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2018.11/18 美の表現で思いだした

40年以上前、名古屋駅前の銅像にいたずらでふんどしをつける人がいた。警察が張り込んで犯人を逮捕しようとしたらしいが、結局犯人は捕まらず、1ケ月その裸像は毎日新しいふんどしをつけていた。

 

警察の監視の目を潜り抜けてふんどしをつけ続けた犯人にも感心したが、ふんどしをつけた裸像をまじかで見て下品に見えたのは、むしろつけていない方がデフォルトの美として完成していたからだろう。

 

ふんどしを着けていなければ、わざわざそこを見ず全体を鑑賞する。ふんどし一つで視点が拘束されたりする人間の性は、アイデアを出すコツにも通じる。

 

ある現象と対峙した時にどれだけその現象の周辺あるいは奥行きも含め観察できるのかは訓練してそれができるようにしなければいけない。それができないのはふんどしをつけた裸像を見ているような状態だ。

 

知識を身に着け、科学の視点で現象を眺め、そこから創造を行うという考え方は、自然現象の観察において、このふんどしをつけた裸像を鑑賞せよというようなものだ。

 

知識については、あらかじめ身についた知識だけに頼るのは裸像のふんどしだけに着眼するようなものだ。自然と接したときに自己の無知に気づく感動が湧き上がる状態でいたい。無知に気づき、新たに学び、自分がどこに感動したのか考える。その時に、創造は生まれるのではないか。

 

例えば、先人は、俳句や絵画にその感動をまとめようとしていた。科学と異なるこのような方法で技術を生み出すことができる。科学だけが技術の創造に必要なエンジンではない。先人が自然現象から受けた感動を表現した文学や芸術の成果に科学で学んだ知識を適用して、そこに科学の誤りや不思議さを見出し、新たな形式知を生み出したときに温故知新というが、このような創造では科学の豊富な形式知が必要というわけではない。

 

形式知以外にその人の経験知や暗黙知が先人の経験した感動とシンクロしている。経験知や暗黙知が多ければ感動の機会も多くなる。経験知や暗黙知が科学で整理されていると、その感動で形式知が整理されてゆくかもしれないが、技術の歴史的遺産を見ればわかるように形式知が整理されている必要もない。

 

すなわち、技術を創造するときに科学の形式知がいつも必要というわけではなく、形式知以外の経験知や暗黙知があればよい。それは科学に囚われて行う創造的な活動を行うときにも重要である。

 

アカデミアでこれまで人文科学として束縛してきた間違いに気がつかなければならない。芸術や文学は本来科学とは異なる知の形である。例えば、中間転写ベルトの開発を担当する前、現場で一日ベルトの押し出される風景を観察していた。豊川まで出張して時間が余ったからそのようにしていたわけではないが、周囲からはそのように見えたようだ。

 

しかし、知識がないからボーっと見ていたのではなく、具体的な知識や情報を得る前に、まさに頭の中に全く先入観の無い状態で10%も達成できていない歩留まりの原因を探したのである。そしてその問題が工程にあるのではなくコンパウンドにあると確信した。

 

その時頭の中には30年前のタイヤ工場における現場実習における文字にできない感動やシミュレーションを行い帯電防止層の開発に成功したときのパーコレーション転移を検証して蓄積された経験知はじめ様々な妄想が描かれていた。決して論理的なことがらだけではなく、文字にならないそれらの妄想も含め頭の中に現れる有象無象の事柄が目の前のプロセスと重ね合わされコンパウンドの問題を導き出した。

 

これは人間だけにできる発想法である。あたかも画家が絵を描くような作業に似ている。画家が目の前の実際の色と同じ色を使わない時に論理的な理由を考えているわけではない。その方が良いと思ったからその色を当てはめたに過ぎない。

 

これは単なる思いつきとは異なる。単なる思いつきでは外れることが多いが、当方はこの方法で導き出したアイデアで外れたことが無い。そもそも論理的という時にその論理の基本は科学に基づくが、科学以外の論理的結合も存在する。

 

すなわち、科学では説明できないが、「そのように考えたほうが自然だ」、という結合だ。このような結合で導き出された成果を後から科学で検証するとそれなりに科学的に説明がつくから面白い。また、人に説明するときには、唯一の共通語である科学で説明する必要がある。科学はその時に必要になるだけである。

