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2013.08/03 科学と技術(11)

昨日からの続きである。

失敗は成功の始まり、という言葉には昔から勇気づけられているが、最終的に成功しなければ、この言葉の含蓄は分からない。同様の意味として、失敗からノーベル賞が生まれるぐらいなので、失敗したからと言って失敗を軽んじてはいけない、と失敗したときに戒めたりする。

 

少し意味が異なるが、失敗を承知で行った実験からもノーベル賞が生まれているので、たまには軽い気持ちで失敗を覚悟の実験をしてみるのも良いかもしれない。なんやかやと失敗はだめなことばかりではないということが感覚的に分かってくると失敗に対する考え方も変わる。

 

ただし、ここで失敗学を論じるつもりは無い。科学的に分かっていることだけで開発を進めようとすると当たり前の成果しか得られないだけで無く、失敗を科学に反したこととして安易に片付けてしまう姿勢が生まれる問題を指摘したい。

 

仮説を立てて実験を行って、成功すれば仮説が正しかったことになる。うまくいかなかったときには、仮説の見直しをする、ただそれだけで良いのだろうか。うまく行かなかった実験について深く考察する必要は無いのだろうか。このような問題は悩み出すと精神論になってゆく。

 

科学的に実験を行う場合に、現象のある一面だけを見て実験を行っていることに気付いていない。すなわち仮説を確認するために実験を行っているつもりでも考え違いをしているかもしれない。

 

例えば先日紹介したコアシェルラテックスを目標とした事例では、コアシェルラテックスを合成することは最終ゴールではなく、ラテックスと超微粒子シリカ、ゼラチンの3成分を混合したときにシリカが凝集しない状態を創り出す、一つの手段だったはずである。

 

タグチメソッドの実験では、調合誤差を用いてあらゆる面のノイズを載せながらシステムの基本機能のロバストを確認する実験を行う。科学の実験では、仮説でモデル化された特異な条件の実験であり、そのようなことをしない。真理が確実に再現されるかどうか、極めて限定された条件を設定し、真理は一つという管理下で実験を行っている。だから科学の実験は、管理しているとはいってもノイズに影響されやすい条件で実験を行っている、と言えるので、結局大抵の失敗をノイズの影響と片付けても良いのかもしれない。だから思うような実験結果がでなかった場合に、データを平気で捏造する科学者がいるのかもしれない。タグチメソッドではデータの捏造という発想は命取りになる。

 

技術開発における実験計画の考え方と科学の世界の実験計画の考え方は異なる。しかし失敗に秘められた成功の種を見落とさないためには、失敗の価値をすぐに判断できる状態で実験を行うとよい。すなわち、非科学的かもしれないが、一度可能性のある全ての条件で実験を行い、全体を眺めてみる方法が良いと思われる。全ての条件で実験を行っているから、失敗の原因もすぐに分かる。ところが現実にはこのようなやり方はできない。しかし机上実験ならば実現できる。弊社の問題解決法にはこのような机上実験を行うためのツールが用意されている。

 

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2013.08/02 科学と技術(10)

昨日までのゾルをミセルに用いたラテックス合成技術は、コア・シェルラテックスの開発過程で失敗した実験の条件に開発のヒントがあった。

 

このような事例は科学の発展の中に数多くある。例えばポリアセチレンの重合実験で、学生が触媒量を間違え導電性高分子を発見された白川先生の話がある。この話は研究目標が導電性高分子であり、ゴールが明確になっている実験においての失敗である。ゆえに失敗実験ではあるが、その実験結果を見落とす確率は低くなる。新聞では「幸運にも学生が実験に失敗した」、と紹介されていた。

 

しかし、ゾルをミセルに用いたラテックスを発見したときの開発目標はコア・シェルラテックスである。ゾルをミセルに用いたラテックスとは対極にあるゴールで、そのうえこのラテックスは明らかに失敗と判断される状態である。このような失敗は、白川先生の事例のような幸運の失敗にならない。よほど注意して実験を行わない限り、第三者から同様の技術が公開されたときに、残念に感じる失敗となる。

