弾性率と靭性の関係について、昨日経験知を説明したが、硬くて靭性も大きな材料が欲しければ複合材料で創り出す以外に手段はない。以前硬くて振動吸収の良い材料を創り出すために樹脂補強ゴムが考え出された話をこの欄に書いた。
このような材料は、物性が二律背反の材料であり、科学的に考えるのは難しい。経験知に基づく技術で初めて創り出せる。技術で作り出された二律背反材料について科学的に解析し、新しい形式知を見出すことは容易だが、科学で不明確なものを創り出すには、人間の創造力に頼る以外に方法はない。
創造性は誰にも備わっているはずだが、自己啓発でもしなければ衰えてしまう。但しどのような分野で創造性が発揮されるかどうかは、日々の営みの中でその人間の能力がどのように発揮されているかによるのだろう。
絵を描くことを強く希望せず、日々の営みの中で仕方なく絵を書いていても創造性は発揮されない。これが才能によるのかどうかという議論があるが、脳みその重量にそれほど差はないので、やはり自己実現意欲の強い方向に才能は磨かれると思う。
絵を描くことは難しいが、カメラを被写体に向けてシャッターを押すことは誰でもできる。写真の良いところは、経験知がうまくまとめられており、カメラの性能が著しく人間の能力を超えてしまったので、ニコンカメラを使って経験知に従えば誰でも創造性豊かな写真を撮ることができる。
ただし、その写真が万人に支持される創造性の賜物かどうかは、フォトコンテストで確認してみなければわからないが、自己満足できる、そこそこの写真が撮れるのが最先端のデジカメである。
当方は、ペンタックスカメラで幾つかフォトコンテストで入賞している。世界的な大会では一等をとり、それを最後にフォトコンテストを卒業した。当方はニコンとペンタックスを使い続けてきたが、なぜかニコンカメラでの入賞は1度だけで、それもキャノンが後援だったフォトコンテストの二位である。このコンテストでペンタックスを使っていたら何位だったのだろうか。
おそらくペンタックスカメラには写真を撮る意欲を掻き立てる無形の性能があるのではないか、と思っている。ただ、ピント性能などはニコン製のカメラより劣る。ピント性能は、雑誌のテスト結果を見ても未だにニコンの最先端デジカメがトップである。
それでもペンタックスファンがペンタックスを使い続ける理由は、写真を撮る文化を追求し続けている姿勢をカメラから感じるからだろう。ただ、ニコンカメラが高いから、と言う理由ではないことをペンタックスからニコンに乗り換えようとして、結局両方を使うことになった経験から理解している。ペンタックスでしか撮れない写真が確かにある。
ところで、この年齢でギターを弾き始めたが、写真撮影のようにうまくならない。しかし、才能が無いとは思っていない。才能に責任転嫁するのは神様に責任を押し付けるようなもので、自己責任が叫ばれている現代の視点では加齢に見合う努力をしていないことが原因と考えなければいけない。ただし、加齢に見合う努力をしたときに寿命を縮めるのではないかという恐怖もある。
ギターの腕は上がらないが、新しいメロディーを創造することはできる。カラオケでは常に新しいメロディーを創造しているのだが、これはただ音程を外しているだけではないかと言われてしまう。しかし、正しくチューニングされたギターから新しいメロディーが出てくれば、音程が外れた、と指摘されないだろう。
リズムとコードの組み合わせについてはほぼ無限である。聞きなれたメロディーでもリズムを少し変えてやると異なる雰囲気となる。練習をしながら新しい発見があると上達速度が遅くても飽きない。粘り強く、まさに靭性豊かな練習である。
ただ、これもリズムを外した結果の発見、と考えると少し情けなくなる。積極的に新しいリズムを作りながら(弾きやすいテンポで練習しているだけだが)練習していると考えると、意欲は上がる。レゲエだってそのように生まれたのかもしれない。
研究開発で隘路に陥った時にどれだけ気持ちを強く持てるか、と言われたりするが、心の強さを上げるのに意思の力を上げることは難しいが、粘りっ気あるいはテキトー、柔軟さを持たせることは心の視点を変えるだけで良い。心の靭性は材料の靭性を上げるよりも容易である。今日からでも失敗しない技術開発を実践できるノウハウを書いてみた。
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靭性とは粘っこさ、応力に対してしなやかに、割れにくさなどと表現される。強靭な精神力という言葉から、ストレス耐性の高いモーレツサラリーマンを思い浮かべるかもしれない。靭とはぐっと力がかかった時に柳のようにうまくその力をいなす性質だ。
