。弊社のサイトでは、重回帰分析と主成分分析についてプログラムをこのためのツールとして公開している。タグチメソッドのマハラビノスSN比よりも素直に多変量解析を行った方が、その出てきた値の意味も含めて知識としやすい。
今このツールについて無償公開しているが、もしご希望があれば、企業内のシステムで活用していただくことも可能である。このツールについて当方のセミナーでも事例を紹介したりしているが、セミナー参加者から多変量解析のソフトウェアーをどこで入手したらよいのか、という質問が来たりしていたので公開に踏み切った。
すでに他のサイトでも同じようなプログラムが公開されているが、当方のサイトで公開しているツールは40年以上前のIBM3033という大型コンピュータで計算された結果に近い値を吐き出す。
多変量解析では固有値を計算するためにこの固有値で誤差が生じやすい。そのためソフトウェアーにより多少異なった結果となる。弊社では過去に計算された実績データから答えが同じような値となるようにアルゴリズムを工夫し固有値の計算を行っている。
電気粘性流体の耐久性問題の解決アイデアでは、IBM社の統計パッケージに用意されていた主成分分析が用いられた。また、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームでは同様のパッケージにあった段階式重回帰分析により、ホウ素とリンとの組み合わせ効果が説明された。弊社で公開しているソフトウェアーは、過去の結果を用いて検証している。
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メロディーを構成するコードには3つの機能が備わっている。これについて、音楽用語では、トニック・ドミナント・サブドミナントと名前が付けられ機能分類されている。
トニックとは非常に安定したサウンドを持つKeyの主役的コードである。ドミナントはそれに対して非常に不安定なサウンドを持ち、トニックへ力強く進もうとする性質のコードで、サブドミナントとは、ドミナントほど不安定ではないが、トニックへの解決を誘う響きのコードで、例えばキリスト教の「アーメン」という響きがこれだそうだ。
また、この3つの機能のコードには、その代役となるコードが存在し分類されている。また、コードに7度の音を加え4声としたり、9度11度13度の音を加えたテンションコードなるものも存在する。
すなわち、ジャズのアドリブでは、プレイヤーはこのような経験知によるコードの分類を頭に入れてリックを仕込んで置き、それを即興演奏で吐き出すことにより聴衆を楽しませてくれる。
実はこの方法を技術開発におけるアイデア創出法に応用できる。形式知はトニックに相当する。そして経験知は現象の理解を進め形式知に向かおうとするドミナントのようなところがある。
暗黙知は、まだ具体化もできず実体のない不安定感があるのでサブドミナントという塩梅でとらえてみてはどうか。暗黙知を具体化しようと実験を進めるうちに仮説が思い浮かぶこともあるかもしれない。
実験は仮説を検証するために行うのだ、と20世紀よく言われたが、これは科学の立場である。技術では機能を取り出すためや機能のロバストを確認するために実験を行う。実験は、3つの知の吐き出される舞台であり、あらかじめ仕込まれたリックを展開するジャズのように楽しくスイングすべきものだろう。
そして知識を常にこの3分類で整理しておくと実験結果を報告する会議などで、さらに進んだアイデアを出すことができる。コードに似た分類だけでななく、知識のテンションなるものも存在するので、どこでもアイデアを出せるようになる。弊社のコンサルティングは、単なる情報提供ではなくこれを目指している。
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アイデアの出し方やその練り方にはいろいろな方法がある。例えば教則本からの受け売りとなるが、「いくつか短いフレーズを日常仕込み(リック)、それを展開している」というのは、ジャズのアドリブにおけるアイデア展開の方法である。
すなわち即興演奏と思われているジャズのアドリブは、事前にリックがあって初めて成立する演奏のようだ。それではリックをどのように日々整理して仕込んでゆくのか、と言うとこれも経験則がある。
すなわち音楽のメロディーの進行には一定のルールが存在するそうだ。メロディーの一音一音の響きだけでなく、一小節の響きを構成する音は和音(コード)である。すなわちコード進行には規則があり、それでリックを整理し頭の中に仕込んでおく、と言うのだ。
