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2013.02/05 弊社の問題解決法について<19>

ところで問題の定義はできましたが、課題はまだ定義されていません。問題と課題の意味について、日常ではその区別が曖昧ですが、本書で使用する時には厳密に区別します。3.11の東日本大震災を話題に問題と課題の違いについて考えてみます。

 

東日本大震災は未曾有の規模であっただけでなく、福島原発の事故やその後の政府の対応のまずさなどが様々な問題を引き起こしました。次々と問題の連鎖が続く中、明確な課題である仮設住宅の設置や瓦礫撤去作業などが少しずつ進捗する様子をテレビは映し出しています。今テレビで放映されている仮設住宅建設や瓦礫撤去などを進めるのは、おそらく異論はないでしょう。現実の瓦礫の山を目にした誰もが、その作業の結果を具体的に予想することができ、作業完了後の姿について国民の理解が容易に得られる課題だからです。

 

すなわち、津波被害で発生した瓦礫の山をどうするのかという問題について、課題の一つは、生活環境を取り戻すために瓦礫撤去作業を進めることであり、この課題の迅速な実行に異論を唱える人はいません。しかし、他の課題について状況を調べてみますと、撤去して集められた瓦礫の処分やその費用を捻出することなど、解決の見通しがついていない課題もいくつかあります。ゆえに、生活環境を取り戻すことができても、瓦礫の山の問題が解決するわけではなく、他の課題もすべて解決されて初めて瓦礫の山の問題を解決できた、といえます。

 

ところで、「瓦礫撤去作業を進めること」という一つの課題を含む瓦礫の山の問題は、津波の被害という問題の一部の課題とみなすことができますが、それ自身は、先に述べましたようにいくつかの課題の集まりとなっています。さらに津波の被害という問題は、津波の被害対策をすること、と考えると、防災のためにしなければならないことになりますので、防災という問題の中の一つの課題ととらえることができます。このように問題から転化した課題というものは、問題を解決するためにしなければならない「こと」であり、問題を構成する「こと」という要素になりますので、問題と課題とは言葉の意味も、それぞれの位置関係も異なります。また、構成要素をすべて問題に転化し、問題が問題を含んでいるような複雑で大きな問題を考える問題のとらえ方は、問題を複雑で難しくすることになり賢明な方法ではありません。これに対して、含まれるすべての課題についてとるべきアクションとその結果が明確になっている問題は、たとえ課題が多くあっても、問題の見通しが得られている安心感があります。

 

ところで「問題」をあるべき姿と現実との乖離として定義しました。問題をこのように定義しますと、「課題」は、「現実」を「あるべき姿」へ一致させるためにしなければならない「こと」という定義になります。

 

課題が定義されますと、問題との関係が決まります。すなわち、問題というものは、問題に転化できる複数の課題で構成されるという構造を持ち、それぞれの課題の最終ゴールは、課題の目標達成に必要なアクションの実行で到達する「あるべき姿」になります。そして「問題を解決する」とは、問題の定義から「あるべき姿」と「現実」の乖離を無くすことであり、それを実現する方法とは、「現実」から課題の最終ゴールである「あるべき姿」へ、「課題」が解決されてゆく道筋を示せば良いことになります。ただし、それぞれの課題について目標達成のアクションが分からない場合には、その課題を問題としてとらえなおし、あらためて検討しなければなりません。

 

すなわち、本書で課題と表現したものは、「あるべき姿」へ向かう目標を達成できるアクションがわかっている前提で話を進めます。目標を達成するためのアクションがわからない課題は、すべて問題として扱うことにいたします。このような扱いで、問題の構造をアクションが明確になっている課題を用いて表現できた時に、問題解決の見通しが得られた、とみなすことができます。

 

ところで問題の構造の中には、一つの課題を解決すると他の課題も解決され、その結果を受けて別の課題も解決されるという、あたかもドミノ倒しのように課題が解決されていく構造もあります。絵に描いた餅に終わるかもしれませんが、このような解決の道筋が単純になる都合の良い課題を工夫して、課題のゴールとなる「あるべき姿」にむけて課題の組み替えを自由自在に変更できる仕組み、あるいは課題を問題に転化できますので、問題を構成する課題の数が少なくなるように複数の問題にわけ、一つ一つの問題の見通しを良くする工夫などを問題解決法に取り入れれば、「考える技術」として新しい試みになると思います。

