http://www.spsj.or.jp/entry/annaidetail.asp?kaisaino=943 でカオス混合について学会から招待講演を依頼された。カオス混合はゴム会社で新入社員時代に指導社員から教えて頂いた究極の混練技術と言われているプロセシングである。本講演に推薦してくださった方に感謝しているが、講演するに当たり困った問題があった。写真会社がデータの提供を許可してくださらなかったのである。そもそも退職者の学会講演を許可する仕組を定めている会社があるのかどうかも知らないが、1時間の講演を行うに当たりキモとなるデータが無い状態で準備することになった。
ゴム会社時代の同期で混練のシミュレーションを担当していた横井技研の所長に発表内容を相談したところ、すなおに32年間考えてきたことを講演すれば良いではないか、とアドバイスされた。理由は未だに混練技術を完璧にシミュレートできるレベルに無いのが科学の世界の現状だからである。下手なシミュレーションやエセ科学的説明を行うよりも、現象から思い描いた技術をその時々のテーマで機能として活かしてきた経験こそ大切だというのが所長の見解だった。
ここでも困った問題が起きた。32年間考えてきたことを1時間にまとめる作業である。こうして32年間のサラリーマン時代の活動報告を3年以上毎朝書いてきたが、それでも書き切れていないのである。書いてはいけないことに配慮しつつ書いていてもネタ切れしない状態を1時間にまとめるのである。写真会社から生データはもらえなくてもこれまで学会発表で使用してきたデータや公開された特許があるが、それだけをまとめても1時間以上の内容となる。
最近のアカデミアのデータも含めてどのように1時間の講演にまとめるのか苦難の作業であった。ほぼストーリーができあがって予稿集を書き上げ、プレ資料を作成し始めたところで、山形大学にお願いしていた論文が届いた。お願いしてから無しのつぶてであったので、入手を諦めていた論文であるが、重要な内容だったのと、わざわざ送ってくださった研究者への感謝もある。再度プレの資料を作り直すことにしたが、予稿集は提出済みだったので山形大学の論文を反映できないままになった。
山形大学の論文はカオス混合のための論文ではないが、真実を追究している科学的論文でSTAP騒動の論文と異なり、実験も正確に行われており、「真実」の成果をどこにでも活かすことができる。すなわち科学的成果には普遍性があるのだ。ノーベル賞候補と騒がれたSTAP細胞の論文はあえなく撤回されたが、この論文はノーベル賞の対象とはならないが科学的に優れた論文である。科学的真理に軽重は無いのだ。人間がその時の都合で賞の対象を決めているだけで、科学的成果として真に必要な評価は、真理としての普遍性である。
また普遍性を持たせるために科学の論文には厳しい審査があるのだ。最近の捏造問題は生科学分野ばかりであるが、生科学は科学として新しい分野だから、という甘えは許されない。生化学分野のアカデミアの研究者は、錬金術時代の怪しい化学者から科学の時代にふさわしい変貌を遂げた化学者を見習うべきである。
発表前に間に合うように論文を送ってくださる親切な面すなわち人としての道も見習うべきで、部下に責任を押しつけるような発言をしていてはダメである。もっとも当方でもSTAPの論文騒動を読むと逃げ出したくなる状況だが、それぞれが自分の責任として受け止める姿勢が重要だ。ファーストオーサーの責任は当たり前だが、名前を連ねている以上問題が起きたときに論文全体の責任を誰もが負うのも当たり前である。(続く)
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リアクティブブレンド技術としてシリコーンLIMSを見たときに何が問題か。大きく分けて2つ原因がある、と推定している。一つは未だミラブルタイプのゴムについてその物性と高次構造の研究が不十分な点とLIMSにおける反応機構解析がゴム物性の視点から十分に成されていないことである。
軟質ポリウレタンフォームやポリウレタンRIMについては古くから研究されており、学会などで報告されたデータに優れた内容の論文が多い。しかし、シリコーンLIMSについてはその配合がブラックボックス化されており、公開された研究報告に学術的な内容が少ない。ましてや物性との関係については材料メーカーのカタログを信じる以外に情報は無い。
シリコーンLIMSの材料メーカーの戦略がシリコーンLIMSの技術的発展を遅らせている。換言すればRIMにはSが無いがLIMSとなっていることにより、末端ユーザーが価格に対して弱い立場になっている。
