本庶先生は科学の研究を推進する姿勢について良いことを言っておられた。すなわち、自分の知りたいことを研究するという姿勢である。
科学とは真理を追究するのが使命の哲学であるから至極当然の言葉である。
しかし、研究者の中には自分のできることを繰り返している人がいる、とたしなめている。
当方もアカデミアの先生方の中に本庶先生が指摘されるような研究者がいることを残念に思っていた。自分のできることを繰り返しているならば、それは職人である。
これが分かっていない人が多いのではないか。企業の研究開発を担当している人にも職人は多い。
以前科学と技術についてこの欄で連載を書いているが、科学が真理を追究するのが使命ならば、技術は現象から機能を取り出すことが使命、と説明している。
この技術者の使命については、これまで著名な技術者が書かれた書籍を読んできて、その思想から思いついたコンセプトである。
技術者にとってそれが真理かどうかはともかくも、繰り返し安定に動作する新しい機能を取り出すことができれば大成功で、そこに進歩性があれば発明となる。
真理が不明な場合が多いので機能の動作にばらつきが生まれたときにその解決手法が要求されるが、真理の追究をしなくてもそれをできるようにしたのがタグチメソッドだ。だからタグチメソッドは科学というよりも技術の手法である。
技術者と自称している人の中にも職人の人が多い。すなわち技術者は自分のやりたいこと、やらねばならないこと、使命として求められていることを実現できる機能を取り出すことが仕事であるが、自分のできることあるいは自分のそれまでの経験の組み合わせで機能を実現しようとする人である。
技術者は自分の実現したい動作について諸事にとらわれることなく自然現象も含め多くの現象の中から、使える機能を取り出す努力をしなければならない。
このとき温故知新は凡才でもうまく機能を取り出すコツのコンセプトである。不易流動の現象をまえに俳句を詠むような気持で機能を取り出せばよいのだ。少し古くなったがピコ太郎のPPAPもよいヒントだ。
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貴乃花親方の提出した書類が退職届ではなくて引退届だったので受け入れられない、と相撲協会から発表の後、貴乃花親方側は粛々と廃業の準備を進め、昨日は講演会の方たちとの送別会が行われたという。
相撲協会側の慌てぶりが見える。サラリーマンの場合には、業務引継ぎなどを行う必要から退職の半年前に退職届を出すことになっている会社が多いが相撲協会のルールはどうなっているのだろうか。
また貴乃花親方は、記者会見で組織にいじめられていた報告をしているが、相撲そのものに対する不満を述べていない。むしろ弟子たちを思いやった言葉を述べており、そのあたりを中途半端だと指摘される方がいるが、当方は貴乃花親方の「本当はやめたくないが、今の組織体制では辞めるという選択しかない」という気持ちがよくわかる。
当方は二つの会社で退職願いを出しているが、ゴム会社には38歳の時であり、写真会社には56歳といずれも世間の常識からは中途である。いずれの会社も理由があったので中途であるが、後者は55歳から権利ができる早期退職制度を使い円満退社である。
すなわち、55歳になったところで担当部長という役職であり、ゴム会社では55歳役職定年にあたるので早期退職制度を使い辞めることを考え、役員と人事部に相談した。役員から環境対応樹脂の進め方の相談を受けたので、それを最後の仕事にしましょうということになった。
人事部は事務的に、定年では誕生日月となるが早期退職制度では3月と9月が退職日となります。どちらを選択されても、57歳で辞められるとちょうど20年です、と伝えてきた。そこで2011年3月11日を最終日と決めて直属上司に退職日の報告をしたら、早期退職制度では引き留めてはいけないルールなので残念だ、ともったいない言葉を頂いた。
当方も会社が嫌で辞めるわけでなく、ゴム会社で入社面接のときに社長になりたいと応えた思いを実現したいので起業することを伝えた。ゆえに写真会社は円満な早期退職であり、退職日には最終講演を2011年3月11日15時から準備していただいた。
