ゴム会社で30年以上事業が続いている高純度SiCの生産だが、そこに用いられている前駆体の合成法は、科学的に発明されたのではない。非科学的方法で発明された。
当時科学の知識を駆使した科学的方法論がすべての時代に、少し世間に対して斜に構えた優秀な指導社員に指導された方法論の成果である。
ゴム会社で研究所に配属された時に最初の上司である指導社員は、京都大学出身の物理屋でレオロジーが専門の技術者だった。器用に関数電卓で常微分方程式を解き、仕事を進める科学者でもあった。
彼の科学者としての側面は、恐らく超一流のレオロジストだろう。粘弾性論を駆使し材料設計を行う姿は、技術者と言うよりも科学者そのものである。3ヶ月間の課内会議で提出された報告書は、防振ゴム設計に関する論文そのものだった。そこには毎月一つの真理が導かれていた。
課長も彼以上に詳しい人はいない、と言われていたから、おそらくゴム業界を代表するぐらいの人物だったようだ。ただ、少し変わっていて、学会活動には背を向けていた。どこの学会にも所属せず、たいていの人は好んでいく学会主催の講演会などの出張も辞退していた。
しかし、論文だけは、たくさん読んでおり、こうして情報が簡単に入手できるのにどうして学会に出かけなくてはいけないのか、今のレオロジーは10年後には激変する、とつぶやいていた。
火の着いていないタバコをくわえ、このようなつぶやきと蘊蓄を少し語り、そしてタバコに火をつけるのが癖であった。今となってはその通りになったつぶやきが、当時正しいのかどうか判断できなかったが、蘊蓄は形式知を一刀両断にする鋭さがあった。あたかも木枯紋次郎のように見えた。
当時情報検索のサービスが使える環境で、さらに社内には不完全ながらネットワークが存在し、予算管理の端末が部単位で設置されていた。そこからはカタカナ出力しか得られなかったが、IBM製の3033というメインフレームにつなげられており、科学計算のサービスも利用できた。
新入社員の研修ではCTOから技術の重要性を熱く教えられたが、配属された研究所は科学一色で運営されていた。また社内では「雲の上の部署」とも言われており、業務は科学的に進めることが基本方針として存在した。
しかし、指導社員は、その形式知中心の運営に反発していた。ゴム材料は形式知の世界だけで語れない材料だったからだ。レオロジストであった彼の目には、当時の粘弾性論の限界が見えていた。
そして物理屋では手に負えない世界だとも嘆いていた。但し嘆くだけでなく、科学と少し異なる方法論を現場で指導してくださった。高純度SiCの前駆体合成法は、その方法論により開発に成功している。
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ゴム会社で30年以上前に立ち上げた高純度SiCの事業の基盤技術である前駆体合成技術は科学的方法で発明されていない。科学の時代に科学的ではない方法で発明している。
科学の知識によれば、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂は均一に混ざらない。ゆえに当時特許として公開されていたのは、ポリエチルシリケートとカーボン粉末の組み合わせか、シリカゾルとフェノール樹脂の組み合わせを前駆体に用いる技術であり、最先端だった。
フローリー・ハギンズ理論によれば、当方の発明は「成功しない技術」として否定される。ゴム会社で企画提案したときに指摘されたのは、「君に高分子の相溶の知識はありますか」という一言だった。知識があるからリアクティブブレンドを選んだ、と回答したら、「いつできますか」となった。
最初のトライは大失敗だった。その結果を見た人から言われたのは、「勉強した方がいいですね」だった。
科学の知識は大切だが、科学の知識だけで技術ができていない現実を新入社員の研修で指導されて、当時科学と技術について思索を続けていた。だから大失敗でもできるような気がしていた。STAP細胞ありまーす、という叫びは極めて技術的発声でその気持ちを当方はよく理解できる。
ただ彼女の場合の問題は、科学の世界で仕事を続けようとした選択である。当方はS専務の説教により技術の世界で生きる決心をした。しかしいざ決心してみても科学の世界のような教科書は、技術者向けに販売されていない。幸運なことに技術者の鏡と呼びたくなるような指導社員に出会った。
