土曜日21時に表題のTV番組があり、弊社の本社がある上板橋が紹介された。そのため昨日日曜日は上板南口銀座商店街は名に恥じぬ賑わいを見せていた。歩きにくくて、いつもの散歩ルートを変えたほどだ。
インターネットの普及でTVの視聴者離れが言われてから久しいが、昨日の様子を見るとかなりの人が番組を見ていたのだろう。日曜日は休日のはずの肉屋のマルサンはちゃっかりと記念セールを行い稼いでいた。毎週土曜日のセール日よりも人が多く、いつもは用意されていない整列用の綱が張られ、そこにたくさんの人が並んでいた。
いつも入り口が閉まっていた花月園も入り口が開け放たれ、お客で賑わっている様子をアピールしていた。辛くて食べられない中本には、いつものように行列ができていた。石田屋も相変わらずの賑わいで、驚いたのはTVで紹介されたどこの店もいっぱい人が入っていたのだ。
おそらくこの番組は地域活性化に貢献しているのだろう。上板橋には結婚してから住み着いたが、東京の下町の雰囲気を残している住みやすい町で、起業もこの町で行おうと考えていた。事務所を構えて4年経つが、近所にたくさん空いている事務所専用のビルになかなか入れるほどに事業が拡大できないでいる。
バブル崩壊後20年以上経つが、近所の大部屋の貸しビル業者は苦戦しているという。池袋から東上線で10分少々の便利な場所なので、もし事務所移転を考えている事業主の方は見学に来る価値はある。帰りには安い肉のマルサンで松阪牛肉をお土産に買って帰るのも楽しみの一つだ。
松阪牛肉の切り落としですき焼きうどんを作るととんでもないおいしいうどんができる。おからとともにハンバーグにすると霜降肉のおいしさがあふれたおからハンバーグになる。
ミドリムシの産出するパラミロンは高純度で工業用途に適しているが、おからは3種の多糖類の混合物で工業用途に向かない。松阪牛肉と組み合わせてハンバーグにするのが最良の用途である。そして具材を練り上げるにはカオス混合技術を用いる(方法についてはお問い合わせください)。
霜降の脂をおからがキャッチしておからに思えない味になる。白っぽい色が気に入らないなら、少量の赤だしで色づけすると絶妙の味になる。半年ほど肉のマルサンに通い、おからハンバーグを研究したが、この組み合わせが一番おいしかった。
ところで、散歩ルートを変えて思わぬ発見をした。10年前単身赴任して戻ってきたらご近所のツバメが一匹もいなくなっていた(注)が、そのツバメたちが北口で巣作りを始めていた。
上板橋北口にあったマンションで新婚生活をスタートした時にツバメなどいなかった。おそらく南口方面にカラスが増えたので南口のツバメが北口へ引っ越してきたのだろう。見慣れた顔ぶれが飛び回っていた。
(注)単身赴任前に撮影したご近所のツバメ写真集をかつて電子出版として発表した。
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PPS中間転写ベルトの開発では、前任者から状況を伺ったときに、○○○という一流のコンパウンドメーカーからコンパウンドを購入しているので、コンパウンドの改良は簡単だ、と告げられていた。
技術サービスと面談すると、確かに科学の視点で優秀なコンパウンドメーカーであり、相談内容に対して教科書に忠実な回答が返ってきた。教科書通りの回答であれば当方も知っていたので、このまま教科書通りの開発を続けていたなら10年かけてでも問題解決できない、とその場で判断できた。
科学一本槍のメーカーは、今の時代、秘密も何も無い丸裸の状態と同じである。二軸混練機のスクリューセグメントをノウハウという人がいるが、教科書通りに組めばそこそこの混練機ができる。今の時代のノウハウとはヒューマンプロセスをうまく活用できる技術力である。これは教科書に書かれていない、実績のある弊社だけが指導可能なノウハウである。
教科書準拠ではできないことがわかっていたので、新しいアイデアを提案したところ、素人はダマットレ、となった。外部のコンパウンドメーカーに発注し、コンパウンドを得る、というシステムで開発をしていたので、ここへ新しい入力として技術アイデアを入れれば簡単に問題解決できる、と判断し単身赴任したのだが、入力できる変数は一つしか無い不便なシステムだったので目の前が一瞬暗くなった。
