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2016.05/15 日産自動車が三菱自動車を傘下に

日産自動車が三菱自動車へ30%以上の出資をするという。想定されたシナリオだがおそらく三菱自動車の技術者は大変だろうと思われる。「技術の日産」の傘下にはいるのである。
 
その昔、日産自動車の技術者と一緒に仕事をしたことがある。若いときだったのであまり憶えていないが、その時上司が、日産自動車には研究所が二つあって、今一緒にやっている連中と仕事を進めてもモノにならない、だから一度テーマを中断する交渉をしようと話していた。
 
実際テーマは中断されたが、その後の再開も無かったので、恐らく、二つの研究所は、前工程と後工程の関係で、前工程の研究所は可能性研究(FS)を進めているところだったようだ。雲をつかむようなテーマも並んでいた。
 
上司はコストダウンを図るために大量消費できる分野の実用化を急いでおり、後工程の研究所と交渉をしたようだが、相手にされなかったらしい。当方も担当していて、これは自動車用に実用化できない、と思っていたので日産自動車の後工程の判断は技術的視点に基づき出されたと思った。
 
確かに大量使用でコストは下がるが、その他の実用上懸念される点について科学的に大丈夫だと言われても、当方には不安が残っているテーマだった。一応自分たちで実車試験まで行ってはいたが、そのテスト結果には幾つか問題が出ていた。
 
ただそれらの問題については、実際の自動車の設計者から見てどうなのかを知るために、前工程の研究所と共同研究開発をしていたのだ。しかし、そこからあがってくるデータは自分たちで集めたデータと同じデータばかりだった。おそらく日産自動車社内でも議論はされていたと思われるが、科学的基礎データ以上の情報は頂けなかった。
 
そのような状況で、後工程の研究所からは共同開発を断られたのである。この出来事は、日産自動車の技術経営の特徴という印象で今でもよく憶えている。当方の直感と同じ判断が出されたから、というよりも、恐らく前工程の研究所と後工程の研究所とは社内で議論がされていたはずだ。
 
だから、たとえ科学的に機能が発揮されることが証明されても、日産自動車は技術の視点で厳しい判断をする会社、というイメージを持っていた。科学的にできそうに思えても、技術的に実用化は難しいと予想される技術は存在し、実技データが少ない段階では技術屋の心眼を働かせないとそれは見えない世界である。
 
逆に科学的にできないと予想されても、技術屋の心眼でゴールが見えたなら、そこへ到達するために自然界からうまく機能を拾い上げようと努力する傾向がある。PPSと6ナイロンを相溶(注)させて実用化した中間転写ベルトは、そうした成果である。また、科学の無い時代に発展した技術では、科学の判断など無く開発されている。
 
(注)フローリー・ハギンズ理論では相容しないと結論される。
 

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2016.05/14 帯電防止とインピーダンス(3)

フィルムを抵抗とコンデンサーのモデルで置き換え数値解析したところ、インピーダンスの周波数依存性のデータで低周波数領域で観察される異常分散には、モデルのコンデンサー成分が関係していることを理解できた。
 
実際に得られているデータから推測される抵抗とコンデンサーの値を入れて考察すると、コンデンサー成分が少なくなってゆく現象として低周波数領域のインピーダンスの絶対値の異常分散を説明できた。
 
ただし、20Hzのインピーダンスの絶対値が大きくなってゆくと灰付着距離が短くなってゆく現象について感覚的に理解できなかった。インピーダンスは交流の抵抗成分である。抵抗が大きくなってゆくと、帯電防止能力が上がってゆく、という矛盾を奇妙に感じた。
 
しかし、交流は直流と異なり、その抵抗成分にコンデンサーが含まれる。すなわち直流の抵抗成分とは数式の表現が異なるのである。直流でコンデンサーは絶縁体として測定されるので、抵抗成分として評価することはできないが、交流では、抵抗とコンデンサーを含む回路でインピーダンスとして評価される。
 
