先月末、近所の書店が店じまいとなった。インターネットの普及で書店は最盛期の2/3以下になり、半分となるのも時間の問題である。
昔、町の本屋にも「工業材料」のような専門雑誌が置いてあったが、そもそもこのような大衆専門雑誌が21世紀になるとどんどん廃刊になり、専門書の類は大型店舗の書店に行かなければ手に入らなくなった。
その専門書も、大型書店でも取り扱いが減ってきているという。大学の生協でも授業で使う教科書程度しか置いていないところもある。
この数年は、本屋に足を運ばず、いきなり国会図書館へ行く機会が増えた。何か勉強しようとした場合に昔は本屋でまず立ち読みをしたのだが、立ち読みで読む本が無くなったので、国会図書館へ行くようになったのだ。
子供たちに知識をどこで得ているのか聞くとインターネットで事足りるという。確かに簡単な知識であればインターネットですぐに手に入る。しかし知識の体系になるとインターネットでは無理である。
一冊の本は、知識の体系であった。それを比較することで知識を立体的に体系化できる。例えば、当方の学生時代に物理化学の教科書にはバーローとムーアがそれぞれ異なるスタイルの本を著していた。この二人の著書を読み比べることで物理化学の理解が進んだ。
著者により知識の表現は異なるのだ。知識は単なる情報ではなく活きた形で学ばなければ身につかない。だから著者が明確である本で学ぶ行為は今でも重要だと思っている。
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終戦の日ということで毎年この時期になると先の大戦に関する番組が多い。先日はNHKでプロ野球選手の兄弟を題材にしたドラマが放送されたり、終戦後も樺太の部隊に戦闘命令が出ていたドキュメントが放映されたりしているが、どれをみても戦争と平和、そしてわが身の人生を考えてしまう。
言うまでもなく、今の時代と戦時中では、人生の自由度は大きく異なる。戦時中の人生に比較すれば今の時代は社会問題がいろいろあっても自由度ははるかに大きい、と言える。
時代という軸で人生を眺めると、人生の自由度が大きいゆえに見失いがちであるが、今の時代は誰もが幸福になれるチャンスがある。今の時代だけで人生を眺めると幸福感の偏差は大きいかもしれないが、それでも、絶対値で眺めると空襲で明日をも知れぬ時代よりは、はるかに幸福である。
社会格差や貧困は今の時代のキーワードになっていても、戦時中の生活に比べれば、社会全体の幸福度は高いだろう。先の大戦は異常だから、という人もいるかもしれないが、それは平和が70年以上続いているのを当たり前に考えすぎである。
いつ何時この社会全体が地獄に陥るのか分からないのが国際社会の掟であることを忘れてはいけない。グローバル経済の流れが戦争回避に役立つ一方で、現代のこの社会の不幸を創り出す原因にもなっている。しかし、戦争で生まれる不幸に比べればはるかに小さい。
終戦記念特集番組を見ながら、戦争と平和という大きなテーマではなく、わが身の人生を考えた。ただし、それは井上陽水のヒット曲「傘が無い」的な考察ではなく、幸福なこの社会へ感謝し今自分は何をすべきか、という反省である。平和な時代の老人は、小さなことでも良いから社会貢献を考えるのが幸福感を味わう一つの方法だ。
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20世紀末日本で始まったセラミックスフィーバーは世界的なナノテクブームを引き起こした。このセラミックスフィーバーは、1960年代の圧電素子として注目されたペロブスカイトが引き起こしたフィーバーを第一期とするならば、1980年代のそれは二期目である。
1980年代のセラミックスフィーバーで無機材料の科学が大きく進み、ほぼその体系が完成した。1970年代には有機合成化学の体系がほぼ出来上がったので、20世紀に高分子材料以外の素材に関する体系はほぼ出来上がった、と思っている。
高分子材料については、20世紀から21世紀にかけて、結晶に関する研究が大きく進歩したが、ポリマーブレンドあるいはポリマーアロイに関する研究は、研究者により評価が異なる。材料を階層化してとらえようという提案がなされた段階、と当方は捉えている。
高分子の構造の階層化については、20世紀に一次構造と高次構造だけだったが、現在は構造サイズで階層化して考える方法が行われている。
金属材料やセラミックス、高分子さらにはシクラメンの香りの合成など素材に関して、当方はすべて1年以上の研究歴がある。学位論文は,高純度SiC新合成技術の反応速度論が半分を占めており、セラミックス分野の比率が多いが、ポリウレタンやホスファゼン導電体の合成なども含まれている。
