40年前の基礎研究所ブームの時代に比較すると研究開発の方法は大きく変わってきた。故ドラッカーが提案していたオープンイノベーションもブームのようである。今更ステージゲート法を導入しようとしている企業もあるが、効率的な研究開発方法を追究する努力はいつの時代でも求められており、研究だから失敗しても良い、という経営者は、さすがにもう少なくなった。
高純度SiCの事業化で苦しんでいた時に、研究所のテーマだからやめる決断も重要だ、とテーマ中止を勧誘してきた管理職がいた。その管理職は、日本化学会賞を受賞するや否や電池事業をやめてしまった。鮮やかだ、という人もいたが、当方はその「撤退」に賛成できなかった。経営者や他の担当者を欺くような撤退だった。
当方の経験談になるが、ポリウレタンの難燃化テーマで新入社員の始末書問題になったホスファゼン技術は、技術シーズとして大切に継続検討し、電気粘性流体のオイルや電解質の難燃剤として展開された。この経験から細々とでも継続する工夫は、やめる決断よりも難しいが重要なことだと思っている。
研究開発で得られた形式知は、特許や論文などで表現され容易に伝承可能であるが、経験知や暗黙知は属人的あるいは属モノ的になり、その伝承に工夫が必要となる。研究開発をやめたあとに何を残し大切に伝承してゆくのかと言う議論は、このためさらに重要だと思う。事業はやめてしまっても、研究開発で生まれた知はその企業の資産として大切に伝承しておくと、新たなテーマを扱う時に独自の技術展開や問題解決が容易になったりする。
例えば、科学的に解決できないと一度証明された電気粘性流体の増粘の問題も経験知のおかげで一週間でソリューションが見つかったが、この時には解決ができないと結論が出されたところで、当方をこの問題解決に推薦した管理職がおられた。この方は立派な方で研究所のメンバーひとりひとりのキャリアーをよく御存じだった。すなわち独自の経験知に関するデータベースを持っていたのである。
弊社では研究開発で生まれた知の扱いについても32年間のノウハウを整理しており、生み出された知の伝承による研究開発の効率向上について取り組んでいる。研究開発は予期せぬ要因で中断しなければならないことが起きるものである。研究開発の効率を上げる方法として、そこで生まれた知を整理し伝承する努力は研究開発の効率向上に寄与すると弊社では考えている。
故ドラッカーは予期せぬところで発展した技術を適用しイノベーションが起きたことに注目するように述べていたが、失敗したテーマの知が予期せぬ分野の技術ソリューションになることもある。自社で生まれた知が他社でイノベーションを起こす事例に感心していてもしょうがない。大切に伝承する努力をしよう。
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富士通の電子書籍サービス「BooksV」が2015年9月29日(火)で終了になる。今利用ユーザーへ丁寧な連絡が届けられているときだが、難しい問題が潜んでいる。リアル書店ならば店じまいだけで済むが、電子出版では、バーチャル空間の本をどのように処理するかが問題になる。店じまいとともに書店の本だけでなくユーザーの購入した本も無くなってしまう、あるいは読めなくなってしまうのである。
弊社も4年前電子出版事業を創業と同時に開始したが、売り上げの問題と事業に失敗し閉店したときのリスクを再検討し、結局ユーザーが少なかった、開店して1年半の時に店を閉じたいきさつがある。すなわち電子出版では、閉店するときにかなりのコストがかかるが、閉店の事例が無いので、それが見えないという問題がある。これは原子力発電と同じである。
原子力発電は、福島原発の例を見れば明らかなように、ひとたび事故にあい廃炉となると一国の一年間の予算が吹き飛ぶような費用がかかる。この点は電気会社から知らされていない。また費用の問題以外に放射性廃棄物の捨て場所すら未だに決まっていない状態である。
事業をやってみて賢くなった点は、事業は失敗したときの費用まで考えてスタートすべき、という当たり前のことが結構難しい問題である、ということだ。一番難しいのは失敗したときの事業の状態を見積もる点である。これを簡単にできる方法があればどなたか教えていただきたい。
弊社の事業の一つだった電子出版は、当時早めに閉店した方が費用がかからない、と判断し、苦渋の決断で中断した。借金は残ったが会社を継続しながら何とか返却できる規模である。今事業を再構築中で今年度中に定款を書き直すかどうか決断したいと考えている。
