活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2014.09/25 高分子の難燃化技術(9)

ヤミ実験をやっていると上司の主任研究員から、新入社員には残業代は無い、と言われた。素直に、残業申請はしませんから実験だけやらせてください、と願い出たら、何も言われなかった。

 

翌日、夜7時頃楽しそうに仕事をしていたら、趣味で仕事をやるな、と注意された。いや、趣味では無く始末書のために実験をやっているのです、と答えたら、始末書を早く書くように、と言われた。

 

一週間ほど実験を行い、ジエタノールアミンとホウ酸とを無溶媒で2時間以上反応させると耐水性のあるホウ酸エステルが合成されること、このホウ酸エステルとTCPPと混合しTGAを測定すると、TCPPだけでは600℃で1%以下の残渣しか残らないが、混合物ではボロンホスフェートが生成し、リンの90%以上が残ることがわかった。残る課題はこれが軟質ポリウレタンフォームに配合されたときに、機能を発揮するかどうかである。

 

適当な配合で軟質ポリウレタンフォームを合成したところ、ジエタノールアミンが触媒として働くために発泡バランスをとることがかなり難しくなりそうだ、とわかった。しかし、うまくできなかったポリウレタンフォームのLOIを測定してびっくりした。1ポイントも向上していたのだ。さらにTGAを測定して、600℃における残渣にボロンホスフェートが生成していることを発見した。

 

守衛が部屋に入ってきて名前を聞かれた。気がついたら夜の11時を回っていた。翌日主任研究員に呼び出され、叱られた。そしてすぐに始末書を書くように言われた。目標仮説を実証できる機能の確認ができていたので、始末書にはホスファゼンの研究開発により実用可能な新しいシーズが見つかった、と書いた。

 

主任研究員からすぐにそのシーズを説明せよ、と問われた。始末書はこれで良いのか、と尋ねたら、しばらくすったもんだのあげく、新しいシーズの話を少しずつリークしていたら、始末書の末尾に謝罪文が付け加わえられ、始末書騒ぎは完了となった。

 

サービス残業や過労死などが社会問題になっている。労働基準法に照らして考えてみると新入社員の頃の行動と上司の対応には問題があった。しかし、楽しい思い出として残っている。

 

始末書など気にかけず実験をしている姿を見て、「少しは反省した姿を」とアドバイスしてくださる優しい先輩もいた。始末書に至る経緯を周囲は見ていないのだ。そもそも仕事は結果しか見られていない、という現実を学んだのもこの時である。

 

労働基準法を含む研究開発のマネジメントについて、この頃の経験で学んだ項目は多く、さらに高分子の難燃化技術について30年後の未来でも活用可能なレベルまで学ぶことができた。この体験から30年後の未来に向けてどのような技術開発テーマが存在するのか「www.miragiken.com 」で紹介しています。

カテゴリー : 一般 連載 高分子

pagetop

2014.09/24 高分子の難燃化技術(8)

1980年当時アルコキシドを用いたゾルゲル法が学会で話題になっていた。リン酸エステル系難燃剤もアルコキシドととらえれば、ホウ酸エステルと組み合わせると、燃焼時の熱でガラスができるはずである。ホスファゼンが使えなくなり、リン酸エステルで何とかしなければならない状況で頭に浮かんだアイデアがこれで、まさに必要は発明の母である。

 

ホスファゼンの技術が会社に認められて、その技術開発を続けていたら思いつかなかったアイデアであった。もちろん企画書を書いていた段階ではアイデアのかけらもなかった。ただ企画書には無機高分子の活用と抽象的に研究課題の候補の一つに挙げていた。しかし研究開発を推進する過程で技術を具体化すればよい、とも企画書作成段階で言われていたので、ホスファゼン以外のアイデアを具体的に考えていなかった。

 

ところが、ホスファゼンを用いた技術が始末書騒ぎになり、炭化促進型難燃化技術の研究が中止になる事態になった。当時のゴム会社では、ファイアーストーン社のPNF100やPNF200というホスファゼンを用いたコンパウンドの調査を完了していたので、ホスファゼンを原料から合成するビジネスについて否定的であった。