シリコーンLIMSでは御三家と呼ばれるメーカーが国内に3社存在する。トップのS社にそれを追うT社とM社である。この三者に見積もり書を出させるとS>T>Mとなる。S社の情報で得た製造条件で他の二者の材料の物性比較をするとS>T>Mという序列になるから面白い。しかし、T,Mそれぞれに製造条件を尋ね、技術レポートをもらい最適条件で評価するとS=T=Mとなる。
当たり前のような結果だが、実務の現場ではS社の営業マジックで基本を忘れ、うっかりと同一製造条件でT社とM社を評価するようなミスをする。S社の技術サービスはうまい、というよりもきめ細かい。だからS社の話を鵜呑みにしてT社とM社の材料を評価し、やはりS社の材料が一番良い、となる。
S社はサギをしているわけではない。やはりそれなりの技術を持っており、それで営業戦略を展開しているのだ、T社とM社はその点で負けてしまっている。それでは、S社がダントツに優れた技術を持っているのか、というとそうではない。ゴム技術という視点で眺めたときにまだ稚拙と感じるミスを行う。少なくとも1970年代のゴム技術で解決できていた内容を分かっていない品質問題に遭遇した。
シリコーンLIMSもwww.miragiken.com で扱う予定にしているが、まだ先の話である。もし質問があれば気軽に尋ねて頂きたい。シリコーンは無機高分子の代表的存在であり、当方は高分子学会無機高分子研究会の企画委員の実績もある。最近は他の講演会に忙しく研究会に参加していないが、今年は時間を作り参加したいと思っている。なお本日東工大で開催される学会 http://www.spsj.or.jp/entry/annaidetail.asp?kaisaino=943 でカオス混合の招待講演者になっている。順番では最後の講演者なのでお時間のある方は足を運んで頂けるとうれしいです。
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高純度βSiCの前駆体ポリマーはリアクティブブレンドという技術で合成されている。リアクティブブレンドの技術はポリウレタンRIMや、ポリウレタンフォームのワンショット法で経験していたが、写真会社でも同様の技術を退職前に数年担当することになった。それはシリコーンLIMSの技術である。
RIMは巻き舌で「リム」と発音するが、LIMSは舌先を上の前歯にくっつけて「リムズ」と発音する。「ズ」がつくので日本人が発音しても、RIMとLIMSの区別は可能である。但し地方によっては、SがついていないのにRIMを「リムズ」と言っていたところもあるので注意を要する。冗談でLIMSの読み方を尋ねてみたら同じ発音であり、大笑いになったことがある。方言を笑うのは失礼と思ったが、ご本人に大受けしたので一緒に笑った。
1980年頃開発されたシリコーンLIMSは、シリコーンゴムの廉価版である。シリコーンゴムには、ミラブルタイプのゴムとこのLIMSのゴムの2種類がある。前者はHCR(Heat Cured Rubber)あるいはHVR(Heat Vulcanizing Rubber)とも呼ばれているが、タイヤのゴムのようにロール混練で配合され、成形時に加硫し製造される。
LIMSとはLiquid Injection Moldingの略で、低分子液状状態のまま金型に注型し、反応させて重合と加硫を同時に行うシステムである。この説明だけも想像がつくように、ミラブルタイプの成形品のほうがかなりコストが高い。シリコーンゴムのコストダウン技術としてLIMSが登場したと思われる。
両者の開発を担当した経験から、高性能を要求される分野にLIMSを使おうという気になれない。リアクティブブレンド技術として未だ完成しておらず、換言すれば現在でもLIMSの開発目標は品質安定化と高性能化であり、30年経った今でも開発が続けられている。
シリコーンLIMSの用途は細かい電子部品からローラなどのゴム製品まで多岐にわたるが、いずれも高価でミラブルタイプで作っても価格差の無い部品まである。すなわち成形業者が稼ぐことのできる材料なのである。材料メーカー御三家もしっかりとこの材料で稼いでいる。ゆえに末端ユーザーは、LIMSで設計すべきかミラブルタイプで設計すべきかよく考えた方が良い。
業者によっては同じ値段のところもあってびっくりした。もっとも最初から同じ値段では無く、価格が決まって上市した後品質問題が起きてその問題解決のためにミラブルタイプで製造した部品を持ってきたのである。末端ユーザーは知識が無い担当者が多いのでシリコーンゴムは高い、と言ってミラブルタイプで見積もり、LIMSで製品を納めていたのである。