交流の抵抗成分の一つコンデンサーが少なくなるということは、直流の抵抗成分が多くなる、ということを表しており、このように解釈すると現象を矛盾なく理解できる。
 
すなわち、フィルムの帯電において帯電後の放電は直流的に放電するのではなく、低周波数の交流として放電している可能性がある。こうしてインピーダンスの絶対値について、数値解析で考察し得られたデータの解釈ができたのだが、ふと新入社員時代を思い出した。
 
指導社員は、レオロジーに秀でた人で電卓を用いて粘弾性モデルを解いていた。そのときの粘弾性モデルは、抵抗とコンデンサーのモデルとよく似た、ばねとダッシュポットのモデルだった。ゴム物性について粘弾性モデルを組み立て、それを電卓で計算し、粘弾性のシミュレーションを行い材料設計を行うスタイルは、まさに科学的技法そのものだった。指導社員は、10年後にはこの技法は使われなくなると説明していた。
 
実際に今時粘弾性モデルで材料設計を行っている人を見たことがない。今やOCTAを使う時代である。しかし電気物性に関しては、抵抗とコンデンサーのモデルが使われている。インピーダンスアナライザーでは、キャパシタンスの計測にモデルを設定しなければいけない。
 
手元に1999年に書かれた粘弾性材料力学入門というコピーがある。ある雑誌を読んでいたときにあまりにも時代を感じた内容だったのでコピーしたのだが、おそらく粘弾性材料力学という分野は、交流回路論のアナロジーとして発展した学問だろう。
 
学問だけが科学として発展し、気がついたら現実の高分子粘弾性体と異なる世界が築かれたのだが、1999年でもこの論文を入門書として書いていた学者はシーラカンスそのものと思われる。そのような視点で読むと面白い。
 
最も面白いのは、ナイロン6を事例に出して、今後データを集めてゆきたい、と述べている点である。プロセスにより高次構造が変化すれば、粘弾性データは影響を受けることが20年以上前から知られている。この論文が書かれた頃、分子一本のレオロジーが議論され始めた頃でもある。
 
この面白さは,20世紀は科学の時代であったが、その科学とはどのようなものなのかを表している点にある。この論文に書かれている内容は科学として正しいから学会誌に掲載されていたのだろう。
 
技術は人間の営みとして進歩するので、このような科学に対してはどうしても厳しい見方になる。モノ創りの時代と言われて久しいが、科学でモノ創りができない、と言われる由縁である。ご興味のある方はお問い合わせください。

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2016.05/13 帯電防止とインピーダンス(2)

水曜日書いたように、評価技術は計測されるパラメーターと実技テストの結果との相関を調べ試行錯誤で創り上げた。100Hz以下のある値におけるインピーダンスの絶対値が灰付着距離と相関する、ということが分かったので、モデルを使ってその科学的意味を探ってみた。
 
これは電気化学がご専門である福井大学青木教授のご指導を受けながら数値解析で試みた。フィルムをコンデンサーと抵抗を組み合わせたモデルに置き換え、そのモデルについて計算式を組み立てる。そして、実際に計測されたインピーダンスの周波数依存性データとの比較を行い、得られている計算式の理解が正しいか考察を進めた。
 
これは電極反応を考察するときに行われる手法だそうであるが、やってみると難解だが面白い。計算式の整理は形式微分なので頭を使う必要はない。式を整理して得られた関係式でシミュレーションを行ったところ、実験データをうまく説明できた。
 
すなわちフィルムを置き換えた抵抗とコンデンサーのモデルが適切である可能性が高いのである。自然現象を数式で表現できたので、数式のどの項がどのように現象に影響を与えているのか考察すると、自然現象の理解が進む。
 
いわゆるこれは科学の研究である。科学の研究は慣れてしまえば形式的な作業となるので易しい。本来誰でも科学の研究はできるのである。ただ、慣れるまでが大変で、これは水泳や楽器の演奏など趣味の世界と一緒である。
 
自然を科学で楽しめるようになるためには、流行歌を楽器で自由自在に演奏して楽しめるようになるまでと一緒で練習が必要である。小学校に入ってから大学院を卒業するまで18年間科学を練習してきた。
 
