製品化まで半年しかない状況で、歩留まり10%以下の押出成形プロセス立ち上げのリーダーを引き受けた。コンパウンドに問題があり、それを解決すれば歩留まりを改善できることがヒューリスティックな解(注1)として得られていたからである。
コンパウンド供給メーカーに協力を仰いだところ、「素人は黙っとれ、やりたければ自分でコンパウンドを作れ」と言われた。コンパウンドメーカーにしてみれば、半年でコンパウンドラインなど建設できない(注2)、と分かっていたからである。
上司と相談し、当方の権限をすべて部下に委譲し、半年で当方のアイデアを実現するコンパウンドの生産プロセス建設のための準備および社内調整を、コンパウンドメーカーに協力を断られた日に行っている。一日でも無駄にできなかった。
上司であるセンター長は、予算面のバックアップを約束してくれたが、人材は当方が集めなければならなかった。コンパウンディングの基盤技術など無い会社(注3)なので、中途入社で1名採用し現場で退職が近いということで暇にしていた有能な技能員を1名確保して、当方も現場に立つ覚悟を決めプロセス開発を行っている。
やればできるもので、半年後には押出成形の歩留まり90%以上を実現できる世界初のカオス混合プラント生産ラインがアジャイル開発により完成した。ただ半年間は眠る時間も休みも返上し(注4)作業者の一人として活動している。
幸いにも部下の2名も優秀で「貢献」を理解している人材だったので、開発はおもしろいように進んだ。研究開発人生で最も短期間で技術を実用化(量産開始できた)できた開発成果である。しかし、当方の役割からその仕事は評価されることはなく、すべてがまさに貢献だった。ただし部下の評価は100点以上をつけている。
マネジメントとは人を成して成果を出すことだが、緊急事態にはすべてを放り出して貢献に焦点を合わせ業務を推進すると周囲の協力が得られる(注5)。転職して20年勤めた会社で最も気持ちよく仕事ができた思い出である。部下の課長二名には迷惑をかけたがーーー。
(注1)この手法について弊社のセミナーで解説している。
(注2)生産用の二軸混練機の製造には1年以上かかる。根津にある有名な中小企業に協力をお願いし、中古機を集めて埼玉にあるその工場で組み立てた。静岡にあるケミカル工場にプラント建設が決定さえた後それを運び込んでいる。木下藤吉郎の一夜城と同じ方法である。蜂須賀小六と藤吉郎のように信頼関係が重要である。
(注3)ゴム会社の新入社員時代の3か月間、混練の神様と呼びたくなるような指導社員からカオス混合については学んでいた。
(注4)毎週東京に帰っていたのだが、出張旅費を申請していない。労働時間数から過重労働となるからである。新幹線代は自腹であり、報われないどころか個人的に大赤字の業務だった。
(注5)ただしこれは企業風土にもよる。当時二つの会社の統合が行われていた時で、皆が統合の成功を目指していたタイミングの良い時だった。サラリーマン最後に気持ちの良い風土で仕事ができたので余韻が冷めないうちに2010年に早期退職する決心をしたのだが、PETボトル再利用の環境対応樹脂を開発するために、それが1年延びて2011年3月11日が最終出社日となり、一晩誰もいない事務所で過ごすことになった。
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上司に世界初の研究テーマ企画を命じられ、それを実現しても成果とならない。これは特許を見ていただけば、企画し研究を推進して特許を書いた人物が末席になっているところにも表れている。
上司に命じられて夜遅くまでサービス残業しホスファゼン誘導体を合成して実施した工場試作に成功したところで始末書を書かされた。
それでも会社を辞めたいと思わなかった。新入社員の2年間は残業代がつかないが、定時後自由に研究をやってよいと上司が言ってくれたから、楽しかった。
無機材料のアルコキシドを均一に分散し燃焼時の熱でガラスを生成する高分子の難燃化技術は、コンセプトが世界初だけでなく、有機材料からセラミックスを製造する前駆体技術にも広がる可能性のあるアイデアだった。定時後の研究で高純度SiCの前駆体技術を完成させている。
40年以上前のあの頃は、必ずしも労働環境は良くなかったが、ヤミ研を行う自由な時間が許され楽しかった。ドラッカー少年ではないが、自分で新たな問題設定をして研究を進める楽しみが保証されていた。
給与は増えないどころか始末書まで書かされているが、貢献と自己実現の欲求は満たされていた。これが新入社員の気楽さと後になって理解できたが。
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毎月末に経理部門が締めるときレシートが無い支出が問題となっていた。上司がポケットのゴミ整理を行う時に誤ってゴミと一緒に捨てる習慣があったためである。
ドラッカー少年が毎朝早く出勤し、ゴミ箱の整理をするようになってから、レシートの紛失が無くなり、経理の締めがスムーズにゆくようになった。