 

実はゴム会社で高純度SiCの開発を担当していたときにこのような残念な経験を何度もした。すなわち自分が失敗と思った実験が重要な発見に結びつく実験であった残念なケースである。観察力が無く、勘が悪いと結論づけても対策を打たなければ、このようなケースは改善されない。またこのような残念なケースでは、勘が悪いとしてかたづけてしまう事が多い。しかし3度や4度繰り返すとこの様なケースの対策が重要なことに気づく。

 

それでは失敗を残念なケースにしない対策とはどのような対策があるのだろうか。弊社の問題解決法はこの経験則も取り入れて、失敗を残念なケースにしない対策を提供している。すなわち失敗を新たな技術のヒントにする手法である。

 

一方以前にも紹介しているノーベル賞を受賞したヤマナカファクターの発見は、白川先生のケースと異なり、積極的に成功につながるアブノーマルな実験を行い、それが失敗とはならずに大発見となったケースである。山中博士は「運が良かった」と謙虚に発言されているが、あのような実験は失敗というものが新しい発見を生み出す、ということの重要性に気づいていなければできない。すなわち運ではなく頭の良い実験だったのである。

 

あらためて山中博士のお人柄に感心し、少しでもそこへ近づきたい、と反省した。この山中博士のケースも過去に紹介したように弊社の問題解決法には取り入れている。すなわち弊社の問題解決法は、頭の悪い人間が度重なる失敗経験を重ね、その対策のために生み出した問題解決法で、科学的なTRIZやUSITと異なる。

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2013.08/01 科学と技術(9)

高分子材料自由討論会の質問がきっかけで書き始めた昨日の話を少しまとめる。

ゼラチン水溶液に、シリカ超微粒子とラテックスを分散して塗布液を調製する。この塗布液からは靱性の低い薄膜しかできない。また塗布液は增粘する。塗布液中でシリカ超微粒子が一部凝集し增粘しており、ゼラチン薄膜の中でもこの凝集体が残っているため、塗布膜ではそこが破壊の起点になりひび割れしている。塗布液をどのように調製しても、ゼラチン水溶液と、シリカ超微粒子、ラテックスを別々に添加して混合する限りシリカの超微粒子の凝集体が生成する。コロイド科学では当たり前の現象が塗布液の中で生じているために、シリカの超微粒子をコアにしたコアシェルラテックスを使う以外にこの系における科学的なソリューションは無い。

 

しかし現象をよく見てみると、シリカの超微粒子は凝集しやすいがラテックスの凝集は起きにくいことがわかる。シリカの超微粒子をミセルにしてラテックスを重合し、そのラテックス溶液とゼラチン水溶液をまぜたならシリカ超微粒子の凝集体はできないのではないか、と研究開発しているメンバーに問いかけた。ただし、ゾルをミセルに用いたラテックス重合などという話はコロイド科学に存在しない(注)。

 

たまたまコアシェルラテックスの合成研究を行っていたとき、失敗した合成条件でシリカ超微粒子の表面において全く重合が起きず、シリカゾルとラテックスが安定に分散している状態を経験した担当者がいた。

 

コアシェルラテックスの重合条件としては失敗であったが、うまくシリカゾルがミセルになっているかもしれない。もう一度その条件でラテックスを重合し、ゼラチン水溶液と混ぜて状態を観察したらどうか、とその担当者に指示を出した。翌日笑顔で目的を達成したラテックスができていた、との報告があった。驚くべき事に、シリカ超微粒子が存在するにもかかわらず、その水溶液の粘度は、ゼラチンとラテックスだけを混合した水溶液の粘度と同じレベルであった。シリカ超微粒子とラテックス、あるいはシリカ超微粒子とゼラチン水溶液いずれの組み合わせでも增粘するが、シリカ超微粒子をミセルに用いた場合には、そこへゼラチン水溶液を添加しても粘度上昇が生じない。