ゴム会社の退職状況は貴乃花親方と似ており、それゆえ貴乃花親方の引退における一連の行動や無念の気持ちがよくわかる。もし協会内部でいじめが無ければ彼は退職という選択をしなかったと思われるし、協会のリーダーになる夢を持っていただろうと思う。
退職届ではなく引退届を出しているのもその表現のつもりだろう。彼は相撲を退職する気持ちは無いのだ。当方もサラリーマン研究開発職を辞める気持ちは無く、一方で高純度SiCの仕事を推進したセラミックスのキャリアからくる制限で高分子材料の研究開発を行える写真会社への転職を一年近く前に申し出ている。ただし、転職マニュアルに沿い会社名は伝えていない。
上司からは転職先を言わなければ退職届を受理しないとか、提出した退職願いは会社の所定の形式ではない、とか当初貴乃花親方状態だった。また、カーボンを製造している子会社の見学やらいろいろと会社に残る道を提示してくださり、遅々として退職手続きが進まなかった。
挙句の果ては、それまで一人で電気粘性流体と高純度SiCの住友金属工業とのJVの業務を担当していた状態を改善し、10名程度のプロジェクトの話が持ち上がった。ちょうど湾岸戦争がはじまったころである。
煮え切らないまま日々が過ぎたが、写真会社から10月1日までに入社すれば年末のボーナスを支給すると言われ、ゴム会社から年金手帳など退職の手続きが順調に進行しておれば頂ける書類一式を頂けないまま転職している。
当方が提出した退職届の日付は半年以上前であり、一応サラリーマンとして手順に則っていたが、すっきりしない退職だった。それでも転職した理由は、貴乃花親方の置かれた境遇と結局同じだったからである。
創業者の理念にあこがれた会社であり、その方針に沿って新事業を起業し、決して中途で退職などしたくなかった。また会社への悪い印象は持っていない。しかし研究所の組織風土があまりにも会社全体の風土と体質とは異なりすぎていた。
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塚原夫婦の問題で考えなければいけないのは、指導育成の立場にある人たちのスキルと資質についてそのあるべき姿である。いくらAIが進化したとしても、人を指導育成するためには「人が関わらなければいけない」と思っている。
仮に指導育成について完璧に実行できるAIが作り出されたとして、すべてをAIに任せたならば、人が人であることを放棄した世界になるような危惧をしている。ただ、この心配について当方は自信が無い。感傷的に「人がしなければいけない」と思っているだけかもしれない。
また、人間よりも優れた教育者になったAIが出現するかもしれないと少し期待もしているが、その資質について問題なしと人が認めるために何をすべきか想像できない。
例えば、スキルだけの指導育成ならばAIでもできると思われるが、体操の内村選手が語っているような「美しい体操」という抽象概念をAIが作り出せるのかどうか。
もし「美しい」という抽象概念をすべて具体化でき、それをスキルに落とし込むことに成功したとしても、それを表現したり表現を美しいと感じたりするのは人間である。そのような表現をAIが生み出した時にそれを見て人間が感じるのは希望なのか絶望なのか。
ところで、塚原夫婦の問題に限らず、体罰はすべてが認められない時代である。子供の頃、書道塾で教師からよく体罰を受けた。その先生は全国的に著名な先生でいつも羽織はかま姿であった。
おしゃべりが多いといわれては扇子で唇を打たれた。また、筆の持ち方が悪いと同じように扇子で手を打たれた。人差し指を打たれたときにはしびれて思うように筆を握れず手が震えたところ、今度は二本重ねた扇子で頭を殴られた。
体罰に耐えかねて結局その書道教室を辞めることになったが、昔は指導方法に対する配慮などない時代だった。書道教室に限らず先生と名の付く人はやりたい放題だったような気がする。
数年前、ある書道教室における指導の様子をTVで放送していた。女性の書道家によるコーチングが中心のその風景には愛があふれていた。生徒の自由に任せて文字を書かせている。文字の形に囚われず、その活き活きとした個性あふれた文字は書道の本質を伝えているように感じた。
今の時代、毛筆で文字を書く機会は少なくなったが、日本語の賞状は今でも毛筆である。ところがその多くは印刷物である。息子が小学生の時に毛筆書体で印刷された賞状にボールペンで名前が書かれた無粋な賞状をもらってきた。しかもあまり上手な字とは言えない名前の書かれた賞状をしばらく眺めていて息子を褒めるのを忘れた。