さて、富士通の始めた電子出版サービスだが、ユーザーに書籍のダウンロードを促しており、ダウンロードすればいつでも読める、と謳っている。この「いつでも」読める、と言う点をどう解釈するかである。
例えば万葉集であれば、千年以上前の書籍を今でも読むことが可能である(当方は眺めることしかできないが)。しかしデジタルデータの千年後はフォーマットも変わっているだろうし、そもそもデジタル端末の千年後など予想がつかないのでオブジェクトを見ることができなくなる、と言っても過言では無いだろう。
ユーザーの寿命は高々100年前後なので千年以上の心配はナンセンスかもしれないが、改めてリアルな「本」の偉大性に気づくことになった。
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SiCに含まれる不純物の酸素は、高温度で焼結助剤のBと反応し助剤を失活させるという話を以前書いた。この不純物の酸素には二種類の形態が存在する。一つはSiC表面が酸化されて生成した表面のSiOの形態として、他の一つは、SiC粒子内部に取り込まれた酸素の形態として存在している。
市販されているSiCの合成法には二種類あって、一つはシリカ還元法により直接SiC紛体を製造する方法と、他の一つはエジソンの弟子アチソンにより開発されたアチソン法だ。アチソン法では大きなインゴットとして得られるので粉体にするためにはこのインゴットを粉砕するプロセスが必要になる。
直接粉体を合成できるシリカ還元法では、βSiCが得られるが、一個の粒子はβSiCの微結晶が凝集した構成になっている。ゆえに結晶子サイズが小さい粒子ではおよそ0.8%から1.3%前後まで多量の不純物の酸素を抱きかかえている。結晶子サイズとこの内部に抱き込まれた不純物の酸素の量とは相関する。内部に抱き込まれた不純物酸素以外に表面にも不純物酸素は存在し、内部と表面の不純物酸素の合計は、1%以上になる。
アチソン法で得られる粉体に含まれる不純物の酸素の量がシリカ還元法で得られる粉体に含まれるそれよりも少ないのは、内部に抱き込まれた酸素が少ないためだ。またアチソン法の粉体の結晶子サイズは一般に大きい。
市販されていないが、ゴム会社で生産されているフェノール樹脂とエチルシリケートから製造される高純度SiCの合成法はシリカ還元法に分類され、できる粉体もβSiCだが、一般のシリカ還元法で得られる粉体よりも不純物酸素の量が極端に少ない。そして結晶子サイズも大きい。これは前駆体の構造が分子レベルで均一になっているからである。
このようにSiCに含まれる不純物の酸素の量は製造プロセスによりおおよそ決まってくる。粒子の外側の不純物酸素は1400℃から1500℃の温度領域で真空にしてやると簡単に除去できるが粒子内部に取り込まれた不純物の酸素は、この処理で完全に取り除くことができないので、常圧焼結において密度のばらつきや物性のばらつきに影響を与えている。そしてこれが少ないことが高純度SiCの長所の一つとなっている。
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常圧焼結よりもホットプレス焼結が容易な理由は、焼結反応時にかかっている圧力に違いがあり、ホットプレス焼結では、その圧力で異常粒成長が抑制されるため、と言われている。
高純度SiCの事業化で苦戦しているときに、切削工具の企画を立案せよと指示が出た。この時の企画は「まずモノを持って来い」企画である。SiCは鉄と反応するので切削工具は難しいと言われていた。しかし、そんなことは言っておれない。
一発勝負でSi-Ti-B-Al-C系の組成で切削チップを開発することにした。当時クラチメソッドという怪しい方法を開発していたのでその方法を用いた。この方法はタグチメソッドと似ており、ラテン方格を用いる。但し外側因子には相関係数を割り当てる。切削チップなので、硬度測定における荷重と特殊な圧痕サイズから求めた相関係数を用いた。
実験計画法と同様の方法で相関係数が最小になる、すなわち圧痕がつきにくい材料組成を求めたところ、複合組成にもかかわらずSiC並の硬度の組成を見いだすことができた。驚くべきことに硬度はSiC並だが、靱性は部分安定化ジルコニアに近かった。