その方の専門分野は物理学だった。粘弾性論を得意として、バネとダッシュポットのモデルから導かれた方程式を電卓で解くような人だった。しかし、その特技も10年後には不要になる、とつぶやいていた。
今でも記憶にある最も印象的なことは、高分子はそのプロセスの履歴を拾った物性になる、という一言である。さらに、科学で作れないと結論された材料でもできてしまう面白さを指導してくださった。すなわち科学は真実をまとめた大系でしかない、とも語っていた。
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科学の知識体系は、真理が一つの前提で作られている。だから自然現象の理解を科学で行い議論し結論を導き出すことができる。ところが技術はいつでも一つの真理で成り立っているとは限らない。現象の理解は不十分であるが、技術として活用されている機能は身の回りに幾つかある。
例えば、ゴム会社で30年近く続いている高純度SiCの技術は、当方がスタートして以来その中心となっている前駆体について科学的解明は成功していない。たまたま展示会で前駆体を見たときに、当方が担当していたときと品質が落ちていることに気がついた。
すなわち展示されていた前駆体が不均一だったのである。展示説明員がいたのでそのことを指摘したら、これで問題なく生産が続いています、という。当方は有機スルフォン酸を触媒に用いていたが、SOxが問題になるということで触媒は有機カルボン酸に切り替えられた。
しかし、その時でも前駆体の均一性は維持されていた。その後前駆体の合成条件について改良が加えられたかどうかは聞いていないが、少なくとも展示物は、30年前のそれと少し変わっていた。
品質管理項目が純度だけならば前駆体が多少不均一でもポリエチルシリケートとフェノール樹脂をリアクティブブレンドする限り問題は起きない。ただし、30年ほど前シリカが析出するほど不均一にすると酸素不純物が残ってくることを確認している。
しかし、前駆体の反応や生成物について十分な研究ができなかったのでそのあたりの因果関係は仮説程度を報告書に書き、転職した。十分な研究ができなかった理由はフロッピーディスクをいたずらされるような研究環境もあったが、一つの真理を導く難しさだった。すなわちかなり許容範囲の広い反応だったのである。タグチメソッド風に言えばロバストの高い技術だった、となる。
このような技術の場合には、モデル反応をとりあげそれを科学的に解析し、結論を出す手法が用いられる。しかし当時一人で担当していたので、超高温熱天秤を開発し速度論の研究を行うのが精一杯だったのである。ゆえに前駆体炭化物のSiC化の反応については形式知としてまとめたが、前駆体合成のリアクティブブレンドについてはノウハウのままになっている。
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知識労働者の時代とはドラッカーの言葉だが、その知識の獲得がむつかしくなりつつある。例えばアマゾンの台頭で、書店の数が2000年から2013年までに21,495から14,241に減少したという。
かつて本を購入するときに書店で立ち読みし、気に入った本を購入するというのが一つのスタイルだった。しかし、今大手の本屋で本を見て、インターネットで購入するというのが一つのスタイルになっているという。
そのため中小の書店はやっていけなくなり店じまいするというのが最近の流れで、その結果出版不況を長引かせることになって、出版業界は今や著名人以外の出版は難しくなっているという。
著名人が知の見本のような人であれば結構だが、「あの日」のような本も出ている。すなわち、長引く出版不況の原因はインターネット書店の隆盛である。その結果、知の宝庫となる良質の本が出版されなくなった。
一方所詮本に書かれているのは情報であって、その情報を知識に変えるのは、今も昔も個人の努力しかない、という厳しい意見も存在する。しかし、かつて書店で手にした一冊の本が基になり成果がでた経験がある。かつては、情報ではなく知識が盛り込まれた本が書店に並び、そして今それが無くなりつつあるとも感じている。
恥ずかしながら未だかつてインターネットで本を購入した経験は無い。本は書店で見て購入する習慣がついている。これからなかなか脱却できない。最近田中角栄に関する本を書店でよく見かける。田中角栄は中卒で総理大臣まで出世した人物である。
