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2016.11/27 過重労働(続)

先日年齢が近くておつきあいの長い、某大学の先生が事務所を訪問された。特に用があったわけでなく雑談だったが、その時老後の時間の過ごし方の話題になった。
 
当方の友人には出世が早く、サラリーマン双六で早くあがりとなり、60歳から退職して趣味の生活をしている友人がいると話したら、その人は今幸せか、となり、若い女性のインストラクターにビオラの弾き方を習っており毎日が青春だと言っている、と応えた。
 
今時は100歳まで生きる可能性があるので、100歳までビオラを習い続ける資金と意欲のある人はよい、となり、そもそもビオラが目的なんだろうか、などという展開になった。
 
早い話が、趣味だけの人生で100歳まで生きられるのだろうか、ということである。当方はその点が起業した理由の一つと話した。そうしたら実は、と言う話になり、先生も起業を考えている、と言うことになった。
 
その後なんやかやと話したが、当方が赤字で苦しみ、毎朝4時から夜寝るまで働いており、もちろん休日も無い、という話をしたら、それでも幸せだろうと言う。
 
5年前と比べても体格は変化しておらず、顔に悲壮感も無いので、過重労働の毎日でも幸せに見られてしまう不幸を感じた。いや、これでも死にそうな思いで毎日特許調査やら新しいビジネスやらを考えている、と話したら、たいへん楽しいでしょう、となった。
 
確かに、若い時の趣味が仕事になってしまったのだから、幸せかもしれない。しかし、当方が期待した幸せは、高純度SiCの事業化でそれなりの名を知られていることだった。
 
人生は必ずしも思い描いたとおりにゆかないものである。想定外の写真会社への転職で、写真の趣味が復活して、あるささやかな国際大会で優勝した。人生で一番になったのは後にも先にもこれが初めてである。転職しなければこの経験は、できなかったと思う。
 
過重労働の毎日の生活だが、夢があるので一応幸せなのだろう。会社がそれなりの規模になり世間に少しは注目されるようになったら、起業体験記をこの欄に書いてみたい。おそらく退職して起業したい人の参考になると思う。
 

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2016.11/26 過重労働と組織(2)

電気粘性流体用粒子設計の企画が芽をだしたおかげでパートナーが一人できた。ただ、このパートナーには申し訳ないことをした。当方がFD問題で退職を決意した時に、彼もいっしょに辞めると言い出したからだ。ただ状況が状況だけに、パートナーの転職を止めることはできなかった。
 
ゴム会社そのものは、創業者の理念が生きており大変魅力的な会社だと思う。特に役員の方たちは経営の力量の高い方が多い。12年間在職し、その方たちに指導されたことは今でも大変役に立っている。高純度SiCの事業を苦しいながらも継続できたのは、その方たちからの厳しいご指導のおかげである。
 
これは視点を変えると、過重労働の押し付けになるのかもしれないが、当方はそのように受け取らず、とにかく当方の命ある限り事業が成功することを目指した。
 
しかし、FDを壊される妨害を受け、組織が正しく機能しない現実を知った時に、転職を選択する以外に道は無かった。定年まで高純度SiCの事業化を担当する決意で業務を推進していたが、住友金属工業とゴム会社との契約もまとまりJVが佳境に入っていたので、当方でなくても業務を進められる状況だった。
 
不思議なことに、当方とパートナーが辞めると表明した時に、高純度SiCのプロジェクトを拡大する話がでて、二人は上司から引き留められることになった。しかし、そのときはもう遅かった。転職先へ当方が出社する日が1ケ月後に迫っていた。ただし当方はルール通り6ケ月以上前に退職届を提出していた。
 
転職準備は1ケ月しかなかったが、ヘッドハンティングの会社から半年前に当方が希望したセラミックスとは無関係の会社を紹介されていたので、転職はスムーズに進んだ。しかし、パートナーは、半年間職探しをすることになったので申し訳なかった。
 
当方は、転職後も一年近く高純度SiCの事業のお手伝いをできるようにゴム会社近くの写真会社を選んでいた。当時の上司からいただいたこのお手伝いの状況を書いた手紙が、最近出てきて懐かしく思い出した。一年近く転職した会社に通勤しながら、サービス残業ではなく、無給でお手伝いの過重労働をしたのである。
 
 
 

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2016.11/25 過重労働と組織(1)