 

また、このような問題解決法において、課題と問題の関係は、課題が問題を構成する一要素というだけでなく、課題の組み合わせが問題解決の難易度に影響を与えるという特徴を持ちます。さらに、すでにアクションまで具体化されている課題で構成された問題は、問題認識の共有化を容易にします。

 

                   <明日へ続く>

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2013.02/04 弊社の問題解決法について<18>

問題を正しく設定できたと思われる場合でも、「問題」と「あるべき姿」や「現実」との整合性をチェックする作業は大切です。ただし、現実とあるべき姿や、そこから導かれた問題に対して分析的手法で整合性を吟味してはいけません。分析的思考方法については、情報工学において個人の資質に影響を受けることが問題になっています。問題解決法とは、問題解決の論理的な道筋を示すことが目的であり、問題の詳細な分析が目的ではありません。

 

本書で提案する問題解決法では、問題に対して分析的思考プロセスを使うことなく、あたかも刑事コロンボのようにひたすら「あるべき姿」から問題解決の道筋を追求します。それゆえ、あるべき姿の具体化が、本書の問題解決法では最も重要な作業となります。次に、「何が問題か」という作業では、あるべき姿と現実との乖離を検討し「問題」を設定していますから、問題とあるべき姿や現実とを改めてつきあわせる逆向きの作業が、問題設定の検証作業として重要になります。この作業は、三者の比較により進めます。

 

この整合性作業の進め方の一例として、「あるべき姿」、「問題」、「現実」の3列で構成された表を用いると簡便にできます。必要に応じて、あるべき姿と問題の間に「乖離の様子」という列を加えたものを使用すると、問題認識の確認もできるようになります。問題設定に慣れてくれば、ここまでの一連の作業を、この表だけで行うことも可能です。

 

余談ですが「何が問題か」を問い直す作業は、すでに着手し実行されている課題に対しても有効です。十分に吟味されずに実行されている課題が、本当に実行しなければならない課題であるとは限りません。

 

ドラッカーは著書「現代の経営」の中で「重要なことは答(問題解決案)を得ることではない。正しい問いを探すことである。」、「問題の定義と分類なくして事実を知ることはできない。」など、問題そのものをまず正しく把握することの重要性と、問題の分析ではなく、問題の定義と分類が問題解決のカギと説いています。十分に検証されていない問題から導き出された課題ならば中断して正しい問題の追及をあらためて行った方が問題解決の近道になります。

 

この「正しい問いを探すことである。」、すなわち「何が問題か」という金言と同じ意味の言葉を、筆者はタイヤ会社に就職した時に聞きました。新入社員の実習で、当時の技術担当常務(CTO)から、「君のプレゼンにある軽量化タイヤとは、どういうものか」と問われた言葉がそれで、今でも座右の銘として覚えています。

 

当時、オイルショックの影響で石油製品を扱う企業ではその対策に追われていました。タイヤ会社では低燃費対策と資源の消費削減の観点でタイヤ軽量化技術が、顧客創造のための急務の課題でした。多変量解析と有限要素法を駆使し目標スペックを満たす超軽量タイヤの試作に短期間で成功し自信を持って発表したのですが、CTOは、新入社員に向けて、まさに「何が問題か」という問いと同様の質問をされたのです。

 

タイヤという商品は、数値化されたスペックを満たしているだけでは目標品質を達成したとはいえず、信頼性を確保するためにスペックにできない長期の過酷なテストまで合格して初めて目標品質を達成した商品になることをCTOは新入社員に伝えたかったのです。CTOは、「最初に取り組むべき問題は、重量が軽いタイヤを作るということではなく、軽量化タイヤの信頼性設計とその評価をどのように行ったらよいか、というソフトウェアーの問題である。」、と説明されました。この体験談では、指導社員とその上司である管理職にタイヤを作る作業を中断し軽量化設計に関する評価技術開発を優先するようCTOは指示したのです。

