科学の時代において形式知をどれだけ身に着けているかは重要とされ、その結果大学入学試験による選別が行われてきた。
しかし、それにより大学間に序列ができ、偏差値教育などという言葉まで生まれ、各大学独自の選抜方式を、という流れである。
このような流れは、形式知以外の知を大切にしようという考え方ともいえる。哲学書によれば、科学の知は形式知であり、それ以外は経験知と暗黙知とされる。
物事に対して認識の差が生まれるのは、それぞれの立場と経験知や暗黙知の違いからである。立場の違いについては、認識を合わせてゆこうとする動き「忖度」があるが、経験知や暗黙知を尊重しようという動きはあまり見られない。
逆に経験知や暗黙知を軽蔑する態度をとるような人が多いので、注意が必要である。能ある鷹は爪を隠す、とは名言で、昔から経験知や暗黙知の存在を隠しておいた方が良い、という考え方があったようだ。
なぜなら形式知については、その人の肩書からおおよそ予測がつく、という社会的コンセンサスがあった。大学へ入学する人が少ない時代には、この考え方は機能したが、今は肩書から判断して期待をしていると裏切られる人が多くなった。
それが事件になったのはSTAP細胞の騒動だろう。高偏差値の大学で学位を取得した研究者ならば、それなりの形式知を持ち合わせていると思ったら、張子の虎だった、というわけだ。
そんな博士を世の中に送り出すような大学も大学だが、それを採用する組織も問題がある。本当はそのような問題をもう少し真剣に扱わなければいけないが、自殺者も出たりしてうやむやになった。
ところで、このような張子の虎のような知識人が社会に溢れてきてもAIが自由に使えるようになれば、その弊害の影響が少なくなるような気がする。
張子の虎に頼らなくてもAIに形式知を期待すればよいのだ。ところが経験知や暗黙知については、AIの時代になっても人頼みとなる。これを形式知同様に肩書から判断すると痛い目に合う。
やはり肩書ではなく、その人の実績から判断しなくては、本当の経験知や暗黙知のレベルを評価できない。この実績についても他人の成果を平気で横取りし、キャリアを積むような輩がいるので注意を要する。
カテゴリー : 一般
pagetop
アイデアを出すためには、考えなければいけない。アイデアを出すためにブレーンストーミングをすぐ開く人がいるが、その時事前にお題を参加者に配らずに開催する人がいる。
ブレーンストーミングのやり方も工夫が必要だが、ここでは、一人でアイデアを練る時の実践的方法を一つ教える。
いつも使える方法ではないが、多数のサンプルがあり、そのサンプルの特性が多種開示されており、どれを選んだらよいかわからない、とか、単相関で一因子実験を行ってきたが、何が何だか分からなくなったときには有効な方法だ。
それは多変量解析であり、新QC7つ道具の一つとして有名だ。しかし残念なことにそれをわかりやすく書いた教科書やソフトウェアーが存在しない。
もし希望者があれば弊社から提供しても良いが、技術者ならば重回帰分析や主成分分析についてはすぐに使えるようにしておきたい。
マハラビノスタグチメソッドというものもあるが、当方はアイデアを練る時には素直に多変量解析を行った方が良いと思っている。
電気粘性流体の耐久性問題では主成分分析がホームランを放った。そのほかに、写真会社で幾つか実績はあるが、FDを壊されるほどの衝撃的な結果は得られていない。
しかし、考え方の整理やアイデアを出すヒントは見つかるような成果が出ている。すなわち、これだけで電気粘性流体の時のような衝撃的な成果となるケースは稀であるが、次のひと手間をかけてアイデアを完成させたいときに、それを考える時に使える。
ボーとしているとチコちゃんに叱られるかもしれないが、ボーと考えているぐらいなら、データを多変量解析にかけてみると何かヒントがつかめるかもしれない。当たり前の結果になることが多いが、それでもやる価値があると思っている。
(注)事例による多変量解析の無料WEBセミナーを開催できますのでお問い合わせください。
カテゴリー : 一般
pagetop
スタウファーの教科書は難解である。すなわちパーコレーションの数学モデルを材料屋が理解しようとすると、それなりに覚悟を決めたあるいは気合が必要な努力をしなければいけない。