器用ですね、とは青木先生のお褒めの言葉であった。式を変換しシミュレーション結果を導いた小生をこのようにほめてくださる先生も科学というものをよく理解されている。習うより慣れろ、である。
 
だから今時のように簡単にコピペで論文を書いてしまうと慣れることができない。他人の論文を拝借するときでも昔は、手でアルファベットを一文字一文字拾ったのである。
 
外人の書いた論文の表現を拝借しながら、自分で書きなれた表現を優先して論文を書くから、他人の論文をちゃっかり真似ても自分の論文になっていた(注)。世の中便利になって、真似ることが不正になってしまった。
 
昔は真似ることにより科学という哲学を身に着けていったのである。だから英語の論文を真似ることは不正ではなかった。学習だったのである。ただ、今の人真似は、単なる転載であり、昔の真似る作業とは異なると思う。
 
(注)実名を出すと問題になるので出さないが、ゴム会社で学位論文をまとめていたときに、お世話になっていた大学で、博士論文の何冊かを見本として読んでいた。すると過去に読んだ論文とそっくりの学位論文があった。用いている化合物が異なるだけである。科学における論理の展開は、真実であれば、どれもこれも一緒になる。当時はそのように納得していたが。小生の論文は、すべてが世界初の材料について書いたので、まとめるのに苦労している。

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2016.05/12 昨日の三菱自動車の会見

昨日の三菱自動車の記者会見では、今問題となっている4車種で燃費の誤差は5%程度から10%ではなく、最大で15%燃費が悪くなることを公表していた。この会見で気になったのは、大半の車種で規定と異なる方法で燃費が測定されたが、決められた方法で測定しても大きな誤差は出なかったのでそのまま販売する、とされた説明だ。
 
測定方法は異なっているが数値はあっているので、そのまま使ってくれ、と回答しているのである。極めて不誠実な回答である。さらに、このような場合の罰則のルールが無い、とまで回答している。これでは聞き方により、不正を行ったが、その不正に対してルールが決まっていないので、そのまま販売する、と聞こえる。すなわち開き直りの回答だ。この点以外にもいくつか気になる点が多く、昨日の会見が、少し開き直りが感じられる会見に感じたのは当方だけか?
 
確かに公表数値と、改めて測定しなおした数値に乖離が無ければ、たとえ公表数値に不正があったとしても、機能上は問題が無いのでそのまま使ったほうが好ましい。しかし、これはユーザーが判断することではないのか。
 
今回の場合、国の規定通りの品質検査をやっていなかったということと同等の問題であり、その点をまず謝罪し、販売を自粛すべきである。そして、今後の扱いについては国交省と調整する、とし、国交省から許可が出てから販売を再開するという手続きをとれば信頼感が高まる。
 
国交省としても規定通り測定されていなかった車について、型式認定を出した責任があり、この視点で三菱自動車の今回の会見につっこみを入れなければいけない。すなわち、厳密にいえば、国の指示通りの検査が行われていない車すべてについて、国は型式認定を取り消さなければいけない。
 
昨日の記者会見を聞いている限り、燃費の測定方法が異なっている車について、型式認定がどのような扱いになるのか説明が無かったが、おそらく今後問題になると思われる。もし、数値に問題が無いから型式認定の取り消しは行わない、という判断を国がだしたなら、国が定めた試験法の信頼性に影響が及ぶ問題となる。
 
どうやら三菱自動車のトップは、「信頼」という言葉の意味を正しく理解していないようだ。罰則規定がないときには、自粛する姿勢で謝罪するのが、ユーザーへ信頼感を与える唯一の方法である。罰則が無いから、型式認定をそのままで販売を続けると自ら答えていては信頼感は生まれない。

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2016.05/11 帯電防止とインピーダンス(1)

