「日本の天文学プロジェクトチームはハワイにたどり着けるのか~1億円が出せて旅費80万円が出せない謎」という記事が出ていた。1週間ほど前の5月16日の記事だが、少しばたばたしていて見落とした。
現在の我が国の基礎研究の置かれた状況を伝えている記事だ。すなわち、日本の天文学チームが研究のためにハワイに行く費用を国が出してくれない、だから、クラウドファウンディングでお金を集めているが、なかなか集まらない、という嘆きのニュースである。
読んでみて同情したが、弊社は創業から5年続きの赤字で残念ながらご協力できない。もし儲かっておれば、100万円ほど出してみたいと感じたが、今年は無理である。国が出せない80万円に対して100万円出してみたいと思ったのは、このくらいの額の時でなければ弊社の方針をアピールできる機会が無いと思ったからだ。今の弊社にとって良いチャンスだった。
おそらく、今後基礎研究分野はますます予算を取るのが難しくなるだろうと予想される。弊社創業の動機の一つでもあるが、学者の研究をサポートするのも21世紀は企業の役目と思っている。
国民の税金の使途は、今後福祉方面の予算がますます増加すると思われ、国民の公僕と呼ばれる人の仕事に使うお金も、基礎研究費同様ますます厳しくなるだろう。先日の東京都知事の言い訳に都民の9割が納得していない、のは当たり前の結果である。
国民の税金から、それがどのように役立つのか不明な基礎研究費用を出せなくなる時代が来るかもしれない、とも思っている。しかし、そのような研究が技術の下支えをしていることは、経験から多くの技術者や経営者は気がついているはずだ。
例えばスーパーカミオカンデのセンサーの技術で事業が成り立っている会社もある。その会社だけでなく、あのような研究ができたことで新たな技術のヒントも恐らく生まれているだろう。壮大な宇宙の研究費用を正当に評価できる人など誰もいないだろう。しかし、そのような夢の研究に、節約してでもお金を出せる民族でありたいと思う。
将来余裕ができたら、日本の基礎研究費用をサポートできるような財団かクラウドファウンディングをお手伝いできるようなNPOを設立してみたいと考えている。しかし、まず現在の会社を黒字にしなければその夢も見ることすら難しい。
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ゴム会社から写真会社へ転職し、高純度SiCの技術すなわちセラミックスの専門家から高分子の専門家へ鞍替えすることになる。写真会社の面接では、高分子部門へ配属になるが、よろしいですか、と確認された。それに対して当方は、高分子のことは何も知らないが大丈夫ですか、と逆に質問した。
研究開発管理業務だから専門領域は問わない、と言われた。このときふと新入社員時代はゴムやポリウレタンを担当し、ゴム技術では3ケ月間優秀なレオロジストからご指導を受けたことを思い出した。ポリウレタンでは学会発表やイギリスの学会誌への投稿もしていた。しかし、9年ほどセラミックス業務を過酷な状況で担当していたストレスで、ゴム会社で高分子技術を学んだことを忘れていた。
ブラック企業がニュースになったりするが、ニュースに現れる内容は当時を思い出すと灰色と感じる。ゴム会社本体の従業員数が17557人(1979年)から12597人(1998年)と20年間に5000人程度減少している状況から想像していただきたい。とんでもない事件も起きている。
当時を振り返ってみて、入社からセラミックス事業をスタートするまでの記憶が無くなっていたのは幸せだったのだろうと思った。それだけ集中できる環境が用意されていたのである。高純度SiCの研究所は工場の敷地のはずれに建設されており、隣接する病院の塀際だった。この病院は「楡家の人々」の舞台になった病院と聞かされていた。転職するまでの数年間はこの広い研究所の建屋で一人で仕事をしており、むしろ記憶が無くなる程度で済んだことに感謝した。
そこで、転職して数か月の暇な時間を利用し、当時の担当した仕事を特許や学会発表資料を基にまとめてみた。また、出張して大学の先生に高分子のイロハを指導してもらう努力もした。0から立ち上げた高純度SiCの事業に未練はあったので、それを忘れるためにも夢中で学ぶ努力をした。