字の上手下手程度の指導であれば、並のレベルまでAIに任せることができるかもしれない。しかし、新たな芸術として表現を生み出せる能力までの指導をAIができるのだろうか。それは人間でも難しい。
また、指導項目以外に指導者と生徒との日常の交流から生まれる場合もある。人間とAIとの交流でこのようなシナジーによる能力向上の機会を生み出すことができるのかどうか。
塚原夫婦の問題では、報道された事実に人間の欲望が見え隠れしている。そこから指導者としてふさわしくないと多くの人が思っている。かれらの資質に多少問題があったと感じた人がいてもこれまで合格点を与えてきたのだが、それが時代と合わなくなって問題となっているのが今回の騒動のように思える。
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LGBTについて不適切な表現があったとして異例の社長謝罪があった雑誌の休刊である。あわてて書店を捜し歩いたが問題となった雑誌は完売状態である。これでは炎上商法と言われかねない。
この雑誌に限らず、「雑誌不況」と言われて10年以上経っている。「雑誌不況」はその始まりから電子出版の影響ではないと思われる。20年近く前から目立ち始めた書店の店じまいの影響と考えられる。
その書店の減少は、日本人が本を読まなくなったことで始まっている。すなわち20年以上前から始まった読書人口の減少から書店の閉鎖、そして言論雑誌不況という流れだろう。
本を読まなくなったのはインターネットの影響と言われてきたが、いろいろ調査してきてそれだけではないように思われる。確かに情報化時代で情報入手の目的だけで本を買っていた人はインターネットに流れたかもしれない。
しかし、読書は単純に情報入手の目的だけではないはずである。一方で高価な技術情報本は、かつてほど売れていなくても一定量出せば売れている。当方に定期的に執筆依頼が来る。
おそらく本を読まなくなったのではなく、深く考えなくなったのではないか。他の人の意見を読んだり聞いたりして思索をめぐらすのは、人間の基本的欲求だと思っていたが、どうもそうではないような社会的風潮である。
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「日本人の約半数に不眠症の疑いがあり、7割の人が睡眠に不満―。
寝具メーカー東京西川(東京都中央区)が全国の男女を対象とした意識調査でこんな傾向があることが25日、分かった。」
以上は時事通信社WEB版の記事であり、下記の結論が書かれていた。
「睡眠の質では、「満足」が31.8%にとどまり、「少し」や「非常に」などを合わせた「不満」が7割近くに上った。「満足」は40代が最低の23.6%で、30代が次に少ない25.2%だった。同社は「働き盛りや子育て世代で満足な睡眠が得られない実態が明らかになった」としている。」
当方は57歳で早期退職し、現在の会社をスタートしているが、最近ようやく満足な睡眠がとれるようになり、朝4時に目が覚める。
4時に目が覚めるのは、前日21時に寝るからだが、7時間熟睡しているのかというとそうではない。老人になると仕方がないそうだが、深夜かならず用を足すために1度起きる。
当方は一度で済んでいるから大丈夫だが、友人は、数度起きるために熟睡できないという。当方が一度で済んでいる秘策を教えたらさっそく試したところ熟睡できたという。
とにかく満足な睡眠ができるかどうかは、心の持ちようも影響する。サラリーマン時代の睡眠は4時間以下で32年過ごしたので今はその約2倍睡眠をとっていることになる。しかし、サラリーマン時代よりも睡眠不足の様な気がしている。
睡眠不足だから昼間眠くなるのか、というとサラリーマン時代の様な居眠りは無くなった。残り少なくなった人生を考えると、居眠りがもったいないような気がするからだ。サラリーマン時代は会議中によく居眠りをしていたが、今は会議中でも居眠りをしない。
サラリーマン時代に睡眠が4時間以下で済んでいたのは、昼間の居眠りがその不足分を補っていたのかもしれない。ゴム会社に勤務中は実験室の隅っこで寝ていた記憶もある。