昨日の記事で、帯電防止の評価技術に関する質問があった。すなわち「灰付着テスト」と相関する評価技術とは、という質問だが、以前この活動報告でも紹介している。また学会発表もした。そして、若い部下が、この評価法で日本化学会から講演賞を受賞した。また会社としてはこの評価技術で開発した帯電防止技術について日本化学工業協会から技術特別賞を頂いている。
 
ゆえに、公開情報が多いので少し詳しく書く。まずフィルムの帯電のしやすさを評価する技術は、直流を用いた評価法がほとんどである。残りの評価法は実際に帯電させて評価する方法で実技評価である。最初に着想したのはこの点である。
 
フィルムの帯電しやすさを評価する方法は、研究開発において伝統的に複数の方法が使用されている。理由は一つの評価法で、市場で起きる帯電故障を予測できないからである。市場で故障が起きない品質かどうか複数の評価法を使用しなければ品質保証できない、ということは、科学的な評価法でも自然現象の一部を見ているだけということになる。さらに実技評価法を組み合わさなければ行けない状況は、実験室で科学的な方法により現象のすべてを表現できていないことを示す。
 
フィルムの帯電機構にしても複雑で多数の論文が出ている。しかし、実技テストの中でも「タバコの灰付着テスト」は、市場の品質問題とうまく適合することが多いので、開発段階で必ず取り入れられている。しかし、この実技の方法と直流を用いている科学的な測定方法とがうまく相関しない。
 
フィルムの帯電防止処理が同じ系の中では、うまく相関する場合もあるが、仮に相関していても不安がある、というのが現場の意見である。タグチメソッド風に言うと、帯電防止処理を誤差としてロバストの高い「実技と相関する科学的方法」を求めよ、というのがニーズとして存在する。
 
直流を用いた評価法のどれもが実技評価と相関しないのだから、交流を用いて評価したらどうなるかを試してみた。フィルムのインピーダンス測定に用いる電極を購入し、測定器の全周波数でインピーダンスを測定した。ありとあらゆるフィルム100種類ほどを集めて、過去に測定されたタバコの灰付着距離との相関を見ていったところ、低周波領域のインピーダンスの絶対値が相関係数0.99となる高い相関を示した。
 
このあたりの実際のデータ処理では多変量解析を用いているが、とにかくインピーダンスの絶対値というパラメータが灰付着距離と高い相関になることが分かった。ただし、100Hz以上の高周波数になってくると相関係数が下がるので100Hz未満のどこかの周波数におけるインピーダンスの絶対値を使うことになる。周波数によりインピーダンスの値は変化するので、規格とする場合には、この周波数は一つに決めなければいけない。

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2016.05/10 煙草の煙

煙草の煙というタイトルだが、五輪真弓の歌ではない。写真フィルムの社内規格「タバコの灰付着テスト」のことである。退職後この欄の読者から指摘されるまで、JIS規格だと思っていた。転職したときに上司からJIS規格と教えられたので、番号など確認せずそのまま信じていた。
 
写真フィルムの重大品質問題として帯電がある。デジタルカメラの普及で、もう写真フィルムは使われなくなったので写真フィルムの話題など時代遅れだが、三菱自動車の問題でふと思い出したことがあるので書いている。
 
この「タバコの灰付着テスト」は、吸いたてのタバコの灰の上で帯電させたフィルムをかざし、どのくらいの距離で灰が付かなくなるかを見るテストである。具体的には、ゴムでこすったフィルムを2mぐらいの高さからタバコの灰に近づけ、灰が付き始めるときの距離を求める。
 
湿度10%の部屋でこれをおこなうと、帯電防止処理されていないフィルムでは、2mの高さでもタバコの灰を吸いつける。面白いぐらいに灰が飛び上がってくる。はじめてこの実験をやった時には面白くて、サンプル数を忘れて実験を行っていた。
 
ただ、このタバコの灰を集めるのが大変である。すでに20年ほど前から煙草を吸う人は少なくなっていた。だから研究費用で煙草を購入し、喫煙者にお願いし煙草の灰を作ってもらっていた。この作業は、そのうち問題になるかもしれない、と思い、このテストに代わる試験評価法開発の企画を提案したら、JIS規格だからこの方法以外駄目である、ということになった。
 