さらに学位をT大で申請するため、学位試験対策でもあった。学位審査がT大ではなく中部大学になった経緯は複雑なので省略するが、論文審査の場合筆記試験もあると言われており、親切にも過去問題をT大からいただいていた。学位の半分は高純度SiCの話だったが、審査の先生が高分子物理分野のご専門だったので、過去問題は高分子基礎科学の内容が多かった。
ありがたいことに東京にあるT’大の先生からもご指導を受けることができるようになった。その先生から高分子自由討論会なる勉強するには大変便利なクローズド研究会を紹介された。転職し1年ほどで高分子を勉強できる環境が整い、写真会社で貢献するための準備が整った。
この時獲得した高分子の知識については「高分子のツボ」として退職後まとめ直したが、学生時代の高分子の教科書とは異なる内容になった。これは、高分子科学の進歩の結果だろう。
ただまとめてみて感じたのが高分子の専門知識というものは、セラミックスや金属と異なり、今も勉強していないと高分子技術者としてやっていけない、と感じたことである。すなわち高分子物理の分野は現在進行形で進歩している。
面白いのは、実務である高分子技術ではすでに暗黙知あるいは実践知として活用された実績のある知識がリベールされて形式知としてまとまってゆく学問の進歩である。
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始末書と新たな企画書を提出することになったが、その後、始末書がどのように扱われたのか不明である。ただ、その後同期の給与明細書と比較して毎月200円給与が少ない点が気になっていた。
しかし、新たな企画であるホウ酸エステル変性ポリウレタン発泡体は大成功となり、新商品を出すことができた。ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームは、300円/kg程度のホウ酸エステルをリン酸エステルと組み合わせると、難燃剤の使用量を半減できる。そのためコストダウンに寄与し、始末書の宣言通りの技術となった。
また、難燃化機構を解析したところ当初の目論見通り、燃焼時の熱でボロンホスフェートが生成し、空気を遮断していることが確認できた。これも始末書に書いたリベンジ目標の一つである。
ホスファゼン変性ポリウレタンフォームは実用化されなかった、という理由ですぐに学会発表できたが、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームは、特許が登録されるまで外部発表ができなかった。
ただし、課長が高分子学会の研究会で委員をやっていたので、このような学会発表には理解があった。その後発表したときに、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームについては少し世間の関心を集めたが、ホウ酸の環境負荷を考慮し、この技術はやがてお蔵入りとなった。
課内における課長の評判は芳しくなかった。しかし、当方はその後この課長の推薦を受けて留学の機会を得たりしている。また、ポリウレタン発泡体の次に担当したフェノール樹脂天井材では、直接商品開発を担当でき基礎研究から商品化までの実務体験を学ぶことができた。悪い評価査定をつけられてはいたが、この課長のマネジメント能力に少し感謝していた。
ところで、化工品部隊への貢献がミッションだった時代から新事業を生み出すのがミッションへと研究所の役割が変化していた時代に、この課長がうまく対応できていなかったことは、部下の立場から理解できた。ホウ酸エステル変性ポリウレタン発泡体の後に提出した、高純度SiCの企画を含め、当方が提案した新事業関係の新たな企画は、ことごとく却下された。
ただし、海外留学へ推薦してくださったのは、この上司であり、その海外留学を直前に当方の企画実現のために希望した無機材質研究所へ変更してくださったのもこの上司である。
始末書に始まり昇進試験失敗までこの上司による業務評価査定は悪かったが、難燃性ポリウレタンフォームやフェノール樹脂天井材という成果を出すことができ、組織への貢献を十分にできた2年半であった。
また成果主義の会社という説明を受けていたが、定められた年間目標どおり成果を出しても評価されない、というサラリーマンの評価の厳しさを学んだ時代でもある。さらに、今でも事業として続いている高純度SiCの企画を最初に認めてもらえずアンダーグラウンドで研究を進めなければいけないような苦労をしているが、無機材質研究所への留学を実現してくださるなど「矛盾の行動」(注)には感謝している。