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住友金属工業とのJVが、半導体用高純度SiC事業の発展のきっかけとなった。一人で開発の死の谷を歩いているときに、気分転換で外部の顧客探し、マーケティングを行っていた。セラミックスフィーバーはエンジニアリングセラミックスが中心だったが、SiCに関しては半導体用途に対する関心が高まりつつあった。
半導体冶工具もエンジニアリングセラミックスのカテゴリーであり、半導体分野の市場を持っていたメーカーで研究開発が進められ、SiC半導体冶工具分野は1990年にそこそこのマーケットが形成されつつあった。しかし、低コストSiCを製造できるアチソン法やそれよりも少し高純度化可能なシリカ還元法のSiCでは、高純度化のためにコストがかかり、高純度粉体は1kgあたり10万円以上で取引されていた。
また、ゴム会社のSiCは、シックスナイン以上の高純度であったが、既存の方法のSiCは、それよりも純度が低く、半導体用冶工具はSiへの汚染を防ぐためにCVDによる表面処理が必須であった。ある日自宅に住友金属工業の小嶋荘一さん(注)と言う方からお電話があった。無機材質研究所のT先生から自宅に電話するように言われたからだそうだ。T先生は当方が社内で辛い立場で一人で開発を進めていることをご存じであった。
当時の上司に相談したところ、話を進めて良いとの指示を頂いたので、会社に来て頂いた。話はとんとん拍子に進み、まずサンプル提供による共同開発から始めた。最初のサンプルは100g程度で良かったが、次第に量が増え、1ロット1kg要求された。6年間休眠していた高純度SiC量産プラントを稼働させる必要が出てきた。
JV立ち上げ後10kgの生産を行うのだが、休眠していたプラントを立ち上げるのは大変であった。上司から一人で仕事を進めるように指示されていたからである。誰も手伝ってくれる人はいなかった。当方の設計した高純度SiC生産用の横型異形プッシャー炉は、最低2人で運転する装置であった。自動化装置も組み込んでいたが、最適化しないままプロジェクトが縮小し装置が休眠状態となっていた。(続く)
(注)ゴム会社の高純度SiCが学会賞(日本化学会化学技術賞)を受賞するに当たり、開発の歴史を捏造した推薦書のために一度落選し、二度目に産学連携の成果であるとの修正が書き加えられた形で受賞している。この方の名前も入れて頂きたかったがT先生一人を入れるのが精一杯であった。
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ゴム会社の50周年記念論文投稿でボツになった夢が無機材質研究所で花開いた。それも昇進試験で同様の内容を書いて否定されたことがきっかけとなってのことである。真っ黄色の結晶粉体が得られたときに無機材研では大騒ぎになったが、ゴム会社ではしばらくその意味がわからず、社員の発明を国の発明として認めてしまう。当然その社員も発明者として影の薄い存在として扱われるのだが、結果としてそれが良かった。
ゴム会社の社長の前で半導体用高純度SiCの事業についてプレゼンテーションを行い、2億4千万円の先行投資が決定され、新たな研究棟も建設が決まった。1年前には、3年間留学していて良い、と邪魔者扱いだった社員に対して早く会社へ戻って会社で研究するように、と催促が来るようになった。結局1年半で留学を切り上げ、ゴム会社に戻り開発体制を整備する仕事から始めた。
新しい上司の下で10名前後のグループを想定し、テーマ企画も含めシナリオの作成を始めた。ところがこの上司は新しい研究棟の竣工式の日に病気で他界された。5月6日の竣工式が終わるやいなや翌日は葬式という忙しさであった。この上司の墓前には転職するまで毎年参拝していた。米国のゴム会社買収を推進するためリストラが行われ、一人で開発を続けるようになってからは、墓参りがモラールアップのきっかけとなっていた。
半導体冶工具について住友金属工業とのJVが決まったときにも真っ先に墓前へご報告にいった。だから、事業が立ち上がったので創業者はいらない、と仏様が判断されたのだろうとも思ったりもした。騒動が泥沼化したときに不思議にも写真会社から管理職としての転職の話が舞い込んだ。将来会社の幹部候補としての条件で年収も150万円程度上昇するという。当時の資料を見ると典型的な異業種のヘッドハンティングだった。
ただ写真会社で20年勤め、途中他の会社との統合もあり、転職時の約束など全て吹っ飛んだので、仏様の思し召しで無かったことに気がついた。サラリーマンの流動化が言われて久しいが、やはり日本では最初に勤めた会社で最後まで勤め上げた方が良い。甘言につられて転職し、約束が守られなかった時に惨めだ。当時問題が泥沼化して誠実に判断して自分がやりたい仕事を犠牲にした道を選んだだけに心は複雑である。