 

この技術をすぐに製品展開するとともに、特許も出願した。しかし、本当にシリカ超微粒子からミセルができて、そのミセル内でラテックスの重合が起きているのか、三重大学川口先生の御指導を受けながらコロイド科学の視点で研究を行ったところ、本当にミセルが安定に生成していた。あたかもホワイトボードに書いた絵のようなことが実際に起きていたのだ。この技術は写真学会からゼラチン賞を頂いたが、科学が基になってできた技術ではない。むしろ非科学的な方法で技術が先にできて、それを科学的方法で現象の証明を進めた手順になっている。

 

あるいは失敗という経験を基に技術を作り上げ、できあがった技術を科学的に検証している、と表現できる。もし時間や設備の関係で科学的検証をできなくとも、技術で製品を作ることは可能である。科学的検証はを行わなくともタグチメソッドで品質の安定化が可能だからだ。ここで科学的検証を行った理由は二つあり、一つは人材育成、他の理由は技術を正しく理解し、他へ応用できないか考えるためである。後者は正しい科学的視点から技術を見直すことにより、その上に構築しようとする技術が砂上の楼閣とならないようにするためである。

 

(注)1992年当時の話で、2000年になってからコロイド科学の雑誌「Langmuir」にゾルからミセルを生成し、オイルを安定に分散した研究が発表された。

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2013.07/31 科学と技術(8:高分子材料自由討論会(3))

高分子材料自由討論会で多糖類高分子の発表をした。3年前に日本化学会から依頼され雑誌「化学と教育」に執筆した内容の一部とミドリムシプラスチックを組み合わせての報告。「化学と教育」では少し書いたのですが、18年ほど前に味の素で開発されたバクテリアセルロースに触れなかったことに関して質問があった(ミドリムシよりも昔の技術に関心が高いのか、とがっくりきた)。

 

バクテリアセルロースに関しては当時ゼラチンとの複合系で評価し、弾性率と靱性を同時に向上できる材料として注目をし、「科学と教育」には水分散性高分子フィラーとして面白い材料と紹介した。しかし、他の材料技術と比較評価したときに、コストパフォーマンスの観点であまり面白くない材料という社内の技術的位置づけになった。

 

そのため「化学と教育」では、単なる添加フィラーという用い方では無く一歩進んだ技術を紹介し、高分子材料自由討論会ではナタデココの話題とともに割愛した。そのかわりに「化学と教育」では触れなかった「おから」について少し紹介した。バクテリアセルロースよりも「おから」のほうが少し面白い話題性(注)を含んでいる。

 

ところで、バクテリアセルロースを18年前に高分子材料のフィラーとして評価したときに問題となった、脆いゼラチンを固く割れにくくする技術として、当時シリカをコアとするコアシェルラテックスが最先端の技術として議論されていた。

 

シェルを構成するラテックス成分がゴムで柔らかく、これでゼラチンの靱性を改善し、シリカという固い無機微粒子の存在で硬度を稼いでいるのだ。アナログ写真におけるバインダー技術の最終完成形としてデジタル化の波が起こり始めたときに登場した。

 

コアシェルラテックスは当時の先端技術であり、学会でも様々なコアシェルラテックスが発表されている時期でもあった。ゼラチンにゴム成分のラテックスと固い超微粒子を均一に混合しようとすると、超微粒子が凝集し、それが破壊の起点となり、脆いゼラチンはますます割れやすくなる。この3成分の混合において超微粒子のシリカの凝集を防ぐには、コアシェルラテックスが科学的に考えて最も良い方法である。

 

(科学的に最も良い方法だから科学を知っている誰でも考える陳腐なアイデアとも言える。)

 

ところで、実現したい機能はシリカの超微粒子とゴムのラテックスとゼラチンが凝集体を作らずに均一に水に分散していること、そして塗布してもその状態が維持され、シリカの超微粒子とゴム状のラテックスがゼラチンバインダーに均一に分散し、それが割れにくく固いという物性だ。