しかし、このテストの泣き所は、灰を集める作業だけではない。高湿環境の試験では、灰が大量にいる。すなわち灰が吸湿するので一回一回灰を交換しなくてはいけないからだ。低湿環境の実験では手を抜いても問題にならないが、高湿環境ではデータが大きく変わる。
 
ゆえに初めての人には楽しい実験となるが、やりなれてくると代用評価法が欲しくなる、という声が多かった。そこで代用評価を開発したのだが、灰付着距離ときれいに相関する評価技術が完成した。また、その科学的根拠も福井大学客員教授時代に明らかにし、灰付着テストに代えて行ってもよいレベルまで評価技術を磨き上げた。
 
しかし、この科学的に優れた評価技術でも、その使用は研究開発段階だけで、商品の評価にはやはり「タバコの灰付着テスト」を使うようにしていた。それは、これが商品の規格と教えられたからである。もし三菱自動車の技術者も当方と同じ感覚であったなら、今回の不祥事を起こさなかったに違いない。
 
どのように優れた科学的な評価技術があったとしても、商品規格として公的に認められるまでは使っていけないのである。せいぜい使えるのは研究開発段階だけである。商品として世に送り出すときの評価技術は、たとえそれが非科学的であっても商品規格であれば、定まった方法で愚直におこなわなければいけない。当たり前のことである。科学的な方法だからと煙に巻いてはいけない。
 
 

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2016.05/09 評価されない仕事

会社の仕事の中には、評価されない仕事がある。働く意味は貢献と自己実現だから評価されなくてもよいとわかっていても、自分の出した成果でほかの人が評価され昇進してゆくと、複雑な気持ちになるのが人間である。
 
さらには、せっかく成果を出しても恨まれるような事態になったりすることもある。例えば電気粘性流体のテーマでこんなことがあった。
 
高純度SiCの仕事をやりながら手伝った仕事で、あまり時間をかけたくなかったのですぐに成果を出せる戦略を考え、戦術に落として遂行したところ、恨まれた。
 
なぜかといえば、その成果は、お手伝いをした部署で一年以上検討して、その方法では問題解決できない、と科学的に否定証明されていた方法だったからである。しかし、依頼してきた人が、過去の検討資料も含め、情報を一切見せてくださらなかったので、否定証明の結論など知らなかった。問題を科学ではなく技術で解決しようとした当方の責任ではなく依頼側の問題である。
 
これは、科学がすべての問題を解決すると考える人と仕事を進めたときの怖い事例であるが、手伝った当方は非科学的に戦術を立てている。すなわち手間暇かけずに答えを出す方法で、実際に一晩で成果を出す方法を考えて遂行した。
 
当方は依頼された業務を早くやり終えたい一心で仕事を行ったのであり、その成果が依頼してきた部署の気に入らない成果になったのは当方の責任ではない、と思った。科学的に否定証明を行った責任者の問題である。
 
昔、禁煙パイポという商品で、「私はこれで会社を辞めました」というセリフがあったが、当方は結局このCMのセリフを電気粘性流体と変更してその1年後言うことになった。高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVとして立ち上げながら、気前の良さで困っていた人を助けて不幸な結果になったのである。人生、塞翁が馬というが、湾岸戦争も始まった時代で会社の中の異常な事態で出した結論が、これまでのキャリアをすて専門外の業界を選ぶ転職だった。
 
あらためて転職に至った理由を思い出したりしてみると、この電気粘性流体を手伝ったときのスタートが良くなかったのかもしれない。一年以上かけてプロジェクトメンバーで解決できなかった問題を一晩で解決したなら喜んでいただけてもよいはずだったが、人間はそれほど単純ではない、ということか。
 
三菱自動車の燃費不正問題で、測定された数値の一番低い値を採用した人の気持ちは今複雑だろう。おそらく当時の開発を担当していた人たちは、その数値が得られたおかげで燃費目標を実現出来たと大喜びをしたかもしれない。
 