発注と新しいアイデアの両方の入力を受け入れてくれる新しいシステムを探す必要があった。そこでグループ内の別カンパニーの子会社をシステムとして選んだのである。ただそのシステムには、機能が何も無い状態だったので、機能を作りあげる作業が必要だった。ただ、類似機能がその子会社には存在したので、類似機能を活用するために投資を行えば良い、と考えた。
その子会社の類似機能は高分子合成システムで、高分子の変性も行っていた。ただし二軸混練機を使用してドライで変性する技術(機能)を持っていなかった。二軸混練機の機能では、高分子を入力すると混練されて変性された高分子が出力される。すなわち、二軸混練機を購入し、ソフトウェアーをそろえれば一流のコンパウンドメーカーと同等以上のシステムができる。入力変数の種類と数を自由に制御できるので一流のコンパウンドメーカーのシステムより、見かけは数倍優れている。
ソフトウェアーについては、成功を予測できる非科学的方法を考えていた。すなわち投資するだけで問題解決できる見通しが得られた。残った課題は投資をどうするかである。混練プラントを新たに作るとなると2億円は最低必要になる。すなわちPPS中間転写ベルト開発の問題の姿は、時間でも技術でもなく、お金の問題に変わった。
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問題解決において気をつけなくてはいけないのは、時間の扱いである。システムに時間の要素は入ってくるが、「時間」は情報ではない、あるいは時間を制御することはできないのは当たり前のことである。
具体的には、何かプロジェクトで問題が発生したときに、「時間が無いからできない」、という回答は、この仕事はやりたくない、と言っているのと同じである。「時間」というものに理由を求めてはいけないのである。やらなければいけないことであれば、納期を遅らせてでもやらねばいけない。
納期をその日あるいはそのときであることが妥当であるのか議論することは可能だが、「時間」というファクターを議論しても何も生まれない。「時間」に答えを求めることは、「やらない」とか「解決しない」という答えと同じなのだ。換言すれば、どうしようも無い状況ならば、時間が過ぎる前に、「解決しないという意志決定」をすれば良いのである。
PPS中間転写ベルトの開発で、コンパウンドの内製化を部下のマネージャーへ伝えたときに、今からコンパウンドの技術開発をしていたら間に合わない(時間が無い)、という答えが返ってきた。確かに数年外部のコンパウンドメーカーと開発してきて解決できなかった問題をコンパウンドの内製化で短期間に解決できる、と考えるのはおかしい。しかし、これは、時間を情報として扱っている見方である。
もし新たな技術で問題解決できることがわかったならば、どうするか。そもそもPPS中間転写ベルト開発テーマを継続するのかどうか、という問題で考えなければいけない。何も解決の手段が無いならば、半年前の今、技術開発は不可能という結論を出さなければいけない。
新たな技術で問題解決すると意志決定したならば、納期を動かしたり、仕事量を削ったりする調整を行えば良いのである。そもそも意志決定は成功を予測してチャレンジする行動なのである。
ところが、コンパウンドの内製化を行おうと関係部署の調整を始めたときに、ISO9001(品質マネジメント)の壁にぶつかった。幸い分社化されていたので、ケミカル関係の子会社が別会社となっていた。この会社にコンパウンドの生産を任せれば、外部のコンパウンドメーカーと同等の扱いができて、ISO9001の問題を解決できる。
オブジェクト指向的に表現すれば、カプセル化で問題を解決したことになる。時間を制御することはできないが、このように時間のファクターをカプセル化してシステムに影響しない工夫はできる。このシステムでは、発注という入力で、コンパウンドが簡単に出力される。
参考までに、社内でコンパウンドの生産工場を立ち上げるというシステム選択をした場合について説明すると、ISOに基づく手続きが発生し大変になる。これは開発を成功させるコンパウンドという出力を得るために、多くの入力をしなければいけないシステムを選択したケースである。
このように時間は制御もできなければ(無制御性)、失われた時間を取り戻すこともできない(不可逆性)、また情報のように伝達することもできない。しかし問題解決の時のシステムの選択で、時間をカプセル化できる。
すなわち、ビジネスプロセスにおける問題解決法では、時間をうまく処理する工夫が重要である。ビジネスの問題解決で、いきなりスケジュール表から入る人がいるが、それは下手な仕事のやり方だ(注)。まず問題解決されたときの姿から入り、そのときにシステムがどのようになっているのか考えてゆくのが上手な仕事のやり方である。