この開発で驚いたもう一つあり、それはホットプレス焼結における挙動だ。収縮カーブのモニタリングデータから、この組成において液相ができる領域があり、それを活用すると低温度で焼結できることも発見した。
その他にも興味深い現象が観察されたが、まずモノを作る必要から、最良組成の試料で、実際に切削チップを作って鋳鉄を削ってみた。切削チップは和井田製作所のご協力を得て製造し、鋳鉄の研削は赤羽の工業試験所で指導してもらい実験を行った。
結果は大成功でSiCで鋳鉄の切削ができ、工業試験所の先生もびっくりされていた。早速企画にまとめ研究テーマとして半年遂行したが、マーケッターの報告から、今回得られた組成を中心とした事業ではマーケット規模が小さいことがわかり開発中断を申し出た。
住友金属工業と半導体治工具のJVを立ち上げるまで、このような事業企画は数多く検討されたが、技術的な理由ではなく、マーケット規模ですべてアウトになっていた。半導体治工具の事業も一度つぶれた企画である。しかし、住友金属工業が当時としてはそれなりのマーケットを持っていたので、会社からJVの許可が下り20年以上経過した現在まで事業として続いている。
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なぜSiCの常圧焼結においてβSiC>αSiC>高純度SiCの順にホウ素の添加量を少なくできるのか。理由は簡単で、SiC粉体の一個の粒子内部に含まれる不純物酸素の量がこの順に少なくなっているからだ。例えばβSiCでは0.7%以上の内部酸素が不純物として含まれているが、αSiCは0.5%前後であり、高純度SiCでは実験誤差程度である。
この粒子内部に含まれる不純物酸素の量に違いが生じるのは、粉体の製造プロセスが異なるためである。すなわち高純度SiCでは、理論上不純物の内部酸素は含まれない。αSiCもSiCインゴットを粉砕して製造するので、理論上含まれないはずであるが、インゴットの内部に不純物として含まれてくるとこれをそのまま引き継ぐことになる。
βSiC粉体だけ多量に内部不純物を抱き込むことになる。昔市販のβSiCの内部酸素を計測したところ、最大で1.5%も不純物酸素を含んでいる粉体が存在した。
SiC内部に不純物酸素が含まれると、1500℃以上でその酸素が助剤のホウ素と反応し、ホウ酸ガスとして系外に排出されてしまう。ゆえにホウ素をプロチャスカは多めに入れる必要があったが、高純度SiCでは0.1%以下でも焼結できた。
常圧焼結では微量でもホウ素を添加する必要があったが、ホットプレスではカーボンだけでも良かった。面白いことにカーボンだけを助剤にして用いたときの成形体の密度はβSiC<αSiC<高純度SiCとなった。高純度SiCでは、3以上の密度が安定して得られた。
カテゴリー : 一般 電気/電子材料
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お茶わんなどの材料をセラミックスといい、セラミックスで成形体を製造するためにはセラミックス粉体を焼き固める必要がある。粉体をあらかじめ成形し、それを常圧で焼き固めるプロセスを常圧焼結法と呼ぶ。筒の中に粉を詰めて上下から圧力をかけながら焼き固める方法をホットプレス焼結法と呼ぶ。SiCでは、カーボン製の筒とカーボン製のシリンダーを用いる。
かつてSiCの常圧焼結は難しい、と言われ、様々な焼結助剤の探索が行われた。1970年代にプロチャスカにより発見された、ホウ素とカーボンの組み合わせによる常圧焼結技術は画期的な発明だった。
ところが、彼の特許クレームでは、ホウ素の添加量とカーボンの添加量がクレームとされ、その後この特許を見て同じ組成で添加量を変えた他の人によるαSiCの常圧焼結技術の特許も成立している。恥ずかしながら当方の開発した高純度SiCでもホウ素とカーボンを究極まで少なくした技術として特許が成立した。
プロチャスカが特許クレームに添加量まで入れなければいけなかったのは、周期律表の主立った元素についてホットプレス焼結を用いてSiCの焼結挙動が調べられていたからだ。すなわち、ホウ素だけ、あるいはカーボンだけを用いて常圧焼結は難しかったが、ホットプレス成形では、100%の緻密化は難しくとも90%以上の緻密化を実現した論文が存在した。
特許では新規性と進歩性が求められるので、ホウ素とカーボンを組み合わせた技術では特許化が難しいと判断したのかもしれない。しかし、常圧焼結技術は誰も成功していなかったので、本来は添加量など関係なく、元素の組み合わせだけでも特許として成立したはずである。