 

そもそもこのゴム会社に入社した背景には、ホスファゼンゴムを世界で初めて実用化したファイアーストーン社の技術を最も積極的に調査していたという情報があったからだ。確かに積極的に情報収集した事実があり、その結果ホスファゼンについては研究開発のテーマに上げない結論が出されていた。

 

管理職以上であればこの結論を知っていたはずである。始末書騒ぎが起きたときにアドバイスしてくださった方が裏話をしてくださって、新入社員が始末書を書くなどと言うのは不思議だ、と教えてくれた。

 

当方は研究開発企画のチャンスももらえて、さらにその責任も取らせてもらえるならば、とある意味光栄に思っていた反面、周囲の情報から管理職に対する腹立たしさも芽生えた。始末書の内容次第では、ホスファゼンの研究そのものも否定されかねない。

 

始末書には、ホスファゼンの研究で新たな研究シーズが生まれた、という内容を盛り込みたかった。しかし、その一行を書くためには、確実に実用化できるアイデアが必要だった。浮かんだアイデアのヤミ実験を開始した。

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.09/23 高分子の難燃化技術(7)

リン系難燃剤の難燃化機構は、教科書にポリリン酸が生成して脱水素反応の触媒になり、チャー生成を促進すると書かれている。しかし、これは半分ウソである。なぜなら、リン酸エステル系難燃剤を用いた場合には、チャーにリンを含む化合物がほとんど残っていないのである。

 

ポリウレタンの難燃化に様々なリン酸エステルを試してみたが、燃焼後のチャー面について赤外分光法で分析してみると吸収が何も観察されない。250℃まで加熱処理したTGAのセルの中に残っている残渣にはPOの吸収始めリン系化合物の吸収が観察されるので、250℃から600℃に至るまでに揮発している可能性がある。

 

リン酸エステル系難燃剤のTGA曲線では、難燃剤の種類により600℃における残渣量が異なる。しかし、セルに残った物質をIR分析してもリンの化合物に由来する吸収は観察されない(1981年の研究結果)。

 

おそらくオルソリン酸が生成して270℃近辺で揮発している可能性が高い。すなわちリン酸エステル系難燃剤を用いた場合に、高温度で生成した化合物の触媒作用によりチャー生成が促進される、という説明は怪しい。

 

おそらく大半は気相で空気を遮断し、炭化促進している可能性が高い。アラパホメーターと呼ばれる燃焼試験器でススの量を測定したところ、ホスファゼンを用いた場合にはススはほとんど生成していないのに、リン酸エステル系難燃剤では、大量にススが発生していた(1981年の研究結果)。

 

最近のイントメッセント系と呼ばれる難燃剤について評価していないので推定になるが、おそらくホスファゼンと同様の結果になるのではないだろうか。

 

ホスファゼンの熱重量分析では600℃でも大量の残差があり、その残差についてIR分析を行うとP=Nはじめ様々な吸収が現れる。すなわちホスファゼンの高い難燃性と煤発生が少ない理由は、燃焼している高分子内部でチャー生成を促進しているためと推定される。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.09/22 高分子の難燃化技術(6)

 昨日からの続きであるが、ホスファゼンが市販されていなかったので使うことができず、企画した難燃化技術を実用化するためには、リン酸エステル系難燃剤を使いこなさなければならない。

 

駆け出しの技術者の浅はかさで、企画書を提出した時にはホスファゼンで実用化できると簡単に考えていた。また、課内会議でもホスファゼンに関する質問は出たが、コスト等については、新入社員に質問しても、という雰囲気だった。課長も企画内容にニコニコ笑顔だった。

 

企画は、今でいうところのイントメッセント系の難燃化技術で、当時そのような言葉が無く、我流で炭化促進型難燃化システムと名付けていた。1980年頃はLOIの規格やUL規格が普及し始めたころで、コーンカロリメータが登場したのはこの5年後の頃である。

 