その人生は今の時代の手本として読まれているのだろうか。もし当方が田名角栄論を書くとしたなら、その卓越したビジョンメーカーとしての才能にスポットライトをあてて書きたいと思う。石原慎太郎氏はその根本に故郷(国)を思う心が強かったと書いている。技術者ならば明るい未来を強く夢見ることが必要である。
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5月14日の記事にSTAP細胞の再現にドイツの研究チームが成功したニュースが報じられた。3月10日に発表された論文を取り上げた記事である。まだマウスなどの実験までたどりついていないが、STAP現象を明確に整理し、それを再現可能な実験事実として論文をまとめあげているそうだ。
弊社としては、以前の活動報告にも書いているがSTAP細胞の存在を信じている立場である。残念ながらまだ弊社の力では具体的な行動を起こせないが、「未来技術研究所」では、小保方氏のSTAP細胞発表の記事で時間を止めている。
ドイツの研究チームの報告では、故笹井氏が指摘していた「STAP現象の存在」を証明できた段階で、まだそれがiPS細胞の様な実用レベルまで到達していないが、興味深いのは、細胞が生死の間で揺らいでる、としたドイツ研究チームの表現である。
日本の生化学学会は真っ向からSTAP細胞を否定し、理化学研究所も結論を急いで誤った方向へ向かった。おそらくこうした背景があるので、今回のドイツ研究チームの実験結果に対して、あまり日本中が沸き上がらないのだろう。
また、小保方氏の書かれた「あの日」の影響もあるのかもしれない。あの著書は読み手に歓迎される書き方がなされていない。少なくとも普通の人が一読すると、嫌悪感を感じる内容である。
当方も出版された日に書店で立ち読みし、嫌悪感からのけぞり、落ち着いて読もうと,思わず購入してしまった。おそらくあの本を生理的に受け付けない人もいるかもしれない。
ドイツ研究チームがSTAP細胞からマウスを誕生させたなら、おそらくこれはノーベル賞級となるような成果であり、そのとき小保方氏は世間にどのように処遇されるのか興味深い。彼女には、誠実真摯に活動してほしいと願っている。
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「日本の天文学プロジェクトチームはハワイにたどり着けるのか~1億円が出せて旅費80万円が出せない謎」という記事が出ていた。1週間ほど前の5月16日の記事だが、少しばたばたしていて見落とした。
現在の我が国の基礎研究の置かれた状況を伝えている記事だ。すなわち、日本の天文学チームが研究のためにハワイに行く費用を国が出してくれない、だから、クラウドファウンディングでお金を集めているが、なかなか集まらない、という嘆きのニュースである。
読んでみて同情したが、弊社は創業から5年続きの赤字で残念ながらご協力できない。もし儲かっておれば、100万円ほど出してみたいと感じたが、今年は無理である。国が出せない80万円に対して100万円出してみたいと思ったのは、このくらいの額の時でなければ弊社の方針をアピールできる機会が無いと思ったからだ。今の弊社にとって良いチャンスだった。
おそらく、今後基礎研究分野はますます予算を取るのが難しくなるだろうと予想される。弊社創業の動機の一つでもあるが、学者の研究をサポートするのも21世紀は企業の役目と思っている。
国民の税金の使途は、今後福祉方面の予算がますます増加すると思われ、国民の公僕と呼ばれる人の仕事に使うお金も、基礎研究費同様ますます厳しくなるだろう。先日の東京都知事の言い訳に都民の9割が納得していない、のは当たり前の結果である。
国民の税金から、それがどのように役立つのか不明な基礎研究費用を出せなくなる時代が来るかもしれない、とも思っている。しかし、そのような研究が技術の下支えをしていることは、経験から多くの技術者や経営者は気がついているはずだ。
例えばスーパーカミオカンデのセンサーの技術で事業が成り立っている会社もある。その会社だけでなく、あのような研究ができたことで新たな技術のヒントも恐らく生まれているだろう。壮大な宇宙の研究費用を正当に評価できる人など誰もいないだろう。しかし、そのような夢の研究に、節約してでもお金を出せる民族でありたいと思う。
