金属やセラミックス、高分子に関する材料科学は20世紀著しい進歩を遂げた。その進歩が材料技術を牽引した時代でもあった。しかし、21世紀に入り材料科学の進歩は緩やかになった。イノベーションの中心はSTAP細胞の騒動に見られるように生科学分野へ移った
新材料により新たな機能が見つかり、その機能を活用して新技術ができていた時代から、市場で求められる商品に対して技術者が自ら機能設計をしなくてはいけない時代を経て、いまや市場で価値を顧客とともに創り出す時代になった。そして市場で共創された価値を実現するための機能を技術者は考えなくてはいけない時代である。
実はこのような価値の共創という作業は20世紀にも行われていた。例えば新商品企画会議がそれである。そこでは各部門から集められた責任者が新商品の姿を討議し、その結果を各部門に持ち帰り、各部門の技術者がその責任領域で求められる機能を考える作業を行っていた。すなわち共創を行う場が社外になっただけである。
定まった市場をターゲットにして開発を行ってきた企業では、新機能を考えなくても従来からの機能の性能を上げるだけでよかった。しかし、今は定まった市場ではコスト競争に曝されたために機能の性能向上とともにコストダウンも行わなければならない時代である。
とにかく従来の延長線上で安直な企画を立てていたのでは事業の先行きが心配される。業界1位だったゴム会社でさえ、先行きを心配して新たな事業へ挑戦したのである。新たな事業へ挑戦を行いつつ世界一位まで上り詰めた。このような企業は社内で常にイノベーションを起こそうとする風土があり、研究所で技術者は事業企画ができなければ生き残っていけない厳しい風土である。すなわち研究だけ安直にやっていては給料が増えない会社であった。
当方が新入社員時代の指導社員は、レオロジ-の専門家であっただけでなく、シミュレーション技術者でもあり、ゴム屋でもあった。さらに優秀な企画マンというマルチな技術者だった。彼は、常に企画を考えていなければこの会社で生き残っていけない、というのが口癖だった。すなわち技術者として生きてゆくためには企画能力が必要と教えてくれた。
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SiCは難焼結材料である。ゴム会社の50周年記念論文の審査に落ちた企画だったが、無機材質研究所で花を咲かせることができた。そして世界初の高純度材料が得られたことで、次々と新しい現象が見つかった。
当時SiCを焼結するために必要な焼結助剤は学会でも議論されていた重要なテーマであった。各種の助剤が研究されていたが、プロチャスカのBとCを用いた技術は秀逸であった。また、Cだけでも焼結するという研究発表も当時存在したが、焼結密度は高くはなかった。
しかし、高純度SiCを用いたところ、BとCの添加量はプロチャスカの特許に書かれた量よりも少なくて緻密化した。さらにフェノール樹脂を助剤として用いて、すなわち炭素だけを助剤に用いてホットプレスにかけたところ、99%まで緻密化した。
高純度材料を用いて過去の実験データを見直しただけでも新たな研究テーマがたくさん生まれた。特にフェノール樹脂を助剤に用いたホットプレス焼結技術は、半導体用冶工具を製造する為に重要なテーマとなった。
新しい発見は企画を容易にする。すなわち新しい発見により新たな機能が生まれ、新たな技術の可能性まで展開されるので、何も苦労しなくても企画のネタが得られるのである。
30年前はこのような企画のスタイルを取れる状況だった。
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新入社員として配属された研究所で、新しいテーマを考えることの重要性を教えられた。そして、実験とは企画した内容の確認である、とも言われた。実験室では当方より2-3歳年上の若い技術者による「研究所と言っても看板だけだ」という不満がささやかれていた。
世界的に有名な元東京大学のN先生が東大へ転職されたのはその1年後であった。かつては、大学の研究所よりもアカデミックな雰囲気だった、と語る先輩社員もいた。研究所ブームで設立された基礎研究所が新しいスタイルのマネジメントに変わる過渡期であった。
ゴム会社の基礎研究所にはBR01という成功体験があった。高純度SiCの企画が認められたのは、世間でセラミックスフィーバーの嵐が吹き荒れていたこととこの成功体験によるところが大きい。
半導体用高純度SiCの企画は、当初会社の50周年記念論文応募のために準備された。残念ながら審査には落ちたが、無機材質研究所留学というチャンスが訪れた。このあたりの経緯は既に述べたが、波瀾万丈の人生を経験し、30年経った今もこの時企画された事業が継続されている。