ハロゲンと三酸化アンチモンによる気相で働く難燃化手法や、溶融型の難燃化手法、変わり種としてゴム会社が開発した,高分子材料が餅のように膨らみ炎から逃れるようにした難燃化手法もあった。

 

これは当時の建築基準の評価手法を研究していて偶然発見された技術で、やや胡散臭い手法である。すなわち試験法の特徴の裏をかき、材料を変形させて試験炎から材料が逃げるように設計した技術である。

 

他社もすぐに真似をしたので日本全国火災時に餅のように膨らむ天井材が普及した。その結果、実火災では防火機能を発揮できず、社会問題となった。すぐに通産省で難燃化基準の見直しが行われた。

 

ゴム会社に通産省から建築研究所のお手伝いをするように要請があり、新しい建築基準作成の国のお手伝いも担当した。今ならばブラック企業となるような職場環境と仕事の状況であり、人生で一番忙しい時期だったが、周囲からの期待と仕事が直接会社と社会への貢献につながっている実感があったので、この難燃化技術を研究していた時がサラリーマンとして最も幸せだったのかもしれない。

 

企画した技術について、ホスファゼンを用いて機能確認したところ、狙い通りの結果になったが、始末書騒ぎになり、あげくの果てはリン酸エステル系で実現せよとの指示。どのように始末書を書いたらよいのか、「人に聞けない書類の書き方」という本を購入し、研究するとともに、燃焼時の高温度で揮発する市販のリン酸エステルの活用方法に悩まなければならなかった。

 

 

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.09/21 高分子の難燃化技術(5)

   

燃焼時にガラスを生成するコンセプトは、ホスファゼンと他のリン酸エステル系難燃剤との比較から欲求不満の解消結果として生まれた。すなわち、ポリウレタンが燃焼後、その残渣にホスファゼンは大量にリン成分を残すが、他のリン酸エステル系難燃剤はほとんどリン成分を残さない。

 

この残渣と極限酸素指数LOIとの関係を考察するとリン系難燃剤の難燃化機構に3タイプあることがわかる。まず、炭化物残渣(チャー)を大量に生成する機構と炭化物を生成しない機構の二種と、前者についてはリン成分を系内に残存しないタイプと系内にリン成分を残すタイプの二種に分かれ合計3種類の機構が推定される。

 

ホスファゼンは高温度で熱分解するが、その構造によっては重合したり三次元化する。酸素が存在すると三次元化し、雰囲気を変えて熱重量分析を行うとその状況を重量減少の変化として捉えることが可能である。

 

側鎖基の構造で、最初に生じる重量減少速度が速くなる温度が異なるが、600℃における残渣の量は、PN構造の割合と概略相関するのでPの単位が高温度まで残っていると推定される。

 

リン酸エステル系難燃剤で同様の熱重量分析を行うと300℃から400℃までの温度領域で重量減少速度が速くなり、600℃ではほとんど残渣を残さない。最近のイントメッセント系とあえて唱っている難燃剤を実験していないのですべてのリン酸エステル系難燃剤がそうであるか不明だが、少なくとも1980年前後に市販されていた主要なリン酸エステル系難燃剤はすべて600℃で数%以下の残渣しか残らなかった。

 

これは、リン酸エステル系難燃剤の場合に250℃前後の温度領域で沸点を持つオルソリン酸を生成し、これが揮発するためである。当時の教科書には、オルソリン酸の構造でチャーを生成する反応機構が書かれていたが、すべてのリン酸エステル系で正しい難燃化機構ではない、と思った。

 

例えばTCPPでは、その存在の有無で600℃における残渣量がほとんど変化しないので、燃焼時には気相で空気を遮断し高分子を難燃化しているのだろう。しかし、同じくリン酸エステル系の難燃剤Fyrol6では、その添加量に相関して600℃の残渣が増加するので教科書に書かれているような機能を発揮していると思われる。しかし、この場合でも600℃における残渣中にほんのわずかしかリン成分は残っていない。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.09/20 高分子の難燃化技術(4)

 