感覚的には、硬いものは割れやすく、柔らかいゴムのような塊は、金槌でたたいてみても割れずにどこかへ飛んで行く、そのような現象で観察される性質である。
科学的にこの性質を明らかにしようという努力が1960年から1980年頃活発に行われ、その成果は線形破壊力学としてまとめられている。ところが大学ではこの線形破壊力学を教えていない。当方も1970年代に化学系の学生時代を過ごしたが、授業科目に無かった。
金属学部では教えていた大学もあったようだが、化学系の無機材料学科で線形破壊力学を学べる環境は見当たらなかった。このあたりは靭性というパラメーターが形式知として一般的ではないことを表している。
しかし、実務で線形破壊力学について知っているのと知らないのでは現象の見方が異なるので、是非お茶の水の古本屋にでも行って適当な教科書を見つけて勉強してほしい。機会があれば当方が特別講義をしても良いと思っているが、当方の線形破壊力学は少し怪しい内容である。しかし、実務には役立つ、と思っている。
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弾性率と強度は異なるパラメーターであることを御存じない方が多い。その他にヤング率とか、体積弾性率とか、剛性率、硬さ、ポアソン比などと材料物性に関わる周辺の言葉の意味を理解していないと、材料開発を失敗する確率が高くなる。
もっとも失敗することにより、その原因から差異を理解し、経験知が増えてゆくから失敗も無駄ではないが、ボーっと実験をしていると、せっかく得られたはずの経験知を取りこぼすことになる。
技術開発を行っている、と明確に認識しておれば、経験知は確実に増えるが、ボーっと科学をしていますとか、科学技術の開発をしていますと応える様な人は経験知が増えてゆかず、不幸なことに間違った形式知を記憶することになる。
まず、これらのパラメーターは、計測者の力量や計測方法が原因でばらつくことを知っておこう。これは科学において現象を観察するときに、誰もが知っていることである。もしこれが正しく理解されていなかったら、STAP細胞の有名な女性研究者のような未熟な科学者どころか科学者ではないと言われかねない。
計測者の力量や計測方法のばらつきだけでばらついている、と認められて初めて科学で理解された現象として認められ、そこから形式知が生まれる。結晶の弾性率はそのようにして求められた唯一の値である。ゆえに教科書には、弾性率の説明として物質固有の定数などという説明が与えられたりする。
その弾性率の定義は、単位歪当たりの力、すなわち力を歪で割った値である。これが定義されてヤング率や体積弾性率が求められることになる。
ところが、強度は弾性率だけで決まらない。ここを正しく理解していない人が多い。ひどい人になると引張強度から弾性率が求まる、と言って安直に引張試験を行い、得られたSSカーブから適当に計算した弾性率をその材料の弾性率として記載している。
簡単そうに思われる強度と弾性率であるが、アカデミアの先生でもこのあたりをいい加減にされている方がいたりする。ポスター発表の時にSSカーブを見つけるとお決まりの突っ込みをしてみるが、正しく答えられる人は少ない。
学生で正しく答えられる人に出会ったことは無い。これは偏差値とは相関していない。指導教官の力量と関係していると思っている。偏差値が低い大学でも優れた科学者とみなせる先生の指導であれば、形式知について学生は正しく答える。今の時代、大学の偏差値と社会での活躍は相関しなくなっている。
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高分子材料に限らず、あらゆる商品の価格は需要と供給の関係で決まるのは昔から知られている。一方で生産側の都合で、価格を操作する場合もある。例えば市場のシェアをとるために価格を下げて競争力を上げる場合だ。
過去の高分子材料の価格は、そのような歴史の中で価格が決まってきた。しかし、20世紀末から材料メーカーも価格競争ではなく、部材として付加価値をつける競争をするようになった。
ところが組み立てメーカーにとって材料メーカーの川下への進出が迷惑な場合がある。すなわち部材のスペックから、ノウハウが漏れるような場合である。
かくしてそれまで良好だった材料メーカーと組み立てメーカーの関係が崩れることになる。樹脂の価格にそれが反映されるようになったのは20年ほど前からである。転職を経験してみて高分子材料の価格が単に使用量だけで決まっていない複雑な背景があることに気がついた。