ただ、このことも含め高純度SiCについて考え始めてから幾つかの偶然が重なる事が多く、不思議に思っている。この時もセラミックスが仕事ではなく、高分子材料の技術開発を担当する話であり、ゴム会社が転職を拒む理由は無かった。ゆえに被害者ではあったが自己責任として真摯に対応することができた。
STAP細胞の騒動を見ていると渦中の若い研究者の将来が心配になる。もう少し自己責任の気持ちを持った方が良い、と思われるが、それを誰も指導していない。ここは理研を去る決断しかないように思われる。早く新しい環境で貢献と自己実現の活動を再開できるように努力した方が良い人生になるような気がする。
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昇進試験に落ちた連絡を受けた日の無機材研の話に戻る。昇進試験のショックに落ち込んでいたのは数分だった。I先生やT先生の激励でリベンジを決意した。無機材研でアイデアを検証することについて会社とも十分な調整をした。特許が無機材研から出願されることになる、というのに会社では誰も反対しなかった。検証結果に期待していなかったのである。
ゴム会社で、朝9時から高純度SiC合成のために用いる前駆体高分子の合成実験を始めたが、結局終了した夜9時まで食事抜きとなるハードワークとなった。それでも完全に透明になる条件が見つかり、その条件で炭素含有率が異なる10水準のサンプルを合成することができた。
この10水準のサンプルを用いて、炭化とSiC化の反応を行うのだが、許された時間は5日である。ゆえに4水準ピックアップして、SiC化の反応では、同時にこの4水準を処理することにした。その時電気炉の暴走が発生し最適条件となった話はすでにこの活動報告で書いた。運も味方したのである。
与えられた1週間の時間の中で1日残し、超高純度のSiCを安価に合成できるプロセスが完成したのだが、技術特許をどこが出願するのか改めて問題になった。I先生から基本的には無機材質研究所から出願して頂きたいが、会社とも再度調整するように、とも言われた。
当方は実験開始前に会社と調整が済んでいたのでどちらでも良かったが、ゴム会社に電話して驚いた。実験結果が出た後も、研究所のどなたも反対されなかったのである。結局この技術の基本特許はすんなりと無機材質研究所で出願することになった。
その後この特許を基に国のプロジェクトの準備が進められるのだが、ささやかな新聞発表もあったのでゴム会社が大慌てになった。結局ゴム会社が無機材質研究所と調整し、国のプロジェクトではなく、ゴム会社で国から斡旋を受けて開発を進める企画になった。試験に落ちてからたった一週間の成果で状況が改善されたことにびっくりした。
数ヶ月前のSTAP細胞発表の騒動と当時の無機材研のマネジメントを比較すると面白い。セラミックスフィーバーが吹き荒れていた時に当方の発明はSTAP細胞同様の扱いになってもおかしくない成果であった。30年経過した現在でも某セメント会社からこの技術を利用した類似の特許が出願されているような基本技術である。またゴム会社では現在でもこの技術で事業が展開されている。このような大きな影響力の予想された技術であったため、極めて慎重に研究テーマはマネジメントされた。
また、当方が企画から検証まですべて行ったにも関わらず、特許等の書類では末尾に名前が書かれるとか、あるいは全く当方の名前が無い書類もあった。単なるビジター研究員だったので当然であるが、全てについてI先生は当方への配慮として説明してくださった。
I先生の人柄を信じていたので、実質の発明者として扱われていない状況に不満を述べないだけで無く、すべてお任せした。その結果、何も騒動は起きず、その後ゴム会社で当方が研究開発できる体制ができ、少なくともある問題が起きるまでは、無難に研究開発を進める体制ができていった。
32年経過して思い返してみると、もしこの時STAP細胞発表のような騒動を起こしていたなら学位を取ることもできなかったろう、と胸をなで下ろしている。よい問題にしろ悪い問題にしろ、組織の中で発生した問題について中心人物は静かにしているのが一番である。その結果良くない方向に動いたならば、後日それなりの対応をとっても遅くは無い。これは組織人としての知恵でSTAP細胞の騒動で弁護士まで表に登場したのでは、無難に収集するのが難しくなる。
研究開発者にとって一番大切なことは、穏やかに研究開発できる環境である。そのために技術マネジメントが重要である。割烹着が登場した時点で少し胡散臭さを感じたがW大学の学位審査のずさんさまで明るみに出るパンドラの箱をあけたような騒動になっている。