燃焼時にガラスを生成するコンセプトは、当時のセラミックスフィーバーの影響でセラミックス前駆体のアイデアを生み出した。タイミングよくゴム会社の創業50周年を祝う企画で論文募集があったので高純度SiC半導体事業の話を書いて応募した。この応募に関する顛末は過去に書いたので、ここでは技術者が新しい技術を生み出すために必要なコンセプト思考について書いてみたい。

 

技術は科学とは異なり人類の本能的活動の一部として発展してきた。「マッハ力学」にもそのあたりの考察が書かれているが、科学万能の時代にあまり意識されていない。科学の無い時代に技術をどのように開発してきたのか知るためには、過去の遺品を基に想像する以外にないが、「こういうものが欲しい」という欲求生まれ、その欲求を実現するための努力で技術が磨かれたり、新しい技術が生まれた可能性がある。

 

「必要は発明の母」という言葉もあるが、同じことを表現していると思う。今ほど便利ではなく自然の驚異に裸同然であった時代には、自然に欲求が湧きだし、その結果無意識に技術開発が行われた可能性がある。人間の基本欲求として生理的な三欲求があげられるが、科学の無い時代には食欲と同じように技術開発欲のようなものがあったに違いない。

 

今は科学万能の時代で技術開発は理系の人間の仕事のようになっているが、昔は文系の人間も欲求を満たすために技術開発を行っていた可能性がある。レオナルドダビンチが芸術家であり科学者でもあった、という表現を読んだことがあるがこれは間違っている。ダビンチは欲求不満の解消のため芸術活動と同じ次元で技術開発をしていたと思われる。

 

このような視点でダビンチの肖像画を眺めると欲求不満の肉食系に見えてくる。コンセプト思考は欲求不満解消のために行う行為と類似しており、こうあって欲しいとか、このようにしたい、と頭に思い浮かべることであり、現代のゴール指向の思考方法と同じことになる。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.09/19 高分子の難燃化技術(3)

 

燃焼時にガラスを生成する難燃化技術は、当時の高分子難燃化技術分野の常識を超えた技術であった。当時まだ三酸化アンチモンとハロゲンの組合わせ難燃剤が注目されていた時代で、この難燃剤システムの問題解決のため各種リン酸エステル系難燃剤の開発競争が行われていた。

 

大八化学はその先端を走っていた会社で、ポリウレタンの事業も行っていたゴム会社には新製品が多数持ち込まれていた。この新製品の評価を幸運にも担当することができ、リン酸エステル系難燃剤の問題点を理解することができた。

 

今でもリン酸エステル系化合物を用いたイントメッセント系の難燃剤開発が行われているが時代遅れのような気がしている。リン系難燃剤の特徴的な難燃化機構は3パターンあり、新しいイントメッセント系難燃剤をリン酸エステル系難燃剤で開発するぐらいならホスファゼンを素直に活用したほうが良い。

 

ホスファゼンは始末書を書くことになった化合物だが、当時先端材料として日本曹達や大塚化学はじめ中堅化学メーカーが積極的に取り組んでいた。ゴム会社で開発されたリチウムイオン電池用難燃剤は日本化学で生産されているが、もしこれらの会社がもう少し早くホスファゼンを事業化していたなら始末書を書くことにはならなかった。

 

ホスファゼンについては大学院修了後、ゴム会社へ就職するまでの半月近く暇だったので趣味的に研究する機会ができた。大学院2年間ご指導してくださった先生のご厚意である。ただ社会人になってからもこの時の成果を論文にするように尻をたたかれたのには困った思い出がある。指導熱心な先生や諸先輩に恵まれたゴム会社の12年間だった。

 

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.09/18 高分子の難燃化技術(2)

 

ホスファゼン変性軟質ポリウレタンフォームは実用化されなかったのですぐに論文として発表することができた。上司が「高分子の崩壊と安定化研究会」の委員だったので、研究会のネタとして採用されたからだ。

 

