ホスファゼン変性軟質ポリウレタンフォームは実用化されなかったのですぐに論文として発表することができた。上司が「高分子の崩壊と安定化研究会」の委員だったので、研究会のネタとして採用されたからだ。
論文は英文で投稿したが、今はやりのコピペを用いていない。当時ワープロなど無かったので、直接タイプライターで書かねばならなかった。学生時代に修士論文を書くために買ったタイプライターが役に立った。
タイプライターは、片手打ちである。片手に辞書を持ち英文を打ち込んでゆく。五月雨の音よりも遅く、独身寮の廊下に何の音かわからないぐらいの音色で響いていたそうである。
ホウ酸エステルとリン酸エステル併用システムは実用化されたので、その外部発表はすぐにできなかった。ただ、5人目の上司が学位取得を勧めてくれて、そこに掲載するために社内調整してくださった。
開発してから4年後にようやく論文になったが、こちらは日本語である。日本語ワープロ一太郎を用いて書いた。この研究は日本化学会の年会でも発表したが評判がよく、講演依頼が来るようになった。
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過去に何度も書いているが、高分子の難燃化技術もゴム会社で学んだスキルである。入社1年後にホスファゼン変性ポリウレタンフォームを半年で試作まで行い、新入社社員でありながら始末書を書くことになった仕事で、始末書を書くにあたり恥ずかしくない内容にしたいと思いこの分野の技術の実情を猛勉強した。
市販されていない難燃剤を用いて開発を進めたのが、その始末書を書くことになった原因である。しかし、この始末書のおかげで、燃焼時のエネルギーでガラスを生成し、難燃化する技術を開発することができた。
この始末書に反省の証として低コストの難燃化技術を開発する、と書いたのだ。余分なことを書くな、と上司に叱られたが、そもそも新入社員である当方に始末書を書かせる管理職もすごい、という陰の声があったので、ひるまずに始末書をそのまま提出した。
この始末書がどのような扱いになったのか知らないが、罰として納期が決められ半年で新しい難燃化システムを開発するようにというありがたい指示が上司から出た。期待に応えて、半年後に試作を成功させ商品化できた。
この時完成した新規の難燃化システムはホウ酸エステルとリン酸エステルを組み合わせる難燃化技術である。ホウ酸エステルは市販されていなかったが、ホウ酸とジエタノールアミンとを撹拌するだけで合成できたので、工場の隅に簡単な反応釜を設置するだけで実用化できた。コストは300円/kg以下だったように記憶している。
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ゴム会社では上司から学位取得を勧められたり、海外留学の推薦をされたり、と技術者として育成されている実感を味わいながら仕事ができた。受講費について会社の補助が出る通信教育にも、技術者向けのメニューが多数用意され、人事からモニター推薦を受けたりしていた。
創業者の伝記を読むと人材育成を重視した事業家であると書かれているので、技術者教育に力を入れていたのは創業時からの伝統だろう。12年間勤務して、仕事をした実感よりも技術者として育成されていた思い出が多い。
ゆえにFDをいたずらされて転職した時も、そして今でもゴム会社には申し訳なかった、という気持ちがある。高純度SiCの事業化で6年間死の谷を一人で歩き住友金属工業とのJVとして起業し、それが現在でも続いているが、特許報償を請求したこともない。ブルーレイの裁判で高額な特許報償が支払われてもそれを批判的に眺めていた。
ゴム会社では諸先輩から十分なご指導を受け、そのおかげで専門外だった転職先の仕事でありながら技術者として成果を出すことができた。写真会社で開発を行っていたときのスタイルは、ゴム会社と変わらなかった。ただ立場が管理職だったのでゴム会社の管理職がそうであったように、部下の育成に力を入れた。
メーカーの技術者教育はどうあるべきか、と尋ねられたなら、迷わずゴム会社の風土を紹介したい。一時期その風土もおかしくなったが、現在は昔同様の風土に戻っているという。