ゴム会社では担当者として12年間勤務したので、残業時間を申請しなければいけない立場だった。しかし、大半はサービス残業であり、特に電気粘性流体と高純度SiCの事業化を担当していた時は、サービス残業の毎日だった。
 
電気粘性流体の仕事はプロジェクトメンバーの一員として業務を担当していたが、高純度SiCの事業化は、住友金属工業との共同開発契約が締結されても一人で進めている状態だった。そして転職したのは38歳の時である。
 
この7年ほど前、高純度SiCの事業化を行うためにファインセラミックス棟がゴム会社に建設された竣工式の日に、上司が胃がんのため入院されていた病院でお亡くなりになった。当方が31歳の時だが、その後上司がほぼ1-2年ごとに変わり、そのたびに業務説明という仕事が発生し大変だった。
 
マネージャーが毎年のように変わった背景は、経営から見て業務が迷走状態だったからだ。迷走状態になった理由は、マネージャーによりテーマの進め方やメンバーの役割が変わったことが大きい。
 
当方を邪魔者扱いにしたマネージャーもいた。このような状態を経てU本部長退任後、当方は一人で業務を担当することになるのだが、予算だけはテーマについていたのでお金に苦労することなく、一人になって気楽に感じたこともあった。
 
ただ、某会社の人事担当の友人から、その状態は当方の将来において危機的状況だ、と教えられた。この友人から酒を飲みながらいろいろ脅されても、なぜか恐怖感は無かった。当方が邪魔者扱いをされたときに、S人事部長に相談して自信を持って業務を継続するように言われたからだ。S人事部長は、当方を悪く評価する人は悪い人で、良く評価する人はいい人だと思って仕事を進めてよい、とアドバイスされた。
 
今から思えばS人事部長の言葉の真意を正しく理解できるが、当時は真正面からとらえていたので、友人がいくらテーマを終結し、職場異動申請を勧めてくれても、そのような気持ちにならなかった。S人事部長のアドバイスが無かったなら、高純度SiCの事業はとっくの昔に終結していたかもしれない。
 
U本部長からI本部長に変わった時に、電気粘性流体を主に担当することになった。きっかけは、某自動車会社に電気粘性流体を納入しなければいけない納期が迫っていたのに耐久性の問題が解決できていなかったからだ。そして、この耐久性の問題を相談されたときに当方は一晩で簡単に解決してしまったのだが、これがFD問題の原因となった。
 
しかし、業務時間の大半を電気粘性流体に使うように指示されていたので、当方の立場としては問題を早く解決し、高純度SiCの業務時間を生み出したかっただけである。ちょうどこのころに住友金属工業とのJVの仕事が忙しくなっている。JVの仕事と電気粘性流体の性能向上の仕事と二つを一人で進めねばならず、おまけにI本部長からは当方の残業時間は認めない、と言われたので、サービス残業にならざるを得なかった。
 
このような過酷な状態で、本来は精神的に追い詰められているはずだった。周囲には、そのような状態をからかう先輩社員もいた。ものすごい組織風土に変わったと内心思った。
 
ところが、弊社の問題解決法を適用したので担当した電気粘性流体の仕事が面白いように展開し、はた目には過重労働だったのだが、毎日ニコニコと業務に励むことになった。そして、電気粘性流体の性能向上のため、傾斜機能粉体や微粒子分散型粉体、コンデンサー分散型粉体などの粒子設計の企画や高誘電率ホスファゼン絶縁オイルの提案をした。

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2016.11/24 貢献と自己実現

知識労働者の働く意味を「貢献と自己実現」と言ったのは、故ドラッカーである。そしてモチベーションを向上するために、日本の各組織が目標管理と成果主義の人事制度を取り入れてきた。
 
しかし、これがうまく機能しているのかどうかといえば自己の体験からは「NO」である。それを昨日わかりやすく書いた。わかりやすくするために、やや、昨日は下品な内容となった。
 
サラリーマン生活でも嬉しかった思い出もある。退職日は東日本大震災で講演会も送別会もすべて吹っ飛んだが、退職後改めて送別会を開いていただけたことや、最後の一年間担当した仕事が社長賞をとった、というので記念品が贈られてきたことだ。
 
これらは、写真会社の風土が分かる思い出である。ゴム会社にも楽しい思い出は多い。例えば同期入社の会に誘われ参加したり、たまに酒席の誘いを受けるのは、ゴム会社の知人友人からだ。これもゴム会社の風土を理解できる出来事である。
 