 

ホワイトボードにその状態の絵を描けば、他のアイデアを引き出せるかもしれない。ゴム状のラテックスのまわりにシリカの超微粒子が分散している絵を描くことは難しくないだろう。ゴールはその絵で、それを実現すれば良い。

 

このような話をすると優秀な科学者は笑う。コロイド科学の常識では、電荷二重層が存在するので、混合時にこれが乱れどうやってもシリカの超微粒子の凝集ができるはずだ、としたり顔で説明する。実際の開発現場ではもっと辛辣でコロイド科学を知らないからそのような発言ができる、と全員の前で馬鹿にされるような状態であった。

 

転職したばかりであったが、ポリウレタン発泡体の開発や電気粘性流体の開発を通じ一応のコロイド科学の知識を教科書程度持っていたので、シリカの超微粒子をミセルにしてラテックスを重合したらこのような姿にならないか、と嘲笑にくじけず再度提案した。

 

この提案では8割に笑いが起きたが、一人頭の上に電球が灯った社員が現れた。彼はコアシェルラテックスの合成実験をしていたときに、シリカの超微粒子存在下でラテックスを合成したら、まったくシリカの超微粒子表面で重合が起きず、コアを含まないラテックスが合成された経験を持っていた。

 

コアシェルラテックスが目標だったので、その実験条件は失敗だと思っていたが、その条件を見直せばホワイトボードの絵の状態ができるかもしれない、と発言した。開発の検討過程では失敗はつきもので、失敗という経験の中には新しい科学のヒントが隠されている可能性があり、この発言を待っていた!

<明日に続く>

 

(注)討論会でも回答したがバクテリアセルロースに関しては20年ほど前に出願された特許の幾つかが期限切れになり、ブレークする可能性があるかもしれない。ただしブレークするためには、競合するフィラーよりも価格が安くならねばならない。例えば300円/kg以下。

カテゴリー : 一般 高分子

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2013.07/30 高分子材料自由討論会(2)

日曜日から高分子材料自由討論会に参加している。昨日の講演では、2件弊社の今年の活動に関係する報告があった。

 

1件は、N社からのポリエチレンの混練において混練機が変わるとレオロジー特性に差が出て品質問題になっていた、との報告。この問題を解決するにはポリエチレンをロールに1回通せばよい、という内容だったが、弊社が力を入れているカオス混合の技術を支持する結果が得られていた。

 

他の1件はY大K先生の助教の報告。キャピラリーに2種類のポリマーを同時に流した時の界面の現象について。この研究報告では、細いスリット中で発生するポリマーの界面現象を形態観察とレオロジー測定を行い考察していた。

 

いずれも研究報告として弊社の技術と深く関係する内容であり、ご興味ある方はご連絡ください。

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2013.07/29 高分子材料自由討論会(1)

昨日から高分子自由討論会に参加しています。夕食後アルコールが入っている状態で拝聴した興味深い話題を2つ。

 

長岡技科大河原先生の天然ゴムの構造に関する研究。数年前から拝聴していて、細かいところまで科学的に丁寧に研究されているのに感心していた。およその構造はゴム会社に入社したときに習い、怪しい構造を知っていたが、植物の体内でできる過程からラテックスの細部の構造まで電顕写真と照合しながらの説明は面白かった。

 

このような研究を「産業に貢献するのか」という人がおそらくいるかもしれないが、およその構造の説明と「確かにこのようになっている、これが真実だ」という説明では、迫力が異なる。ゴム産業に直接役立つかどうか、ということではなく、技術開発をしているときに「本当はどうなのか」という疑問がわき、それがすっきりする爽快感は、機能追求に集中できる安定した姿勢を保つので大切である。これは感覚なので実際に味わったことのない人には伝えにくい事柄である。

 

