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2014.10/24 技術の伝承(5)

企画のネタの一つにフィルムの帯電防止技術があった。帯電すると品質故障となる写真フィルムには必ず搭載される技術で、研究開発の歴史が長いのに毎年特許が出願されている分野である。当時特許のトレンドは導電性の酸化スズを用いた帯電防止技術であった。

 

しかし、転職した部署ではこの技術に関して開発を諦めていた。ライバルから山のような特許が出願されていたためである。しかし、現像処理後も帯電防止機能が残っていることや帯電防止材が安定なので写真性能に影響を及ぼさない点で将来主流になることは予想された。

 

特許を調べたところ確かに20年間に1000件以上もの関連特許が出願されている。この状況を見ただけでも酸化スズを帯電防止材に用いようとする意欲は無くなる。しかし、各種の帯電防止技術と比較すると最も性能が優れていたので、まったく技術開発を行わないという判断は間違っているように思われた。

 

ところでどうしてこのような一方的な状況になったのかという疑問も出てくる。帯電防止技術について各社の技術を調べたところ、A社とB社は現像処理後も帯電防止性能を有する金属酸化物の永久帯電防止技術を採用していたが、転職した会社とC社はイオン導電性高分子を帯電防止材として使用していた。一部の商品には現像処理前だけ帯電防止性能がある導電性アルミナを用いた技術もあった。

 

面倒ではあったが、大量の特許を整理して各社の動向を知るための技術年表を作成してみた。転職したばかりだったので比較的自由な時間があったが、帰宅時間は窓際になるまでいつも遅くなった。

 

 

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2014.10/23 技術の伝承(4)

転職し最初に配属されたセンターが成果を出さず、短期でリストラされたが、最初の業務がセンター長付主任研究員だったのでセンターの状況を理解し活動していた。マネジメント業務を行いながら、アンダーグラウンドで実験を行うために若手の弟子として願い出たりした。

 

そのとき5つほどテーマ企画のネタを仕込むことができた。いずれのテーマもこのセンターに伝承されているべき技術を前提にした企画である。しかし、基盤技術が無いために、若手のアドバイスに従い実験を行ってもうまくゆかなかったり、実験をしても無駄だというアドバイスだったり、極めつけは他社の特許が大量にあるから実用化できないと言われた。

 

基盤技術が存在しないような部署だったが、T1社やT2社から転職してこられた当方よりも10年以上年配の上司は、だから苦労している、と言われるだけでマネジメント上の対策を何もしていなかった。

 

関係部署から依頼された日々のテーマをトコロテン式にこなしているだけだった。中には他部署の人手として活動しているテーマもあった。他部署がどのような状況か調べてみたら、さすがにこのようなひどいセンターは他にはなく、まともな体制で運営されているように見えた。

 

ある日センター長のアメリカ出張を巡り、センター長と衝突した。時期が悪い上に予算が無い。さらに出張計画そのものが企業の出張として無茶苦茶だった。センター長付の職務をはずされ、転職して1年で窓際になった。

 

このとき窓際の居心地の良さを味わった。自由に仕事ができるのである。ドラッカーの言葉が正しければ貢献さえできれば給料はもらえるはずだ。窓際は窓さえ開ける努力をすれば社内や社外から貢献が見えるはずである。さらにゴム会社を急に辞めたため宙ぶらりんになっていたT大の学位も取得に向けて努力する時間ができた。これは自己実現の活動である。

 

窓際は暗いイメージが伝えられているが、窓際なので本来は明るい場所なのである。明るい場所で思いっきり知識労働者として活動すれば必ず立場は好転するはずだ。このあと20年間に2回窓際になるが、最後は窓を開けて外に飛び出す決断を行い、現在に至っている。

 

ところで、海外出張の手続きは他の管理職により進められたが、経理から案の定ストップがかかり、当方に経理から問い合わせが来た。当方はセンターが赤字の状況を伝えた。海外出張の手続きは経理で業務がストップした。経理の古参の係長がセンター長との衝突の噂を聞き酒で慰めてくれたのだが、元気に振る舞っていたため割り勘になった。

 

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2014.10/22 技術の伝承(3)

写真会社では組織名が刻印された実験ノートが全員に無償配布されていた。そしてそのノートを使い終えると新しい実験ノートが支給されるという習慣だった。さらに組織移動や退職した場合には、刻印された職場に実験ノートを残しておくルールになっていた。

 

STAP細胞では実験ノートを単なるメモがわりに使用している状態が公開されたが、写真会社の実験ノートでは日々上長がチェックする習慣になっていた。すなわち日報も兼ねていたのである。

 