看板だけの研究所と揶揄されたが、担当者さえその気になればアカデミアよりも恵まれた環境で研究ができるのはゴム会社の良いところであった。高純度SiCの合成プラントを立ち上げながら、SiCの反応速度論的解析を行った。この研究を行うために2000万円かけて超高温度熱天秤を開発した。また専用の電子顕微鏡も買い込んだ。
開発を行いながら同時並行で研究を行っていた。なぜこのようなことになったのか。それは開発過程で新しい自然現象が次々と見つかったからだ。セラミックスフィーバーは数年続いたが、この時参入した企業で十分な研究を行えなかったところはおそらく撤退しているのではないだろうか。
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バブルがはじけ、失われた10年という言葉がもてはやされ、あっという間にさらに10年経った。今アベノミクスでようやくバブル崩壊からの脱却ができるかもしれない、と期待している経営者も多いだろう。
ただ戦後の復興を10数年で実現したことを考えると、バブル崩壊から20年近くかかった状態を反省しなければいけない。当時と世界情勢が異なっておりマクロ経済の動きが、と説明されても当方は経営者の責任を問いたい。
失われた10年と言われたときに、企業が必要なのは自社の強みを考えることであり、コア技術やコア事業をもう一度見直そう、と叫ばれた。しかし、復活はさらに10年かかっている。そして新聞には人員削減問題などが載った。
経営者が今考えなくてはいけないのは、企業で行うのは技術開発が重要という当たり前のことではないだろうか。企業で行われる基礎研究はすべて事業につながらなければいけない。研究のための研究を企業で行うべきではないと考えている。このように厳しく考えるとコーポレートの研究所で行われる研究テーマでゴールが不明確なテーマは0になるはずである。
ゴールを実現する機能を研究する場がコーポレートの研究所であり、そこにいるのは機能を追究する技術者である。このように考えると、コーポレートの研究所は企画マンの集会所というイメージを描けるのではないだろうか。コーポレートの研究所は、事業部門の開発部隊よりも、企画提案活動というものに力を入れなくてはいけない。
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これまで企業では研究と開発を分けてきた。また研究者と技術者という分類も存在した。ゴム会社で半年の研修を終え配属されたのは研究所だった。指導社員は関数電卓でレオロジーのシミュレーションをやっていた技術者だった。運が良かった。研究所には研究者が多くいて指導社員のような技術者は少なかった。また研究者から職人になっていた人もいた。
32年間企業における研究開発について考えてきた。ゴム会社では、当方は研究者と見なされた。指導社員から教えられたスタイルをかたくなに守って仕事をした12年間であった。指導社員は優れた企画マンでもあった。樹脂補強ゴムを用いた防振ゴムは、彼の手による企画であった。
熱可塑性エラストマー(TPE)の研究が盛んに行われていた時代に、樹脂相の海とゴム相の島から発現される機能が防振ゴムの設計に最適であると睨んで、それをシミュレーションで示し、企画にまとめ上げた。配属されて指導社員から仕事の説明を受けたときに用いられた資料はその企画書であった。
優れた企画書であった。その結果1年の予定のテーマを3ケ月でまとめることができたが、これはサラリーマンとしてやってはいけない事であった。テーマが終了したという理由で、指導社員は新たな企画をしなければならず、当方は軟質ポリウレタンの研究開発を行っているチームへ異動となった。
3ケ月後指導社員の企画発表会があり、指導社員は新たな企画を持って横浜工場へ転勤した。指導社員はアイデアマンというよりも実務能力の長けたレオロジーの専門家であった。指導された期間は短かったが、研究開発について言葉ではなく実務を通して指導を受けた。「今の仕事を行いながら、次の新しいテーマを常に考えろ」これは指導社員の口癖であった。
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商品開発に直結した開発部門では、技術者の職人化が起きやすい。しかし一方で市場に直結した部門であり、市場情報に接することが可能なので商品企画を行うには適している。
難しいのは全社共通基盤技術を扱う、いわゆるコーポレートの研究所で起きている職人化防止策で、企画提案という策を用いる前にそもそも働く意味から指導しなければいけないケースもある。
コーポレートの研究所には大学に置かれた研究所と勘違いしている技術者がいる。そもそもコーポレートの研究所でも技術者が働いているはずなのだが、専門研究を行う職人ばかりになっている会社もあるかもしれない。