課員には評判の悪かった課長ではあるが、部下の将来のために一生懸命だった課長の姿は当方に見えていた。転職までの当時の給与明細を眺めると始末書の影響は、200円x24=4800円、その他昇進が1年遅れた給与不足分であり、生涯給与の観点でほとんど誤差である。
高純度SiCの先行投資を受けた後給与は著しく上がったのでこの課長のマネジメントには、感謝しなければいけないのだろう。小保方氏も「あの日」を読むとひどい処遇を受けてはいるが、STAP細胞の研究を行える環境を組織から与えられ破格の高給で処遇されている。もう少し組織に感謝したら良いではないか。論文を取り下げる事態になったのは自己責任の視点で考えるべきだろう。さらにSTAP細胞を実現出来ていたなら現在の言動も多くの人に容認されるかもしれないが。
(注)無機材質研究所入所時、SiCの結晶が研究テーマであることは事前に分かっていた。しかし、ペロブスカイトの基盤研究がゴム会社の研究所で認められたテーマだった。これをどのように調整したのか課長から教えていただけなかった。ただ留学して半年後に昇進試験があり、落ちている(翌年同じ答案で合格している)ので研究所の方針と異なる点について問題が残っていたことは理解できた。しかし海外留学に決まって半年後に国内留学へ切り替えるだけでも上司として大変なエネルギーが使われたはずである。
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少し足を延ばすと、旧川越街道沿いの北町商店街に出る。そこで100円のレトルトカレーを見つけた。今時消費税込みで100円という値段にビックリするとともに、大手メーカー製だったので企業努力に頭が下がった。
昔、ボンカレーという100円以下で販売されていたカレーがあり、おやつとしてよく食べた。育ち盛りだったので食事として食べるには量が少ない、と感じていた。今このカレーは150円以上している。レトルトカレーで高いものでは300円を超えるものもあり、100円という値段に驚くとともに賞味期限を確認した。半年大丈夫なのでおかしな品質の商品ではないようだ。
実は今1食100円のメニューを研究(注)している。いくつかレシピの開発が進んでおり、カレーもその一つである。その経験から、100円カレーは大量生産を前提にしても驚異的と感じている。
ちなみに、家庭でカレーを作るときに、いくらかかるのかご存知の無い方のためにバーモントカレーを例に説明する。バーモントカレーは、店により12皿分が190円から240円で売られている。すなわちルーの値段は一食分約20円である。
カレーをおいしく安く仕上げるならばチキンカレーとなる。チキンならば鳥の胸肉が100g50円程度から売られている。ただ胸肉だけではダシが不十分なので、鶏がらが必要でこれが40円前後で手に入る。すなわちお肉は一食分25円程度かかる計算になる。
あとは玉ねぎ、にんじん、ジャガイモなどの食材が必要になるが、玉ねぎを少し多めに入れるのがカレーをおいしくするコツである。野菜の類は、季節により価格が変動するが、一食分15円から20円程度である。
すなわち、ルーやお肉、野菜の食材費だけで安くても60円前後一食分にかかる計算になる。これがビーフカレーになれば、和牛を使うと一気に200円近くへ跳ね上がる。だから、100円のカレー、しかもビーフカレーは具が少なかった点を考慮しても大変ビックリするような価格なのだ。
(注)おからギョーザやおからハンバーグ、おからサラダにおから鶏団子などおからシリーズは100円以下で十分においしくできる。栄養も豊富で健康的なメニューだ。
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大いに反省しているところはよいけれど、そのあとの文章がまずい、と指導社員に注意された。当方は、今回の始末書についてどこに当方に非があったのか明確な説明を受けていないので、本当は書く気がしない、と正直に答えた。
指導社員は、そのあたりについて理解が早く、そうだよね、となった。本来はテーマとして認めた段階で、責任を取るべき人が決まる、と言いかけたが、ドラッカーの「自己責任の原則」というフレーズが頭をよぎった。本当は、課長が書くべきよね、と指導社員が当方の心を見透かして、一言でまとめた。