科学ならば、一点でも発見されれば、それが真実となるが、技術では機能のロバストが重要になってくる。このことに気がついていなかったばかりに、その一点を見出した成果が評価されないどころか会社が大変なことになった。

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2016.05/08 技術者の労働

ワークライフバランスが普及し10年以上経過する。技術者にとってワークはライフとバランスをとるべきか。知識労働者のワークはライフそのもののはずである。このように書くと、古いとか労働環境に対する無理解とか、さらにはブラック企業の社長というレッテルを貼られたりする。
 
しかし、働く意味に自己実現を認めたときに、ワークはライフと対立する概念ではなく、ライフの中に取り込んで考えたほうが効率的となる概念になってくる。ワークライフバランスの研修を受講した時に違和感があり、未だにこの概念に疑問を持っている。
 
当方は、ゴム会社で半導体用高純度SiCの事業を立ち上げたとき、いわゆる死の谷を約6年歩いた。毎日がサービス残業である。テーマの人件費など最小限にしなければいけないので他部門のテーマを手伝いつつ、本来の自分の業務を遂行しなければいけなかった。
 
事業が立ち上がり、現在まで続いているが、何もその見返りを受けていない。発明の対価は、無機材質研究所に支払われたが、当方には支払われていない。転職間際に書いた半導体治工具の特許対価にしても同様である。
 
しかし、その結果無機材質研究所の先生からその対価を頂けるという幸運の手紙を頂けるような、人生のサプライズを経験した。ゴム会社へ貢献そのもの12年間だったが、人生最大の喜びともいえる手紙の交換体験が生まれた。
 
ブルーレイでは、発明者が会社相手に特許対価の裁判を起こしているが、あの感覚は理解できない。確かに発明者の特許対価は重要で、当方も発明を譲渡する際には発明者の権利として必ず要求するようにしている。しかし無節操な要求はしない。
 
ゴム会社で要求しなかったのは、そのような規程があったかどうか知らなかったからである。無機材研の先生から手紙を頂いて、ゴム会社が当方の基本特許に対し対価を支払ったことを知った。ただそれを知ってゴム会社に対価を要求しようという気持ちにはならなかった。規程を読んでいないのは社員の自己責任、と新入社員研修で言われたからだ。不覚にもゴム会社の特許規程を読むのを忘れていた。
 
しかし、それよりもゴム会社に残した仕事は、お金に換算できない当方の遺産という自信があった。当方のゴム会社へ残した遺産はカネに換算できる価値ではない。そのくらいの誇りをもってゴム会社では貢献した。ゴム会社でワークはライフそのものだった。

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2016.05/07 三菱自動車の技術者は幸福か?

WEBで見られる三菱自動車の記者会見を休み中に再度見てみた。ふと、この会社の技術者は幸せかどうか疑問に思った。ランサーエボリューションは、技術者のシンボルとしてそれなりの役目を果たしたに違いない。あれだけの高性能を安価に提供していた努力は素晴らしい。
 
しかし、そのシンボルだった車の生産は終わった。自動車の燃費競争で科学的にできることしか行わないのでは、技術者の楽しみは無いのかもしれない。思い切った目標を示し、ロードマップを書いて市場をリードするような技術開発が三菱自動車ではできないのか。
 
先日、トヨタの経営陣が2050年にエンジンは無くなる、と宣言して世界をびっくりさせた。是非それまで生きて、この宣言が正しいか確認するとともに、車を買い換えるならハイブリッド車ではなく、乗り納めとなるガソリンエンジンの車を買いたいと思った。
 
ところで、一部では、自動車開発予算がトヨタの1/10だから今回の事件が起きた、などと言われているが、当方は、写真業界で苦しい戦いを行っていた会社で、三菱自動車の技術者よりもおそらく厳しい予算状況で、楽しく技術開発を行ってきた。
 