 

このように「何が問題か」という問いは、問題解決法だけでなく、商品開発とはどのようなものか、ということを部下に教える時にも使える一言かもしれません。

                                              <明日へ続く>

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2013.02/03 弊社の問題解決法について

例えば、福島原発では、「10m以上の津波がくる確率は極めて低いので、防波堤の高さは、これでよし」と、防波堤の高さを津波の発生確率で決めてしまったために、津波対策は置き去りにされました。そして今回の津波の被害は、想定外という言葉で表現されていますが、そもそも事故発生0%が要求される原発に対して、想定外という言葉が一般に受け入れられるでしょうか。

 

新聞などの情報によりますと、原発の防災に関する設計基準はすべて発生確率を基にして決められている、とのことですが、どんなに確率が低くともその事象が発生した場合に致命的な問題が生じるならば、課題としてあげて対策をうつ必要があります。もし、確率の低い大津波がきた時の問題まで考え対策をうっていたならば、今回のような大惨事にならなかったと思います。

 

経済的理由から防波堤の高さを制限するならば、確率の低い大津波に襲われた時の対策を完璧に行うべきです。今回の事故では、大切な電源がすべて流された時に備え、周辺地域から電源車を短時間で確保できる体制を備えていたならば電源の回復を迅速にできたと思います。

 

しかし、電源車が1時間以上遅れて到着したけれど電源のコネクター形状が合わないために使用できなかった、という信じられない報告がされています。仮に津波の大きさが想定外だった、という言い訳が許されたとしても、電源車のコネクター形状の不一致については、許されない問題です。電源のコネクターというものは規格品であり、外部電源を原発へ取り入れるために全てをそろえていても経済的に大きな負荷がかかるわけではありません。福島原発を建設する時に、周辺住民への配慮をどこまで真剣に行っていたかという問題になります。

 

すなわち、津波の発生確率に関わらず、瞬時に原発へ電気を供給できる体制は、それが非科学的な対応という評価がなされたとしても、周辺住民に対する安全の担保としてしなければいけないことです。原発建設の前であれば、電源の事象はあるべき姿に入れてもよいですが、すでに稼働している原発の外部電源コネクターについては、対策が十分取られていることは当たり前です。

 

現実を確率で把握し、確率の低い事象を現実から切り捨てますと、問題に反映されなくなります。原発の運転に電源は欠かせませんので、どんなことがあっても電源を確保できる体制を作り上げることは技術者の良心というもので、これは非科学的側面です。ゆえに今回の福島原発の問題は、非科学的側面を切り捨てる従来の問題解決法のパラダイムで技術を構築したために発生した、と言えそうです。現実を確率や期待値を用いて把握することは、絶対に行ってはいけません。現実の把握は、ありのままを把握することこそ大切です。

 

                          <明日へ続く>

 

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2013.02/02 弊社の問題解決法について<16>

 「あるべき姿」に比較して、「現実」の具体化は難しくありません。見える化が浸透している組織では、現実について見える化掲示板に貼り出されているはずです。現実が具体的に整理されていなくても、「あるべき姿」と「現実」との乖離が「問題」なので、あるべき姿とおぼろげながら見えている問題とから、あるべき姿を具体化した時に現実が見えてきたりします。あるいは、現実は目の前の事象ですから、具体化作業は見えている事実を箇条書きにするだけで完了する場合もあるかもしれません。

 

もし現実が複雑であるべき姿と同じくらい難しいと感じても、現実について整理するコツは、すでに具体化されたあるべき姿を参考にして現状の情報調査を行い具体的な事実としてまとめるだけです。現実の把握方法として現実の分析や解析を実施しなければならない、としている問題解決法もありますが、現実の具体化には、あくまでも正確な事実を集めることこそ重要で分析や解析は必要ではありません。集められた情報について誤った分析や解析を行った場合には、現実の認識は誤ったものになり、それを利用して導かれた問題も誤った問題になってしまいます。現実は、正確に事実を把握し具体化することこそ重要です。