当方は、ホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の成功で新しい難燃化システムのアイデアが生まれたことを説明し、始末書を逆に利用して化工品部隊に提案したい、と言ったら、甘い、と指導社員に一笑に付された。
新しい企画や、今後どうするのかという点について、当方は一生懸命説明したら、課長に直接始末書をもっていって、議論してみたら、ということになった。入社一年もたたない段階で、罰則規定にある始末書を書く事態になれば、だれでも慌てるはずである。そのうえ、罰を受ける理由を理解できていないのである。
始末書をそのまま課長に提出したら、当方がまじめに反省していない、と叱られた。何を反省したらよいかわからないこと、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの成功で世界初の新たな難燃化システムが生まれたこと、その新しい難燃化システムは、燃焼時の熱でガラスを生成し、高分子を自己消火性に機能向上できること、など一気に熱く語った。
実際は、少し課長とすったもんだがあったが、課長は周囲の目を気にして小声で話すので、声の大きい当方に課長が押し切られるような形なった。課長は、始末書を受け取るから、すぐに今話したことを企画書としてまとめ、今日中に提出すること、と言われた。
当時課長以上の管理職は、担当者と別室で管理職だけの大部屋にまとめられていた。だから課長は他の課長に新入社員に始末書を書かせていることを知られたくなかったようだ。それが幸いした。
課長はあくまで企画の打ち合わせをしているかのような口ぶりで当方との打ち合わせを進めようとしたので、「新入社員が発表会の内容でなぜ始末書を書かなければいけないのか。」と一言周囲にも聞こえるように話したら、始末書をそのまま机の中に隠し、別に用意していた当方の企画書を机の上に広げ、企画の打ち合わせになった。
ホウ酸エステルとリン酸エステルを組み合わせて燃焼時の熱でガラスを生成する難燃化システムの企画は、このように数分で決まった。
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研究所へ配属されて10ケ月過ぎたころに新人発表会が行われた。新人テーマとして樹脂補強ゴムとホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の二つ発表できないか指導社員に相談したら、テーマは一つに絞るように指示された。
結局、技術者として最も充実した3ケ月間のテーマは無かったことになった。高分子の難燃化技術が技術者のキャリアとして残った。指導社員からは、たった3ケ月では試作もやっていないでしょ、と言われた。しかし、某自動車会社の防振ゴム技術に採用された、と説明したら、現在その仕事を担当しているのは研究所ではなく化工品部隊だから当方には関係ない仕事だと説明された。
会社のキャリアとして無関係と言われても多くのことを学んだ充実した3ケ月間だった。生まれてからの人生でこれほど充実した日々を送ったことはなかった。高純度SiCの発明を完成させた1週間も充実していたが、日々の楽しさが異なっていた。
指導社員のご指導に従って、新人発表は無難に終了したが、後日始末書騒ぎが起きた。課長(主任研究員)が化工品部隊に今回の仕事を説明した時に、コストが確定していない技術を試作までしたことが指摘され問題になったらしい。その場に出席していなかったので状況は不明だが、指導社員から当方が始末書を書くようにと言われた。
1年間の試用期間中における始末書と思いビックリしていたら、残業代はつかない期間だが試用期間ではない、という。だからテーマの責任をとるために始末書を書けという。訳の分からない説明で、試作まで成功し褒められるのが本当でしょう、と開き直ったら、とにかく当方が書くことに決まったので書けという。
賞罰はマネジメントで重要な意味がある、とドラッカーは書いている。試作まで大成功と新入社員発表会で報告した人間が、なぜ始末書を書かされるのか、とんでもないマネジメントだと思ったが、指導社員の説明では、新入社員がぜひやらせてほしい、と言ったテーマなので新入社員の責任である、と課長が答えたことで、当方が始末書を書かなければいけないことになったのだという。