ドラッカー少年は、自分で見つけたこの仕事が、勤務する会社におけるもっとも重要な仕事と位置付けたのである。ただし、彼のこの仕事は上司に命じられたものではなく、上司は彼の功績と分かっていても感謝もしなければ特に褒めもしなかった。
それでもドラッカー少年は、退職するまでこの仕事を最も重要な仕事として一生懸命励んだ、と著書には書かれている。この逸話は、働く意味を示すとともに仕事をどのように楽しむかが示されている。
公知のように働く意味とは貢献と自己実現にある。能動的に仕事をしているときにその意味を理解できる。某女性大学教授が働き甲斐という概念をやりがい詐欺と述べたりしているが、これは間違った考え方である。仕事の価値を常に賃金と連動させている限り、仕事を楽しむことはできない。
また「やりがい」は、経営者が決めるものではなく、労働者が決めるものである。経営者は労働者が仕事にやりがいを見出しやすいようにマネジメントする義務がある。
最近派遣労働者と正規労働者との賃金の問題や、就業率の低下が問題となっているが、支払われる賃金にふさわしい仕事そのものが日本では少なくなってきている。
日本ではアメリカのように成長著しい先端事業の起業が少ないためであるが、大会社で出世した人が雇用を増やせるように退職後起業すべき立法化をすべきではないか。そして何も起業しない高給退職者については増税して派遣労働者の問題解消に使うべきではないか。
同一労働同一賃金というシステムで運用できるならば、派遣労働者を正規社員へ転換すべきである。ドラッカー少年は正規社員だったので貢献的な仕事スタイルをとることができた。
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社会システムとして働く意味が貢献と自己実現となる仕組みに戻すべきである。派遣労働者は、その目的があって派遣と言うシステムを利用している社会システムとなれば、派遣問題は解決する。
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「スチャラカ社員」で描かれていた会社の社長は女性だった。ミヤコ蝶々が演じていたので子供の目には社長の風格十分だった。たまにそろばんで部下の頭をどつく、今ならば許されないパワハラが横行していた会社だが、社員は明るかった。
藤田まこと演じる若手二枚目社員と藤純子演じる事務員とのかけあいは、社内恋愛が流行していた時代を反映しているのだろうが、仕事をやらず社内でデート同然のシーンには子供の目にも違和感があって笑えなかった。
この番組から数年後ドラッカーが愛読書となるのだが、スチャラカ社員のイメージが頭に残っており、それがドラッカーの理解を困難にしていた。
ただ、スチャラカ社員を社会のイメージとして持ちながら、ドラッカーを理解しようとした努力は無駄ではなかった。明るく笑って成果を出せるサラリーマンという職業に夢を描けたのである。
難解なドラッカーの著書だったが自己の体験を述べた話は、素直に理解できた。ドラッカー少年の上司はミヤコ蝶々演じる社長のようにおおざっぱで、ポケットの中の掃除ついでにレシートをごみ箱に捨てる様子を見て、彼はその会社で最も重要な自分の仕事を見つけたのだ。
大学を出ていなかった彼の仕事は上司の雑用係だったが、毎朝掃除担当が来る前に出社し、ゴミ箱に上司が誤って捨てたレシートが無いか探すのが日課になった。これは上司に頼まれた仕事でもなく、第三者にはどうでもよいような仕事に見えた。
しかし、月末経理担当が彼の上司と経理事務について長い時間打ち合わせることが無くなったのである。すなわち、彼がゴミ箱に誤って捨てられたレシートを経理担当に届けていたのだ。
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子供時代に見たTVに「スチャラカ社員」という番組があった。吉本喜劇でミヤコ蝶々が社長を演じる会社で起きるドタバタ事件の物語だが、ボーナスも出ない会社で社員が活き活きと楽しく仕事(?)をしている風景を見て、早く社会に出たいという気持ちになった。
歌番組では、植木等のスーダラ節などがヒットし、サラリーマン生活が天国のような時代だった。そして日本経済はバブル崩壊まで未曾有の大成長を遂げた。
二度のオイルショックにも当時の勢いで克服できたのだから、今の経済状態が信じられない。このオイルショック二度目の就職氷河期時代に就職したのだが、就職先にこだわらなければ、いわゆる中堅以上の企業に就職できた。
しかし、職種にこだわった同級の10数名は就職に苦戦し、その結果飲食業へ何人かは就職している。就職氷河期と言われていても、学生がどこか甘く考えてしまう時代でもあった。
当方は先輩社員に勧められるままに受験し、無機材料を2年間研究したが、専門にこだわらずゴム会社へ就職している。有機材料の研究所だったが、無機材料の知識を活かして独自の研究テーマを設定することができた12年間である。
転職することになるが、今でも事業が続く高純度SiC半導体治工具事業をゴム会社で基盤技術0の状態から起業できた経験および仕事は、大学院でSiCウィスカーを研究していた講座の卒業生として誇りに思っている。