(注)マネージャーは時間管理を行うのが仕事、と勘違いしている人がいる。32年間のサラリーマン生活で細かいスケジュール表を作成したのは、QCの研修でアローダイアグラムを学んだときぐらいである。マネージャーはテーマの成功確率を左右するイベントの管理をしっかり行うことこそ重要である。ビジネスプロセスでは、研究開発部隊といえども予期せぬ飛び込みの仕事が入り、スケジュールの作り直しなどは日常茶飯事だった。
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ビジネスプロセスは、完璧な科学のシステムで動いているわけではないので、そこで発生する問題を科学的に解決しようという試みには最初から無理がある。企業における研究開発の問題ですら同様である。40年近く前に研究所ブームがあり、アカデミア同様の研究所が大手企業で作られたが、これがビジネスプロセスに不適合であったことを思い出して欲しい。
すなわち、今ビジネスプロセスで発生する数々の問題は、研究開発の現場の問題も含め、すべてヒューマンプロセス思考を併用して問題解決に当たるのが時代の流れに適合した方法である。ノーベル賞ですらヒューマンプロセスによる手法で受賞しているのである。ビジネスプロセスにおける科学的問題解決法というのが、いかに時代遅れの手法であるのか気がついて欲しい。
また、これは会社経営をやってみて気がついたことだが、収益というものの曖昧さである。弊社は設立以来赤字を垂れ流しているが、何とか倒産せずに経営が続いている。そして見方によっては収益が増えている状態になっている。これは、収益というものが会計基準により変化するからである。すなわち、収益が、経営のシステムのとらえ方で変わるということだ。
累積赤字で一時目の前が真っ暗になったが、会計を勉強し、希望が見えてきた(しかし赤字が減ったわけではない)。設立時に電子出版や特許出願を行い、多数の出費をしたが、それらが少しずつ芽をだしつつある。高純度SiCの事業化では6年間死の谷を歩いた経験があり、6年間は黒字にならなくても精神的に耐えられる訓練を厳しいゴム会社でさせていただいたが、これは貴重な体験だった。
少し話がずれたが、収益の定義が会計基準により変わるというのは、ビジネスシステムで発生する問題の本質をわかりやすく示している。すなわち現金という実体を使わなければ、収益を具体的に定めることができないように、システムの中に「実体の無い事象」が潜んでいると問題の理解そのものが難しくなる。このあたりは、コンピュータプログラミングのオブジェクト指向をかじったことのある人にはわかりやすいかもしれない。
当方も30年ほど前Cに取り組みその後C++でプログラミングをするようになり、ボーランド社が無くなってからは、C#を使うようになった。この経験から、このような説明をしている。平たく言えば、単に収益と表現しただけでは、現金がどうなっているかはわからないが、現金の流れを定義づけてやると、収益がその定義づけられたシステムにおいて実体として見えてくる、ということだ。
これはオブジェクト指向プログラミングでクラスを記述しただけでは実体が生成していないこと、そして実体が生成していないクラスを間違えて使用してバグを発生させる過程とよく似ている。
問題解決を行うときに、理解した、あるいはメンバーとその内容が共有化された、と勘違いし、実体が明確になっていない状態が原因で隘路にはいることがあるが、それはビジネスプロセスにおけるバグのようなものだ。まずそれを取り除く、あるいは是正する作業が必要になる。問題解決において、実体が機能しているシステムを解析するのは容易であるが、実体が不明確のまま問題解決に当たろうとするとうまくゆかない。
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タグチメソッドではシステムの基本機能が重要と言われる。そして最初にここで躓くことになる。そもそもシステムとは何か、基本機能とは何か、という禅問答のようなループに入ってしまう。基本機能はともかく、システムという概念も機械のシステムしか考えられない人もいて、このあたりの理解を正しくすることがタグチメソッド含め問題解決の重要な入り口であるにもかかわらず、難しい問題となってしまう。