サラリーマン生活でやはり一番嬉しかった出来事は、左遷され単身赴任したときに、旧無機材質研究所副所長から頂いた手紙である。この手紙の内容には涙が出て、そして退職を控えた最後の仕事ではどんな苦労があってもやり遂げる勇気が出た。
 
故ドラッカーは貢献の重要性を説いているが、俗人にとって貢献の結果が分かる出来事が無ければ、働く意欲も失せる。散々働かされて、必要なくなったから倉庫として使われていた部屋をあてがわれたのではたまったものではない。
 
サラリーマン人生ではいろいろな出来事があるが、いやな思い出と良かった思い出は忘れないものである。働く意味は「貢献と自己実現」かもしれないが、働いた結果、それが良い思い出となるのは、ささやかな貢献が報われたときだ。言葉だけでも良いのである。
 
自己実現は自分でそのゴールを理解することができるが、貢献はなかなか理解や納得が難しいので組織に関わる人が褒めてあげないといけないのである。忘れた頃に届いた副所長からの手紙には、高純度SiCの経済的なプロセス開発の業績を称えるとともに、それに対し成された20年以上も前のお約束の内容とその実行が書かれていた。
 
世の中には本当に聖人と呼べる人がいるのだ。また、この手紙のおかげで、早期退職前に過重労働となってもカオス混合技術を開発できるだけのパワーが生まれた。
 
 
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2016.11/23 成果と評価

サラリーマン生活で学んだことは、成果を出してもそれが評価として必ずしも報われないという事実だ。それ故、故ドラッカーは、働く意味を「貢献と自己実現」として説明している。サラリーマン生活ではまさに貢献と自己実現の32年間だった。
 
20年ほど前から人事評価について成果主義が声高に言われている。ゴム会社は新入社員の研修でも説明があったので30年以上前から成果主義の人事評価である。写真会社では10数年前から成果主義が人事制度に取り入れられた。しかし、いずれの会社においても、明らかに大きな成果を出したにも関わらず、それが評価に結びついていない。
 
もっとも働く意味は貢献と理解していたのでそれが理由で転職を考えたことは無かったが、なぜ評価されなかったか、という反省は常にしていた。新入社員時代の樹脂補強ゴムの成果は、防振ゴムとして実用化され、後工程の担当者は部長まで昇進している。これは、新入社員の2年間は査定が無い、という人事評価制度から納得している。
 
しかし、その後担当した天井材の開発では、市場の急激な変化で開発期間が短かかったにもかかわらず納期どおり実用化に成功しても査定はBだった(注)。ちょうど天井材の開発と半導体用高純度SiCの企画提案を行っていたときと重なっており、主担当業務は前者で後者は留学を控えての自主提案業務だった。当時の研究所の方針では、ファインセラミックスをどのように進めるのか決まっていない段階で、外部のコンサルタントに大金を使って調査している最中だった。
 
半導体用高純度SiCの企画は、昇進試験問題の解答に書いても0点が付いてくるような状態だったので全く評価されていないというよりも提案そのものが一部の反感を買っていたと思っている。
 
結局研究所の高価なファインセラミックス調査資料はその後ゴミとなり、その調査資料には盛り込まれていなかった、当方が社長の前でプレゼンテーションした半導体用高純度SiCの企画が現在でも事業として続いているのだが、この企画についても2億4千万円の先行投資を頂いたので、それが評価といえる程度である。
 
企画から推進、事業化まで行っても何も評価されていない。但し、この時の先行投資のおかげで超高速高温熱天秤を開発することができ、高純度SiCの品質管理技術を考案するとともに学位を取得できているので満足している(自己満足)。
 
先行投資後は6年間いわゆる開発の死の谷を歩くことになり、本部長から指示されて新しい研究企画を半期ごとに提案する業務とセットで高純度SiCの事業化を進めることになった。
 
FDを壊されるきっかけとなった電気粘性流体のテーマでは、「耐久性向上技術」「3種の高性能粉体技術」「高絶縁ホスファゼンオイル」などの企画とその実現に成果を出したが、結局評価されることなく被害者でありながら事態を収束するために転職している。
 
自分の32年間の成果と評価について考えるときに、「貢献」の二文字は説得力がある。「貢献」を正しく理解するならば「評価」を求めてはいけないのである。32年間完璧にそれを実践できたかどうかと問われると?である。働く意味の理解はなかなか難しい。
 