もっとも、SiCについて本格的に研究したのは、無機材質研究所に留学した時である。SiCの線膨張の異方性に関する研究やSiC結晶のスタッキングシミュレーション、SiCの無助剤焼結(Cを助剤として用いているが)の研究など1年半に多くのことを学んでいる。
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新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
コロナ禍となって3年、WEB会議やWEBセミナーも定着しました。今年度弊社は技術者のリスキリングに貢献できるようデータサイエンスに力を入れます。
活動報告に書きましたように1979年にゴム会社に入社してから多変量解析はじめ統計手法を業務に取り入れる工夫をしてきました。
当時は、まだ科学こそ命の研究者が統計手法はじめQC手法を軽蔑していた時代でした。QC手法は現場のツール程度に考えられていた時代でした。
しかし、DXの進展によりデータ中心に思考する方法が普及し、3年前には大学でデータサイエンスの講座新設ラッシュとなりました。
科学と非科学の境界が変わる時代において、どのように技術開発を進めたらよいのか企画段階からのアイデア創出法ふくめ提案させていただきます。ご期待ください。
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高分子の難燃性について体験談を書くとパワハラ上司の思い出話となる。パワハラだけでなく無責任で部下が全員この課を出たい、とコミュニケーションカードに書かれるような上司だった。また、部下を消耗品のごとく公私混同して扱うような上司だった。
このような上司が出世する研究所で12年間働いたが、最後は机の上にナイフが置かれたり、会議前になるとFDを壊されるなど犯罪と呼んでも良いような事件が連続し、それでも配属されてから3人目の本部長から我慢しろと言われた。しかし、命が惜しかったので転職している。
当方が自殺をする気が無くても、実験時の大事故によるケガあるいは殺される可能性を感じ、いくら楽しんで仕事をしていても会社に迷惑をかける。そんな気配も感じられた職場だった。
最近パワハラ自殺が話題になったりしているが、社長でもない限り従業員が自殺を考える必要はない。日本では生活保護などセーフティーネットが充実しているので、死ぬくらいなら社会保障をうまく使い、生き延びることだ。
生きて努力をすれば何とかなる。当方は高純度SiCの半導体治工具の事業を住友金属工業とのJVとして立ち上げ、その仕事で全く報われぬまま転職を選んでいるが、やはり命が惜しかったからである。
運よく写真会社から高分子技術の研究管理者として中途入社(注)のお話を頂き、セラミックスのキャリアを捨て、リスキリングする覚悟で転職している。
日本を代表する企業、トヨタでもパワハラ自殺があり、社長がすぐに謝罪したのでそれが異例だとニュースになった。トヨタのような皆が憧れる社長が経営する優良企業でも起きるのだ。おそらく大なり小なり日本の会社ではこのような問題が日常となっている職場が多いのかもしれない。
従業員にとって、会社の印象は直属の上司のイメージで決まる。職場の風土も同様で、社外がパラダイスと従業員が感じるような職場の管理者は失格である。ヤミ研が認められていたのが唯一の救いだった。残業代さえ申請しなければ研究を楽しめたのだ。部下のアイデアに頼るしかない上司だったので自由に仕事ができた。
高分子の難燃化研究を担当していた時の上司は小心者で、パワハラの日常でも当方の元気が勝っていた。理不尽な始末書を書け、という命令にもホウ酸エステル変性ウレタンフォームの企画を添付して提出している。
ただし、後日始末書だけが人事部に提出されたと風の便りとして聞いて騙された、と思ったが、この企画を推進しながら実験を楽しみ、馬鹿にされながらもデータサイエンスの可能性を検討し、半年後には工場試作を成功させた。入社して二つ目の実用化できた研究成果となった。
この研究所の12年間をどのように表現したら世間に伝わるのか不明だが、12年間勤務して死を覚悟しなければいけないような職場風土でも、夢を持ち自由に楽しく働くことができたことを申し上げたい。
職場風土がそのようであっても、会社を離れれば天国だった。同僚や友人との余暇の楽しみでは、恐怖の上司が酒の肴であり笑い話のネタになる。社長以外は会社に命をかける必要などないのだ。
どれだけの社長が会社に命をかけているのか知らないが、雇用される側は、仕事を楽しむ工夫をすべきである。ライフワークバランスがブームとなったが、エンジョイワークが大切である。
どのようにすれば仕事を楽しめるのか、30年以上楽しみ仕事をした体験とその工夫を来年はセミナーのネタにしたいと思っています。新聞に載るような大事件の起きた会社の恐怖の職場でも楽しんで研究を進め、30年以上も続く新事業を基盤技術0の会社で起業することができました!
