商品の品質が安定している、とはユーザーの使用環境で商品の機能が安定に発揮されている場合を言う。そのような商品の開発の現場で、タグチメソッドという問題解決プロセスは一度体得すると、すぐに商品開発をすることができるので便利である。ただし、それは基本機能や、誤差因子、制御因子を理解している場合である。
誤差因子や制御因子は現場を調査すればわかるが、基本機能は研究活動が必要で、故田口先生もそれを推奨していた。また、商品の基本機能の考え方の難しさは、品質工学会の初期の会報において竹トンボの事例を用いて説明している。一読すると面白い記事であることが分かる。故田口先生は技術者の責任と述べただけでこの世を去り、この竹トンボの正解は示されていない。
実はタグチメソッドで難しいところは基本機能として何を取り上げるかという点である。ここを乗り越えることができればタグチメソッドは体育会系のノリの技術開発を可能とする便利な方法である。
竹トンボの記事を読んで頂くと分かるが、基本機能が一つの真理として存在しているのではなく、それを技術者の責任としている点でタグチメソッドはヒューマンプロセスの問題解決法だと思う。
1990年頃初めて故田口先生のご講演を拝聴した時に、会場から基本機能に関するしたり顔の質問がでた。質問は基本機能を直接扱った内容ではなく、最適条件で製造したところうまく最適化されていなかった、という内容だった。田口先生は、その質問に対し一言「基本機能が間違っている」と切り捨てられた。鮮やかだった。
ところが質問者はひるまず「それでは何を測定すれば良いのか」と半ば腹立ち気味に追加質問していたが、それに対しても、「それは技術者であるあなたの責任だ」と、ばっさり一刀両断だった。
当初サクラかと思っていたが、質問者の顔は赤くなり、明らかに腹を立てている様子が伝わってきた。故田口先生のコンサルティングでは、基本機能を技術者の責任で考えることが前提になっている。そしてそれはコーチングで進められた。
ただ、このやりとりでタグチメソッドの重要な点をすぐに理解できたので、優れた質疑応答と思った。長年タグチメソッドを使用してきたが、基本機能さえ間違えなければ、最適条件をうまく選択することが可能な便利な方法と思っている。
注意点として、どのような基本機能を用いるかは技術者のノウハウであり、この点を明確に書いてある参考書を見たことが無い。直接田口先生から御指導頂いたが、頑固に見えるご指導だが、奥に柔軟な姿勢を持っておられた。基本機能は一つでは無いのである。
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電気抵抗R0の材料を開発したいときに、まずV=RIという式を思いつく。安定な材料であれば、電流を変化させたときに電圧は電流に相関して変化する。そして集められたデータについて横軸を電流、縦軸を電圧にしたグラフにプロットしてその様になっているのか確認する。
たいていは0を通るほぼ一直線のグラフが得られるが、材料には非オーミックな領域があるので相関係数は1にならない。材料の問題と測定者のスキルも含めた測定環境の問題も影響する。これらは制御因子や誤差因子の影響を受けている、などと言われる。
実験者がコントロールできない場合は誤差因子と呼ばれ、制御可能な場合には制御因子と呼ばれる。但し誤差因子は制御できないが、最悪状態や最良の状態は予想がつくのでその状態に誤差因子を設定し、誤差が管理された条件における実験は可能である。例えば、氷点下の乾燥した室内や高温多湿な室内は、開発したい電気抵抗の用途からどの程度が最悪あるいは最良になるのか情報があるはずだ。
予想がつく誤差因子をならべ、用途から考えた最良と最悪の条件を書き上げる。そして最良の条件と最悪の条件をそれぞれ組み合わせた二組みの条件で誤差を管理した実験を行いV=RIのグラフを書いてみる。
大きく異なるグラフが得られるはずである。材料や抵抗を製造するプロセス因子を変えて,同じように誤差因子の最良条件と最悪条件で実験を行いV=RIのグラフを書いてみると最初の実験と異なるばらつきでグラフが得られる。
さらに制御可能な因子を変化させて、誤差因子の最良条件と最悪条件でデータを集め、誤差因子の最良条件で得られたグラフと最悪条件の時のグラフとの差異が最も小さくなる制御因子の組を見いだすのがタグチメソッドの実験方法である。
すなわちV=RIという基本機能について、管理された2組以上の誤差条件で、電流を変化させた動的な実験を行い、制御因子を2-3水準変化させて、この動的な実験における基本機能のばらつきを小さくする制御因子の組を見いだす、という手順がタグチメソッドである。
