電気粘性流体をゴムに封入するデバイスの検討がなされたときに、ゴムに添加されていた成分が電気粘性流体のオイルに抽出され、デバイスが機能しなくなるという問題が発生した。
この問題では、「なぜ、電気粘性流体が機能しなくなるのか」や「なぜ、ゴムの添加物が電気粘性流体に出てくるのか」など、「なぜ」という問題について科学的に解明するために工学博士や理学博士、高偏差値大学の修士など多くの優秀な人員により1年という研究期間が費やされた。
その結果、電気粘性流体の増粘メカニズムと界面活性剤ではこの問題が解決できないので、ゴムからすべての配合試薬を抜いてもゴムとして機能する弾性体を開発しなければいけない、という結論が出されている。そして、高純度SiCの事業を住友金属のJVとしてスタートしたばかりの当方に応援の依頼が来た。
JVは、当方一人で推進していたので、この依頼は大変迷惑な話だったが、テーマの重要度を錦の御旗に掲げて、JVを中断してでも手伝え、と言われた。
ところが、この時のJVがきっかけで高純度SiCの事業は現在まで30年近く継続しているのだが、電気粘性流体のテーマは当方が転職後、満足な事業に育たずつぶれている。
技術の視点で考えると常識はずれな内容が重要テーマで、外部とJVをスタートしたばかりのスジの良いテーマはとるに足らないテーマ、と評価されたことに腹が立ったが、サラリーマンゆえに手伝うことになった。
技術開発のマネジメントを科学の視点だけで行うと、このようなばかげた重要度づけがなされる。企業では事業として動き始めたテーマが重要なはずだが、世界でも研究例がない技術で起きた問題を科学で完璧に解いたから、ものすごい技術だ、という誤解は、技術というものを正しく理解していない経営者が行いがちである。
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科学という形式知の重要性を誰も否定できない。企業で技術の伝承を行うときに最も効率よく確実に伝承したいときには、科学という形式知で伝承する。また教育分野で、科学は必ず指導しなければいけない形式知である。
だからといって、技術開発を科学一色で進めるのがよい方法とは言えない。ましてや非科学的方法を排除するようなマネジメントも控えるべきである。技術開発では、経験知や暗黙知も科学同様に使いこなすべきである。
大企業では、研究開発をステージ・ゲート法あるいはその類似手法で進めている場合が多い。その時、研究開発の進捗は科学の視点で評価される。科学の視点で評価を受けるためには、データは科学的検証に耐えうるものでなければならない。
これが研究開発に悪影響を与えることがある。30年以上前に聞いたゴム会社の研究所の伝説(悪い事例)として、理論に即したグラフが得られるまで実験をやらされた、という話がある。
ゴムの力学物性は大きくばらつく。ゴムの架橋密度について40年前は科学でも盛んに議論されていたテーマだった。力学物性と架橋密度との相関は知られており、理論式も提示されていた。
しかし、ゴムは実用化される場合にフィラーが必ず添加される。ところがフィラーの分散はプロセス依存性があるだけでなく、プロセスを経た後のハンドリングの影響も現れる。
その結果、架橋密度の影響がうまく力学物性に現れないというケースも出てくる。あるいはフィラーの影響で大きくなったばらつきの中に隠れることもある。
だから架橋密度と力学物性の間にきれいな相関が現れなくても、偏差を考慮すれば理論にあっていそうだと思われるならば、その技術は合格としてもよいところを、理論通りのきれいなグラフが得られるまで実験を繰り返すような愚が行われた、という。
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科学技術の結晶ともいわれた原子力発電の実情を見れば、科学技術こそ未来を拓く、といって原子力発電を推進してきた科学者たちの無責任さばかり目立つ。いったい何を研究開発してきたのか、と言いたくなるくらいの現状である。
原子力技術のそれぞれは、他分野で研究開発された成果の賜物で、原子力の研究開発成果で見えているのは、事故が起きたときの対応策に必要な技術や、使用済み燃料の処理など本来重要な技術について、何も答えることができない状態である。
そもそもアカデミアも含め原子力技術について何が重要テーマなのか考えていなかった可能性すら見えてくる(注)。このように書くと、反論を述べる人がいるかもしれないが、その人は福島の状態をどのように説明するのか。