これはジャズの教則本を1年間読んできて一番びっくりした気づきだ。確かに巷には似たようなメロディーが溢れていると思ったら、それはこのルールの存在を前提とすれば当然の現象なのだ。
これは技術の場合に形式知で組み立てられた製品の事例にあてはまる。トースターでもタブレット端末でも出始めは百花繚乱の商品形態が存在したが、やがてそれらは同じような形態の商品に変貌してゆく。
これは商品に要求されている機能が同じであれば、その機能を実現する形式知の成果は経済性その他の要因で効率の良いものに淘汰されてゆくからだろう。
音楽も同様で、その結果ダイアトニックのコード進行にもルールのようなものが出来上がってきた。さらにこのルールを構成するダイアトニック・コードは3つのグループに分けられ、響きが似ておれば別のコードで代用できたりする。
代用コードの響きの感じ方は各プレイヤーにより異なるので、アドリブに備え個性的なリックをあらかじめ仕込んでおくことができ個性的な即興演奏が可能となる。
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企画業務に限らず、日々の仕事はイノベーション感覚で行わない限り、コロナ禍で変貌した今の時代を生き抜けない。当方も若返った気持ちで1年近く前にアイバニーズのセミアコ新品をオークションで購入し、毎日イノベーションに努めている。
ギターを弾くことがなぜイノベーションかと言うと、これまでと全く異なる世界の勉強で今までの技術開発を見直そうとしている点である。科学の発展で技術は著しい進歩を遂げたが、ここにきて従来のような加速度的進歩に衰えが見えてきた。
技術の進歩の伸びしろが無くなったのではなく、科学という視点で見たときの限界である。固定された視点で同じオブジェクトを見続けると飽きるように、科学の視点でもはや技術開発を従来のように加速できなくなった可能性がある。
科学的アイデア創出法などと言う本が50年ほど前に出版されて読んでみたがつまらなかった。確かにアイデアを出す方法にはいくつかのコツがあり、それらを科学的に論じることは可能である。しかし、科学的に推論を進めて出てくるアイデアは皆同じになるはずだ。そうでなければ科学的ではない。
科学の時代でも他人と異なるアイデアを出す人はいた。その中には常にずば抜けたアイデアを出す人がおり、アイデアマンとして尊敬された。当方も若いころにそのように呼ばれたりしたが、それはアイデアの出し方が、科学的な方法ばかりではなくヒューリスティックな方法と学際方法を駆使していたからできたのである。
ゴム会社で30年間事業として続いた高純度SiCの技術は、有機高分子とセラミックスという異分野の学際思考の成果である。しかしそこで展開されたのはそれぞれの形式知ではない。ラテン方格を用いたデータマイニングである。簡単に言えばゆきあたりばったり法をラテン方格により効率を上げヒューリスティックな解を求めたのである。
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半導体工場の火災について、ネットには安全保障に関係する噂話が増えている。確かに米中関係の現状から、そのような推定は、話として興味深いかもしれない。ご丁寧にも工場火災によるシェア変化の予測まで出されている。
思い出されるのは福島原発の爆発である。工場設計の視点で、いくつものミスが見つかった。例えば外部補助電源車のコネクターに合わないコネクターが使用されており、外部電源を使用できず暴走を止められなかった、とか一部モニター機器のコードが最近の工事の時に外され、そのままだった、とか予備電源のモーターが低い場所に置かれてすぐに水没して使えなかった、とか、少しお金をかければ大事故を防げたかもしれない、工場の設計ミスがいくつも出てきた。
本来ならば工場長とか東電社長の責任が問われなくてはならないが、あまりの事故の大きさにだれも責任をとれない、として東電社長まで無罪となった。そもそも社長の職責として企業活動が社会に影響を与えたときには相応の責任を取らなければいけないことになっているが、自らの責任について語らない。
50年近く前の化学工学の授業では、このような災害に対する備えの話について、天井や屋根を壊れやすくする対策程度しか出てこなかったが、当方のプラント設計における指導ではFMEAを使用し、経済効果を踏まえたうえで対策をしている(注)。
FMEAをバカにする科学者もいるが、今回の半導体工場や福島原発の事故を見ると、絶対にFMEAで事前に検知できた事象が存在し、それが主原因ではないにしても、災害の影響を軽微にした可能性があるので、FMEAは重要だと思う。