一方でコモディティー化した材料は国内材料メーカーにとってお荷物商品となりその淘汰が進んだ。これをグローバル化の側面だけで考えていると国内材料メーカーは、将来の存続が難しいと思っている。
企業の成り立ちは、時代の状況とその国の政治や企業間の関係にも影響を受け、国家ごとに特徴がある。中国や台湾で仕事をしてきてそのように感じた。そしてこれが樹脂の価格にも影響を受けるのだ。
長くなるので具体例を示し、樹脂について組み立てメーカーはその調達戦略を変更する必要があることに気がついてもらいたい。
一定量調達する必要がある時に樹脂を内製化したり、その調達先との関係について従来と異なる視点で見直しを行うなどの少し大胆な戦略を選ぶ必要がある。
組み立てメーカーが樹脂を内製化できるわけがない、と材料メーカーは見下しているとオイルリファイナリーからバイオマスリファイナリーに変化している流れに押し流される可能性がある。
オイルリファイナリの例となるが、フィルム成形可能なPPSは、2000円/kg以上の価格で国内では取引されている。中国では10年前これが1000-1500円/kg程度だったが、何故か最近は2000円/kgという価格を提示してくる。
PPSは高く見積もっても月tベースであれば600円前後でも中国では利益が出る樹脂と過去に聴いていた。これ以上はここで書かないが、PPS部品を国内で製造していては人件費以外の要素も加わり中国メーカーと競争力が無くなってゆくことは明らかである。
本日の内容が分かりにくい方は、弊社へ問い合わせていただきたい。やや刺激が強い内容となるのでここでは書けない。ただし、機密事項ではなく今世界で起き始めた変化でもある。
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大規模接種センターの接種予約登録ソフトについて、昨晩架空予約者に法的措置を取るとの国からの公式談話があった。二つの新聞社が取材のために架空の番号で不正アクセスを行ったためらしい。
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どのような罪になるのか興味深いが、国はソフトウェアー納入業者にも法的措置を取るべきである。昨日使用したところ明らかにプログラマーの手抜きと思われる杜撰さが目立った。
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発注した担当者の能力の問題もあるかもしれないが、受注側も用途を理解していながらあのようないい加減なソフトを納入しているのは、今の時代、詐欺のようなものである。
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もし新聞社が国から訴えられたなら、その新聞社は国と納入業者を訴えるべきである。少なくとも新聞社が社会正義を理由に不正アクセスをしたというならば、是非今回の用途が分かっていながら杜撰なソフトを納入した業者について、その責任を裁判で明らかにする義務があると思うので、国から訴えられる前に納入業者をPL問題で訴えてほしい。
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工業製品のPL問題では、意図しない用途で工業製品を使われて事故が起きた場合でもメーカーの責任が問われる時代である。ソフトウェアーについてもその用途で明らかに必要な対策動作をしない手抜きのプログラムを納入した業者と発注側の責任について問題にすべき時代だと思う。
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MS-DOSの時代でも今回のような入力データをチェックしない、あるいは管理しないソフトなど当方は作ったことがない。MZ-80Kで作ったお遊びソフトでもエラーを検知し入力画面に戻ったとしても、元の入力データを保持しており昨日のプログラムの動作よりまともだった。
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ところが今回の登録ソフトは入力データのチェックをしないだけでなく、アクセスが多い時には入力データをクリアしてまた入力を求めるといった信じられない時代遅れの動作をしていた。
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国の提供するサービスプログラムについては、本来プログラムのお手本となるぐらいの動作をする品質であるべきで、そのレベルに到達した時にIT立国と呼べるのではないか。起業後、e-TAXはじめ国のサービスプログラムを利用する機会が多くなり、そのソフトウェアーの出来の悪さに泣かされてきた。