堂々と居眠りができたのは、新入社員時代に居眠りの常習者とうわさされたからで、一度それが定着すると怖いものが無くなり、堂々と居眠りができた。
またそれなりに大量のデータと成果を出していた。居眠り常習者が悪いのか、過重労働が悪いのか、そのような議論など誰もしなかった時代である。
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昨日貴乃花親方の退職記者会見が行われた。相撲協会という組織の中で貴乃花が文末に書いたように語らなければいけない気持ちは十分に理解できる。
妥協して相撲協会に残っても今後自己の信念に基づき何もできない可能性が高い。貴乃花親方の性格を考えると協会が追い出したようなものである。大相撲の歴史に残る大変残念な結果である。
これを組織内の単純なコミュニケーションの問題として貴乃花親方の批判をする人がいたならば、それは一連の流れから組織内で貴乃花親方がどのような扱いを受けていたのか想像できない人である。また、個人と組織の関係について現実の問題を考えられない人である。
組織とは、どのような優れた組織であってもその組織を統率するメンバーでその性格や組織内風土が形成される。すなわち、メンバーが不誠実な人ばかりならば、今回のような問題が必ず起きる。だからドラッカーは組織リーダーとして誠実な人を選ぶように主張していたのだ。
おそらく今後相撲協会は建前を繕うような動きを貴乃花親方に対して働きかける可能性がある。例えば、今回提出されたのは退職届ではない、だから再提出しなければ認められない、とすでにおかしなことを広報部長は記者会見で語っていた。
しかし、ここまで至ったならば貴乃花親方との関係修復は現在の体制が変わらない限り難しいだろう。残念なのは、周囲の組織がほとんど機能していない点である。大相撲評議委員会は何をやっていたのだろうか。
このような問題解決では組織の外部から貴乃花親方と組織の両方に働きかけないとうまく収束できない。暴力問題では貴乃花親方の行動にも問題があったが、隠蔽しようとした協会が一番おかしいのである。しかしその時にも評議委員会はうまく機能しなかった。
甘い当たり前の判断を示しただけである。しかし、相撲協会の中はTVで当時映し出された現実だけでも暴力問題について隠蔽体質が改善されていない状態であり、「当たり前」の判断をしてみても改革はできない。
仮に貴乃花親方が大人の対応をとり、今回組織に踏みとどまったとしても、組織から陰湿ないじめにあう。それは個人として精神的に耐えられないものであり、組織は外部から見えないように個人がつぶれるまでそれを繰り返すのだ。
これは経験していない人には理解できない状態である。個人がいくらこらえていても、組織の圧力は次第に大きくなり、最後は物理的な圧力として殺人まで起きる、あるいはそれを想起させる事態にまで発展する。例えばFDをナイフで傷つけたようにである。
このような組織の異常なまでの圧力は、組織内で気がついた人がいても同様のな処遇にあうことを恐れ被害者を救うことができない。救うことができるのは組織外のそれなりの立場にある人だけである。このような状況で被害者の能力の問題を批判しても問題解決できないのである。
すなわちここまでこじれると個人として可能な最後の手段は組織から外れる以外にない。今貴乃花はその最後の手段を世間に発表したのである。相撲という日本の文化をそれなりの立場にある人は真摯にこれを受け止め解決しなければいけない。
記者会見では「事実無根ではないと書面で説明したが、それを認めないと廃業せざるを得ないという有形無形の要請を受けた。また理事会で一門に所属しない親方は部屋を持てないと決まった。真実を曲げて認めることが私には出来ません」と、貴ノ岩の暴力問題に対し、告発状を出したことに関する遺恨、協会の重圧が引退の最大の要因だと貴乃花親方は語っていた。
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「経団連の中西宏明会長が2021年春採用から選考指針を廃止する方針を示したことに対し、政府が経団連に同年春の新卒採用については今の就職活動のルールを守るよう要請していることが分かった。経団連は指針をなくして「しきり役」から降り、政府が指針の維持を求める大学側との「仲立ち役」となってルール維持を主導することになる。ただ、形骸化が一層進む可能性もある。」