カテゴリー : 一般

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2018.11/17 網点表現とデジタル画像

印刷感材の開発を担当した時に網点表現の歴史を調べた。驚くべきことに網点表現の歴史は明治時代までさかのぼる。

 

デジタルの発想など無かった時代に印刷におけるカラー画像の表現技術として網点画像が生まれている。

 

これに限らず、ダビンチの飛行機の模型をはじめ、もっと古くはピラミッド建設などがあるから、科学と無関係に人類が技術を生み出してきたという技術史を理解するのは容易である。

 

ゆえに網点表現がデジタルとは無関係に、すなわち科学の時代に科学とは無関係に生まれたとしても驚くべきことではない。しかし、これが美しく表現したいという人間の欲求から生まれたと聞くと驚く。

 

これは銀塩写真からデジタル写真へ変化した時に、その極めてクリアーな画像にびっくりしたことと反対の驚きである。銀塩写真でも銀の粒子が感光し、それが色素雲を生成し画像を作っていくのでドットで絵ができているという理由でデジタルと変わらないかもしれない。

 

しかし、仮にニコンDfのようなデザインのカメラが登場したとしても、銀塩写真に戻る動きは起きていない。明らかにデジタル画像のほうがきれいだからだ。もし銀塩写真のような画像が欲しければ、デジタル処理でそのようなこともできる時代である。

 

今では科学的にドットを操作し、画像をいかようにも加工できる時代だが、それができなかった明治時代に美しく表現するために網点画像が登場しているのは、やはり驚異的なことである。

 

身の回りのすべてのものが科学的にできているような錯覚をしてしまう現代であるが、科学によらない新たな機能を創り出す努力をしている技術者だけが新たな独創的コンセプトを創り出すことができる。

カテゴリー : 一般

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2018.11/16 タグチメソッドにおけるシステム

自然界の現象から機能を取り出し、その機能の繰り返し再現性を確認してロバストを高める効率的方法の一つがタグチメソッドである。タグチメソッドではシステムの基本機能のロバストを改善できる制御因子を見出し、その基本機能の制御因子を最適化してシステムのロバストを改善する。

 

ここでいつも問題になるのがシステムの基本機能である。自動車であれば、その基本機能は、「止まるシステム」と「曲がるシステム」、「走るシステム」となる。今は乗り心地の悪い車は売れないから、ここに「乗り心地システム」も加わる。

 

自動車を商品として捉えたときに、そのほかの機能も考える必要があり、自動車というシステムが複数のサブシステムで組み立てられていることに気がつく。そして、このサブシステムを考えたり、それぞれのシステムについて基本機能が何かを考えるのが故田口先生が考えられた技術者の研究スタイルである。

 

転職してすぐに田口先生のご講演を直接拝聴する機会があった。そのときすでにタグチメソッドを導入されていた企業の方がしたり顔で基本機能を最適化したが、うまくゆかなかった、何故か、と質問された。このような質問に対して田口先生はひるむことなく一刀両断に、それは基本機能が間違っている、と応えられてそれ以上その質問を取りあおうとされなかった。

 

聴衆はその迫力に圧倒されたが、田口先生のこの迫力は一方で誤解を生んだ。システムにはたった一つの基本機能があり、その基本機能を最適化すればすべての商品品質項目のロバストが高くなる、とは田口先生がよく言われた言葉だが、これがタグチメソッドを難解なものとした。

 

設立初期に発行された品質工学フォーラムの雑誌に竹とんぼのシステムについて基本機能を考え、それを最適化してもうまくゆかなかった事例が載っており、その落ちが「だから基本機能は難しい」となっていた。タグチメソッドを推進されていた人たちも教条主義的にこのようなことを書いていたので難解さをますます加速した。

 

さてこの記事はどこがおかしいのか。小生は当時編集者に問い合わせたが、執筆者に問い合わせてくれ、となった。そこで執筆者に問い合わせたが、執筆者は複数の座談会のまとめだから、となり、あほらしいからそれ以上追及するのをやめた。

 

この裏話をいまここに書くのは、もう二十年以上前の話だから差支えが無いと判断し、正しい田口先生の考えを伝えたいからである。当時の教条主義的な、またこのメソッドについてある意味宗教のような指導をされた田口先生の取り巻きの功罪を指摘するためではない。