この実験ノートの習慣は研究開発部隊に良い習慣だと思った。しかし、転職して1年半後リストラでこの組織はつぶれ、新しい研究所になったが、実験ノートはその組織で作られず、習慣は途絶えた。

 

転職した部署がつぶれたのでびっくりしたが、新しい上長は転職のいきさつなども知らず、全くの新天地での仕事と同様の状態になった。転職した当時のセンター長は挨拶も無くさっさと退職し、後味の悪い状態となった。新しい上長との引き継ぎもなされていない状態だった。

 

古参の社員に過去の話を伺ったら、この部署はいつもそうだった、とぽつりと語った。これでは技術の伝承などできるわけがない。確かに当方が転職して一年半、この部署ができて3年近く何も成果が出ていない。

 

外から見るとおっとりした会社であったが、実際はゴム会社よりも厳しい会社だった。新組織で受け持った30名のグループについてはゴム会社同様に徹底的に成果主義の体制を組み活動を始めた。

 

実験ノートの代わりに新しいフォーマットの週報を作成し、実験ノートに書かれていた日々のデータを別管理とする様式にした。新しい週報のファーマットは、左上に1週間後のゴールを、右上にはそのゴールをどこまで実現できたかをまとめ、残りはゴールに関する活動報告という形式で、週単位の目標管理を行った。

 

実験ノートを辞めたのは、日々管理で業務がトコロテン方式なっていたのでそれを改めるため。すなわち組織ゴールを各メンバーのゴールまで落とし込み、徹底してゴール実現を目指すためだった。日々のゴールまで落とし込みたかったが、そこまで実行するとメンバーの業務の自由度が無くなる可能性があった。

 

実験ノートについては、会社からの配布が無くなったので、自己責任と自己実現のためのノートとしてグループ内で市販のノートを無料配布することにした。すなわち、週報を会社責任の記録とし、実験ノートは自己責任と自己実現のため、と記録の意味を明確にしたのだ。

 

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2014.10/21 技術の伝承(2)

ラテックスを用いたPETの表面処理技術は、写真会社で技術が磨かれてきた可能性が高い。特許を整理してみても、特殊なラテックスが昔から使われていた。その合成技術にしても生産技術が難しい材料が実用化されていた。

 

当然それらを開発した時の考え方や合成技術のデザイン方法など伝承されていて良いはずなのだが、中堅技術者に質問しても担当が異なるから、という回答しか得られない。現場に入って学ぶしかない、と決心し、あるプロジェクトの若手リーダーにお願いし、部下にして頂いた。

 

現場で実験を行いながらさらに驚いた。物性測定にしても特殊な測定法をルーチンとして実験補助者と称する女性陣に任せ実験を進めている。その実験では測定値だけで無く、測定中の挙動も重要なはずだが、それを観察し記録する習慣すら無い。

 

確かに品質スペックは測定値だけなので、他の情報は不要かもしれない。しかし、計測中の挙動には材料の脆さなどの情報も観察されるので異常があったときにはメモをするのは当然だが、異常が無くともキズの付き具合などはメモっておくと後で役にたつ。

 

若手リーダーに話したところ、どのみち品質規格値を満たさなければ採用されないのだからそれでも良いでしょう、と問題意識が希薄である。製品を現場で管理する立場ならそのような考え方で許されるかもしれないが、研究開発の現場では新しい知見の発見も大切な業務である。

 

最近ではSTAP細胞の騒動で若手研究者が、ハートマークやマンガを実験ノートに書いていたが、肝心の実験に使用したサンプル情報などを残していなかったために騒動になったばかりである。

 

当たり前と思われることでも研究段階で観察されることを記述する習慣の伝承は、技術の伝承の一部である。研究開発業務に携わる場合に大事な習慣である。

 

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2014.10/20 技術の伝承(1)

ゴム会社から写真会社へ転職し、セラミックスの研究開発から高分子材料の研究開発へ大きく担当する職務が変わった。転職先のセンター長は某フィルム会社T1社から10年前に転職された方で、T1社と異なる某フィルム会社T2から転職された方が次期センター長という位置づけでマネージメントを担当されていた。

 

ずぶの素人の当方はただ言われるがままの職務をする毎日であったが、素人目におかしな光景がいくつか気になった。そもそも写真会社に伝承されていた高分子技術は何だったのかよく見えない。

 

PETフィルムの表面処理技術にしても、帯電防止技術にしても、取り上げられていたテーマがおかしかった。その分野の素人なので技術がよく分からなかったのだが、毎日議論されている内容から「問題」は見えてくる。

 

例えば日々の技術の議論が、ただ処方因子を変化させてうまくいっただのいかないだのという内容である。そしてある程度目標物性に近づくと工場実験を行い、またうまくいっただのどうだったかの議論になる。

 

