東京都知事選で小池百合子元防衛相が当選し、自民党などが推薦した増田寛也元総務相が敗れたことについて、同党の下村博文総裁特別補佐は1日午前の民放番組で「予想以上の大敗だ。謙虚に受け止める必要がある」と述べ、小池氏出馬の経緯に関しては「反党行為だったことは事実だ」として、党紀委員会で処分を検討すべきだとの考えを示した。
都知事選開始時には自民党員で小池氏を応援した場合には除名処分もありうるという締め付けを自民党は出している。これに対し、小泉氏は何が自由だ、何が民主だ、と批判していたが、まさにその通りだと思う。小池氏は、都知事に立候補すると最初に手を挙げた人だからである。
なぜ自民党が小池氏の立候補を認めなかったのか知らないが、新聞報道によれば自民党都議連の反対があったという。ニュースの一部では小池陣営が対立構図を作るために仕掛けた、という解説もあったが、立候補に至る実際の流れを見る限り、仕掛けと言うよりも党都連の反対が主原因だろう。
選挙民から見れば、なぜ都知事にふさわしい人が立候補しようとしているのに自民党がそれを認めないのか不思議に写った。それを小池陣営はうまく選挙運動に利用した、というのが真相だと思う。
これは会社組織の中でも起きる力学だが、本来ふさわしい人が手を挙げても、その人を嫌っている有力者が組織を動かし、ふさわしい人をつぶしにかかる時に見られる。このときつぶされることを避けて、組織に従うのか、あるいは正論を通し組織を飛び出す選択をするのかは難しい。
組織の健全化のためには後者が正しいが、個人の人生を考慮すると前者が無難な選択となる(注)。そもそもふさわしい人材を引っ込めて、わざわざ他の人を持ってこようとする組織の動きが不自然で、そのようなことは少し知識があれば気がつく。
現代の組織は柔軟な動きが求められている。選挙前の出来事はさておき、今後を考えたときには、形式通りの処分をしない方が自民党という組織として健全である。本来党都連の動きがおかしかったのである。党都連を正しいと認めれば、小池氏の動きは反党行為になるのかもしれないが、党都連がおかしな動きをしたために今回の事態を招いたとしたならば、悪いのは党都連であり、党都連の改革を自民党はすべきである。
WEBには「党都連のドン」の存在や、その人物により自殺に追い込まれた自民党都議の話(走り書きの遺書まで公開されている)、東京オリンピックに関わるドンの周囲の怪しい話が報じられている。今回小池氏を応援した場合の締め付けもその人物名+石原氏で出されている。はたして小池氏および応援者を反党行為として機械的に処分するのが正しいのかどうか。
逆に「処分しない」、という判断の方は政治的に見えるかもしれないが、自民党という組織にとって正しい判断のように思われる。もし「処分無し」という判断を出して党都連の改革に乗り出したなら自民党は都民に見直されるかもしれない。石原氏は「小池さんはわがままだ」と表現したが、本当に厚化粧でわがままかどうかは今回都民が判断を出したのである。小池氏は党都連の改革を掲げていた。ゆえに処分ではなく党都連の改革という方針が自民党として自然な判断では?