良い年をお迎えください!
(注)転職して分かったのだが、日本の会社は、まだ転職者には不利なシステムである。例えば、年金額は、ゴム会社に我慢して勤続していた方がはるかに多かっただろうと思う。12年間勤務したのでゴム会社から企業年金を頂いているが、写真会社にはそれが無い。また、転職時に年収は上がったが、年金のランクは1ランク低かった。年金のランクは基本給で決まる仕組みのため、ゴム会社の基本給よりも写真会社の基本給が低かったからである。このような話は転職時に気がつかない。転職時、直属の上司はじめ多くの人は引き留めてくれた。しかし、職場の問題解決には誰も尽力してくれなかったのである。ドラッカーは誠実真摯な人物をリーダーにせよと言っている。不誠実な人物では人材に逃げられるのだ。リーダーの不誠実さを示すいくつかの証拠を大切に保管しているが、ドラッカーが当たり前とも思える「誠実さ」をしつこく繰り返している理由は、ゴーンはじめ誠実なリーダーが少ないためだろう。
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ホウ酸エステルとリン酸エステルとの組み合わせ効果を多変量解析で評価するときに問題となったのは、リン酸エステルに含まれる塩素原子である。
リン酸エステル系難燃剤の多くはオキシ塩化リンあるいは三塩化リンを出発物質として使用するので、分子内に塩素基が残っている難燃剤が多い。ゆえに、難燃剤を変量しても、リンと塩素の相関係数が1となり、それぞれを一次独立な変数として扱えない。
そこで解析対象となるデータとして塩素含有率の異なる様々なリン酸エステルとの組み合わせデータを用いなければならず、それによりリンと塩素との相関係数を0.7未満とする必要があった。
当時大八化学が様々なリン酸エステル系難燃剤を試作し、ゴム会社に無償で評価サンプルとして提供していた。これらの無償サンプルを使用し、40以上のデータを収集してリンと塩素との相関係数を0.7未満とすることができた。
回帰分析を行っても標準偏回帰係数の総和が1近くになった。期待はしていたのだが驚くべきことにホウ酸エステルとリン酸エステルとの併用効果が回帰分析で統計的結果として得られたのだ。
現在この時のデータを教師データと評価データに分け、ディープラーニングの手法による回帰分析を実験している。AIを使用した場合には、プログラムにより扱い方が変わる。来年にはこの成果を発表したい。
ポリウレタン発泡体以外にフェノール樹脂発泡体について、建築研究所と準不燃規格制定のためのサンプル作成を行ったときのデータがある。このデータでは、残渣分析により添加された難燃剤の群が層別された。
40年以上前にデータサイエンスの可能性について検討していたが、研究所内では非科学的と馬鹿にされている。今は、マテリアルズインフォマティクスとしてアカデミアで堂々とその非科学的方法が研究されている。
科学と非科学の境界は時代とともに変化する、とはイムレラカトシュの言葉だが、DXにより科学の視点が変化したと感じている。マイコンが登場しMZ80Kを使い倒してみて、その可能性を感じた。
BASIC以外にアセンブラーからFORTHまでこのマシンで動いた。それぞれのプログラミング言語には特徴があり、言語を扱う時に思考の一部はプログラミング言語に支配されることになる。
今主流となったオブジェクト指向言語の概念をぱくっったようなTRIZあるいはUSITが登場しているが、プログラミング言語は、問題解決方法に影響を及ぼす。
Pythonを扱えることは、現在の技術者の常識となったが、この言語はオブジェクト指向を実装しながらもスクリプト言語として手続き型言語のように扱える。
すなわちオブジェクト指向の鋳型に思考を揃えなくてもプログラミング可能な柔軟性を揃えている。構造型思考も可能である。
話がそれたが、高分子の難燃化研究を行いながら、データサイエンスの応用研究も行っている。フェノール樹脂の防火性向上では、液状難燃剤から固体難燃剤など形状効果をこの手法であぶりだすことに成功している。
すなわち、高分子の難燃化という科学的に扱いにくい分野においてデータサイエンス的アプローチによりデータマイニングを行うのは新たなアイデアをひねり出すのに有効である。