以上は就活ルールについて書かれた記事からの抜粋である。他の記事では、経団連のこのような方針に対して大学側の反発を取り上げていた。大学側の反発理由は学生が落ち着いて勉強できない、という昔から言われてきた理由である。
当方の時代の就活は第二次オイルショックも影響し、バブル崩壊後の就職氷河期ほどではないが厳しい状況だった。買い手市場であるにもかかわらず10月解禁というルールを守らず、OB訪問と称して4月ころから各社大学へそれぞれの学校の卒業生を送り出し、優秀な学生の一本釣りを各企業は行っていた。ゆえに解禁となった10月1日は、ほとんど採用予定者が決まっている状態で面接に臨むことになっていた。
当方の通っていた大学は地方大学のため、地元志向が強く、関東圏に本社のある大企業は敬遠された。そのため地元企業のOBは学生に引っ張りだことなっていた。また、10月1日の段階で、関東圏に本社のある大企業に誰も応募していないという状況も生まれた。就職難のため、リスクのある大企業は嫌われ、皆地元の中堅企業を目指したのである。
ゆえに4月ころから多くの学生は大学へ来校する地元企業のOBに一本釣りされようと活動していた。5月に来校した東京に本社のあるゴム会社のOBに学生がだれも相手をしない、という理由で大学の事務職員から当方の研究室に電話がかかってきた。
ゴム会社のOBがセラミックスの講座の学生を希望しているのかと不思議に思った当方は、興味半分でそのOBと面談したところ、成り行きで10月1日にゴム会社の研究所見学と本社面接を受けることになった。
当時から就活のルールなど有名無実化しており、怪しいOB訪問で学生の学びの場は乱されていたのだが、それで学生が勉強できなかった、という話は聞かない。勉強をやらない学生は昔からいたが、それが就活が原因だとは学生自身本音で思っていなかった。大学の周囲に多数ある雀荘とパチンコ屋の影響の方が大きかった。
逆にOB訪問が早々とあっても勉強熱心な学生はそれにペースを乱されることなく勉強していたのだ。就活ルールが無くなって困るのは就職担当の教員ぐらいで、勉強をするために大学へ通っている学生は、就活のルール撤廃で右往左往することは無い。
今も昔も企業は少しでも優秀な人材を採用したいのであって、まじめに大学で勉強していた学生は、どこの企業でも受験すれば合格した。強みを学生時代に磨けない学生がそもそも問題で、もし大学生で誠実真摯に学業に打ち込んだが就活に自信が無い学生は相談してほしい。
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イノベーションを起こそうとするときに、どのような概念で目の前の事象を整理するのかは重要である。すなわち新しい概念を考案すれば、それにより対峙している事象を変革できる新たなアイデアが自然とにじみ出てくる。
例えば、SiCをセラミックスという概念ではなく、高分子という概念で捉えれば、自然にシリコーンと有機高分子とのコポリマーというアイデアが生まれ、フェノール樹脂とエチルシリケートのリアクティブブレンド技術でイノベーションを起こしたくなる。
この概念を展開した作文をゴム会社で募集された創立50周年記念論文に投稿したところ佳作にも選ばれなかった(注)。面白いのは審査員は当時タレント教授として著名だったW大学の教授だが、この教授に全く受けなかったことになる。
もっともこのタレント教授は、豚と牛を掛け合わせてトンギューなる生物を生み出し、豚の繁殖力と牛肉の旨味を持った肉の生産事業を一席に選ぶような眼力を持った人物だった(この教授の選んだ一席を一席として発表したゴム会社もすごい。)。ベタコピーの学位論文を通過させたり、その修正版を落第させたりする教授もW大学だからW大学とはそのような大学かもしれない。
これは歴史におけるアカデミアの活動結果からアカデミアなるものがどのようなものなのか、という概念が具現化されてきた様子かもしれないが、日本の大学が世界ランク上位からどんどん落ちてきている事象では、日本の大学について概念を変えない限りその歯止めがかからないような気がする。