わかりやすく表現すれば、高分子材料開発では、未だに科学的に不明な事柄が多く、不安な状態に時として陥るので、それが解消されることは、間接的に産業に役立つ、ということである。特に生ゴムの場合には、稀にゴム手袋にアレルギーの人がいるが、この研究結果を見ればその理由がわかる。それでも「昔からわかっていたことだ」と言う人がいるが、この研究結果から、安いゴム手袋を天然ゴムで作るな、とはっきり言える。この研究結果からアレルギーの解決にコストがかかることが明確になった。

 

もう一題は名大の高野先生のブロック共重合体が織りなす様々な相分離構造の研究。これもその価値がわからない人には無駄な研究に見える。この研究のテーマの一つにブロック共重合体・ホモポリマー・溶媒系からできる相分離構造があるが、この結果は高分子のブレンド系を設計するときの重要なヒントを示している。一般には無溶媒の世界でこの研究と無関係に見えるかもしれないが、スピノーダル分解を利用してフィラーの分散制御を行うヒントを与えてくれる。科学的な丁寧な研究で勉強になりました。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

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2013.07/28 科学と技術(7)

科学とは現象を理解するための哲学、と言った人がいる。科学の目的は真理を追究することだ、ということはよく聞く。1883年に物理学者マッハは力学史を著すが、そこで本能的知識が現象の研究に先行している、と述べている。

 

現象の研究とは科学的研究のことで、科学が無くても本能的知識や経験で技術が進歩することをマッハは認めている。また、いつ、どこで、どのような仕方で科学の発展が始まったかという史実を調べることは困難だとも述べている。マッハ力学史を読むと、技術が発展した歴史の中で科学が生まれた様子を知ることができる。マッハは科学の生まれた時代の研究を検証しながら何が科学なのかを明らかにしてゆく。

 

面白いのはニュートン力学を批判し、ニュートンがニュートン力学を生み出す過程を非科学的とマッハは述べている。ニュートン力学は高校の物理で学ぶ科学の一分野でもある。しかしそれはマッハによれば非科学的に生み出された成果である。大学で改めて力学を科学として学び直すが、高校で非科学的な力学を教えていることを誰も指摘しない。これは一つの大切な知恵である。

 

会社の技術開発の現場で、非科学的方法を笑う人がよくいる。技術開発の現場は、理系の大卒以上の学歴の人が多いので皆科学のプロである。ゆえに非科学的手法を見ると批判する。批判はまだ良いが嘲笑する人までいる。

 

科学的手順は大切である。製品の品質管理でも統計学に基づいて行われる。しかし、技術開発の効率を上げたり、イノベーションを起こしたりするときには、この科学的方法が時には足かせになったりする。超高純度SiC新規合成法は、前駆体合成を開発した手順が非科学的であったため学会でひどい目に遭った。

 

また、山中博士は、ノーベル賞を受賞するまでヤマナカファクターを発見した実験を詳しく公開されなかった、とTVで紹介された。その番組で公開された、発見に至る実験の内容は、極めて非科学的方法であった。山中博士を見て自分の軽率さを反省した。

 

時としてイノベーションが非科学的方法から生み出されていることにもっと目を向けるべきである。技術開発では科学にとらわれる必要はなく、自由な発想で取り組むべきであろう。自由な発想が難しいので、科学に技術開発の方法を頼っている、というのが現状の姿ではないだろうか。TRIZやUSITはその時の便利なツールで、このツールを使えば科学的手順を「難しく」確実に行う事ができる。

 

これに対して弊社の研究開発必勝法プログラムでは、非科学的方法もとりいれている技術開発のための問題解決法である。技術開発でコーチングをうまく実施する方法も公開している。このコーチングは科学的方法に準拠していない。部下の発想を促すのに科学的方法論は不要である。機能実現のための真摯さがあれば良い。

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2013.07/27 科学と技術(6)

技術とは機能を実現する行為あるいは手段だと思う。

 