(注)研究所で担当した二人ともABC3段階のBであった。ところがこのキモとなる材料の企画については研究所から出たのであり、明らかにこの評価は成果主義と捉えるとおかしい。おまけに過重労働の毎日で残業時間もつけられないサービス残業の毎日だったので、今から思えば残酷な評価ともいえる。しかしその後も明るく元気に高純度SiCの事業化を進めたのである。企業の中でなぜ職務評価とは別に報償制度が必要なのかと言えば、この一点になる。貢献し明らかに成果を出した組織に何も報われず、悶々と人生を過ごす知識労働者のやりきれなさを日本の経営者はどこまで理解しているのか?このような知識労働者の思いの結果が現在の日本の状態にしているとしたら残念なことである。グローバル化の時代では、なおのことそれぞれの組織が人材の問題を真剣に考えなくてはいけない。写真会社では、退職前にささやかな賞を頂き、退職後には部下から社長賞の記念品を贈られた。褒められてうれしくない人間というのは少ないと思う。当方は褒められれば単純に過重労働でもいとわない性格だが、組織はもう少し褒めたたえる効果の大きさを重視したほうが良い。組織風土を変えるだけの効果があると思っている。
  
 

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2016.11/22 過重労働

電通の自殺事件の影響によるのか過重労働の話題が多い。それを読んでいて気になるのは、働き過ぎが良くない、という一つの視点である。過重労働で肉体的な病気になるおそれはあるが、サービス残業やヤミ残業などいわゆる過重労働とみなされるたぐいについてやり尽くした当方から見れば、職場環境や組織が知識労働者に与える影響こそが問題として大きいと思っている。
 
もっとも毎日定時退社でき、一日8時間の労働で十分な成果があがるような仕事が理想だが、今時そのような仕事は少ないと思う。研究開発職であれば勉強時間を労働に含めるのかどうかと言う問題が発生する。もし、研究開発職の勉強時間を労働時間に組み入れたときに、一日8時間の労働で済んでいるとしたら、よほど優秀な社員の多い会社だろうと思う。
 
多くの日本のメーカーでは、原材料価格の3倍が商品の値段になっているが、原材料価格の10倍の商品を販売している企業ならば、一日8時間の労働のところもあるだろう。このあたりの考え方については説明を省略するが、付加価値の極めて高い商品を販売できるならば、労働時間が短くなる可能性がある。
 
適切な労働時間が良いことは当たり前である。また、短時間の労働で価値を生み出せることが理想である。そのためには、社員のスキル向上が求められ、多くの会社では、このスキル向上のための時間も人材育成として労働時間に入れている。
 
労働が生み出す価値とそのために必要なスキルなどを考えていった場合に、単純に労働時間の長さだけで善悪を論じることが難しくなる。自己実現のために長時間を費やしているならば、マイナスの精神的負担ではなく、スポーツマンの練習で味わう楽しい苦痛だろう。
 
ところで、電通は付加価値の高い商品を販売しているように見えるが、実際の労働時間を商品の中に組み込んだら、おそらく付加価値など無くなり、原価ぎりぎりで事業を運営している実体が見えてくるのではないか。会社の生み出した価値と社員の労働時間との関係を正しく把握することは経営者の責任である。
 
工場の原価管理については数値化しやすく、その結果大企業の工場の現場で過重労働の噂をあまり聞かないが、スタッフ職の労働時間管理は難しい。それゆえ、研究開発費を売り上げの何%と決めて、その中に労務費なども組み込み管理しているのが実体ではないか。その結果労務費の上限が押さえられサービス残業などの過重労働となってゆく。極めて単純な理屈である。
 
勉強時間まで労働時間に含めると、日本全国の大企業の研究開発職の大半は過重労働となるはずで、過重労働=自殺の原因と単純に捉えると問題解決を誤る。
 
過重労働についていろいろ思いを巡らすと、そもそも働くということについて様々な考え方があるのではないか、という疑問にぶちあたる。働く意味は、貢献と自己実現と定義したのは、故ドラッカーであり、この定義に沿って働いた場合の過重労働の問題は、働く時に自殺まで知識労働者に考えさせるマネジメントとは、となる。
 
労働生産性を上げ、労働時間を短縮し、皆が明るくにこにこと働けるような職場は理想である。しかし、企業の現実は経済性を追求=人件費削減しなければいけない。能力のある人は知恵を出して労働時間を短縮できるが、知恵の無い人は汗で成果を出さざるを得ない現実がある。気持ちの良い汗を流せるようなマネジメントであれば、理想とすべきではない過重労働であってもそれは働く楽しい思い出となる場合もある。
 
 
 
 

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2016.11/21 ドラッカーは古いか?