中国出張で某大学を訪問し、偶然そのゴム会社の留学中の社員と名刺交換した時には、企業買収が成功し新たな成長へチャレンジし始めたゴム会社の鼓動を感じた。五年前の話である。
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転職して最初に出した成果は、透明金属酸化物を用いたフィルム用帯電防止層である。この技術はその写真会社の基盤技術であったが、社内の誰もその技術を知らないだけでなく、その分野においてライバル企業に1000報以上も特許出願されていた。
その膨大な量の特許を整理していて昭和35年に公告となっていた特公昭35-6616という特許を見つけた。透明金属酸化物を帯電防止層に用いた世界初の特許で、その特許が出願された後、ライバル企業2社から同様の特許が大量に出願されていた。特公昭35-6616という優れた特許が自社の特許であるということやその存在が社内で忘れ去られるような状況は、技術の伝承がうまく行われていないということだ。
当方の最初の成果は、この特許を軸に技術を再構築し、特許に抵触しない帯電防止層を金属酸化物を用いて設計した仕事である。しかし、この技術を開発しているさなかにリストラされ、転職したときの開発部門は無くなった。過去にもこのようなことがあり、その結果大切な技術が消えていったのだろう。
開発部門は無くなったが、一担当者としぶとく開発を続けこの技術を印刷感材の新製品に実用化することができた。優れた帯電防止層のおかげ(注)で、その商品は印刷学会から賞を頂けたが、帯電防止層をいっしょに担当した部下や当方はその賞に名前を連ねることができなかった。
社内で評価されなかったので、日本化学工業協会へ推薦書を提出し部下とともに技術特別賞を受賞した。デジタル化の波が押し寄せてきたときで、この技術は熱現像医用感材にも必要な帯電防止層として用途が広がっていったが、当方は二回目のリストラを受け、それまで倉庫として使われていた部屋へ、いわゆる世間で言われている「座敷牢」へ入れられた。
理由は分からなかった。ただ心当たりは、帯電防止層を担当した部下の育成のために学位取得を勧めたり、その会社では行われていなかったスタイルの技術マネジメントなどが批判されたのではないかと反省している。帯電防止層以外にも多数成果を出していたが、リストラされる時代である。技術者教育など不要という経営者もいるかもしれないが、厳しい時代だからこそメーカーは技術者を育てる努力を惜しんではいけない、と訴えたい。
(注)印刷の校正刷り用感材で、重ね合わせて使用するために現像処理後も帯電防止性能が残っている永久帯電防止層が不可欠である。すなわち透明金属酸化物の帯電防止層はこの商品の重要な機能の一つであった。
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短期間でコンパウンド生産工場の立ち上げに成功したことは自信になった。一方でトップメーカーの技術者が実現できなかった技術なので日本のコンパウンドメーカーの技術力に不安を感じた。
またコンパウンドメーカーに提案しても実施してもらえなかった技術も短期間で幾つか実現した。たとえば無担ベルトの押出成形においてコンパウンド段階でベルト性能を予測できる評価技術やフローリー・ハギンズ理論に反する高分子の相溶化技術などである。短期間にできたこれらの技術をできない、といっていた技術者はスキルが低いと思われる。
但し一連の技術は、ゴム会社の指導社員から30年前伝承された知識を用いた成果である。このことがきっかけで、実務の担当期間よりもその伝承者のスキルに技術者の成長は左右されると考えるよりどころとなっている。混練技術以外の専門は、いずれも実務経験が2年以上あるが、混練技術はたった3ケ月樹脂補強ゴムのテーマを担当しただけだった。その程度のスキルが現在でも通用したのである。
この体験から、技術の伝承というものがマネジメントの重要なテーマの一つだと思っている。このテーマに企業全体として取り組んでいるメーカーとそうでないメーカーとの差は歴然で、それは教育システムだけでなく風土にも現れている。あるいは企業風土が技術の伝承を促進していると表現した方が正しいかもしれない。
