「去年までは毎日最後に、1500人の踊り手がおどる「総踊り」がフィナーレとなる名物だったが、今年は突如、中止になった。
このために毎年、初日は桟敷席はどこも満席となるのだが、今年は空席も見られた。総踊りが中止になった理由は、これまで報じられているように徳島市の遠藤良彰市長と阿波おどりの有名連(阿波おどり振興協会等に加盟する阿波踊り連33連のこと。卓越した技量を披露するこれらの連は、前夜祭や選抜阿波おどり大会などの大型イベントへ参加)をたばねる、阿波おどり振興協会が対立したためだ。
そして総踊りが中止となったため、有名連が分散。4つの演舞場で踊る形に変更されたのだ。」以上はAERAのWEB版からの引用である。
昨年まで阿波踊りは阿波おどり振興協会と地元新聞社が中心となって運営されてきたが、今年から徳島市と地元新聞社が運営することになった。
この運営問題は急に出てきたわけでなく、数年前からローカルニュースで運営問題について報じられていた。インターネットの時代であり、当方はこのニュースを見つけるたびに心配していたが、とうとう今年大きな問題となった。
そもそも中止の理由そのものが「アホ」な理由である。すなわち、演舞場に均等に客を入れるためだという。総踊りが無くなった日曜日その思惑は外れ、予定よりも客の入りが少なかった。
当たり前である。観光客は総踊りを見に来ているのだ。約10%ダウンの客の入りは少ないダウン率だと思う。市長のお粗末なアイデアのために地元市民との間に亀裂もできてしまった。
振興協会が市長の中止命令に反発し、総踊りを決行すると発表された昨晩は、その成り行きが心配でyoutubeのライブを見ていた。日曜日同様に総踊りが始まる10時までの各演舞場には空席が目立った。
昨晩は毎年総踊りが開催される演舞場ではなく、外の商店街で総踊りが行われるためらしいが、この状況を見る限り、市長は阿波踊りや市民のことがまったくわかってなかったようだ。
夜10時になると、総踊りが振興協会の計画通り商店街で始まり、会場は例年通りの活況を呈しお祭り騒ぎになった。そもそもお祭りは市民の文化であって、市長の独断で中止できるものではない。
以下は本日のヤフーニュースからの引用だが、「踊る阿呆に、中止求める阿呆な市長、それを眺める阿呆な野次馬、同じ阿呆ならおどりゃなソンソン」という状況である。総踊りを中止するのではなく、運営そのものに知恵を絞るのが市長の役目である。弊社へご相談いただければ売り上げ倍増の運営方法をご教示します。
「遠藤市長は総踊りの実施を受け、「再三にわたり実施しないよう求めておりましたが、それを無視して行われたことは誠に遺憾。今後の対応については、実行委で十分協議したい」とするコメントを発表した。」
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20世紀はまさに科学の時代と呼んでもよいような、科学が技術を牽引した時代である。しかし、素粒子論の状況や固体物理の動向を見ても科学が完成の域に達したように感じる。
但し、それは従来の学校教育の視点からの見方であって、少し視点を変えると科学の処女地とも呼べる広大な世界が存在する。
ジジイと呼ばれてもよいような年齢なので、そこへ飛び出そうとは思わないが、望遠鏡でのぞいては、技術ネタを探している。起業してからすでに一つそれを見つけ、わけのわからない技術を生み出すことができた。
高分子物理は、従来の科学知識だけでは手におえない分野だと思っている。統計熱力学がかなり昔から研究されているが、その成果は高分子物理の世界でまだ実力を十分に発揮できていない。
生命科学分野は、少しづつ進歩しているが、20世紀の材料科学における進歩のスピードにはまだ追いついていない。これらの理由は簡単である。新しいコンセプトにより創り出さなければいけない科学の研究領域の情報が全くないからだ。
このような話は、どうしても雲をつかむような話であり抽象的になる。具体的に語ることができた瞬間に科学の新領域が誕生する。若い人は今学校で学んでいる知識を少し疑ってみることをお勧めする。