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人事部長との面接は2時間以上の長丁場だった。人事部長も当方のガス抜きは大変だろうと時間を取ってくださっていたのだ。この時の人事部長はその後子会社の社長として栄転されるのだが、企業人としてお手本になる人だった。難解な技術の話でも熱心に傾聴してくださり、的確な仕事の進め方や対応のアドバイスをしてくださった。
32年間のサラリーマン生活で何があっても腐らず貢献と自己実現を実践できたのはこの時の面談が大きく影響している。サラリーマンとしての一大事に親身になって状況へ真摯に向き合いアドバイスしてくださったのだ。悔しさや腹立たしさが、自分の未熟さの反省に変わる気づきを与えてくれた。
翌年の昇進試験では、会社の先行投資も決まった後であり合格することはわかっていた。試験官はリクエストどおり前年度と同じ方だと伝えられた。同じ内容の答案に今度は100点という最高点がついていたという。その試験官とは直属の部下になって仕事をしたことは無かったが、その心意気が気に入った。会社では昇進試験だけの接点であったが、良い印象を持っている。
この時の会社の風土は、CIを導入していた時期であり、前向きで建設的な動きが感じられた。ゆえに昇進試験の問題のような解決方法がなされたのだろう。しかし、7年後研究の妨害のためが起きたときは、全く異なる風土になっていた。世界5位の会社が3位の会社を買収し、世界1位を目指そうと血みどろの戦いをしているときであった。
バブルがはじける前に激しいリストラの嵐が吹き荒れていた。どの部門の管理職も血眼になって仕事をしている様子が担当者にも伝わっていた。そのような風土に変化していてもマイペースで他社とジョイントベンチャーにより半導体冶工具の事業を立ち上げた姿が周囲から反感をかってもおかしくない状況であった。この劣悪な風土は、新聞や週刊紙で大きく報じられたあの騒動まで続いたそうだ。
何か社内で問題が起きたときに、会社に裁判所は無いのである。その会社の組織風土がその問題を裁くことになる。会社には規則や規程はあるがその運用は経営者にゆだねられている。ゆえに会社内で問題に遭遇した場合には、決して自分で動いてはいけない。第三者も巻き込み、信頼できる管理者に動いてもらい問題を解決するのが良い。誰も動かなかったのなら、何もしない解決というのがサラリーマンの知恵である。問題解決に動けば動くほど誠実で真摯に対応したいのであれば、問題を明確にして会社を辞める以外に道は無い状態になっていった。
しかし、昇進の問題では当方が無鉄砲な動きをしても会社に留まれるような環境が次々と作られていった。社長の前でプレゼンテーションしてその場で2億4千万円の先行投資が決まったり、社長との飲食や、ファインセラミックスのための特別な研究棟が建設されたり、と会社の動きは速かった。その結果、3年でも留学していいよ、と言われた状態から今すぐ研究所に戻ってこいという状態まで当方の周囲の環境整備が進められた(続く)。
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STAP細胞の騒動以降、博士の学位が必要な3つの理由などツイッターで学位の話題を目にするようになった。企業で研究開発を行い、その成果をもとに学位を取得した経験から博士の学位について述べてみたい。
ちなみに当方は中部大学で学位を取得し、その中心となっている研究は日本化学会化学技術賞の受賞対象となった技術で現在もその技術はゴム会社で事業として継続されている。ただし、化学技術賞の中心をなす研究を行ったにも関わらずそこに名前は載っていないが、学位と受賞理由を参照して頂ければこの賞における学位論文に書かれた研究の重要性をご理解頂けると思う。
まず企業活動を行う上で学位が必要かどうかという点について。少なくとも国内でサラリーマンとして活動する限りにおいて学位は不要である。理由は簡単で、今回のSTAP細胞の騒動でも表沙汰になったが、博士の学位のいい加減さである。STAP細胞では学位審査した大学と、学位を授与された側双方のいい加減さが表に出た。
この騒動では、論文をまともに書けない、日々の実験管理もまともにできない、実験ノートは落書き帳というとんでもない博士にたいして、他人の論文の20ページ近くもコピペしていても許し学位を授与すると言ったお粗末さが明るみに出た。
日本の企業人は皆日本の学位審査の実態だけでなく、そこから生み出された博士の品質のばらつきの大きいこと、そしてばらつきが大きいだけでなく、平均値が学部以下、すなわち会社で業務を遂行するときの能力が低いことも経験的に学んでいるのである。ちなみにSTAP細胞の中心人物は表に出た証拠を頼りに能力を評価すると企業では使い物にならない人材となる。