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休日の2日間は、始末書に添付するホウ酸エステルの企画書作成のために費やされた。当初樹脂補強ゴムが新入社員テーマとして設定されたのだが、1年間の予定を3か月で仕上げている。ホスファゼン変性ポリウレタンフォームは6カ月で工場試作成功、そして始末書である。
上司はホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームを新入社員の研修テーマ発表会で発表すると言い出した。時間は3カ月しかない。ただし、最大の問題は加水分解しやすいホウ酸エステルの問題解決である。
当方は、この部下から見ればとんでもない上司が反面教師となり、ドラッカーを高校生から読み続けた経験知の検証が可能となった。また、ドラッカーを問題解決の書として見直すきっかけにもなった。
ドラッカーの言葉に「およそ優秀な人がしばしば成果をあげられない。その原因は間違った問題を正しく解くからである」という皮肉ではない名言がある。ところが、この上司は間違った問題に対して誤った解答をする。
だから、部下の誰もが上司の指示の間違いに気づき、慌てて正しい問題を探す。その結果、課員の多くが上司と衝突することになる。上司と衝突することにより、問題解決能力が向上する。ドラッカーが予期しなかったマネジメントスキルの事例を勉強している。
さて、ホウ酸エステルの加水分解性の問題をどのように解くのか。仮説を設定し実験を行うのは、科学の常とう手段だが、シミュレーションを行い、その結果をもとにモノを作る、すなわちシミュレーションで示された機能について動作を直接確認する技術の方法が存在する。
これは、ニュートンはじめ科学誕生以前から著名な人物が実践してきた方法である。現代ならばアジャイル開発につながる方法でもある。また、弊社ではこれらの方法についてセミナーを提供しているが、義務教育から大学教育までで決して教えられることの無いスキル(注)である。
このスキルを活用して業務を遂行した。まず、学生時代使用していた無機結晶模型の部品で、ホウ酸エステルの分子モデルを組み立てた。様々なジオールでモデルを組み立てていたら、ホウ素原子の孤立電子対の電子空乏層が見えてきた。
もし、ここに配位する分子構造ならば加水分解が安定化するかもしれない、と考えて、Nメチルジエタノールアミンとホウ酸とのエステルを組み立てたところ、NがBに配位し、かご状構造で安定化することが模型で示された。
企画書には、新規化合物となる、その絵を描いている。工場の片隅に反応窯を置き、合成後そのままポリウレタンの合成プロセスに送れば、エステル化反応で生成する水を除去する必要もない、画期的アイデアだった。
ジエタノールアミン類とホウ酸とでホウ酸エステルを合成し、副生する水はポリウレタンの発泡体として使用、燃焼時にはホウ酸エステルとリン酸エステルが反応し、ボロンフォスフェートとなり、ホスファゼン並みの難燃性が得られる、と実験結果を検討もせず(注)、まとめられた企画書を始末書代わりとして、上司に提出している。
ここで、上司は、企画書ではなく、始末書としての表紙を作成するように指示してきたので、従っている。その後表紙だけが人事部に送られたことを後日人事部の同期から知らされた。
さて、企画書には実験で仮説を検証せず、分子モデルでシミュレーションされた結果をまとめただけだが、アジャイル開発をおこなったところうまく機能したので、当時始末書のことなど忘れてしまった。
上司も大はしゃぎで、次から次へと企画書に書かれた実験を指示してくる。1か月後には、新入社員研究発表として体裁の整うデータが得られた(この時弊社の研究開発必勝法で説明している戦略図と戦術図を使用していたので、上司には当方の業務が全て可視化されていた。それが自分の首を絞めていった。セミナーでは上司の人格を考えて使用するような注意をしていないが—)。
IRにより、ホウ酸エステルとリン酸エステルが反応してボロンホスフェートを生成していることもモニターされ、さらにリン原子含有率を基準にした単相関係数は、ホスファゼンのそれと等しい値になった。
趣味で始めたデータサイエンスの勉強を試してみたいと思い、難燃化に機能する主要原子であるPとB、ClのLOIに対する寄与率を調べてみた。