大学の先生の中には、すべてわかっているような講義をされる方が多いが、例えば高分子の世界については、わかったように話してはいけない知識が多い。単純に思えるTgでさえ満足な説明が難しい。
高分子の非晶質状態は無機材料のそれよりも大変複雑であり、そのため無機材料のTgと高分子材料のそれとは少し意味が異なる。これを当方が体感できるのは、セラミックスや金属の研究を若いときにしていたからだ。
学生時代に研究分野を変えなければいけない不運が今にして思えば幸運だった。個性的な先生に指導されたり、高純度SiCの発明をゴム会社で躊躇なく推進できたり。専門がわからない状態は、研究者としては三流になってしまうが技術者として便利なキャリアである。
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週刊誌を読んでみたが、おそらくご本人は全く罪の意識などなかっただろうと思われる。ただセクハラというものが、相手がアウトと言ったらアウトになるハラスメントなので男性諸氏は注意する必要がある。
ここでオジサン連中はよく学んでほしい。酒の席と言えども軽々な発言が許されない時代になったことを知ってほしい。仕事上で酒を飲むときには、その時も仕事をしている心構えが必要である。
また冗談もその内容をよく吟味して言わなければいけない。昔ゴム会社のある役員が大甘な企画を説明した主任研究員に対して「女子学生より甘い」と叱責したが、これもアウトである。
40年ほど前は、ありとあらゆるハラスメントが横行していた。しかしそれらのハラスメントについて怒りよりも懐かしさとして思い出されるのが不思議である。
ホスファゼン変性ポリウレタンホームの工場試作の成功で始末書を書かされた時の上司の指導態度は、明らかにパワハラである。何度も書き直しを命じられた。
反省していないと思われたのかもしれないが、新入社員発表の企画を自分で立案し、それが認められたので頑張ったところ、あれよあれよと思う間に工場試作までやってしまったのだ。
ただ工場試作が駆け出しの新入社員の社内調整でできるわけのないことは誰もが知っていたので、始末書もその責任者が書くべき、とどうしても顔に出てきてしまった。
何を反省したらよいのかもわからなかったので、始末書へホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの企画を書き、難燃剤コストがkg単価250円以下になりそうな企画ですと提出したら、そのまま受け取ってくれた。
新入社員発表会では、代表でプレゼンを行った当方は張り付け状態になった。たった1ケ月半の研修で作り上げた軽量タイヤを商品のように説明し、CTOから「大馬鹿モン」と叱られたのだ。その後、延々と続いた説教から技術とはどういうものかを学んだ。
しかし、これは今から考えればものすごいパワハラだった。当時の人事部長が心配されて、当方はじめ発表に携わったメンバーを集めて「君たちに言ったのではないから心配しなくてもよい」と慰めてくださったが、人事部長が心配されるほどの強烈なパワーだったのだ。
パワハラを容認すると誤解されては困るが、この時の体験で全員学生気分が抜けて職場で即戦力の技術者として活躍している。職場に雨霰のように降り注いでいたパワハラにも耐性ができていた。当方もホスファゼン変性ポリウレタンの工場試作における始末書程度で腐らなかった。
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「「石の上にも3年」という発想は、今の若手社員にとって、過去のものになりつつあるのかもしれない。
直近の有効求人倍率が44年ぶりの高水準を記録するなど、高度成長期以来ともいえる売り手市場だ。「成長できない」「同じ仕事の繰り返し」と感じた若手は、躊躇なく退社という道を選び、転職市場へ飛び出す。」
以上はビジネスインサイダー8月10日の記事から抜粋した内容である。一方でトーマツイノベーションによる下記の記事も存在する。