将来余裕ができたら、日本の基礎研究費用をサポートできるような財団かクラウドファウンディングをお手伝いできるようなNPOを設立してみたいと考えている。しかし、まず現在の会社を黒字にしなければその夢も見ることすら難しい。
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ゴム会社から写真会社へ転職し、高純度SiCの技術すなわちセラミックスの専門家から高分子の専門家へ鞍替えすることになる。写真会社の面接では、高分子部門へ配属になるが、よろしいですか、と確認された。それに対して当方は、高分子のことは何も知らないが大丈夫ですか、と逆に質問した。
研究開発管理業務だから専門領域は問わない、と言われた。このときふと新入社員時代はゴムやポリウレタンを担当し、ゴム技術では3ケ月間優秀なレオロジストからご指導を受けたことを思い出した。ポリウレタンでは学会発表やイギリスの学会誌への投稿もしていた。しかし、9年ほどセラミックス業務を過酷な状況で担当していたストレスで、ゴム会社で高分子技術を学んだことを忘れていた。
ブラック企業がニュースになったりするが、ニュースに現れる内容は当時を思い出すと灰色と感じる。ゴム会社本体の従業員数が17557人(1979年)から12597人(1998年)と20年間に5000人程度減少している状況から想像していただきたい。とんでもない事件も起きている。
当時を振り返ってみて、入社からセラミックス事業をスタートするまでの記憶が無くなっていたのは幸せだったのだろうと思った。それだけ集中できる環境が用意されていたのである。高純度SiCの研究所は工場の敷地のはずれに建設されており、隣接する病院の塀際だった。この病院は「楡家の人々」の舞台になった病院と聞かされていた。転職するまでの数年間はこの広い研究所の建屋で一人で仕事をしており、むしろ記憶が無くなる程度で済んだことに感謝した。
そこで、転職して数か月の暇な時間を利用し、当時の担当した仕事を特許や学会発表資料を基にまとめてみた。また、出張して大学の先生に高分子のイロハを指導してもらう努力もした。0から立ち上げた高純度SiCの事業に未練はあったので、それを忘れるためにも夢中で学ぶ努力をした。
さらに学位をT大で申請するため、学位試験対策でもあった。学位審査がT大ではなく中部大学になった経緯は複雑なので省略するが、論文審査の場合筆記試験もあると言われており、親切にも過去問題をT大からいただいていた。学位の半分は高純度SiCの話だったが、審査の先生が高分子物理分野のご専門だったので、過去問題は高分子基礎科学の内容が多かった。
ありがたいことに東京にあるT’大の先生からもご指導を受けることができるようになった。その先生から高分子自由討論会なる勉強するには大変便利なクローズド研究会を紹介された。転職し1年ほどで高分子を勉強できる環境が整い、写真会社で貢献するための準備が整った。
この時獲得した高分子の知識については「高分子のツボ」として退職後まとめ直したが、学生時代の高分子の教科書とは異なる内容になった。これは、高分子科学の進歩の結果だろう。
ただまとめてみて感じたのが高分子の専門知識というものは、セラミックスや金属と異なり、今も勉強していないと高分子技術者としてやっていけない、と感じたことである。すなわち高分子物理の分野は現在進行形で進歩している。
面白いのは、実務である高分子技術ではすでに暗黙知あるいは実践知として活用された実績のある知識がリベールされて形式知としてまとまってゆく学問の進歩である。
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始末書と新たな企画書を提出することになったが、その後、始末書がどのように扱われたのか不明である。ただ、その後同期の給与明細書と比較して毎月200円給与が少ない点が気になっていた。
しかし、新たな企画であるホウ酸エステル変性ポリウレタン発泡体は大成功となり、新商品を出すことができた。ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームは、300円/kg程度のホウ酸エステルをリン酸エステルと組み合わせると、難燃剤の使用量を半減できる。そのためコストダウンに寄与し、始末書の宣言通りの技術となった。
また、難燃化機構を解析したところ当初の目論見通り、燃焼時の熱でボロンホスフェートが生成し、空気を遮断していることが確認できた。これも始末書に書いたリベンジ目標の一つである。