科学的な分析データとして、B単独使用ではLOIへの寄与がほとんど無いことが示されていた。また、燃焼時の炎の中に、リン酸エステル単独で観察されるオルソリン酸がホウ酸エステルとの併用で観察されないことも示されていた。
また、燃焼途中や燃焼終了後のチャーにボロンホスフェートをIRで検出できていた。これらから多変量解析を行えば、BとPの寄与率が高くなり、Clの寄与が低くなると想像された。
科学的に研究せよ、とは上司の決め台詞だったが、ロジックを示した戦略図と戦術図のおかげで、その進め方が非科学的だったとしても、理解できなかったのだ。科学的に、が口癖の科学者もどきには科学という哲学がどのようなものであるのか、理解していない人物(注2)が多い。
(注)有機合成ルートを設計する手法に、アメリカの科学者コーリーが考案した「逆合成」という考え方がある。これは、高校の学習参考書「チャート式数学」にも書かれている名言だが、「結論からお迎え」というコンセプトと同じである。すなわち問題を考えるときに、まずその結論から考えるのだ。ドラッカー流にいえば「あるべき姿」を具体化するのである。ドラッカーの書にはこれが随所に出てくる。ゆえにドラッカーが難解に見えたりする。
ドラッカーが難解に見えるのは、前向きの推論による帰納法で問題解決するのが科学的と学校教育で教えられたからである。学校教育では、前向きの推論がスタンダードだが、ドラッカーの書ではあるべき姿を考えながら読む必要がある。
学校教育だけではない。科学とともに誕生したシャーロック・ホームズもワトソンとベーカー街221Bにある事務所で前向きの推論を展開する。この探偵が難解な事件でも解決するので、前向きの推論が正しいと誤解している人が多い。40年ほど前に刑事コロンボは逆向きの推論で事件解決を行うスタイルを示した。おそらく同じ事件をホームズとコロンボにその解決を競わせたなら、コロンボが勝つに違いない。
ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームでは、仮説も検証せずにいきなりジエタノールアミンとホウ酸と反応させたホウ酸エステルを合成し、それを用いて難燃性ポリウレタンフォームを合成している。発泡体なので反応バランスを調節する必要があるが、難燃性の機能だけ確認するのであれば、シート化してLOIを測定すればよい。リン酸エステル系難燃剤であるCR509の添加量依存性を求めたら驚くべきことに、ホウ酸エステルが2%存在しただけでCR509の添加量を半減できることがわかった。
(注2)この上司は馬鹿ではない。「上司を説得する怖い怖い戦略」を考案するきっかけとなった出来事がある。40年以上前の話であるが、この上司が横断歩道で一時停止せず老婆をはねたそうだ。この事件は、隠蔽化されたのだが、同時に酒の席で「本部長の口説き方」として話題になっている。会社内というのは隠蔽化されてもどこからか漏れるものである。さて、その口説き方は、「本部長から言われた宿題を考えて運転していたら事故を起こしました」という方法である。責任感のある本部長は自分への責任回避のため隠蔽化したのである。上司に報告者と同じ結論を共有してもらいたい時には、その内容を説明するときに、それを否定するとリスクが生まれることを優先して説明すると理解されやすい。会社は組織で動く。本来は会社のリスクを優先すべきだが、役割からくる責任を優先して考える管理者は多い。だから、ドラッカーは誠実な人をリーダーとすべき、と言っている。日本はバブル崩壊後世界で一人負け状態である。経営者は管理職が誠実であるかどうか見直してはいかがか。誠実な人物は、まず会社のリスクを考える。換言すれば、担当している仕事の成果をまず考える。仕事にしがみつくような組織人は誠実ではないのだ。
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40年以上前の始末書の思い出をもう少し思い出しながら書いてみる。本来なら暗い思い出だが、ホウ酸エステル変性ウレタンフォームの発明アイデアが生まれた楽しい(?)思い出でもある。
部下から見ればとんでもない上司だが、ゴム会社でそれなりに出世されているので、日本のサラリーマンとして優秀な人だったのだろう。