だから博士の採用を企業は渋るのである。博士を扱いにくい、という理由は、能力が低いからである。ここでいう能力とは潜在能力ではなく、表にでてくる実践的能力のことである。STAP細胞の騒動の中心人物は潜在能力はあるのかもしれないが、新聞情報では潜んだままで少なくとも表に出てきた能力の証拠の数々は学士レベル以下である(注)。
ところが海外との仕事になってくると少し事情が異なってくる。名刺交換したときに学位の有無で外人は対応が異なるのである。当方が学位を取得しようと考えた動機はそこにある。仕事のできない博士のほうが偉く扱われたからである。
たとえば技術開発を担当していなかったにも関わらず、パーティーなどで話題の技術について意見を求められるのは名刺に博士の学位が書かれている人物に対してである。学位の無い名刺を出した方は、いくら実力があっても軽く扱われる。同じ役職の場合に、学位で大きく扱いが異なってくる点が日本人同士の場合と異なる。
今技術者は国際化の流れの中で研究開発を行わなければならない。ゆえに実力のある技術者は学位を取得した方が良い、と経験上言える。一方大学に残ってまで学位を取る必要があるのかというと、学位はお花などのお稽古事と異なるので、不要である、と言える。
大学に残ってまで学位を取りたい場合には、自分にそれに値する能力があるかどうか、具体的には学位取得後も企業に就職できる自信があるかどうか、で判断すれば良い。学位取得後、就職先が無い、といって嘆く人は進路を間違えたのである。能力が無いのに学位を取ろうとした結果である、と考えるべきだ。本当に能力がある学生が、学位を取得している状況になれば、企業も積極的に学位取得者を採用するようになる。これは当たり前のことだ。
ただし、学生生活では企業の実践的な研究開発の事情が分からないので能力を発揮できていないだけだ、という言い訳が出てくるが、そのような方には弊社の研究開発必勝法を学習することをお勧めする。また、その入り口として未来技術研究部( www.miragiken.com )を立ち上げているのでそちらをごらんください。未来技術研究部では、未来技術を語りつつ技術開発について学べるようなマンガを目指している。
(注)ここでいう学士レベルは、理系であれば、4年終了時に論文を1報仕上げているレベルである。理研の所長もその程度を描いておられると思う。当方は学士卒業時にそこまで求められた。
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STAP細胞の騒動では記者会見が開かれ、管理者側と被評価側双方の意見を聞くことができた。両者の意見から浮かび上がってきたのは、理研の所長が未熟と表現したように、およそチームリーダーはおろか一人前の研究者として勤まらないような人材(すなわち研究成果を責任もって推進しそれを正しくまとめ論文投稿する一連の動作ができる人材を標準と考えている)が国の税金を使って指導者も無く実験を行っていた現実である。
データ管理の方法、実験ノートに記載された内容、さらには博士という学位論文の状況など公開されている資料から判断する限り学部レベルの学生以下の能力であることを示す内容である(注1)。当方は4年時の卒論でアメリカの化学会誌に投稿する論文を助手の指導でまとめているが、最後の仕上げは助手の方が全て行い、始めて論文投稿という作業の大変さを学んだ。その指導のおかげで修士の二年間では半年に1報のペースで論文を書くことができた(注2)。
STAP細胞の騒動では、被評価側の立場が悪いが、それは双方の資料が公開された上での評価である。これが会社の人事評価になると状況が異なる。直属の人事権を持った管理職の評価が全てである。会社の人事評価を天の声と言う人がいるが、たとえ多面評価を行ったとしても直属の上司の評価が悪ければ、それがその人の評価になってしまう。
天の声という意味は人事評価に振り回されるな、という意味であって公明正大な評価という意味では無いことを理解しておくことは重要である。天の声も妙なことをいうなァ、と言った首相もいたが、会社の人事評価はどのような手法を用いても直属の上司が人格的に優れた人物で無い限り、その評価は歪む(注4)。
ゴム会社では、新入社員は半年間という長い時間集合訓練で人事部の方達と寝食を共にする。ゆえに人事部の方達は、新入社員がどのような人物かおよそ把握している。当方は、この研修期間中に良い評価を頂いたそうなので配属後の3.5年間を人事部長に全てお話しをする機会を得た。人事部長はその話をすべて傾聴してくださった。