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現在の日本は40年以上前の当方のプログラムスキルより低レベルと言いたくなるような状況である。ただし、当方は、プログラムスキルを主要な生活の糧とはしていない。日々の営みに必要なスキルの位置づけである。今回のプログラムは、その視点で見ても品質の低いソフトウェアーである。
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例え無料でも国のサービスプログラムとして使ってはいけないレベルであり、このようなサービスプログラムを堂々と防衛庁のサイトで公開している感覚は、明らかにおかしい。新聞社を訴えて十分に司法の場で吟味していただきたい。
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なお、立憲民主党枝野代表は、この問題について早々と防衛庁を批判していたが、その内容は能天気な内容だった。本来は、プログラムのPL問題として訴えられた新聞社に「檄」を飛ばすレベルが原点となる、もっと過激な発言をしていただきたかった。
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そうでないとこの欄の内容が過激な印象を与える困った状態である。「IT立国JAPAN]と言えるように、国のサービスプログラムは、常に最高品質のソフトウェアーで提供していただきたい、というのが当方の思いであり、本欄の趣旨である。
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「新聞社に国は感謝すべき」という発言は、攻めの野党党首としていかがなものか。いい加減なソフトが自衛隊のサイトで公開されている、という事実だけでも国民は震え上がらなえればならないシュールな光景である。
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添加剤のブリードアウト現象を考察するときには、高分子を溶媒としてとらえている。そこで発生する問題に気がついているかどうかが、問題発生時にすぐアイデアが出てくる人とそうでない人に分かれる。
この分かれ道は頭の良し悪しではない。高分子の気持ちを忖度できるかどうかである。どちらかと言えば、その人の人間性とも関わるかもしれない。これは冗談ではなく、経験知に基づき書いている。
まず低分子溶媒に低分子を溶解するときの現象を復習していただきたい。物理化学の教科書を読むと理想溶液の話が出てくる。すなわち、低分子の溶解でも実際の現象が形式知からずれる場合があることを教科書は配慮して説明している。
低分子がつながって高分子になることを考慮すれば、教科書の溶解理論と実際が大きくずれてくることはすぐに想像ができる。いや、想像しなければいけない、と書き直す。
低分子の溶解性について熱力学で議論するが、そこではSPを理解する必要が出てくる。高分子の添加剤を選択するときにも高分子の一次構造からSPを計算するが、高分子のSPは実験で求めることをお勧めする。
計算で求めたSPが現象と一致する確率は60%前後というのが当方の経験知である。ゆえに、計算でSPを求め配合設計したがブリードアウトの問題が発生して困っている、と嘆く必要はない。一致しない確率が40%のパラメーターを用いた結果であると理解できれば安心できる。
ブリードアウトの問題については、まず、どのような手順で配合設計したのか振り返り、目の前で起きている現象を冷静に眺めるところから始める。
そして、コンパウンディングから射出成型あるいは押出成形プロセスで、高分子がどのような気持ちで添加剤の溶媒としてふるまっていたのか考えてみると原因が見えてくる。
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国会議員に配布されている公共交通機関の無料パスをプライベートな用事で使用した、そしてそのプライベートな用事とは8歳年下の異性に会いに行くためだった、と週刊誌に書かれて大騒ぎになっている。
山尾議員は、過去の不倫騒動の問題を充分に理解されていなかったようでもある。今回は公私混同を謝罪しただけでその他は沈黙を通している。国会議員の無料パスを私用で用いただけならば週刊誌は騒がなかったことに気がつかないのだろうか。