恐らく原子力技術はアッセンブリー技術といってよいのだろう。1970年代大学の偏差値は原子力関係の学科のそれが極めて高く、公害問題で人気の無かった化学系は理系の最下位の偏差値という大学も存在した。
ところで、福島の問題が発生したときには、優秀な人が原子力を目指さなくなる、というピンボケ発言が飛び出したが、優秀な人たちが開発した技術の結果が福島であり、使用済み燃料の処理技術も不十分な状態である。むしろこのような状態でも原子力研究を志す人が、たとえ偏差値が低くても、未来を拓く解決策を提示してくれるかもしれない。
科学偏重により重要な問題を見落としたり、人材の登用を誤って研究開発に失敗している例は、原子力の問題に限らず、企業の研究開発にも存在する。
(注)かつて化学系研究者は公害問題で大きな貢献をしている。原子力研究者や技術者がだめなところは、公害の事例がありながら使用済み核燃料の問題を先送りしてきた点である。この問題は原子力技術の研究者や技術者に弁解の余地は無い。
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退職してから技術指導を6年間行ってきた。起業したばかりの頃は、日本で仕事が無かったので主に中国ローカル企業を指導し、熱伝導樹脂や光散乱樹脂、各種PPSコンパウンド、廃材を活用した環境対応樹脂などの技術成果を出してきた。
また、日本では二次電池やプロセシング技術において技術調査を行ってきた。最近は日本でも中小企業からお声をかけていただき、今ここでは書けない先端技術の開発を企画している。
ゴム会社と写真会社在職中の技術開発環境のように恵まれていないところでも、それなりにイノベーションができることを実感したわけだが、日本型技術開発を理解していない事業主相手にその希望を叶えるのに役立ったのは、30数年の技術開発における心がけであった。
ゴム会社では褒められ、写真会社では批判されたが、今どきの技術開発はアジャイル開発を目指すべきだろう。そして必要に応じて科学的研究を行えばよいのである。科学的方法が技術開発の王道と決めた人などいないのである。
確かに科学的方法は重要で、科学的方法により正しく出された結論のみ万人に指示される。しかし、科学的方法によらなくてもモノを創り出すことが可能となった時代に、いつまでも科学的方法が唯一という考え方はアカデミアでは必要だが企業では、もう忘れてもよいのではないか。
企業では科学的方法も存在する一つの方法、という軽い考え方でよい時代になった。むしろ今まで軽視されてきた経験知や暗黙知を体系化する工夫をした方が良いのではないか。非科学の世界にも技術の生まれる可能性がある。
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科学による自然との対話で多くの人類に有用な機能が導き出された。あるいは、その研究過程で偶然発見されたりした機能もある。
20世紀の技術開発競争は、この新機能の発見競争でもあった。そのため、科学で解明されていない現象が多かった時代には、科学的な基礎研究が重要だった。
ところが、20世紀末には、材料科学はじめ多くの分野で科学が進歩しアカデミアでは研究テーマを探す時代になった。あるいは、多くの分野で科学の体系がほぼできあがった、というのが21世紀の科学の状況ということもできる。
しかし、自然界には人類に役立つ未発見の機能がまだ存在している可能性があり、アカデミアの研究テーマには出来上がった体系を見直している研究も存在する。
この未発見の機能を企業の研究者あるでいは技術者が、経験知や暗黙知を使ってうまく見つける方法を獲得しているならば、わざわざ科学の体系を作り直すような研究は企業で不要である。
話題は大きく飛んでしまうが、少女漫画に胸キュンしぐさというジャンルが存在する。2014年に流行語大賞をとった「壁ドン」はその一つだが、そのほかに、腕ゴールテープ、カーテンの刑、俺コス、肩ズン、ねじポケ、頭ポン、顎クイ、なろ抱き、耳ツブなどがあるそうだ。
書店で漫画を手に取り、胸キュンしぐさを探してみたが、予備知識が無ければ多くは見いだせない(注)。まさに未発見の機能を見つける作業とはこのようなものかもしれない。NHKの意味を知った時には、iPSの命名について聞いた時と同様の感動があった。