かつてバブルがはじけた時に、ドラッカーはもう古い、ということが言われた。今あまりドラッカーは読まれていないようだ。2005年、ちょうど当方が単身赴任をしたころ、ドラッカーのちょっとしたブームがあった。すなわちドラッカー本が書店にたくさん並んだのだ。
 
2005年11月にドラッカーが亡くなったためだが、その時並んでいた書籍は自然に書店からフェードアウトしていった。今町の書店には、おいていないところもある。先日近所の本屋にいったところ、ドラッカーの本ではないがブルーオーシャン戦略の最新版が並んでいた。
 
店主に聞いたら売れ残り品だという。過去に出版された続編だったが、たまたま茨城まで出かけるところだったので、暇つぶしに買ってみた。しかしがっかりした。これに対して、ドラッカーの著書は、今読んでもその内容が色あせてなく、むしろ今の時代を書いている様な本もある。
 
例えば、高校生の頃読んだ「断絶の時代」など過重労働の問題を考える時の参考になる。ドラッカー本は決して古くなく、むしろ今の日本では旬な本かもしれない。彼が考察して書いた内容は、知識労働者の時代の到来やグローバル化、高齢化社会を扱ったテーマが多い。グローバル化や高齢化社会が直接表現されていなくてもそこで考察されている内容は、まさに今の時代に起きている問題解決に役立つ提言が多い。
 
ドラッカーをマネジメントの発明者という人がいるが、それは間違っている。彼の著書にもマネジメントと言うものが、彼が活躍した時代以前に存在したことを述べている。彼はマネジメントについて「あるべき姿」を明確にしたのである。そしてマネジメントの問題を設定し、それらを解こうと努力していた。
 
ドラッカーの著作が難解と言われる理由は、問題解決の思索になっているからだ。
 
しかし、彼の遺作を読むと解るが、彼は正解を出していないのである。これからの時代について彼は「歴史が見たことの無い時代が始まる」と述べている。早い話が、これからの時代について、自分にもようわからん、と言っているのである。しかしわからない、すなわち不確実な中にも確実なことがあり、それらにより引き起こされる問題をまずかたずけていかなければいけないと指摘している。
 
ドラッカーは決して古くはなく、まさに読むなら今でしょ、と思う。これは少し古い表現。
 

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2016.11/20 グライダーと飛行機

外山滋比古著「思考の整理学」ではグライダーと飛行機の例えが最初に出てくる。独力で知識の得られる人を飛行機に、そうでない人をグライダーに例えている。そして学校はグライダー人間の養成所で飛行機人間を作らない、と酷評している。
 
この本では、グライダー兼飛行機のような人間になるにはどういうことを心がければよいのか書きたい、と出だしで述べておられる。1986年に書かれた本であるが、今でも読まれ200万部突破したという。
 
この本に書かれている内容は、11月の講演で述べた内容とよく似ている。講演準備のために読んでみたのだが、大変わかりやすく書いてあって面白い。この本によると、テーマ立案は難しい作業となっている。しかし、それができるようにならなくては、コンピューターに仕事を奪われると。
 
これは大変良い表現で、講演会で使わせてもらった。独力で知識の得られることが現代において重要なのは、人工知能との競争があるからだ。この意味では、知識の獲得競争をやっていては絶対に人間は負ける。人工知能に勝つためには、そこそこの知識で人間特有の創造ができる必要になる。
 
このあたりになると、最初に紹介した著書には書かれていないので、当方の今後の講演に期待してほしいが、もしアカデミアの研究者でテーマ設定がうまくできない若い研究者も当方の講演を聞きに来てほしい。
 
先の著者も書いているような、学校では教えない、実務から獲得した知恵も含めて当方の考える創造とは何かについて語るとともに、創造をするにはどうしたらよいのかというノウハウを説明する。当方の講演を聞けばテーマ設定ができる研究者になれるはずだ。
 
評論家になるには、そこそこの知識ではだめであるが、独創は、そこそこの知識故である。ただし、生兵法では「独りよがり」となる。切れ味の鋭い独創力は問題解決のために必須である。今後の当方の講演予定あるいは講演の出前、マンツーマンによる指導など行っているので弊社へ問い合わせていただきたい。
 
 
 
 