数学の知識が相当量ないと理解できない。しかし、わからなくても必死で理解できるようにこの本を読むとこうした現象をどのように理解するのか、形式知として身に着く。
また、数学という材料屋ならばそれを知らなくても技術者をやっていける分野について、他の技術者と差別化できるそれなりの実力を身に着けることができる。
また、今回のコロナ禍を図らずもこの時の努力により正しい恐怖として受け止めることができた。またテレビを通じて訳者の小田垣先生にもお会いすることができた。
スタウファーの教科書を読んでいなかった人には小田垣先生は為五郎に見えたかもしれないが、あの先生は真面目に警告を伝えていた。しかし、あまりにも説明が学者過ぎて、一般にはうまく伝わらなかった。
パーコレーションの数学モデルはそのくらい難解であり、1950年代に数学者が議論していても材料屋がそれを受け入れるには40年の時間がかかっている。それまで直感的な混合則で議論ができてしまったことも問題であるが。
形式知にはこのような側面があることも知っておくべきである。すなわち科学的と信じている形式知の中には、好ましくない(間違っていると言っても良いような)形式知も潜んでいる。
間違っていないとしても技術者をミスリードするような形式知が存在する。そのような形式知で、当たり前のアイデアを考え、日々技術開発をやっていては、科学が誕生して急速な技術開発の進歩を今後も続けられない。
ここで一つ、難解な現象を前にした技術者にアイデアを練る良い方法をこっそりと教える。コンピューターを使うのである。すなわちコンピューターでプログラムを動作させて目の前の現象をシミュレートするのだ。
オブジェクト指向の言語であれば、難解な数学を理解するよりも早く身に着けることが可能だ。パーコレーションのモデルでも数学的に解くと難解だが、微粒子の分散を簡単なモデリングによりコンピューターでシミュレーションすると容易に現象を理解でき、アイデアを練り上げることが可能となる。
ゴム会社で指導社員にあって以来、世の中にはものすごく頭の良い人がいることを知った。現象を見たときにそれを数学モデルとして表現できるのである。すなわち日本人が英会話をぺらぺらしゃべるようなものだ。
英会話なら、アメリカ人の子供もペラペラしゃべるので例えとしてよくないが、科学の世界における数学は外国語の様な現象を記述する言語である。コンピューターの登場により、技術者はもう一つ現象を記述できる手段を手にいれることができた。
現在パーコレーション転移シミュレーションプログラムを作りながら学ぶPython入門PRセミナーの受講者を募集中です。
PRセミナーについてはこちら【無料】
本セミナーについてはこちら【有料】
カテゴリー : 一般
pagetop
特公昭35-6616を取り寄せて読んでみたところ、パーコレーションをにおわせるグラフが書かれていて感動した。また、出願人が小西六工業であったことも感動した。
この特許を書いた技術者について調べてみたりしたが、そこからこの企業の抱える問題が浮き彫りにされたが、ここでは触れない。アイデアの出し方に焦点を絞る。
この特許についてパーコレーションの視点で読んでみると、非晶質酸化スズゾルは、球状の粒子ではなく棒状の可能性が高く、導電性も10の3条Ωcmであることが見えてくる。これが温故知新である。
古きを訪ね、新しきを知る、とは、古い特許データを新しい形式知の視点で眺めてみるということだ。温故知新により、パーコレーションを制御する技術を開発すれば、酸化第二スズゾルを帯電防止層として使える、というアイデアが閃いた、というよりも、当然の結果として導かれた。
もし「パーコレーションについてスタウファーの教科書を読んでいた」ら、特公昭35-6616のデータを見て、誰でも同じことをするだろう。問題は、スタウファーの教科書を読んでいたかどうかである。あるいは、パーコレーションという古典的形式知を知っていたかどうかである。
新たな特許出願を済ませた1993年の日本化学会春季年会で酸化第二スズゾルの導電性とパーコレーションについて発表したら意外にも会場で大うけした。その後この技術は実用化され、日本化学工業協会から技術特別賞を頂いたが温故知新の成果である。