自己責任の原則を理解していたので、その日は、さっそく書店に走り「人に聞けない書類の書き方」という本を購入し、始末書の下書きを仕上げた。始末書には、「今回のテーマについて大いに反省し、次は低コストで同等の技術を半年で試作まで行います」と書いた。指南書に従い、反省していることと、反省を踏まえた上のアクションを考えて短くまとめた労作だった。しかし、この始末書の内容で翌日一日つぶれることになった。
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30年以上前の仕事を思い出しながら昨日まで書いてきたが、ふと「科学的という罠」というフレーズが思い浮かんだ。燃費不正問題の影響もあり、このフレーズが頭を離れない。
最初の配属先の組織が3ケ月で無くなったために、新たな職場へ異動したのだが、その職場の成果に防火性の高い天井材という商品があった。防火性能を試験する規格「JIS難燃2級」に,ポリウレタンという素材で初めて合格した、と課長から自慢話を聞かされた。
しかし、その材料の極限酸素指数(LOI)を測定してみたところ19.5と、空気中でばんばん燃えるような低い値なので不思議に思って指導社員に尋ねたら、「JIS難燃2級」という防火試験を研究して、それに通過するように科学的に材料設計した成果なので間違いない、という。
LOIは、まだ規格になっていないプライベートな試験法だが、難燃2級は防火規格として建築研究所で科学的に策定された規格である。そのうえ、その評価技術は建築の実火災を解析して生まれた手法だから科学的に優れている、と説明された。
空気中でばんばん燃えるような材料がどうして厳しい防火規格に合格したのか不思議に思い、自分で実験を行ったところその結果にびっくりした。規格どおりの試験を行うと、天井材が餅のように膨らみ変形して試験炎から遠ざかり、火がつかず燃えないようになるのだ。
また、その膨らみかたも絶妙で、大きな変形という評価にならない程度で収まっている。だから大変形も無く、煙も出ないし、温度も上がらない。評価結果だけを見れば、優れた天井材と自慢するのもうなづける。
これは大変なことだ、と思い、指導社員に報告したら、それが科学的に高度な材料技術なのよ、他社も真似しはじめた、と誇らしげに説明してくれた。他社品が特許に抵触していないか調査研究していることも話してくれた。
しかしまもなく社会問題として小さな新聞記事が出た。すなわち、国の難燃規格に通過した天井材を用いても家が全焼した、と言うのだ。その最初の記事が出てから1年後、建築研究所で規格の見直しのための研究がスタートして、当方はそのお手伝いすることになる。
また、LOIのJIS規格も当時できたての頃なので、この分野の科学技術が未熟なときの出来事、と言って良いような事件だが、それは30年以上経っているからこうして話せる。当時この件について、当方は、科学の真理の前で、王様の裸を正直に言った子供のような扱いをされた。
建築研究所が考案した試験法は、空気中で自己消火性になる材料を前提としていた。しかし、規格にはそのような視点が盛り込まれていない。またその試験法が考案されたときに存在した材料について限定すれば問題が起きない規格だったが、新素材が開発された場合には、その規格が有効に働く技術的保証は無かった。
ただし、実火災で観察された状況について因子解析された成果による論理的解説が成されていた。論理的には正しい解説でも火事という現象を人間が制御できないならば、スケールダウンした評価装置の結果がそのまま実火災に当てはまらなくなりそうな場合がでてくることを直感で理解できた。
2011年3月11日の福島原発の事故は、やはり科学の成果で起きている。まだ誰も責任を取っていないが、素直に考えると、おかしなことばかりである。例えば外部電源車が電源供給しようとしたらプラグが規格からずれていたので外部電源車を使用できなかった、とか、センサーの一部の電源コンセントがはずれていた、とか当時の新聞にはヒューマンエラーの記事がいっぱい出ていた。
最もおかしいのは、津波の防波堤の高さの決め方である。万が一防波堤を津波が越えたときの対策として用意されていた予備電源の発電モーターを一番高いところにおかなかったために(ご丁寧に防波堤よりも遙かに低い位置に置かれていた)、津波で最初に使えなくなっていた。
発電モーターの目的や役割、機能を素直に考えたら、そのようなところにおく設計にならないはずだ。少なくとも当方が建築図面を見たら、最初に指摘するし、指摘できる自信がある。