技術者のスキルは、技術者本人の自己実現意欲が高ければ企業の施策とは無関係に高まってゆくと思われるが、その成長スピードは経営者の取り組み次第で変化する。ゴム会社では「二年経ったら専門家」あるいはその実務を「二年経験したら専門家」とよく言われた。
しかし、写真会社ではそのような言葉を聞いたことがない。赴任したその日に今日からあなたはこの専門です、といわれて驚いた思い出がある。技術者の専門とは一朝一夕にそのスキルが高まるわけではない。専門を身につけるにも一定期間その実務体験が必要となる。
写真会社に転職した時に自ら年下の技術者の下につき、フィルム技術のスキルを磨いた。当時年上の技術者にスキルが高い人がいなかったからだ。仕事を手伝いながらなぜこのような状況になっているのか観察した。しかしすぐにその答えが出た。リストラでその部門が無くなったのだ。フィルム会社でフィルム技術を開発するセンターを簡単にリストラする勇気にびっくりした。
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昨日技術者としての専門について書いてみたが、まだ書き足りない。しかし、昨日だけでも怪しい専門家と疑われるのでは、と心配している。多芸は無芸という言葉もあるので、昨日書き上げた内容では専門と呼べないのでは、と言われかねない。
3ケ月しか実務担当経験の無かった混練技術は、今最も得意とする技術であるが、そのきっかけとなったのは、カラー電子写真機に用いる中間転写ベルトの開発をマネージャーとして担当したことだ。
前任者からテーマを引き継いだときに、悲惨な状態であった。カーボンを分散して半導体化した樹脂を押し出し無担ベルトを製造するのだが、表面比抵抗が100倍以上もばらついている状態で歩留まりなどここにかけない状態だった。
コンパウンドメーカーを呼んで開発方針の見直しを求めたら、素人は黙っとれ、と言われた。お客さんを素人呼ばわりするのはまだしも、黙れとは何事ぞ、と、半沢直樹ばりに倍返し動機もあって、二名の部下をコンパウンド内製化技術開発に充てた。そして部下を指導して半年後にはプラントを立ち上げることができた。
コンパウンドメーカーは、日本を代表する研究機関から生み出された企業で日本のトップレベルの技術を持っていると前任者から聞いていた。しかし、そこに頼っていては半年後にテーマの完成は無いと判断し、内製化を決断した。写真会社なので混練の基盤技術など皆無である。頼りにしたのはゴム会社における3ケ月の実務経験だった。
20年近く前の技術だったが錆び付いてはいなかった。日本のトップメーカーができなかったコンパウンドの生産工場を半年後に立ち上げることができたのだ。3ケ月の実務経験に自信を持った瞬間である。
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大学では合成化学を専門として学んだ。卒業論文は「ジケテンを不飽和カルボン酸のシントンとして活用するC5単位の合成」だった。簡単に言うと、当時小椋佳作詞作曲により布施明が歌ってヒットした「シクラメンの香り」を合成する研究である。米国の学会誌にその成果は紹介されている。
大学院ではホスホリルトリアミドの縮重合を研究した。このテーマで困ったのは、過去にかなり研究された実績があり、総説まで出ていたことである。ゆえに基礎研究ではなく応用研究に重点をおいた。4報ほど二年間に論文を書くことができた。
学校では合成化学を専門として学んだが、ゴム会社で最初に担当したテーマは、樹脂補強ゴムを用いた防振ゴム開発である。たった3ケ月の担当であったが、指導社員が極めて優秀な技術者であったため、濃度の濃い教育期間であった。
コンサルティング業務の一つとして混練技術を掲げているが、この3ケ月間に伝承された技術がベースにある。大学3年間に学んで蓄積した専門知識よりも混練技術の専門知識のほうが高いレベル、と感じている。すなわち合成化学者として勝負して勝てる見込みはないが、混練技術者ならば世間の技術者に勝てるような自信がある。
ならば混練技術が専門かといえば、そうではない。学位論文の半分を占めているのは、半導体用高純度SiCの合成法の研究である。セラミックスの専門家として看板を掲げたい気持ちが今でもある。講演依頼が最も多いのは高分子の難燃化技術で、こちらは出版社から論文執筆依頼を今でも受けるぐらい世間で認知されている。