カテゴリー : 一般
pagetop
昨日のWEBニュースに表題の問題が扱われていたが、驚いたのは「18歳未満の飲酒は法律違反である」という視点がどこも抜けていて、全国高校サッカー選手権出場の是非の議論に終始していた。
これほどおかしな問題はないのである。教育だろうが何だろうが、社会はまず法律判断について結論を出さねばならない。これが社会の認識として共通なはずだが、この議論が欠落していた。
当然法律違反を生徒が犯していたのだから、親か教育者にも法的な責任が議論されなければいけない。そのうえで出場の是非の議論だろう。
正しい問題を正しく解いていないから、法律違反を犯した選手について、出場できる人とできない人が出てきた。正しい問題を設定せず、また間違った問題を解き、出てきた答えについて議論しているのだからどうしようもない。
高校教師の教育者としてのレベルの問題も出てきた。すなわち山辺高校の校長も含めた先生方は社会人としての能力も標準以下である。すなわち法律について理解していないから標準以下でなく×をつけてもいいくらいだ。
ニュースを読むと山辺高校の怪しい先生も出てくるので、ますます問題が複雑になってくる。それに対して教育委員会も指導できないのだから、この問題は、単なる飲酒問題だけでなく、奈良県の教育委員会も含めた教育界全体の問題も議論されなくてはいけないのだろう。
校長が正しい問題を設定できず、間違った問題を正しく解かないと、問題は大きくなるばかりだ。問題が大きくなりすぎると誰も正しい問題が見えなくなり、「たかが飲酒の問題だろう」というとこに落ち着いたのが今回のニュースの扱いだろう。新聞記者も社会における法律のことを忘れている。
カテゴリー : 一般
pagetop
20年以上前のライバル会社の特許はインチキ特許と断罪することは可能だが、特許が技術の権利書である、ということに気がつくと、このようなインチキと思えるような論法でも、貴重なアイデア情報と捉えることができる。
特許はすべてペテントと言っていた先生がいるが、これは了見が狭い。一見インチキに思われる特許でも、そこには特許を書いた人のアイデアの思想が込められている。
あるいは、特許を書いた技術者の力量が現れている。例えばライバル会社の特許からは、パーコレーションという現象を軽視しているか、知らない技術者の顔が見えてくる。
あるいは、当方の指導社員のようにずば抜けた能力の技術者だったかもしれない。パーコレーションというばらつきの現象を使い、科学的視点からは比較例とはならないようなサンプルを技術で安定なダメサンプルとして作り出し比較例とする手法は、当方も使用する。
繰り返すが、特許は技術の権利書であり、書かれた内容を実現できるならば成立する。特に実施例については、必ず実現する内容が書かれている。そうでなければ特許として成立できないのだ。
ペテントと呼ばれるインチキ特許のような怪しい特許には、隠されたアイデア或いは現象が眠っているケースが多い。科学的におかしくともその特許を書いた人の思想を想像すると新たなアイデアが出てくる。
例えば、特公昭35-6616実施例は、ライバル特許の比較例に書かれていたように、何も考えず実験を行うと導電性が出ない確率が高い。しかし、35年の特許に書かれてないパーコレーション転移の制御因子を用いると導電性が安定して実現される薄膜となる。
最も1990年前後の日本化学会の年会では、パーコレーション転移など議論されず、すべて混合則で議論されていた状況なので、ライバル特許を書いた技術者はパーコレーションを知らなかった可能性が高い。
ところで、導電性微粒子を絶縁体に分散した時に現れるパーコレーションという現象はいつ頃から知られていたのかというと、当方が生まれた1950年代に数学者の間で議論されていた古い現象だ。
当方がゴム会社に入社した時に、指導社員はこのことを教えてくれた。すなわち、クラスター生成理論があっても材料屋は混合則ですべてを説明しようとしている、と嘆いていた。
ローカルで知っている人は知っていてもそれが難解であると理解されず普及しないのが知の宿命である。感染症の問題でクラスターに注目が集まっているが、パーコレーションと聞いてコーヒーのパーコレーターを思いつく人は偉い。語源を知っている!