概念はコンセプトと英訳されたりするが、「生み出す」とか「妊娠」から派生した単語であるとの説明がカッパブックス「英単語の語源」に書かれている。この説明によれば、イノベーションで新たなものを生み出すために概念が重要なのは昔から分かっていたのかもしれない。
(注)佳作にも選ばれなかったが、この時論文に書いたエチルシリケートとフェノール樹脂から合成されたSiCの事業は、現在も続いている。夢は一時認められなくてもあきらめないことである。審査の対象レベルより評価者の能力が低い場合もある、ぐらいに考えて機会を探し再チャレンジすればよい。反省は大切だが、反省により意欲を失わないようにしなければいけない。腐るのは論外である。
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人は遊んでいたほうが楽しいのか、働いていたほうが楽しいのか、という問いの答は難しい。若いころの過重労働の話を以前書いたが、この眠る時間も無かったような過重労働が十分に楽しかった思い出として残っているからだ。
始末書を書かされたり、上司から「趣味で仕事をやるな」と叱られたり、「遅くまで残っているな」と言われたかと思うと、用があって早く帰ろうとしたときに「このデータを明日朝までまとめてくれ」と、どうでもよいデータのまとめを突然帰宅モーションを起こした時に言われたり、その時は、本当はつらかったかもしれないが、今となっては楽しい思い出となっている。
モラールダウンするような上司の言動については、自分がマネジメントをする立場になったときに役立つ反面教師として眺めていたので、今でも「上司としてやってはいけない言動集」として鮮明に覚えている。
今騒がれているパワハラは日常的だった。パワハラどころか業務時間中に上司を自宅に車で送迎するのも部下の役目、という公私混同の慣習もあった。しかし、会社とはそういうものだと思っていたのでパワハラという記憶は少ない。ドラッカーが「働くとは、貢献と自己実現」と書物に書いていたので、黙々とそれを実践していて気がつかなかった。
ところで友人から誘われた土日のテニスツアーは、バブル時代の典型的なシーンであり、その時は楽しかったのかもしれないが、一緒に旅行に行った仲間の大半が結婚しても当方含め友人の数人はそのツアーでテニスに没頭し何もアウトプットを出せなかった。
ただ、この習慣で磨かれたスキルのおかげで留学先のテニス大会で優勝できたが、忖度すべきだったという反省とともにテニスツアーで努力すべき方向を間違えたのではないかと反省をしている。それに比べると、働くことから得られた喜び、貢献による多数の成果と自己実現目標が達成された喜びは異次元のものだ。
今働き方改革が議論されている。残念に思うのは働く喜びの視点の意見が議論の中で見えない。仕事が大量にあったとしても、自分のペースで働けたのなら遊びに近い、あるいは遊び以上の楽しさを味わうことができる、とその経験からいえる。
仕事から自己の成長を確認できるとき、過重労働であってもやり遂げた達成感が生まれる(過重労働はよくないことであるけれど)。一番問題としなければいけないのは、その仕事から働いた人が手当も含め何も得られない場合だ(注)。二番目は、働く人がつらいと思いながらやる仕事だ。
三番目は賃金が出ても明らかに無駄な仕事だ。帰宅モーションで明らかに無駄な仕事を命じられた思い出があってもそれを三番目にしているのは、「残業代を申請します」と宣言して仕事をしていたからだ。上司からは嫌味な部下に見えたに違いないが、手当てが入ったので三番目としている。
(注)サービス残業であっても働いた人の知識に役立つ仕事ならば、知識労働者による将来への投資とみなすことができる。職業にもよるが、仕事から知識という対価が得られていることを知識労働者は忘れてはいけないし、また、それを獲得できるように仕事を自らデザインしなければいけない。若いときに上司から「趣味で仕事をやるな」と奇妙な叱られ方を時々されたが、この上司から無駄な仕事をよく命じられていたので、無駄な仕事を膨らませてそれを研究としてやっていた。「趣味でーー」とは、この時に発せられた叱責であり、命じた上司自身が無駄であることに気づいたのではないかと内心思ったりした。無駄な仕事とわかっても誠実真摯に真剣に取り組めば周囲を啓蒙できる。無駄な仕事と腐ってはいけない。