FMEAは、科学者がバカにするような簡単な作業(転職した時のゴム会社の研究所のリーダーは「そんなもの」という表現をされていた)である。しかし、簡単な手順なので誰でもできる手軽さがある。そしてそれを日常活用することにより大事故の影響を軽微にできるので、使わなくてもよい、という判断は間違っている。
半導体工場の火災や福島原発の検証結果を読むと、FMEAの重要性が浮かび出てくるが、それが本質ではない、という理由を信じる人が多く話題になっていない。
しかし、福島原発の実況放送を多くの国民は見ており、本質が災害を軽く考えていた、あるいは単なる確率関数で考え備えを軽視していた、点が報道されているので、FMEAは災害対策の一つとして重要と言う考え方は間違いではない。
(注)15年ほど前にコンパウンド工場を建設した時に、予算に厳しい上限がついたため、安全対策だけでなく、生産装置を中古機を集めて手作業で作り上げるなど苦労した。しかし、10年以上前の中古の混練機を導入したはずだがそれがまだ特許に公開したカオス混合装置として順調に稼働しているという。新品を導入したような結果は、FMEAの成果である。
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ルネサステクノロジーの工場火災で自動車の生産が止まるという。火災原因には、怪しい部分も存在する、というので安全保障との関連が取りざたされている。しかし、大切なことを忘れている。そもそも出火の可能性の高いプロセスにおいて可燃性の素材が使われていたことである。
工程帯電と火災に対する対策は、プラント設計の基本である。50年近く前の化学工学の授業で化学プラントの火災について質問したことがある。そのとき学生だったがその回答にびっくりした。
火災についてプラント設計で考えられていなかったのだ。せいぜい爆発した時の対策として屋根を壊れやすくし、上へ爆風が吹き上がるようになっているとの説明を受けた。
10年前の福島原発では、建屋の壁は崩れず屋根が吹き飛んでおり、授業で先生が回答された設計になっていたことがうかがわれるが、地震や津波対策がお粗末だったことは報じられたとおりである。おまけに外部補助電源のコネクターが電源車のコネクターと異なる規格だった、というとんでもないミスがあった。
当方が中国でコンパウンド工場の建設で指導してきたことは、万が一のトラブル対策である。すなわち混練機が故障した時にその対応をどうするか、火災が起きたときに備えた消火栓の位置など当方のノウハウとなるのでこれ以上書かないが、災害対策を工場の設計に導入している。
このような視点でルネサスの火災状況を見ると、怪しい安全保障上の問題を論じる前に、火災に対して対応がなされていなかったプラント設計の問題をもう少し議論しなければいけない。
過電流が流れてもブレーカーが落ちなかった、と言われているが、かつてブレーカーが落ちやすいのでブレーカーを落ちにくい大電流に耐えるようにして事故が起きた某工場もある。このような間抜けな対応をしていないかよく調べなければいけない。
福島原発の事故で学ばなければいけないのは、間抜けな科学者の存在である。頭は良いが人間の営みの中で技術が稼働している現実を知らない。
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リーリトナーがギターシンセサイザーによるアルバムを発表したのは、20世紀末レコードからCDに移行した時代である。それ以前はCDとレコードの両者が共存しており、どちらか一方のメディアしか発表されない場合にはレコードが選択されている。
例えばリーリトナーの初期のアルバムは、すべてレコードだけで発表されている。ジェントルソウツとしてダイレクトカッティングされた演奏は、かなり時間がたってからレコードをデジタル化したCDとして発売されている。ゆえにこの時限定発売されたレコードは、今プレミア価格が付いている。ちなみに、この演奏で使用されたギターは、おなじみギブソンES335である。
ギターは、アメリカで音が大きくなるよう改良されクラシックギターからウェスタンギター(今のアコースティックギター)へ進化し、スチール弦が用いられるようになった。
今はアコースティックギターとエレキギターの二大分類かと思っていたら、アコースティックギターも電気化されて単なるアコギとエレアコの分類がなされ、後者が主流になりつつある。
アコースティックギターの王者はマーチン社で次がギブソンと言うのはもう昔話で、今は創立から50年も満たないテイラー社が圧倒的なシェアーを誇っている。エレアコの発明がシェアーの変化を引き起こした。