おそらくプロチャスカの勘違いあるいはまじめさが他者の特許成立を許したのかもしれない。当時面白いと感じたのは、αSiCに限定した特許を出願しようとした発想である。技術者として駆け出しだったので、この根性は勉強になった。勉強になったので、ちゃっかりと高純度SiCをクレームとしてホウ素とカーボンの組み合わせで添加量が最小の領域をクレームとして特許出願をさせていただいた。
この特許出願の裏話をすると、実は高純度SiCとカーボンだけでも常圧焼結に成功していた。しかし、緻密化に再現性が無く、やはりカーボンだけでは無理だろうと言うことになって、少量のホウ素を添加した領域で実験をすすめ、4回に3回程度成功することができた。
STAP細胞は一度も成功しなかったが、無機材質研究所では一度の成功でも謙虚に繰り返し再現性を評価して、一度しかできなかった条件をあきらめたのだ。ホットプレス焼結ではカーボンだけでも再現性よく緻密化していたので、特許のクレームにカーボンだけでも常圧焼結可能と、当方は記載したかった。
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この10年ワークライフバランスが流行し、多くの企業が取り組んでいる。故ドラッカーは早くからこの点に着目し、「現代の経営」の中で大企業の抱える問題の解決策として、「組織の中の人たちの生き方を変えさせることである」と述べている。イノベーションで書いたゴム会社におけるCI導入における論文募集はその一手段であったが、当時と異なり現代は、個人の人生に対する姿勢に重点が置かれている。
彼は「大企業や巨大企業は経営管理者に対し、会社を生活の中心に据えることを期待しすぎている。」と指摘し、それが結果として、「組織だけが人生であるために組織にしがみつく」状態を作り出している、と述べている。
企業活動において新陳代謝は重要で、社員に会社へしがみつかれたのでは、大企業は経営そのものが危うくなるので従業員のワークライフバランスが重要になってくる。一方従業員にとって会社は60歳まで、と考えなければいけない時代において、政府から70歳まで企業が雇用する云々という話がでてきて、このワークライフバランスの本来の意味が従業員に分かりにくくなっている。
当方は「第二の人生」という考え方が嫌いである。すなわち会社勤務を第一の人生ととらえる考え方は、人生に会社生活の比重を重く置いて考えているようなものだ。そもそも人生には、仕事と生活(衣食住)以外に家族や地域社会、自分そのもの価値(自己開発)、余暇など様々な事象が存在する。この事象をうまくバランスさせてその人の独自の「人生」が生み出される。第一も第二も無い。
生活の糧を考えると会社にしがみつくのが最も安直であり、政府がいうように企業に対して70歳まで雇用する義務を課するのは必要かもしれない。しかし、それでは社会の発展が期待できないのである。働くことの基本は「貢献」であり、社会に有用な人材が、60歳以降大企業に安く雇用されるよりも、中小企業で高給で優遇され、それに見合うアウトプットを社会に出していったほうが良い。
そのためには、会社員として40年弱過ごしているときに5年程度は遊ぶつもりで思い切ったイノベーションを企画し実行すると勉強になる。人生のバランスを考え自由にそのバランスを設計できるためには、生活の糧を自由に選択できる自分を40年弱の間に創り上げなくてはいけない。すなわちワークライフバランスを考えるときに企業が従業員にサポートしなければいけないのは、弊社のような仕事のやり方のソフトウェアーを提供するコンサルタントをうまく活用することである。
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今回二つの台風の影響による水害は、50年来とのことと報道されていたが、40年前の1974年に起きた台風16号による多摩川氾濫を忘れていないか。当方はまだ上京前の学生時代だったが、その後この水害を扱った「岸辺のアルバム」が中日新聞に掲載されていたので記憶していた。
さらに、この新聞小説が映画化されたときには当時の災害の実写フィルムが使用され、多摩川沿いに立っていた家が流されてゆくシーンが映し出された。記憶が正しければこの家は、木造の2x4住宅で耐震の高い造りだった。