 

ところで現実の把握プロセスにおける禁止事項は、確率や期待値で現象を見ようとする考え方です。現実の分析や解析を推奨している問題解決法では、発生頻度の低いものを除外したりします。しかし、発生頻度が低くとも現実に起こりうるものであれば、事実として具体的な整理が必要であり、確率は参考数値として扱うべきです。確率や期待値の低い事象を除外しますと、その事象について考える機会がなくなります。

                              <明日に続く>

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2013.02/01 弊社の問題解決法について<15>

解く力を磨くために問題設定のコツをもう少し考えてみます。

 

問題は、あるべき姿と現実との乖離で生じますが、「何が問題か」を考えるためには、あるべき姿と現実に関する具体的に整理された知識や情報が必要です。もし、これらの知識や情報が、問題を考えようとしている時に手元に無いならば、それが一番の問題となります。さらに問題の答であり問題解決のゴールに相当するあるべき姿については、数値化できるぐらい具体的に整理されていることが好ましい状態です。あるべき姿が抽象的であると、問題は抽象化され問題認識の違いを生み出すだけでなく、あるべき姿があっても問題解決できない場合も出てきます。

 

情報技術の進歩や遠藤功氏の「見える化」ブームで現実の整理は、日常業務として行われるようになりましたが、社是やビジョンなどの抽象的なあるべき姿を担当している職務に合わせて細部まで具体化しているケースは少ないようです。もしあるべき姿の情報整理と十分な具体化ができていないと思われるならば、最初にできる限り具体的な表現であるべき姿を作成してください。

 

ところで、あるべき姿を求める方法として、現状を分析し問題点を見つけ出し云々、あるいは問題を分析し云々などと説明している問題解決法もありますが、あるべき姿とは、問題から導き出すものではなく、問題解決をしようとする当事者が、何が問題かを見出すために具体化するものです。

 

例えば、事業における「あるべき姿」であれば、会社の事業と顧客の関係から決めることができます。個人の問題であれば、個人の人生観や価値観などから「あるべき姿」を決められます。その他国の問題であれ、地域の問題であれ、大切なことは、その問題が解決されたときに効果や影響力が及ぶ社会の「あるべき姿」について、問題解決しようとする人が具体的に整理し明確に決めることが大切です。

 

「あるべき姿」の情報整理と具体化には、日科技連の新QC七つ道具を使うことができます。親和図法や連関図法、系統図法で情報を整理するとわかりやすくなります。マトリックス図法も有効かもしれません。

 

製品開発の現場で発生する技術的問題では、製品の仕様書が「あるべき姿」の代用になります。製品を組み立てる各部品について、担当部署へ製品仕様書を提示し、各部品の「あるべき姿」をそれぞれ確認する作業が必要かもしれません。また、初めてのプロジェクトであり諸々の環境が整っていない時などは、ドラッカーの指摘を参考にして、各人の認識が同じと思われる「われわれの事業は何か」あるいは「われわれの事業は何になるか」、「われわれの事業は何であるべきか」などを改めて問いなおすところから始める必要があるかもしれません。

 

「あるべき姿」と「現実」の乖離が「問題」になりますが、「あるべき姿」が具体化されますと「現実」が整理されていなくてもこれまでの経験から問題が具体的に見えてきます。問題解決の必要があるときには、「あるべき姿」と「現実」の乖離が大きい時ですから、「現実」の整理が必要無いと感じるくらいに、「問題」が具体化されます。しかしそのような時でも「現実」の具体化と整理は必要です。

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2013.01/31 弊社の問題解決法について<14>

ところで、ドラッカーは、著書「マネジメント」の中で「まちがった問題に対する正しい答えほど、実りがないだけでなく害を与えるものはない」と述べ、問題を正しく把握することの重要性を指摘しております。

 

先ほどの「山田さんが犬に咬まれた」というような簡単な例でも、情報を受け取った後のアクションを間違えないためには、問題を正確にとらえる必要があります。もし間違った問題を設定したときには、間違ったアクションをすることになり、ドラッカーが指摘する害を生みだしたりします。