明らかに人為的なエラーが多数見つかっているのに誰も責任を取っていない状態、というのは、やはりおかしい。おかしいが罪を問わない理由も何となくわかる。しかし、それではまた同じことを繰り返すのである。21世紀は、責任を取るべき人が正しく責任を取らなければいけない時代だ。
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女性の指導社員は美人で優しかった。しかし、当方の行動すべてを知りたがった。すなわち社内で何をやっているのか、逐一報告することを求めてきた。野放しにすると勝手なことをする、というレッテルが当方に張られていたからのようだ。
おそらく昨日までの指導社員からの引継事項だったのだろう。過去の居眠りについても忠告されたので理解できた。その指導社員の前以外では居眠りの実績は無かった。
そのほかにどのような引き継ぎ事項があるのか尋ねたら、いっぱい書かれている、と言われたが、野放しと居眠り以外の注意は受けなかったので、おそらく良いことがたくさん書かれている、と思ったら、当方が楽観主義だから指導者が注意するようにというコメントもあると言われた。
軟質ポリウレタン発泡体の難燃化技術開発が新しい指導社員と推進するテーマだった。しかし、テーマのタイトルは決まっていたが、何をするのか不明だった。新組織体制でこれから企画を作るのだという。そして一か月間は軟質ポリウレタン発泡体のワンショット法という技術をまず身に着けることが当方の最初の仕事だという。
機械を使用せず、高速攪拌機だけ使ってワンショット法により発泡体を製造するには、ゴムの混練作業とは異なるスキルが必要だった。数秒で反応の9割が進行するので大変である。それゆえ実験スキルの差が物性のばらつきとして現れる。
このスキル習得も大変だったが、企画作成業務はもっと大変だった。詳細は書かないが、当方のアイデアであるホスファゼン変性軟質ポリウレタン発泡体という企画がすんなりと採用された。
当方は、大学院修了式後の3週間、本来は春休みの期間に大学で新しいジアミノホスファゼンの合成とその重合に成功し、一度提出した修士論文に追加するとともにイギリスの学会誌に論文を投稿していた。
このできたばかりのジアミノホスファゼンを軟質ポリウレタン発泡体の変性剤に使えないか提案したら簡単に採用されたのである。提案した当方はまさか簡単に採用されるとは思わなかったのでびっくりしたが、もっとびっくりしたのは、半年後には試作を行うという計画が作られた。それは難しいといったが、新入社員発表会までに試作を完了したい、と言われたのでしぶしぶ受け入れた。
ジアミノホスファゼンを1kgほど合成する必要があり、1gしか合成経験のなかった当方は少し心配になった。しかし、指導社員から学生時代にできたなら1000倍のスケールなんて簡単よ、と言われ、なんとなく根拠は無いけれど気が楽になった。
問題は当時新素材として注目されていた原料のホスファゼンの調達方法だけである。市販品は無く、さらに素材の値段がついていなかったのである。指導社員は当方よりも楽観主義者だった。
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一人で仕事をするようになってから、指導社員は毎朝、「危険な出来事は無かったか」と尋ねる以外何も仕事の進捗について聞かれなかった。一週間ほどして、座学で1年間の業務を説明されるような指導社員だから、一年分の仕事を一か月で済ませたら評価してもらえるかもしれない、と考えるようになった。しかし、原材料倉庫の材料を評価しても座学で教えられた内容以上の新しいことは出てこない可能性がある、と心配になった。
原材料倉庫には、指導社員の名前が付けられた多数の樹脂材料が収められていた。しかし当時新素材としてマーケティングされていたTPEはその中に無かった。そこで指導社員からノルマとして言われていた樹脂材料以外にTPEも自分で取り寄せ評価することにした。
当時新入社員には残業手当がつかないだけでなく、必ず一年間は定時で帰宅する決まりになっていた。しかし、どの新入社員もその規則を守っていなかった。守っていなかったというよりも、今でいうところのブラック企業と同じ状態だった。しかし同期の誰もが楽しそうに仕事をしていた。当方も真似をして定時以降も仕事をするようになった。