新入社員の6ケ月間の研修以外は、定時に帰宅したことはほとんど無かった。研究所には残業時間の制限があったのでほとんどがサービス残業である。最初に担当した樹脂補強ゴムのテーマでは指導社員が大変優秀な方だったので、一年のテーマをたった3ケ月でまとめることができた。初めての特許出願も体験し、後工程にゴムの配合処方が採用された。しかし配属後3ケ月で人事異動となった。
異動した部署の主任研究員は部下に評判の悪い人だった。この方の査定が悪く昇進試験に落ちたのだが、成果を出さなかったわけではない。軟質ポリウレタンフォームの難燃化技術がテーマとして採用されホスファゼン変性ポリウレタンフォームを数ヶ月で工場試作することに成功したが、始末書を書いている。
この始末書については書かなければいけない理由がよく分からなかったが、周囲からサインしておけば良い、と言われたのでサインをした(注3)。研修では入社二年間は責任を問われないから思い切り仕事をやるように人事部長から聞かされたが、責任を問われたわけである。しかし、責任を問われたことよりも企画を提案したときに設定したゴールを達成して始末書という意味がよく分からなかった。とにかく先端材料であるホスファゼンを用いたことが問題にされたらしい。
ならば、と始末書に落胆することなく、燃焼時にガラスを生成して高分子を難燃化するというコンセプト企画をぶち上げた。ガラスを生成して高分子を難燃化するコンセプトを実現するために処方設計したが、ガラスではアルカリ性が強くポリウレタンの反応を制御できないことが実験を開始してすぐに分かったので、燃焼時にボロンホスフェートが生成する設計に変更した。
これも数ヶ月で試作することができ、この時はそのまま製品展開され少し褒められたが、給与は同期のKよりも少し下がった。成果が出て給与が下がる面白い会社だ、と笑ってみせたが、昇進試験に影響が出るとは予想しなかった。そのあとフェノール樹脂天井材を担当したのだが、プロジェクトリーダーが長期病欠になる散々なテーマで、さらに思うように仕事を進めることができず、ヤミ研で開発した技術が製品に活用されたにも関わらず、明らかに考課は下がった。サービス残業代ももらえなかった。
人事部長の面談で以上の話をすべてしたら、君は人間リトマス試験紙と思って生きてゆきなさい、と言われた。その心は、と尋ねたら、君を悪く評価する人は悪い人である、と思って諦めなさい、とのこと。すなわち悪い上司に当たったからと言ってそれに左右される生き方をしたり、ましてや腐ったりしてはいけない、と励まされた。
今でもこの時の面談を思い出すが、人事部長も大変だったのだろうと思う。本来悪い考課をつけられたのだから反省しなければいけない社員が、反省をしないで職場の問題を訴えているのである。しかもその社員は職場を訴えている意識など無く、自分の成果を訴える過程で職場の問題が吹き出しているのだ。
若い頃は社会人として未熟でかつ純真である。しかし、それも30歳までに卒業できるように周囲は指導しなくてはならない。学校教育では教えていない本当の働く意味を指導しなくてはいけない。人事部長からはその後きめ細かなコーチングを受けた。感謝している(続く)。
(注1)学位論文では他人の論文のコピーアンドペーストが20ページにわたり行われていた、という。理系の学位論文では、学会誌へ投稿した論文をそのまままとめることが多い。学会誌に投稿された論文は、共同研究者の査読なりチェックが必ずはいるので学部レベルでも他人の論文も含めコピペを行えば学位論文をまとめることができる。またこのレベルの研究者でも新現象の発見はできる。むしろ発見という行為は知識が少ない、それゆえ先入観が無いほうが容易に行える。
(注2)当方は理研の鬼軍曹が頭に描いている標準レベルの研究者である。鬼軍曹というあだ名は、名古屋大学時代につけられたが、あだ名からは想像できない優しい熱心な指導者である。すなわち自分の受け持ちの学生でなくとも真摯な努力をする学生に対しては、きめ細かな厳しい指導をしてくださる。けっして鬼では無い、当たり前の指導者だ。ただ、コピペの論文を査読もせずに学位を与えるいい加減な先生よりも熱心なだけだ。
(注3)サインは当方一人だけだった。当方を一人前として扱ってくれた、と誤解した。
(注4)32年間のサラリーマン生活で人事評価は大きく変動した。同じ答案でも0点から100点となったように、人間は変化しなくとも評価者が変わればその評価は変動する。世の中には誠実さや真摯さを嫌う人がいる。ドラッカーは逆に経営者は誠実で真摯な人材を見いだすように努力せよ、と言っている。あえてドラッカーがその書で強調しなければいけないくらいに誠実さや真摯さは評価する管理者にとってリトマス試験紙のようになるのだろう。サラリーマンは誠実で真摯に自己実現に努力し社会に貢献する努力を怠らないことが大切である。そのように生きている人に悪い評価をする人間は、やはり悪い人なのである。