今回の災害では、水害でびくともしなかったヘーベルハウスがネットで話題になっている。これは茨城県常総市鬼怒川の氾濫で多くの木造住宅が水流で破壊され流されてゆくのに白い建物が踏ん張っている様子が全国に放映されたからである。
ご近所で某社製鉄骨住宅の建設が行われていたので、その現場をのぞいてみると頑丈な構造体を見ることができた。へーベルハウスに限らずこのような鉄骨とそれを支える頑丈な基礎で建てられた構造体の家では、木造住宅のように基礎から離れて流されることはないのだろう。ただ1974年当時は、基礎から離れて流されても筺体が壊れなかったことから2x4住宅の堅牢なつくりが話題になっていた。
何か災害があると住宅を始めとした生活のインフラの脆弱性あるいは逆にその堅牢性が話題になる。かつてゴム会社のパネル水槽は、市場占有率が低かったが1983年の日本海中部地震でその頑丈さが話題になり、一気に市場占有率を伸ばした。
この時は、この業界で後発のゴム会社が最新の耐震設計で商品を出していたことと市場占有率が低く震度のひどかった地域に販売されていなかったことが寄与した。商品の中にはその品質を一生に一度遭遇するかどうかわからない事象で保証しなければならない項目がある。このような項目の品質設計はメーカーの技術力だけでなく品質に対する哲学の影響を受けると思われる。
例えばゴム会社では、新製品開発において必ず商品化前に実車テストが繰り返し行われるが、新入社員時代はそこまでやるのか、とあきれたぐらいである。しかし、長年自動車を運転してきて当時見学したテスト風景に今では納得している。
科学的品質管理と言われるが、科学という哲学の視点だけで満足してはいけない領域があることを銘記すべきである。ちなみにこのゴム会社では30年以上前から免除振装置を販売しており、今でも最初に設置された装置を抜き取り点検で定期的に取り外し調査している。新事業としてスタートする時に開発されたシミュレーターで、科学的には100年以上の耐久性のあることが確認されているが、予測と実際の結果との比較を行っている。
防災に対しては科学的に得られた結果から100%安全と、油断してはいけない。原発は科学的に安全な究極の発電システムといわれたが福島のような状況になっている。
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ゴム会社で本業とはかけ離れたセラミックス分野の高純度SiCの事業を立ち上げた。それが先行投資を受けてから30年近く続いている。写真会社ではカオス混合によるコンパウンド工場を立ち上げた。これは子会社のちょっとした新事業である。その後この事業は神戸と静岡の二カ所でコンパウンドを生産するまでになったと風の便りで聞いている。
いずれの成果についてもイノベーターに何が報われたのか。会社を訴えて多額の特許報償を獲得したブルーレイの例は極めて希で、企業内イノベーションでは、大きく報われないケースもある。しかし、イノベーションを起こさなければ経験しなかったであろう、高純度SiCの学会賞の推薦書が当方に回ってきたような出来事はじめここでは書きにくい面白い体験を多数している。
高純度SiCの事業化を推進しているときに、転職することなど考えてもいなかったが、転職しなければ事業化がうまくゆかない状況になった。一方、カオス混合技術のプラントについては、当初外部のコンパウンダーに立ち上げていただく予定でいたが、「素人はダマットレ」という暴言の前に、ミッション遂行が絶望的になり、責任をとる覚悟でプラントを立ち上げた。
いずれもサラリーマンとして無理をしなければ、それなりの結果になっていた仕事である。おそらく後者では高級機の中間転写ベルトを熱可塑性樹脂で製造することは不可能という結果を導き出し、プロジェクト失敗の責任をとってリーダーから改めて窓際へ移り、穏やかに退職(注)できただろうと思っている。成功して早期退職を選ぶよりも平穏なサラリーマン生活として、よかったかもしれない。
サラリーマンであるイノベーターが報われない風土では、次第に考え方が保守的になってゆく。さらにはシャープで希望退職者の目標を達成できなかったように、会社にぶら下がろうとする社員も増えてくる。
しかし、イノベーションに失敗しても命がなくなるわけではない。どうせ会社にぶら下がるならば、自分の意志を通してぶら下がっていた方が良い。日本の会社ではイノベーションの成功者よりも失敗者を大切にする傾向があることを知っておくとよい。東芝では元副社長は顧問として厚遇されている、と新聞に報じられた。