論文は英文で投稿したが、今はやりのコピペを用いていない。当時ワープロなど無かったので、直接タイプライターで書かねばならなかった。学生時代に修士論文を書くために買ったタイプライターが役に立った。

 

タイプライターは、片手打ちである。片手に辞書を持ち英文を打ち込んでゆく。五月雨の音よりも遅く、独身寮の廊下に何の音かわからないぐらいの音色で響いていたそうである。

 

ホウ酸エステルとリン酸エステル併用システムは実用化されたので、その外部発表はすぐにできなかった。ただ、5人目の上司が学位取得を勧めてくれて、そこに掲載するために社内調整してくださった。

 

開発してから4年後にようやく論文になったが、こちらは日本語である。日本語ワープロ一太郎を用いて書いた。この研究は日本化学会の年会でも発表したが評判がよく、講演依頼が来るようになった。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.09/17 高分子の難燃化技術(1)

 

過去に何度も書いているが、高分子の難燃化技術もゴム会社で学んだスキルである。入社1年後にホスファゼン変性ポリウレタンフォームを半年で試作まで行い、新入社社員でありながら始末書を書くことになった仕事で、始末書を書くにあたり恥ずかしくない内容にしたいと思いこの分野の技術の実情を猛勉強した。

 

市販されていない難燃剤を用いて開発を進めたのが、その始末書を書くことになった原因である。しかし、この始末書のおかげで、燃焼時のエネルギーでガラスを生成し、難燃化する技術を開発することができた。

 

この始末書に反省の証として低コストの難燃化技術を開発する、と書いたのだ。余分なことを書くな、と上司に叱られたが、そもそも新入社員である当方に始末書を書かせる管理職もすごい、という陰の声があったので、ひるまずに始末書をそのまま提出した。

 

この始末書がどのような扱いになったのか知らないが、罰として納期が決められ半年で新しい難燃化システムを開発するようにというありがたい指示が上司から出た。期待に応えて、半年後に試作を成功させ商品化できた。

 

この時完成した新規の難燃化システムはホウ酸エステルとリン酸エステルを組み合わせる難燃化技術である。ホウ酸エステルは市販されていなかったが、ホウ酸とジエタノールアミンとを撹拌するだけで合成できたので、工場の隅に簡単な反応釜を設置するだけで実用化できた。コストは300円/kg以下だったように記憶している。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.09/16 技術者教育(2)

ゴム会社では上司から学位取得を勧められたり、海外留学の推薦をされたり、と技術者として育成されている実感を味わいながら仕事ができた。受講費について会社の補助が出る通信教育にも、技術者向けのメニューが多数用意され、人事からモニター推薦を受けたりしていた。

 

創業者の伝記を読むと人材育成を重視した事業家であると書かれているので、技術者教育に力を入れていたのは創業時からの伝統だろう。12年間勤務して、仕事をした実感よりも技術者として育成されていた思い出が多い。

 

ゆえにFDをいたずらされて転職した時も、そして今でもゴム会社には申し訳なかった、という気持ちがある。高純度SiCの事業化で6年間死の谷を一人で歩き住友金属工業とのJVとして起業し、それが現在でも続いているが、特許報償を請求したこともない。ブルーレイの裁判で高額な特許報償が支払われてもそれを批判的に眺めていた。

 

ゴム会社では諸先輩から十分なご指導を受け、そのおかげで専門外だった転職先の仕事でありながら技術者として成果を出すことができた。写真会社で開発を行っていたときのスタイルは、ゴム会社と変わらなかった。ただ立場が管理職だったのでゴム会社の管理職がそうであったように、部下の育成に力を入れた。

 

メーカーの技術者教育はどうあるべきか、と尋ねられたなら、迷わずゴム会社の風土を紹介したい。一時期その風土もおかしくなったが、現在は昔同様の風土に戻っているという。

 

中国出張で某大学を訪問し、偶然そのゴム会社の留学中の社員と名刺交換した時には、企業買収が成功し新たな成長へチャレンジし始めたゴム会社の鼓動を感じた。五年前の話である。

 

カテゴリー : 一般

pagetop