 

竹とんぼでもそのシステムは自動車同様に複数存在するのでたった一つのシステムで考えた基本機能の最適化で、とてもそれだけでよく飛ぶ竹とんぼになるとは思えない。竹とんぼは単純な形状であるが、自動車のように自力で動いているシステムだけでできているわけではないのだ。

 

飛び立つ瞬間に飛ぶ力を取得するシステムやそのエネルギーを元に回転して飛んでいるときに外力から受ける力をいなすシステム、そのエネルギーで自分自身を飛ばすシステムなど、プロペラ一枚の単純な竹トンボについて、まずそれを構成するサブシステムの解明が必要になる。そして解明されたそれぞれのシステムについて一つ一つ基本機能を考えなければいけない。

 

これが難しい作業なのであり、基本機能が決まってから、そのロバストを上げるためのタグチメソッドは難解ではないのだ。田口先生はこのあたりを、基本機能を考えるのは技術者の責任と明確に述べており、タグチメソッドと切り離されていた。

 

田口先生は多数の分野で活躍された経験から、当方がご指導いただいたときには、システムの具体的な話は技術者が考えた内容をそのまま受け入れるスタイルになっていた。そして基本機能を追求される問いを技術者に対してされていた。

 

当方は、この時、システムのとらえ方をサブシステムまで分解して考えなければいけないんではないかと質問したら、それは当たり前だ、と笑われた。先生は当方の無能を笑われたが、実はタグチメソッドの初学者が難しいのは、この「システム」という概念である。

 

QCではシステムをサブシステムに分解する方法を教えているが、田口先生はそれを知っている前提で話をされていたのだ。ここを理解できると基本機能が最適化されたときに商品品質のロバストが向上するという説明に納得できる。

 

また、プロペラ一枚の単純な構造の竹とんぼでも複数のシステムに分解しそれぞれの基本機能を最適化しない限り、ロバストを上げることができない。基本機能が難しいということを伝えようとした品質工学フォーラムの記事は、それを書いた人たちが、技術というものをよく理解していなかったため、おかしな内容になったと思われる。

カテゴリー : 一般 電気/電子材料 高分子

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2018.11/15 パーコレーションのシミュレーション

高分子に微粒子を分散する実験では、パーコレーション転移という現象に関する知識の有無がその後のアクションを左右する。


面白いのは1980年ごろの化学系の教科書には、このパーコレーションの記述は無く、混合則を用いて現象を説明していた。


また、学会でも混合則が消えてパーコレーションがその議論の中心になっていったのは、2000年を過ぎてからだった。


ところがパーコレーションについては、1950年代にすでに数学者の間で議論されていた現象を理解する概念だった。1970年代にはその体系が完成し、1980年代になるとスタウファーによる教科書が発売されている。


当方がこのシミュレーションプログラムをC言語で完成させたのは、ゴム会社から写真会社へ転職し、数か月間閑職にあった時だ。論文にまとめようとしたときに学会誌「炭素」に他の研究者から類似の方法によるシミュレーションプログラムが公開された。


おそらく材料系の研究者が混合則ではなくパーコレーションで現象の理解を試みるようになったのはこのころだろうと思う。しかし、当方は1979年に指導社員からパーコレーションについて習っていた。


この神様のような指導社員は、今ならば物理系専門職と呼べるキャリアの方で、そのため、材料系の教科書に書かれた混合則についてそれが話題になる時にはなぜパーコレーションで議論しないのかぼやいていた。


このボヤキは、科学の問題を指摘していたようなものだった。すなわち、科学が発展するときに蛸壺化がどうしても起きがちである。


当時π型人間の重要性が叫ばれ異なる専門領域を2つ以上極めることの重要性が指摘されたりしていたが、専門領域がどうのこうのというよりも、現象と接するときに既存の形式知にとらわれないように心がけることが最も大切だと思う。


子供のころテトロドトキシンで有名な故平田先生にあこがれ、有機化学を目指したが、大学院進学時に突然在籍した講座が閉鎖されるという事態になり無機材料の講座へ進学することになった。