ホスファゼン変性ポリウレタンフォームは実用化されなかった、という理由ですぐに学会発表できたが、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームは、特許が登録されるまで外部発表ができなかった。
ただし、課長が高分子学会の研究会で委員をやっていたので、このような学会発表には理解があった。その後発表したときに、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームについては少し世間の関心を集めたが、ホウ酸の環境負荷を考慮し、この技術はやがてお蔵入りとなった。
課内における課長の評判は芳しくなかった。しかし、当方はその後この課長の推薦を受けて留学の機会を得たりしている。また、ポリウレタン発泡体の次に担当したフェノール樹脂天井材では、直接商品開発を担当でき基礎研究から商品化までの実務体験を学ぶことができた。悪い評価査定をつけられてはいたが、この課長のマネジメント能力に少し感謝していた。
ところで、化工品部隊への貢献がミッションだった時代から新事業を生み出すのがミッションへと研究所の役割が変化していた時代に、この課長がうまく対応できていなかったことは、部下の立場から理解できた。ホウ酸エステル変性ポリウレタン発泡体の後に提出した、高純度SiCの企画を含め、当方が提案した新事業関係の新たな企画は、ことごとく却下された。
ただし、海外留学へ推薦してくださったのは、この上司であり、その海外留学を直前に当方の企画実現のために希望した無機材質研究所へ変更してくださったのもこの上司である。
始末書に始まり昇進試験失敗までこの上司による業務評価査定は悪かったが、難燃性ポリウレタンフォームやフェノール樹脂天井材という成果を出すことができ、組織への貢献を十分にできた2年半であった。
また成果主義の会社という説明を受けていたが、定められた年間目標どおり成果を出しても評価されない、というサラリーマンの評価の厳しさを学んだ時代でもある。さらに、今でも事業として続いている高純度SiCの企画を最初に認めてもらえずアンダーグラウンドで研究を進めなければいけないような苦労をしているが、無機材質研究所への留学を実現してくださるなど「矛盾の行動」(注)には感謝している。
課員には評判の悪かった課長ではあるが、部下の将来のために一生懸命だった課長の姿は当方に見えていた。転職までの当時の給与明細を眺めると始末書の影響は、200円x24=4800円、その他昇進が1年遅れた給与不足分であり、生涯給与の観点でほとんど誤差である。
高純度SiCの先行投資を受けた後給与は著しく上がったのでこの課長のマネジメントには、感謝しなければいけないのだろう。小保方氏も「あの日」を読むとひどい処遇を受けてはいるが、STAP細胞の研究を行える環境を組織から与えられ破格の高給で処遇されている。もう少し組織に感謝したら良いではないか。論文を取り下げる事態になったのは自己責任の視点で考えるべきだろう。さらにSTAP細胞を実現出来ていたなら現在の言動も多くの人に容認されるかもしれないが。
(注)無機材質研究所入所時、SiCの結晶が研究テーマであることは事前に分かっていた。しかし、ペロブスカイトの基盤研究がゴム会社の研究所で認められたテーマだった。これをどのように調整したのか課長から教えていただけなかった。ただ留学して半年後に昇進試験があり、落ちている(翌年同じ答案で合格している)ので研究所の方針と異なる点について問題が残っていたことは理解できた。しかし海外留学に決まって半年後に国内留学へ切り替えるだけでも上司として大変なエネルギーが使われたはずである。
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少し足を延ばすと、旧川越街道沿いの北町商店街に出る。そこで100円のレトルトカレーを見つけた。今時消費税込みで100円という値段にビックリするとともに、大手メーカー製だったので企業努力に頭が下がった。
昔、ボンカレーという100円以下で販売されていたカレーがあり、おやつとしてよく食べた。育ち盛りだったので食事として食べるには量が少ない、と感じていた。今このカレーは150円以上している。レトルトカレーで高いものでは300円を超えるものもあり、100円という値段に驚くとともに賞味期限を確認した。半年大丈夫なのでおかしな品質の商品ではないようだ。