福島原発の事故の状況は、技術とは何か、科学とは何かを考えさせてくれる。そもそも原子力発電は20世紀を代表する科学技術の象徴の一つであった。それゆえに現代抱えている科学技術の問題のほとんどが事故の状況に象徴的に現れてくる。放射性物質を含んだ海水の漏洩問題が3年経った今でも現在の新聞報道の内容になっているのは、水俣病の反省を技術者がしていない、と言われても仕方がない状況である。

 

さすがに最近では,東電の技術者が発言し問題となった「あれだけの事故が起きても、まだ死者は出ていない」というたぐいの発言は無くなった。しかし、事故後の状況を見る限り福島原発の事故を未だに反省していない技術者や経営者がいることも確かである。一生懸命やっている、という人がいるかもしれないが、一生懸命やって当たり前で、さらに何も問題が起きないのが当たり前なのである。またこれを経営者は理解しているので海水への漏洩問題を先送りにしてきたのである。東電の対応に「どうせ」という言葉が見え隠れする。

 

福島原発の事故について人災であるにもかかわらず未だ責任が明確にされていない。福島原発について人災か天災か不明、という人がいるかもしれないが、原発の安全確保、事故=0という機能が必達であるとするならば、その技術が未完成のまま運転していたことになるので天災ではない。また女川原発では、福島原発同様に津波に襲われたにもかかわらず、大事故に至らず停止している。この2つを比べるだけでも天災とは言えない。

 

大きなところでは、防波堤の改修を見送った事実がある。防波堤の改修を行っていたとしても全電源喪失という事態になっていたかもしれないので人災では無い、というのは見苦しい言い訳である。一部センサーの電源が外されたままになっていて運転状況が不明だったとか、外部電源車が間に合ったがコネクターが合わなかったために使えなかったとか、明らかに要所要所に人災の痕跡が残っている。

 

センサーの電源にしろ、外部電源用コネクターの問題にしろ、安全確保の機能の一つで有り、それをパーフェクトに維持するというのは原発の重要な技術のはずである。これらをパーフェクトに維持するための科学的方法を考えてもだめで、非科学的ではあるが、全てを書き出して対応策を立てなければ防げないのである。そもそも津波を発生確率でとらえ、確率が低いから津波対策をしなくとも良い、という科学的判断が大事故を招くことを福島原発は証明した。非科学的ではあるが、泥臭くあらゆる可能性を考えて事故=0を目指す機能を実現する技術こそ重要である。弊社の問題解決法ではこの考え方を取り込んだツールを用意している。

 

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2013.07/26 科学と技術(5)

科学の存在しない世界で技術が生まれる可能性があるのだろうか。

 

16世紀以前に科学は存在しなかったが、技術の進歩はあった。例えば木造船はかなり古い時代から使用されていたらしいが、腐りやすい材料のためいつの時代から使用されていたか不明と言われている。しかし移動手段として川に木を浮かべそれを利用して川を渡ることを覚えた人間がその後船を発明した、と想像するのは間違いではないだろう。

 

陸で重い荷物をコロで運ぶ方法を覚えた人類は、車輪という技術を発明し、いつの時代からか不明だが、台車を動物に牽引させて荷物を運ぶようになった。物を運ぶ移動手段としての道具の発明は、明らかに技術開発であり、科学が存在しなくても技術開発が行われていた証拠は多くの遺跡から見つかっている。

 

人間に不足する能力を補う大型の技術開発とは異なり、生活を便利にする工夫の技術開発はもっと早くから行われていたようだ。例えば、石を単に削って道具としていた時代から焼き固めた土器の発明は材料技術の革新と見ることができる。この土器という材料技術発明後、デザインの開発が中心に行われ、ダイナミックな形状の土器が開発されてゆく。このあたりは、イノベーションを起こした技術を活用して様々な商品開発が行われる現代の様子と似ている。

 

その後、土器の世界は、よりよい材料の技術へと発展する。例えば日本の縄文式土器と弥生式土器を比べればデザインが異なるだけで無く土器を焼く温度も高くなり、材料まで変化している。同じ時代に中国では青磁まで登場している。人類が火の使い方を覚え、その火をコントロールし、セラミックスの技術を進歩させていたのだ。