人生を振り返ってみると、無料で勉強できたこの時の2年間の複雑な気持ちが、専門にこだわらない考え方を身に着けるきっかけになったようだ。人生塞翁が馬である。


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カテゴリー : 一般

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2018.11/14 概念化の重要性

目の前の現象を概念(コンセプト)として捉えることは重要である。それは目の前の現象の機能を具体的に理解できたときに新たな技術を生み出す。その手順は、現象を概念として捉え、その中の体系をたどり、そこで観察される機能を具体化してゆくのだが、人間は訓練によりそれを一度にできるようになる。

 

おそらくAIでもプログラミングしたり、教育したりすればそれができるようになるのだろうが、AIと人間の決定的な違い、というよりもおそらくそこにAIがたどり着くまでまだ開発されなければいけない未知の概念が必要になるだろう。

 

この理由は機能を具体化してゆく過程で,科学的に説明ができない、よくわからない場合があるからだ。それが個人の経験知に依存しているらしいことは、ブレーンストーミングを行ってきたときの観察からぼんやりと見えているが、時折発言した本人もよく理解できていない「ひらめき」というものがあり、それがどこから発想されたのか不明なことがある。

 

ところで目の前の現象を具体的に記述する方法は小学校から習っている。しかし、それを概念化する作業あるいは方法は、美術の時間以外学習してこなかった。例えば美術では、中学になると抽象画を習う。

 

はじめて抽象画を描いた時間に面白かったのは、クラスメートが様々に物事をとらえていることを発見した時だ。中には抽象化できない人もいたが、およそ目の前の物体を想像させない絵を描いていた人もいた。先生に落書きの時間ではないと言われても、本人は、そのように見えたからだと言っていた。

 

どのような体系の中で彼が目の前のオブジェクトと似ても似つかぬ絵を描いたのか不明だが、また仮にふざけて本当に落書きを書いたとしても「そのデザインめいた」落書きをあえて書いた背景が不思議だった。すべてが論理的に結合された現在のAIでは、彼のような絵を描けない。

 

非論理的におそらく過去の経験や夢の中で出会ったことなどが結びつき概念を導き出す作業は、人間だけに与えられた能力であり特権に思われる。この作業は学校教育では美術の時間以外否定されているが、新たな技術を考え出す時には重要な作業となる。

 

技術では、現象の中に観察された機能について具体化する必要があるが、それができると目の前の現象について概念化できて人工物による機能の再現が可能となる。自然界から新たな機能を見つける方法の一つとして実践してきたが、独自の問題解決法であることに気がついた。

 

カテゴリー : 一般

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2018.11/13 高分子の概念

高分子の概念について未だに高分子の科学的に定説となった分類方法が無い、という理由で研究途上と言える。当方が学生時代に重合様式から行われた分類方法を学んだが、それは有機合成高分子だけに適用できる狭義の分類方法だと気がついたのは大学院で無機材料の講座に進学したときだ。

 

4年生の卒論では、布施明のヒット曲でもある「シクラメンの香り」の主成分の全合成をまとめ、アメリカ化学会誌のショートコミュニケーションにそれが掲載された。しかし、教授が定年退官ということでその研究室が閉鎖され、学部学生は他の研究室へ変わることを余儀なくされた。

 

そこで同じ研究室にいた友人と相談し、大学院の入学試験では希望先に入れていなかった無機材料の講座へ進学することにした。大学側は後ろめたい気持ちがあったのか、すんなりとそれを認めてくれたが、その結果として、本来その講座で進学予定だった学生が他の講座へはじき出される事態も起きている。大学院では成績順に学生をとる決まりになっていたからだ。

 

今から思えばはじき出された学生にかわいそうなことをしたという思い出として思い出されるが、当時は進学予定にしていた講座をつぶされた思いの方が強かった。教授の権力闘争の結果といううわさもあったので、アカデミアというものにうんざりするとともに大学に対して学びの場という敬愛の思い出も吹っ飛んだ。

 

おまけに進学した講座の教授が有機合成に関し優秀な学生が来てくれた、と過大な期待をされて、とんでもないテーマを出してくれたので大変だった。指導してくださった先生は、さっさと投げ出して他のテーマをやらないと修論がまとまらない、と本音で親身に指導してくださったので、これまた議論の毎日だった。周囲からは喧嘩をしているように見えたらしい。

 