係長クラスの担当者に質問すると昔からやってきたことだから、という答が返ってくる。また写真の乳剤というのは難しい技術だから大きな技術の変更はできない、ともいっていた。

 

すなわち、現在のやり方は過去から伝承された技術だというのである。

 

日々の仕事のやり方はうまく伝承されているのだが、肝心の技術の中身に関してはほとんど伝承されていない。当方が理解したいために技術の中身について質問すると、昔から使われてきたから、というのがお決まりの回答だった。

 

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2014.10/19 テーマ依頼

研究開発では自部門で取り扱えない問題を他部門に依頼するケースや、社内の横断的プロジェクトを組んでいるときにテーマ依頼をするケースが出てくる。このときドラッカーが教えるように「何が問題か」を議論したほうが良い。正しいテーマを依頼していない場合もあるからだ。

 

写真会社に転職したばかりの頃、工場から「工程汚染の改善」というテーマ依頼があり、調べたところ毎年依頼されているテーマだった。担当者から説明を聞いたところ、モグラたたきのような状態になっており、対策をとると問題になっていた物質による汚染は無くなるが、他の汚染が新たに発生している、という状態だった。

 

この問題はフィルムの表面処理工場の現場から見れば「工程汚染の改善」だが、本質的には表面処理技術のレベルが低いことが問題だった。ラテックス下引きと呼ばれる表面処理技術では硬膜剤が必要でその硬膜剤が工程汚染を引き起こしていたのだ。

 

毎年の依頼テーマでは、硬膜剤の変更を行うことがルーチン業務になっており、依頼された物質の汚染を0にする成果が出ていた。しかし、翌年には新たな硬膜剤の汚染対策と言う問題が依頼されていた。

 

この問題では、「硬膜剤を使わないラテックス技術の開発」が正しい問題である。担当者から、「それはできない。あなたは技術を知らないから簡単に言えるのだ」と言われた。先月まで高純度セラミックスの技術開発をやっていたので、担当者の指摘は外れていないが、「何が問題か」考えるのは、素人の方がうまく問題を見つけられるのかもしれない。

 

昔から岡目八目と言う言葉がよく言われるがこのことを言っているのだろう。他部門からのテーマ依頼を検討する時に全く関係ない企画部門のマネージャーも加えて「何が問題か」議論するのが良いかもしれない。正しい問題を解かない限り、正しい答えは出ない。

 

「硬膜剤を使わないラテックス下引き技術」は、若手を抜擢し、T大N先生のご指導を仰ぎながら進め、無事開発できた。N先生のご指導も「何が問題か」を考えるご指導だった。硬膜剤の反応という問題を考えるのではなく、レオロジーで解決するという具合だった。またご相談内容も下引きという問題ではなかった。「何が問題か」という問う作業は本質を問う良い質問である。

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2014.10/18 リーダーシップ

 リーダーシップは天性の素質があれば容易に発揮できる。しかし素質が無くても管理者になったなら求められ、これで悩む人が出てくる。

 

高3の時、「僕は君たちのような優秀な生徒を教える自信が無い」と挨拶された先生がいた。この挨拶には受験を前に不安になるとともに驚かされたが、授業は、挨拶以上に謙虚で、黒板の前で本当に悩んでいるのか、と心配になる時もあった。

 

不思議なことに、この不安を与えるポーズのおかげで授業中に寝ている人や内職をやっている人が皆無であった。皆ハラハラしながらその先生の授業を受講していたのである。

 

受験を控えた時期であったが、その授業で不満を言う生徒はいなかった。先生が一生懸命生徒に教えている、という意欲が十分に伝わってきたからである。

 

誠実と真摯は、ドラッカーに良く出てくる単語で、経営者は後継者を選ぶ時に誠実で真摯な人物を選べ、とある。リーダーシップの素質が無くても管理者になった時に、この数学の先生のように誠実で真摯に実践すれば、部下はついてくる。

 

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2014.10/17 働く意味

 ドラッカーによれば、「貢献」と「自己実現」が知識労働者の働く意味である。

 

貢献とは、仕事を通じて会社に貢献すると、会社の社会貢献により間接的に社会に貢献していることになる。この理解は簡単なようで難しい。サラリーマン時代にどのように会社に貢献しているのか、時々自問自答していた。貢献が認められず写真会社で左遷された時も考えた。会社を辞めるべきか、従来通り成果を追究し貢献するべきか。

 

退職するつもりで業務を行ったら、カオス混合技術を実現できた。廃PETボトルを用いた射出成型用樹脂ができた。そして、最終出勤日3月11日は東日本大震災で、最終講演も送別会も吹っ飛び帰宅難民となり忘れられない記念日になった。

 