 

進歩のスピードは現代と比較して比べものにはならないが、科学が存在しなくとも技術開発を行う事は可能なのである。このような技術開発の歴史を見ると、科学と技術は車の両輪である、と言う言葉は、少し不適切な感じがする。但し、昔技術という台車を人間が押していたところへ科学という動輪をつけた、とこの言葉を解釈するとこの言葉の含蓄の深さに感心する。

 

すなわち、自動車にはFFとFRの形式があり、科学が先導して技術開発が進められればFFであり、技術が若干先導し、それを加速度的に後押しするのをFRという形式に当てはめると、科学と技術は車の両輪という言葉は深い意味を持ってくる。すなわち科学の進歩に頼る技術開発だけでなく、科学に先行する技術開発という考え方も重要だと、この言葉は教えている。

 

さらに車にはAW(四輪駆動)という方式も有り、恐らくこの方式は人類が行う技術開発として究極の方法だろう。車の両輪、という考え方から21世紀はAWによる技術開発という考え方へ変わるべきで、その変革に弊社の問題解決法が重要な役目をする。

 

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2013.07/25 科学と技術(4)

教科書に書かれていることを絶対視する人は多い。教科書には過去の知識がまとめられているに過ぎない。教科書で科学的方法論を身につけ活用することは重要であるが、教科書に書かれた知識に束縛される技術者は損をしている。

 

例えば、白川先生が高分子導電体を発見されたときに高分子半導体という教科書が先端の教科書として販売されていたが、一瞬にして過去の遺物となった。当たり前のことだが、その教科書には高分子に導電性を持たせる方法は導電性の高いカーボンを分散する技術以外に方法が無い、と書かれていた。導電性ポリアセチレンの話など一言も触れていなかった。

 

白川先生の導電性高分子発見のニュースで、1ケ月前に大学生協で購入した本がその日にゴミとなったのである。食べ放題の焼き肉屋へ2日通えるお金が無駄になったショックは大きい。この時科学の進歩の残酷さを身にしみて知った。

 

高分子のレオロジーの教科書も似たようなところがある。30年以上前はバネとダッシュポットのモデルでレオロジーを解説した教科書しかなかった。今でも時代遅れの教科書にはバネとダッシュポットを用いて高分子のレオロジーを解説しているが、すでに高分子鎖1本の粘弾性データが得られている時代である。やがては高分子物理というタイトルでまとめられるだろうが、高分子のレオロジーというタイトルは過渡期のような気がする。高分子のレオロジーから目を離せない。

 

高分子のレオロジーを勉強するにはどうしたらよいか。専門外の人にはやや馬力を要求されるがOCTAの日本語マニュアルが良いのではないかと思う。2000年前後に当時名古屋大学土井教授がリーダーになって開発されたOCTAは、今でも開発が続けられている世界に誇れる国研の成果である。無料で中身の濃い説明書をダウンロードできる。OCTAを使えなくても、この説明書を理解するだけで価値がある。

 

高分子のレオロジーについてはバネとダッシュポットのモデルを忘れた方が良いかというと、過去の遺物が意外と便利に使えることがある。アイデアを練るときにオブジェクトを抽象化する作業をする場合があるが、この時バネとダッシュポットのモデルを使うと便利である。また、複合材料を設計するときなどバネとダッシュポットのモデルは重宝する。すなわち高分子材料技術の一手段としてバネとダッシュポットの考え方を身につけておくと便利である。

 

このような事情で高分子のレオロジーは、科学と技術が混在しており教えるときに苦労する分野ではないだろうか。今の時代は科学として教えるよりも技術として実験の結果など実践に準じて教えた方が良いように思う。

 

科学の教科書は方法論あるいは考え方を学ぶには重要である。しかしそこに展開された知識にとらわれすぎると新しいアイデアを否定することになる。技術の世界では「必要は発明の母」と考え、自由にアイデアを出すべきである。そのために弊社の問題解決法がある。

 

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