(注)少女のすべてが同じしぐさに胸キュンするわけではないだろう。自己の経験、あるいはあこがれや夢と漫画に表現されたしぐさにシンクロしたときに胸キュンが起きるそうで、漫画家は一部の少女たちの支持を想定して新たな胸キュンを考え出すのだそうだ。男女が群れで活動していた世代には理解できないシチュエーション(科学の今の体系では理解できない現象と似ている)が漫画に描かれているが、新たな胸キュンしぐさを発掘する作業は、科学ですべてが理解されつつあると誤解されている自然界から、新機能を見出す作業に似ていると感じた。イノベーションを起こすことができる技術者は、自然界の新機能に胸キュンするのである。
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最近のTV番組を見ていると、インターネットの情報をそのまま活用しているような番組がある。さすがにNHKではまだ見つけていないが、民放のニュース番組には時折ネットからそのまま拝借したような内容で報じている場合がある。
退職してから当方は、毎朝一定時間インターネットサーフィンを行い、主なニュースや痴話話まで見ているので、TV番組の安直な内容にすぐに気がつくようになった。
ひどいのは、内容の誤りを確認せず、すなわちネット記事の裏をとらずニュースにして流し、後から視聴者に誤りを指摘されるケースも出てきた。TV局が視聴者の指摘を公開しなくてもネットにはその事実が報じられているからジャーナリズムの堕落がばれてしまう。
今や、民放の報道番組はバラエティー番組と変わらない状態になっている。報道番組ではキャスターがまじめな顔をして語っているところが異なるだけであり、内容の「テキトー」さではバラエティー番組と変わらない。
明らかな偏向報道もあるが、最近では内容が裏のとれていない迫力の欠けた語りとなっており、これは偏向と言うよりも滑稽である。先の都知事選に立候補していた大物老人キャスターについては女子大生との関係が週刊誌に取り上げられたが、およそ現代のジャーナリストと呼ばれる人たちは倫理感も欠如してきたようだ。
新旧メディアの力はもはや明白で、おそらくTV局は満足な娯楽番組も製作できなくて、かつての日本映画界のような末路をたどるのかもしれない。面白いのは最新の液晶TVはもはやパソコンで、放送局の受信以外にネットサーフィンできるブラウザまでついている。
当方の使用しているパソコン(自作)にはTV受信機がついているが、いっそのこと家庭用テレビにもワープロ機能などをつけて販売したらどうだろうか。
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20世紀末に起きたセラミックスフィーバーの最中にセラミックスの焼結理論に関する論争があった。
これが最終的にどうなったか知らないが、本屋で発売されている教科書を見たところ新しい理論の説明が無いので、結局多くの研究者は新しい理論の意味を理解できなかったのだろう。
新しい焼結理論の視点は、物質の変化を取り扱う当たり前のことだった。すなわち、自由エネルギーの視点から焼結理論を論じていたのだ。
熱力学的平衡で物質の変化の方向を論じたりする時にも自由エネルギーが使われたりするので当たり前の考え方に見えたのだが、旧来のセラミックス研究者から総すかんをくらったようだ。
岡目八目ではないが、古い理論は材料科学全体を見渡したときに、理論になっていない。いわゆる現象の説明である。ただ、それをセラミックス協会誌で唯一無二の理論のような説明をされていた先生がおられた。
学問の進歩のために重要な議論だったはずだが、結局新しい理論は当時著名なその先生により速度論としてかたづけられたようだ。中身は自由エネルギーの理論であったが。
古くからある科学の理論がすべて正しいとは限らないし、それを実務に適用しようとしたときに適切でないこともある。実務では必ずしも熱力学的平衡に到達している場面ばかりでは無いからだ。
一方非平衡状態を学問で論じることは難しい。どうしても現象の説明となってしまう。セラミックスという学問は未だにこのような状態のようだ。高分子物理は今研究者が必死で研究中なので、セラミックスより健全な学問に思われる。
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メーカーにおける経営者やマネージャーは、KKDも含め経験に土台を置く専門知識を理解し、重視しなければいけないと思っていたが、人事制度も含めそのようになっていない会社を経験し、退職後その考え方の是非について考えてきた。