まず、システムとはその人の「もののみかた」という概念である。目の前の問題も含めたオブジェクトをどのようにとらえるか、そしてそのとらえた姿がシステムそのものである。ゆえにシステムを考えるときに、正解がある、と思ってはいけない。目の前のものをどのようにとらえるかは、自由なのである(注1)。すなわちオブジェクトのシステムとは自由にとらえ、自分で決めてしまって良いのである。これはあたかもキャンバスに絵を描くようなものだ。
絵を描く代わりに写真を撮っても良い、と表現したいが、写真の問題は、そこへ撮影者の思考を表現できるかどうかという問題が発生するので、とりあえずここでは写真は除外したい。なぜなら、絵画ならば上手下手がすぐに見てわかる。残念ながら写真はデジカメの性能が良くなりすぎたので、撮影者の意図が見えにくくなっているからだ。
システムを自由に決めることが可能であることから、人の数だけシステムの種類が存在することに気がつかれたと思う。すなわちシステムを考える、と言うときに一番注意しなければいけないのは、それが多種多様に存在する、あるいは提案されるということだ。同じようなシステムに見えてもどこか異なる場合も含め、人数分のシステムが考えだされる。問題というものを考えるときに、これは忘れてはいけないことである(注2)。
何が問題かを考えるときに、あるシステムにあてはめて、あるいはあるシステムを用いて解決を進めることになる。タグチメソッドでは、その時のシステムの基本機能を考えることがまず最初のステップとなるが、この時システムは情報の流れを見ていることに気がつけば、それは容易となる。すなわちいきなり基本機能を考えるのではなく、まずシステムの要素を考え、それらについて入力と出力の関係を整理するのが、基本機能を考える前にやるべきことである。
タグチメソッドに限らず多くの問題解決の説明書に、このあたりの作業が省かれている。ドラッカーが「何が問題か」をまず最初に問うことにしている、と述べていたのは、「何が問題か」と考えることの要求であるが、その要求の中には、システムを考えること、そしてシステムの構造を整理することなども含まれている。
(注1)但しコツがあります。弊社にご相談ください。
(注2)わかりやすく言えば、たとえ言葉で明確に問題が表現されたとしても個人によりビミョーにとらえ方が違っている、ということだ。科学におけるシステムでは、これが明確に決まってくるが、ヒューマンプロセスでは、これが不明確になっていることを前提にしている。実はビジネスプロセスは、完璧な科学のシステムで動いているわけではない。企業における研究開発も同様である。だから完璧な科学のシステムで仕事をやっている人が、企業では宇宙人に見えたりする。STAP細胞の騒動は、未熟な研究者によるヒューマンプロセスが理研のシステムを狂わせた、という見方もできる。
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マクドナルドハンバーガーの売り上げ減少が下げ止まらないようである。FC化が加速されるとの記事もでている。しかし、ニュース記事などで聞こえてくる対策から、経営陣は正しい問題を見つけていないように思われる。当方も10年ほど前の単身赴任以来マクドナルドハンバーガーを食べた記憶が無い。中国へ仕事で出かけても、マクドナルドへは入らない。理由を考えたことは無かったが、ハンバーガーを食べなくなった、という理由ではない。
忙しいときなどは、ロッテリアかモスバーガー、あるいはコンビニのハンバーガーを買って食べている。しかし、マクドナルドが近くにあっても、なぜか入らなくなった。おそらく店が汚くなったことが一番大きい原因かもしれない。一度不衛生な現場を見ると食品関係の店舗の場合には何故か足が遠のく。見かけはりっぱなホテルでも、かわいいお姉さんがニイハオと言いながら、ゴキブリのひげをつまんでゴミ箱へ捨てた光景を見てからは、お姉さんがかわいくてもそこへ二度と行かなくなった。
一度足が遠のくとかなりの変化が無い限り、その店には行かないものだ。昨日近所のマクドナルドをのぞいてみたが、相変わらず店内は雑然としていた。何も買わずに店を出た。経営陣は現場を見ているのだろうか。少なくとも食品を扱う店舗では清潔感が最も優先される。汚い店には不衛生でも我慢できるお客しか入店しなくなるだろう。