材料についてすべての分野について研究して面白いと感じたのは、それぞれの分野で微妙に研究時の視点が異なるところである。例えば低分子の有機合成では分子の骨格に着目して研究が進められ、高分子材料の研究でも初期にはその流れから一次構造が注目された。しかし高分子について今は階層構造の視点で研究が進められている。
この階層構造の視点はセラミックスや金属が本家であり、この分野では20世紀に強相関物質という概念が生まれている。面白いのはこのコンセプトが21世紀初めに高分子に展開され強相関ソフトマテリアルという概念が生まれたことだ。
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感動的だった。多田選手のスタートから序盤の走りはほとんどトップだった。そして飯塚選手から桐生選手へバトンが渡り、アンカー藤光選手が走り出したときには、桐生は2位あたりにつけていた。
藤光選手にバトンが渡ったときに、ボルトが飛び出しあっという間に日本は3位あるいは4位か、とはらはらしていたら、突然ボルトの走りに乱れが生じ、ラストランになる彼は、ゴールにたどり着けず、その場に倒れた。
波乱の展開になったレースだったが、日本は世界陸上初の銅メダルに輝いた。ジャマイカの途中棄権で棚ぼたで、という見方はできない。日本は、ケンブリッジ飛鳥やサニブラウン選手を欠いての銅メダルである。十分にチーム力として3位以上の実力があった。
しかし、世界最速の男のラストランは劇的だった。米国、英国、日本と先頭を争う位置でバトンをもらいながら、ゴールに届かなかったのである。今回で引退を決めていた彼は100mでも金メダルを取れなかった。おそらく足の具合が良くなかった可能性が高い。
ジャマイカチームに対して日本チームコーチ陣の決断には感心した。予選で不調だったケンブリッジ飛鳥選手を躊躇なく藤光選手に変更し、堂々の38秒04という予選から0.17秒短縮しての銅メダルである。
この記録を見て、将来ケンブリッジ飛鳥選手やサニブラウン選手が加わったときを予想すると東京オリンピックで金も夢では無くなった。
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ハンバーグを作るにも餃子の具を準備するにも「混ぜる」プロセスは、その味を決定するので重要である。食品だけでなく、金属や樹脂、ゴムなど材料も「混ぜる」技術は大切である。
面白いのは、このプロセシングについて学問大系が少なくとも二つ存在する。このように書くと、大学の先生に馬鹿にされるかもしれないが、実務で「混合プロセス」を32年間扱って、そのように感じた。
「分配混合」と「分散混合」という概念の理解は、混練や混合における基本である。セラミックス粉末の混合でもこの概念が用いられているので、材料科学における混合プロセスは、その概念が一つのように思われる。
一方、日常の洗濯の世界も「混ぜる」プロセスの一つである。ここでは界面活性剤が重要な役割をしている。すなわちエマルジョンの分散プロセスという概念が存在する。
エマルジョンの混合では、均一に分散できることはその前提にあり、むしろ分散後の安定性に力点が置かれる概念が存在している。
すなわち、同じ「混ぜる」というプロセスであるが、それを考察するときに、「過程」を重視する考え方と、混合された「結果」を重視する考え方がある。
しかし、教科書にはこのような視点で書かれていない。当たり前のようにそのプロセシングの説明が成されている。実務には、時として両者の折衷概念で捉えなければいけない問題もあるのだ。
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小学校、中学校、高校と進学するにつれ、教科書が難しくなっていくのに当時閉口した。しかし、その難しかった教科書が今では易しく思えるので勉強の成果が出ているのだろう。
大学時代の教科書には、易しく思える教科書から奇妙に感じる教科書も存在する。書棚のスペースが無くなってきたので、本の整理をしようとその基準を考えたら、「奇妙に感じる」教科書という基準が出てきた。
セラミックスの教科書はその一つだ。学部時代の教科書は紙くずに等しい。セラミックスフィーバーではそのくらいの学問の進歩があった、と改めて感心した。
高分子の教科書もほとんどは廃棄の対象となった。高分子もこの40年ものすごい進歩があった。有機合成の教科書は、1/3が廃棄の対象になったが、捨てがたい教科書が幾つかあった。
教科書の整理をしてみると学問の進歩の状況を感じることができる。いくら著名な先生が書かれた教科書でも使い物にならないだけでなく古典としての価値も無い代物がある。