「トーマツ イノベーション株式会社(東京都千代田区、代表取締役社長 眞﨑大輔)は2014年度から、新入社員を対象とした調査を毎年実施しています。キャリアに対する意識が年々変化する中、今年度の調査では、就社意識がますます低下していること、ワークライフバランスを重視する傾向が高まっていること、専門家を志望する新入社員が多い中、キャリアがはっきりしない新入社員も引き続き一定数いることが明らかになりました。このことから、新入社員に長く勤めて活躍してもらうためには、①仕事の醍醐味を伝えて自社で働き続けることの魅力を感じてもらう、②ワークライフバランスを保てる職場環境をつくりつつ、生産性を高める必要性を理解してもらうことが重要だといえます。」
これらの記事を読むと、昔ながらのがむしゃらに働きたいタイプとテキトーにワークライフバランスランスというタイプ、あるいは専門家を目指したいタイプなど多様化しているようで、早期に転職する理由もさまざまであることがわかる。
当方はがむしゃらで働くタイプとして新入社員をスタートし、社歴が2-3年なのに高純度SiCの事業企画を何とか実現しようと奮闘努力した経験がある。
当時は今ほど社会の意識が進んでおらず抵抗勢力の圧力のためポリエチルシリケートとフェノール樹脂とのリアクティブブレンド技術の研究を闇研として進めるが、住友金属工業とのJV立ち上げ後FDを壊されるなどの妨害を受け、事業が存続する状態になったのを確認し転職している。
下積みレス願望の若者にアドバイスしたい。日本の組織社会において早期に能力発揮し頑張るためには抵抗勢力の業務妨害を覚悟して臨め、ということだ。そして、どのように行動したら周囲のサポートを得られるのか考える習慣をつけることだ。
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学生時代に化学工学の授業を受けたが、今思い出すとあの授業は何だったのか、という記憶である。講師の批判をしているのではない。授業の中身である。プラント工学と呼んでもよいような授業だった。
現在の応用化学関係のカリキュラムからは化学工学は無くなったという。化学工学科も無くなったようだ。この話を聞いたときに、そうだろうと納得した。
化学工学では、化学反応も少し扱っていた。この化学反応を扱っていることで化学工学の体裁が取れていたのかもしれない。とにかく授業を受けていて、やがてこの学問は無くなるという予感がしていた。
そもそも分子やその集合体、あるいは一般的には材料を使用できるようにするには、必ず何らかのプロセシングが必要になる。
その時、プロセシングを考えるのは、プロセシングの専門家、ということで化学工学分野が考え出されたのだろう。
ところが現実には、化学工学の専門家が活躍できたのは狭い分野だけで、多くのプロセシングは、応用化学や合成化学、その他の専攻の専門家により開発されているのではないか。
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日本ボクシングの山根会長問題が無かったら、おそらく桃田選手の記事で溢れていただろう。そんな想像がしたくなるほど山根会長の記事の間に桃田選手の話題がニュースとして報道される毎日だ。
それらの記事を読んで思うのは、NTT東日本の職場環境である。おそらく上司も含め最高の職場だったに違いない。
「出場停止処分中の約1年間、桃田の心を根本的に変えたのはNTT東日本での勤務経験だった。総務人事部の労務厚生課に所属する一社員として、事務作業を始めとした社業に従事した。高校生から社会人選手となり、成功を手にし続けた才能の塊は、自らを支えてくれる仲間の存在を肌で感じた。16年8月の個人面談では「会社の中で他の社員が働いている姿を見て、バドミントンが出来ているありがたさが分かった」と吐露した。競技に専念する自らの給料、練習環境が誰のお陰で保たれているか。企業スポーツの根幹を強く認識し、心を入れ替えた。」
これは、WEBで見つけた記事の抜粋であるが、多くの記事が彼の勤務経験に触れている。職場の上司や同僚の影響は大きい。当方は今でもゴム会社で出会った様々な上司を思い出す。
恐らく、出場停止処分中に指導してくださった上司のことを桃田選手はいつまでも忘れないのではなかろうか。
組織人として働いているときの人間関係は、組織から受ける制約で無味簡素になりやすい。しかしOJTにおける人材育成では、組織風土からその効果に影響を受ける。