彼女のキャリア及び実績やその能力の高さから国会議員としての活躍に期待している国民は多い。前回の不倫騒動では愛知県のような保守的な風土にもかかわらず逆風の中の選挙に勝っている。今年の衆議院選挙では、東京へ国替えするとの噂である。
この山尾議員の問題は、企業で働く有能な社員でも似たような間違いを犯しがちでありながら、それになかなか気づかず、山尾議員のように取り返しのつかないところまで過ちを犯し、夢を実現できないことになるから他山の石としたい。
当方もゴム会社でFDを壊されて初めて気がついた。自分でいくら正しい行動と信じていても人の心には妬みやその他もろもろな負の要素が存在し、本当に正しい行動でも歪んでみられていることに気がつかなければいけない。
歪んでみている人間がおかしいと叫んでみても、歪んでみている人間がさらに歪を大きくし正しい行動の人間に災いをもたらすことまで思いが至らない。
当方の場合には、企業買収を成功させるために全社一つの事業に集中している時で、ゴム事業とは全く無関係の高純度SiCの新事業を推進している立場では、発生した問題に声をあげても不利になるだけであった。
政治家の場合に、国民の1票がその職業生命を左右するので直接手を下さなくてもあるいは法律に触れずその生命を絶つことができることに気がつくべきである。すなわち政治家が犯した問題を正しくとらえず歪んだ問題としてもそれを説明できなければ歪んだ問題が正しい問題のように変質してゆく。
前回の不倫騒動において、脇が甘い、などという程度のアドバイスがあったが、誠実真摯であることが政治家の理想であり、誠実真摯な行動とは何かをよく考えるべきだった。
仮に不倫相手とされた人物が業務上欠くべからざる人材であれば、仕事以外では面会しない、面会する場合には誰もが納得する場所で面会すべきである。公私混同した事案として無料パスだけを山尾議員は反省されていたが、この仕事のやり方も公私混同の視点で見直すべきだった。
ドラッカーは、頭の良い優秀な人がしばしば成果をあげられないのは、正しい問題を解かないからだと忠告していた。この指摘と通じるところがある。
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高分子の添加剤が表面に染み出して起きるブリードアウトという現象は、困った問題となるケースが多いが、この現象が無ければ困る分野もあるので悩ましい。
ブリードアウト現象を利用して高分子材料の機能性を上げている例には、帯電防止や摺動材料、防汚性向上、濡れ性改善、紫外線防止、難燃性向上などがある。皆表面界面の形式知が関わる分野である。
ところが表面界面の問題にとらわれていると経時による品質問題を引き起こすことがある。経時変化なので実験室で市場とよく似た環境を作り出す必要が生じる。
このとき厄介なのは温度である。温度時間換算側という経験知を形式知と勘違いしている人は多い。当方も学生時代に大学の授業で習ったので形式知と信じていた。
恐らく大学の先生の中にもこれを形式知と信じて学生に間違った知識を教えておられる先生が多いのかもしれない。義務教育や高校までは教員免許が必要だが、大学教育では教員免許は不要である。
もっとも教員免許があっても最近は警察の手を煩わせる先生が多くなったので、自動車免許ほどの価値しかないかもしれない。免許制度を今一度見直した方がいかもしれない。
話がずれたが、ブリードアウトを利用して高分子の機能を設計し品質問題に出会うと、このように話がずれていって対策が分からなくなるばかりか、そもそもの問題まで疑う必要が生じる。
しかし、教育者の資質を試験の点で測ろうとしている問題に気がついていないようにブリードアウトの経時の問題について評価法の間違いに気がついていないケースは多い。
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音楽ファンの中に、クラシック音楽ファンは多い。面白いのは、彼らの評価視点が、楽団や演奏者、指揮者に存在する点である。それに対して、ジャズファンは作曲者である演奏者のアドリブすなわち演奏そのものを楽しむ。時には演奏が面白ければ、誰が演奏していても構わない。
もっともクラシック音楽の作曲者は200年以上前の人物もいるので、作曲者に指揮を求めることができないという理由で、今生きて目の前で演奏している指揮者や楽団の批評になるのは当たり前であるが。
それにしてもクラシックファンの音楽の語り口は、ジャズファンの音楽に対する視点と音楽への期待とは異なるように思う。クラシックファンには叱られるかもしれないが、彼らは、結論など出せないクラシックの作曲者の思いをうまく再現しているかどうかという問題を議論しているかのように見える。