目標管理を行っている会社は多い。全社方針からブレークダウンされた個人目標を達成すれば会社に貢献していることになる。しかし自分が頑張って目標を実現しても会社の利益が上がらない時など、研究開発を担当しているとそのような矛盾に遭遇する。

 

研究開発は明日の飯の種を担当しているのだから時間差はできる、というのは一つの回答だが、素直に納得できない時もある。

 

自己実現は貢献よりもわかりやすいが、意欲を持ち続け実践するのは難しい。自己実現の目標が努力しても遠のいてゆく場合である。若い人の悩みの種になったりもする。

 

若い人の自己実現を支援するマネジメントは、若い人の意欲を上げ組織目標を達成するために重要であるが、それを実践するのは難しい。管理職の仕事として見えにくい会社もあるからだ。しかし、メーカーでは技術者をまず専門家として育成すべきである。その後管理者として育成しても遅くはない。

 

ゴム会社では最初高分子の専門家として育成された。その後1980年代のセラミックスフィーバーとCIの導入でセラミックスの専門家として学位を目指すことになった。しかし、学位を取得したのは写真会社へ転職してからである。一度遠のいた目標を達成できたのは、ゴム会社で知り合った諸先輩や先生方の後押しがあったからである。

 

風土の異なる環境で経済的な面も含め大変だったが、目標を実現してみてゴム会社の人材に対する哲学の伝統を知ることができた。このような風土の会社は強い。

 

www.miragiken.com  は、若い技術者へサービスとしてはじめました。未来技術を取り上げそれをわかりやすく伝えるためにアニメにしました。何かご希望がございましたらお問い合わせください。

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2014.10/16 諦めない技術開発(7)

 

一人で大きなテーマを抱えている、ということは大変なことだった。しかし夢があった。ゴム会社で半導体事業を立ち上げ事業を行う、という夢は、先行投資を決めた方々の共通したゴールだった。

 

社外にも同様の夢を共有化していた先生方がいた。その方々のことを考えると事業として立ち上げるまでギブアップするわけにいかなかった。運よくS社から半導体治工具のJVのお話をいただけたのは、旧無機材質研究所の先生のおかげだった。

 

ギブアップしなかったのでJVの話が来た、ともいってくださる方もいるが、研究シーズを無機材質研究所で育てたプロセスが重要だったと思っている。

 

リスクの高い研究シーズを公的研究機関で育てる産学連携研究は、いつの時代でも有意義な戦術である。事業化が長引き、社内の風向きが悪くなった時に社外の援軍として機能させることができる。

 

産学連携の有効性に疑問を持たれる方もいるかもしれない。しかし仮に社内で何とかできる研究テーマでも事業化期間が長期になりそうな場合に、シーズの段階から思い切って公的研究機関を巻き込み産学連携体制で研究開発を進めるのは賢明な方法だと思っている。

 

www.miragiken.com   では、学会や官公庁の講演の情報をもとに、未来技術をわかりやすくアニメでまとめています。詳細情報をご希望の方はお問い合わせください。産学連携のお手伝いもいたします。

 

 

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2014.10/15 諦めない技術開発(6)

 30年ほど前の高分子プリカーサーを用いた高純度SiCの研究開発は、2憶4千万円の先行投資でスタートしたが、世界ランク5位のゴム会社が世界ランク3位の会社を買収したことでテーマの位置づけが大きく変動した。

 

自分以外に誰もいない、1階がパイロットプラントで二階が実験室の広い建屋に独身寮から歩いて数分の距離を通う毎日になった。FC棟と呼ばれたその建物は、社内のメール便の区域からも外され、誰も来ない日が多くなった。精神衛生上良くなかったので結婚して都心から通う習慣に変えた。

 

この結婚という習慣の変更は大成功でS社からJVの話が舞い込んだ。JV立ち上げで困ったのは2人で動かしていた特殊横型プッシャー炉の運転である。工夫して一人で動かし、5kg生産し、試作用にS社へ供給した。

 

共同開発契約も締結され、高純度半導体治工具生産に関する事業に必要な特許について共同出願を行った。その後紆余曲折あって現在のゴム会社で継続されている半導体用高純度SiCの事業となっているのだが、このJV立ち上げまでは一人で大変だった。

 

しかしそれを支えてくださったのは経営陣である。誰も訪問しないFC棟を時々どなたかが覗きに来てくださった。社長まで来られた時にはびっくりした。がんばれよ、の一言だけだったが、それで十分だった。また、この事業が30年近く続いている感激を言葉では表現できない。さらに転職したことで偶然この技術の某学会賞を2回も当方が審査することになった。この裏話は機会があれば公開したい。

 

一連のエピソードは www.miragike.com  のサイトでもアニメで今後展開してゆく予定である。

 

 

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