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タグチメソッドは、科学的プロセスとして習ったが、目標仮説を設定して実施する「まずやってみよう」精神のヒューマンプロセスだと思っている。田口先生は機能の選択は技術者の責任といい、タグチメソッドのプロセスから切り離している。タグチメソッドはあくまでも機能の改善方法を効率良く見つけるための問題解決プロセスである。
基本機能の選択は、ドラッカーの「何が問題か」という問いに相当する。基本機能がわかり誤差因子と制御因子を割り付け、まず実験をやってみる。ここで目標仮説は基本機能のSN比を改善できる制御因子の組とその条件が見つかる、ということだ。
田口先生の著書を読むと、SN比の求め方から制御因子の寄与や誤差についてまで科学的に説明されている。タグチメソッドは統計ではない、と田口先生は生前の講義の中で説明されていたが、確率ではなくSN比を導入した時点でもはや統計ではなくなっている。しかし、その説明は統計学に似ている。田口先生のタグチメソッドを説明した初期の著書と先生が書かれた統計の教科書を比べるとよく似ている。
タグチメソッドを習い始めたころ思い出したのは新入社員時代のタイヤ軽量化の技術研修だった。タイヤの設計知識が無くてもQC7つ道具さえ知っておれば、なんとか問題解決できた。タグチメソッドでは科学知識が無くてもその手順さえ知っておれば誰でも機能の改善ができる。ただし基本機能を選び間違えると失敗する。タグチメソッドの難しいところは基本機能の選択のプロセスであり、それ以外は手順通り実験を行うことで容易に機能の改善ができるので、優れたヒューマンプロセスといえる。
さらに基本機能と制御因子、そして実験を行うための誤差因子、必要に応じて調整因子を伝承すれば、技術の伝承になる。ただしこれは科学の伝承ではない。あくまでも技術の伝承で、もし伝承された人が不思議に思ったならば、基本機能の研究を行う必要が出てくる。また故田口先生もシステムにおける基本機能の研究は奨励していた。
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理化学研究所は14日、STAP細胞の論文不正問題の舞台となった発生・再生科学総合研究センター(神戸市)を21日付で「多細胞システム形成研究セン ター」に再編し、筆頭著者の小保方晴子・研究ユニットリーダーを理研本部のSTAP細胞検証実験チームの研究員とすると発表した。
この発表から想像するとおそらくSTAP細胞の再現実験の進捗は芳しくないのだろう。WEBにはSTAP細胞騒動について様々な情報が流れており、中にはその分野の専門家でなければ入手できない情報を易しく解説している記事もある。凄い時代だ。
それらの記事を総合して判断すると、小保方氏のSTAP細胞の実験結果そのものがとんでもない勘違いだった可能性がある。すなわち細胞の初期化が不完全で死滅しそうな細胞をSTAP細胞と取り違えた、というのだ。
バカンティー教授についても、細胞の初期化の分野においてその力量に疑問を投げかける記事があった。ネイチャーなどの科学論文では何度も投稿し失敗したが、それを笹井さんが共著者として加わり投稿に成功する。そしてSTAP細胞の騒動が始まっている。
笹井さんに近い方の発言として、小保方氏の論文は火星人の論文だった、とネイチャー投稿前の笹井さんが語っていた、という衝撃記事もあった。某週刊紙に書かれた疑惑の関係の記事は大間違いで、笹井さんが惚れたのはSTAP細胞だった。また笹井さんの当時の研究所運営ビジョンを伺わせる記事もあった。
週刊紙の記事内容は恐らくとんでもない筋違いの記事だろうが、一部のWEBの記事は十分に信用に耐えうる内容である。すなわちSTAP細胞の騒動は力量の極めて低い偽博士(博士論文はW大学で再審査となったので現段階では博士ではない)が一発を狙って引き起こした事件で、科学的真理ではなく研究者の情熱に一流の研究者が騙されたために騒動が大きくなった事件として一般に報じられている。
当方は半導体用高純度SiCの開発でその技術と心中するぐらいの勢いで事業化を行っていたので彼女の気持ちはよく分かる。ただ当方はいつでも自分の情熱に巻き込まれた方々を気遣っていた。そしてその努力が自分の責任である、と事業化を推進しながら思っていた。
しかし、FDを同僚研究者にいたずらされ、自分の努力について大いに悩んだ。そして被害者ではあったが、ドラッカーの誠実と真摯という言葉を尊重し研究開発人生そのものをリセットする道を選択した。