昔、マクドナルドの店内は清潔感と活気があふれていた記憶がある。モスバーガーは、そのおいしいにおいが店内にあふれていたが、マクドナルドは、匂いさえも店内に出さないように配慮しているかのような雰囲気があった。なんと言っても薄っぺらなハンバーグの厚みを感じさせない巧みな梱包がすばらしかった。それらの配慮が、食べたときにおいしいと感じさせてくれた。それがいつの頃からか店内が汚くなり、ハンバーガーはその肉の薄さがわかるような梱包になっていた。食べておいしいと思わなくなった。においがしてもおいしいと感じるモスバーガーを食べるようになっていた。
ゴム会社で高純度SiCの開発を一人で担当していたときに、年に2度程度経営陣がのぞきに来られた。それが励みになった。ゴム会社は経営陣がよく職場見学をしていた。社長さえ最低1回職場に顔を出されていた。写真会社では、社長の顔は昇進をしたり幹部研修ぐらいの機会に見るだけで、職場で拝見したことはなかった。他の管理職にその話をしたら、社長の顔など誰もみたいと思っている人はいない、と言われた。だから社長も来ない、と納得できそうな説明だったが、これは間違っている。
従業員が顔を見たいかどうかではなく、社長は正しい問題を見つけるために最低でも年に一度は会社の隅々まで見学すべきである。マクドナルドの社長は、日本の店舗の状況を実際に見れば何故客が減っているのかがすぐにわかるはずだ。正しい問題を見いだすために現物現場主義は重要なコンセプトである。転職して社長の仕事の流儀が会社により異なっていることを学んだが、社長は職場訪問を年に1回はすべきだろう。従業員は社長の顔よりもアイドルの顔を見たいかもしれないが、大会社で社長が職場訪問をするのは、少なくともその職場が会社の一機能として認められていることを従業員に知らせるためと社長が正しい問題を見つけるために必要なことだと思う。大変かもしれないが、マクドナルドの社長はすべての店舗を一度見学してみてはどうか。
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企業の研究開発において問題を日々チェックできない管理職は失格である。科学では真理を追究するのが唯一の目的なのでおいそれとゴールは変化しない。しかし、企業の研究開発は技術を完成させて商品に搭載するまでがミッションである。例えば、研究開発を推進している途中で商品開発そのものが見送りになれば、それも終了するのが常である。そして途中まで投入した開発資源をどう処理するかを考えるのは、研究開発管理者の重要な仕事となる。
中間転写ベルトの開発では、当方の処遇は退職まで数年の身であったので、コンパウンドメーカーから協力が得られなくなった時点で責任をとり、開発失敗として処理した方がサラリーマンという立場では手軽な問題解決法であった。ここで開発に成功しても役員になれるわけではないので給料のみならず退職金も変わらないのである。人事部に早期退職者優遇制度を使った場合のシミュレーションをお願いしたところ、2年我慢して勤務すれば満期で退職したときと変わらない退職金になるとの情報を頂いていた。
さらに外部のコンパウンダーも一流だったので、PPSという材料は高級機種の中間転写ベルトに使えない、という結論を出しても皆が納得しただろう。しかし、前任者により設備投資がなされ充実した豊川のパイロットプラントや現場で働く人数を見て、必ず成功させなくてはいけないテーマであることを理解できた。給料も退職金も増えるわけではないが、ドラッカーの「働く」意味を思いだし、自己実現の目標を新たに設定しなおした。すなわち問題を会社の問題としてとらえただけでなく、責任ある技術者として生きる自分の問題に設定しなおして、必ず成功させるための意思決定をしたのである。
これは公私混同では無い。退職前でサラリーマンとして報われないことを承知しての無欲の企業への貢献である。負けには必然性があるが、勝ちはせいぜい予測できるだけというのは兵法に書かれた名言だが、このテーマが成功しても「不思議な勝ち」となるだけである。「不思議な勝ち」とは野村克也氏のマネだが、そもそも意思決定は、100%の保証が無い勝ちを予測し行うものである。その勝ちを予測することで目標が明確になり、戦略立案が可能となる。