(注)高純度SiCの事業を住友金属工業(当時)とのJVとして立ち上げながら、転職に至った経験を持つ身としては、大変辛い選択となることを覚悟して正論を通すべき、とアドバイスしたい。
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刑事コロンボの物語では、必ず最初に事件が描かれ、事件が警察に連絡されてその現場にコロンボが現れる形式である。これは倒叙探偵小説と呼ばれるカテゴリーの物語展開方法である。
最初に示された現場には、刑事コロンボが登場して観察を始めた場所が、必ずしも犯行現場ではなかったという事件もあった。また、事件の現場が犯人により偽装されていた事件もあった。しかし、観察しているコロンボの立場では、そのようなことは事件が解決してから分かる事実であり、この真相をあぶり出すコロンボの仕掛けが話を面白くしていた。
現場が真実であろうと偽装された現場であろうとコロンボは真摯に観察を繰り返す。時には自分が被害者になったつもりで何度も何度も倒れてみたりする。すなわちコロンボは実践主義者なのだ。ホームズのように仮説をたてながら事件を解決するのではなく、現場における体験をベースに事件を解決してゆく。
そのプロセスは一見科学的な推論をしているように見えるが、決して科学的ではない。彼の場合には、考えられることを自分で実行してみて矛盾を見つけ出してゆく非科学的な試行錯誤法である。ホームズのように仮説がはずれたら、ベーカー街にもどり再度ワトソンと仮説を練り直す、などということをしない。
犯人を見つけ出すまで、試行実験を幾度となく繰り返すのである。さらには、その試行実験の蜘蛛の巣に犯人が引っかかるときもある。コロンボでは、名探偵ホームズではおきまりとなっている推論を立てるシーンよりも犯人との駆け引きのシーンが多い。
すなわちコロンボの問題解決法は、科学が生まれた時代に同時に誕生したホームズと異なり、極めて非科学的な方法である。それも現場という結論の場を観察しながらよれよれのレインコートと人なつっこい笑顔で犯人(答え)に迫ってゆくヒューマンプロセスである。
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問題解決の方法において、観察をスタートにおくと、科学的ではない方法でも科学的方法と同等以上の解決成果を生み出すことが可能である。
観察結果から仮説を設定するのではなく、すべての可能性を書き出し問題解決に当たるのである。
このとき前向きの推論ですべての可能性について考えたときには、すべてを試さなければならず、仮説設定による科学的な方法よりも時間がかかるであろう。
しかし、結果あるいは結論、自分が望んでいる状態、あるべき姿などゴールイメージを設定して、それらと書き出されたすべての可能性についての比較検討により、幾つかの可能性に絞り込むことは可能で、それら絞り込まれた可能性について検討を進めれば、科学的方法に近いスピードで問題解決が可能となる。
この方法では、結論を想定していることが仮説設定と同じことではないか、という反論がでてくるが、結論を想定する行為はその結論に根拠を示せないため非科学的であり、仮説設定と同じではない。
例えば刑事コロンボの問題解決法を思い出していただきたい。彼の方法は科学に毒された目には一見科学的に見えるかもしれないが、たいていの事件は非科学的に解決している。時には運や情も味方につけている。
名探偵ホームズと刑事コロンボでは、その生きた時代が異なる(注:小説の中)ので直接対決はできないが、コロンボの方法論が科学捜査を軸にした非科学的思考ゆえにそのアンバランスが現代的に見える。
名探偵ホームズは、科学のエンジンとなる論理学が完成した時代に生まれており、当時は斬新なスタイルだったかもしれないが、野暮ったいコロンボに比べるとあまりにも科学に忠実でスマートすぎて時代遅れな印象を当方はうける。
但し評価者によっては、名探偵ホームズを洗練された科学捜査で現代でもその物語は色あせていない、と言われたりする。しかし、科学の問題が見えてきた現代においては、むしろ非科学的なコロンボに、より魅力的ではないだろうか。
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少し驚いたのは、ソニーがリチウム二次電池事業を村田製作所へ売却したと28日のニュースで報じられたことだ。ただ、そのニュースで複雑な気持ちになったのは、ソニーがリチウム二次電池を世界で初めて開発した、と書かれていた点である。
リチウム二次電池の実用化であれば、ポリアニリンリチウム二次電池の開発として、昭和63年に日本化学会化学技術賞をブリヂストンは受賞している。すなわち、ブリヂストンが世界初である。