事業は住友金属工業(当時)とのJVとして立ち上がり始めたときであった。学位は国立T大でまとめ上げ、取得間近であった。獲得したセラミックスの知識もすてて、写真会社へ転職して人生は大きく変わったが、ゴム会社で当方の情熱で始まったSiCの事業は現在まで30年近く続いており、当方は写真会社を定年退職しセラミックスから高分子まで、さらに技術から芸術まで幅広くコンサルティング活動を行っている。改めてドラッカーの誠実と真摯という言葉をSTAP騒動で思い出した。情熱を傾けて一つの仕事に打ち込むのは美しいが、その美しさで周囲を惹きつけたときの行動で、誠実と真摯さの有無が分かれる。
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椎名林檎の「CDはもうダメ」発言がネットで盛り上がっている。LPレコードからCDへ、そしてデジタル音楽配信の時代になった。聴きたい音楽はネットからダウンロードすればよく、わざわざCDを購入する必要が無くなった。
音楽用カセットテープはいつの間にか消失し、カセットテープレコーダーも電気店で取り扱っていない。おそらく音楽用CDも写真フィルムと同様に消え去る運命にある、と考えるのが自然かもしれない。
音楽配信の分野ではFM放送もその一手段であるが、ネット配信に比較すると音質が落ちるため、最近は聴取者が激減し、FMチューナーも一部のメーカーが細々と製造している状態である。オーディオ機器の状況を見てもデジタル音楽配信が次の世代の音楽媒体の本命に思われる。
ただ音楽用CDが写真フィルムのようにすぐに無くなるとは思えない。コレクターの存在である。おそらく現在のCD売り上げの半分程度は音楽マニアのCDコレクターではないか?かつてLPレコードには音楽アルバムという代名詞がついていた。音楽をデジタルデータだけで楽しむ世代以外に、アルバムとして実体を楽しんでいるユーザーもいるのだ。
これを逆手に取った商法がAKB48の握手券つきCDである。これは実体があって初めて成立する商法である。すなわちアルバムとして実体の価値が認められたCDはいつの時代でも売れると思う。実体に魅力が無くなれば、その時CDは生産中止になるだろう。
このように考えたときに最近のCDジャケットの味気なさは自らクビを締めているようにしか思えない。かつてLPレコード時代に歌詞カードやミュージシャンのポスターなどが付いているのは日本だけの特徴で、海外のレコード盤はおまけ無しなので安価だ、と言われたことがある。そして輸入盤が売られたりしたことがあったが、一割程度の価格差があっても輸入盤は普及しなかった。
CDも売り上げが落ちているからコストダウンのためジャケットの手を抜く、というようなことをしないで手の込んだジャケットを用意すれば売れるのではないかと思う。弊社ではそのようなデザインはじめ各種企画も請け負っていますのでご相談ください
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www.miragiken.com を開いて頂くと女性四人とネズミ一匹のイラストが現れる。このサイトは、弊社の運営で30年後の未来につながる話題が展開されている。是非一度ご覧ください。
ドラッカーは遺作「ネクスト・ソサエティ」で「誰も見たことのない未来が始まる」と述べている。しかし30年前に、すでにドラッカーが表現したような状態ではなかったのか?「不確実性の時代」や「デッドライン2000年」など不確実な未来の到来を告げる著作が出ると同時に、「第三の波」という未来予測の著書が大ヒットした。
アルビントフラーは高度情報化社会という当時生まれたキーワードを基に来たるべき未来を描いたが、この30年間におおよそは当たっていた。小生は有機合成が専門であったが、通産省のムーンライト計画がきっかけで起きたセラミックスフィーバーという社会現象からセラミックスの知識の必要性を感じ、無機材質研究所の門を叩いた。
そして将来半導体用に高純度SiCが重要になる、とI総合研究官に教えられた。I総合研究官はセラミックスの焼結プロセスの新説を提唱していた高名な研究者だ。すなわち高度な知識を持っていると、30年程度の先は見通せるのだ。
I総合研究官が予測されたように、パワートランジスタ用に半導体SiCの市場が急拡大している。また、ブルーレイの放熱基板にも高純度SiCが使用されている。地味な領域だが、旧来のSi半導体分野では高純度SiCを用いたダミーウェハーや、ヒーター、ルツボなど高純度SiCの市場が形成されている。そして30年前小生が発明した高純度SiCの合成プロセスもようやく普及し始めた。
この体験から、今から30年後の世界を描いてみようと企画したのが花冠大学である。小生が作成した30年後の未来シナリオを基に弊社の若いスタッフと議論しながら取材を進め、まとまった内容から掲載している。