従事した仕事で期間が最も長かったのは、フィルムの成膜技術と表面処理技術である。こちらも高分子の難燃化技術同様に1年に1度は講演依頼が来る。つい最近は電気粘性流体の相談を受け、忘れていた専門を思い出した。
電気粘性流体の耐久性をあげる界面活性剤の開発や電気粘性流体の高性能化を実現する3種類(傾斜組成粒子、微粒子分散粒子、コンデンサー分散粒子)の微粒子開発など確かに先駆的技術開発の実績が多いのでこれも専門である。開発の相談を受ければ素材の合成からデバイス設計まで一応指導可能である
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現在の教育システムで、技術者になるためにはメーカーに勤務する以外に道は無いように思われる。メーカーに勤務しなくても優れた技術者になった事例としてエジソンが有名だが、凡人には優れた指導者のいる可能性の高いメーカーに勤務することが必要となる。
不運なFD破壊事件のため、ゴム会社と写真会社の二社を経験することになったが、積極的に人材育成を行う企業とそうでない企業が存在することを知った。ゴム会社は人事部が中心になり積極的に人材育成を進める優良会社だった。写真会社は自己の気づきが要求される自己責任が常識の会社である。
優秀な人は写真会社のようなメーカーでも成長可能だが、凡人はゴム会社のようなメーカーに勤務すると会社の教育サービスで技術者について学ぶことができる。メーカーとしての総合力が高いのはゴム会社で、入社時世界ランク6位から20年で1位になった実績もある。
写真会社のような場合には、総合力と言うよりも技術者個人の能力がそのメーカーの技術力を左右する傾向になる。ゆえに技術の伝承も下手でライバル会社に先行していても技術者が退職後は追い越されてしまうことになる。ひどい場合には技術者退職後にその痕跡も無くなり、古い特許からかつての状況を探る、という事態も生じる。
このようにメーカーの技術者教育や風土も様々なので、技術者の専門がどのように高められるか一般論を述べるのは難しい。写真会社のようにそれなりの教育メニューを揃えてはいるが積極的に技術者を育成しようとしていない会社でも優秀な技術者は育っている。但しゴム会社と比較するとその能力の平均値は低い。
ゴム会社の技術者の平均的な能力が高すぎるのかもしれない。12年間の勤務であったが、優れた技術者に囲まれて仕事ができたのを幸運に思っている。
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昨日早朝の全米オープン決勝戦は残念な結果だった。錦織選手有利の下馬評がはずれ、あっさりとストレート負け。試合後のインタビューでは、プレッシャーのため試合に入っていけなかった、と語っていた。
勝てる、と思っていても、あるいはデータ上有利と思われる状況でも、やってみなければ分からないのが勝負事である。特に実力差が紙一重の場合にはわずかな変調が勝敗に影響する。仮に圧倒的に実力差があったとしても、油断でひっくり返ることがある。
スポーツ大会(テニスシングルス)での優勝経験が一度だけあるが、決勝戦はプレッシャーとの戦いだった。ヘボなテニスプレーヤーでも、決勝戦ともなれば優勝がちらつき、身体が思うように動かない、という経験をする。しかし、相手も硬くなっていることに気がついてから、一方的に試合を進めることができた。
また、ゴム会社の地元の市民スポーツ大会ダブルスで毎年優勝していたペアと4回戦でぶつかったときには、最初から試合を投げて適当にやっていたら、面白いようにスマッシュやボレーが決まった。実力差がありすぎて結局は勝てなかったが、休日プレーヤーでもスポーツでは気持ち次第で実力以上の力が出たりする。
錦織選手の談話は素直に理解でき、次回ガンバレと声援を送りたくなった。スポーツでは、実力以外の要素が試合結果を左右するが、科学の世界ではスポーツのようなことは起こりにくい。STAP細胞の騒動は、もし現象が正しければその一例になるのだろうが、技術の世界ではスポーツ同様のことが起きる。
科学の世界では論理的にプロセスを進めることが前提になるが、技術では機能を実現できるならば、それが非論理的な成果であっても受け入れられるため、運の要素の入る余地がある。KKDにおける3番目の度胸(D)が重要視されるゆえんである。