この先生、テーマを辞めろと言いながら、一方で当方の主張を聞いていてくださったようで、図書室にケミアブの最新版が届くと、いつも調べに行っていたことをある日気がつき、その教育者としての「愛」に気がついた。本当はやってはいけないことだが、ケミアブの記事の横に鉛筆で当方が読むべき記事に〇をつけてくださっていた。

 

最初誰がそれをやっているのか分からなかったので「公文書に鉛筆で書き込みをしている人がいるようだ」とその先生に話したら、図書室の美人に報告したほうがよい、と言われたのでその美人に報告した。彼女は、犯人はわかっているけど、というだけだった。

 

当方はこの質問をしたことを反省したのだが、この落書きのおかげでとんでもない研究テーマについて2年間に3報研究報告として論文発表出来て、修士論文をまとめることができた。

 

その修士論文では、Holliday博士の著書アイオニックポリマーに掲載された高分子の論文を紹介し、無機高分子という概念をホスホリルトリアミドの縮重合やホルマリンとの共重合を事例に展開している。新素材であるホルマリンとの共重合体についてはPVAの難燃化研究としてその機能確認を研究している。

 

合成反応を元に有機高分子の分類を授業で説明された高分子担当の教授は学会で少々有名な先生だったが、未来を見据えた研究者としての視点を持っていなかったという理由で落第点をつけたいと、大学院を修了するときに思った。また大学院でご指導してくださった年配の助手の方は高分子学会で無機高分子研究会をその年に設立されている。

 

高分子の分類については未だに定説が無いと思っている。Holliday博士のゆるい分類法は未来の材料開発を指向したときに役立つ分類法である。最近では西先生による高分子の作り出す構造サイズに着目した二次元の分類法が発表され階層構造の研究の方向性を導き出している。概念が研究の方向を導いた事例だ。

 

優れた研究者というものは新たなコンセプトで研究の方向性を指導できる研究者だと思うが、学生時代に授業を受けた先生のように研究者の肩書とその能力が必ずしも一致していない場合が時折あるのがいつの時代でも問題かもしれない。社会的に偉いと格付けされた先生による学生時代の授業を信じたまま卒業していたなら、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂のポリマーアロイの開発など考えなかっただろう。

 

学内で無名の助手が教授よりも優れたコンセプトを持っているなどとは社会からは見えない。最近は整形美人が当たり前となり、男女もわかりにくくなった時代だから肩書などファッションと同じにとらえている人も多くなったのでそれほどの影響は無くなってきたのかもしれないが、昔は男と女が明確に線引きされていたように肩書は品質保証書のようなものだった。

カテゴリー : 一般 高分子

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2018.11/07 セミナーのご案内

おひとりさまでも、と始めた弊社のセミナーが好評のため、公募することになりました。基本的な取り決めは以下。

 

1.時間:13時30分から開始

2.参加者上限 6名

3.料金と講義時間:参加者1名の場合に2万円1時間のセミナー。参加者が一名増えるごとに1時間増加、最大4時間とします。質問時間は、人数に関わらず30分。

4.セミナー内容:参加者のご希望にお答えします。基本ルールとして1ケ月以上前に申し込み。内容や参加者は機密事項。

例:高分子の難燃化技術、高分子の混練技術、ブリードアウト、高分子のツボ(専門外の人に便利な内容です)、信頼性工学etc

5.場所:弊社事務所

 

詳細は弊社へお問い合わせください。なお、本件は弊社のサービスプログラムです。

 

カテゴリー : 一般 学会講習会情報 宣伝 電気/電子材料 高分子

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2018.11/04 ふと思い出した

昨日駅伝の話を書きながら、10年以上前に単身赴任して担当した仕事のことを思い出した。この仕事は、外部からコンパウンドを購入し、複写機の部品を開発するプロジェクトだった。但し半年後に製品化判断を控え、担当部署以外の多くの人が失敗するだろうと噂していた。

 

このプロジェクトをあえて引き受けて、土日も返上し、コンパウンド工場建設という計画外の仕事を推進し、半年後に成功に導いた。

 

今から思えば、異常な仕事なやり方だった。当時その業務姿勢に周囲から批判の声も少なからずあった。

 

しかし、成功させるためにはそのやり方しかなかったのである。直属の上司は、コンパウンド工場建設に必要な8000万円の決済を準備し、了解していた。

 