大学を舞台にしているのは、少なくとも大学は智の独立が保証されてきた組織なので、時代が変わっても、やはり大学が智の宝庫になっていて欲しいという願望からである。但し花冠大学は高校生から年齢不詳の女子学生までいる不思議な大学である。
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高度知識社会では、自己実現の努力を怠れば過去に身につけた知識はすぐに陳腐化する。高度知識社会は、知識量が学歴と相関すると信じられていたので学歴社会となったが、実際は知識歴社会である。
昨日の若者の例のように、学歴が中途半端でも知識獲得を継続的に行っていれば知識歴で武装できる。知識歴を面接試験で見抜くことができない面接官が多いので学歴社会になったが、もし人物本位で面接試験が行われたならば、現在の大学生の学習状況では学歴との相関は低くなると思われる。
ドラッカーは大学入学前に社会で働き、その後大学で学んだという。恐らく大学の知識の必要性を感じたためと思われるが、受験勉強だけで大学に進学した学生の中には、自己実現の目標が定まっていないためにどのような知識が必要か分かっていない人が多い。社会である程度実務を研鑽すると知識不足を痛感するはずだ。
社会に開かれた大学の一つの役割は明確である。このような労働者の知識をいつでも高められるように社会に貢献する活動である。この活動から大学は生き残りのためにスタッフやカリキュラムを見直すはずである。社会に解放できる智を持たない大学は、社会人から見放されるだけでなく学生からも敬遠される。
実際にその様な活動を始めている大学も出てきた。文部科学省が各大学にこのような活動を義務づければ、G型とL型に分類しなくとも自ずと大学は、その中に有識者会議で出されたL型機能を取り込んでゆく。
大学が自らL型機能を取り込む場合と、文部科学省が指導して大学をG型とL型に分類して大学改革を進める場合とでは、大学の姿についてゴールが変わる。前者は大学とその立地する地域とのコラボレーションで大学が変わってゆくが、後者では大学の勝ち組と負け組という姿に変貌する。
文部科学省で将来の大学運営指針が決まる前に大学は自ら変わる努力をしなければならない。 www.miragiken.com で将来の大学の姿を提案するのは、手元のシナリオでは数年先になる。もしご興味のある方は事前に問い合わせてください。
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先日コンサルティングを行っている会社から依頼されて、新工場のスタッフ採用面接を実施したが、面白い若者に出会った。ある地方の中堅の私立高校出身で、その高校から進学できる大学を一浪して入学し、中退している。
その大学の偏差値は決して高くない。このようなキャリアの場合、日本の会社では大抵敬遠されるであろう。しかし面接して驚いた。自分の人生についてしっかりとした考えを持っていたのだ。最も30歳を過ぎていたので当たり前の事ではあるが、今の時代は、知識は多くても人生の知恵について乏しい人がいる。
履歴書はかなり背伸びして書かれていたが、どのように生きてゆくのか、そして何をしなければいけないのか考え、自分に投資をして面接に臨んだ姿勢を当方は高く評価した。同席していたクライアントの会社社長も想定していた職種で採用はできないが、別枠で採用したい、と惚れていた。
その人物はいわゆる中途半端な学歴であったが、社会で生きてゆく自分の武器を持っていた。今70歳までの雇用が議論されているが、多くの企業は60歳で武器も気力も無い労働者には辞めてもらいたい、というのが本音だろう。また40過ぎの派遣労働者の問題もWEBで話題として取り上げられているが、その中には「働く」意味の視点から理解できない意見もある。
国や企業経営者には雇用環境を整え労働者の能力を活用する義務や責任があるが、労働者には雇用されるために貢献できる能力を身につける義務と責任がある。今回採用面接で出会った若者は、「働く」意味をそれなりに良く理解し、自己実現の努力をしているように伺われ、履歴書とは関係なく採用を決めた。
労働者の自己実現の方法は様々だが、アカデミアの活用は一つの手法である。ところが現在の多くの大学にはそれに答えられるようなカリキュラムが用意されていない。大学という教育機関は、様々な年齢層やキャリアで再教育を希望する人たちを受け入れられるように環境を整えるべきだ。
例えば、一年間とか半年という期限の枠組みを取り除き、あたかも学問のカフェテリアのごとく、学びたいときに学びたい学習量を獲得できるようなカリキュラム編成を行うというアイデアはどうだろうか。アイデアの具体例として、物理化学という学問は、熱力学や量子力学、反応速度論など様々に小分割できる。また、それぞれは、基礎から応用まで数段階に分割可能である。