 

例えば、面識のない山田さんが犬にかまれたのに、親友の山田さんが犬にかまれた問題としてとらえ、慌てて親友の山田さんの奥様に電話をするというアクションをとったとします。親友の山田さんの奥様が、たまたま電話に出られない状況であれば、この電話は迷惑電話となります。問題を正しく把握することは問題解決で一番重要なことです。

 

 問題を正しく把握できるように、問題とはどういうものか定義します。問題とは、感覚的な意味では困った状態や好ましくない状態という意味です。しかし、先ほど答に相当する「あるべき姿」と問題の関係を見てきましたので、「あるべき姿」と「現実」との乖離として「問題」を定義しても納得していただけると思います。この定義は20年ほど前からよく聞くようになりましたが、わかりやすい定義です。

 

この定義を用いれば、何が問題かを明確にするためには、現実とあるべき姿を明確にすればよいことが分かります。そしてこの問題の答とは、あるべき姿であり、問題を解くあるいは問題を解決するとは、あるべき姿を実現するアクションの筋道を求め、強い意志の力で行動を起こしあるべき姿を実現することになります。また、第一章で述べましたが、あるべき姿が無い問題は、解けない問題になります。しかし、本書で扱う問題は、必ずあるべき姿がありますので解ける問題になります。

 

問題の定義から、「解く力」には「あるべき姿」を明確に決める力が必要です。これは、意志の力です。さらに未来の夢を描くことができる感性や責任感が加われば具体的なあるべき姿を創り上げることができます。そして行動を起こし「あるべき姿」を実現すれば問題を解決できます。意思決定し行動を起こし「あるべき姿」を実現することが問題解決であり、それを可能にする力が解く力です。

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2013.01/30 弊社の問題解決法について<13>

 例えば、山田さんが親しい友人である、と仮に決めますと、友人の無事を祈るのは自然な心の動きですので、あるべき姿は「無事である」となります。仮に決めた関係と、答のあるべき姿を加えると、曖昧であった情報は「親しい友人の山田さんが犬に咬まれた。しかし、無事である。」、と具体的になりますが、これはすべて仮に決めていますから真実かどうか不明です。この真実かどうか不明であることが、この場合の問題となります。

 

 知人に山田姓が一人もいない場合には、この情報の曖昧さは親しい友人の場合よりも少なくなります。すなわち山田さんが一般化され、「人が犬に咬まれた」という情報になります。この場合の仮の答、あるべき姿は、平凡な答として「その犬の飼い主のモラル」と決められます。すると、「人が犬に咬まれた。その犬の飼い主のモラルは?」という飼い主のモラルを問う問題になります。

 

 このほかにも問題は設定できる答の数だけ作ることができますが、問題の中には真か偽かを問う問題と、答=あるべき姿の実現を問う問題があることに気がつきます。ところが後者は、あるべき姿を実現できる、という仮の答を設定し、真偽を問う問題に変えることができます。前者は逆に、「無事である」と決めずに、「無事かどうかを明確にする方法」を問う問題に変えることもできます。

 

 すなわち、問題というものは、情報に情報との関係で決めることができる答を付け加えて作りだすことができます。そしてその答となる「あるべき姿」の表現形式を工夫することにより、すべてあるべき姿を実現する問題形式に表現できます。このあるべき姿を使い問題を表現できることが問題の定義につながります。

 

                             (明日へ続く)

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2013.01/29 弊社の問題解決法について<12>

「山田さんが、犬に咬まれた。」という情報では、曖昧さがあるために様々な問題の可能性と、その問題解決のためのアクションを書き出すことができます。無意識でこのような曖昧な情報のまま曖昧な問題設定をして問題解決をしている場合があります。すなわち、問題を曖昧にとらえ、課題なのか問題なのかわからない状態でアクションを決めてゆく、そんな光景を見たことがあります。しかしこのような問題解決では、正しい問題を解くことも正しい答を得ることもできません。

 