意思決定されると見えてくる問題があるという話は先日書いた。それは、目標が明確になるからである。企業の研究開発では、限られた資源の中で成果を出さなければならない。すなわち企業の研究開発では、真理の追究をする前に、研究開発における制約を明確にしなければならない。それは経営者の仕事ではなく現場にいる技術者の責任である。研究開発の制約は技術者の意志決定により取り除かれる(注)。そしてその意志決定により真の問題が見えてくる。問題が明確になれば、あとはそれを解決するだけである。
(注)技術者にマネージメント能力を期待していない企業もあるが、少なくとも管理職群に処遇された技術者は、マネージメント能力を発揮しなければいけない。日本の企業において技術者の処遇はライン管理者よりも低く位置づけられたりするがこれは間違っている。給与をライン管理者よりも多く与えることでマネジメント能力は発揮される。管理職群以上では給与の意味は理解されているはずである。給与を上げずにフェローなどの特別な名称の処遇で対応している企業もあるが、スキルの高い技術者について、若手社員に技術を大切にしていることを経営方針として示すために本来は給与を高くするべきだろう。逆に担当部長とか担当課長というありきたりで中途半端な肩書きは技術者のモチベーションにマイナスとなる。権限も何も無い、と誤解してやる気がなくなる技術者もいるかもしれない。しかし、担当部長や担当課長でも現場における戦術展開の権限は「与えられなくても」存在するのである。ここで意志決定が重要になってくる。
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PPS中間転写ベルトの開発を担当したのは、2005年8月だった。八王子から豊川へ単身赴任する途中で撮影した家族写真では、単身赴任という状況にかかわらず幸せいっぱいの笑顔で写っていた。すぐに問題解決できる自信があったからだが、単身赴任してみると本当の問題は、コンパウンドの混練技術をどうするか、であった。
当初外部のコンパウンドメーカーが一流で、当方が指導すれば簡単に問題解決できる、と考えていた。しかし赴任そうそうコンパウンドメーカーからは、素人は黙っとれ、と言われてしまった。おそらく中部圏の出身者だろうと思われるが、せっかくすばらしいアイデアを話そうと思ったが、簡単に発言そのものを封じられてしまった。そして押出成形のほうを真剣に考えろ、とまで言われた。ここまで言われては、お客の立場丸つぶれである。
外部のコンパウンドメーカーは確かに一流メーカーであったけれど、ヒューマンプロセスによる考え方ができない人たちで、教科書通りの開発を進めている。教科書通りだから間違いではないのだけれど、長い間開発を進めてきても問題解決できていなければ、少しはやり方を変えようという人が出てきてもいいと思うが、科学的に技術開発を進めている、という自負がそうさせないのだろう。さすが○○○という昨年新聞を賑わせた研究所から生まれた会社である。「科学」命の会社かもしれない。
単身赴任前に考えていた問題は、一気に意味が無くなった。「コンパウンドの混練技術をどうするか」が最大の問題になった。外部のコンパウンドメーカーはお客に協力しようとしないばかりか、お客の技術力を疑っているのである。年内にベルトの内製化をどうするのか提案しなければいけない立場として、年末を待たず意思決定する必要が生じた。
年末にPPSのベルトが完成している状態を思い描けば、コンパウンドの混練技術を1ケ月以内に完成しなければいけない。コンパウンドの内製化を早期に意思決定しなければ問題解決できないことは明らかだった。この意思決定以外であれば、開発失敗を前提に社内調整を始める、という道である。
まだ半年ある、という楽観的考えから、コンパウンドの内製化を決意し、外部のコンパウンダーの対応はマネージャーに任せ、コンパウンド技術の開発を始め、1ケ月後にカオス混合技術を用いて「できる」という感触を得た。正しい問題を見いだすためには、意思決定ができているかが重要である。迅速な意思決定は自ら行動することにより可能となる。
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ブリヂストン館美術館がビル建て直しのため5月18日より閉館になるので、現在開催中の「BEST of the BEST」を見に行ってきた。やはり本物はすごい迫力である。写真や印刷物ではわかりにくい陰影や、絵の具の輝きがよくわかる。
パステルの絵ではそのタッチが200年過ぎても残っている。作者の気持ちが伝わってくるようだ。本物の絵画を見ていると、明らかに写真との違いが見えてくる。写真では写しきれない世界がそこには描かれているからだ。写実性が高いと言っても科学的に光の位置を探してみると、レンブラント以外は光源が複数存在したりする。そしてそれが絵画の一つの表現だったりもしている。