初めてのサービス残業の翌朝、指導社員から定時に帰宅するように注意を受けた。その時当方の目論見を話したら、残業代は出ない規則だから無理をしなくてもよい、と言われた。手当はいらないから、土日も仕事をやってよいか尋ねたら、土日は勉強しろ、と叱られたが、そのあと休日出勤の手続き方法を教えてくださった。
指導社員は黙認状態だったので、頑張って一年間の仕事を一か月でやり終え、さらに一部取り寄せたTPEを使用して指導社員が発明した樹脂補強ゴムよりも性能の良い配合処方を見つけることができた。この成果を指導社員はほめてくださって、すぐにその処方で実用的な耐久試験をスタートした。
驚くべきことに、一般のゴムと耐久性が変わらない樹脂補強ゴムが得られ、これには指導社員もビックリされて、成果をほめてくださった。そしてすぐに報告書をまとめるように指示されるとともに、年内に組織変更があり、当方が異動することになると突然告げられた。
年が明け、当方と指導社員はそれぞれ別の部署へ配属され、当方は美人の指導社員の下で仕事をすることになった。ちなみに当方が見出した配合処方でその後自動車用エンジンマウントが開発されたという。これは初めての社業への貢献であり、指導社員のマネジメントの成果である。
このとき、指導社員がなぜ一年後の成果を最初に出してから仕事をしているのか、その理由を理解できた。研究所において課規模の組織変更は頻繁に行われていたからで、いつテーマが変更になるのか不明な状態だった。1年後の成果をあらかじめ出して仕事をやっていれば、テーマ中止を言われたときに、すぐに成果の出た報告書をまとめることができた。
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職場の先輩から、指導社員が毎日就業後囲碁や将棋を指していることを教えていただいた。いろいろな職場の方たちと勝負しているとも聞いた。会社内でもその腕前はトップクラスでどこからか毎日対戦を求められているそうだ。
就業後は指導社員が必ずいなくなるので、当方は一人で自由に仕事ができた。最初の一か月は教えていただいたことを何度も何度も反復練習し、実技習得に努めた。おかげで社内の実験室にあるバンバリーやブラベンダー、ニーダー、二本ロールに三本ロールすべて使えるようになった。
タイヤのパイロットプラントにあるバンバリーの運転方法も習得した。これは指導社員から特に力を入れて教えられたことだ。そしてサンプルを作るときには必ずその設備を使うように言われた。大半の研究所の人は研究所内のブラベンダーやニーダーを使っていたが、それらはせいぜい練習用だ、と教えられた。
1ケ月が過ぎ、開発に使用する材料がすべて揃ったから、と工場の原材料倉庫に連れていかれた。そしてそこから材料を実験室へ搬入する手順やらを細かく指導されて、明日から一人で1年間かけてすべての材料を評価し、シミュレーションで導かれた物性が得られたならば教えてください、と言われた。
途中経過は、データがまとまっておればよく、とにかくシミュレーションと同じ物性の処方が見つかるまでは、報告しなくてよい、ケガだけは注意してくれ、と言われた。課内会議で、月報はどうしましょう、と尋ねたら、書きたかったら当方一人で報告してよいとも言われた。
指導社員の月報には、毎月座学の一部の内容が書かれていた。指導社員に「もしかして座学の内容は今年1年の月報のまとめですか」とたずねたら、「そうだ、これが僕の仕事の仕方だ」と答えられた。1年後には、樹脂補強ゴムができたことになっており、その処方も教えられていた。
この会話で、指導社員はすでに一つ、実用的な樹脂補強ゴムの処方を持っていたこと、そして当方の仕事は、その処方の裏付けデータを得ることであると理解できた。
しかし、指導社員は当方の仕事について単なるシミュレーションの実証実験という説明の仕方をしていなかった。あくまで新材料の開発が当方のミッションと言われていた。リーダーのこのような仕事の仕方を社会人なりたてのときに学びその後の人生に大いに役立った。
仕事について、一年後得られるであろう成果の見通しをあらかじめ得て、その戦略と戦術を仕上げておく、という仕事の仕方は当方のスタイルとなった。入社して4年後2億4000万円の先行投資を受けてスタートした高純度SiCの事業も、無機材質研究所へ留学する前に、リアクティブブレンドによる前駆体合成技術の成功を確信していた。
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