たった3ケ月間ではあったが樹脂補強ゴムの開発を指導してくださった上司からは、社会人としての当方の仕事のスタイルに大きな影響を受けた。
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「関係者によれば、今年4月、瀬古氏はハーフマラソンの解説を担当後、関係者との飲み会に参加。そこにいた女性アナウンサーに対し、セクハラ発言をした。女性アナウンサーがテレビ局に訴え、関係者が異動になるなどしたという。
瀬古氏に聞くと、「セクハラ?! 覚えてないよ、そういうこと」。
瀬古氏が現在総監督を務める横浜DeNAランニングクラブに事実関係を詳しく質問すると、「発言があったことは事実です。瀬古本人には厳重に注意しました」と認めた。」
以上はlivedoor newsからの抜粋である。走る修行僧と揶揄された瀬古氏がセクハラをすることが信じられないが、生臭坊主という言葉もあるので、信じられない当方が世間知らずなのかもしれない。
記事によれば酒の席での発言のようだ。それも番組の打ち上げの席での発言がアウトになっている。半年前にも官僚の酒席における発言がセクハラとして騒がれて更迭されている。
酒席といえども軽軽とした発言が許されなくなった。さらに関係者が異動となっていることから、複数の男性による女子アナへのかなりひどいと判断されたセクハラ疑惑だったようにうかがわれる。
ニュースでは発言となっていたので行為は無かったようだ。処分された瀬古氏含め男性諸氏について、同姓として同情する。このようなことを書くと、批判されるかもしれないが、酒の席の出来事である。男性諸氏の言葉に対してさらりと受け流す能力を女性は身に着けていただきたい(但し、セクハラはいかなる場でも許されない、という認識が正しい。)。
酒席での発言については、対応の仕方によりエスカレートし喧嘩にもなるので、そのための礼儀をわきまえて酒を飲むことが要求されている。セクハラについてもそれを封じ込める礼儀作法があるように思う。女性の対応一つで猥談の方向は変わる。
酒席における男性の猥談というのはそのような性質である。特に高齢になれば猥談だけで2時間なり3時間過ごすことなどありえないと思われる。いまだかつてそのような酒席を経験したことは無い。
各種ハラスメントが社会で問題視されるようになったのは、この20年ほどの間である。その中で分かりにくいのはセクハラである。職場でのセクハラは、仕事中に冗談を言ってはならぬ、と注意すれば防ぐことができるが、酒席でそのようなことを言えば一気に酔いはさめてしまう。
そのような場合に、仕事の一環としての酒席があるといわれるが、もし仕事の延長における酒席といういい加減な仕事であれば、今の時代において女性は遠慮すべきである。少なくとも60代以降の男性諸氏の酒席における言葉の節操のなさは若者の理解を超えるところにある、と認識すべきだ。
60代以上の男性は、こと性に関して全員が発達障害と呼んでもよいような青春時代を過ごしている。同棲時代という映画に夢中になって鼻血を流していた純情な世代なのだ。さらに団塊の世代以下は性に対し開放的な流れが出てきた時代で、現代の価値観からすれば少し性について感覚が歪んでいるかもしれない。
そのような世代が年を取り酒を飲んで箍が外れれば猥談の一つや二つは出てくる。もしセクハラを避けたいならばこのような世代の同席する酒席には出ないことだ。
うっかり発言で犯罪者を増やさないために女性諸氏の協力が必要だ。お酒ぐらいは何も気にせずおおらかな気持ちで飲みたい。
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表題の特許は、ITOが登場した時に小西六工業から出願された酸化スズゾルを写真フィルムの帯電防止層に用いた発明に関する特許である。
面白いのは、この特許1件を出願後小西六工業からは関係する特許が10年以上出願されない状態が続く。その期間に、ライバル会社富士フィルムやイースタマンコダックから金属酸化物系透明導電材料を用いた発明が怒涛の如く出願される。