決算の二か月前になると開発予算の見直し通達がきて、ひどい時には、残り二か月人件費以外は0という状態で過ごせ、ということもあった。さらにひどい時には、残業代0となる。これはすでに残業代を生活費の一部として仕事をしていた人には、賃金カットに等しい。当方の管理していた高分子材料部門など、一台新規設備を導入すれば、それで設備予算が無くなる状況だった。その新規設備導入も全くできない年もあった。
 
今、三菱自動車では、ようやく賃金カットの交渉を始めたという。優しい会社である。厳しいゴム会社は儲かっていても賃金を抑えていたり、バブルの最中に人員削減をやっていた。自動車部品の製造会社はもっと厳しい賃金状況におかれているのだ。
 
おそらく、開発予算は自動車業界で少ない、と言われても、今頃賃金交渉が話題になるくらいだから、それなりの予算はとられていたのだろう。少なくとも当方が置かれた状況よりは三菱自動車の技術者は、今まで予算面で燃費問題を起こさなければいけないほどの苦労をしていなかったと思う。
 
開発予算があっても今の様な問題を起こしたのは、技術者が自分の担当している技術に誇りを持っていなかった可能性も考えられる。自分の技術に誇りをもって技術開発をしていたなら一番を目指していたはずで、達成可能な目標へ向かって事務的に仕事を行うような仕方はできない。燃費不正事件はこのような問題が根底にあるような気がしてきた。
 
技術者はトップを目指して技術開発を行っているときが、最も充実感を感じるようでありたい。そして、そのような技術者を常に応援したり、新たな進むべき方向を意思決定し具体的に提示する経営者がメーカーの経営者として理想的である。ゴム会社でCIを導入しファインセラミックス事業の推進を宣言した故H社長や、先日エンジンが無くなると宣言したトヨタの社長のように。
 

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2016.05/06 26日の三菱自動車記者会見(8)

ゴム会社の故S専務は、多変量解析で求められたパラメータを用いて軽量化に成功したタイヤを前に得意げにプレゼンテーションを行った当方におもむろに質問された。「君にとって軽量化タイヤとは何か」
 
当方は、自信を持って「このタイヤです」と答えたら、「ばかもん!」という講堂に響かんばかりの叱責が返ってきた。そして、「それはゴムの塊だ!」と、おっしゃりその後延々と話が続き、グループの代表で発表台にいた当方ははりつけ状態になった。
 
すなわち、実験室でいくら物性値を測定し、それが規格内に入った製品ができたとしても、そこにあるのはタイヤではない、タイヤとは実際に車に装着し、各種安全試験を行ってそれに合格した製品だけがタイヤという商品として販売できるのだ、というようなことをおっしゃっていた。
 
その日の夜の打ち上げでは新入社員の間で意見が分かれた。しかし、多くのメンバーはこの専務の説教でモノ造りの神髄を感じたようだ。当方もその一人で、ゴム会社の「最高の品質で社会に貢献」という社是が、メーカーの社是として世界一の社是と理解できた瞬間でもあった。
 
おそらく現代の科学の水準であれば、自動車の各機能を科学的に記述することは可能だろう。しかし、それで本当に安全な自動車ができた、という証明にはならない。自然界に科学で未解明の現象がある限り、必ず自然界で機能の安全確認を愚直に行わなければならない。
 
科学ですべての自然現象を解明できていないので、自然界で想定されるすべての条件で機能をテストすることになるのだが、これは不可能である。そこで科学的に、自然界のノイズの中でテストを行う標準規格をとりあえず作り、その標準規格を満たしているかどうか確認する。
 
実はこれでも不十分だが、妥協して標準規格を作り確認実験を行っているのだ。だから、標準規格については、愚直にその規格通り行わなければ、気がつかないミスを犯すことになる。
 
今回の三菱自動車の記者会見を聞いてわかったことは、このモノ造りの基本を経営者始め従業員全員がご存じ無く、科学で自動車開発を行ってきたことが原因で、それが結局不正という評価になっている。だから、記者会見に臨んだ役員はおろか業務を担当した人までも大きな不正を行ったという意識は無いのだろう。記者会見を聞いて、もし不正ではないなら、モノ造りの手順において大きな間違いを犯した、と思った。

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