テイラー社のギターは安物かと思っていたらそうではない。100万円前後の高価なギターも存在する。実はハンドメイドだったアコースティックギターの製品精度を向上するために徹底して機械生産を始めたのがテイラー社だ。ゆえにテイラー社の安価なギターは、他社に比較するとどれも弾きやすく品質が安定している。
ギターの弾きやすさを左右するのはネックと弦高と全体の重量バランスである。これが5万円以下のギターではばらつきが大きい。テイラー社はそこに着目し徹底して生産プロセスの機械化を行っている。そのためネックとボディーの接合にもアリミゾ方式ではなくボルト止めである。高級品でもこの方式であり、ボルト止めを廉価版用の技術から精度を維持するため画期的技術として進化させた。
エレキギターの場合にはネックとボディーの接合は、ボルト止めが主流で高級品がアリミゾ方式となっているが、ボルト止めがコストダウンという目的よりも精度を実現する方法として普及しつつある。
ギターの構造の進化だけではない。アコースティックギターもエレアコ化が進み、すべてのギターが音を電気変換できるようになると、それを処理するプレアンプの進化が激しくなった。
コンピューター技術との融合でシンセサイザーは安くなった。そしてギターの音だけでなくアンプのシミュレーション技術も組み合わせられ、音だけを聴いているとどのようなギターで弾いているのかよくわからない時代となった。
なぜなら、ソリッドギターをエレアコにシミュレートすることができたり、他の楽器に変化させたりもできるのだ。そしてそのような機能を持った装置が5万円前後で買える時代である。30万円以上もするテイラー社のアコギを買う必要もない?
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音楽という芸術は、自然現象に存在する「音を楽しむ」ために生まれたのかもしれない。友人との音楽談義から音楽、そしてそれを表現する道具としての楽器について興味がわき、少し調べはじめた。その結果が今週の活動報告の状態である。
まだ調査を始めたばかりだが、バッハの平均律の発明がニュートンと同時代であったり、ギターが未だ発展途上の楽器であることに気がついたり、新鮮な驚きがある。
音楽については小学校から習ってきたが、学校で習った知識は何だったのだろう、というのが正直な感想だ。子供の頃、近所に歌の上手な女の子がいてその子との比較から自分には歌唱力が無いと思い歌うことについて諦めていた。
50歳過ぎてから仕事の都合で一時通うことになった中国カラオケで歌う楽しさを味わい、意外にも歌唱力がそれなりにあったことに気がつきびっくりした。この経験から能力とは自分で制約を設けるべきではないという学びがあった。
この学びも調査を始めたばかりでありながら、結論に影響を与えている。すなわち、音楽も技術同様に人間の営みの中で発展しており、義務教育で学ぶ音楽の形式知はその一面をとらえたものに過ぎない、という結論である。
現代の技術開発における科学の功罪をライフワークの一つにして日々考えているが、科学と言う哲学が技術の急速な発展に寄与はしたが、技術における人間の営みとしてのダイナミックな側面を見えにくくした問題は21世紀改めて技術開発を加速するために認識したほうが良いと思っている。
このような視点に立ったときに、学校教育で音楽の形式知を教えてはいるが、それを真面目に勉強して忠実に継承している人は、きわめてわずかであるという幸運が、現代音楽の様々な発展を支えていると思う。
すなわち、技術の分野では、科学の形式知を重視している人が大半であるが、音楽の世界では、このような一つの哲学による(ものの見方、考え方)形式知を信奉して活動している人は稀であり、大半は経験知や暗黙知を頼りに音楽活動を行っている。
例えばギタリストの多くは我流でギタープレーを行っているらしい。それに対し演奏人口が少ない楽器、例えばバイオリンについては形式知に基づくメソッドで学んでいる人が多い、と聞く。チェロを弾くのに友人はわざわざ音大の女性講師に習っているように、である。
音楽の発表会を目指すわけでもなく個人で楽器を弾く程度ならば、大抵の楽器について教則本が存在するので独習も可能である。しかし、クラシック系の音楽では先生の指導を受ける習慣があるようだ。それでも街にあふれている音楽の多くは、ギターが使われ、その演奏者はネット情報によれば独学が多いという。
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