一方で福井先生の書籍のようにその考え方を何度も読みたくなるような古典と呼ぶべき教科書は、今の仕事に役に立たなくても捨てられない。
原書があるので訳本を捨てようと思ったら、ホフマンのサインが入っていたので捨てるのを辞めた。原書にサインをもらえば良かった、と反省するとともに、「布施明ではないのだから」と、昔参加した有機金属の国際会議でホフマンのサインをもらおうとした時に先輩にたしなめられたことを思い出した。
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WEBニュースをみていたら、本当においしいラーメン店の探し方なる記事があった。その記事によれば二十年前にラーメンバブルと呼ばれる時代があったそうだ。それ以来新しいラーメン店がどんどん登場しているという。
事務所の裏手に表題のラーメン屋がある。4,5年前にできた店で店主はまだ若い。仕事は丁寧で、そのしぐさを見ているだけでもおいしいラーメンが出てきそうで雰囲気はこのあたりのラーメン屋でトップだろう。4年前に今の事務所を借りてから、月に一度程度この店のラーメンを食べている。もちろんうまいから食べているのだが、これまでに少なくとも3回スープの味についてマイナーチェンジをしている。
三河屋製麺のオリジナル麺を使い、スープは魚介とんこつ系という基本は変わっていないが、最初に感じた独特のインパクトが少し無くなり、万人好みのまろやかなおいしさの方向に変わってきている。明らかにおいしくなってきているので間違いではないが、イワシの味が表に出ていた最初のスープが面白かった。
今もイワシの味はするが、探さなければならないくらいである。ところで2ケ月前に閉店した近所の老舗ラーメン屋「あおやぎ」は深夜しかやっていなかった店だ。中国出張から夜帰国した時には、家族に内緒で立ち寄っていたが、古いタイプのラーメン屋だ。イワシとカツオのダシの強烈なインパクトがしょうゆベースのスープに独特の風味を出していた。店主はかなりの年配で、当方が板橋に住む前から営業していた先住民である。
「楠」のラーメンは、この「あおやぎ」のラーメンほどではないが、イワシのダシが独特の風味を出すのに一役買っていた。すなわち改良により個性が薄くなっていったのだ。当方は最初の味でも気に入っていたので、少しもったいないような気がしている。
さて、WEBの記事には、10年間店を観察すると本当においしい店かどうかわかると書いてあった。すなわち10年の間に店主により味が熟成されるからだという。すなわちこの記事では、味の改変を認めているのだ。この記事に従えば、「楠」のラーメンは今熟成されている最中のようだ。弊社へ午後訪問される方は、一度この店のラーメンを食べていただきたい。
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「製薬会社・ゼリア新薬工業に勤めていた男性Aさん(当時22歳)が、新入社員研修で「過去のいじめ体験」を告白させられ「吃音」を指摘された直後の2013年5月に自死し、「業務上の死亡だった」として2015年に労災認定を受けた。【BuzzFeed Japan / 渡辺一樹】」
これは昨日報じられた、行き過ぎた意識改革の研修で自殺者が出たというニュースの出だしである。当方は会社の研修以外に若いころ自費でいくつか受講した体験があり、研修内容についておよそ見当がつくが、未だに前時代的な内容の研修を行っていた会社があることにびっくりしている。
最近の研修のトレンドはワークライフバランスが中心だが、10年以上前までドラッカーの焼き直しや、アドラー心理学などの心理学の成果を取り入れた研修、それ以外にニュースで紹介されていたような意識改革研修がもてはやされた。
ニュースで紹介された意識改革研修は、受講者の未熟さや能力不足を気づかせ反省させ意識改革を迫る内容である。しかし、昨今の政治状況を見れば、有権者から選ばれた立派な方々でも未熟者ばかりで、そもそも人間とは死ぬまで成長し続ける努力こそ大切なのに、この研修では成長し続ける努力の重要性に気づかせるのではなく、その人のプライドを傷つけることにより未熟さに気づかせる手法をとる。
これは短期に研修成果を出せるが、誤った指導方法である。精神の成長のために「気づき」は重要で、読書は一つの手段である。そのほかに辛口の友は重要である。耳が痛いことを即座に行ってくれる友人は、社会ではなかなかできないが、それでも努力すれば一人ぐらいはできる。今の時代には、こうした「気づき」のためのノウハウを指導する研修こそ必要ではないか。関心のある方は弊社へご相談ください。