ところで、これは40年近く前の話だが、上司が少し風邪気味で早引きすることになり朝通勤で乗ってきたその上司の車で当方が自宅まで送ることになった。業務時間中であり、さらに当方はその日多数の仕事を抱えていたので、作業着のまま上司を自宅まで送っていった。おそらく交通の便の悪いところに住んでいるのではないかと想像し、自宅に着いたらタクシーを用意してくれると期待していたら、甘かった。そこにバス停があるからバスに乗って会社に戻れという。交通の便の良いところに住みながらマイカー通勤、さらには翌朝の通勤にも困らない状態という点にも呆れたが、作業着の当方にバス代も出さずバスで帰れと言われたところは少し腹が立った(ありがとうというお礼も無かったが、昔は管理職が偉くいばっていた時代である。平社員を自分の使用人程度に思っていただろうと感じたこともある)。業務中だったので、職場に戻ったときに指導社員に一部始終を丁寧に報告した。若かったこともあり、ドラッカーの視点から見れば公私混同だと思う、という余分な感想まで述べている。数日後上司から頓珍漢な指導を受けた。このような上司がいた時代でも働く喜びを感じていた。
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サラリーマンで50歳を過ぎれば組織の中でどのような人生を終えるのかが見えてくる。これが見えていない人は、組織における働き方、というものを一度考えた方が良い。
現在の日本では、60歳で一区切りして再雇用というパターンが多い。65歳までシームレスという会社もあるかもしれないが、50歳になれば、65歳の自分の姿が見えてくる。
当方はゴム会社から写真会社へ転職し製品開発を担当してきたが、商品の半成品あるいは半完成品、もしくは部材担当であり、技術成果のよいところは商品開発部門に持っていかれるような立場だった。
それでも部下の評価の時には、最後まで頑張って、成果に相当する評価がもらえるよう努力した。部門リーダーの集まった評価会議で当方のグループの評価がなかなか決まらず、最後はセンター長と当方で決める、というようなこともよくあった。
だから関係部署のリーダーにはあまり評判が良くなかったので、50歳を過ぎたときには、それまで倉庫に使っていた部屋を一つあてがわれてそこで過ごす処遇となった。
ゆえに65歳の当方の姿は大変描きやすかった。そのようなときに写真業界の再編があり、カメラメーカーとの統合が行われたので、躊躇せず豊川への単身赴任を選んでいる。
選んでいる、というよりも当方でなければできない仕事、とわかったから最後の貢献のつもりで豊川へ自ら不利な左遷となるような道を選んだ、というのが正しいかもしれない。
もうその時には55歳で早期退職、起業という決意ができていた。ゆえに技術者として最後の貢献のつもりで土日も返上して業務に打ち込んだ。その結果は大成功に終わるのだが、もちろん報われることは無かった。
お人よしが災いして、もう一年仕事をして環境対応樹脂を開発してほしいと言われ、2011年3月11日を最終日に設定し仕事をしたのだが、とんでもない目にあった。
ゴム会社から写真会社へ転職したり、最後は大震災と大変不幸なサラリーマン人生に見えるが、今から思えば不幸よりも幸福(注)な時間や出来事が多かった。もし50歳を過ぎて悩まれているサラリーマンがいたらご相談に乗ります。
(注)何が不幸で何が幸福か人生最後になってみなければわからないと思う。ゴム会社に勤めていた時に不幸に思っていたことが、写真会社に勤めてみたら、大変幸福に見えた。写真会社で業績に値する十分な評価を頂けなかったことが不幸かといえば、もし評価されていたならば早期退職など考えなかっただろうと思う。起業して出だしは大震災の影響で苦労したが、最近は結構面白い生活である。人生塞翁が馬、ということわざがあるが、まさにそのようなものだと思う。FDを壊されていなかったら、写真会社への転職は無かっただろうし、その結果カオス混合装置の発明をする機会などなかった。また、突然かつての部下から置き土産の仕事が社長賞を取ったからと記念品を贈ってきた思い出などは他人から見れば些細ことだがこれが大変幸福に思えてくるから人生とは不思議である。
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