富士フィルムの特許は、表題の特許は非晶質だから導電性が悪いので結晶性の酸化スズこそフィルムの帯電防止層に適している、という発明がしばらく出願されるが、ある時から一切その言葉だけでなく表題の特許までも先行技術文献として紹介されなくなる。
イースタマンコダックは、酸化スズゾルよりも五酸化バナジウムのほうが繊維状であり導電性もよいので帯電防止剤として優れている、という論調の特許が出されているが、こちらもある時から表題の特許が特許文献から姿を消す。
1992年に透明金属酸化物に関する発明を調査したときには表題の特許はその痕跡すら調査で集めた文献に見つからなかった。
表題の特許を見つけたきっかけは、特許の証拠探しである。酸化スズゾルを用いた帯電防止層を発明したのだが、ライバル特許の山の前で立ち往生したのだ。
実用化するためには、証拠を探し、その技術が他社の特許を侵害しない安全圏にあることを証明しなければならない。古いライバル特許をさかのぼること30年分調査することになった。
その古い特許1件にたまたま表題の特許の紹介がなされていた。虎ノ門まで出向き、見つけたときには、出願人を見てびっくりした。
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昨日コアシェルラテックスとゾルをミセルに用いたラテックス重合技術の話を書いた。前者は科学的に推論を進めて容易に合成できるが、後者はその現象を発見して生まれた技術、あるいは技術者が非科学的に行った実験で繰り返し再現性が確認され技術として実用化された事例である。
世の中の技術がすべて科学の力で生み出された成果と誤解している人が多いが、実は科学誕生以前から人類は後者のような技術を開発してきたのだ。だから世の中の科学技術は、科学の力で生み出された技術と、技術が生み出されてから科学的にその機能が考察された技術の両者が存在する。
後者については、科学で考察されなくても繰り返し再現性があれば十分に実用化できる。ただ技術を品質保証しようとすると、現代は科学的品質保証が推奨されるから科学で考察する必要が出てくる。
せっかく科学で考察を進めても、現場のおやじが鼻くそを丸める様な感覚で数字を丸め一丁上がりとやっている場合もある。測定で得られた数字を丸めている間は良いが、鼻くそとの区別が分からなくなって適当に書き始めるようになると捏造である。
数字を捏造した品質データでも問題が起きないことを経験すると、それが経験知として獲得され捏造が常態化する。もし世の中の技術がすべて科学で成り立っているならば、真理は一つであり、品質規格から外れた半成品を用いた次工程ではエラーが起きるはずである。
ところが、科学技術を創り上げていく過程で、昔ながらのKKD式技術開発手法を意識せず人間は取り込んでゆき、その結果非科学的な適当な経験知が許容される技術ができる。昨年末から今年にかけてメーカーの捏造や適当な品質検査が行われてその会社の社長の謝罪会見が行われたが、後工程において問題が起きたというニュースはその後報じられていない。
科学的にすべての技術が創り上げられているならば、このような場合にどこかでエラーが起きなければいけないが、非科学的な要素のところにおける前工程のエラーの場合には、後工程でそれを適当に回避する経験知を用いることにより問題解決してゆく。
ゆえに謝罪会見直後に後工程のメーカーから捏造データであっても品質に問題ない、という発表ができるのだ。もしこれが科学で厳密に制御された営みにおける事件であったなら、後工程で問題が起きなければいけない。一連の捏造事件は、技術が科学の世界だけで作られていないことを証明した事件でもある。
技術分野における人間のこのような営みの存在を研究者になる人は学んで頂きたい。研究では科学が唯一無二の哲学となる。しかしその科学は人間の営みの中で鼻くそほどの地位しかないのだ。だからと言って人類は科学を軽視しているのではない。ボーっと生きていて、すなわち科学を意識しなくても生活ができる、という意味である。
時として、その存在が気になったときには無意識にほじりだして捨てることも厭わないのである。これは中小企業の現場だけでなく、日本を代表するような企業においてでもそのような状態、というより営みである。だから声高に科学を称賛してきたのである。