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「看板激突、転倒、給水失敗と“川内劇場”を繰り広げながら、それでも最後は出場選手の中で群を抜く70回に及ぶマラソンの経験を生かし猛追。入賞までは3秒届かず、ゴール後は天を仰ぎ崩れ落ち、車いすで搬送されたが、完全燃焼の走りを見せた。
数字で見ても、驚異的な追い込みだった。川内のラップは、35キロ~40キロが15分58秒で全体4位の数字。さらにラスト2・195キロは6分41秒をマークし、金メダリストのキルイ(6分51秒)らを上回り、最速タイムをマークした。」(デイリースポーツ8/7電子版より)
川内選手の記事がWEBを賑わしている。入賞もしていない選手についてここまでニュースで取り上げられるのはすごいことだと思う。最強市民ランナーという肩書は伊達じゃない。
今朝この欄で川内選手を取り上げるつもりはなかったが、実業団選手の成績を思い改めて書いた。女子選手は何故30分の壁を越えられなかったのか。陸連は原因を調査すべきではないのか。
根性論を述べるつもりはないが、再放送を見ても気合のようなものを女子選手たちから感じられなかった。川内選手が指摘していたように、「できることをすべてやる」精神が無かったと言われても仕方があるまい。
がむしゃらになって何かに打ち込む姿は美しい。2時間以上も他人が走っている姿をTVで見るのは感動を得るためでもある。残念ながら実業団選手からはそのような感動が得られなかった。事務的に走っている姿が何か異様だった。
現代は、選手として選ばれたなら頑張ることを強要してはいけない時代である。頑張るかどうかは個人の自由で、かつて水泳選手でそれを正直に話した女性がそれ以後の大会代表から外されたことを不満としスポーツ裁判所に訴えた事件があった。
誠実と真摯はドラッカーの著書を読むと何処かに必ず書かれている言葉であるが、自由を前提としたときに個人の考え方あるいは人生に対する姿勢、社会に対する姿勢がどうあるべきかは常に意識し体現できるようになりたい。スポーツ選手であれば川内選手はその模範である。
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「できることをやれることをすべてやること。今回は年末年始で自費で下見した安心感が生きた。あんまり実業団批判したくはないんですけど、実業団選手だと会社のお金とか、陸連のお金で、自分の給料から出してコース下見しようとはならない。自分のためなんですから、そこはやっぱり自分の給料を使ってでも、コース下見して、打てるだけの対策を打って、いいイメージ植え付けてやるのが大事かなと思う」
昨晩の世界陸上男子マラソンで川内選手は、視聴者を楽しませてくれただけでなく日本人トップの走りをした。また、その記録は順位こそ入賞を逃したが、彼の実力相応のタイムで必死に頑張った様子が伝わってきた。例によってゴール後は医務室へ連行されたので「必死に走った」ことは明らかだ。
女子マラソンは、選手の実力と全体の記録を見れば十分にメダルを狙えた可能性があったが惨敗に終わっているので、彼の記録がどのような価値を持っているかは明らかだ。
やはり勝負に対して甘い選手が多いのだろう。2時間30分を切れないのだから批判されても仕方がない。
その状況でインタビューの「実業団選手にエールを」と聞かれた回答が冒頭の言葉である。彼の言葉はマラソンに限ったことではない。
当方は、ゴム会社と写真会社勤務中、サービス残業は日常だったが、それ以外に仕事のゴール実現のための努力に給与を使い自己への投資を怠らなかった。
ゴール実現のためには「できることやれることをすべてやる」という彼の言葉は、名言ではなく当たり前のことだが、分かっていない人が多い。
あるいは、「上司が」とか「会社が」という言い訳を出して、容易にできることでも忖度を理由にあえてやらない人もいる。
彼は、批判をしたくないといっているのでこれは批判ではなく、彼の生きざまを実業団選手やファンに贈った言葉だと思う。あらゆる努力を払ってうまくゆかなかったならば悔いは残らない。さらに「できることやれることをすべてやる」努力をした結果であれば、次への夢や希望へつながる。
最近過重労働が批判されたり、ワークライフバランスの視点で働き方改革が推進され、その結果働くことに対して誤ったメッセージが出されている場合がある。資本家と労働者という構図ではなく、働く意味を貢献と自己実現としてとらえることができるならば、彼の言葉の意味を批判ではなく彼の生きざまであることに気がつく。
TVを見ていて、沿道で応援する彼の同僚を見つけ、マラソンだけでなく仕事に対しても恐らく彼はベストを尽くしているのだろうと想像された。
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