クラシックの作曲者がどのような思いでその曲を生み出したのかはもはや確かめようがないのに、そこへたどり着けないのかと、あたかも求めても決して得られない欲望の目標を追及している、と表現できるかもしれない。
だから、酒の肴として延々と語ることになるのだが、脇で聴いているとどこが楽しいのかわからないので吹き出したくなることもある。ただ、ここで吹き出してはクラシックファンに失礼である。それが趣味というものである。
ジャズファンは単純で、そこに新しさあるいは新鮮さとその刺激があれば興奮して喜んでいる。作曲者である演奏者がそこで見せるアドリブは麻薬のようなもので、同じ曲でありながらライブを求めて追っかけをするものも現れる。
他人の曲をもじったアドリブで楽しませてくれる二次創作者である演奏者も人気になり、これはクラシックでは見られない現象である。時にはへたくそな演奏でもアドリブが面白ければ人気者になる。
大学で勉強そっちのけで軽音楽と称しジャズにのめりこむ若者が後を絶たない理由である。人気者になれなくても、下手な演奏で自分一人で酔うこともできるのでジャズは便利である。全曲演奏するスキルが無くともお気に入りのフレーズだけでも酔っぱらうことができる。
その逆にオリジナルの作曲者顔負けの演奏テクニックでコピーを聴かせる演奏者も評判となる。超絶な演奏テクニックを追求し、オリジナルともはや異なっている演奏で騒音と呼んでも良いような音楽なのに自分で酔っている若者、このあたりもクラシックファンに理解できない現象である。
ピアニスト室井摩耶子氏はもうすぐ100歳になる。おそらく超絶テクニックで楽器を演奏する若者のような曲を演奏できないだろうけれど、ベートーベンの月光はピアノの音に言葉で表現できない響きが乗った不思議な音色に聞こえてくる。ここにクラシックとジャズの違いがある。どちらも音楽であるが。
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昨日音工房Zの視聴会に出席した。Z600-OMMF4という型番のデスクトップスピーカーキットである。スピーカーユニットは、昨年発売された音友ムックの付録マークオーディオOM-MF4を用いている。
すでに、このユニットを1台あたり2個使用したスピーカーの視聴を経験していたのでかなりの期待をして今回の視聴に参加したのだが、音が明瞭に聞こえWEB会議に最適なスピーカー、特に管理職となってノートパソコン付属のスピーカーでは音声が聞き取れにくくなった人に是非使用してほしい、という結論である。
デスクトップスピーカーということで通常のPCからデジタルアンプで増幅しているので、その音質を心配したのだが大変クリアーな音でロンカーターのベースを弾く指の動きが見えるようだった。
ただし指は動いているのだが、ベース音はウッドベースのそれではなく、ギターから発せられたベース音である。期待値が大きかったので、その音にややがっかりしたが、音工房Zはそのあたりを承知されていて、サブウーファーを併用し視聴できるようにセッティングされていた。
サブウーファーのスイッチを入れてボリュームを上げてゆくと、驚いた、高級スピーカーでロンカーターを聴いているかのような音である。今回のデスクトップスピーカーでは低域が不足していたが、低域の減衰量がサブウーファーとのつながりを最良にするような鳴り方である。
それでは、と思い、サブウーファーのスイッチを切ってプレアンプの低域を持ち上げて聞いたところ、低域は聞こえるようになったのだが200Hzあたりも持ち上がり、ややブーミーな鳴り方に変化した。このスピーカーはすなおにサブウーファーとセットで用いるべきスピーカーなのだろう。
音楽を聴くにはサブウーファーが必須となるが、おそらくWEB会議用には市販スピーカーと比較しても1,2位になると思われる聞き取りやすいスピーカーではないかと感じた。歪感はほとんどなく、分解能が高いので、40代から始まる耳の劣化に対応した最適なWEB会議用スピーカーだと感じた。
値段を聞いて驚いた。自分で組み立てる必要があるが、スピーカーユニットと合わせて2万円弱でボーズのデスクトップスピーカーより安い!ボーズのデスクトップスピーカーでも音楽を聴くには不満が残るので、もし、良いデスクトップスピーカを欲しい、と考えられている方は、一度音工房ZのHPを覗いてみてはいかがか。
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