実は今1食100円のメニューを研究(注)している。いくつかレシピの開発が進んでおり、カレーもその一つである。その経験から、100円カレーは大量生産を前提にしても驚異的と感じている。
ちなみに、家庭でカレーを作るときに、いくらかかるのかご存知の無い方のためにバーモントカレーを例に説明する。バーモントカレーは、店により12皿分が190円から240円で売られている。すなわちルーの値段は一食分約20円である。
カレーをおいしく安く仕上げるならばチキンカレーとなる。チキンならば鳥の胸肉が100g50円程度から売られている。ただ胸肉だけではダシが不十分なので、鶏がらが必要でこれが40円前後で手に入る。すなわちお肉は一食分25円程度かかる計算になる。
あとは玉ねぎ、にんじん、ジャガイモなどの食材が必要になるが、玉ねぎを少し多めに入れるのがカレーをおいしくするコツである。野菜の類は、季節により価格が変動するが、一食分15円から20円程度である。
すなわち、ルーやお肉、野菜の食材費だけで安くても60円前後一食分にかかる計算になる。これがビーフカレーになれば、和牛を使うと一気に200円近くへ跳ね上がる。だから、100円のカレー、しかもビーフカレーは具が少なかった点を考慮しても大変ビックリするような価格なのだ。
(注)おからギョーザやおからハンバーグ、おからサラダにおから鶏団子などおからシリーズは100円以下で十分においしくできる。栄養も豊富で健康的なメニューだ。
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大いに反省しているところはよいけれど、そのあとの文章がまずい、と指導社員に注意された。当方は、今回の始末書についてどこに当方に非があったのか明確な説明を受けていないので、本当は書く気がしない、と正直に答えた。
指導社員は、そのあたりについて理解が早く、そうだよね、となった。本来はテーマとして認めた段階で、責任を取るべき人が決まる、と言いかけたが、ドラッカーの「自己責任の原則」というフレーズが頭をよぎった。本当は、課長が書くべきよね、と指導社員が当方の心を見透かして、一言でまとめた。
当方は、ホスファゼン変性ポリウレタン発泡体の成功で新しい難燃化システムのアイデアが生まれたことを説明し、始末書を逆に利用して化工品部隊に提案したい、と言ったら、甘い、と指導社員に一笑に付された。
新しい企画や、今後どうするのかという点について、当方は一生懸命説明したら、課長に直接始末書をもっていって、議論してみたら、ということになった。入社一年もたたない段階で、罰則規定にある始末書を書く事態になれば、だれでも慌てるはずである。そのうえ、罰を受ける理由を理解できていないのである。
始末書をそのまま課長に提出したら、当方がまじめに反省していない、と叱られた。何を反省したらよいかわからないこと、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの成功で世界初の新たな難燃化システムが生まれたこと、その新しい難燃化システムは、燃焼時の熱でガラスを生成し、高分子を自己消火性に機能向上できること、など一気に熱く語った。
実際は、少し課長とすったもんだがあったが、課長は周囲の目を気にして小声で話すので、声の大きい当方に課長が押し切られるような形なった。課長は、始末書を受け取るから、すぐに今話したことを企画書としてまとめ、今日中に提出すること、と言われた。
当時課長以上の管理職は、担当者と別室で管理職だけの大部屋にまとめられていた。だから課長は他の課長に新入社員に始末書を書かせていることを知られたくなかったようだ。それが幸いした。
課長はあくまで企画の打ち合わせをしているかのような口ぶりで当方との打ち合わせを進めようとしたので、「新入社員が発表会の内容でなぜ始末書を書かなければいけないのか。」と一言周囲にも聞こえるように話したら、始末書をそのまま机の中に隠し、別に用意していた当方の企画書を机の上に広げ、企画の打ち合わせになった。
ホウ酸エステルとリン酸エステルを組み合わせて燃焼時の熱でガラスを生成する難燃化システムの企画は、このように数分で決まった。
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