なぜ、ブリヂストンが世界初と報じられないのかご興味ある方は問い合わせていただきたいが、ブリヂストンではリチウム二次電池の火災の問題にも早くから取り組み、電解質の難燃剤であるホスファゼンを実用化している。この電解質に添加するホスファゼン化合物については、日本化学工業で事業が継承されている。
このようなことから、ソニーのニュースについて本欄で触れるかどうか悩んだが、リチウム二次電池事業の状況を示す重要なニュースとして書くことにした。
ハイブリッド車そして次世代の電気自動車に必要な軽量二次電池の開発競争は激しさを増している。また、その二次電池新製品の商品としてのライフサイクルは短い。次から次へと高性能の電池が登場している。このような状況では体力勝負となり、メーカーとして体力が落ちてきたソニーには少々きつい事業となったのだろう。
ブリヂストンでは、日本化学会から技術賞を受賞すると早々と事業を辞めてしまっている。社内では酸化物系セラミックスの正極開発も進められていたので当時は残念に思ったが、今回のニュースを読む限り、経営の判断として正しかったのだろう。
当時のブリヂストンでは、電池とメカトロニクス、ファインセラミックスを3本の柱として位置づけ、新事業開発に取り組んでいた。高純度SiC事業を提案した当方は、最初にテストマーケティングを始め、駄馬の先走りと言われたりしたが、おかげで大きな市場は無いが将来必ず成長するという確信を得ることができた。
そして、いわゆる開発の死の谷を一人で歩くことになるが、死の谷を歩きながら、他の二本柱の技術開発のお手伝いをしていた。どのような技術を開発したかは自慢話になるのでここで書かないが、電池や電気粘性流体の仕事でいくつか成果を出したために、住友金属工業と高純度SiCに関するJVを立ち上げながらも写真会社へ転職することになった。
ブリヂストンの三本の柱の方針は、半導体治工具用高純度SiC事業として化工品部門に移管され現在も続いている。また、リチウムイオン電池電解質の難燃剤は、日本化学工業で事業が続いている。
カテゴリー : 一般 電気/電子材料
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この3年間、弊社が中国で活動してきました成果を踏まえ、5月までに3件ほど混練技術に関する講演会を開催致しました。
いずれも異なるセミナー会社の主催で行われましたが、リクエストがございましたので下記予定と内容で企画内容を少し変えて開催いたします。混練プロセスの技術説明につきましては一部重複致しますが、新規内容を盛り込み企画しています。また、弊社で現在展開しております二軸混練装置の販売につきましても状況をご報告させていただきます。
8月の講演会におきましては、シランカップリング剤の添加では問題解決できなかった熱電導樹脂を事例に、フィラーの分散制御技術の盲点を独自の視点で解説致します。10月の2件の講演は高分子の難燃化技術についてプロセシングに重点を置いた講演になります。また新規難燃化技術と新たに開発しました素材についての説明も行います。
お申し込みは、弊社インフォメーションルームへお問い合わせください。詳細のご案内を電子メールにてさせていただきます。弊社で申し込まれましたお客様につきましては特典がございますので是非お問い合わせください。
1.機能性高分子におけるフィラーの分散制御技術と処方設計
(1)日時 8月25日 13時-16時30分まで
(2)場所:高橋ビルヂング(東宝土地(株)) 会議室 (東京都千代田区神田神保町3-2)
(3)参加費:43,200円
(注)カップリング剤の話が中心になりますが、高分子の難燃化への影響についてもご説明致します。
2.機能性高分子の難燃化技術とその応用
(1)日時 10月4日 10時30-17時30分まで
(2)場所:東京・西新宿
(3)参加費:48,600円
(注)難燃性と力学物性、さらに要求される機能性をどのようにバランスさせ品質として創り込むのか、という視点で解説致します。
3.高分子難燃化技術の実務
(1)日時 10月27日 10時30-16時30分まで
(2)場所:江東区産業会館第一会議室
(3)参加費:49,980円
(注)評価技術に力点を置き、高分子物性を創りこむノウハウもご説明致します。
カテゴリー : 学会講習会情報
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科学の無い時代でも観察という行為は行われていた。また、科学誕生以前の人類の遺産のほとんどは観察の成果ともいえる技術である。科学がもうすぐ生まれるかもしれない時代に活躍したニュートンも観察でニュートン力学を完成している。
科学では観察という行為は必ずしも必要ではないが、科学の無い時代の技術開発では、観察は最も重要な行為だったに違いない。また観察という手段が無ければ新しい技術を生み出すことができなかったのかもしれない。