カテゴリー : 一般
pagetop
高純度酸化スズ単結晶について、1980年代に精密な研究が無機材質研究所で行われている。ゆえに「高純度酸化スズ単結晶が絶縁体である」というのは、形式知である。
ところがInあるいはSbを酸化スズにドープして半導体から導電体領域の透明導電体材料を開発する研究は60年ほど前から行われており、ITOとかATO透明導電膜が開発された。
高純度酸化スズが導電体であるのか絶縁体であるのか、形式知として確定しなくても、酸化物半導体の物性と結晶構造の経験知から、透明導電膜材料としての研究がスタートしていることに注意する必要がある。
そして、この材料の研究がスタートした時代に、小西六工業の技術者は、非晶質酸化スズゾルに導電性があることを発見し、特許を書いている。
高純度酸化スズが絶縁体かどうか不明の時代に、というよりも電気物性が不明であったがゆえに、このような発見ができたのかもしれない。
それから30年以上経過して後輩の技術者が、こんどはそれを否定する研究報告書を書いていた。企業経営における技術の伝承の問題がここには潜むが、ここではアイデアを出す方法論の事例として紹介する。
この研究報告書では、科学的に完璧な否定証明がなされていた。形式知から非晶質酸化スズゾルは絶縁体と予想されるので、特公昭35-6616という特許を知らなければ、非晶質酸化スズゾルを用いて透明帯電防止薄膜を開発しようというアイデアどころか動機さえ生まれない。
ゆえに否定証明を展開した技術者は、当たり前のアイデアで実験を遂行し、電気粘性流体の研究者たちと同じように、科学的に完璧な報告書を書いた(注)。
ところが、このような報告書があっても当方はライバル会社の特許を整理していて、20年以上前のライバル会社の特許に特公昭35-6616が比較例として引用されていることを幸運(努力の賜物の幸運である)にも発見した。もちろんそこには小西六工業の特許などとは書いてない。
注意深くライバル特許の比較例を検証したところ、大きくデータはばらついたが、比較例よりも優れたデータを実験で出すことに成功した(当方は、混合則が形式知として用いられていた時代にパーコレーションという不易流行の現象を体得していた)。
実施例と比較しても遜色のないデータである。ただ、ライバル特許は、非晶質酸化スズには導電性が無いために結晶性酸化スズを用いるという発明なので、当方の出した実験結果を実施例としたら特許の内容そのものがおかしくなる。
ところで、データが大きくばらついたのはパーコレーション転移が原因である。この「ばらつき現象」ゆえにこの比較例や転職した会社の否定証明が生まれている。温故知新や不易流行を理解しておれば、このようなアイデア展開をしないはずである。
(注)電気粘性流体の耐久性問題では、増粘を防止できる界面活性剤は存在しない、という仮説について、あらゆるHLBの界面活性剤でも増粘を防止できないことを実験結果を用いて証明している。ところが同じHLB値でも界面活性効果の異なる界面活性剤を当方が発見したことにより、この完璧な否定証明は崩れた。
酸化スズゾルを用いた透明帯電防止薄膜では、パーコレーション転移が起きない条件で実験したために、抵抗の低い薄膜を製造できず、酸化スズゾルを絶縁体として結論つけている。その後当方はインピーダンスを用いたパーコレーション転移の評価技術を開発し、パーコレーション転移を18vol%という低添加率で安定に生じる技術を用いてフィルムの帯電防止薄膜として製品化している。
カテゴリー : 一般
pagetop
「働く」とは「貢献」と「自己実現」である。このように定義したのは、小生の記憶が正しければ、ドラッカーである。ドラッカーの書で初めて「働く」意味を知った。
昨日の文春オンラインに霞が関の働き方改革について山口真由氏が自己の「クリスマス事件」を引き合いに書いている。これは、当方のFD事件の体験に較べれば、幸福な体験談である。
しかし、この文章を読み、ただ年寄りの繰り言を述べていても仕方がないことに気がついた。これは早期退職を決意した時、あるいはそれ以前から悶々としていたことだが。
亡父は、自己の職業に満足していたし、その後の死ぬまでの人生に不満を述べたこともない。それが本音であったことは、死後の荷物整理でわかったことだが、幸福とはこのことだろうと、感じた。
亡父の人生は、当方の人生に較べて裕福だったわけでもなく、学歴も無く社会を生きてきた。高校時代に東大国語入試過去問題で亡父に圧倒的な差をつけられて学歴を超えた知性の存在を知り、日記からその深さを学んだ。
死後読まれるかもしれない日記を意識したかもしれないが、それを割り引いても考え方や価値観にはドラッカーの影響があった。ドラッカーよりも亡父の方が年上ではあったが。
職業選択の自由が保障された日本では、自分で誇れる職業を選びたい。それが難しい時代であるゆえに次の世代が誇れる仕事なり職場を生み出してゆくのは、今の世代に課せられた「つまらない」仕事かもしれない。