始末書を書く理由を当初理解できなかったが、上司は市販されていない材料の使用を責めていた。そこで市販されていたなら世界初は難しいでしょう、と尋ねてみた。最近ホスファゼン事業をやめた大塚化学がその誘導体をようやく開発し始めた頃の話である。
当方は大学院を修了後上京前の約3週間、無機材料ではなく有機合成化学の視点でホスファゼンの研究を行い、ショートコミュニケーションを発表している。その時に学生の研究のためにバケツの中で原料を大量合成し、その日当代わりとして指導教官から数kgほど頂いていた。この卒業記念品を用いてイソシアネート基と反応しうるジアミノテトラフェノキシホスファゼンをゴム会社の研究所で合成したのである。
上司にはそれは報告し許可されていた。状況を上司は知っていても始末書を書く書かないで揉めていたのだが、上司がもっと簡単に合成できる新規無機化合物は無いか、と突然言い出した。
その場の勢いで、ホウ酸エステルならお釜一個あれば簡単に合成できる、と答たことを今でも後悔している。この時、ホウ酸エステルが加水分解しやすく扱いにくいことを瞬間的に脳裏を横切ったが、上司から、何故それを最初に選ばずホスファゼンを選んだのだ、とすぐに責められた。
サラリーマンは円満な人柄が出世すると言われている。この上司は恐らく上から見れば従順な人柄かもしれないが、部下に対して陰湿であり、イジメるツボを心得ていた。
このような人物にゴム会社ではよく遭遇したが、うまくいなして12年間務めることができた。このときなぜ上司の術中にはまり、上司のストレス解消の餌食になるような議論となったのか、反省している。
毎日1時間生産性の無い議論が数日続いていたので、当方も精神的に疲れ、ホウ酸エステルの企画提案と言う形で始末書を書きます、と週末に回答してしまった。
始末書の議論を横道にそらすために、ああだこうだとホスファゼンの難燃化メカニズムの特徴を説明してみたりしても、すぐに話は始末書に戻される。始末書を書くと言わない限り、解放されないと悟ったので企画書添付という条件付き提案をしたのである。
ホウ酸エステルとリン酸エステルとが燃焼時の熱でボロンフォスフェートを生成し、ホスファゼンと同等の難燃効果を発揮する技術はこうして生まれたのだが、マネジメントが人を成して成果を出す意味ならば、この上司は極めて高いマネジメント能力を持っていたことになる。
しかし、連日呼び出され始末書を書けと上司から責められるのは地獄だった。同期の友人は、新入社員の2年間は、試用期間と同じで責任が無く残業代もつかない、ということで新入社員に始末書を書かせようとしているのだから、出しとけばいいのではないか、と言っていたが、上司から工場試作を指示され、連日ホスファゼン誘導体の合成を行うために深夜まで働いていた、その報酬が始末書か、とアドバイスに対して答えている。高分子の難燃化技術の思い出では、この始末書問題がホウ酸エステル変性ポリウレタン技術のアイデアを生み出したので、一生忘れられない思い出となっている。ホスファゼン変性ポリウレタンフォームでは特許を書いても発明者の末席となり、工場試作の打ち合わせ資料には名前すら書いてもらえなかった。もし、成果となっていたなら上司の成果となったのだろうが、これが次工程の部署からクレームがつき、始末書を書くような仕事となった。おかげで学会誌に投稿する論文では、執筆者筆頭を主張しても一言新入社員だろ、と言われた程度だった。サラリーマン研究者のスタートがこのような状況で、まさか12年後他社とのJV立ち上げ後転職するような事件に巻き込まれるとは想像していなかった。
ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームが実用化された後、高分子材料から高純度セラミックスの合成研究の企画を提出するのだが却下されている。そしてフェノール樹脂発泡体の天井材実用化後、無機材研に留学し、それを実証するのだが、12年間イバラの道だった。しかし、退職後も事業が続く技術を生み出す夢を実現しようと努力した楽しさもあり、会社を辞めようと思ったことは無い。
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