だからガリレオ始め現代の科学者にも匹敵するような科学の無い時代の哲学者の遺作が、どのような手順で発明されたのか、観察と言う行為を手掛かりに思いを巡らすことができる。
彼らが観察したかもしれないオブジェクトを仮説により設定し、その仮説の正しさを遺作の中に求め、彼らの思索活動を研究して、といった物語は多い。
マッハ力学史はそのような名著の一つであるが、この名著を何度も読んでみると、科学的ではない方法でも科学と同等以上の成果を出せる事実が浮かび上がってくる。
そして、自然現象を観察し、そこから人類に有用な機能を取り出す現代の技術開発の活動に対して、科学は分析や解析の手段を進歩させているだけで、その方法論に有用な提案をしていないのではないか、という疑問がわいてくる。
すなわち科学は人類に必要な道具の改良スピードを速めることに多大な成果をあげたが、社会のイノベーションを起こしてきたのは技術者だと思う。
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科学を最初に学ぶ理科の授業では観察が中心である。また、ファーブル昆虫記は、小学校の夏休みの読書課題として定番の読み物である。だから観察は科学特有の行為と勘違いしている人がいる。
観察という行為が無くても科学論文を書くことが可能である。科学の研究を推進する一手段として観察という行為があるが、観察そのものが科学に必須ということではない。
例えば数値解析の論文を書くときに観察は不要である。また、実験が嫌いな科学者も増えており、その方たちは観察ではなく報告された現象を考察して仮説を立て、実験の指示を同僚スタッフに出す。
だから、自然現象の観察は科学に必須ではないのだ。科学論文を読み、その論文に触発されて研究を進め新たな真理を見いだす行為も立派な科学の方法として実践されている。中には学位取得の相談に来た企業研究者の研究成果からちゃっかり勝手に論文を出すような国立T大の先生もいた。
昔観察や実験の嫌いな学生は立派な科学者になれない、と言われたりもしたが、観察や実験をしないで論文を書くような立派な科学者もいるのだ。会議ばかりしている科学者だって今の時代は多い。
科学の仕事を進めるのに観察は不要とぐらい思える時代でもある。面白いのはファーブル昆虫記がノーベル賞候補に挙がったときにそれは文学賞として検討された。
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次世代の新幹線車両にはSiC半導体が使用されるという。その結果,デバイスを小型化できて車両下部に空間が生まれ、その活用を考えているというニュースが流れた。
今パワー半導体としてSiCがどんどん普及している。またSiCウェハーの大口径化の研究も進められている。現在のところ昇華法(レーリー法)が主体だが将来は気相法が主流になると言われている。
当方は、昇華法の改良が有望であり、その安定した結晶成長ゆえに将来も主流になると思っているが、多くの研究者は気相法に賭けて研究を行っている。しかし、まだ昇華法ほど大口径化には成功しておらず、その成長速度のみが騒がれている。
当方が昇華法に拘るわけは、かつて実験した経験があるからだ。20年以上前の話だが、昇華法は用いるSiCの原料によりその反応速度が変化する。しかし、このあたりの研究が未だに進んでいない。
当方の学位はSiCの反応速度論が半分をしめ、高純度SiCの結晶成長の研究については少しうるさい方であるが、ほとんどの研究者は当方のことを知らないだろう。SiCのスタックシミュレーションも30年以上前に実施し、ポリタイプの秘密について少し見えている。
FD事件さえ無ければ今頃ゴム会社でSiCウェハーの事業を行っていたかもしれない。人生とは面白いもので、今はセラミックス協会からお声はかからず高分子学会から講演依頼が来たりする状態である。もちろん両者の学会員である。
不思議なことに3年ほど前韓国企業の2社から問い合わせがあった。タイミングの悪いことに中国出張等が重なり、十分な対応ができなかった。その後韓国経済の状態が悪くなり、一社からは検討を中止したとの連絡が入った。これからまだ有望な分野である。
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2017年卒業予定の学生たちの6月15日時点での就職内定率は65.8%だと伝えられている。また一方で新卒以外の第二新卒と呼ばれる人たちも多く内定が決まっているそうだ。就職環境が良くなってきたようだ。
第二新卒とは、新卒で就職した会社が合わないから改めて就職活動をしている人たちを言う。当方の時代にも同期で二名ほど半年間の研修期間中にゴム会社を退職している。一名は、研修期間をすべて終了し、配属発表の日に退職しているが、彼は某社の社長まで出世したので退職の決意は良い判断だったのだろう。