受講者は、細分化された教材から必要な科目と必要な量を選択し学んでゆく。学ぶだけでなく、時には類似カテゴリーの受講者が集まり議論をするような環境を大学は用意する。そこでは、地域に根ざした事業のアイデアを議論する。受講者は社会人なので事業の議論ならばできるはずである。
WEBなどを活用し、学べる環境を工夫すれば大学を生涯教育の場として社会に開くことが可能となる。知の体系を社会に拡散させる役割を大学に持たせれば、いわゆるL型大学の対象と考えられている大学もG型大学と肩を並べられる機会ができる。なぜなら学びやすい大学には人材が集まる可能性があり、集まった人材の英知が集合体として機能したときに新たな世界が生まれる可能性がある。学びやすい大学とは www.miragiken.com の一つのコンセプトであり目標でもある。
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日曜日にG型大学とL型大学の話題を書いたところ質問を頂いた。具体的に大学改革をどのように行うのか、という内容である。大学改革そのものを当方は論じる立場ではないが、大学の役割と現在欠けているカリキュラムについて述べてみたい。
先日京都大学の騒動で改めて智の独立性について考えさせられたが、大学の役割はいつの時代でも不変と思っているのは学者ぐらいだろう。現代はアカデミアの外でも優れた英知が生まれる時代になってきた、と思っている。どこの国でも、というわけではないが、少なくとも日米では、そのような知識社会になってきた。
このような知識社会の到来を考察し、著書を多数発表したドラッカーはアカデミアから生まれた哲学者ではない。アカデミアの外で優れた英知が生まれる現象は、アカデミアの智の地盤沈下という捉え方もできる。ドラッカーが大学の教壇に立ったように、知識労働者が、アカデミアで教鞭を振るわなければならない時代になったのだ。
過去の時代のようにアカデミアを閉鎖された智の社会としていては、アカデミアそのものがそのうち崩壊の危機を迎えると思う。この点で京都大学の騒動は前時代的と言って良いのかもしれない。高度知識社会では、開かれたアカデミアに変わらなければ大学の役割も無くなってしまうのではないか。
開かれたアカデミアでは、L型もG型も無い。社会と知価を共創する存在になる。そして大学はそのリーダー的役割を担うのである。学生は知価共創のオペレーションを行う事により即戦力として育成され、そのなかで優れた学生は知識社会のリーダーとして大学に残ってゆくことになるのかもしれない。
このような考え方で大学間格差は問題では無く、大学の閉鎖性そのものが問題になる。なぜなら、いわゆる偏差値の低い大学でも高度な知識社会という教育環境の中でレベルが引き上げられるからである。例えばカリキュラムを変更し社会人留学の機会が増得るようになれば、大学入学の入り口は狭められ、自然と偏差値はあがる。
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タイヤの軽量化という新入社員研修のテーマは、「まずやってみて問題の解法や手順を考えよう」という姿勢で企画された可能性がある。指導社員から示されたのはデータを集める作業手順だけで、テーマのゴールも問題解決手法も不明確だった。
もしうまくいったなら実際にタイヤを作るところまでやりたい、とも言っていたが、その設計技術開発をどのように進めるのかタイヤの解剖以外の説明は無かった。「データを集めるだけでも良い」という説明もあり、タイヤ製作がゴールではなく、人海戦術によるデータ収集が第一の目的だったのではないかと思っている。
ところで、このテーマで用いた問題解決ツールは、新QC7つ道具だが、これは新入社員研修の最初に学んだ方法で、軽量化テーマの説明を聞いた後に、新入社員から提案し問題解決の計画まで立案した。
新QC7つ道具とは問題解決の7つのツール集であり、問題解決のステップのおおよそに沿ってツールの使い方が解説されているが、あくまで必要になった時に使えるツールが集められている、という体裁である。
当時のQC大会を見ていると一つの問題解決の流れができていて、それをお手本に新QC7つ道具を使用する決まり事のようになっていた。目の前の現象について問題を明確にするには、親和図法や系統図法を用いて整理する。そして問題が明確になったらPDPC図で問題解決の流れを決める、という具合である。
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