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さて昇進試験に不合格となった理由だが、人事部長の話では、論文が0点だったことと、受験前二年間の業務査定がBとB-だったことらしい。業務査定から不合格は事前に分かっていたが、論文の点次第では人事部で昇進させるつもりだった、といわれた。しかし論文が0点ではどうしようもない、と説明された。
論文の0点については事前に問題が分かっていて、その準備をして臨んだこと等不審な点をあげ、説明を求めたが、人事部長は黙して語らず、状態だった。ただ、論文の採点は、それぞれの事業部門の基幹職が行っており、来年は試験官が変わるから期待せよ、と慰められた。
しかし、当方から逆に来年も同じ試験官でお願いします、もの凄いことが起きますから、とお願いしたら、人事部長はびっくりされて、留学に精進するよう言われた。留学先で一生懸命頑張った結果が凄いことになりますから、と笑顔で答えたが、人事部長にはどのように写ったのか記憶に無い。この時の人事部長との面談では無性に悲しく今にも泣き出したかった記憶だけある。
この業務査定や試験結果は、組織としてこの人材はいらない、と意思表示している意味である。1年の予定のテーマを3ケ月で仕上げたり、高分子合成のテーマで新入社員でありながら企画を提案し、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの試作を成功させたり、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームやシリカ変性フェノール樹脂天井材(注)を毎日サービス残業を行い短期で実用化したり、周囲から見ると異常に見えたのかもしれない。
フェノール樹脂天井材を除き、ほとんど一人で推進したような仕事である。仕事を行っているときには、最初からとばすな、という声は聞こえたが、マネジメント上の指導は無かった。せいぜい趣味で仕事をやるな、という主任研究員の一言だけである。研究所は成果主義の評価、と聞いていたので成果を真摯に追求しただけである。
この時の記憶が、やがて管理職になり人事評価をする立場になったとき、成果に対して正しく評価するよう努める姿勢に向かわせた。他人が上げた成果をひいきしている部下の成果とするような評価を一切しなかった。どうしても甘い評価をしなければいけない状況になったときには、良い評価をつけてもきめ細かなコーチングやその後の指導を厳しくし、評価と業務成果が連動するよう管理者として努めた(続く)。
(注)当時のそれぞれの成果は、特許や論文、学会の講演記録として公開されている。さらにホスファゼン変性ポリウレタンフォームや、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの研究成果は、無機成分による高分子前駆体プロセシングの一環として学位論文の一部になっている。入社して3年半でこれだけ成果を出せたのは、最初の指導社員が極めて優秀な人で、研究開発の極意を伝授してくださったおかげである。その方も事業に貢献する企画を数多く成功させたが主任研究員止まりであった。しかし、その方の研究開発哲学は企業における研究開発をどのように行うべきか、経営の視点における一つの答を示していると、今でも思う。当時研究所ブームの名残が残っており、どちらかと言えばアカデミックな研究が企業でも行われていた時代で、その中でオブジェクト指向の研究開発スタイルは異端であった。ちなみにその指導社員はレオロジストであり、関数電卓でダッシュポットとバネのモデルの計算をやっていたもの凄い人物である。製品ができあがるプロセシングからゴムの材料設計をとらえている技術者でこの指導社員を越える力量を持った人物に未だに出会ったことはない。1年のテーマを3ケ月で仕上げることができたのは、テーマ開始時にシミュレーションによる答が得られており、実作業で出てくるデータがそのとおりだったからである。この仕事において自分の貢献できる役割は、開発の時間短縮だけだと考えた。1日7時間労働で1年かかるなら、休日出勤して1日15時間労働すれば3ヶ月で終わる、と仕事のシミュレーションをして、それを実行したら計算通りに仕事が終わった。その指導社員が神様に見えた。
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