しかし、その他の実働を自分で抱え込む以外に道は無かった。ただし、早めに失敗という経営判断に持ち込む仕事のやり方もあったが、それは単身赴任前に放棄し、1名中途入社の社員を雇用していた。

 

もし早めに失敗の判断をしておれば、中途入社の社員や手伝ってやると志願してきた退職まじかの技能員が皆幸福に無理なく仕事ができたかもしれない。

 

無茶な仕事のやり方ではあったが、成功すると確信していたので推進できた。そして成功したのだが、案の定報われることは無かった。

 

周囲に見解の異なる人が多い場合には、例えそれが血のにじむような努力で成功したとしてもハッピーエンドにならないのが現実である。

 

「自分を誉めてやりたい」という女性ランナー(注)の名言があるが、自画自賛と言われても、組織や社会に評価されない成果をその後の人生のエネルギーに変えるためには、自分だけでも成功したことすべてを肯定する必要がある。

 

但し、今という時代は、全員の合意が得られない仕事をやりにくい時代である。また、火中の栗を拾うような貢献は、ねたむ人が多い場合に栗を拾い上げることができても炎上するような時代でもある。このような社会でイノベーションをどのように起こしてゆくのかが現代の問題である。

 

また、這ってタスキを渡したドラマを美談にするな、という多くの声は、そこまでの個人の努力や苦労をあてにするなとも聞こえる。

 

あるいは、それを止めなかった審判を批判して「もはやスポーツではない」という意見も出されていたが、スポーツ観戦をする醍醐味には、筋書には無い想定外のドラマへの期待も含まれる。

 

本来安全な運営を義務づけた公共スポーツで、懸命に努力する選手に圧倒されおろおろする審判の姿は、想定外のドラマであった。必死に努力する人間の迫力がどのようなものであるかを描いていた。

 

(注)彼女を代表に選んだ陸連の眼力はすごいと思うが、それに応えた彼女はもっとすごいはずだ。しかし、その選考過程で批判があった現実を考えると、「自分を誉めてやりたい」の一言に込められた思いには、金メダルを取れなかった悔しさすら感じられる。この一言は自画自賛ではない。

 

 

カテゴリー : 一般

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2018.11/03 今という時代(6)

「21日に福岡県で行われた全日本実業団対抗女子駅伝の予選会で、2区に起用された岩谷産業の飯田怜選手(19)が途中で倒れて走れなくなり、膝から血を流しながら中継所までの約200メートルをはって、たすきをつないだ。レース後、同選手は右すねの骨折で全治3~4カ月と診断された。」

 

これは日経新聞10月23日版の記事だ。未だにネットではこの時の運営側に対する批判が出ている。また、この光景を美談にするな、という意見も多い。

 

明らかに30年前と社会が変わったと思う。30年前なら、美談で話が完結していた。しかし、今という時代は違う。

 

まず、監督はすぐに棄権するように指示を出したという。そして運営側にもそれを依頼したという。まず監督としての、今の時代の責任を果たしたという言葉がニュースで報じられている。

 

一方運営側について、一度選手に棄権を促したが、選手が聞き入れなかった、という意見が書かれ、かわいそうなのは、写真にも写っているその場に居合わせた審判員である。

 

的外れな意見として、この審判を責める内容があるが、審判をほめる見解が無いのがまさに今という時代である。

 

もし審判をほめる様な意見を書いたなら炎上するかもしれない。ただ、当方がその時審判だったなら、本人の健康状態に異常が無ければ、やはり止めなかっただろう。

 

止めることが安全運営の目標を達成すべき審判の責務を全うすることだ、とわかっていても、もしその場に居合わせたなら止められなかったと思う。これは良い、悪いの問題ではない、と考えてしまう。

 

しかし、今の時代は、どのような問題であっても、そこで審判が止めるのが正しい、と、これをマニュアル化までしてしまう時代なのだ。

 

人生には葛藤がつきものである。力いっぱい生きていこう、あるいは力いっぱい生きているときに、その力いっぱいが問題になる、この駅伝のシーンはそんな出来事である。

 