うまく問題設定できない時に、探偵ホームズはベーカー街へ戻り、再度問題を考えています。情報を集めてから分析を行いターゲットとの関係を推理する探偵ホームズの問題解決法よりも刑事コロンボのターゲットを常に情報の中に置き問題設定し、ターゲットから逆向きに推論を進めるスタイルのほうが難事件を解決できる、と第一章で考察しました。探偵ホームズも刑事コロンボも問題設定する時には、犯人(答)を情報の中に置きます。情報を分析してから犯人を推定するのが探偵ホームズの方法で、刑事コロンボは、犯人(答)をそのままの情報の中へあてはめて問題設定しています。まず刑事コロンボのスタイルで問題設定します。

 

刑事コロンボのスタイルでは情報の分析を探偵ホームズのようにしません。情報と犯人との関係を考えています。そこで「山田さんが、犬に咬まれた。」という情報では、問題を解決しようとする人と情報との関係、すなわち山田さんとの関係をまず明確にしなければなりません。この関係が決まっていない段階では、答を決めることができませんので問題設定もできません。もし情報が少なくて関係が決められないならば、仮の関係を決めることになります。仮の関係は、この情報の重要度と緊急度から決めればよいと思います。

 

知人に山田さんがいたとした場合に、親しい知人であれば親友として決め、親しくない知人であれば他人の関係としても差し支えないと思います。山田さんとの関係が決まりますと、答を決めることができます。この時の答とは、この情報について本来の「あるべき姿」ということです。

 

 

 

 

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2013.01/28 弊社の問題解決法について<11>

探偵ホームズと刑事コロンボを例にして、問題解決に使用する「考える技術」について調べてきましたが、推理には科学的方法だけでなく非科学的方法も使えることや、推論の向きが重要であることなどがわかりました。探偵ホームズも刑事コロンボも事件を問題として解いていたわけですが、そもそも問題とはどのようなものでしょうか。少し「問題」というものについて考えてみます。

 

問題につきましては、P.F.ドラッカー(以下ドラッカー)は、生前のインタビューで、「コンサルティングの最初の問いは、何が問題か、と問うことから始める」、と答えています。彼の多数の著書は、ビジネスマンの羅針盤あるいは人生の参考書として読まれていますが、インタビューの答えが示すように問題解決の指南書としても読むことができ、この「何が問題か」という問いの重要性は形を変えて彼の著作に何度も出てきます。間違った問題を解決することが、無駄な時間を浪費するだけでなく新たな問題を生み出す可能性があるからです。

 

例えば、「山田さんが、犬に咬まれた。」という事件の情報から何が問題となるのか考えてみます。

 

「山田さん」という名前の友人がいるならば、この情報の山田さんが友人なのかどうかという問題が最初に頭に浮かびます。山田さんが友人でなければ、他人事の一般情報で済むでしょう。友人の山田さんの身に起きた事件であれば、犬が狂犬病であったのかどうか、あるいは怪我の程度、現在の状況など複数の問題が心配になってきます。すなわちこの情報を個人の立場で考えますと、犬に咬まれた山田さんが親しい友人であるかどうかが重要な問題となってきます。

 

一方で、社会的な見地から、犬の飼い主の責任を問題としてとらえなければならない立場の人もいます。山田さんが病院にかかった場合には、各種保険の適用を考えることになります。医者ならば狂犬病の予防注射の有無を問題にします。それぞれの立場において問題のとらえかたが異なり、設定される課題も変わり、発生している事件は一つですが、最初にとるべきアクションは、それぞれの立場で様々に異なることが分かります。

 

このように「山田さんが、犬に咬まれた。」という情報そのものは問題のように見えませんが、この情報を問題のある情報、あるいは問題を生み出す情報と感じた時に様々な問題が出てきます。逆にこの情報で何も感じなかった人は、問題など考えずこの情報を忘れてしまいます。

 