ノーベル賞を受賞したiPS細胞でも、消去法というアミダクジ的実験プロセスや全てのDNAを細胞に組み込んで行うという大胆な度胸で技術ができあがり、科学的プロセスで現在研究が進められている。このあたりについて山中先生はノーベル賞受賞の時に謙遜して述べられていたが、ヒューマンプロセスの成果として自慢されても良い事例である。むしろ未来技術にヒューマンプロセスが重要な役割を担うことを世間に啓蒙できたかもしれない。
技術のこのような側面をゴム会社で学んだ。それ以来、運では無く意識的に度胸の結果が幸運を招くようなヒューマンプロセスのルールは無いのか、考え続けてきた。その過程で30歳の時に、無機材質研究所の電気炉が暴走して高純度SiCの独特な熱処理パターンを一発で見つける、という幸運に出会った。この経験で運と運以外のヒューマンプロセスの違いについて開眼した。
運による技術成果は、科学的に追試をしてもそれが得られた理由を論理的に説明できない場合が多い。しかしなぜか再現のロバストは高い、という経験則がある。運以外のヒューマンプロセスによる技術成果は発見に至るプロセスの科学的な追試も可能であり再現のロバストも高い。ご興味のある方はwww.miragiken.com をご覧ください。
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18歳人口が2018年から急激に減少し、国立大学さえも倒産の危機になる、というのが2018年問題だそうだ。2031年の18歳人口は、現在より15万人減少し104万人と予想されている。出生数の予測は、2030年に約75万人だから2018年以降大学受験の対象となる18歳人口は確かに激減する。
資料によれば、17万5千人規模の都市であれば、国立大学は生き残れるとある。本当か。学生を確保できれば授業料を確保できたことになるので経営は可能である。しかし、大学の使命を考えたときに、単純に学生数確保が生き残りを保証しない。そもそも学生の授業料だけを当てにしているから2018年問題となるのだ。
大学の社会的使命を考えたときに、社会人の再教育という重要な市場が存在する。また、若者が少なくなる代わりに老人は確実に多くなる。老人の中にも勉強をやり直したいという人がいるはずである。社会をリタイアした人に大学の門戸を開くとともに社会人から魅力的に思われる講座を準備したらどうだろう。
そもそも大学は人類の幸福を願い研究を行う場である。しかし、各大学のホームページを見ていてもどのような研究を行い、それがどのように人類を幸福にしてくれるのか伝わってこない。昔は象牙の塔という言葉があったが、今は何と表現したら良いのだろう。
およそ魅力の無い大学という意味では今も昔も変わらない。年間平均100万円前後の授業料を支払い若い人は大学に通っている。4年間通えば最低でも400万円は大学に支払うことになる。週刊紙情報では4年間にかかる費用は2000万円とも書かれているが、果たしてそれだけの価値あるサービスを現在の大学は提供しているだろうか。
人口の減少だけで無く、大学進学率も下がったら2018年どころでなく、来年からでもつぶれる大学が出てくる可能性がある。現役合格指向から単純な大学受験人数だけでなく浪人率は急激に低下した。そのため大手予備校が大半の校舎を閉鎖することになったが、進学率が昔に戻ったならば新聞に書かれている予測よりも早く大学がつぶれ始める。
2018年問題は単に人口の面から捉えられているが、進学率低下の可能性も考えなければいけない。その様に問題を捉えたときに、大学がこれまであまり考えてこなかった、授業料に値するサービスという視点が重要になってくる。そしてこの視点で考え出された施策は若者だけでなく、社会人や社会をリタイアした老人にも魅力的なはずで、進学人口の増加という現象を起こせるかもしれない。
まだスタートしたばかりで物語の展開が見えにくいかもしれないが、www.miragiken.com で未来技術を考える大学の運営を始めました。リケジョが活躍する大学が舞台の物語で、ご興味のある方は一度ご覧ください。
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