彼が退職を決意したのは個人的な事情もあったが、ゴム会社の技術に対する考え方があっていなかった点もその理由だった。彼にとって技術とは科学そのものだった。当方も入社するまで同様の考えだったが、ゴム会社の半年間の実習や強烈なS専務の説教が影響し、技術に対する考え方がゴム会社のそれに近くなった。
洗脳されたわけではない。当時科学技術が叫ばれていた時代に、ゴム会社の現場実習を経験することにより科学と技術の関係も含め疑問を持ったのである。さらに決定的になったのは、科学と技術をうまく状況により使い分けていた指導社員の存在である。
おかげでゴム会社に定年まで貢献したいと考えるようになった。FD事件さえなかったら高純度SiC事業部門の責任者になっていただろう。最後まで勤め上げたいと考えていた会社で勤めることができなかった思いはトラウマとして残り、転職後の会社でセラミックス技術者から高分子技術者に転身しても出世はそこそこだった。
第二新卒のように早めに辞めるのが良いかどうか人生は運が大きく占めるので何ともいえないが、一度選択した会社に最後まで勤め上げようと努力するのも良い生き方だと思う。当方はヘッドハンティングのコンサルティング会社から紹介された写真会社で55歳(注)まで勤務する努力を続けて最後にカオス混合を開発できるチャンスに巡り会った。
この仕事はゴム会社の指導社員から宿題とされたテーマだった。まさに就職は運だと思った。出世以外に様々な運命が人生にはある。多様な選択枝や視点で就職を捉えてほしい。何がなんでも一生勤め上げようと努力する選択も悪くはない。但し誠実と真摯さは忘れないように。
(注)父親の時代の定年の年齢である。また、転職に反対した父親から55歳まで写真会社に勤めるように言われた。また、ゴム会社の役職定年の年齢でもあり、55歳まで勤めるつもりだったが、少し長く勤め、最後の日は送別会も中止となり会社に一泊することになった。
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21日午前11時20分ごろ、佐賀市水ケ江の龍谷高校の部室棟でぼやが発生、野球部室を一部焼損した。室内からたばこの吸い殻が見つかった。佐賀署によると、部員数人が出火前に部室で喫煙したことを認めていた。龍谷高校は昨夏の佐賀大会で優勝。春夏を通じて甲子園に計4度出場している。
このニュースが流れた後、この強豪校が地区大会準決勝への出場を辞退した。この出来事に関し、「連帯責任」という視点で前時代的と捉えた意見がネットに出ていた。この事件に限らず、組織の不祥事が原因で他のメンバーが不利益を被るケースは多い。
不利益だけで無く、過度の責任を問われる場合もある。状況は個々のケースで異なるので十把一絡げに議論はできない。但し今回のケースについて、「連帯責任」という見方はおかしいのではないか。
野球部員の数人が法を犯し、さらに野球部員が借りていた公的施設を損壊しているのである。この状況で、タバコを吸っていなかった他のメンバーは無関係とはならないだろう。
連帯責任というとらえ方ではなく、野球部員個々の役割から来る責任の視点で考えなくてはいけない。すなわち新聞に報じられた状況から野球部員は全員部室内での喫煙を黙認していた可能性が高い。これだけでも全員アウトで何らかの責任に基づくペナルティーを負うことになる。
社会が社会として存在するためには、社会で生きている個人にそれぞれ役割や立場が存在し、その役割や立場から生まれる責任が生じる。各個人は役割や立場を良く理解するとともにこの責任も果たせるように生きてゆかなければならない。
責任が果たせなかった場合には、社会はそれなりのペナルティーを個人に与えることになり、その結果で役割や立場が変わる場合も出てくる。このペナルティーの内容は、責任が果たせなかったことで社会にどれだけの影響を与えたのか、その量により異なる。
今回のケースでは、ニュースで報じられた事実だけを考慮しても野球部員の全員が何らかの責任を負っている。主将副主将は参加を辞退するだけの責任があると思う。さらに部屋の防火責任者が部員の中にいるはずで、彼も辞退しなければいけないだろう。また、タバコを吸っている現場を見ていた部員もいるはずで、彼も仲間に注意できなかったと言う理由で辞退すべきである。
おそらく今回の事件で野球部員個々の責任を明らかにしてペナルティーを正確に決定していったとしても、やはり出場辞退という結論になったと思われる。野球は9人で行うスポーツである。熱中症で一人欠けても没収試合となっている。
未開封のタバコや多数の吸い殻が見つかったり蚊取り線香で臭いを消すなどその行為は日常的であり、複数の部員が関わっていた。連帯責任でなくても出場辞退になっていたと推定される。
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