ところで技術者はボーっとしていても技術開発ができるが、研究者が科学の僕となるのを忘れたときに、STAP細胞のような騒動が起きる。研究者は科学の倫理と論理を十分に理解しその枠内で活動することが求められている。科学を追求する研究者という職業は、技術者のような自由な営みが許されない世界なのだ。
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末は博士か大臣か、は当方の子供の頃まで大人から聞かされた言葉だが、最近は聞かない。人生はそれぞれの個性や能力に合わせて自己責任で生きたほうが幸せという子育て方針が浸透しているためだろう。
ただし大人が子供に人生の方向を例示することは子供の能力を向上するために重要と自己の体験から言える。当方は社会に貢献できる人の姿のゴールとして博士か大臣だろう、と母親に言われて育ったために博士の学位が一つのゴールとして心の中で持ち続け生きてきた。そして博士の社会的役割や貢献について真面目に考え悩んでいたころもある。
高校が受験校であり、また生徒の親が博士か大臣の人もいたので、博士と大臣の社会的役割の面白さについて博士だろうという結論が自分の中で形成されていったが、大学に入ってオーバードクターの問題や、助手と教授の能力の逆転現象を目の当たりにしてアカデミアの組織に失望感が生まれた。
最もショックだったのは研究成果を助手に頼りっきりの教授の姿であり、情けない噂であった。大学紛争の名残もあった影響か低姿勢の教授や威張っている年配の助手が多かった。教養部の学生を酒に誘い、日ごろのうっ憤を晴らす先生もいたりして、アカデミアに対する失望感が勉強に対する疑問へと変わり麻と雀の研究に精を出すことになる。
ただ子供の頃から言われていた末は博士か大臣か、の言葉は、このような環境で反省の気持ちを醸成し、教養部規定単位数の二倍を取得し進級している。授業をさぼることも多かったのに単位数を多くとろうとしたのは、良い成績を納めることよりも量を稼ぐことが簡単だったからである。また量を目指せば単位数が不足し留年という事態を防止できる。
この、ある意味無茶苦茶な学習方針は、社会人になったときの過重労働に耐えうる体力を養ったように思っている。なぜなら試験週間は寝る時間などなかった。一か月近い試験週間の毎日何か試験が入っていただけでなく、試験時間が重なっている日もあった。
試験時間が重なっていても、無事両方の単位を取得したために恐らく単位数だけは全学生の中でトップだと教務課で言われた。ただし成績は優の数になるから残念でした、と言われ学習意欲は低下した。およそ学習環境として良くない大学あるいは時代だったかもしれない。
ただ取得する必要もない哲学はじめ多くの人文科学系の勉強を単位取得のために頑張ってよかったと思っている。恐らく試験が無ければ真剣に読むことのなかったジンメルの「自殺論」や大学の哲学の先生がまとめられた「知性の歴史」など多くの知の書物に触れることができた。その結果専門に偏ることのない読書習慣が身についた。
この幅広く本を読むという姿勢は、知が関わる職業に就こうとするときには重要な姿勢の一つだと思っている。研究の仕事につけば多くの専門書を読むことになる。ともすれば専門書以外読まなくなる可能性も出てくる。
専門書以外読まなくなるとどうなるかは経験が無いのでよくわからないが、幅広く知を求める習慣は、自然現象に接したときに多方面からその現象を眺めることが可能となる知が得られる。これは経験から、確実に身につくと思っている。またこの意味において一般教養の重要性が叫ばれている最近の風潮を歓迎している。やはり人文科学はいつの時代でも必要だろう。
若い時に知の世界に境界や果てのないことを知ることは重要である。特にAIが確実に知の職業分野で活用される時代には、無限の知の世界を放浪できる特権や具体化された知を再度抽象化して新たな知を生み出す活動は、AIには期待できない、人間にだけ与えられたものだ。
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