「つまらない」仕事かもしれないから、形式的に片づけていい、というものではない。仕事や職業の価値が時間単価で決まる、という価値観をどのように越えるのか、という難しい命題が存在する。
今の時代、社会システムは一応賃金0でも命をつないで生きてゆけるまで達した。それだからこそ「22時完全閉庁」のような形式的な改革は無意味であるし、むしろ問題を複雑化する可能性すらある。
今本当に求められているのは精神的改革という、どのように取り組んだらよいのか皆で知性を高め知恵を出し合わなければできない改革である。
ただ、このように書くと、「具体的な方策はなんだ!」というステレオタイプ的反論が来る。ゆえに先の山口氏は「クリスマス事件」と書いたのであろう。
今求められている働き方改革は、ある職場の時間制限をして解決がつく問題ではないだろうと30年のサラリーマン生活から感覚的に思っている。
戦後レジームからの脱却などというつもりはないが、それこそ日本全体が憲法の見直しから始めて日本人の精神構造を見つめなおす作業が必要なのかもしれない。
どのような職業でも職場でも活き活きと夢を持って働ける社会を作りたいものである。労働は人生の一部であり、しかも長い人生の一番良い期間にそれが位置している。定年を過ぎても働く活力はここから生まれている。
カテゴリー : 一般
pagetop
形式知と経験知を整理しておくことは、大切なことである。少なくとも形式知だけでも現象を前にしたときにいつでも取り出せるようにしておきたい。
形式知だけでも整理されていると当たり前のアイデアを出すことが可能である。この当たり前のアイデアを基準にして、誰も気がついたことのないアイデアを出す方法と、過去に誰かが思いついたかもしれないアイデアを出す方法に分かれる。
前者は後者より難しいかもしれないが、芭蕉の不易流行を理解しているとコツをつかみやすい。しかし、後者の方が誰でも実践できるので、アイデアの出し方について後者から説明する。
不易流行と同じく温故知新は、芭蕉の俳句の世界を理解するために重要な「型」である。そして、この不易流行や温故知新の型は俳句以外に応用可能で、特に温故知新は容易に体得しやすい。
具体的な実践方法として20年以上前の特許を参考にする方法がある。20年以上前の特許に現代の科学の進歩を組み込むと新たな発明が生まれる。
酸化第二スズゾルを用いた帯電防止層の発明は、まさに温故知新で生み出されたアイデアの典型例である。この発明の基になった特許は、特公昭35-6616である。
当方が7歳の時の発明を30年以上経過して味わった感慨は、文章で表現できないものである。しかもその発明は、転職したばかりの会社の先人が出願していたのだが、転職先の部署では、この発明の存在に気ずかず否定証明し、酸化第二スズゾルは帯電防止技術に使えない、としていた。
すなわち、写真会社へ転職した時に新しい帯電防止層の技術がこの業界で研究対象になっていた。
そして、アンチモンドープされた酸化スズ(ATO)を用いた帯電防止層の研究開発競争が行われていたのだが、ライバル会社の特許網を抜けるのは容易ではなかった。
カテゴリー : 一般
pagetop
あるテーマに関して研究開発を完了したならば、形式知を整理する習慣を身につけたい。これは、科学を道具として活用するために重要な習慣である。道具箱が整理されていない場合には、大切な現象を前にしても科学という切れ味の鋭い道具を使えず、見過ごしてしまう場合がある。
高純度SiCの合成実験に初めて成功した時に、頭の中には、フェノール樹脂に関する形式知が、整理されていた。
フェノール樹脂には、レゾール型の樹脂とノボラック型の樹脂があり、それぞれ合成ルートと用いる触媒が異なること、そしてそれにより合成されたフェノール樹脂の高次構造に違いが出る事などが整理されていた。
この形式知には公開されている形式知と、当方が実験して初めて見出した形式知も存在していた。後者はゴム会社のノウハウとなっている。
一方、フェノール樹脂を炭化させると難黒鉛化カーボンが製造されることは、古くから知られていた形式知である。また、フェノール樹脂を炭化させたときにその抵抗が変化する現象は、金原現象が知られたときの形式知である。
これらの形式知とフェノール樹脂とポリエチルシリケートとの反応に関する経験知から、電気粘性流体用の傾斜構造の粒子は合成された。当方にとってこのアイデアを導き出すことは朝飯前のことだった。
フェノール樹脂に関する形式知は、どのような現象を前にしてもいつも取り出せる状態にあった。また切れ味もその筋の専門家より良かった。
有機物の炭化に関わる形式知もフェノール樹脂天井材の開発を通じ、経験知と組み合わせられて整理され豊富だった。無機材質研究所へ留学するや否やそこの図書室にある豊富な文献から、形式知と経験知を分離し整理することができた。
科学という道具の切れ味を上げるためには、形式知と経験知の分離は不可欠である。なぜなら、経験知に基づく仮説による実験で真とならない場合に悩むことになるからである。ここで悩まない人はそれなりに問題があるが。
カテゴリー : 一般
pagetop