また、写真会社ではかつて磁気テープ事業に大失敗しているが、そのプロジェクトに関わった方たちから役員が複数誕生しているし、ゴム会社ではさすがに会社に赤字をもたらした人が役員になることはないが、ここでは書きにくい人が65歳まで大切にフェローとして雇用された。
異なる風土の会社に勤めて見えてきたのは、日本企業において企業内イノベーションというものは、その気になれば失敗を恐れず積極的に行ったほうがよい風土ということだ。成功しても報われる保証はないが、失敗してもうまく立ち回ればそれなりに会社は面倒を見てくれる。
ただ成功しても報われない、という負の見方もあるのでイノベーションが起きにくいのかもしれない。仮に報われないとしても、リスクの無い状態で、大きな仕事ができるという魅力が企業内イノベーションにある。
無理をしないサラリーマンの生き方が時代の流れかもしれないが、生きている実感を味わえる無理もたまには楽しい。ドラッカーの遺作にもあるように、歴史が見たことのない未来が始まり、ますますイノベーションが求められている。40年弱(当方は早期退職したので32年)のサラリーマン生活である。その中の5年間くらいは無茶をしても大丈夫なので日本のサラリーマンはイノベーションを起こす努力をして欲しい。弊社では個人の相談者も受け付けております。
(注)当方は、失敗しておれば定年まで会社で過ごし退職日も変わっていたはずだが、役員から勧められて早期退職を選び2011年3月11日が最終出社日となった。その結果、最終講演も送別会も無くなり1晩会社へ宿泊させていただくことになった。退職のためパソコンもすべて整理し、何もすることのない事務所で一人一晩過ごしてみると、ドラッカーの提言が今でも重要な示唆に富んだ遺言であると気づき、誠実に真摯に仕事をした満足なサラリーマン生活だった、と思えるようになった。
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ゴム会社における高純度SiCの事業化テーマを担当し、様々な人間模様を見ることができた。企業でイノベーションを行うにあたり、技術以外の学ぶべきことが多かった。また、ベンチャーからスタートした会社の独特の企業風土の効果も実感した。留学の時にお世話になった人事部長はじめ本社の管理職の方々は、皆新事業に未来の夢を描かれていた。
なぜか研究所には夢は無く現実路線であり、平社員の立場でイノベーションを起こしにくい環境となっていた。しかし、自分の意思を貫き、無機材質研究所へ留学したところ、I総合研究官との出会いなど多くの社外の人脈が得られ、高純度SiCの事業化を成功させることができた。
電池の仕事を手伝っていたときに、高純度SiCの仕事を辞めるように上司から勧められた。さらにFC棟のすべての設備を廃棄し、電池の生産ラインの場所として空けるように命じられたこともあった。しかし、すべて従わなかった。必ずしも直属の上司から見て給与を増やしたくなるような社員ではなかったはずだが、それでも給与は下がらず上がっていた。
高純度SiCの研究予算は、研究管理部の部長から毎年期初にいただいていた。ここでは書けない方法で決められた予算は、死の谷を歩いているとは、いいにくい金額だった。6年間の苦労の期間は、死の谷ではなく天国だったのかもしれない。
大会社でイノベーションを起こそうとするときに、それに反対する人は社員の中に必ずいるものだが、イノベーションを起こそうとする人は反対勢力に目を奪われてはいけない。経営者や支持者の気持ち、その期待や夢をいつも考えるべきである。
イノベーターが自己の立場のみ考えたなら、企業におけるイノベーションは失敗する。反対勢力に配慮が足らない態度と映るかもしれないが、反対勢力というのはイノベーションを継続している限りその反対姿勢は変わらないので、むしろ継続の強い意志を萎えないようにすべきである。
他の事例ではあるが、ブルーレイの発明では会社から追い出されたような形にイノベーターは置かれている。しかし、当方は事業に良い影響が出るように自ら判断し転職をしたので会社から追い出された気持ちをもっていない。それゆえ、半導体治工具の基本特許はじめいくつかの特許の報奨金もゴム会社に請求していない。
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