写真が芸術として劣っているのか、というとそうではない。絵画は古くから存在したが、写真は銀塩を乾板にぬり、画像を残す技術が開発されてからの芸術である。まだ芸術としての歴史は科学同様に浅い。
写真は真実を写すとか写さないとか言う議論があったりするが、その原理は三次元の世界を二次元平面へレンズを通過した光で表現するので、この議論の答えは自明である。すなわちオブジェクトはレンズにより必ず歪むことになるので真実をそのまま写す、という説明は間違っている。わかりやすく言えば、美しくなくても美しくとることが可能なのだ。そして、それが写真家の腕でもある。
ただ写真は事件の証拠として、筆記された絵よりも重視される。あたかも科学と技術の関係のような世界がそこには存在する。どんなに写実性の優れた絵画でも正確さでは写真に及ばない。逆に写真では描ききれない作者の心が絵画では容易に表現できる。同じオブジェクトを前にしても、写真と絵画では描いているものが異なるのだ。
これは、新しい自然現象を前にしたときに、科学では素直にその真実を追究するのだが、技術では、そこに潜む機能を人類に役立てようと心眼で眺め、無地のキャンパスに機能を実現した装置を書き上げる。あたかも写真は科学のようで、絵画は技術と同様に人間の自然な営みの中で生まれてきた作業の結果のようだ。
このように見ると、写真表現は今日の科学のような厳しい議論に、まださらされていないのでその技法に開発の余地が残っており、デジタル技術が新たな写真表現を生み出すかもしれない。すでにそのような取り組みをしている写真家もいるが、残念ながら今ひとつ盛り上がりを見せていない。
真実を写すのが写真だから、それを加工したらもはや写真ではない、という意見がある。しかしこのような無限の可能性に制限を加えるような批判は、どのような分野でもその進歩を阻害する。弊社では、写真の可能性についても研究しているので機会があったら展示会を行いたいと考えている。ご期待ください。
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ドラッカーは、「何が問題か」をまず問うことの重要性を指摘しましたが、問題解決をどのように行えば良いか、とか問題の構造とか、そもそも問題とは何かについて明確な答えを残してくれませんでした。著書を読めば、ドラッカーが意味する「問題とは何か」の答えが見えなくもないですが、彼の著書を数冊読んだだけでは理解できません。
高校生の時に父親から勧められてドラッカーを読み始めたが、難解な本でした。眠れないときに読むにはもってこいの本でした。彼は、目の前の問題が、すぐに解くべき問題とは限らない、と述べています。すなわち、問題には、目の前に見えている問題と、目の前に見えていない問題があり、目の前の問題を解いてみたところで問題解決したことにならない、さらには間違った問題を正しく解いても得られる答えは正しくない、とまで言っています。
目の前に見える問題は理解できますが、目の前に見えていない問題を見つけるにはどうしたらよいのか。これが問題になる。彼は、問題とは、あるべき姿と現状との差異と定義づけています。すなわち現状分析と意思決定により導かれたあるべき姿との乖離から、目の前に見えていない問題が見えてくる、と言っている。
これをプロセス的に表現すれば、1.現状分析を行う、2.どうあるべきかを問う。3.1と2の差分を考える、4.そしてその差分を解決する、となります。少し表現をかっこよくすれば、戦略を考え、戦略に基づく戦術を遂行するとなるが、これはあまりにも抽象的でわかりにくい。あるいは、意思決定を行い、その結果見えてくる問題を解決するのがビジネスプロセス、という表現もできるが、これも少し抽象的だ。
一般に言われている科学的問題解決プロセスの一番大きな問題は、すでに問題が与えられていることが前提になっている。しかし、問題解決のプロセスの前段では、ドラッカーが指摘したように、まず何が問題かを考えなくてはいけない。これは科学の問題を考えるときでも同じである。この作業は仮説設定とは異なる作業であり、ヒューマンプロセスの特徴にもなってくる。
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