おそらくとうの本人は今頃悩まれているのかもしれない。当方は彼女に言いたい。君は正しかった、よくがんばった。しかし、今後の人生は一人で責任をしょい込むような生き方をしないように気をつけなさい、と。

 

また、居合わせた審判には、あなたは職務として責任を果たさなかったが、若者の必死で頑張る努力を妨害せず懸命に見守った、そこに当方は感動した、と伝えたい。

 

ところで、もし、ここで審判員が必死に彼女を抱きかかえ静止していたならどのような意見が出ていたのだろうか。今であれば、セクハラの批判が出てきそうな時代だ。

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2018.10/29 雑誌STEREO8月号付録スピーカーと音工房Z

マークオーディオ製スピーカーユニットが付録としてついてくるといった触れ込みでSTEREO8月号が販売されたので購入した。

 

雑誌の価格は5000円を超えており、スピーカーが付録としてついてくると言っても本体は数ページの本で、どちらが付録かわからない。

 

しかし、秋葉でペアで購入すれば1万円をはるかに超えるマークオーディオ製のユニットが5000円弱で買えるのならと、購入してみたが、箱が無ければ使えない。

 

3種類ほどこのスピーカー専用に箱が売り出されていたが、箱の材質の悪さに購入を控えていたら、音工房Zからバーチベニア製のキットが販売された。

 

若干高めの価格だが、スピーカーと合わせても25000円なので、我慢して購入し、昨日組み立ててて一日音楽を聴いていた。アンプはROTEL。

 

聴き始めはバランスの悪い音だったが、30分ほど大音量でエージングしたところダンパーが緩んできてすこぶる良い音で鳴り出した。

 

B&Wの1台30万円前後のスピーカーに匹敵する音である。というよりもよく似た音の傾向だ。フルレンジ1発で聴いているので音像もカチッと決まり、ボーカルの口の大きさもおばキュウのようになっていない。

 

これまで事務所ではオルトフォンの小型スピーカーを使っていたのだが、このスピーカーの半額以下の価格で、このスピーカーよりも情報量の多く出るスピーカーを購入できたと考えるとコストパフォーマンスは良い。

 

しかし、聴きなれてくると不満も出てくる。ロン・カーターのベース音やバスドラムの音に締まりがないのだ。オルトフォンスピーカーとは異なるWバスレフ形式でスリット型にも関わらず、締まりが無い。

 

周波数の入ったCDをかけて聴くと50Hzくらいまで十分にフラットで出ているようなイメージだが、低域はボーンという鳴り方をする。バスドラムは我慢できるが、ロン・カーターのベース音には少し興ざめする。

 

音工房Zのキットでは吸音材を入れなくてもよい、とされていたが、100円ショップで洗濯スポンジ6ケ、ポリエステル綿を購入し、1台当たりスポンジ2ケとポリエステル綿を拳骨2個分入れてチューニングしたところ、低音がやや引き締まり、また音の粒立ちが明瞭になった。

 

バスレフの欠点丸出しのスピーカーだったが、吸音材によるチューニングで仕事しながら聞くスピーカーとしては、十分な性能のスピーカーになった。長時間聴いていても聴き疲れしないところは、オルトフォン並みでよい。

 

昨今は高級オーディオブームだが、キットを使えば手軽に高級オーディオ並みの音が手に入るようになった。良い時代である。

 

10月23日京都リサーチパークKRIワークショップ基調講演で拝聴したパナソニック執行役員小川理子氏の「テクニクスブランド 感性価値創造への挑戦」では1千万円をこす富裕層のシステムの話題があったが、工夫すれば数万円で心豊かになるシステムが手に入る。

 

40年以上前のオーディオブームの時にはお金に頼る以外に手段は無かったが、今はネットを探せば格安で凡人の感性ぐらいならば豊かにできるキットが存在する。

 

現代のオーディオブームは、金にモノを言わせる時代ではなくなった。音工房Zの様な趣味のオーディオをサポートするメーカーも出てきた。DVDオーディオに限定すれば、音の入り口であるパソコンから、アンプ、スピーカーまで手作りで完成することもできる。

 

それにしてもマグネシウム合金の振動板は、金属でありながら金属音がしないところが不思議だ。オルトフォンのスピーカーのウーファーはいかにもPP振動板という音でかつての名器SX3のようなプレミア感がその音色に漂っていたが。

 

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