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2016.11/19 ドラッカーの問題解決法

問題解決に関してドラッカーは著書の中で様々な表現でそのポイントを述べているが、残念ながら問題が設定された後の具体的な解決メソッドについては、まず「問題の理解」に全力をあげるようにとのアドバイスを述べているだけである。
 
ただし、問題設定までについては、「何が問題か」と問うことの重要性を様々な表現で述べている。すなわち問題解決法の前に、問題設定が極めて重要であり、「間違った問題の正しい答えほど役に立たないものはない」と大変わかりやすい表現をしている。
 
これは、いくら正しい問題解決法を適用し正しい答えを導いたとしても、問題そのものが間違っていたとしたら、そこから得られた正しい答えに対しどのような評価をしたらよいのか、と言っているのである。
 
例えば福島原発の状況は、果たして正しい問題設定がなされているのか疑問を持ちたくなる展開である。凍土壁などはその最たる例で、科学者の夢物語をそのまま実行してしまった。実務に長けた人ならばすぐにダメだとわかっていた。多少お金がかかっても周囲に止水板を作ったほうが確実だった。
 
増加していく水タンクを今後どのように処理してゆくのだろうか。5年経過して早くも老朽化が起きているタンクもあり、水漏れしているという。頭の良い人がしばしば成果をあげられない、とドラッカーは述べている。頭の良い人は正しく問題を解くが、正しい問題設定ができないことを言っている。
 
ドラッカーは問題を解く前段階について様々な名言を残しており、そもそも問題設定の前の仕事選択のルールとして、問題よりも機会を選択するように指摘している。すなわちあれこれ問題を考える前に機会についてまずよく考えることが大切である。そして問題解決に当たらなければいけない時に、その作業に入る、すなわち、機会や状況により何もしない、という意思決定もあるのだ。
 
 
 

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2016.11/18 模倣の勧め

イノベーションを引き起こす手法として、模倣と破壊が有効であることを技術開発の経験から見出した。問題解決法セミナーでも模倣によるイノベーション事例を扱っている。
 
無機粒子を焼き固めた材料をセラミックスというが、これを有機高分子から製造する技術を開発し、その技術は今でもゴム会社の事業として30年近く継続されている。製造プロセスが従来と全く異なるので、これは誰もが認める破壊的イノベーションで、日本化学会賞を受賞している。
 
破壊的イノベーションは、見てくれも良くイノベーションの効果も高い。しかし、効率はというと、ゴム会社における成果は、事業が立ち上がるまで6年、いわゆる開発のdeath valleyを歩くことになった。日本化学会技術賞を受賞したのは、研究開始から15年後だった。この時当方は写真会社にいた。
 
写真会社における最初の成果は、酸化スズゾルをもちいた帯電防止層の開発で、これは搭載された商品が印刷学会から、技術については日本化学工業協会の二カ所から賞を頂いている、イノベーションを起こした技術だ。
 
しかし、これはゴム会社の経験を活かし、破壊的イノベーションのスキルを封印して模倣によるイノベーションでどこまでできるのか試してみた成果である。すなわち特公昭35-6616という今は存在しない小西六工業という会社の技術をそっくり真似たのである。
 
ただ、当時は、「模倣してます」と大きな声で叫べないので「温故知新」戦略と言いながら技術開発を進めた。それも1950年代に数学者が議論していたパーコレーション転移を看板に掲げて温故知新と叫んでいた。古いモノを寄せ集めまとめただけの技術だった。ただし、それらは新商品に搭載されイノベーションを引き起こした。
 
昭和35年の特許を真似た技術は、開発を始めて3年で商品になり、5年後に印刷学会から、8年後に日本化学工業協会技術特別賞を受賞した。模倣は効率が良いのである。そして模倣でもイノベーションを引き起こせるのである。
 
温故知新という言葉は、まさに模倣によるイノベーションを推奨していると思っている。そして模倣されて優れた技術が生まれ、次の時代に語り継がれると、不易流行となる。その時、物事の本質が解ってくるのである。
 
酸化スズゾルの技術では、確率過程のパーコレーション転移がプロセスの中でどのようにばらつくのか明らかにされた。化学工業協会からの受賞はこの一点が評価されたからだ。模倣により技術を作り、科学で本質を探る技術開発は、弊社問題解決法が提案している一つの方法で、TRIZやUSITよりも問題解決力は高い。
 
模倣なら誰でもできる。さらに下手な人が模倣すればオリジナルと区別がつかなくなり、独創になるかもしれない。

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