ゴム会社から写真会社に転職して配属された部署にそのような職人があふれていた。極めつけは、毎日出社して図書室へこもり本ばかり読んでいる人がいた。参考文献を調べている、と書きたいところだが、目的が不明確であれば何の参考になるのかも分からないので、ただ本を読んでいる状態に等しい。
20世紀には科学技術はどんどん細分化され、そしてその狭い領域を深く追求してゆくことが進歩だと考えられていた。企業のコーポレートの研究所の中には大学よりも先鋭化したところも出てきた。
昭和40年代に始まった研究所ブームで多くの企業で「中央研究所」が作られた。一時期その見直しが行われたが、それなりの貢献が認められていたのでバブルがはじけるまで細分化された機能研究所形式が日本企業のコーポレート研究所における姿だった。そこでは専門家という職人が多数育成されていった。
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技術者の職人化がメーカーの問題となっている。技術者の職人化を防ぐには開発現場のマネジメントが重要である。この傾向は高度経済成長期の時にも存在したが、低成長の時代になって職人を処遇できる場所が肉体労働部門だけになった。職人には企画提案力も無いので、もはや仕事は社内だけでなく国内に無い厳しい状況である。
一方本人が職人である、という自覚を持っているかどうかという問題がある。この自覚を促すために企画を担当させると良い。長年技術開発の現場で仕事を担当してきたならば、ある程度の企画提案力がついているはずで、半年に一度アウトプットとして事業企画を求めるのだ。技術者の気質が残っているならば企画提案力はあるはずで、もし半期に一度企画を提案できないならばそれは技術者に戻ることができないスキルの無い新しい職人である。
この判定方法は、開発現場で技術者の職人化を防止する時にも使える。すなわちチームを作らせて、それぞれのチームのミッションとして次世代技術のシナリオを担当者に書かせる。定期的にシナリオ発表会を行い、これぞと思われるシナリオを選び、さらに事業企画まで練り上げる作業を進めさせる。そして、これらの仕事はすべて見える化して行う。
日々の多忙な開発業務の中で負担を強いることになるが、このような活動は技術者の職人化を防ぐことができるとともに、企画とは何かを指導することが可能となる。開発現場は本来企画マンのたまり場になっているのが望ましい。
ここで注意しなければいけないのは、アイデアマンと企画マンは異なる、ということだ。アイデアだけでは良い企画提案まで至らない。
企画能力で最も重要なことは、企画する能力そのものよりも社内の調整、いわゆる根回しをどこまで丁寧にできるかという社内調整能力である。この能力は、特別な能力と言う人もいるが、知識と情報で補うことが可能と考えている。
社内で公に企画提案する前に調整すべき部署と企画の内容に関して十分な調整を済ませておくこと、これが企画提案力として最も重要である。管理者は担当者に社内の情報を与え、この点をうまく指導しなければいけない。
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技術者は機能を創出するのが仕事であり、その遂行により洞察力や情報収集力、論理力、仮説力、仮説検証力だけでなく、想像力やイメージ具現化力が磨かれる。ここにプレゼン力が備われれば、立派なプロの企画マンになれる。
ゴム会社で6年間高純度SiCの事業開発を行いながら、半導体冶工具の企画や切削工具の企画、高性能電気粘性流体の企画などありとあらゆる企画を行うのに、短い経験ではあったが技術開発経験が役だった。
最初は必死で取り組み、企画が認められ、テーマとして予算がつくと一息ついた。しかし半年から1年で成果を求められたので、テーマがつぶされる前にそれを中断し、新テーマの企画提案により予算を獲得した。
買収した会社とのシナジー効果が大きい、とされていた電気粘性流体のプロジェクトで最大の問題となっていた耐久性の改良について相談されたときには、企画書をださずにいきなりソリューションを提示した。
そのまま実用化できる結果だったので、さらに面白い企画は無いか、と言われ、傾斜機能粉体、微粒子分散型微粒子、コンデンサー分散型微粒子という電気粘性流体を高性能化できる3種の微粒子企画を提出した。この時からFDが壊れ始めた。
転職してから当方のFDを使用できないようにいたずらした人の気持ちを理解できるようになったが、当時はリストラされるのではないかと会社の中で生きてゆくのに誰もが必死であった。少しでも良い企画を提案し、予算を得て高純度SiCの事業を成功に導く、ただそれだけを考えていた。電気粘性流体の仕事を当方が担当しようということなど考えてもいなかった。