刑事コロンボは、事件現場の観察から様々な問題を考えます。事件現場にあるのは、単なる情報です。そこから様々な問題を設定し、犯人につながる問題を解き、犯人を逮捕します。「策謀の結末」では、殺された闇の商人を自分で演じながらウィスキーのボトルが落ちる様子を再現するシーンが出てきます。何度もトライするうちに、闇の商人と犯人との特別な関係が無ければ死体の横のウィスキーのボトルの状態を説明できないことに気がつきます。

 

すなわち、いつも犯人の存在を仮定しながら闇の商人が倒れ、ウィスキーのボトルがテーブルから落ちる様子を演じていたのです。ここが探偵ホームズとの違いです。探偵ホームズは常に目の前の状態をそのまま科学的観察するスタイルです。情報が揃ってから犯人との関係について推理をめぐらします。しかし、刑事コロンボはいつも犯人(答)を情報の中に置き現場観察をしています。言い換えると刑事コロンボは事件現場(情報)に犯人(答)がいた状態にして常に問題設定をしているのです。

(明日に続く)

 

 

 

 

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2013.01/27 弊社の問題解決法について<10>

探偵ホームズも刑事コロンボも主に活用している「考える技術」は、演繹的推論です。観察により集めた情報で推論を展開する点は共通しています。さらに非科学的な消去法や思考実験、経験に基づく勘もこの二人は使います。

 

しかし、演繹的推論を行う時に、探偵ホームズは分析的思考で考察を進め前向きの推論を行い、犯人の特定、事件解決に至りますが、刑事コロンボは、犯人を逮捕するためのアクションを考える逆向きの推論を展開する点が異なります。

 

探偵ホームズと刑事コロンボが事件解決の対決を行ったら、おそらく刑事コロンボが取りこぼしなく事件解決を行い、勝利すると思います。なぜなら、探偵ホームズの場合には前向きの推論でいくつもの可能性を考えることには長けていますが、その推論の展開は、必ず事件解決にたどり着くという保証が無いからです。一方刑事コロンボの場合には、必ず犯人から逆向きの推論を用いて、犯人逮捕に結びつくアクションを考えています。ですから犯人がいる事件ならば刑事コロンボは必ず犯人逮捕できることになります。

 

例えば、難事件と思われた「策謀の結末」を探偵ホームズが取り組んだ場合を想像してみます。殺人現場には、密売人の死体とテーブルから落ちたウィスキーのボトルがあるだけです。このボトルはテーブルから落ちた後、犯人が裏切り者に対する贈り物の気持ちを込めて死体の手元へ蹴って転がした状態です。この状態に込められた犯人のメッセージに気がつくかどうかが犯人逮捕の決め手となります。

 

さっそく、探偵ホームズは、絨毯についたシミからウィスキーのボトルが落ちたテーブルの位置を特定します。つぎにボトルがその場所から落ちた後、死体の手元へボトルが転がる場合を科学的に分析して推理します。ボトルが落ちた時の角度をいろいろ試しながら、死体の手元に転がるための条件を求めてゆきます。犯人がある意図をもって蹴とばした、などとは考えません。現場には、死体とウィスキーのボトルとの位置関係以外に、そのようなことを示す情報が無いからです。

 

刑事コロンボの場合は、あくまでも死体が中心です。死体とボトルの位置関係があまりにも良すぎることに気がつきます。すなわち、犯人がわざわざその位置にウィスキーのボトルをおいた、という推定をしております。この現場では、ボトルと死体が結論に相当します。刑事コロンボは、最初に探偵ホームズと同じようにテーブルからボトルを落として考えますが、ボトルの置かれた位置の不自然さに着目し、ボトルと死体を一つの結論という見方をして推理を展開します。このシーンについてドラマを見ていただきますと納得のゆく逆向きの推論が展開されています。

 

おそらく探偵ホームズは密売人が殺された時の面会者を推理することができず、事件を解決できなかった可能性があります。分析的思考を用いて前向きの推論を展開する方法では、途中の情報が得られなかった時に結論にたどり着けない危うさがあります。しかし、結論から逆向きの推論を行った場合には、結論にたどり着けるアクションがある限り、必ず事件を解決できます。

(明日へ続く)

 

 

 

 

 

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