結論は、業界でトップになれるような会社は、形式知だけでなく経験知や暗黙知を大切にしているということだ。
単に評価で有能なレベルの人を重用していっても経験知や暗黙知をうまく伝承できるとはかぎらない。逆にそれらを切り捨てることも行われたりする。
転職した時の最初の成果は酸化スズゾルを用いた帯電防止層で、この技術は写真会社が昭和35年に出願していた特公昭35-6616を元に再現した技術である。
驚くべきことに、この特許の存在を知っている人がいなかっただけでなく、この特許に記載された素材が新素材として市販されており、その素材評価をこの特許に記載された技術を知らないまま行い帯電防止性能が無い、という結論を出していた。
当方は、この昭和35年の特許に記載された技術をパーコレーションのシミュレーションプログラムを開発して見直した。そして、十分に帯電防止層としての機能があることや特許に記載されていなかった当時のノウハウを明らかにして実用化に成功した。
この昭和35年の特許が忘れられた経緯について少し調べた。また、他の同様の伝承されていない知が無いか調査しようとした。その矢先に転職した部署はリストラされた。技術の伝承がうまくいっていないと心配されている企業はご相談ください。
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8月16日版J-CASTニュースに以下の記事が載っていた。
「牛のマークでお馴染みのロングセラー商品「牛乳石鹸」の広告が、インターネット上で「不快だ」との批判を浴びている。
物議を醸している広告は、2017年6月に公開された「与えるもの」と題したWEBムービーだ。いったい、何が問題視されたのだろうか。」
これは、いわゆる炎上商法に関するニュースだが、過去の牛乳石鹸のポスターにも触れて、何が問題なのか、いろいろと考察している。
問題となっているCMは、いずれも「洗い流そう」を言うために用意した「洗い流したい事例」が批判の対象になっている。
この記事を読み、記事が提起している問題を考えた結果、牛乳石鹸が頭に刷り込まれ、昨日薬局で買う必要のない牛乳石鹸を買ってしまった。炎上商法に見事に引っかかったのだ。
単純に炎上商法に引っかかったのは理由がある。子供の頃、石鹸と言えば牛乳石鹸のことだった。これがいつの頃からか使わなくなった。日本製の石鹸であれば特に品質に問題が無いことを知ったからだが、炎上商法までしている商品への関心と懐かしさから思わず手にして、そのまま買ったのである。
コモディティー化した商品で事業を続けるのは難しいが、最近はネットの炎上商法という手法でCM代を安くあげることが可能になった。炎上商法で話題を喚起し、それが特に大きな問題とならなければ潜在顧客を掘り起こすことができる。やや、キワモノ的商法である。
ところで、記事で取り上げた内容を読んで、確信犯的にこのようなギリギリの話題でCMを考え出す思考方法は技術開発へ応用できる。買ってきた牛乳石鹸を眺めながら、巧妙なCM内容に感心した。
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20世紀末に登場したデジカメは、転換期である。すでにコンパクトデジカメの低価格品は携帯端末付属のカメラに追いやられた。一眼レフカメラは、ミラーレスの追い上げがものすごく、キャノンとニコンの二強にソニーが割ってはいてきた。
ソニーのミラーレスは、その性能ですでに一眼レフを超えたと言われている。東京オリンピックの時にカメラマンが使用しているのは、キャノンやニコンではなくソニーだともいわれ始めた。
しかし、これは旧来のパラダイムで捉えたときのトレンドであり、今静止画像の撮影は、圧倒的に携帯端末カメラを使用しているケースが多い。SNSへ画像を掲載するための撮影であるが、3人に1人がそのために何処かへ出かけているという。
一方消費行動の30%以上がSNSへ写真を投稿する目的、というデータも存在する。もはや、写真を撮影するという行為は従来のパラダイムで捉えられない時代である。
このような時代に、市場で販売されている一眼レフを改めて眺めてみると時代遅れの遺物に見えてくる。懐古趣味的デザインの商品も企画されたりしたが、今一眼レフに求められているのは携帯端末カメラをはるかにしのぐ商品性を持ったカメラである。ご興味のある方は問い合わせてほしい。
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