企画提案の一番難しいところは、根回しである。特に既存事業や既存テーマに破壊的影響力のある企画を社内で提案するときには、まず既存事業や既存テーマを担当している部門や担当者とよくすりあわせを行わなければいけない。
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昨日のNHKスペシャルは、一連のSTAP細胞の問題を社会問題として捉えた見応えのある内容だった。しかし掘り下げ方が少し甘くやや不満も残ったが取り扱いの視点は正しかったのではないか。今やSTAP細胞の問題は一科学分野の問題ではなく、科学と社会の関わりについて問題が発生するような状況になってきたことを訴えるドキュメンタリーとしてうまくまとまっていた。
当方にとっては知識の整理もできて大変役だった。ただ、昨日の番組で学位論文の問題まで取り入れていなかったのは不満だった。学位論文については、小保方氏が「下書きが製本されそのままになっていた」ととんでもない言い訳をしていた問題が認められてしまった、一連の騒動で最も明確な疑惑であり、この騒動の本質と関わる問題である。
学位を取得された方は、学位論文の下書きが誤って製本されそれが学位取得後一年以上放置されることはあり得ないこととして思っておられるのではないか。少なくとも学位取得者は問題に即座に気がつく立場にあるし、それを放置したならば他の問題を引き起こすことを判断できなくてはならない。
少なくとも真理を追究する科学者の役割を考えたら、未熟という二文字で解決できる問題ではない。学位審査に当たられた先生と本人の責任感が欠如しているのである。責任感の欠如した科学者が真理を追究することがその本質である仕事を遂行したらどうなるのか。それが今起きているSTAP細胞の問題である。
番組では、本来若山研究室にあるべきES細胞のサンプルキットが小保方氏の管理する冷蔵庫に保管されていた問題、そしてそれを誰も知らなかった問題、理研内部でSTAP細胞を用いたとされるマウスのDNAが解析されておりSTAP細胞ではなかった、という証拠が得られている問題などいくつか報道されていなかった問題が公開されいずれに対しても小保方氏がその理由を述べていない、と説明していた。
番組では成果主義が厳しくなるとこのような問題が発生する、という扱いをしていた。確かに当方のFDのデータがいたずらされた状況もそのような状況だった。しかし、厳しく成果が求められているのは技術者も同じである。むしろ小さな問題でも放置しないシステム作りが重要ではないか。
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20年ほど前から企画はプロ集団の仕事になった。すなわち、企画にもそのためのスキルが必要で、ある程度の訓練を受けなければ一人前の企画者として勤まらない時代と言われている。また、企画を行うために市場へ出る必要があり、最低でも係長程度のヘッドシップを身につけていた方が動きやすい。
中小企業ならばこの制約が無い代わりに、企画者一人の能力が企業の浮沈を左右する。ゆえに中小企業でも、新入社員にいきなり企画をまかせる無謀なことはしない。学校を出てからある程度実務経験を積んだ信頼できる人に任せるだろう。
企画を一度も経験したことの無い人に、企画をやりたいからと言って事業に関わる企画を任せるには少し勇気がいる。それなりの経験のある人と共同作業を担当させて、企画という仕事を理解させる必要がある。
開発現場では、技術の企画を練習台にして人材を育てると良い。技術企画は商品企画よりも易しいが、企画提案のプロセスと各プロセスで要求される能力はほぼ同じである。ただ提案のやり方や提案の道具も含めたプロセスが商品企画よりも易しい。
ゴム会社で高純度SiCの事業企画が認められ、二億四千万円の先行投資を受けて開発を始めたとたんに社長が交代した。業界3位の会社を業界6位のゴム会社が買収し業界トップを目指すことになった。全社方針が大きく変わったのである。高純度SiCの事業化を進めながら新しい方針に沿った企画を毎年行わなければいけない、艱難辛苦を味わうことになった。
社内ではリストラが進められ、新聞で騒がれた座敷牢と呼ばれる、企画を担当する管理職だけの部屋が作られた。当方は、管理職ではなかったので新しく建てられたファインセラミックス棟で毎日一人で仕事をすることになった。
その建物は武蔵野療養所の塀の横にあり、独身寮から歩いて2分ほどの場所だった。座敷牢という文字を新聞で見つけたときに、自分のいるところは何と呼べば良いのだろうと悩んだ。精神衛生上良くないので結婚して気分を変えた。通勤2分が1時間30分となっただけでも気楽になった。
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